住職の独り言

~ご縁に触れて~

法話会

2020年12月21日 | 独り言
昨日の定例法話会は天真寺衆徒三名によるでしたリレー法話でした。
私の法話の導入部分のみ記載します。

NHKテレビ番組「チコちゃんに叱られる」で
「お経は何の為にあげるの…❓」が放映されていましてが

さて…? 浄土真宗の視点で見てみると

〈先祖供養の為〉
「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」(歎異抄)

〈現世利益の為〉
浄土真宗の教章には、「現世祈祷などにたよることなく」と示され、
「仏号むねと修すれど 現世をいのる行者をば
 これも雑修となづけてぞ 千中無一ときらはるる」
 (和讃) 

〈精神修養の為〉
自分を高める・仏に近づく…
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(歎異抄)
「悪人」とは、煩悩が多くて悟りが開けない人、
「善人」とは自らの善で悟りを開こうとする人、という意味で、
  そのため阿弥陀仏の本願にまかせる思いに欠けてしまいます。

「わがこころよければ、往生すべしとおもふべからず。自力の御はからひにては真実の報土へ生るべからざるなり。」(親鸞聖人御消息747-3)

一般的に、自分中心の立場からものを見るのに対し、

親鸞聖人は、如来さまの目を通して全てのものを見てゆかれ、
自身の闇を破そうとする仏さまの慈しみに出遇われました。

浄土真宗のお経は『仏さまの願い』を聞思させて頂くばかりであります。
(以下省力)


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