≪ 2019・10・29 追記掲載 ≫
もし、良くも悪くも「野獣」という、キャッチフレーズと言うか、異名が、この女子柔道選手に付いてまわらなければ、例え金メダル獲得者といえども、事実上は、3か月前の、昨年11月8日の、1回戦、敗退直後に、すでに現役引退をにじませていた。
なのに、すっかり色あせた想いと、決断を・・・・・2月7日にまで、実は、ある意図があって延ばしていた「現役引退公表 記者会見」が、これほどまでに、マスコミに、注目されたであろうか?
確かに、2012年の、ロンドン五輪で、女子というより、日本の柔道種目出場全選手の中で、唯一メダルを獲った選手としてかすかに、印象が残っていたとはいえ、
その名も、「野獣」という2文字を、庶民の中で、忘れていない人が比較的多かった? ということだろう。
記者どころか、火事場泥棒のごとく、詰め掛けて、ことさらに、聞かれてもいないのに、社名だけでなく、番組名を声高にPRする、わいわいがやがやワイドショーのレポーターや、アナウンサーまで、押し寄せていたのだから。
松本薫(かおり)が、働かずとも、「所属」という、肩書きの名称で、少なからず、金銭的支援を受けていた通販物販代理店組織会社の所在地は、大阪にあるのだが、マスコミの主要機関が、大阪より多くあることもあり、会見は、東京の会場に移して、2分遅れで始まった。
実質、わずか17分で終えたのだが、思わず笑えて、面白かった会見。
その主要部分は、すでに、スポーツ紙のネット記事などによって、一つ、二つ、表面化しているので、この記事を、あえて読もうと言う方は、知っている・・・・かも知れない。
例えば、冒頭の挨拶。
「本日は、お寒く無いなか、お集まりくださいまして」。
東京としては、風は吹けども、気温が比較的高かった背景も有ったとはいえ、ドッと、取材陣に受けた。
さながら、見事な、先制1本勝ち。
質問に対する答えにも、
---これから、後輩の女子柔道部員を教えることは、考えていますか?
「お告げ?」
これまた、ドッと、記者団、爆笑。
「教え」、と、「お告げ」の、聞き間違い?
「アドバイスは、したいと思います」
とはいえ、彼女らしい、珍妙な受け取り、頻発。
「コア?」
この単語は、彼女、知らなかったようだ。聞き間違いではなく、コアな答え求めた質問。
で、いながら、
---第二の人生は?
その答えに、すぐ声を出さず、「所属会社」スタッフに、「い・い・の?」のと、大きくクチを開けて聞き、仕込み済みの承諾サインをもらったとたん、ここぞとばかりに、元気よく、言った。
「アイスクリーム、作ります!」
またも、意表を突いた答えに、ドッと、会場、どよめく。
そこからは、宣伝、まっしぐら。
「2月12日、高田馬場にある、東京富士大学の構内で、開店します!」
ははあ・・・・だから、この2月7日に、記者会見を設定したわけか!
丸3か月も、延ばして。戦略的に、所属で、戴いている、金銭に代えて、か。
開店5日前。早からず、遅からず。
宣伝告知には、ベストな期日かも。
この野獣、意外や、したたか。
「お店の準備、急ピッチで進んでます!」
そりゃあ、ま、そうでしょうけどさあ・・・・・。
あらかじめ、想定して、準備していた、野獣手書きの看板まで掲げて
「よろしく、お願いしま~す! 」「皆さん、来てくださいねえ」
ポーズと、シナまで創って、あざとくPR。
会見でも話していたが、もともと、パフェが好きなのは、ホントのこと。
帝京大学の、女子柔道部員時代から、東京都八王子市にある、柔道の稽古場である「総合武道館」から、「女子柔道部合宿所」へ戻る毎日。
休日ともなると、しばしば、新宿駅に近い「新宿高野」に、部員と連れだって入り、さまざまなパフェを、クチに入れていたという。
そこから、ホントに、「アイスクリーム」だけが好きになったか?と言うと、それは、かなり、疑問。
とはいえ、そこは、「第二の人生」の皮きりから、商売、商売!
