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<リアル サッカー男子日本代表候補合宿 &ラグビー日本代表五か国対抗戦 雑感> 5・12ザッケローニ

2014-05-12 20:36:17 | スポーツ

 5月12日、午後2時15分。

 ザッケローニのクチから、つたないニホンゴで、次々と発表される、ワールドカップ 2014ブラジル大会へ引き連れていく選手の名前をメモしつつ、痛感した。

 やっぱり、あの4月の、ちんたら、だらだら、談笑、へらへら、テキトー、チカラ抜き抜きプレーでは、23人の中から、たったの1人すら選ぶ気にもなれないよなあ、と。

 そして・・・・・予測した通り、そうなった。

 改めて、想う。

 口先で、「アピールしたい」と言うのは、サッカースクールに通う小学生でも言える。

 それを、目の前のプレイで現わさなければ、絵に描いた餅。

 そんなことすら理解出来ないJリーガー。

 やはり、選ばれるのは、10年早いと言う他ない。

 それにしても、大久保嘉人(よしと)。

 彼の名前を耳にして、真っ先に思い浮かぶのは、キャバクラ遊び。合宿先から、深夜抜け出しても下半身が動いた。

 どうしょうもないガキだった。

 それが・・・・今や、3人の子を持つ父親に。ドイツなど、海外のチームで苦労し、良い意味で、負けじ魂に火が付いた。

 やっと人間的にも1人前のプレイヤーになったと、みるべきか。

 6月9日、シックスナインで32歳。

 お涙頂戴、亡き父のことは、選抜された実力とは、まったく関係ないこと。

 開催が危ぶまれているブラジルで、どう魅せてくれるか、期待せずに見届けたい。

 それにしても、ザッケローニの指揮官実力。

 岡田や、トルシエよりはマシだが、オシムよりはるかに落ちる2流

 が、ラグビーでは、3流の指揮官が居座っている

 だからではないが、先日、アジア五か国対抗戦で、日本代表が、132-10で圧勝したのに、まったく知られていない。

 ただし、1トライ、2ゴールの、計10点を与えてしまった油断さは、反省する必要がある。0点で押さえて当然のレベルであった。

 相手が、スリランカという、まだまだ世界的レベルに達していないチームだったとはいえ、そのPRのドヘタさと、ヤル気の無さには、今もってあきれるばかりだ。何しろ、来る者拒む恣意的一貫姿勢

 このザマでは、世間に日本代表の活躍が永遠に知られぬままで終わってしまうことは、ほぼ間違いない。

 いまや、今まで放送し続けていたCS放送ですら、全試合放送しないシビアさ。

 逆に、NHKなどは、2億7000万円の傘下子会社使途不明金の不正をよそに、なでしこジャパンの海外の試合を全試合放送する。

 日本人の妻がいて、長年にわたって日本で不自由なく生活し、日本語が通訳なしで理解出来るのに、わざわざ美人通訳をそばに置き、英語でしゃべる、奇異な今のラグビー日本代表ヘッドコーチ。

 サッカーが、ホンマ、うらやましい。

 かつての名将、カーワンが居続けて指揮を執っていてくれたら、と想うのは、私だけであろうか・・・・・

 

 

 


<リアル サッカー男子日本代表候補合宿 2日目&3日目・最終日ルポ>こりゃ、ダメだ! とても、だめだ

2014-05-12 00:10:52 | スポーツ

 さっそく、わ~わ~、きゃあ、きゃあ、ギャアギャア!

 ザッケローニによる、12日の午後に発表する「サッカー男子日本代表選手」たちの予想が、マスコミをちょいとにぎわしている。

 それも、したり顔で。

 もっとも、サッカー解説者を自称するヤカラの多くは、これから書く「合宿練習」を観に来ない。殆んど、来ない。

 来ないのに、テレビでしたり顔で、くっちゃべる。

 例えば、松木安太郎。例えば、タクシー運転手料金踏み倒し泥酔暴行魔の、前園真聖(まさきよ)。

 前園が、珍しく来た時の”取材!”のサマは、以前書いた。

 ブログやツイッターを、事件以来閉じていたのを、ほぼ半年ぶりに先月再開。おわびと、深い反省から始める、と思いきや、そんなの無し。

 相変わらずの御バカ。

 イベント、営業にいそしみ、外出の際は、夏でもないのに、サングラス。本田圭佑気取り。

 よく食うのは、肉。だったら、自分で飼ってるブタを切り刻んで食べれば、安上がりで済むのに、わざわざ外食。

 大好きで泥酔してでも飲んでた酒は、ブログには映さない。ウーロン茶など映してる。

 そんなのはいいとして、この合宿には来てない。来ないで、過去の財産で、すっかりたるんで太ったブタ体型で、したり顔でしゃべる。

 これで、もう40歳。なんだか哀れ。

 こ~ゆ~デタラメがまかり通る、テレビ界。

 

 さて、このサバイバル合宿と、デタラメ報じられた3日間の実態を書きましょう。

 2日目。今度は、キッチリ午前中から、練習開始?と思ったら、この日も午後4時過ぎから。

 選手、ザッケローニを始めとするコーチ陣も、たるんでいると言う他ない

 バスが到着し、だらだらランニング。というより、早歩き。

 この時点では、まだ非公開。マスコミ陣、今日も100人ほど。

 で、またしばらくすると全面解禁。見物、ど~ぞ、に。

 どっと観客席に、約300人。

 平日の夕方というのに、あらゆる年代層が詰め掛けている。

 中には、招集された選手に大股開きのセックス追っかけ女数人も。だまって見ていればいいのだが、サッカーが好きではなく、オトコが好きなもんで、しゃべり声と、騒ぎが目に余る。

 一喝! 「観ないのなら、帰れ! しゃべるな! 静かにしろ!」

 ・・・・・・謝りはしてこないが、静かになった。

 いや、ホント。うるさいと、ザッケローニのそばにいる、日本人通訳の声が聴こえない。

 なんという指示と、注意を誰にしているのか?

 そのポイントの通訳を、腰穴軽いギャルに、邪魔されたくなかった。

 それにしても、調子こいているJリーグの選手諸君! タダまんより怖いモノは無いことを、知らないな。

 写真、動画、いとも簡単に流出する時代。ちんたら走る両足。蹴り込み、ネット上はるかに高くはずれて飛んでく時に使う片足は、役立たずのくせに、3本目の足だけは、穴ネットに”精確”に放り込むというのは、何だかなあ・・・・・。

 さて、今日もまた、ゴール・キーパーコーチ、マウりツィオ・グィード((写真下。左側)は、「クワッ! クワッ!」と、カラス鳴き

Dscf4790_2 バンバン、容赦なく蹴り込んでいく。必死でキャッチしていくゴール・キーパー候補選手たち。

 明日は、大学生チームと練習試合すると伝わっているのだが、一体どこのチームと?

 番記者たちに聞いてまわる。

 「いや、知りません」

 ホントに?

 「はい」

 普段、シラ切る連中が多いのだが、本当に知らされていなかった。明日なのに、従順に飼いならされている子羊たち。不平不満、無し。

 Dscf4793 グラウンド中央では、ザッケローニ自らボールを手に、ゲーム形式のポイントを、選手たちに説明。横にいる通訳が、しゃべりまくりながら、指示してゆく。

 正しく通訳しているんだろうか?

 かつて、トルシエのとき、めちゃくちゃデタラメで、現場に混乱を引き起こし、トルシエの評価をなお一層落としたことがあった。

 いざ始まってみると、ボール運びの競り合いでは、互いに激しさ、本気度無し!

 もう、お触り、タッチ程度。目にも鮮やかに抜き去り、ゴールポストまでボールを運ぶ選手もいない。

 スライディングしていく選手も、いない。

 リーグの試合もあるし、こんなトコでケガなんかしたかねえよ! ケガさせたかねえよ!

 そ~ゆ~意識、丸見え。で、たまにゴールキック飛ばすと、ボールは高く、ネットを揺らすこともない。

 枠内に入ると、油断してたのか、ゴール・キーパーたちは、ザル。入る、入る。起こる、まばらな拍手。

 何やってんだろうかなあ・・・・・・

 動きに、誰一人として、キレ、シャープさが、覗けない。

 緊張感、残ってやろう!というサバイバル意識が選手たちにあるか、どうか、写真をよく見ると、お分かりになるだろう。

 Dscf4806

 Dscf4816 わずかに、気になったのが、練習が終わりかけた頃、ザッケローニが槙野智章(浦和レッズ)を呼び止め、通訳を通じて話していたこと(写真上)。

 これが、12日の発表に関わるのか、どうか? 可能性は低いだろうが・・・・・。

 Dscf4832 コーチ陣の、グラウンド査定会議。

 「どうかね? 目に付いたの、いたかい?」「いやあ・・・」

 「アレは? 強いてあげればだけど」「厳しいな」な~んて会話が、聞こえてきそうな表情。

 なにしろ、1人として、招集メンバー表を手にしていないのが、意識の表われ。

Dscf4827 仕上げの、ラン?ニング。

 Dscf4828 彼らが、アピールを終えた顔に、見えますか? 

 これが、サバイバルをしてきた表情に、見えますか?

 雑談、談笑、馬鹿笑い・・・・・

 それでも、ザッケローニは、最後の確認、ダメ押しを、話し合う(写真下。右上)。

 Dscf4837

 最終日。相手は、大学の強豪、流通経済大学だった。

 前半は、大学生にどちらかと言えば押され気味のまま、0-0で何とか持ちこたえた。

 で、後半。川又堅碁(新潟)など、ゴールを決め、ようやく2-0で逃げ切ったが、見るべきもの、無し。

 12日。おそらく、このていたらくメンバーから、1本釣りで引き上げての、サプライズは無いと見る。

 技量が劣っているし、何より意識そのものが、低すぎる。

 ワールドカップ。苦戦するだろうなあ・・・

  

 

 

 

 

 

 


[前略 中村紀洋様 追伸] もう、あなたは、球界に不必要。いらなく、なりました。引退の道しかありません

2014-05-11 17:01:33 | スポーツ

 さあ、もはや、完全に、あなたは、不必要になりました

 どうぞ、真剣に転職を、涙で枕を濡らしながらお考え下さい。

 もう、お聞き及びでしょう。キューバの主砲、ユリエスキ・グリエルを、横浜DeNAベイスタ―ズが獲得。ほぼ間違いなく、契約締結にまで進みそうです。

 なにしろ、あなたと違って、実績充分。

 北京オリンピックでは、キューバ野球チームの一員として、銀メダルを獲得。さらに、WBCに3度も出場。

 おまけに、40歳のロートルのあなたと違って、まだ29歳と若く、将来性もある。

 なにより、中村紀洋(のりひろ)という、カネにうるさく、ねばる男と違い、昨年9月から海外のチームへ行くことが「解禁」となったキューバ政府との交渉は、マネーゲームとはなっていないようです。

 おまけに、どこかの動きの芳しくないデブと違い、スリムで全身の筋肉は素晴らしく、2塁、3塁だけではなく、ショートの守備もこなせる。性格も、評判も良い。

 良いことづくめです。

 グリエル自身、早くから海外での活躍を夢見ていた。イチローと、アメリカのスタジアムで出会った際、

 「君のすごさは、僕も知っているよ。どうして、ココとか、海外のチームでやらないの? やってみたいんでしょ?」

 そう言われ

 「う~ん、僕は良いんですけど、なかなか・・・・思うようにはならなくて・・・」と、悩んでいたようです。

 それが、解禁され、いち早く彼の希望を掴んでいた横浜が2年前からねばり強く交渉を重ねていた。

 ブランコが欠場していたため、君も多少は強気に出られたんだろうけど、もうホントにいらない!

 ぶよぶよ、ワガママ40男よ、ホントに、永遠に不必要だ。

 さようなら~


<リアル ボクシング 緊急ルポ・続報>4月20日。九州で試合後に救急車で病院に搬送された中尾正茂は・・

2014-05-10 07:00:40 | スポーツ

 この5月7日。ダブル世界タイトルマッチが行なわれ、ニュースになった、我が国のプロボクシング界。

 視聴率も、高山勝成 対 小野心こそ、平均視聴率関東地区7・3%、関西地区10・7%でしかなかったが、井岡一翔の試合になると、関東12・3%、関西では16・6%と、やはりボクシングファン以外の人にも、関心を抱かれたようだ。

 そんな中にあって、覚えているであろうか?

 4月20日。九州は、福岡県春日市(かすが)市で、正午から行われた地元の「三松スポーツボクシングジム」が主催した興業の、メインの試合。

 Dscf5605

 その試合に出場した中尾正茂(ただしげ・ポスター写真上)が、判定負けをした。そのあと、控え室へ。

 その後、体調が急変!

 あわてて、救急車を呼び、病院へと緊急搬送。ただちに、開頭手術が、行なわれた。

 手術に要した時間、3時間以上。

 一命はとりとめたものの、いまだ意識は無いまま・・・・

 地元紙も含め、どこにも報じられていない

 その事実を、すでに記事にした。目にした方も、おられると思う。

 病名は、間違いなく「急性硬膜下血腫」。

 頭の内部を、血が覆う。一刻の猶予も許されない。そのまま放置すれば、死が待つのみ。

 すぐ溜まった血をぬぐい取らねばならない。

 手術は、成功したのであろうか・・・・

 中尾が所属していた、先の興業の主催ジムでもある「三松スポーツボクシングジム」会長の、松尾友徳(とものり)の妻に事情を聞いたときのことだ。

 中尾とは「いろいろあって・・・」と、クチを濁す。

 そして、次の言葉。

 「余計なことは言うな! と、主人にきつく言われてますので」

 そう言うなり、☎を切った。

 所属選手が、生死の境をさまよっているいることが、「余計なこと」なのか・・・・・・

 やりきれなさが、胸の奥を貫いた。

 この急性硬膜下血腫。死亡率、70%。

 そして、手術が無事成功し、例え退院出来たとしても、後遺症が残る。

 だから、今年1月に、21歳の若さでこの世を去った岡田哲慎(てっしん)のことが、頭から離れなかった。

 そして、この中尾のことも。

  彼のその後の状況を調べてみても、どこにも、何も出ていないまま日々が、瞬く間に過ぎ去っていった。

  リング禍は、予期せぬ最大のアクシデント。だが、そのあとの、フォロー、心遣い、最大限の配慮と尽力が、なんといっても欠かせないはず。

 ボクシングジムあっての、選手ではない。

 選手あっての、ボクシングジム、のはず

 それが、言葉の行間と、状況に、カケラも感じ取ることが、出来なかったからだ。

 岡田の時も、そうだった。

 見舞いにも、殆んど行っていないままということが、言葉の端々から透けて見えた。

 人間は、窮地に陥った時に「素」や「地」が出るもの。

 引退した、あるボクサーのブログを見たら、このコトを知ったからか、プロボクサーは、必ず全員が保険に入っておくべきだ!と、力説してあった。

 そう、あるべきだと思う。

 いざとなった時、いかに所属ジムが、何もしてくれないまま、放り出すことが多いか・・・・

 ケガと弁当は、自分持ち。

 あるボクサーは、試合が無事に終わるたびに、両親に控え室から☎を入れる。

 「無事、五体満足で終えました。安心して下さい」と。

 彼の両親は、ただの1度も、客席に応援に来たことは、無い。今に至るも、ボクシングを続けていることに、反対し続けている。

 また、あるボクサーは、試合のある日。必ず、グローブを入れたバッグに、秘かに遺書を、忍ばせる。

 無事に帰還して、検査を終え、何も起こらなかったら、それを毎回、破り捨てていると、言う。

 中尾は、どうだったのであろうか?

