住職の独り言

~ご縁に触れて~

立撮即行のお姿

2017年12月10日 | 独り言

阿弥陀如来のお姿は立撮即行

右手は「招喚の印」(招き喚んで下さる智慧の印)

左手は「摂取の印」摂め取って必ず救う慈悲の印)

「立撮」の「立」は親と言いう字は

「木の上に立って見る」と言うように

お立ちずくめで、いつでも私を案じ喚んでいて下さるお姿。

「撮」は写真撮影の「撮」で私の苦悩を自らの苦悩として

私をそのまま写し取る。

…五劫の時間をかけて、私の苦しみ悩みを自ら経験し、
 その苦悩を自らの苦悩として受け取るお姿。

「即行」…そんな私が今、私のまま救われる。

※一劫という時間…インドの時間の単位。極めて長い時間のこと。
『大智度論』には四十里四方の石を、百年に一度ずつ薄い衣で払って、その石が摩滅しても劫は尽きない(磐石劫)、また四十里四方の城に芥子を満たし、百年ごとに一粒ずつ取り出し、すべての芥子がなくなっても劫は尽きない(芥子劫)とされる。この譬喩の石・城の大きさや年数の示し方には諸説がある。

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