有相善とは、善いことをして、善いしたと執らわれ、うぬぼれる心。
無相善とは、善いことをしても、善いことをしたと思わない心。
凡夫の善は有相善におちいり、この心が、まことの救いを拒むのであります。
仏の与えて下さったお念仏は、無相善の全体のはたらきです。
お念仏をいただくことによって真実の救いに遇うことが出来る。
私たちが社会生活をしていく上で、自分は善いことをしていると、うぬぼれ、とらわれている人は、かえって独善主義に陥り害毒を流す。
仏の無相善を慕う人は、とらわれうぬぼれを忘れて、そこから感謝の伴った努力を続けるようになるのです。
そこにこそ、本当の人間の生き方が生まれるのではないでしょうか。
〈定例法話会〉
10月20日(火)午後1時30分~
講師 長谷川憲章師(広島県)
どなたでもご自由にお聴聞下さい。