 Dscf5796 彼の勤務先は、写真左の、「陸上自衛隊 福岡駐屯地」。

 そこの隊員として、第4偵察隊に所属。

 実際の業務内容を調べると、偵察隊では、モトクロス並みの 250CCのオートバイに乗って、ジャングルのような地帯を、走り抜ける。ジャンプも、滑降もこなす。転倒も多い。

 そのバイクは、とてつもなく重量。倒れたら、大の男でも起こすのが大変なシロモノ。偵察に使うためか、爆音はしない。

 また、泥沼や川をゴムボートで、音も無く漕いで行く訓練もしている。偵察したのち、戦闘準備に入るカタチのようだ。

 これが、退院したあとも出来るであろうか・・・・

 素人目にも、不可能という他、無い。

 業務や、任務で大ケガを負ったわけでは無い。そのため、大半の費用は、どうやら彼の妻が支払っているようだ。

 春日市には、もう一つ「春日駐屯地」がある。当初は、そこが通っていたジムに近いこともあり、そこかと思った。

 調べると、なんと敷地内に建っているのは「自衛隊福岡病院」。

 では、そこで、中尾も隊員でもあり、開頭手術し、闘病生活を送っているのだろうか?

 直接、受付に問い合わせると、そこは「手術が出来るような設備が揃っておりません。なので他の、総合病院の方にいらっしゃるのではないでしょうか」とのこと。

 ならば、と、さまざまな大隊、小隊に別れているので、中尾が勤務していた「第4偵察隊」の事務室へと聞いた。

 「はい、・・・・・・確かに今も、入院しております」

 この一言を聞くまで、しばらく待たされ、無言が長く続いた。

 内心ホッとした。手術の成功は分からないが、術後20日近く、意識はともかく、生命はあることが分かった。

 ---どちらの病院に、中尾さんは入院されているのでしょうか?

 「・・・・・・・・・・」

 「くわしいことは、・・・・・分からないんですよ・・・」

 上官とおぼしき人に、代わる。

 「まことに申し訳ないんですが、個人情報ということで、お話し出来ないんです」

 ---そう、ですか。では、お分かりになる範囲で結構なんですが、中尾さんの現在の病状や、状態をお聞きしたいのですが。

 「それも、個人情報ということで・・・・」

 仕方が無い、という他ない。

 しかし、その2人のクチぶりからは、部隊の同僚としての中尾を、心配していることが感じられた。

 ひょっとすると、試合当日は日曜日ということもあり、応援と観戦に会場に行ったかも知れない。まあ、聞いても「それも、個人情報ということで」という言い方で、答えてくれないだろうが。

 ともかく、まさに闘っている「闘病」の日を送っていることだけは、分かった。

 夜。気は重たかったが、先のボクシングジムへ、☎を入れた。

 ジムの選手会会長や、副会長に、親族であろうか、県会議員や、市議会議員が名前をのぞかせている。

 意識も、ソレだった・・・・・。

 長い呼び出し音が、鳴り続けた後、ジムの☎に出たのは、スタッフの人。

 ---すいません。ちょっとお伺いしたいのですが。そちらに所属してらした、中尾選手。先月の試合後、倒れられて、今も入院中ですか?

 「ちょ、ちょつと・・・・、あ、はい・・・・。アレしてる」

 ?????????

 何、言ってるんだろう? ん? かん口令か? ココでも。なにしろ、松尾友徳・会長の妻に「余計な事、言うな!」と厳命しているくらいなのだから。

 しばらく無言のまま、何やら電話の声が変わった。

 「頑張ってますよ」

 また、?????

 会長と、おぼしき人物の物言い。

 ーーー何を、頑張っているんですか?

 「言う必要ない!」

 ---??ですから、中尾さんが、今どうしてらっしゃっるか、お聞きしたいんですよ。

 異常な、警戒感。何なのだろう? この、クチぶりも。

 ---心配ですし、気がかりなんですが

 「頑張ってるよ」

 ---ですから、どう頑張っているのか・・・

 「言う必要無い! 頑張ってる。頑張ってますよ」

 ---開頭手術は、成功したんですか?

 「そんなこと、ちゃんとしとる!」

 「あんた、なんかにゃ、ないですもん」

 「しょんなかや、ないですか!」

 「しょんなかろうもん!」

 現状を聞こうとするが、九州弁でまくしたてる。意味、半分程度しか、理解出来ず。

 ---あのう、では、どのくらいの回数、お見舞いに行ってらっしゃるんですか? 

 「あんたに、関係なかじゃないですか!」

 ---ん? ひょつとして、あまり行ってらっしゃらないんじゃないですか? なにか、中尾さんに冷たい感じの印象がするんですが・・・

 「あんたが、そう思うんなら、それでいい! はい、それでいいよ!」

 そう言い終わったとたん、突然☎は切れた。文字通り、キレたようだ。性格?か。

 こちらは、今の病状を、所属選手のいわば管理責任者たるジム会長へ聞いているだけなのに・・・・・・。

 またも、やりきれなさが、胸にうずく。

 

 


[前略 中村紀洋様] ハッキリと、申し上げます。あらゆる球団すべて不必要です!

2014-05-08 01:25:12 | スポーツ

 「僕って、チームに必要ないですか?」

 との、呼びかけ、疑問に満ちた問いかけ、拝見しました。

 その裏には、「いや、そんなこと、ありませんよ。必要ですよ」などと言う声を、どこかで期待しているかのようで、うさんくささ、ずる賢ささえ感じました。

 もはや、40歳にもなっているのに、ご自分のしたこと、してきたことが、一野球人、ないし、選手として、決してやってはいけない事ということが、まだお分かりになっていない。

 バカじゃないか!? とさえ、思います。

 自分が打席に立った時、塁上の走者をどう動かすか?というのは、監督や、担当コーチが考えるべきこと。

 あなたのような立場の選手が、アレコレと、指図する権限は、まったくありません

 何回その愚を犯せば、気が済むのですか?

 それでなくとも、今までいくつもの球団を、クビ、ないし、お払い箱になってきたこと。

 もはや、忘れたわけでは、有りませんよね?

 なのに、拾ってもらった恩義をコロッと忘れて、日がたつごとにデカい態度で人に接し、年下の選手に球団批判を繰り広げ、悦に入る。

 2年目には、また、10年以上いるような古株の態度に急変。

 このような人間は、プロ野球球団という、ある種の闘う組織には、妨げになります。

 ハッキリ申し上げて、不必要です!

 いりません!

 横浜のみならず、全球団から、不必要という烙印を押されている!

 そう判断して戴いて、構いません!

 拾われた選手なら、それに適した殊勝な言動をすべきでしょう?

 それなのに、ブタの様に太った体で、「主将」のように、勝手にふるまう。

 もはや、引退!が、採るべき最適の選択です

 といって、あなたのような、超ワガママ性格では、コーチも、不適格。

 技量があることは、認めます。しかし、選手は、あなたに教えられたくない。

 それは、すでに感じておられるでしょう!?

 2軍で腐って、またまた、ふてくされているよりは、ここはスッパリ引退を、強くお薦めします!

 その性格のうえ、しゃべりは下手。

 解説者に引き合いも、無い!

 転職も、難しい。

 せっかく、天職をやれていたのに・・・・

 そう考えられた方が、良いと思われます

 人の良い、中畑清も、ガマンの限界を超えました。

 キレました。

 また、2軍から引き揚げても、また、あなたは、反省せず、やらかすことでしょう。

 反省しないブタは、どうしょうもありません。

 デブで、ワガママで、あと何年やれるか、分からないロートルを、我慢して起用するよりは、まだまだ伸びしろのある若手を育てながら、起用した方が良い。

 大金をドブに捨てるより、ずっと良い。

 ノリにたいして、ノリの悪い文章になってしまいましたが、よ~くご自分のしたことを考えてみて下さい。

 1打者が塁上の選手の動き方を、勝手にコーチに告げて、了承を得られるわけがないのが、野球界。

 そんなこと、長年いたのだから、バカでもわかることでしょう。

 それ、許していたら、作戦、指揮系統、メチャクチャになると、想像付きませんか?

 もしも、自分が監督の立場で、ソレ、やられたら、オーケーですか?

 まあ、40歳になってもバカだから、分からないかあ(笑)


< リアル ボクシング ルポ > [追加・加筆版] また、「リング禍」に、成らなければ良いのだけれど

2014-05-06 18:29:00 | スポーツ

 中尾正茂(ただしげ)。彼は今、生死の境をさまよいながら、リングの外で闘い続けている・・・・・・

 頑張れ! 頑張れ!

 

 

 

 

 4月20日、日曜日。私は、静岡県浜松市に向けて、ボクシング観戦へと旅立っていた。

 丁度その頃、九州は福岡県春日市(かすがし)でも、ボクシングの興業が行なわれていた。

 会場は、同市内にある「クローバープラザ」。JR鹿児島本線「春日駅」から、徒歩1分。というより、駅の真ん前に建つ県立の文化・体育総合施設だ。

 第一試合開始が、その日の正午。この施設の閉館が、午後5時ということのため、ボクシングの開始時刻には少し早いが、逆算して、且つ、撤収に要する時間も考えると、その時刻が割り出された。

 興行イベントタイトルは、「第19回 ドリーム・ファイトシリーズ」。キャッチ・フレーズが、「叶(かな)わんけん、夢やろうもん」。

 九州弁で、大衆に呼びかけた。

 そして、出場選手にも。

 入場券は、全席自由で、当日5000円。前売り4000円。

 九州の大都会、博多にほど近い春日にしても、なかなか日本、東洋・太平洋(OPBF)、そして世界チャンピオンへの道は険しい。

 良くも悪くも、巧妙なマッチメイクが出来ない。九州という遠隔地のため、「力学」が弱いからだ。そのため、地元のジムで頭角を現した有望選手は東京・大阪のジムへと移籍し、羽ばたいていく。

 はたまた籍だけは止む終えなく残し、練習は東京のジムでし続け、前人未到の五階級制覇を成し遂げた者さえいる。

 かと思えば、自分の実力を過信し、東京のジムへと旅立って、やがてジム閉鎖の目にあう者。日本チャンピオンには、今一歩届かず、ジムの内部泥沼に嫌気がさして、生まれ故郷の九州のジムへと帰ってきた者。

 まさに、人生いろいろ、ボクサー、いろいろだ。

 そんななかでの、現実の慰めにも似たキャッチ・フレーズ。

 昨年に続いて、自らのジムの興業を東京で終えたばかりの、元WBAジュニア・フライ級チャンピオンの具志堅用高が、「チャリティ・サイン会」に出席してくれた。

 昨年は、興行の収益の一部に当たる10万円を、春日市に寄付。共に出席した、この興業の主催者・三松スポーツボクシングジム会長の松尾知徳とともに、全国紙の地域版に掲載された。

 そんな流れのなかで、起こった出来事。

 知ったのは、4月27日の朝。しかし、名前どころか、断片的なことしか、分からず。

 リングで倒れて・・・・と言うのならば、KOか、TKOと言う名のレフェリーストップ。

 で、すぐ目に付いたのが、デビュー戦の選手。

 調べながら、どこかで、嫌だなあという感情が。

 岡田哲慎(てっしん)のことが、頭をよぎったからだ。

 昨年12月20日、東京・後楽園ホールで倒れ、立ち上がって控え室に戻ってみたものの、一気に体調悪化。

 客席にいて、息子と会うために待っていた母が、急きょ控え室へ呼ばれた。

 母は、青森県から上京。試合を終えた息子と、正月を青森で迎えるために、来ていた。

 すぐ救急車が呼ばれ、近くの総合病院へ緊急搬送。

 長時間の開頭手術が行なわれ、終了はしたものの、意識が戻らないまま・・・・・・父がすぐ郷里から、飛んで来た。

 病床に付き添い続けて・・・・・。年末年始を経て、翌年の1月6日未明。

 岡田哲慎は、21歳という若さでこの世を去った。そのいきさつを書きつつ、胸がしめつけられた。

 記事は検索数から推し測ると、多くの人に読んでもらえたようだ。

 プロテストの壁は厚いのに、死者が出てしまう。

 頭の検査、体の検査をくまなくしてるのに、出てしまう死者。

 この日の浜松でも、試合後すぐ、脈拍など、検査・診断が実施されていた。

 今年、2人目になることは、避けたいなあ。嫌だなあ・・・・・・。

 しかし、闇に葬られるのは、もっと忍びない。

 で、デビュー戦の選手の顔写真をポスターで見ると、若いと言うより、幼い顔立ち。

 妻子がいると聞いていたので、違うのではないか? と思いつつも、経歴等を調べていった。

 その選手の所属ジムは、主催の三松スポーツボクシングジム。

 だが、ここのジムもまた、選手のプロフィールどころか、データが、まるで無し。

 ===と、昨29日に打ち上げ、アップした1報の出た後、わずか1日弱で、あわてたのか、これまでの所属選手の試合結果データが、何故か、一気に一部、ジムの記事に追加されていた===

 もう、悪戦苦闘。人名を間違って掲載は許されないこと。

 う~ん、どうも違う・・・・・。ならば、誰?

 全7試合中、4人が先述のジム所属。そのなかの、誰かだ。

 ところが、ジムのホームページの類いには、このイベント成功と、試合結果こそ報じてはいるものの、緊急の「緊」も、病院の「病」も、ましてや手術の「手」の字も無い。

 一切が、闇から闇へ・・・・・と言ったら、失礼だろうか。

 日本ボクシングコミッションに尋ねる気は、無かった。日曜日で不在だから、ということでは無く、岡田の記事を読んで戴ければ分かるが、あの時の対応からして、後味の悪さが残るだけということは、透けて見えた。

隠し通せるものなら、言わないで、隠したい意思が、見え隠れする。不祥事が発生するたびに、キチンと答えない。

 で、・・・・・・・・・数時間後、やっと判明した。

Dscf5603 ポスター写真の中尾正茂。6回戦だが、サブの8回戦を押しやって、メインの試合に出た。

 その人だった。1978年10月6日生まれ。現在、35歳。まだ、プロボクサーの「定年」までには、あと1年半あるが、中尾はこの試合を最後に、事実上の引退。

 ラスト・ファイトにする決意を胸に秘めて、リングに上がったと聞いた。

 だからこそ、それに華を添え、送り出すための、花道を飾る6回戦メイン・イベンターであった。

 それまでの戦績。11戦して、6勝3敗2引き分け。

 6勝のうち、5勝が、KOないしTKO。

 サウスポーの強打者と、いっていい。

 実際、彼の今までの試合の動画や、試合展開や、結果を見る限りにおいてではあるが、詰めの時には、ガード、がら空き。ノーガードに近いカタチで打ち合い、ぶっ倒す、強気なスタイルも、目に付いた。

 いわゆる、当て勘も良い。右の強烈なフックから、すぐさま左のストレートのパターンを、連続速射砲の如く打ち出し、相手をリングに這わす。

 判明した試合を、いくつか書き出してみる。

 2009年11月14日、名古屋市公会堂で行われた「全日本新人王 西軍代表決定戦」。フェザー級で出場した中尾は、3ラウンド1分7秒、レフェリーストップ負け。

 翌2010年5月30日。倒れた会場の、地元「クローバープラザ」で、再び全日本新人王戦。今度は一転、1ラウンド1分8秒、鮮やかな圧倒的レフェリーストップ勝ち。

 この試合。ストレート中心に、打ちまくる中尾。打たれも、する。その影響で、目の上をカット。ドクターに呼ばれる。

 もう1度呼ばれれば、試合を止められる危険性をはらみ、中尾は集中大反撃に出る! 20発ほどの、ワンサイドパンチを繰り出す。相手、ダウン!!

 立ち上がったところを、すぐさま、また10発連打!勝ちたいという想いと、執念が拳に乗り移った!

 レフェリー。それを見て取って、割って入って、試合ストップ!

 翌年の2011年7月31日。

 西日本総合展示場で行われた「西日本新人王戦」。40-37に、39-37が2人。文句なしの判定勝ち!

 次いですぐの、8月14日。たった半月後に試合をしている。

 今では驚くが、かつてのファイテイング原田や、海老原博幸の記録を調べたことがあるのだが、そんなもんじゃない!

