住職の独り言

~ご縁に触れて~

『無常』

2020年12月29日 | 独り言

【メッセージ文について】

 変わり続ける世界。変わり続ける私。

仏教が説く「無常」の教えは、何ものも永遠に固定的で変わらないものなど存在せず、事象はすべて変化し、うつり変わるものだという真理を教えてくれています。

このことをお釈迦さまは、
こと・ものすべて無常なりと、智慧をもて見通すときにこそ、実に苦を遠く離れたり。これ、清浄にいたる道なり。(ダンマパダ)
と説かれています。

ここでは、無常の道理をありのままに知ることが、さとりへと至る道であると示されています。

 しかし現実の私は、変わり続けるものに日々、翻弄(ほんろう)され、出会いや別れの一つひとつに、悲しみや喜びの涙を流しながら苦悩の人生を生きています。

それが偽らざる凡夫のすがたです。

 苦悩を抱えて泣き笑いする、この凡情を断ち切ることのできない私の想いのそのままに、「南無阿弥陀仏〈必ず救う、われにまかせよ〉」とのよび声として、いまここにお浄土への道をともにしてくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。

 専如ご門主の「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」には、
仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。

翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人(ひと)と争ったりしています。

釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。
とご教示くださっています。

 「今日もあなたと一緒だよ。一緒に生きていこう。」

阿弥陀さまの願いにつつまれて、「ナンマンダブ」とともに生きていく時、決してひとりぼっちではない安心の人生が開かれていきます。

(西本願寺)


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