冬木立
春に向かいて
ひとやすみ
冬の木立を見ていると
春には新緑で生い茂り
数え切れない程の若葉を生み出し
秋には木の葉たちも成熟し
紅葉を迎え
そして木の葉は独り立ちするかのように
自然の世界へ解き放たれる
「散ると見るは 凡夫の眼 木の葉だ大地に帰るなり」
という詩があったけど
木は親で、木の葉は子どもと置き換えて考えると
冬木立は子どもを社会に送り出し
ほっとしつつ春に向かって
ゆっくりお休み中かな…
冬木立
春に向かいて
ひとやすみ
冬の木立を見ていると
春には新緑で生い茂り
数え切れない程の若葉を生み出し
秋には木の葉たちも成熟し
紅葉を迎え
そして木の葉は独り立ちするかのように
自然の世界へ解き放たれる
「散ると見るは 凡夫の眼 木の葉だ大地に帰るなり」
という詩があったけど
木は親で、木の葉は子どもと置き換えて考えると
冬木立は子どもを社会に送り出し
ほっとしつつ春に向かって
ゆっくりお休み中かな…
【年末行事案内】
★定例法話会
12月20日(土)午後1時30分~
講師 名種木乃実(京都)、村田信也(茨城)
法話終了後は、年末懇親会
★日曜礼拝
12月21日(日)
朝7時~日曜礼拝 担当:弘山眞智師
★雅楽教室
12月21日(日)午後3時~
★ボラン寺
12月22日(月)午前9時~
★ヨーガ教室
12月24日(水)12時30分~
★日曜礼拝
12月28日(日)朝7時~ 担当:住職
どなたでもご自由にご参加下さい。
~こどもの詩~
「お月様」
お月様は ぼくの知らない所で
ぼくらを見ている
もう安心だよといっているみたい
(愛知県みよし市 三吉小 3年 大竹 達樹)
昔、犬を飼っていた時
…夜半に帰宅すると犬が迎えてくれていた
朝、暗い時新聞を取りに行くと
…暗闇の中、月がぽっかり照らしてくれている。
仏さまは…
寂しい時は寂しいなりに
悲しい時は悲しいなりに
嬉しい時は嬉しいなりに
そのままの私を抱き、大丈夫だよって…
悪業まみれの我なれど
おまえの罪は我が罪と
私の全責任を負って下さるを本願といい
お恥ずかしや
もったいなやと
念仏も申すを信心という
(惠)
【ご案内】
12月20日(土)午後1時30分~
定例法話会
講師 名種木乃実(京都)、村田信也(茨城)
どなたでもご自由にお参り下さい。
~朝の詩~
「視線」
ベランダの鉢に種をまき
花の一生をじっと見つめていると
私もこんな風に
天上のどこかからじっと
見つめられている
視線を時どき感じるのです
(大阪府守口市 木村益夫 71)
私の部屋のベランダに植えたガザニア
7月頃から咲いて、今も咲き続けています。
多分この冬中咲き続けるのは無理かも知れないけど
ずっとずっと私は見届けています。
【浄土和讃】
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
ビートルズの歌(1967年発売)に
「When I'm sixty-four(64歳になったら)」という歌が
「サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」という
アルバムに収められている。
内容は「僕が64歳になっても君はまだ僕を必要としてくれるかい」というラブソング。
私は今64歳…
この曲の詩で「君」を社会と置き換えてみると…
社会は私を必要としているかって…?
自分では分からないけど、
自分が出来ることを精一杯やるだけだね。
「働く」とは「傍(はた)を楽にする」
と聞いたことがあるけど…
社会が私を必要としているか分からないけど
ただ、黙々と自分で出来ることを精一杯するだけかなぁ…
わたしの願いは、自分思い通りになること
仏の願いは、私を救い摂りさとりの世界へ到らせること。
仏の願いを聞いても
やはり自身お願いは捨てられない。
自分願いも、歳と共に、
その大きな願いは叶わぬ夢と捨てざるを得なくなる。
最後は、寝たきりになったりすると
このまま死んでしまいたい。
との願いをもったりするものだ。
そんな私をずっと見守り願い続け
はたらき続けていて下さる仏の願い。
結局、私の願いは願いながら
仏の願いの中に吸収されて
ただ、南無阿弥陀仏とお念仏の中に吸収されて行く私の願い
結局、私の願いもろともに阿弥陀如来の願いに
身を投げ出してお任せするしかないですね。
南無阿弥陀仏
テレビの電化製品コーナーで
ホットプレートの紹介をしていた。
ひっくり返さなくていい
油がたまらない
煙が出ない
…
まさに衝動買いです。
ネット注文すると翌日来ました。
さっそく魚を焼いたり、肉を焼いたり…
便利ですね…
しばらくこれにはまりそう(笑)
「私は何の為に人間に生まれたのか?」
…私の頭で考えても…?
阿弥陀さまは
「仏になる為に生まれてきたんだよ!」
と、おっしゃるから…ああ、だったんですか!
「何処へ向かって生きているのか?」
…さぁ…今やるべき事をしている…その先は?
阿弥陀さまは「本願を信じ、念仏申し、私の浄土へ往生するんだよ」
阿弥陀さまの仰せに随い
「私は阿弥陀さまのお浄土へ生まれる人生を今、生きているんですね」
そう領解させて頂く。
「死とは何ですか?」と聞かれる時
…お浄土へ生まれさせて頂くことです。
私は何も分からないけど、有難いことに如来さまがそうなんだよ!と導いて下さる。
浄土往生という行き先を教えて頂くところに
生まれて死ぬ!
と、いう枠組みを破って下さる。
南無阿弥陀仏
人はいろんな顔を持つ
親としての顔
先輩としての顔
教師としての顔
妻への顔
夫への顔
校長先生としての顔
代議士としての顔
住職としての顔
家庭での顔
会社での顔
取引先での顔
警察官としての顔
……
みんな色々な顔も持ち
その時に応じて使い分ける
まさに怪人二十面相とは
私のことだった!