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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(117)-2 百田氏の誤り:④「べ平連」と「JATEC」は別組織!⑤)脱走兵の亡命先は「ソ連」でない!⑥KGBの「資金提供」はない!

2021-11-15 13:39:51 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「日本の復興」の章(385-455頁)  

(117)-2 百田氏の誤り④:百田氏は「べ平連」と「JATEC」を同一視しており誤りだ!(444-445頁)
P-3  百田尚樹『日本国紀』は「冷戦終結後、『べ平連』にはソ連のKGB(ソ連国家保安委員会=ソ連の秘密諜報組織)から資金提供があったことが判明する。つまり『平和運動』という隠れ蓑を着たソ連の活動団体だったのだ」(百田478頁)と述べる。
P-3-2 百田氏の誤り④:「べ平連」の幹部メンバー(吉川勇一など)が独自に行っていた「反戦脱走米兵援助日本技術委員会」(JATEC)の活動は、「べ平連」の組織と無関係だ。だが、百田氏は「べ平連」と「JATEC」を同一視しており誤りだ。

(117)-3 百田氏の誤り⑤:脱走兵(複数人)の亡命先は「中立国のスウェーデン」であって「ソ連」でない!(444頁)
P-3-3 百田氏の誤り⑤:百田氏は「『べ平連』はアメリカの『良心的兵役拒否』の脱走兵をソ連に亡命させる活動も行っていた」(百田478頁)と述べるが、これは2重に誤りだ。まず上述のように(a)「べ平連」と「JATEC」を同一視しており誤りだ。さらに(b)脱走兵(複数人)の亡命先は「中立国のスウェーデン」であって「ソ連」でない。(※下記のソ連側資料★(1) -2も「ソ連の領土内」に脱走兵を「移送できない」と述べている。)(444頁)

(117)-4 百田氏の誤り⑥:「べ平連」にも「JATEC」にもKGBの「資金提供」はない!(444-445頁)
P-3-4  百田氏の誤り⑥:「『べ平連』にはソ連のKGB(ソ連国家保安委員会=ソ連の秘密諜報組織)から資金提供があった」と百田氏は述べるがこれも3重に誤りだ。まず(ア)百田氏は「べ平連」と「JATEC」を同一視しており誤りだ。「資金提供」問題は「JATEC」にのみ係わる。(イ)したがって「べ平連」への「KGBからの資金提供」はない。(ウ)さらに 「JATEC」に「資金提供があった」というのも誤りだ。「資金」ではなく「物質的援助」は行うとのみ、ソ連側は述べる。(※下記のソ連側資料★(1) -2参照。)(444-445頁)

《参考》「ベトナムに平和を!市民連合」(ウィキペディア(Wikipedia))の「KGBとの関係」の項目(要旨)。
★(1)  ソビエト連邦の崩壊(1991年)によって明らかにされたソ連側資料によれば、ソ連国家保安委員会(KGB)は秘密裏に「べ平連」側(※正確にはJATEC)と接触しており、1968年初めごろには「べ平連」側(※JATEC)から脱走兵支援のための資金的援助の要請があった。( [脚注21] Koenker, Diane P., and Ronald D. Bachman (ed.), Revelations from the Russian archives : Documents in English Translation, Washington, D.C. : Library of Congress, 1997, pp699-700.。)
★(1) -2 これに対してKGB側は「[反米]プロパガンダ活動の拡大」と「脱走アメリカ兵を日本から第3国に非合法に移送する」ため必要ならば「物質的援助(サポート)」などを行うが、「ソ連の有する移送手段」を用いて「ソ連の領土内」に脱走兵を「非合法に移送する」ことはできないと回答するよう共産党中央委員会に提案している([脚注2] 英訳版原文:1.Exploiting the KGB's secret contact with the leaders of the Japanese committee "Peace to Vietnam," assist the committee to continue its activities including material support when needed to expand its propaganda activity and to accomplish illegal transportation of American military deserters from Japan to third countries.2. The KGB should inform the secretary of the committee "Peace to Vietnam" YOSHIKAWA, that the Soviet Union cannot at this time permit the illegal transportation of Americans to the territory of the USSR using Soviet means of conveyance.)
★(2) 小田実や高橋武智(タケトモ)らを中心としたベ平連の幹部、並びにJATECの構成員は、駐日ソ連大使館員を装ったKGB要員の支援を得て少数の脱走兵を複数回、日本からスウェーデンなどの中立国に脱出させた。([脚注14] “最近文献76春名幹男『秘密のファイル』下”. 旧「ベ平連」運動の情報ページ (2003年10月29日). 2011年4月24日閲覧。)([脚注22] 「67年の横須賀から米兵4人亡命事件に、ソ連政府が関与--本社、秘密文書を入手」毎日新聞 1995.07.20[出典無効]。)

★(3) 吉川勇一(「べ平連」事務局長1965-1974年解散)は、共同通信記者の春名幹男の取材に対し「(ソ連大使館の)参事官や一等書記官と会ったが、恐らく、全員がKGB要員だった」、「脱走兵の日本脱出に事実上の援助を与えてくれるところなら、KGBだろうがスパイだろうが手を借りたいという気持ちだった」と述べている。([脚注14]。)ラッシュ・ジョンソンのスパイ活動で「ソ連ルート」が壊滅したといわれているが、それだけではなく、何度も脱走を手引きするうちに徐々にKGB側は「重要機密部門で働いていた兵士しか受け入れない」という態度を見せるようになり、協力関係は破綻したという。([脚注12] 組織か個人か=べ平連から学んだこと=。)Cf. 1968年にアメリカの情報機関の工作員であるラッシュ・ジョンソンが脱走兵のふりをして侵入し( [脚注14])、脱走兵のジェラルド・メイヤーズが、日本の警察に逮捕され、アメリカ海軍に引き渡された。
★(3)-2 吉川勇一とソ連の関係は、共産党の職業活動家として日本平和委員会常任理事だった1963年当時から問題とされていた。不破哲三は『日本共産党にたいする干渉と内通の記録――ソ連共産党秘密文書から(上)』(新日本出版社、1993年)で、「ソ連大使館での六回にわたる会談とセナトロフ(※ソ連大使館二等書記官)・メモが雄弁に語るように、吉川と吉田(引用者注:吉田嘉清。原水爆禁止日本協議会事務局主任)は、もっとも密接な連携のもとに、ソ連と内通して秘密工作をはじめた二人でした」と吉川を激しく非難している。
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