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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(一)「意識(対象意識)」2「知覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」:(「知覚」の段階から)「悟性」の段階へ!

2024-05-10 20:37:22 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(一)「意識(対象意識)」2「知覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)unbedingte Allgemeinheit」(107-108頁)
★「知覚」の段階を以下3つに分けてみてゆく。イ「物」、ロ「錯覚」、ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」。(100-101頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次は次のようになっている。
(A)意識:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)自己意識:Ⅳ自己確信の真理性
(C)(AA)理性:Ⅴ理性の確信と真理、
(BB)精神:Ⅵ精神(A「真実なる精神、人倫」、B「自己疎外的精神、教養」、C「自己確信的精神、道徳性」)、(CC)宗教:Ⅶ宗教、
(DD)絶対知:Ⅷ絶対知

Cf. 金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」の目次は次のようになっている。
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」;2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」;3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」2「中世から近代へ(あるいは道徳)」3「現代(あるいは絶対知)」

(18)「知覚」の段階における「制約せられない普遍性(内なるもの)」:真の真理は「感覚」(or「知覚」)を超えた「叡知」にしかつかめないが、それが「悟性」だ!(107-108頁)
★「物」は本来「矛盾」したものだ。それを「綜合」した立場がとられなくてはならない。しかし「矛盾の綜合」は「感覚(or知覚)を超えた叡知」にしてはじめてできる。真の真理は「感覚」(or「知覚」)を超えた「叡知」にしかつかめないが、それが「悟性」だ。(107頁)

(18)-2 「物」の矛盾(「知覚」の段階)は「一と多との矛盾」、さらに「自と他との矛盾」だ!ある「物」は「即自的」であるが、まさにそのかぎりにおいて同時に「対他的」だ!けっして「即自」と「対他」は切り離すことができない!(107頁)  
★「物」の矛盾(「知覚」の段階)は、すでに述べたように、「一でありながら多くの性質をもつ」という意味において「一と多との矛盾」だ。(107頁)
★さらに「物」の矛盾(「知覚」の段階)は、「自と他との矛盾」でもある。(107頁)
☆「一つの物」は「一つの物」だが、その物がその物であるのは、なにかの「限定」による。その限定はその物のもつ限界だ。しかし「一つの物」だけでは「限定」はありえない。「他の物」があって、それとの関係において初めて「限定」は成立する。(107頁)
☆それゆえ「一つの物」は「他の物」との関係を含む。ここに「即自」と「対他」との矛盾がある。(107頁)
☆「一つの物」といってもその物だけでは「一つの物」とはいえず、「他の物」があって初めてその物であるから、「即自」と「対他」とはどこまでも「同一物」に帰属する。ある「物」は「即自的」であるが、まさにそのかぎりにおいて同時に「対他的」だ。けっして「即自」と「対他」は切り離すことができない。(107頁)

(18)-3 ロックの「第一性質」と「第二性質」!だが非本質的性質と本質的性質は「同時に」成立する、つまり「物」はどこまでも矛盾したものだ!
★「物」の矛盾(「知覚」の段階)は「一と多との矛盾」であるだけでなく、さらに「自と他との矛盾」だ。ある「物」は「即自的」であると同時に「対他的」だ。(107頁)
★「物」が「自と他との矛盾」or「即自と対他との矛盾」を含むことを否定するため、「知覚が本質的属性と非本質的属性とを区別――ロックの第一性質と第二性質――して頑張ろうとしても」だめだ。(107頁)
☆本質的属性と非本質的属性というのは、「物」をそれ自身として考えれば「物は一」で、その限りでは「物」は本質的属性をもっているけれども、「他の物」との関係を考えるときには「その同じ物」が非本質的属性をえて「たくさんの物」になるとする。(107-108頁)
☆しかし本質的属性と非本質的属性も互いに関連したものであって、「非本質的なもの」があって初めて「本質的なもの」あるのであり、「本質的なもの」があって「非本質的なもの」もあるのだ。「非本質的なもの」と「本質的なもの」の差を設けて価値の区別をしても結局むだだ。(108頁)
☆非本質的性質と本質的性質は「同時に」成立するのだ。そのようにしてどんな区別をもうけて逃げようとしてもだめで、「物」はどこまでも矛盾したものだ。(108頁)

《参考》「第一性質」・「第二性質」(primary qualities, secondary qualities):「性質」に関するイギリスの哲学者ロックの認識論的用語。(『人間悟性論』第2巻第8章)「第一性質」は認識とは独立に客観に備わる性質で、「延長」・「形」・「運動と静止」・「固体性(固さ)」・「数」などがあるが、対照的に「第二性質」は「第一性質によりわれわれのうちに多様な感覚を生ずる力」にすぎない。つまり「色」・「音」・「香り」・「味」のように対象それ自体にはない主観的性質である。前者は客観的,数学的,物理学的であり,後者は主観的,心理学的な性質である。ロックは前者を物質の本質をなすものと考えた。

(18)-4 「物的な普遍性」に対して、「物」を超えて背後に、その奥にあるもの、「内なるもの」(「無制約的普遍性」)をつかまなくてはならない:(「知覚」の段階から)「悟性」の段階へ!
★しかし矛盾を矛盾としている立場はまだ感覚的(or知覚的)だ。「矛盾対立の彼方にある『内なるもの』」をつかんで初めて我々は本当の「真理」をとらえることができる。それはもう「感覚」(or「知覚」)のよくするところではない。(108頁)
☆それは「無制約的普遍性 unbedingte Allgemeinheit」、もはや「物」的でないところの普遍性だ。(108頁)
☆「知覚」はまだ「物的な普遍性」を離れえない。あるいは「性質」はまだ「感覚的な普遍性」だと言っても同じことだ。(108頁)

《参考》「普遍者における個別者」が掴まれて初めて「個別者」は「真理」として掴まれる:「感覚」の段階から「知覚」(Wahrnehmung)の段階へ!単なる「このもの」から 「物」という概念への移行!(98-99頁)
☆「普遍者における個別者」しかないのであって「単なる個別者」はない。すなわち①「意識」(対象意識)自身は最初は「このもの」を掴む。②「意識」は「このもの」が「対象の真理」だと思っていたのに、③じつは「このもの」はなく、それは「マイヌング(私念)」で、④「普遍者におけるこのもの」しかないんだということになる。(98頁)
☆「普遍者における個別者」が掴まれて初めて「個別者」は「真理」として掴まれる。すなわちWahr-nehmung(真理捕捉)となる。このようにして「感覚」の段階から「知覚」(Wahrnehmung)の段階に移って行く。(98頁)
☆「意識」自身が「対象の自分自身(※意識)に対する『現象』」と「対象自体」との区別を知っている。即ち「真理の規準」を持っている。だから「真理の規準」を外からもってくる必要はない。かくて真に(Whar)とらえる(nehmung)ところの「知覚」(Wahrnehmung)に移っていくことができる。(98-99頁)

★「知覚」段階の「物的な普遍性」に対して、「物」を超えて背後に、その奥にあるもの、「内なるもの」(「無制約的普遍性」)をつかまなくてはならない。だがそれは、それはもはや「知覚」のなし得るところではない。(108頁)
☆そういう「超感性的なもの」をつかむのは「悟性」だ。そういうわけで「知覚」が「悟性」に移って行く。(108頁)
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