住職の独り言

~ご縁に触れて~

自然

2024年07月23日 | 独り言
ここからは「自然」(じねん)について考えてみます。

「自然法爾」(じねんほうに)という言葉があります。
法然聖人の法然は「自然法爾」を略して「法然」と名乗られました。

親鸞聖人は「自」は「おのづから」という。
「然」は「しからしむ」と言葉であり、
…凡夫のはからいではなく、「おのずからそうなっている」ことを自然といわれます。

また、阿弥陀如来のちかいによってそうなっていることを「法爾」と示されます。

親鸞聖人は、自身お救いは、私たちの行為(はからい)によって成り立つのではなく、阿弥陀如来の本願のお力により浄土往生せしめることを自然(じねん)と言われ、それはまさに法則(法爾)と言われる。(自然=法爾は同義語)

まさに自然とは必然のはたらきであり、火の炎は上にもぼり、川の水は下る。これ疑いようのない必然の事であり、この法則を疑いなく領解するところは往生浄土の大願は満足される。

道元禅師が正法眼藏~生死の巻~「心を以てはかることなかれ、ことばを以ていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ、仏となる。」
このお言葉は「自然」とは言われないが、親鸞聖人の「自然法爾」と同じことを言っておられます。






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