 今と違い、とてつもないボクシング熱があり、観客を呼べたからだろう。一週間に一度、試合をこなしていた。

 毎日、減量。とめどもない減量生活。

 のちに、原田は告白している。

 「ジムと寮の水道のコックは、全て締められており、最後は自分の出した小便でもいいから飲もうとさえ思った。ノドがあまりに乾いていて・・・・・」と。

 で、8月14日。会場は、宮崎市総合体育館。この日は、5回戦となる。激しい打ち合いの末に流血。3ラウンド、2分1秒、負傷判定に持ち込まれた。

 結果は、29-30が、1人。二人目は、29-29。そして、最後の3人目は、30-29。

 つまり、1-1のドロー。そして、優勢点の再判定により、中尾が「勝者扱い」になった。

 辛くも勝ち上がった中尾。中尾は、短期間に次の試合に向かって突き進んでいた。

翌9月19日。惨敗した悔しさをぶつけるかのように、4戦4勝(4KO)という中日本フェザー級新人王を、強打の連続で、2ラウンドKOに葬っている。

 強気さが、もろにのぞいた試合。右フックの威力は、相手を1発でぐらつかせるチカラを秘めている。

 他方、攻めに専念するあまりに、自身のガードが、がら空きになる悪癖も、見せている。

 短期間の試合の連続。中尾本人の、負けじ魂が爆発したころだ。

10月29日。「全日本西軍代表フェザー級新人王戦」で、強打で鳴る選手と、対戦する。辰吉二世と、ボクシング・マスコミがもてはやした相手は、6連勝5KOと勢いに乗っていた。

 試合は3ラウンドに2回、中尾がダウン! 2分15秒、KO負けを喫した。

 結局、この大会でその相手は、MVPを手にしたほどの激闘だった。

 しかし、そのヤンキー的風貌の強打者をして、「やりにくいサウスポーでした」と言わしめた。

  だが、その後、「仕事」のため、試合も出来にくくなりつつあった。

 中尾の職業は、国家公務員である、「自衛隊員」。妻子もいる、立派な社会人だ。

 自衛隊体育学校に通って、オリンピック出場を目指した清水聡(さとし)のような、練習が「仕事」に変わるエリートではない。

 勤務も通常にこなし、そして、そのあとの時間をジム通いに充てる。

 この春日市。ジム近くに、2つの基地がある。

 「航空自衛隊春日基地」と、「陸上自衛隊福岡駐屯地」。

 個人情報と、自衛隊員という双璧の厚い壁がそびえ立っていたが、航空自衛隊に問い合わせると、「中尾さん? 聞いたことがありません」との返事。

 どうやら「陸上自衛隊員」のようだ。

 国家公務員のため、副業は許されず、なんと少額のファイトマネーと言えども受け取らず、受け取れず。すべて返上。

 さらに、勤務目的の究極は日本防衛。そのため、2012年には、以下のような理由で、決定していた試合を欠場している。

 [北朝鮮情勢悪化により、自衛隊任務のため、欠場することになりました]

 任務先は、第4偵察隊。

 また、沖縄にも、長期派遣駐留。

 そのため、沖縄県豊見城市にある、元WBA世界ジュニア・ウェルター級チャンピオンの平仲明信が主催を務める「平仲ボクシング・スクールジム」で練習をし、スパーリングも重ねている。

 かと思えば、東京都のはずれ、八王子中屋ジムにも訪れ、中尾の親友を自認するボクサーとも、スパーリングをしたり、旧交を温め合いながら、練習して九州へ帰ったりもしている。

 人柄は、良さそうだ。

 素直だったとの声も、聞かれた。

 13年前には、山口県小郡市での、10キロ・ロードレースに出場。上位入賞で、36分台のタイムを叩き出している。

 また、春日市のジムに来る前は、あのわがままスパンキー、鬼塚勝也が指導するジムで練習を重ねていた。その鬼塚が、「こいつは、強い!」と、常々クチにしていたという。

 数年前には、ファイトマネーに加えた金額で、自ら車いすを購入。それを春日市に寄付をしている。

 こころ優しい、プロボクサーでもあった。

 試合内容も、こちらが分かっただけでも、11戦中6試合が判明。キャリアの割に、試合数が少ないのは、やはり勤務を優先してきたからであろう。

 良き夫、良きパパとしても、奮闘。

 そして、この4月20日、運命の日曜日の試合を迎える。

 従来のフェザー級から、規定体重を1階級落としての、スーパー・バンタム級での試合となった。

 相手は、同じ九州の大分県別府市にあるボクシングジムの選手。年齢は26歳。今までの戦績、8戦して、5勝3敗。KO勝利は、1試合だけ。

 数字だけ見るならば、ラスト・ファイトでカッコ良く花道を飾るには、適正の相手。

 だが、ボクシング。一寸先は、誰も分からない。

 事実、フルラウンド戦っただけではなく、中尾は、なんとダウンを喰らっている。

 堅いガードをせず、ガードがら空きとも思えるラフな戦法で、正面から打ち合った!

 それまでのKO率からしても、倒す自信があったのであろう。良い所も、魅せて終わりたい。

 それが、両拳の先に、乗り移った!

 だが、倒せぬまま・・・・6ラウンド、終了。判定に持ち込まれたが、三者三様のジャッジ。

 中尾から見るなら、56-57。55-60。そして、56-58。

 0-3の負けで、終わった。

 観ていた者に話しを聞くと、ダウンこそしたものの、その後、すぐ持ち直し、身体のおかしさなど感じさせることも無く、応援に来た者達の拍手に送られリングを、降りている。

 体調不良を訴え始めたのは、控え室に戻ってから。

 異変を感じたドクターと、周囲の者が、あわてて救急車を呼ぶ。

 緊急搬送され、病院は緊急開頭手術を決断。

 手術は、3時間を優に超えた。

 意識は、残念ながら、いまだに戻って・・・・いない。

 医療関連の学校を出て、中尾と同じジムの、それも同じ階級のボクサーの見立ても、ブログの行間から漂う印象は、あまり思わしくない。

 先に書いた、岡田の経過に似ているのが、気がかりだ。硬膜下血腫だろうか・・・・・・・

 所属ジムの会長に話しを聞くべく、連絡をとった。

 先に書いたように、ジムからの情報のなかに、中尾が倒れたことすら、記載されていない。

 むろん、地元紙にも。

 長い呼び出し音を経て、女性が出た。

 会長夫人だった。

 「主人は、出かけております。何時に帰宅? 分かりません。明日? さあ、分かりません」

 中尾選手の経過を聞いた。

 「はい、倒れて、はい、入院して、手術を受けた・・・・のは、事実です。これ以上は、ちょっと・・・・私、詳しくありませんし、よく分かりません・・・主人に、余計なことは、しゃべるな!と、きつく言われておりますので」

 「それに、中尾さんとは、いろいろありましたので」

 いろいろとは?

 「これ以上は・・・失礼ですが、?を切らして戴きます」

 そう言い終えるなり、?は切れた。

 翌日掛けても、呼び出し音が、むなしく続くばかり。

 また、むなしい想いが、突き上げる。

 やりきれない思いが、胸を貫く。

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 ボクシングの試合で、クリンチのさなかに、しばしば見られる後頭部打ちは、禁止されている。

 だが、当たり前のことながら、前面やサイドから頭部への、ストレート、ジャブ、フック、アッパーなどのパンチは、認められている。

 それが無ければ、ボクシングではない。

 そう、確かにそうだ。

 ましてや、スパーリング用の分厚いヘッドギアと、グローブを装着して試合をしていきませんか?などと、提示したら笑われるか?

 連打を浴び続けたら、素早く試合を止める。

 その傾向は、日ごとに早まり、強くはなっている。

 同じ日、浜松の第3試合の記事で書いたが、5カウントで試合をストップ。

 意表を突く、突然の終わり方だったが、その時点ではすでに中尾の試合が終わり、緊急搬送されていた。

 おそらく、レフェリー出身の浦谷・事務局長も、九州で起こった異変の連絡を受けて、未然の措置としての、5カウント、だったと見る。

 早く終えさせれば、リング禍が、防げるのかどうか?は、分からない。

 折りも折り、4月26日、日本プロボクシング協会の理事会が開かれた。

 そこで、「プロテストの受験資格年齢」を、従来の17歳以上を、16歳に引き下げて欲しいと、日本ボクシングコミッションに要求することを決議したとのこと。

 ある選手は、言う。

 「それならそれで、アマチュアのボクシングを経験させてから、受験させて欲しい」「じゃないと、危険が伴う可能性があります」

 早くデビューさせて、史上最年少でチャンピオンになったということに、どれほどの意味合いが、あるだろうか?

 ボクシング・マスコミの記事キャッチが増えるだけのことでは、無いのか?

 引退する年齢が、スライド式に早まるだけのことでは、無いのか?

 私は、「拳年齢」は、17年。だましだまし叩き使って、18年。取材を重ねるなかで、ますます間違いないと、思い始めている。

 その前後で、ガクッと体力、視力とともに、落ちていく。あれ?こんなはずでは? と、当人たちが軒並みクチにしている。

 元来、人間の両拳は、肉体や、物を叩くために備わったモノではない。

 それなのに、毎日毎日、ミット打ち、サンドバッグ打ち、スパーリング、そして試合。

 日ごとに、パンチのスピード、重さ、強さが増していく。それは、目を見張るほどに。

 つぶさに、それを見続けてきた。

 だが、拳に使用年齢制限がある。限度が、ある。

 ほとんどの選手が、1度ならぬ数度、指、手、拳、手首を骨折している。ボクシング・ファンを沸かせる強打者に、それが圧倒的に多いのも、また事実。

 だから、男子プロボクサーの定年が、37歳が適正かどうか?は 断定出来ぬが、おおむねはずれていないのではないか。

 そうも、思っている。

 なかには、担当トレーナーが来ないからという理由で、ストレッチ運動だけやって、日々、ジムから帰る特異なボクサーや、ミットを直接叩かず、マス打ちだけやって帰る変わり者ボクサーも、世の中にはいる。

 そんなのは論外。ボクサーに、2人のことを話したら、全員が驚いていた。

 さらに、「パンチ・ドランカー」問題。何人か、親しくさせてもらっているボクサーに顕著に表れ始めて来ている。

 また、女子の40歳過ぎも、例外許可したり、王座決定戦乱発のデタラメにも、首を傾げている。

 んにしても、「頭部への衝撃

 医師でもない私に、現在、最良策があるのか? と、問われれば、「無いです」と、答えるしか、今は無い。

 日本プロボクシング協会理事会には、「16歳」より、「硬膜下血腫に至る防止策」問題を、考えて欲しい。

 コトは、生死に直結することだ。スパーリングが原因で、死んだボクサーや、練習生もいる。

 真剣に、議論、提言、医師など招き、論議、打開策を講じて欲しい!第二の、岡田哲慎を出さないためにも!!

 もしも。

 考えたくないことだが、自衛隊員である中尾正茂の試合は、業務外の出来事であり、防衛省から、見舞金の類いは1円も拠出されない。

 ともかく、今は、生還を祈りたい。

 第二の岡田哲慎は、見たくない・・・・・・

 頑張れ! 頑張れ! 中尾正茂、闘い続けろ!

 

 

 

 

 

  

 


<リアル サッカー男子日本代表候補合宿 初日ルポ>本気で選ばれたいのか? 招集されたJリーガーたちよ!

2014-05-05 02:35:13 | スポーツ

 サッカー好き、サッカーファンを自称する人なら、ご存じだろう。

 男子日本代表[候補]の、いわばセレクション合宿が、先月の4月7日から9日まで、「千葉県内」で行われていたことを。

 招集されたのは、いずれも、プロリーグである、Jリーグに所属する選手たち、23人。

 公式戦では、昨季から、ゴール・ポストへのシュートを積み重ねている選手や、アシスト、連係パスも含め、良い働きをしていると思われる選手たち。

 ところが、その3日間、見せてくれたプレイは、ひどいものだった。

 これで、23人のうち、何人が本気で日本代表入りを狙って参加したと言うのであろうか?

 クビをひねる他、無かった。

 とある新聞は、この模様を「サバイバル合宿」と書き、「意欲的に・・」と、書き添えていた。

 おいおい、おいおい、どこ見て言ってるんだよ! 期待感だけで、書いたのかよ!

 あきれた。事実に目をつぶり、こういう手合いの神輿担ぎがいるから、スポーツ報道は進歩が無いんだよなあ。

 だから、選手の何人かが天狗になり、マスコミを甘く見て、心の中で馬鹿にしがちになるんだよなあ・・・・。

 あるフリーのサッカーライターが、この合宿を見たのであろう。代表に、新たにこの中から選ばれるのは、可能性が低いむね書いていたが、私は、リアルに、且つ、具体的にその模様を、以下、書いていこうと思う。

 5月12日。その丸1か月後に、ブラジルで開幕する「ワールドカップ」に出場する日本代表選手が発表される

 おそらく、その前辺りに、予想記事などがサッカーマスコミから流れ、ファンを一喜一憂させることだろう。

 もはや過去のヒト、と言い切っていい大久保嘉人(川崎)が、代表入りを狙っているかのように、NHKが報じていたのには、驚いた。

 宿舎を深夜抜け出して、キャバクラ遊びに没頭していた大久保も、もう31歳。シュートへのタイミングや、勝負勘がすっかり衰えている。

 では、この日に集まったメンバーが、年齢は若いが、大久保よりはるかに優れているかというと、とてもそうは言えない。

 その参考まで・・・・・にも、ならないかあ。ここまで、ありのままだと。

 

 初日の4月7日。グラウンドで、ちんたら、ちんたら、ゆっくりランニングが始まったのが、午後4時過ぎ。

 まあ、全国各地のチームから集まったのだから、こんな遅い時刻の開始か。にしても、この、のっけからの、ちんたらムード

 サバイバル? いやいや、まったく、その空気、皆無

 すでに、どこでこのサッカー場でやっていることを嗅ぎ付けたのか、男女比半々。幅広い年代のファンが約300人が詰め掛け、網越しに選手の動きを見つめていた。

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 中には、目当ての選手を、携帯電話のカメラ機能を使って、カシャッ、また、カシャッ! と撮る人も(写真上。左側)。

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 ロープこそ張ったものの、制御出来そうで出来にくい。見守っているガードマン。

 ちなみに、彼ら、制服制帽を身に着けてはいるが、全員時給のアルバイトだ。時給額は、ごくフツー。

 そのうち、4時20分過ぎ。

 集まっていた人たちは、ぞろぞろと、観客席へ移動。

 Dscf4659 取材陣、100人あまり。

 いつも・・・・の、ことが、また始まった。一応、「非公開」が前提。でも、ザッケローニや、日本サッカー協会スタッフの判断で、観客を招き入れる。

 それを秘かに”期待”して、詰め駆ける熱心なファン。

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 同じ「フットボール」が、正式名称に付いていると言うのに、ラグビー・フットボールとの大違い。

 スポーツニュースの取り扱いの有る無しが、それを如実に物語っている。

 国際試合にラグビー日本代表が大勝したところで、映像すら流れない。簡略なテロップだけ。

 最近になって、初めてと言って良い。観客に練習光景を、少しだけ見せてあげようじゃないの。

 そんな意識をラグビー日本代表チームのスタッフは、ようやく持ち始めたようだ。

 遅きに失した感が、あるが。

 さて、サッカーファンは、とっくにご存じだろうが、集まったメンバーを、何人かメモしておこう。

 19歳以下日本代表にも選抜されたことのある南野拓実(セレッソ大阪)。「自分のチカラを、100%出したい」と、意気込んで来たものの、初日から別メニューの見学組。何でも、右足首を痛めたそうな。

 この時点で、4ゴールを挙げている、広島の塩谷司。意気込みを問われ、「まだ5%ぐらい。代表入りの可能性を上げたいですね」

 セレッソ大阪の、山下達也。「ちょっとでも、アピールしたい」

 大宮の、今井智基。

 広島の、昌子源。

 そして、スキンヘッドの上に、長身の川又堅碁(新潟)。

 小林悠(川崎)も、負傷して、見学組。

 槙野智章(浦和)

 柴崎岳(広島)

 そして、豊田陽平(サガン鳥栖)。この時点で、今季5ゴールを挙げ、トップ・タイ記録。

 豊田も、「短い期間ですが、アピールして帰りたい」と、コメント。

 23人中、11人が、代表での出場歴ゼロ。だから、良いプレー、例え失敗しても良いから、アルベルト・ザッケローニ(61歳)や、コーチ陣に。さらに加えて、観客やファンに、ヤル気を見せて欲しかったのだが・・・。

 ところが、全員、クチとは裏腹の言動が、目に付く。

 まずは、4人づつが四角く陣形を作って、パス回し。次第に、範囲を広げ、軽快に回し始める。角度、スピードも、増してゆく。

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 それを、ザッケローニは、手を後ろ手に組んで、ゆっくりと見て回る(写真上。右側紺色ジャージ)。メモまでは、しない。

 通訳(写真上。左隅)が、ザッケローニの発言を聴き、すぐ日本語で選手たちに指示と、注意。もう、まさに影武者。

 まるで、彼がメインのチーフ・コーチのよう。それが、時間がたつにつれ、目に付いてゆく。

  ひさしを貸して、母屋を取られている印象。ザッケローニ御一行様が日本から去ったら、なんのノウハウ、蓄積も残らない。

 ザッケローニ以下、主要コーチは、全員イタリア人。大金払って、住居まで用意して、高待遇。

 日本サッカー協会は、イタリアサッカーから、ナニを欲しているのだろうか? ナニを、学び取ろうとしているのだろうか?