オーナーでも、プロデューサーでもなく、看板野獣店員として、うわお~!と、ほえずに、店に顔出すようだが・・・・。
その昔から、あまり、社会的に評判の良くない商法展開をしてきた、ココ。
今回初めて、創業以来、お客と直接対面売買商法開始。ソレも、いままで、まったく手を染めたことの無い、アイスクリームか・・・・。
その大学、軽~い、今ふうの女子大学生が多く見かけられ、まあ、そこそこ、春休み前の短期間までは、彼女たちが購入してくれるはず・・・・・でしょうが。
さかえ通りという、飲食&商店街を抜けて、徒歩6分ほどの立地。私、知らない街では無いんで。
そこは、ついでに店に立ち寄る客は、周辺に立つ大型賃貸マンションの住人母子。さらに通りの奥、数分先にある、「下落合図書館」に、向かう人ぐらいだけだが・・・・・。
通販代理店組織の武家の商法のもと、「野獣」の知名度が、猛暑の夏の炎天下の前に、まずは、都内近辺で雪まで降った、この寒い冬から、三寒四温を経て、のどかな春から初夏に掛けて、どこまで持つか?
開店当初は、話題になるでしょうが、そのあとがねえ・・・・・。あとがない、になるかも?
おいしさと、価格にもよるが、アイスクリームとはいえ、夏期に入れば、ソコの女子学生は、帰省し、アルバイトで来ない。
世間は、そう、甘くは無いとみる。収支決算、赤字にならなければ、良い方。
世の中までも、舐めて、もらっては、困る。
ツイッターには、明らかに、またも意図的に「会長」ら、世間では無名の首脳陣を、異常に持ち上げているやらせ仕込が、並んでいて、あきれた。
こんな戦略って・・・・・・・先が、思いやられる。
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さて、先に記事で書いた当時から、2年以上、過ぎ去った。
同じ松本という姓の男性と、長年つむいだ愛情を実らせて、結婚。
ソコに至る、決定打!と言い換えて良い、「プロポーズ名言」は、すでに書いた。
そして、組み伏せられて、1本、取られ、1本、ねじ込まれた結果、出来ちゃった結婚で、この世に生を受けた女の子。
なんと、その1か月後から、上記、帝京大学の武道館と想われる、青畳の上で、2億3000万円もの裏金で買ったから、決まった東京五輪へ、出場を公言して、マジに、稽古を始めていたのには、びっくらこいた。
柔道着を着こんで、赤ん坊を大事に包んで、監督控え談話室とおぼしき部屋のソファに置いて、いつでも泣き声が聞こえるように、ドアを開けたまま、いざ青畳の上へ。
だが、我が子を、気にして、気にしまくって、稽古に身が入っていないのは、見てて、明らかだった。
そして、気付くと、監督控え談話室ならぬ、稽古のたびに借りる「授乳室」へ、飛んで行き
この、授乳の模様と、心と集中力欠けた、稽古の、繰り返しの日々。
そして・・・・・闘争心は、日々に薄れてゆき・・・・・・。
野獣自身が、次第に、稽古で、驚いていく。
稽古相手の、柔道着の襟(えり)を、強くつかみ、と同時に、グイッと、力強く、引き寄せられなくなっていた。
えっ?と、戸惑っているさなかに、足払いを掛けられて、倒れ、1本、安易に取られたり、絞め技を掛けられて、身動き取れなくなったり、
襟つかまれて、いともカンタンに、感嘆してしまうほど、キレイに投げ技、決められたり・・・・・・
寝技も、はずされて、優勢勝ちにさえ、持ちこめない。
それも、メダル候補なんかじゃない。明らかに、実力差あったはずの、大学の後輩にだ。
お前、じっと、観ていたんか?
