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アイリアノス『ギリシア奇談集』:「ローマ人、エピクロス派の学者を追放のこと」(青年たちに善からぬ快楽を教えた)!「デモステネスとディオゲネス」(大衆の僕シモベ)!

2021-11-13 13:35:21 | 日記
※アイリアノス(200A.D.頃)『ギリシア奇談集』(第1~14巻)岩波文庫

第9巻(12)「ローマ人、エピクロス派の学者を追放のこと」:青年たちに善からぬ快楽を教えた!
ローマ人は、[2世紀後半]エピクロス派のアルカイオスとピリスコスを町から放逐した。その理由は「両人が青年たちに、様々な善からぬ快楽を教えた」というものであった。

《参考1》エピクロス(Epikouros)(前342/341-前271/270)は、「欲望や激情から生ずる惑乱」、「死の不安」、「神々の処罰という迷信」から人間を解放しようとした。この意味での「快楽」をエピクロスは人生の「最高善」説いた。哲学の目的は、この解放によって「アタラクシア(心の平安)」を得ることにある。
《参考1-2》人間の解放、「アタラクシア」の獲得、つまり人生の「最高善」である「快楽」に至るための基礎は「自然学」であると、エピクロスは言う。世界のすべてのものは、「物体」も「神々」も「人間の霊魂」も、「原子」の結合物にすぎない。「認識」も「物体の放射する原子」と「われわれの魂を構成する原子」との接触である。「死」とは人間(魂を含む)を構成する原子結合体の分解散逸であるから、死と同時にあらゆる「認識」が消滅する。「神々」は人間と同質の存在で、人間に関心をもたない。
《参考1-3》エピクロスにとって、「快楽の生」とは「平安の生」であり、これは(a) 「自然学」を学び、過度の欲望や激情から解放されること、(b)公共生活を避け隠れて生きること、(c)パンと水の生活に満足すること、そして(d)友情を尊重することにより、実現されるものであった。(参照:「日本大百科全書ニッポニカ」小学館)
《参考1-4》エピクロスは「快楽」を人生の「最高善」と説いたことが誤解され、「善からぬ快楽」を追求する「快楽主義者」(epicurean)の祖とされた。例えば16世紀には彼にちなんで「美食家(epicure)」や「食道楽(epicurism)」という語も生まれた。(参照:「とっさの日本語便利帳」朝日新聞出版)

第9巻(19)「デモステネスとディオゲネス」:大衆の僕(しもべ)!
ある時、ディオゲネスが「大衆食堂」(カペーレイオン)で昼食をとっていた。そこを通りかかった雄弁家デモステネスに声をかけて誘った。デモステネスが断ると、ディオゲネスが言った。「君は大衆食堂に入るのが恥ずかしいのか。君の主人(大衆)は毎日ここへきているのだぞ。」つまり大衆政治家(デーメーゴロイ)あるいは弁論家(レートトス)・雄弁家であるデモステネスは、「大衆」の僕(シモベ)だとディオゲネスは言おうとしたのだ。

《参考2》デモステネス(Dēmosthenēs)(前384/383-前322)は古代ギリシア最大の雄弁家。愛国者として反マケドニア運動の先頭に立ち,力と情熱を傾けた議会演説によって祖国の奮起を促した。アレクサンドロス大王の死後、再び反マケドニア運動を行うが失敗して追及を受け服毒自殺した。(参照:「ブリタニカ国際大百科事典」)
《参考3》ディオゲネス(Diogenēs ho Sinōpeus、シノペのディオゲネス)(前404-前323頃):古代ギリシアの哲学者。キニク学派(犬儒学派)。世俗の権威を否定し、自然で簡易な生活の実践に努め、「樽の中のディオゲネス」と呼ばれた。自足と無恥が幸福のために必要と説く。アレクサンドロス大王との問答は有名。日光浴中のディオゲネスにアレクサンドロス大王が「望みはないか」とたずねたところ、「そこに立たれると日陰になるのでどいてほしい」と答えたという。また白昼に明かりを手に「人間はおらぬか」とよばわったとの逸話も伝わる。(参照:「デジタル大辞泉」、「精選版 日本国語大辞典」、「平凡社百科事典マイペディア」)
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