初めて「吉野家」に行ったのは高校2年の春のことだった。
通っていた高校の近くに「吉野家」が出来て、
部活の友達と4~5人で開店セールに行ったのを覚えている。
そのころはまだ「吉野家」のシステムのようなものをよく知らなくて、
置いてあったお新香を無料だと思って、
みんなでどんどん食べてしまい、
後で料金を請求されて憤慨したことを何故か鮮明に覚えている。
それでも牛丼の美味さに虜になり、
修学旅行の弁当にまで牛丼弁当を持って行ったものだった。
大学に進学してからも「吉野家」の牛丼は、
価格とボリュームで貧乏な僕等を助けてくれたのだった。
当時の僕等にとって許されるサイドメニューは“味噌汁”だけで、
玉子やお新香などは貧乏学生がオーダーすることを許されないメニューだった。
勿論店がそういう決まりだったわけではないのだが、
何故かたとえばバイト代が入って裕福な時でも、
玉子やお新香をオーダーすることは成り上がっているみたいで、
どうしても出来なかった。
隣の席でサラリーマンが牛丼に玉子をかけているのを見て、
いつかおいらも社会人になったら牛丼、味噌汁に玉子をオーダーしてやると、
密かに心に誓ったものだった。
れい
初出/電子フォーラム/serori・network/短文文筆家集合所
Date: 23 Dec 2005 11:45:28
通っていた高校の近くに「吉野家」が出来て、
部活の友達と4~5人で開店セールに行ったのを覚えている。
そのころはまだ「吉野家」のシステムのようなものをよく知らなくて、
置いてあったお新香を無料だと思って、
みんなでどんどん食べてしまい、
後で料金を請求されて憤慨したことを何故か鮮明に覚えている。
それでも牛丼の美味さに虜になり、
修学旅行の弁当にまで牛丼弁当を持って行ったものだった。
大学に進学してからも「吉野家」の牛丼は、
価格とボリュームで貧乏な僕等を助けてくれたのだった。
当時の僕等にとって許されるサイドメニューは“味噌汁”だけで、
玉子やお新香などは貧乏学生がオーダーすることを許されないメニューだった。
勿論店がそういう決まりだったわけではないのだが、
何故かたとえばバイト代が入って裕福な時でも、
玉子やお新香をオーダーすることは成り上がっているみたいで、
どうしても出来なかった。
隣の席でサラリーマンが牛丼に玉子をかけているのを見て、
いつかおいらも社会人になったら牛丼、味噌汁に玉子をオーダーしてやると、
密かに心に誓ったものだった。
れい
初出/電子フォーラム/serori・network/短文文筆家集合所
Date: 23 Dec 2005 11:45:28