そう、観ていました。
長期間、彼女を追った、ドキュメンタリー番組を。
それ、ヘタなナレーション、あまり入れず、たんたんと、そのサマを、映し出していたから。
そして・・・・・柔道場の隅で、へなへなと、しゃがみこむようにして、手の指や、足の指に巻きつけていたテーピングを、はずすようにして、「元・野獣」が、つぶやく。
「自分でも、正直、驚いています。こんなに、出産している間に、体力が、落ちて、無くなっているなんて」
「襟がね、柔道着の相手の襟が、きつく、しっかり、つかめなくなっているんですよ」
「だから、相手に身をよじられて、カンタンにはずされる。足で、踏ん張れない。すぐ、息が上がる」
「見ての通りですよ。こんなに、体力、そのものが、落ちていたなんて、自分でも、信じられなくって・・・」
そう、言って、深いため息をつくばかりの、繰り返し。
それでいながら、即席授乳室に戻るや、一転、優しい、母の顔に戻る。
ホントに、観るもやさしい、まなざし。
未来の母になるかも知れない、女子柔道部員たちが、そのまわりに、ワッと寄ってきて、
「わあ、かわいい!」と、歓声を挙げる。
もう・・・・・稽古、どころでは無い日々の、積み重ね、
その模様を、たんたんと映し出してゆく。
車を運転し、助手席に、大事そうに、我が子の女児を置き、自宅マンションに帰る。
無くなった、失った、握力を戻すべく、器具を使って矯正し、強化し、スクワットを重ね、ともかく、信じられないほどに落ちた基礎体力を、元に戻すべく、頑張りながらも、赤ん坊を気にし、気にしまくって、目配りして。
幸い、決して、姿、顔を映さぬ約束のダンナが、料理人なので、食事などは、お任せに頼らざるを得なかったものの、
おいおい、おいおい。
コレで、本当に、大会で勝ち上がり、東京五輪の、青畳の上に、立てるのかよ?
到底、かなわない夢、幻になるだろうなあ・・・・・・観つつ、そう、その時点で、痛感していた。
かといって、誰かさんのように、実母や、義母に子育てお任せして、東京五輪出場に向けて、頑張る・・・というような姿勢は、この、「元」になってしまった「野獣」は、絶対に、取らない。
選手と、母の、両立を、目指した。
だが・・・・・・2兎(と)を追う者は、1兎も得ず。
そんなことわざが、ふわりと、浮かんでは、消えた。
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さまざまな大会を、欠場。
狙いは、東京五輪への出場権を得るための大会に定めて・・・・というのは、表向き。
出たら、強豪と組み合って、惨敗が、目に見えていたからと、言い切って良い。
もう、かつての強さは、失われていた。
そして・・・・・昨年の、11月8日。
「講道館杯 全日本体重別選手権」。絶壁に立たされた心境で、満を持して、出場する・・・・も
上からチカラなく、のしかかるだけで、押さえ込みに行くチカラも無く
「技あり」をとられて、わずか、1回戦で、敗退、
大きく、驚きを持って報じられていたのを見つつ、ソレに驚いていた。
すでに、こうなる結果は、彼女は、わかっていたはずなのに・・・・と。
だから、最期の勝負を終えて、顔を見せないようにして、女児を、掲げ、抱きしめて、母の顔に戻したまま、記者団の前に出て、引退を・・・・ほのめかし、匂わせた。
この敗退で、以前の記事で書いた、全柔連から、毎月20万円振り込まれていた、「強化A指定選手」の指定も、即座にはずされ、0円に。
「所属会社」からの金銭も、どうなるのかなあ・・・・・と想っていたら、この「アイスクリームの、売り子さん」の仕事で、減った20万円を稼ごうということになった。
所属も、同時に、はずされていくのかも知れない。
大阪へと電話して、詳細を聞こうとしたら、さっそく、先のツイッターで、電話が混んで、つながらないとの声。
先の記事で書いた、指導者への道。
監督は、いるうえ、松本が、2月7日付けで、正式に引退。
松本が来て、女子柔道部を新設したものの、引退によって、残る部員は、たったの2人。この先、個人戦には出られても、実業団などの団体戦には、出られなくなってしまった。
おそらく・・・・引退を「公式」に発表するまでの3か月間の「所属名義給与」は、もらい続けていたと聞く。
そして、単なる職員として、「販売店員」に、転職。
ソレが、第二の人生として「天職」になるか、どうか?