 今だ、ハッキリと見えてこない。

 ラグビーは、かつて、フランス人の二重契約詐欺師ヘッド・コーチ陣に、コロリとだまされ、大金を無駄にし、国際的に失笑を買った。

 その上、詐欺師を選抜した協会幹部は、1人として責任を取らず、その後も居座り続けた。

 サッカー協会も、イタリア人、丸儲けで、去られないようにして欲しいものだ。

 日本サッカー協会の首脳陣が、監督として選び抜いたザッケローニ。その彼の手法がよく分かっているのは、通訳だけということになる。

 一方、ゴールキーパー陣の練習に目を転じると、何やらカラスのような「クオッ!」「クワッ!!」という叫び声が聞こえてきた。

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 そんな奇異な声を発していたのは、ゴール・キーパーコーチの、マウリツィオ・グィード(写真上。紺色ジャージ)。この時点では56歳だったが、今は57歳に。

 面白い練習形式を採っていた。

 左右のサイドからと、ほぼ正面からの、2段構えの連続シュートをさせ、それを相次いでキャッチ。もしくは、はじかせる。

 一瞬の休みも与えず、容赦なく放り込んでいく。

 なかなか、2弾ともセーブ出来るゴール・キーパーがおらず、少し、ガッカリ気味のマウリツィオ。

 ゴール・キーパー。バタンと倒れ、ボールは、ゴールへと吸い込まれていく(写真下)。

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 たまに成功すると、とたんに「ブラボー!!」と叫んで、拍手。いかにも、イタリア人的気質。

 サイドは、パターンを決めず、左右どちらから、いきなり飛んでくるか、分からないようにする。

 最初は、サイド、そしてほぼ正面からのワンパターンだったが、どんどん変えていく。

 蹴り上げ、ボレーシュート。かと思えば、ゴロ、ゴロゴロと、変幻自在。

 そして「クオッ!」「クワッ!」

 反応が悪いなあ、代表候補諸君。「ブラボー!」の出る回数が、少ない。はじくのが、やっとの有り様が、続く。

 キャッチ率、2割。キッカーも、枠内に収めず、高く上げてしまうし・・・。

 う~~~~ん・・・・・・

 これでは、”正規軍”に割って入るのは、招集全員が、厳しいと思われた。

例えば、日本代表の”正規捕手”川島永嗣(えいじ)と比べて、明らかに技量も、気迫も劣っている。

 現在、川島は、ベルギーのリールセから、スタンダール・リエージュに移籍し、プレイを続けているが、おそらく、「クワッ!」コーチからは、「ブラボー!」の連発だろう。

 パスプレイにも、いまだスピード感も、各人のキレ、も無い。

 Dscf4683 見てて、苛立ったのだろう。ザッケローニが、選手の左腕を引っ張り、立ち位置の修正。説明を始めた(写真上)。

 ザッケローニの意を受けた、通訳コーチが、叫ぶ!

 「ゴー、ゴー、ゴー!!!」

 が、・・・・・・ちんたら、チンタラ・・・一向に変化無し。

 「トラップから、パスまで、早く!」

 だが、・・・・・・。

 ザッケローニ、集合を掛ける。

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 今度は、タッチラインからの、パスワークの練習に変える。

 ザッケローニが全部言ってるのかどうか、分からないが、通訳コーチ、ガンガン指示飛ばす。

 意識的に、そうでもしないと、のんびりペースの候補生たちにハッパ掛けなければ! と思う気持ちは、よく見ていてわかる。

 ふとグラウンド脇を見ると、すでにリタイア組が。

 先に書いたが、南野に、小林。 練習初日ということもあり、「日本代表チームの責任者」と、大仁会長に言われた、協会の新・専務理事の原博実が視察に来ていた。

 原は、強化担当の「技術部長」も兼務。だから、初日の練習前からケガをしてしまっている、期待外れのダメ選手2人を、まず厳しく指導するかと思ったら、アレレの、レ~。

 Dscf4699 やさしく、まるで孫の言い訳を聞く、好々爺のような態度(写真上。右側)。

 このぬるま湯体質。大丈夫か~・・・・・

 原は、一介の評論家だったころは、厳しくチームのことを叱咤して書いて(話して)いたのに。

 立場変われば、コロリ、言うコト、変わるかあ?

 初日から、練習内容は軽めも、いいとこ。桜が満開で、気候も良い。時折り練習を中断して、水分補給をしているが、ロクに汗もかいていない。

 キッカーが、次々とゴールポスト目がけて蹴り込む。

 競り合いのカタチを取り合いながら、シュート!

 だが、ココでもポストの上にどんどん飛び越えていく・・・・

 この点だけは、「正規軍」と、似ている。

 だが、サバイバルの中から抜け出して、アピールしたい!という意識も、プレイも見えてこない。伝わって、こない。

 午後5時14分。グラウンド四隅にある、ライトが点灯。

 まもなく、練習終了。

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 仕上げのランニング。

 なんと、選手同士、談笑。雑談しながら、のったら、ちんたら走り。

  ボール遊びに興じて、笑い合う「候補」選手たち。(写真上)。

 緊張感、まるで無し。

 アルベルト・ザッケローニを始め、先のゴール・キーパーコーチのマウリツィオ”カラス”グィード。

 コーチの、ステファノ・アグレスティ(58歳)。フィジカル・コーチの、エウジェニオ・アルバレッラ(48歳)。そして、テクニカル・アシスタントのジャンパウロ・コラウッティ(43歳)。

 それら、イタリア陣営に加え、日本人アシスタント・コーチが集まり、鳩首会議。

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 何と話しているかは、分からないが、まっ、おそらく

 「どうだ? 使えそうな選手、いたかね?」「う~ん、きついなあ」「ホントに、ヤル気のある選手、いたかい?」「そう見えたの、いた?」「いやあ・・・・どうする?まあ、明日、もう1回、チェックしてみるか」

 「そうだね。まっ、今日は、これぐらいで上がるかい」「それにしても、ひどい出来だねえ」

 な~んて言ってそうな、雰囲気漂う表情ばっかり。船頭多くして、船沈むって気も、しないでもない。

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  なのに、コーチのココロ、選手知らず。

 候補選手たち。リラックスと言えば聞こえが良いが、笑い合いながら、楽しんでいる。客席にまで、笑い声が聞こえる始末。

 スタッフの中には、仕事も忘れて、選手を写メで撮っている人間までいる始末(写真上)。

 ボールを、回し合いながら、遊んでいる。

 「(練習時間)あと、何分?」と、やりながら、声が出る。

 そんなに、ヤル気無しかよ??

 同窓会気分? 楽しんでいるを通り越して、だらけていると言うほかない。午後5時半に、全体練習上がり。

 ストレッチしている選手たち。また、談笑・・・・・

 お前ら、何しに、来たの?

 「目的は、何?」と、声掛けたくなった。

 で、ザッケローニも、ザッケローニだ。

 イタリア人コーチたちに、自慢げに自分の腕時計を見せる。

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 んん? 良く見ると、ただの腕時計じゃない。スマートフォン、いわゆるスマホ機能や、ゲームが出来る機能が付いた腕時計だ。

 それをこれ見よがしに見せびらかす、日本代表指揮官。

 良いなあ、俺も欲しいなあって顔のコーチ陣。

 ダメだあ・・・・・

 かくて、初日の夜は、暮れていった。

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 (2日目に、続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


<リアル ラグビー ルポ> ぶざまな、日本代表チーム。4月26日、今期初戦の試合で見せつけた弱さ

2014-04-28 12:28:00 | スポーツ

 いやあ、淋しい行く末を案じる試合内容、だった。

 内容だけではない。観客の入りも、淋しい。

 メインスタンドで、7割弱。反対側の自由席中心のバックスタンドに至っては、両ゴールサイドも入れ込むと、1割しか入っていない。

 天候、快晴。温度適温、そよ風、心地良し。なのに・・・・

 これで、「関西ラグビーまつり」だそうな。

 これが、今の、腐っても「日本代表」の”厳実”だ。

 久しぶりの<リアル ラグビー ルポ>で、こんな書き出しで始めるとは、自分でも予想していなかったが、こんな試合と背景で、他のヨイショ番記者のように書くわけにはいかない。

 チームとしては、4月18日から丸1週間、九州は宮崎県で合宿を行なってきた。

その一週間前までは、長野県の菅平で合宿。

 相も変わらずの、朝というより、早朝の5時から練習開始!

 それも、なんとウエイト・トレーニング。

 屈強な面々とはいえ、筋肉が起きてもいないのに、やらせる。もう、数年も前からの、レギュラー・スケジュール。

 理由を聞くと、海外へ行っても時差ボケと環境にすぐ合わせられる体調作りだと言う。

 そんな、アホな! と思ったが、スタッフの顔はマジ。

 こんなムチャクチャな夜明けのベンチプレスと、マシン使用。他のスポーツ競技の日本代表合宿で、耳にしたことは無い。

 1日、3部制の強化スケジュール。

 それで、「効果」が実るのならいい。だが・・・・。

 グラウンドで、ちんたらランニングしかしない、サッカー日本代表の面々なら、さぼって寝ているだろう。

 おまけに、ヘッド・コーチのエディー・ジョーンズは、大相撲の部屋へ行き、朝稽古見学。力士の立ち合いを見て、スクラムに生かしたいとのコメント。

 この類いは、昔からあった視察。だが、ラグビーのスクラム力学と相撲の立ち合いは、似て非なるもの。

 それでも、恒例行事化。無駄と言う他、言葉もない。

 会場の花園ラグビー場では、前日練習は、軽く45分で切りあげた。

 強化で、クタクタに疲れた体を、休ませる意味合いもあった。

 片や、緊急寄せ集めの、その名も「アジア・パシフィックライオンズ」。

 38歳の箕内”入れ墨”拓郎など、「昔の名前で出ています」的日本人プレイヤーも入れ込んだ選手と、外国籍のプレイヤーの合体チーム。

 合宿などは、一切していないまま、試合に臨んでいる

 やったことといえば、日本に馴染みの無いヘッドコーチらが緊急来日し、大阪で表敬訪問と、記者会見。

 それに、中学生ラグビー部部員に、ちょいと指導。そして、パーティ・・・・・・・。

 それで、花園ラグビー場に集結した。

 ちなみにすべて、全国スポーツニュースでは、一切流れていない。いつものことだ。日本代表の動向も。

 知られない、日本のラグビー。

 まさか、日本代表サイドが、「相手は寄せ集めさ」と舐めていた、甘く見ていたということは、無いと思いたい。

 ただ、「アジア・・・」。急造でも、簡単には負けないだろうな。ひょっとしたら、一泡吹かせるかも知れない。そう、思っていた。

 もはや、「アジア・・・」には、綿密な連係プレイからのトライは望めない。だが、個人技で一直線にトライにまで持ち込めるプレイヤーが、数人いたから。

 で、そうなった!

 前半24分までは、15点の差をつけ、日本代表がリードしていたのに、あっさりとひっくり返された。

 あとは、一気、イッキ。

 終わってみれば、35-29。

 実質、もっと点差があった試合展開だった。

 あわやトライ寸前が、他に2本あった。

 日本代表が、ノック・オン(キャッチしたボールを、前へ落としてしまう)や、パスのタイミングがずれて落とすイージー・ミスなどを、繰り返した。

 一体、ナニを合宿で練習していたのだろう? 

 とりわけ、さまざまな形式で、宮崎の合宿で、ハンドリングエラーを少なくするパス練習に、集中的に励んできたはず、なのに・・・・。

 ましてや、この試合。「アジア・・・」は、今後の日本代表のタイトなスケジュールを気遣ってか、激しい相手の当たりも、無かったのに・・・・・。

 なのに、ハンドリング・エラーが、日本が15。それに対して、アジアが8。

 ペナルティが、日本10に対して。アジア5。

 その差に、ため息が出てしまう。

 4トライと、3ゴール(キック)は、両チーム同じだが、選手個々の技量の差が、大きかった。

 例えば、後半の、元フィジー代表のルペニ・ザウザウニンブの、独走トライ。

 33歳にして、軽く日本のディフェンスの薄い壁をスルリスルリと、抜き去った。

 また、NECチームの牽引者だった、ニリ・ラトゥの突破力に、なすすべもなかった。

 エディーは、惨敗したというのに、試合後、こう言った。

「とても良い試合だった。今の現状を知ることが出来た」

 そこに、指導者責任感は無い。いつも、ヒョーロン家的発言。勝てば、自分の手柄と力量滲ませる。負ければ、出た選手の責任。自分は、蚊帳の外。

 主将を自分の目で選んだのに、その廣瀬俊朗を記者会見の席上で、完膚なきまでにボロクソに批判したこともある。

 なのに、コロッと、また起用するという、まか不思議な信じられない感覚。

 かつて、連敗続きだった時、思い切って記者会見で、エディーに聞いたことがある。

 ---御自分の責任については、どう考えているのですか?

