猫に小判とは、
貴重なものを与えても何の反応もないことのたとえ。
転じて、価値のあるものでも
持つ人によって何の役にも立たないこと。
しかし、人間はその小判に目がくらむ。
浄土真宗のみ教えに遇いながら
ご信心を頂けなかったら
「宝の山に入りて、手をむなしくしてかへらんがごとし」
まずは法話会に参加して
「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と示されるように
阿弥陀如来が私一人を救う為に願いをおこされた訳と、
今、現にお救い下さる如来様の
ハタラキを疑いなく聞かせて頂きましょう。