「妻よ」
長期妻として母として
よくやってくれた家内
ついこの世を去った
施設のことで
死にめに会えなかった
息子娘は
親より先に去り
ついに一人になった
いつかあちらで
四人で会うる日を
楽しみに
余生を生きよう
(令和5年4月7日 練馬区 柳澤弘 102歳)
妻にも息子にも娘にも先立たれながらも、気丈に前向きに生きられた柳澤さんでしたが、令和5年10月19日102歳でご往生の゙素懐を遂げられました。
この詩を読んでいると、人間の老病死を忍の一字で生き抜く辛さが伝わってきます。
その前年の令和4年10月23日の詩に、「ふるさとへ」という詩があります。
「ふるさとへ 」
五十年ほど前
ふるさとの山で採った
一本のすすき
今はニメートルほどの
大株になった
時に風と
たわむれながら
遠く秩父の
山なみの見える
ふるさとに帰りたいと
思っているに違いない
すすきよ いつか
いっしょに帰ろう
私からするとまさに、ふるさととはお浄土でありましょう。
「名残惜しく思えども、
娑婆の縁つきて力なくして終わるときに、
かの土へは参るべきなり」(歎異抄)
南無阿弥陀仏