 通訳を通じて、質問の真意を聞かされ、エディーは、目を剥いて怒った。

 「私に辞めろと言うのなら、今すぐにでも辞めてやる!」

 会場は、一瞬凍り付いた。なので、「そうして下さい」という言葉を、ちょいと言い出しかねた。

 あとで探ったら、辞める気などカケラも無い、パーアホ―マンスだったらしい。

 以後も、彼の指揮官としての能力に感心したことは、ただの1度もない。

 今期の主将、リーチ・マイケルは、試合後、こう言った。

 「今回は、相手チームにスーパースターがいて、簡単にトライを取られてしまった」

 日本代表チームの一員でもある、薫田真広は、言う。

 「今日みたいなプレイをしていたら、ワールドカップに向けての予選は通過出来ない」

  5月3日から、アジア五か国対抗が、待ち受けている

 「勝たなければならないのは当然だが、勝つ内容が問われる大会になる」

 そう、薫田は付け加える。

 ココまで来ても、課題はてんこ盛り。

 27日からは、今度は福岡で合宿。また、朝5時からウエイト・トレーニングの愚行が再開されている。

 その上、マスコミにでさえ非公開の練習が目立つ。

 これは、同じ男子の7人制ラグビーが、27日まで合宿をやっているのだが、依然として非公開。

 人気があって、マスコミが押し寄せて練習の妨げになった経験があるので、やむなく非公開では無い。

 人気がないのに、非公開。見せない、見せません。でも、お客さん、一杯来てね! の、ありえない広報手法。いまだ、悲後悔は、していない。

 そんななか、ファンは来て、3人。たったの、3人。

 極めて珍しく、この4月19日と20日の土日には、地元のラグビーをやっている中高校生を招いてセレモニー的見学させたり、一般の人達の見学を許した。

 しかし、付け焼刃ではなく、今後も2019年まで慣例的に公開していかねば、何の意味も無い。

 客足、認知度は伸びない。努力が、足りない。

 ちなみに、サッカー日本代表。女子のなでしこも含め、事前に非公開と言っていても、結局、観客とファンが、200人ほど並び、詰め掛け、いつも公開。

 それでも、練習に何の支障も無い。

 人気と、不人気。それ以前の、根本姿勢。

 唯一、試合を放送し続けている「Jスポーツ」も、試合が終えたら、1分でも早く終了する。低視聴率番組に、無駄な制作費は使いたくない意向。

 BSで放送していた番組も、日時変更しただけでなく、放送時間も短縮。経費節減。

 世間に知られていかない方向へ、ひた走っている。

 これで、5年後には、この日本で、ワールドカップが行なわれるというのに、逆行を、いまだに繰り返しているラグビー協会広報と、チームのおかしな姿勢。

 先の薫田が、次期ヘッドコーチの既定路線。

 それを早め、エディーに今までの責任を問い、その辞任を経て、荒療治をしなければ、今後も勝つには勝っても、冷や冷やの綱渡りが続くことは、間違いない。

 体格の差?

 いえいえ、先のルペニ。身長、わずか179センチ。体重105キロでしかない。

 どの選手も、筋肉は付いた。そ~ゆ~練習ばっかり、やってきているから、当然だろう。

 格闘技に誘われるくらいだ。

 しかし、実戦練習が、足りなさすぎる。許可された公開練習をみて、何度も痛感した。これで、「世界」と、闘っていけるのか?

 本気で、そう考えているのだろうか?、と。

 将来を見据えて、作戦や戦略を考えなければならない脳が、その段階で梗塞されていたように感じた。

 もう、数年間にもわたる、ワンパターン筋肉マン作りは、卒業していい。

 「いい練習試合になった」と、前脳梗塞患者は、やせ細った体と顔で、試合後に強気に言い放った。

 まだ、それを許す協会。無駄ガネ、捨てガネ。

 あと5年。たった5年。すぐ5年。間もなく5年。

 知る人ぞ知るままの、ラグビー。淋しき、ラグビー。コアなファンしか知らない、ラグビー。世間に知られない、悪循環ラグビー・・・・・。

 く、苦、暗いラグビーの将来・・・・・・・

 

 

 


福岡ソフトバンクホークス投手 東浜巨。4月3日、日本ハム戦に先発登板するも・・・・。続く、11日は

2014-04-26 17:25:36 | スポーツ

 亜細亜大学のエースとして活躍していた時代は、素晴らしいピッチャーだった、東浜巨(ひがしはま・なお)。

 打者との駆け引き。ここぞ!という時の、速球と変化球を巧みに織り交ぜての三振は、胸のすくような上手さだった。

 沖縄尚学のエースとして、甲子園でも活躍。一気に、野球ファンの注目を浴びた。

 今年のセンバツでの後輩の頑張りにも、刺激を受けたと聞いている。

 だから、約1年半前。彼が、ドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受けた時には、大きな期待を持って記事にした。

 最低でも、1年目にして5勝は堅いな、と。獲らぬ狸の皮算用まで、内心していた。

 なにしろ、大学通算35勝。そのうち22完封。加えて、420奪三振。

 それも、人気の六大学、実力の東都と言われる、その東都球界で挙げた戦績だ。

 かなり、試合は見続けた。

 本人に直接インタビューも、取材もしたことは無い。だから、実像は正直なところは、わからない。

 だが、浮かれて勘違いし、”天狗”になっているとは、耳にしたことは、無かった。

 少なくとも、斎藤佑樹のように、いまだ勘違いし、思い上がってはいない。

 早稲田大学のピッチャー時代に、年上のキャバクラ嬢とホテルでセックスしまくり。

 それを、日ハムに入団し、私の予想通り、不振にあえいでいるときに、その当時のベッドでの自分のあえぎぶりを、全て暴露されて、取材に答えたときの言葉に、斎藤の本性が露呈した。

 「わずか数万円のカネで、そういうことをしゃべってしまう。信じられませんよねえ」

 自分の置かれていた立場も考えず、スケベ心と快楽を求めてしたことへの反省や後悔の、カケラも無い。

 そのうえ、数万円もの金額を、学生からプロになったばかりの身で、「わずか」と、言ってのけてしまう歪んだ金銭感覚。

 呆れ果てた。

 調べると、早稲田大学時代は、練習こそキチンとやっていたが、夜ともなれば、気晴らしにと、カラオケバーに、酒場。そして、キャバクラ三昧。

 取り巻きの番記者が、よせばいいのに、おごっていたりした。コメント欲しさに。

 行きついた先が、ホテルでのセックス。

 溺れていた。調子こいてた。青いハンカチは、ドロドロに汚れていた。

 元々、プロでは使い物にならない。そのレベルのチカラは、どうあがいても、持ち合わせていなかった。

 早稲田時代も、プロになっても、少し打ち込まれて、走者が塁上にたまると、すぐ交代。

 乳母日傘の傷付かずという、ゆるゆるの、特別待遇。

 その上での、勝ち星。

 四死球も多く、もはや、プロ野球投手としては生き残りは、難しい。

 そういう人間のクズには、少なくとも東浜は、成らないだろうことは、予期出来た。

 が、1年目の戦績。

 いきなり、2試合、ボロボロの惨敗投球!

 長らく、2軍で辛酸を舐めていた。

 だが、昨シーズン後半。3勝を挙げ、チームの信頼も、得始めた。

 加えて、そのうち1勝は、無四死球完封!

 調子が上がってきたな。そう、感じていた。

 そして・・・・・4月3日。対、日本ハムファイターズ戦。

 投げ合う相手は、大谷翔平。高校出で、東浜より、4歳年下ながら、1年目から、投手と打者の”二刀流”で脚光を浴びた。

 おまけに、”話題先行”だけで終わらず、それなりに客寄せパンダとしても、「実績」も積み上げてきた。

 敵にとって不足無し、だった・・・・・はず。

 Dscf4360 ところが・・・・・。

 1回の表。いきなりの、4死球の、滑り出し。おい、おい、おいっ・・・・。

 早くも、あせりと、緊張感の為か、汗が吹き出し、流れ始める。ドーム球場独特のカクテル光線に反射して、よくわかる。

 2人目の打者に対しては、キレの良いスライダーが決まり、インコース攻めも、うまくいく。

 が、3人目のミランダには、再び、四死球を献上。

 早くも、髪が汗で濡れている。

 Dscf4358 四人目の打者は、中田翔

 勝負しょうと、思いっきり良く、キャッチャーのミットめがけて放り込むが・・・、ご覧の通りの、子供でも分かる高めのボール球(写真左上)。

 「性急」に勝負にいったせいか、気負いか、またまた「制球」に苦しむ。

 結局、狙ったコースに甘く入ったボールを、あわやホームランか!?と思えるほど飛ばされた。

 フェンスぎりぎりでキャッチしてもらったものの、まさに、冷や汗、ドバッ!

 2年目で、結果を出したい!という、東浜の気持ちは、見ていて痛いほど伝わってくる。

 しかし、一方では、この中田にしたって、丸2年半もの間、芽が出ず、球団と、ファンを裏切り続けたのだから、東浜よ、あせるな、とも思う。

 中田は、広島市立国泰寺中学校時代、リトルリーグでの活躍に目を付けられ、三年生の時、この世代の日本代表に、選出された。

 多くの強豪校などからの誘いのなか、超特待生として、大阪桐蔭高校へ。

 甲子園でも、東浜同様、大活躍。

 「高校三羽烏」の1人として、注目を浴びた挙句、2007年のドラフト会議では、この日ハムを含む4球団から、1位指名を受けた逸材だった。

 だった・・・・のだ。

 翌2008年、次の2009年。絵に描いたように、泣かず飛ばず。いくらバット振り込んでも、飛ばず、飛ばず・・・・・・・。

 泣いているんだろうなあ~・・・。なんとか、這い上がってこようと、努力してるんだろうなあ~と、2軍の練習兼公式野球場の「鎌ヶ谷球場」へと、何度か足を運んだ。

 ところが、ただの1度も、その姿を見かけたことは、無かった。

 無駄足。また、無駄足。

 寮に行き、実情を聞いた。

 遊んでいた。練習にも、身を入れずに・・・・。

 そんな男が、大変身!

 心を入れ替えた。

 それに比べたら、東浜は、マジメ。しかし、プロは、「結果」が、すべて!

 東浜にとっての、今シーズン第2戦は、それから1週間後の4月11日。対、オリックス戦。

 また、この試合も打ち込まれたうえに、四死球。

 時折り相手を打ち取れる良い球を投げるのだが・・・・・

 まるで、エレベーター。まるで、シーソー。

 上がったり、下がったりが、交互に来る。

 増えるのは、冷や汗と、あせりと、走者。

 結局、この試合でも、4回途中で、6失点して、マウンドから引きずり降ろされた。

 そして、いわば1軍生き残りを賭けた、6人目の投手陣枠ギリギリ残留をめざして、さらに1週間後の4月18日。

 対、楽天戦。またも、5回6失点・・・・・

 もはや、球団にとって用無し。無用のピッチャーの烙印を押され、ラストチャンスは、ついえた。

 打たれる。それも、ボール3分の一、甘く入っただけで、田中将大(まさひろ)も、ダルビッシュ有も、見事にホームランを喰う。

 しかし、四死球は、出さない。

 この悪癖を直さねば、斎藤佑樹や、松井裕樹(楽天)並みに、墜ちてしまう。

 今,2軍のグラウンドで、東浜は、何を想うだろうか?

 2年目のジンクスどころか、3年目にはもう、ソフトバンクスには、いないかも知れない。

 ただただ、頑張って、スピードや、変化球より先に、まず、制球力をつけて欲しい。4死球で自滅は、ピッチャーとして、最低なのだから。

 

 


< リアル ボクシング ルポ > 4月20日(日)[西遠ボクシングアワー]第3試合 奥田翔太 対工藤哲也

2014-04-24 16:24:05 | スポーツ

 この56・5㎏契約、フェザー級の試合。

 パンフレットには、名前(リングネーム)、所属ジム名、それと戦績しか掲載されていない。ので、こちらで、付け焼刃ながら、調べた。

 奥田翔太は、1990年3月生まれの、24歳。2011年9月11日、21歳の時、スーパー・フェザー級で、プロテスト合格。

 ちなみに、この時、大体2人に1人が合格。厳しい門には、今も変わりが無い。

 これまで4戦して、3勝(1KOまたは、TKO)1敗。

 うち、試合内容が少し判明したのが2試合。

 同年11月27日、おそらくデビュー戦。3-0の判定勝ち。

 そして、翌年の8月5日。刈谷市あいおいホールで行われた「中日本新人王 バンタム級決勝戦」で、1ラウンドにダウンを喫し、持ち直したものの、結果、大差のスコア判定で、0-3の負け。

 そして、この日の試合では、フェザー級のリミット500グラム落ち契約。

 相手と戦う前に、減量との戦いの日々の繰り返し。

 ジムは、岐阜県岐阜市にある「岐阜ヨコゼキジム」。ジム内では、指導者らから、「チャラ男」と、見られている。

 姿勢、アフロヘアなどにしちゃう、見た目、言動が、今ふうの24歳の若者・・・なのだろう。

 とはいえ、この試合に勝てば、B級ボクサーに昇格となる。それだけに、何としても勝利を手にして、岐阜へ、笑顔で帰りたいはず。

 かたや、工藤哲也

 聴き取りにくかった場内アナウンスによれば、1982年3月生まれの、32歳。デビュー戦が、2005年1月。22歳の時。

 もう、続けていれば、丸10年のキャリアの持ち主となるはず。

 だが、試合はわずか4戦しか、これまで経験していない。

 ということは、仕事や家庭の事情で一時、事実上の引退か、その後、移籍したり、負けてヤル気なくして、練習にぷっつりと来なくなって、再び始めたなどのケースの、いずれかであろう。

 さまざまなケースが、ボクサーにはあり、取材していると意外と多いことを知ってゆく。

 通算戦績、4勝(3KO&TKO)1敗。

 デビュー戦は、日本ボクシングコミッションの試合結果にも載っていない。

 ズサンと言うべきか、この時期、メインとセミ程度しか、掲載していない。

 近年の専門誌というより、単なる業界誌の、ボクシング・マガジンや、ボクシン・グビートの、試合日程紹介のページと同じようなもん。

 人名や所属ジム、日にちなど、間違いが多く、ならばと詳細を正しく記載することをしなくなった。校正は、楽ちん楽ちん。それでも業界誌。ちょいな、ちょろいな。

 ただし、実売数がガッツリ落ちた。

 後楽園ホールでよく顔を見かけるボクシングファンの方々に話しを聞くと、皆「買わなくなった」と言う。「元々薄くて、値段高かったし」、とも。情報は、「試合日程表を検索」し、難なく得ている。

 で、工藤。現在の所属ジムは、沼津石川ジム

 地図を開くと、海水浴場の砂浜近くにジムは建っている。太平洋を望めるところだが、いずれ急襲すると予測される「東南海大地震&大津波」が襲ったら、ひとたまりも無いだろう。

 願わくば、夕方から夜にかけての練習時間内に、震災に巡り合わないことを願うばかりだ。

 前戦の4勝目は、今年1月14日、後楽園ホールで手にした。

 相手は、国分寺サイト―ジムの、大木理生(みちお)、28歳。8戦して、2勝6敗。2勝は、すべてKOないし、TKO。

 自分の型に、はまったならば強い、と言う条件付きタイプか。

 その日の試合。工藤はこの4月20日の試合でも見せるのだが、上体を大きくクネクネと揺すって前へ出た。下がる、大木。

 どんぴしゃのタイミングで放った左フック1撃で、大木ダウン! 立ち上がりはしたものの、効いていた。

 次の3ラウンド、またも左フックで、大木、2度目のダウン!

 すぐさま、レフェリー・ストップ。目にも鮮やかな勝ち方だった。

 だから、本人以上に、応援の声に、”期待”がこもっていたわけだ。

 

 午後5時3分、両者入場。

 赤コーナーに位置する奥田は、赤いトランクス。青コーナーの工藤は、青色トランクス。

 分かりやすくて、有り難い。

 工藤が入場するなり、近くの客席から、「工藤さ~ん!」という歓声と、激励の大声援が飛んだ。

 リングに入っても、ソレは続く。

 「工藤さん、ファイト!」「工藤さん、ファイト!!」

 声は、若者たち。おそらくジムか、職場の後輩であろう。

 沼津から、連れだって応援に来たのだ。

 とどめは、工藤と同年代と思われる男の、野太い声。

 「工藤! 頑張れよ!」

 その声に応えるかのように、工藤、チラッと客席に目をやり、右腕を上げてガッツポーズ!

 Dscf5311 奥田(写真左の左)は、アフロ・ヘア。上体をクネクネさせて、前へ出る工藤(同。右)

 奥田、ボディ狙うが、工藤、あっさりとクネクネよけ。逆に、工藤が、ジャブ、ジャブ攻撃。

 両者、フェイントかけあい。

 「下から! 下から! 自分から回れ!」と、工藤のセコンド陣から、声が掛かる。

 今度は、奥田が工藤のパンチを、クネクネかわす。

 工藤、左ジャブ、ヒット!

