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安部悦生『文化と営利』「第Ⅱ部」「第8章 イギリスの経営文化」(後半):イギリスの企業風土はアングリカン的身分主義(階級的団結)からアメリカ流の成果主義(サッチャー主義)へ一足飛びに変化した!

2020-02-24 12:14:58 | 日記
※安部悦生『文化と営利 ―― 比較経営文化論』有斐閣、2019「第Ⅱ部 経営文化の国際比較」「第8章 イギリスの経営文化」(後半)

(7)「新しい潮流――サッチャー革命」1980年代:「英国病」の克服すなわち「棲み分けから競争へ」①「ビッグバン」(規制緩和)、②「民営化」、③スト=争議の減少、④教育改革!
I  第2次大戦以降の「英国病」(イギリス社会の閉塞感):①植民地喪失、②ジェントルマン資本主義(アマチュア経営者による経営&地主・金融利害による支配)の衰退、③国際競争における劣位(※アメリカの台頭)、④国有化による救済も行き詰まる、⑤度重なる労使紛争。Cf. ⑥世界的にはスタグフレーション。
I-2 サッチャー首相(在任:1979年 – 1990):従来の福祉国家路線から、小さな政府、自由な取引(規制緩和)、民営化を打ち出す。「新自由主義」。
I-3  ①1986年、「ビッグバン」(規制緩和):「ジョバーとディーラー」のような「棲み分け」文化を解体。市場の「競争原理」にもとづく仕組みへ。イギリスは再び世界の金融センターに返り咲く。
I-4 ②不振の国有企業の「民営化」。市場経済の活用。「平和的な棲み分け」(身分制の固定化)=「甘え」の破壊。「競争は善」・「従来の態勢に安住することは悪」とのメッセージ。「サッチャー革命」だ。サッチャーは出自が地主・貴族でなかったので、製造業の振興に積極的だった。日本企業(Ex. 日産)など外国企業を誘致。
I-5 ③サッチャーは労使関係の領域でも大ナタ。スト権の確立に際し「秘密投票」を義務付ける。「公開投票」だと組合幹部のプレッシャーがかかる。かくて(ア)スト=争議の減少、(イ)組合組織率低下、(ウ)労働党の地盤沈下。
I-6 ④サッチャーの教育改革。(ア)公立校で学区外地域の学校を選べる「オプトアウト」を認める。(イ)大学教員に研究成果提出制度(RAE、research assesment exercise)を導入。4年間に4本の論文の学会誌掲載、義務付け、そして評価。(ウ)大学教員のテニュア―制度(定年まで勤められる権利)も廃止。
I-7 サッチャーのメッセージ:(a)「棲み分けから競争へ」、さらに(b)「社会などというものはない。あるのは個々の男と女と家族だけだ」と述べた。これは「悪評高い」言葉だが、競争と自己責任だけを主張するものでない。サッチャーは「社会を個人に還元する」個人主義でない。「家族」を重視する。
《感想》「競争」こそが経済(財サービスの質と量)を発展させる。「競争」を肯定することは、人間の経済的価値の優劣を受け入れることだ。敗者は自分の経済的無能を受け入れなければならない。「基本的には」(=経済的には)カネのあるなしで人を評価する。もちろん人の価値評価には、色々な観点がある。経済的観点だけでない。

(8)「競争力のある産業、企業、そこにおける経営文化」:1990年代「イギリスの繁栄」!
J サッチャー改革の後、イギリスは上昇気流に乗る。改革進行中の1980年代が過ぎ、1990年代になると人々は「イギリス病」でなく「イギリスの繁栄」を語るようになった。
J-2 サッチャーの政策「競争原理」・「民営化」は、後継の保守党メージャー首相(在任1990-1997)、労働党ブレア首相(在任1997-2007)によっても揺らぐことがなかった。Ex. (ア)ソーシャルインパクトボンド(社会問題の解決を民間企業や非営利団体に任せる)、(イ)ビジネスセンター(企業支援を行う)、(ウ)政府機関からNGO・NPOへの業務移転。
J-3 ①イギリスの自動車産業全体は堅調。Ex. 日産、ドイツのBGMの進出。②国際競争力を持つ製薬産業:GSK(グラクソ・スミスクライン、Ex. ポリデント)。③ハイテク分野では、1980年代にベンチャー振興で「ケンブリッジ現象」等々

(9)「小括」:イギリスの企業風土はアングリカン的身分主義(階級的団結)からアメリカ流の成果主義(サッチャー主義)へ一足飛びに変化した!
K 1980年代以降、イギリスの経営風土は大きく変わり、「ウェット・ビジネスマン」から「ドライ・ビジネスマン」が誕生した。サッチャーは「ドライ・トーリー」と言われた。
K-2 それまでのイギリスはプロテスタント的個人主義でありながらも、アングリカン的身分主義(階級的団結)によって社会の絆はそれなりに強かった。しかしサッチャー革命によってイギリスは社会的絆を基礎とした企業風土から、アメリカ流の成果主義に一足飛びに変化した。
K-3 アメリカは、(a)ピューリタニズム的個人主義、したがって成果主義と、(b)ピューリタン的教派心による団体好きの性質の結合が存在していた。だがアメリカは団体主義が弱まり、社会全体で成果主義的傾向が強まる。1980年代が変革期(※減税・財政支出削減・規制撤廃のレーガノミックス)。
L 新自由主義(民営化、規制緩和、自由選択、競争原理導入等々)のゆくえ。
L-2 アダムスミス時代および19世紀のレッセフェール時代の自由主義→19世紀末のニューリベラリズムの勃興(個人の自由と社会改革を両立させる、完全雇用・普通選挙・公教育・福祉制度を主張)→第2次大戦後の福祉国家時代→スタグフレーション(福祉国家の矛盾の表現)→新自由主義。
L-3 新自由主義で「結果としての不平等」(所得格差、資産格差)が生まれた。しかしコミュニティ、アソーシエーションなどの自発的な団体(中間組織)がすでに弱まっている。この意味で社会が衰弱している。
L-4 新自由主義の勃興から40年余、行き過ぎに対する再調整が必要だ。
《感想1》日本の場合は、新自由主義の猛威は、世界のグローバル化(ソ連崩壊)とともにやって来た。1990年代以降の「失われた10年・20年」、リストラ、非正規雇用の増大、日本的経営の崩壊。
《感想2》何よりも、格差の下で生まれ、本人の責任なく不利とされている子供たちに、「公正な競争」のチャンスを与えなければならない。
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