昏睡(コンスイ)
亡びてしまつたのは
僕の心であつたらうか
亡びてしまつたのは
僕の夢であつたらうか
《感想1》
心も亡び、夢も亡び、この詩人は、寂しい限りだ。彼は生きたまま死んでいる。(ただしゾンビと異なり、身体は生体だ。)人畜無害な《死んだ生体》が彼だ。
記憶といふものが
もうまるでない
往来を歩きながら
めまひがするやう
《感想2》
詩人は、心も夢も亡び、茫然として、記憶がない。《過去》を失った彼は、自己の正体を掴めない。(ただし世界の中心に、感覚する面倒な身体があることは《現在》に属し、その身体は自己と呼ばれ続ける。)自己の正体を掴めない者は、何者でもなく、彼はまるで気体であり、揺れめまいがする。
何ももう要求がないといふことは
もう生きてゐては悪いといふことのやうな気もする
それかと云つて生きてゐたくはある
それかと云つて却に死にたくなんぞはない
《感想3》
詩人は、「何ももう要求がない」。つまり詩人は欲望=自発性がない。生命とは欲望=自発性だ。それがないから彼は生きていない。生きていないのだから「もう生きてゐては悪いといふことのやうな気もする」こととなる。死者(《死んだ生体》)が、「生きてゐる」と呼ばれてはいけないのだ。
《感想3-2》
詩人の最後の欲望=自発性は、《死んだ生体》から、ただの《死体》になることだけは拒否することだ。彼は、(ア)希望がまだあるか(「夢」が完全に滅びていないと思い直したか)、(イ)《死体》になることを恐怖するか、いずれかだ。(なお君の場合は、(ウ)わざわざ死ぬのが面倒くさいから、《死体》になることを拒否する。)
あゝそれにしても、
諸君は何とか云つてたものだ
僕はボンヤリ思ひ出す
諸君は実に何かかか云つてゐたつけ
《感想4》
詩人は、「心」や「夢」をめぐり、諸君が「何とか云つてた」ことを突然、「ボンヤリ思ひ出す」。ただし「云つてた」ことは思い出すが、内容は思い出さない。かくて彼は、《死んだ生体》のままだ。
《注》
詩の区分けは、原詩のままである。
亡びてしまつたのは
僕の心であつたらうか
亡びてしまつたのは
僕の夢であつたらうか
《感想1》
心も亡び、夢も亡び、この詩人は、寂しい限りだ。彼は生きたまま死んでいる。(ただしゾンビと異なり、身体は生体だ。)人畜無害な《死んだ生体》が彼だ。
記憶といふものが
もうまるでない
往来を歩きながら
めまひがするやう
《感想2》
詩人は、心も夢も亡び、茫然として、記憶がない。《過去》を失った彼は、自己の正体を掴めない。(ただし世界の中心に、感覚する面倒な身体があることは《現在》に属し、その身体は自己と呼ばれ続ける。)自己の正体を掴めない者は、何者でもなく、彼はまるで気体であり、揺れめまいがする。
何ももう要求がないといふことは
もう生きてゐては悪いといふことのやうな気もする
それかと云つて生きてゐたくはある
それかと云つて却に死にたくなんぞはない
《感想3》
詩人は、「何ももう要求がない」。つまり詩人は欲望=自発性がない。生命とは欲望=自発性だ。それがないから彼は生きていない。生きていないのだから「もう生きてゐては悪いといふことのやうな気もする」こととなる。死者(《死んだ生体》)が、「生きてゐる」と呼ばれてはいけないのだ。
《感想3-2》
詩人の最後の欲望=自発性は、《死んだ生体》から、ただの《死体》になることだけは拒否することだ。彼は、(ア)希望がまだあるか(「夢」が完全に滅びていないと思い直したか)、(イ)《死体》になることを恐怖するか、いずれかだ。(なお君の場合は、(ウ)わざわざ死ぬのが面倒くさいから、《死体》になることを拒否する。)
あゝそれにしても、
諸君は何とか云つてたものだ
僕はボンヤリ思ひ出す
諸君は実に何かかか云つてゐたつけ
《感想4》
詩人は、「心」や「夢」をめぐり、諸君が「何とか云つてた」ことを突然、「ボンヤリ思ひ出す」。ただし「云つてた」ことは思い出すが、内容は思い出さない。かくて彼は、《死んだ生体》のままだ。
《注》
詩の区分けは、原詩のままである。