 奥田、左フック! 工藤、ダウン、ダウン!

 Dscf5312 してやったりと、ガッツポーズの奥田(写真上)。

 工藤、立って、1ラウンド終了。

 2ラウンド開始。

 Dscf5314 明らかに、1発必殺!を狙っている奥田。

 なのに、前へ出ていく工藤。

 「無理すんな! 無理すんな!」と、工藤のコーナーから、声が飛ぶ。

 が、出ていく工藤。

 狙っている奥田の目。獲物を狙う、目。

 Dscf5315

 パンチ、出たっ! ダウン!(写真上) また、工藤、ダウン!2度目のダウン!

 前戦の、なんと真逆のパターン。

 青コーナーポストに、立ち上がった工藤を引き戻すレフェリー。

 Dscf5316

 Dscf5317 そこで、カウントを5まで数えて、試合をストップ!

 Dscf5318 そんな、殺生な・・・・何とか、ならんの~、ねえねえ、レフェリー様あ・・・・・・という、せつない声が聞こえてきそうな、工藤の背中。

 わしゃ、知らん!と、木造(きづくり)レフェリー。

 2ラウンド。2分32秒。奥田翔太、レフェリー・ストップ勝ち。

 Dscf5320

 Dscf5322 すまんのう、せっかく沼津から応援に来てくれたっちゅうに・・・・と、言いたそうな、工藤の顔。

 通路に降りれば、励ましの声が続く。

 根も良い人・・・・なんだろうなあ。

 試合後、不審、不満な声を承諾させるかのように、場内にアナウンスが流れた。

 「選手の健康面等を考慮し、早めのレフェリー・ストップや、試合のストップを、心掛けております。どうか、ご了承下さい」

 今年正月明けにこの世を去った、あるボクサーがいる。

 その背景も書き込んだ記事には、多くの検索を戴いた。

 なんと、1月の試合の真逆を体験した、工藤哲也。

 また新たな姿勢で、ボクシングに打ち込んで欲しい。むろん、B級に昇格した奥田翔太にも。

 

 

 

 


<リアルボクシングルポ>4月20日[西遠ボクシングアワー]第2試合詳報 エルフェロス・ベガ 対 作田祐一

2014-04-22 22:44:56 | スポーツ

 遠州浜松まで行ったんで、半ば無理やり「旅行記」にも勝手ゴリー、ゴリ、押し込んでます。

 この4月20日、富士山見えず。

 Dscf5257 とまあ、こんなカンジでげす。富士山がくっきり、はっきり見えると、よ~し!今日も頑張るぞ~!となるんですが、コレもんだと、気持ちまで、どんより、くすみがち。

 で、第2試合。

 コロンビア出身の、もろ外人ボクサーの、エルフェロス・ベガ(写真下の左側。平石ジム)と、最初ハーフ?に見えた作田祐一(富士山ネクサスジム)との、ミドル級の4回戦。

 Dscf5294 ベガ。しっかり腹に分厚く、さらしか何か、巻いてます。中南米のボクサーにこの手合い多いっす。もはや、鉄板です。だから、ボデイは逆に打たれ弱いことを証明もしているのですが。

 対する、作田(写真下。左側)は何も巻いてはいないようです。

 Dscf5296 この顔立ち。最初、ハーフかな?と、何度も目をこすり、インターバル中にセコンドが降りてきたのを見計らって、聞きましたもん。

 ---作田さん、ハーフですか?

 はあ? ナニ言うてんねん、このヒト?という、もろ表情に。

 「違うでしょ」と、あきれた顔で一言。

 作田を今、検索してみると、昨年連勝。6月2日、続いて9月30日、後楽園ホールで、ヨネクラジムの黒人ボクサー、エイドリアンを、右のフックでダウンさせ、レフェリーストップ勝ちをおさめている。

 エイドリアン、と言えば、映画「ロッキー」の、ラストシーンが、すぐ頭に浮かんだ人もいるだろう。

 で、作田。ガイジンに対しては、まったく臆することが無いばかりか、自信を持ってリングに上がっているはず。

 ジムは、富士山のふもと富士吉田市にあり、なんと、長いボクシングフアンなら、知らない者はいない、あの渡邉一久が、アマチュア時代に、そこで練習を積んでたそうな。

 反則王の異名をとって、ブイブイ言わしてた頃のこと。

 せっかく、ポイントもリードしてたのに、相手をリング上で、投げ飛ばしてしまい、「反則負け」を喰らって、ふてくされた表情でリングを降り、シャワー室へ向かう途中、フッと私に振り返って一言。

 「今日は、ちょっと、やり過ぎちまいました」

 その一言で、ファンになった。

 格闘技選手としての主戦場を探しながら、今も、時折り、後楽園ホールに客として来て、知り合いのボクサーの応援をしている。

 さて、そんな作田は、1983年12月生まれの30歳。戦績は、3戦して、2勝(1TKO)1敗。

 2012年9月1日。荒っぽいが、強打の前原太尊(たいそん)・康輝(六島ジム)とデビュー戦で闘い、完敗。しかし、その後2連勝。

 ちなみに、太尊は、いち早く昨年の、ミドル級全日本新人王となった。

 対する、エルフェロス・ベガの所属する平石ジムは、静岡市にあるが、選手の画像・プロフィール紹介のホーム・ページが無い。

 戦績が、3戦して、2勝(2KO&TKO)1敗とだけしか、分からない。

 外国人船員が、シロートなのに、このジムにスパーリングに、時折り来るのが「静岡新聞」の記事になっているので、ベガもそんなつながりで、筋が良いと誉められ入ったのか、来日前に母国のコロンビアでアマチュア経験があったのかもしれない。

 この試合。面白い出だしとなった。

 作田が、ガードを固めながら、しっかりベガの動き、パンチの出し方や、クセを見定めて動く。

 かたや、ベガ。いきなり、パンチを振ると、ズバン!と、小気味いい音を会場内に響かせた。

 さあ、どう展開していくのか!?

 出ていくベガ。足を使って回る作田。フットワークは、良い。それを追うベガ。パンチ、良いのを振るうベガと思った瞬間!

 作田得意の、右フックが炸裂!

 1発で、ベガ、ダウン!ダウン!

 コレかあ、エイドリアンをぶったおした、脅威の右フックは。

 立ったベガ。1ラウンドから、衝撃のスタートで、始まった。

 このままいけば・・・・・

 2ラウンド。今度は、ベガが倒したい気持ち一杯の、大振り、ブンブン!

 しかし、作田。しっかり、ベガのパンチを見ている。

 無駄な、当たらないパンチは1発も振らないという動きに徹底。

 振ってくるベガの顔面に、ジャブ、ビシビシッ!と打ち込む。

 たちまち真っ赤に充血する、ベガの顔面。

 上手い作田のリードで、2ラウンド、終了。

 ところが、3ラウンドになると、ありゃりゃ、展開が変わってゆく・・・

 ベガがパンチ力がさほど無いにもかかわらず、大振りで迫って来るのに対し、作田が引く。回る。どうしたの?

 Dscf5298

  迫る、ベガ。引く、作田。打ってく、ベガ。作田、何だベガ?

 Dscf5301

 ともかく手出す、ベガ。

 回りながらストレート出すものの、当たりもしなくなった作田。ダウンさせて獲った2ポイントは、次第にチャラになっていく・・・・

 両者、共にクリンチ。

 最終4ラウンド。

 上からぶっ叩く、ベガ。と思えば、下から思いっきり、アッパー!

 Dscf5305_2

 Dscf5306

 パンチ殺そうと、作田、密着。

 クリンチ、はずされ、ブレイク、また、ブレイク。

 離れ際の、ベガ、アッパー、シッパーイ。

 もう、ムチャクチャ叩く、ベガ。打つというより、叩く、ベガ。

 苦しい表情の、作田。左肩から入って、グイグイ押して行く。

 ベガの、セコンド陣から、声が飛ぶ!

 「休むな! 休むな!手、出せっ!」

 次第に、怒号に。

 「出せ、出せ、出せ、出せ!!!」

 もう、作田。もろ、スタミナ切れ、ガス欠状態。

 一転して、体、クラッ!

 おいおいおいおい・・・・・

 Dscf5307

 両者、ヨタヨタ・・・・・体、絡み合わせながら、試合終了のゴングを聴く。

 いやはや、・・・・・

 判定は、どちらに旗を挙げるのだろう? 

 リングアナウンサーが、読み上げる。

 「38対37で、ベガ」

 ということは、次は作田だベガ?

 「38対37で、作田」

 やっぱり。これで、1対1。場内、シーン。

 「三者目は、38対37で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 んもう、引っ張って、じらすんだからあ

 「ベガ!」

 そうかあ・・・・・納得

 Dscf5308 リングを降りて、通路を歩く作田に直撃!

 ---スタミナ、切れたんですか?

 「後半、疲れちゃって、しまいました」

 そりゃ、仕方ないねえ・・・・

 怒られるねえ・・・・・

 落ち込むねえ・・・・

 

 

 


< リアル ボクシング ルポ > 4月20日[西遠ボクシングアワー]第1試合 大倉達栄 対 萱嶋卓

2014-04-22 16:53:01 | スポーツ

 すでに2回、この静岡県浜松市で行われた、「第32回 西遠(せいえん)ボクシングアワー」の第6試合に向けての紹介記事を書いた。

 その佐藤通也(みちや) 対 水藤(すいとう)翔太 の試合については、後日、詳しく書こうと思う。

 この試合。スポーツ新聞や、テレビ・ラジオのスポーツニュースどころか、地元「静岡新聞」のスポーツ欄にも、なんと!結果すら載っていない。

  なので、この試合の「結果」だけ、書いておく。

 試合は、8ラウンド、フルに戦った末、勝敗は判定に持ち込まれた。

 結果は、タイトルに添えた「衝撃」通り、なんと水藤が、僅差の3-0で勝利。

 20戦目を戦った佐藤は、この試合を最後に、故郷・遠州浜松の地において「現役引退」を決意。

 そこまでに至る、私が見続けたドラマを、いずれじっくり書きます。しばし、お待ちいただきたい。

 この試合の開始を待つだけでなく、キッチリ第1試合の1ラウンドから見た。

 出場した選手たちは、いずれもチカラの限り、リング上で戦った。だが、活字にすらならない。見た人達の記憶と、わずかな記録に残るだけ。

 主催者の西遠ボクシングジムのブログには、所属選手の戦いぶりと、その結果だけが載っていた。

 ならば、せめて他の選手を、ここに記事化し、多くの人に読んでもらおう。その想いを胸に書き出す。

 この日の浜松。空には小雨が舞っていた。ヒンヤリ、氷雨。残念ながら、富士山も雲に覆われ、裾野しか見えなかった。

Dscf5265 ここが、試合会場の「アクトシティ浜松」。行って見て分かったが、JR浜松駅に通路でつながっている施設。雨が降っていても、通路に屋根があり、濡れない。

 これは、正直、行く者にとって助かる

 試合は、このタワーのてっぺんで行われた・・・・わけじゃない。長~い通路奥に突き当たる「展示イベントホール」の1階スペース。

 昨年も、この会場で「ボクシングアワー」を敢行したとのこと。

 そこに、顔見知りのボランティア・スタッフを招集。リングを設営し、椅子を、リングを四面から囲むように、手際良く、1300席を並べ、椅子の背に、席ナンバーを張り付けた。

 中部地区のボクシング事情は、近年、厳しい。地元紙の記事でも、プロボクサー志望者は年々減っており、新人王トーナメントに出場申請者そのものが少なく、試合それ自体が組めない危機に陥っていると指摘されている。ファン、観客数も、決して多くない。

 そんな”厳状”のなか、浜松市内、及びその近辺の35会社及び団体に広告代をお願いし、そのお金でこの興業を運営。パンフレットに、広告掲載。

 また、地元企業で、ボクシングに理解あるところでは、指定席の良い席を、まるまる1列、買い取ってくれた。

 その地道な努力と尽力には、アタマが下がる。

 ホントに、西遠に、声援贈ります

 御礼代わりに、チケットを配布。見たい方に観客として来て頂く。加えて、当日券も販売し、ボクシングファンも少しずつ増やしていった。

 だが、タイトルマッチが組まれてないせいか、地元局のテレビ録画中継も、無い。

 それでも、佐藤通也や、水藤翔太を始め、出場全選手の友人・知人・親族も含め、この日も、1300席のうち、8割から8割半が埋まった。

 そのようにして、4月20日、日曜日、午後4時20分。

 第1試合の、ゴングが鳴った!

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 いきなり、重量級の試合。ウェルター級の、両者デビュー、4回戦。

 Dscf5273 右側が、大倉達栄。地元の堀内ボクシングジムの所属。

 左の長身のボクサーが萱嶋卓(かやしま・すぐる)。東京の国際ジムから来た。長身の、彫りの深い顔立ち。

 しかし、両ジムの選手紹介にその名前も顔写真も無い。それが、この日本のジムの否応の無い事実。

 萱嶋。見るからに2枚目。強ければ、且つ、連戦連勝すれば、女性ファンが、付くかも。

 が、写真で分かるように、積極的に攻めてたのが、大倉。

 スタミナ配分なんて、関係無い。イケイケ、どんどん。

 どんどこどんどこ、行くイク。

Dscf5274 クロスパンチで、アッパー!(写真上)。イケメンのアゴをぶち上げる。 

 ともかく前へ出て、手を出し続ける大倉。勝ちたい! 出来りゃあ、倒したい!という気迫と、根性を感じる。

 Dscf5276

 対する萱嶋は、終始「受け」に回ってしまうカタチに。身体が、心が、いくぶん引いている。

  1ラウンドは、明らかに攻勢点で、大倉が獲った。そう、判断した。

 2ラウンド。すぐさま、大倉、左右のフック当てていく。そして、前へ、前へ。

 対するイケメン。ショートジャブ、連発。しかし、受けてしまい、前に出られないまま。

 倒そうと意気ごんだのか、大倉、パンチが大振りになる。

 右ストレート!良いパンチだあ。

 イケメン、相変わらず、コツコツ、当てていく。ショート、左フック!

 おっ! 大倉が足を使って回る。逆に、イケメンが、パンチ、振っていく。迫る。

 Dscf5277_2

 う~ん、流れが少し変わる。

 3ラウンド。一転、イケメンが、練習の時のように、「シュツ!」、「シュ!」と声を出しながら、パンチ振りだす。

 だが、パンチにスピードが無い。

 今度は、両者、クリンチに出て、相手のパンチの効果を封じにかかった。

 大倉、離れ際のボディ! 右フック!

 イケメン、左フック、空振り・・・・

 大倉、左フック、右フック! バチーン!

 汗が、カクテルライトに照り映えて、飛び散る!

 大倉、盛り返す。だが・・・・・

 Dscf5282 大倉、3人のセコンド陣から、ハッパが掛かる。気持ちが、大暗になりかけていたのを、立て直す。

 泣いても笑っても、あと3分。

 最終4ラウンド。

 「シュ! シュ!」と、イケメン。せっかくの長身を、生かし切れていない。

 一方の、大倉。ストレート繰り出すも、スタミナが切れかかり始めているように見える。

 3ラウンド終盤から、明らかにガクッと落ちている。1、2ラウンドの時に見せ続けたパワーは、いずこへ・・・・・

 ロードワークが、足りない?

 日本人ボクサーは、皆が皆と言って良いが、ロープ、いわゆる縄跳びの量と時間が短い。やらない選手すらいる。

 驚いたのが、ベネズエラのリボリオ・ソリス。そう、来日し、河野公平や、亀田大毅と戦ったボクサー。とりわけ、亀田戦での計量オーバーの事では、疑惑のベルト事件に発展した、あの相手。

 彼の、縄跳び時間たるや、毎日1時間半!