その苦闘、苦悩の日々を振り返って、会見で、比較的、正直に話していたように想う。
「トレーニングしないことが、こんなにラクなんだと」
柔道よりも、子育てが、第一だった、と。優先事項、だったとのこと。
「11月の負けで、オリンピックは、むずかしいな、と」
「闘争心が、少しずつ、無くなっていった」
「ああ、もう、勝ちたくないなあ、と」
「勝負師としての心が、まったく、無くなっていたなあ、と」
「野獣を創るの、ものすごく大変で、むずかしかった」
「悔いは、無いです」
「自分のは、教育柔道だった。柔道、好きでなかったんだ」
「わたしにとっては、夢や、目標だった」
「東京五輪には、出られないんだあ。出て見たかったなあ・・・という、程度」
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そして、この2月7日。同じ日をもって、柔道部から引退をした選手が、実はいた。
ニュースで、キチンと、顔が確認出来るほど、映されていた記憶は、無い。
この左側のスーツ姿の女性が、そのひと。
この大きな造花のような花束を、会社側からの贈呈役目として、松本に渡す。ま、セレモニー。ミエミエの、儀礼的セレモニー。
で。このスポンサー名やら記載された看板の裏に、松本が、一度引っ込み、数秒後。
再び、さっき贈呈された、おんなじ花束を、この女性に、逆贈呈。余計なカネ掛けない、セレモニー。
会見の際に、トレーニングパートナーで、イケダアヤカさんという人がいて、、長い間苦しいのに、これまでつきあってくださって、感謝しております、ということを話していた。
そのクチにしていた人が、この「池田彩華」だった。
ソレは、調べて分かったこと。
というのも、彼女が、思わず、あふれた涙をぬぐった瞬間が、どうにも、気になっていた。
確かに、会見で、現役正式引退の時に、わざわざ、感謝の一言を言ってくださった・・・・という嬉しい想いが残っていた、にせよだ。
で、気になると・・・・眠れないことはないが、どうにも、寝にくい。
それで、単なる「トレーニングパートナー」としてだけではなく、池田彩華も、かつて、将来を嘱望(しょくぼう)された、柔道選手だったことが、判明。
性格は明るく、チームの雰囲気を、いつも良くしていたという評価。
帝京大学に入学し、この「野獣」の後輩として、稽古を積み重ねてきた。
ある記載事項には、帝京大学時代に、ケガをしばしばして、戦績、苦難の道を歩んだ・・・・らしい、と。
それでも、2011年。「東京都女子柔道 体重別選手権大会」に出場し、57kg級で優勝を飾っている。
2015年8月28日、「全日本実業団 個人選手権大会」では、63kg級で出場したものの、1回戦で、大内刈りを喰らい、敗退。
2016年には、松本の故郷、石川県金沢市で行われた「金沢マラソン」に、揃って2人で出場し、市民の歓声を浴びた。
次いで、昨年の2018年6月20日。
「野獣」が、久々に大会に出るとあって、マスコミの注目を浴びた、「全日本実業団 柔道団体対抗大会」に、松本と出た。
シードで、1回戦は免除。
2回戦や3回戦で、チカラの墜ちたとはいえ、松本は勝ったものの、この池田彩華は、大将として出たが、2回戦で敗退。
大将は、3回戦から、別の選手に代わった。
松本を支え続けた池田彩華もまた、自分の選手としての限界を、自覚、痛感するしかなかった・・・・のでは、なかろうか。自分の役目、役割も、終えた・・・・と。
そして・・・・松本薫が、正式に現役引退を告げた、その同じときに、池田彩華もまた、「現役引退」を、公けにクチにすることもなく、表舞台から、涙をぬぐって、別れを告げた。
ひっそり、と・・・・・・。
取材さえ、したことの無い、柔道選手ではあるけれど、「長い間、本当に、お疲れ様でした」と、言い添えたい。
少なくとも、ロンドン五輪で、「野獣」と化した、松本薫の金メダル、続く「リオ五輪」で銅メダル獲得は、池田彩華の存在なしでは、あり得なかったであろうと、思われるから・・・・・・