 それも軽快に、軽快に、少しじわっと汗をTシャツに滲ませただけで、休みなし。

 「長い? いやあ、皆このくらい練習のなかでやっていますよ。もちろん、ロードワークもね」と、彼のトレーナー。

 日本は、少しだけ。この違いは、う~ん・・・・

 両者、今度は、逆パターンに

 追っていくイケメン。下がる、大倉。

 それでも、パンチ振る、大倉。当たっても、バチ~ンではなく、コツンというカンジ。あちゃあ~・・・・ 

 大倉、左フック、ヒット!

 だが、続くパンチが大振りになって、当たらず。また、大振り。

 気持ちは、よくわかる。一転した劣勢を、一発で、東京から来やがったイケメンを、リングに沈めたい!というようなココロ。

 大倉、ごつい顔立ちだし。

 イケメンの、左ストレート。ヒットはするが、それまでのヒット確率と、効いた印象が、共に少ない。

 大倉、渾身のチカラを、まさに「振り絞って」、右ストレート、バシーン! 続けた右も、バコーン!!

 もろに喰ったイケメンの顔面ゆがみ、苦しげな表情。

 やっと、それまでイマイチ盛り上がらなかった客席からの大歓声が湧く!

 もう1発、お見舞いしてやらあ、と大倉出て行ったところで、試合終了を告げる鐘が鳴った。

 勝負は、判定へ。

 まあ、後半、イケメン、逆襲こそしたものの、パンチの的中率と、見た目、見栄え、効いた印象。

 なにより、攻勢点で上回る大倉が、悪くても僅差で3-0の判定勝ちだろうな。そう固く思った。

 スコア・シートが3者から集められ、その結果を受けてのアナウンス。

 「40対37で、大倉」

 「お~っ!」と、彼を応援に来た者達から、雄叫びと、歓声があがる。

 スコア差3。ずいぶん、差を付けたなあ。まあ、ココは遠州。ホーム・タウンデシジョンも有りだよなあ。

 でも、待てよ。てことは、次は、イケメンの?点勝ちかあ??

 「38対38が、2人」

 え~っ!

 「この試合は、したがって、ドロー! 引き分けという結果で終えました」

 Dscf5288

 うっそ~~~~~~!!

 そりやあ、ないでしょうが。

 そう言う顔してる大倉の、セコンド陣の気持ちが、写真からも、伝わってくる。

 あ~た、ここは浜松。地元だよ。イロを付けろなんてことは、言わない。けどさあ、森の石松がいたら、斬り込んでくるかもよお!

 戦績に負けこそ付かないが、引き分けは付いて回る。

 Dscf5290

 なんとも言えず、うつむいて1周する、2人の心の中は・・・・・

 んにしても、あの攻勢は、加味されないわけ?

 37か、39対38が3人で、3-0 大倉の勝利が、マトモな判定ではありませんか?

 イケメンにとっては、拾った傷無し。

 大倉の、正直な今の気持ちを聞き質したくて、追った。

 すぐ、ドクターチェックを受けていた。声を掛けた。

 ーーー大倉さん、1-0の引き分けでしたけれど、自分としてはどうでした? 勝ってたと思いませんでした?

 「思いました」

 ---それも、3-0で?

 「ハイ。正直、そう思ってました」

 苦笑いの笑顔が、いい。

 結果がすべてと、よく言われるボクシング。

 だけど・・・・・んまあ・・・・・次、頑張って欲しいっす。スタミナ、落とさないようにして。

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 と、書き上がって、「大倉達栄」と、検索したら、なんと友人が撮影したのだろう。

 この試合の模様の1部が、もくもくと練習している姿と構成して、ユーチューブで、早速アップされておりました

 合わせて、見たい方にはお薦めです

 カッコ良く仕上がってましたよ 

 今後も見続けたいものです

 個人的には、僅差で勝っていたと思っているので・・・・


<リアル ボクシング ルポ>4月20日[西遠ボクシングアワー]に、故郷に錦を飾る佐藤通也登場

2014-04-19 16:55:46 | スポーツ

 明日の夕方、試合開始を告げるゴングが鳴る、このスーパー・フェザー級8回戦。

 Dscf5153_2 佐藤通也(みちや)34歳 対 水藤(すいとう)翔太・25歳。

 その前日計量が、終了した。

 18日の佐藤。軽くストレッチをして、あとは、静養に努めた。その段階では、リミット一杯の体重。

 その後は、もう、飲まず食わずで、本日、東海道をひた走って、遠州浜松入り。

 今まで19戦。すべてクリアしてきた、前日計量。

 んんん・・・・今回も、体重も、気持ちも軽く・・・・・のはずだった。

 ところが! 針は、リミット一杯、微動だにせず。

 ふう・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ため息、深く吐いても、減りません。

 「いやあ、20戦目にして、今回、初めての経験ですよ」

  試合前、毎回、儀式の如く丸く刈り上げてきた坊主アタマを、佐藤は、照れ隠しにかいた。

 佐藤の人生、砂糖のように甘くはない。

 ともかく、プロボクサーにとっての難関は、クリア・・・した。

 その後、9歳下の水藤の方から、キチンとした挨拶が。

 「明日は、よろしくお願いします」

 「こちらこそ、よろしくお願いします」

 そうそう、ボクシングは、礼儀が何より大切、大切

 「いやあ、むっちゃ良い子ですう」

 ホッとした感情も混じり、笑顔で佐藤は言った。

 遠州浜松仕込みの浪速弁。

 良い子・・・・・う~ん、無意識の「おじさん」目線

 油断大敵

 早くも、0ラウンド。水藤、1手、ジャブ、リードか

 良い子やでえ、わし、好いとう・・・・な~んてことまでは、言わなかったが

 さあ、2手目からは、アクトシティ浜松に足を運んで、この目で見て下さい!

 誰もが感動する瞬間が、見られる・・・はずです!


<リアル ボクシング ルポ>4月20日[西遠ボクシングアワー]は、佐藤通也戦始め好試合の連打

2014-04-18 20:56:26 | スポーツ

 ボクシングは、人間修行の場人間教育の場、だと、よく言われる。

 当初は、そんな大げさな、と思っていた。

 ところが、さまざま、全国各地、数多くのボクシング・ジムをこの足で訪ね、じっくり見定めていくと、まんざらソレ、当たらずとも遠からず。

 そう、思えてきている。

 ジムの会長が、人間的にクビを傾げざるを得ない人格のジムは、ソレが、やっぱりどこか歪んで、おかしいことが多い。指導者・トレーナーにも、それが言える。

  人として、最低限の礼儀作法。

 「こんにちは」 「失礼します」 「帰ります」 「ありがとうございました」 「すいませんでした」

 それすら言えない選手や練習生が、いる。

 驚くことに、指導者にもソレがいる。だから、選手・練習生にも礼儀指導しない、言わない、言えない、していない。必要性を、ハナっから、感じてもいないふうだ。

 ジムの出入りの際、みんな無言。会話も、無い。聴こえるのは、エンドレスに流れる、CDミュージック。

 それも、心や体はずむような曲、一切流れず。

 指導歴だけは、ある。だが、プロ経験は、まったく無い。だから、技術指導に見るべきものは、無い。

 その1人が、佐藤通也(みちや)の、現在の所属ジムである「石丸ジム」の会長(代行)の小倉だった。

 「志望者は来るには来るんだけどね。1回見学に来ただけで、もう2度と来ないんだよね。なんでかねえ? 理由が、わからないんだよねえ」

 日焼けし、歯の抜けた顔で苦笑する。

 そりゃあ、わかりますよ。何故ならば・・・喉まで出かかったが、言わなかった。

 階段を下りて、地下にあるジム扉にたどり着くまで、驚くほど薄暗い。まるで、ホラー映画の導入部のよう。

 そこを毎夜降りていく。そのことだけでも、世界チャンピオンを夢見る若者の気持ちはドン引きになるのかもしれぬ。

 外のジムからスパーリング来た進境著しい強打者に、守崎なる選手が、スパーリングでめった打ちされた。

 守崎、そんな自身のふがいなさに、いらだっていたのか、その直後のサンドバッグ打ちで、練習しながら、私の背中めがけて、サンドバッグを、勢い良くチカラ一杯叩き、揺らし、ぶつけてきた。

 最初は、偶然か?と、思った。

 ところが、立ち位置をずらしての2度目に、またサンドバッグが、私目がけて、飛んできた。

 これは!・・・・・・・

 いさかいを起こすためにジムを、訪れているわけでは無い。だが・・・

 後日、折りをみて、曲がりなりにも「指導者」たる小倉に、その状況を話しした。

 そのとたん、小倉は、大口を開けて爆笑! ひとしきり笑い終えたあと、こう言ってのけた。

 「ねっ! いろんな選手がいて、面白いでしょ? いろんなジムに行ってるとさ」

 ・・・・・・・・あきれる他なかった。

 自身の、あらゆる指導力の無さに気付いてもいないことにも。

 ある時、少しだけ資料の助力をした。佐藤のチカラになれば。そう、思った。ライターとしての許容範囲内で、そうさせる魅力が、佐藤にはあった。

 小倉に告げた。

 コレ、あれば、佐藤さん、助かりますよね?

 「ん? ああ、そうだね」

 それだけ。後にも先にも、そっけなく一言。それだけ。

 佐藤通也(写真下)は、 そんなジムにいた。

 Dscf1269

 「いや、僕もね、このジムに初めて来たときから、こんにちは、とか、失礼しますとかの、前にいたジムでは、当たり前にしていた挨拶が無いのは、おかしいなとは思っていたんですけどね」

 佐藤は、私が指摘すると、そう言葉すくなに言った。

 佐藤の性格、実力などは、すでに数本書いているので、そちらに目を移して欲しい。

 素晴らしい人柄。そう言っていい。

 だからか、日本の水産物を一手に担う、築地の威勢のいい若集たちと、店舗、会社が、応援している。

 だが、以来スッパリ、私は、そのジムには足を運んでいない。

 関東に点在する他のジム同様に、入会金は、1万8000円。ジムを選択する権利は、志望者にある。と、なれば・・・・・。

 かたや、この20日に対戦する水藤翔太(写真下)の所属する「とよはしボクシングジム」。入会金、9000円。なんと、半額だ。ホーム・ページによれば、月謝も9000円。 

 Dscf5148

 愛知県の豊橋市。名古屋という大都会にほど近い。

 ほんの数年前まで、まるで高倉健が着流しで出てきそうな、古色蒼然たる遊郭も数店あった。

 そんな古い歴史のある地方都市にあるボクシングジム。そういう背景があるにせよ、この違いは、いざ入門しようとする若い志望者にとっては、大きい。

 加えて、会長兼トレーナーの松尾哲也は、元・日本スーパー・フライ級1位という実績を持つ。

 3月、その「とよはしボクシングジム」に、元いたプロボクサーを追ったドキュメンタリー番組を偶然見かけた。

 いささか常識と礼儀を失するその若者に対して、グッと感情を押さえて、移籍後の初試合と当人を、無言のまま、何も声をあえて掛けることもせず、見つめていた姿が、強く印象に残った。

 あえて、松尾会長に言ってみた。

 -----やさしい、ですね?

 「やさしいのは、ダメですよねえ。・・・・・そう、思います」

 佐藤の相手の、水藤。

 これ、「すいとう」と、読む。「すいとう・しょうた」。

 パソコンを開き、彼のデータを探し巡ってゆくなかで、「みずふじ」と、フリガナが付いた類いのものを、いくつか見かけた。

 全国、どこのボクシングジムでもそうなのだが、所属選手の名前を全員キチンと掲載していない。そればかりか、載っていても、フリガナを付けてくれているジムは、皆無に等しい。

 なので、試合会場で、選手入場時の際や、選手紹介の際のアナウンスを聞いて、えっ!と、驚くことも少なくない。

 彼の、水藤の試合を、実は私、ナマで見たことは無い。その映像すらも。

 佐藤の、この試合が決まった後から、調べまくってガックリ、肩を落とした。記事にする為と同時に、他ならぬ佐藤通也の、助力になるならと。

 そう想わせるほど、佐藤は、魅力あふれる人柄であった。

 が、彼は小倉を、「先生」と呼んで慕い、全幅の信頼を置いていた。私の知らぬ、何かを、持ち合わせているのであろう。

 ちなみに、通也は、これまた「みちや」と、読ませる。人の名前の読み方は、まして難しい。今の若者は、親の命名のせいで、当て字としか思えぬ、標記ズラリ、ボクシングの試合でも居並ぶ。

 だからか、業界誌も、スポーツ新聞も、記事中に、フリガナ付けぬ。そのまま、文字が連なり、突っ走る。

 今後、その傾向は、さらに定着するであろう。

 さて、あと数日に迫ったこの試合のポスターを、一部掲載する。

 Dscf5154 水藤翔太(両腕を組んでいる右側)は、まだ25歳の若さ。

 対する、佐藤通也より、9歳も年下だ。

 水藤の、これまでの戦績、12戦して、8勝3敗1引き分け。8勝のうち、KO勝ちは1勝。

 が、だからといって、みくびってはいけない。

 2012年には、スーパー・フェザー級の「中日本新人王」に登り詰めた。

 残念なことに、同年10月28日に行なわれた、「西軍代表決定戦」で、山口翔太(真正ジム)と拳を合わせ、0-3の判定負け。

 ”翔太対決”として、関西では記事になっていた。

 この試合で敗れたことにより、地方のプロボクサーにとっては、ボクシングの殿堂とも言うべき後楽園ホール初登場とはならなかった。

 だが、翌年3月、判定勝ちで再起。

 そして続く7月7日。A級ボクサーのランク入りを賭けて、刈谷市あいおいホールで、川瀬源と対戦。

 結果は、際どい判定に持ち込まれ、ジャッジ3人とも、58-57で、水藤が勝利を挙げた。

 そして、この20日(日)の試合は、水藤、初の8回戦となる。

 佐藤は、今のジムで、実は3つ目。

 最初は、この20日の興業を行なう「西遠ボクシングジム」に在籍。その当時、同期のボクサーは、すでに引退。この西遠のトレーナーをしており、今も佐藤と親交がある。

 その後、大阪の大手ジムに在籍。そのつてを頼って、両ジムに連絡。

 自分の手で、やっと1試合分だが、水藤の試合動画を入手。この目で戦いぶりを、じっくりと確認したと言う。

 ジムがジムだけに、傾向と対策は自分自身で行わなければ、いけない。

 このように、佐藤には、積み重ねてきた人脈と、誰にも好かれる性格がある。

 「いやあ、戦績なんて、あてにしていたら、いけまへんで。正味、強いです。かなり、パンチ力もある。上手さもある。こっちも、気を引き締めて、油断せず、リングに上がるつもりです」

 その佐藤。デビューは、2003年、大阪で。

 だからか、妙に不思議な関西弁が混じる。

 かつて、2005年9月3日、西日本新人王になった。

 10戦戦い、1度、引退。

 だが、今度は故郷をひょいと飛び越えて東京・築地に職を求め、再び、グローブを手にする。

 そして、水藤が、中日本新人王になった丁度その頃、佐藤は2012年9月、日本スーパー・フェザー級タイトルマッチに出場!

 王者・金子大樹に挑戦し、鮮やかに! 2ラウンド、それまで3度倒れ、タオル投入のKO負け・・・・

 しかし、彼もまた、再起、勃起。

 最近2戦は、私なりに、詳細に、リアルに、ルポルタージュしてきた。

 この20日の興業は、「西遠ボクシングアワー」と題し、タイトルに記したように、なんと佐藤の生まれ故郷、静岡県浜松市に建つ「アクトシティ浜松」で、執り行われる。

 この試合、区切りの良い20戦目。

 なんと、宿泊場所も、前日計量の場所も、自分が幼い頃、よく歩いた近所。

 絶対に! 負けるわけには、いかない。

 もし負けたもんなら・・・・・

 いやあ、緊張する・・・・はずだ。気負いを捨てろ!といっても、無理。

 おそらく、会場をぐるり見渡せば、知っているかつての、アクトならぬ、悪童たちが、「みち~っ!!」「みちやあああああ!!」と、声を枯らして大声援を送るはず。

 それが、拳を繰り出す気持ちに、良かれ悪しかれ、どう影響するか?

 体調、調子、万全とは言えないまでも、順調?に、仕上げてる・・・・・・はず。

 Dscf5246 アクトシティ浜松の中にある、この控え室で、両雄は、何を想い、どう気持ちを集中させていくであろうか・・・・・

 水藤も、松尾会長によれば、この試合会場で試合するのは初めてとのこと。

 1月にジムに連絡を入れた時も、最近入れた時も、松尾は言った。

 「次の相手は、強いですから」

 多分に、警戒を心なしか滲ませたリップサービスと、受け取った。

 さて、本音のところは・・・

 「仕上がりですか? いつも通りですねえ。どうなんですかねえ・・・・自分の中では満足してないけど、彼(水藤翔太)の中では、同じ感じで。まあ、欲を言えばですけど」

 「次の相手は強いので、(この試合を経験して)成長していけば良いかな、と」

 「減量ですか? それは、問題無いですね。今まで、それで苦労したこと(水藤は)無いので」

 「本人にインタビュー? いやあ、今、練習中なんで。後日ですか? いやあ、試合に集中させたいので・・・」

 と、やんわり、2度も断られた。

 ボクサーと、指導者の関係は、ホントにケース・バイ・ケース。上手くいっていれば、はたがとやかく言う必要は無いことは、百も二百も承知だ。

 それだけに、人間教育、限りなく難しい。

 インターバル期間も含め、佐藤通也のボクサー生活、12周年。演歌歌手なら15周年、さらに20周年を目指す。売れても、売れなくても。

 佐藤の、「拳年齢」は、まだまだ大丈夫。今まで2度、痛めてはいるが、気持ちさえ保っていければ。

 昨年のこと。実は、「結婚しようと思っています」と、打ち明けられた。

 かつて、1度、失敗。「再婚になるんですけどね。実は、向こうもですが」

 そう言って、照れ笑い。

 どうやら、故郷・浜松時代の幼馴染み・・・・らしい。この正月。互いの実家に挨拶に、しっかり出向いてきた。

 彼女、佐藤の試合は、見に来ている・・らしい。試合後か、すっかりパンチ・ドランカーに成り果てた、浪速のジョーこと、あの辰吉丈一郎と後楽園ホールの控え室でひさびさに再会。

 少し、挨拶がてら、佐藤がジョーと会話をかわした。

 ロレツの回らないしゃべり。話しが、今のジョーのパンチのスピード以上に、飛ぶ、飛んでく、いきなりプツンと途切れる、理解が遅い・・・・・・

 それを、彼女がさりげなく控え目に、見つめていた。

 帰り道、彼女が、ポツリと小声で、佐藤に漏らした。

 「もしかするとさ、佐藤クン、ああ、成っていくの? だったら、嫌だなあ。・・・・・・・心配だなあ」

 心優しい佐藤は、返す言葉が無かったと、言う。

 パンチ・ドランカーに成り始めている気の良いボクサーを、私は知っている。話しが、うまくつながらない。話しが、飛ぶ。

 そんな彼もまた、今年2月、結婚した。

 佐藤は、37歳の誕生日で終えるボクサー定年まで、あと3年と少し、試合は出来る。応援をかてにして、リングに上がれる。

 ふと佐藤と重なり、想うのは、5階級制覇した湯葉忠志のこと。

 「ポンコツ車が、スーパーカーを抜き去っているようなもんだよ」と、トレーナー。

 だがついに、前回、目を疑う惨敗をした。まだやれる、もうやれない、いや、まだ・・・・

 苦悶、反すう、自信、揺らぐ心。

 故郷、宮崎県都城市に行き、結論を出した。

 <あと1試合やって、引退します>

 拳年齢は、とうにパンクしている。

 しかし、勝ったら、また、虫がうずく、心がうずく・・・

 なにより、後楽園ホールが、ほぼ満員になる。

 20日の試合ののち、佐藤通也が、どのような結論をまた出すのかは、おそらく、当の本人にもまだ、分からない。

 おそらく、水藤以上に、「気負い」との勝負になるであろう。

 試合開始時刻と、ほぼ同時刻の午後5時半。同じ「アクトシティ浜松」の大ホールでは、佐藤が進学しなかった、浜松市立高校マーチングバンド部のリサイタルが開演される。

 出来るならば、それを聴きに行くつもりの人も巻き込んで、この試合を見て欲しいと、切に想う。

 故郷が産んだ、日本ランキングボクサーは、僕さあ!

 勝てば、リング上で、映画「ロッキー」のラストの如く、新妻の名前を叫ぶ・・・・かも知れない。

 それも、いつものように、軽やかにロープに飛び乗って、拳を振り上げて!

 いやあ、やりかねませんよ、通也さんなら(笑い)

 

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 この日の試合は、全7戦。

 開場は、午後3時半。第一試合開始は、午後4時20分だ。

 第6試合の、佐藤通也 対 水藤翔太以外にも、元全日本新人王同士の、見逃せない試合がある。

 メインの、堀池雄大が、世界への足掛かりを掴めるかどうか?も、気になる。

 このボクシング・イベントの、キャッチ・フレーズ

 < 浜松から、世界の頂点へ! >

 その意気や、良し!

 このような地方発の興業が、大盛況に終わって欲しいので、すべての試合を、以下列記します。

 さらに、この日。第4試合終了後、あの「袴田事件」で、48年もの間、まったく無実にも関わらず、獄中の生活をさせられた袴田巌さん。

 その、再審開始報告と、現状報告が、日本ボクシング協会のなかにあって、一番東奔西走してきた新田渉世(川崎新田ジム会長)のクチから語られるので、是非、耳を傾けて戴きたい。

 いかに、この裁判が歪んでいたか。

 再審決定の断を下した裁判長が、実は、あの「のりピー」こと、酒井法子を裁いた裁判長であったことなど、新田渉世ですら知らなかった、他では一切触れられていない裏側を、私がすでに書いているので、合わせてお読み戴ければ幸いです。

 また、この袴田事件は、静岡県静岡市清水区(当時は、清水市)で発生しているのだが、実は袴田さんは、この浜松市でかつて生活していた縁もあり、本当の意味での地元は、ここ浜松市。

 今後の、再審の流れに、是非是非、目を注いで欲しい!

 さて、試合に戻る。

 [第一試合]  ウェルター級、4回戦。

 大倉達栄(堀内ジム) 対 萱嶋卓(国際ジム)

 いきなり、重量級の対戦だが、両者ともに、デビュー戦。緊張感が解けてから、どんなパンチが出せるか、興味が尽きない。

 [第2試合]  ミドル級、4回戦。

 エルフェレロス・ベガ(平石ジム) 対 作田祐一(富士山ネクサスジム)

 [第3試合]  56・5㎏契約、4回戦。

 奥田翔太(ヨコゼキジム) 対 工藤哲也(沼津石川ジム)

 [第4試合]  ライト級、4回戦。

 山口祥吾(西遠ジム) 対 平野麻幸(花形ジム)

 [第5試合]  バンタム級、8回戦。

 2010年全日本バンタム級新人王・柘植雄季(駿河ジム) 対 2009年全日本バンタム級新人王・坂本英生(フジタジム)

 1年違いの、同級新人王の対戦。これは、ボクシング・ファンにとっても、見逃せない1戦になりそうだ!

 そして、メインの[第7試合]

 スーパー・バンタム級10回戦。

 日本スーパー・バンタム級14位・堀池雄大(西遠ジム) 対 OPBF(東洋・太平洋)スーパー・バンタム級9位 ・ロリ・ガスカ(フィリピン)

 ロリ・ガスカは、現在こそ9位だが、元・同級のチャンピオン。勢いに乗ってる堀池が、ロリをぶっ倒せば、ランキング入りに可能性がひらける。

 それとも、ロリが、元チャンピオンの意地とテクニックを見せるか!?

 見ごたえのある激闘になるだろう!

  

 

 

 

 

 

 

 


<超リアル 選抜高校野球 今大会 深層ルポ 第5回>ベスト4入りを賭けて試合が続くなか、スカウト達は・・

2014-03-31 19:07:57 | スポーツ

 各地区ごとの地方大会予選から勝ち上がり、甲子園球場でその集大成とも言うべき実力を、炎天下のもと発揮する、夏の大会。

 夏ほどではないが、センバツはセンバツなりに、プロ野球球団の各スカウトの目が、光っている。

 そして、各高校の野球部関係者の査定によって、これまた、まさにセンバツされて入学してきた「特待生」たち。

 今大会でも、スカウト以上に、高校内部から、「査定」を受け続けている

 厚遇が、成績不振が理由で、削られ、取り消されることは、日常茶飯事だ。

 ノートや、関係文書を、校名、名前などを一切出さないことを条件に何校もの人たちに、こっそり見せてもらったことがある。

 大きく分けて、A,B,Cのランク別に記載されてあった。

 なおかつ、A1、A2,A3.B1,B2,B3.Cと、さらに細かく分類。

 入学金、もろもろの入学に当たっての諸経費(後援会費含む)、授業料、寮・合宿費などが、すでに入学時に、個々の選手がランク別に、細かく振り分けられる。

 「この子はね、もう、最初からA1だったね。全部、免除。早い話しが、身一つでウチに来て頂く子。この子は、良いモノ持っているけど、鍛え方次第で、3年間でどう伸びていくか? 試していくタイプ。ん?B2さ」

 B2は、入学金だけ免除だという。あとは、払って戴くカタチになるのだそうな。

 それでも、親は経済的に助かる。母親だけで、生計を立ててる家庭は、大助かり。

 「片親だけの子は、まあ、落としやすいことは、事実です」

 「C? Cは、最初は、いないよ(笑)。在学中にケガをしてしまう。もちろん、練習中とか、試合とか、止む終えない場合だよ。遊んでて、不注意でケガをしてしまった場合とかは、もう、論外です。で、そのまま治らず、ず~っと、試合に出られないままだったりした場合は、一般入学してきた生徒と同じ扱いに、申し訳ないが、変えます」

 ケガ、スランプ。他の部員と、協調性が皆無で、やっていけない選手。監督・部長の言う事、聞かない選手。そして、飲酒・喫煙。事件を起こした選手などなど。

 教育的見地にも立ち、対外的にまずいことは、常に目を光らせて、隠しながら、なるべく早い段階で目を摘むという。

 競合校が、常に蹴落とそうと、ことさらに、そういう情報を集め、地元マスコミや、高野連にタレ込もうとする。

 「ソレはソレで、あんたたちみたいのがいるから、安心してられないんだよ」と、苦笑いするもいた。

 査定は、1学年ごとに行ない、監督、野球部長らが話し合い、審議を重ねたうえで、データと突き合わせた上で、ランクと、待遇の上げ下げを決める。

 「生徒には最後に諭す。何しろ、コレが絡むことだからね」

 と言って、指で〇を作った。おカネを指すようだ。

 「親御さんに連絡をとって、出来れば学校に来て頂いて、相談する。戦力になってるままの子には、そんなこと必要無いんだけどね」

 「で、いままでの「条件」と、変わってしまったことをお伝えして、納得して戴く。最悪は、退部、退寮、その子の地元の高校への編入学も、お薦めする。まあ、ハッキリ言うと、辞めて戴く。お払い箱って言ったら、問題あるけどね」

 「選手自身はね、やっぱり、自分の置かれている立場や、状況をうすうす知っているからね。いざとなっても、何も言わない子が、殆んどだね」

 「おカネについては、親御さんしか知らない。子供には、私たちは、一切詳しく言わないし。だってね、フツ~の一般入学してきた子にだって、いくらかかる、コレはかからない、とか、親は子供さんに聞かれない限り、話さないでしょ?」

 了承を得たら、後援会の1部の幹部、そして理事長などに、報告するという。

 今大会でも、主力戦力とみなされた、不動のレギュラーの選手たちは、甲子園のマウンドや、内・外野で、躍動していた。

 北海道の「駒大苫小牧」には、兵庫県尼崎市南武庫之荘中学校卒で、宝塚ボーイズで内野手として活躍していた、安田大将。

 「宝塚ボーイズ」は、すでに書いた、田中将大(まさひろ)がいたチーム。安田もまた、監督のラインで、強力な推薦があった。大将と、将大。

 「それは、偶然ですよ」と、事情を教えてくれた人は、笑った。

 同じく、宝塚ボーイズにいた黒臺騎士(くろだい・ないと)は、新潟県にある「日大文理」へと赴いた。

 もう1人、この日大文理には、なんと栃木県の古豪・作新学院中学部にいて、栃木ヤング・ベースボールクラブで野球をやっていた小太刀緒飛がいるのが、目を惹く。作新を蹴ってまでして、行った。

 大阪府豊中市にある履正社」には、愛知県名古屋市にある桜ヶ丘中学校卒の、永谷暢章(のぶあき)投手が、リリーフとして甲子園のマウンドに立った。

 この履正社は、92年の歴史があり、戦中には、なんと、満州へ修学旅行に行かせた秘めた過去がある。12年半前には、大阪府茨木市に専用グラウンドを作り、甲子園では、いずれ書く問題校「専大北上」と初出場で当たった過去がある。

 高校は豊中市にあるが、選手は大阪府内に限らず、滋賀県、兵庫県など、関西圏から広く集めている。

 それは、履正社に、とどまらない。

 京都にある「龍谷大平安」、京都府福知山市にある「福知山成美」、兵庫県にある「報徳学園」、奈良県五條市にある「智弁学園」など、関西にある高校は、ホントに広く関西圏から選手を集めている。

 中には、選手個人が自ら希望して古豪と呼ばれる伝統校に、セレクションを受けたりして、入学している者も目に付く。

 そのため、誰が明白な特待生なのか、即断しにくい面もある。

 とはいえ、入部出来たところで、部員が50名以上おり、激烈なレギュラー獲りが、待ち受けているのが、実情だ。

 かつては、100人以上、部員がいた。少子化は、野球部にも及んでいる。

 関西圏が、今もって、広島県以上に、良い選手の主要草刈り場になっていることは、間違いが無い事実だ

 広島県内の中学生は、県内の高校で野球を続けている選手が圧倒的に多い。そこはそれ、県外流出を防止している背景もある。

 栃木県の「佐野日大」は、地元佐野市より、小山市、鹿沼市、宇都宮市、上三川町、下野市など、県内から広く集めてチーム編成している。

 東京都にある「関東第一」には、埼玉県越谷市立新栄中学校卒で、春日部ボーイズにいた、伊藤雅人がいる。

 山梨県の「山梨学院大付属」には、静岡据野シニアにいた、菊池海斗が、主将としてチームを牽引していた。

 高知県の「明徳義塾」は、スポーツ競技全般に特待生がいることでも、広く知られている。

 好投手として、今日も投げた岸潤一郎は、兵庫県の尼崎市立中央中学校卒で、西淀ボーイズで活躍していることで、知られており、獲得した。

 また、長崎県にある「創成館」は、九州圏内に広く網を巡らしており、佐賀県みやき町立三根中学校卒で、佐賀ドリームスで頭角を現し、2年前には「Uー15(15歳以下)日本代表」にも選出された、鷲崎淳を獲得している。

 もう1人、小野田弥啓も、福岡県飯塚市立穂波中学校卒で、荒川ウエーブで活躍していたことにより、獲得した。

 甲子園や、地区大会の予選で早くから目を付けられ、この中から、いずれドラフトに掛けられる者も、出るかも知れない。

 では、高校はどのようにして、網を巡らしていくのか? 

 その事実と背景は、次回に書くことにする。

 その裏で、学校の見立て違いもあり、ひっそりと硬式野球部と、高校を去った選手たちも、実は・・・・多い。

 (続く)