King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

最初はちょっと

2012年02月27日 09時55分09秒 | ライブ・コンサート・展覧会
地元ピアニストのコンサートに昨日出かけました。

なんと今回はピアノデュオだということで、男性
ふたりでピアノを弾きました。

所謂連弾というやつです。

前回のコンサートの時に、皆さんのしっている曲を
やるといっていたので特殊な演奏なので、親しみ
やすく聞き慣れた曲をやるのだと思っていました。

連弾と聞いていましたが、二台のピアノでやるのだ
と思ったら、一台のピアノに椅子が三つ並んでいて
男性二人がそれに座ると後ろから見ている絵として
はとても気持ちのわるいものでした。

右側に地元ピアニストが座り、ペダルを窮屈そうに
踏んでいます。

とにかく最初の1曲目から違和感と何でこんなこと
しなくちゃいけないのという感じで聞いているうち
終了。

ふたりで弾くと音的には違和感もなく変な響きも
感じずこんな感じになるのかという感じで終了。

しかし、何で連弾は必要なのかという疑問は説明
されるのですが、それよりその後の自己紹介的な
それぞれのソロがあり、それを聞くとああこういう
ピアノの人なのかというのがよく解りました。

伊藤さんという尾道で活躍するピアニストの
トリスタンとイゾルデという何度も演奏され聞いた
ことのある楽曲です。

芸術家が芸術家であるためにはその深度を試される
演目なのではないでしょうか。

これをソロでやる辺りに伊藤さんの技術の高さと
芸術に対する姿勢に接することができたのでは
ないかと思われます。

バッハのあとにワーグナーときて、なんと地元
ピアニストはまたまたやってくれました。

トリスタン和音に対する返答かのように、芸術
という解釈に対して、ベルクのソナタを持って
きたのです。

その反動かのように後半はハンガリー舞曲を
やるという変貌振りです。

ハンガリー舞曲というとランランの演奏を思い出し
ます。

あのピアノも壊れよといわんばかりの弾む演奏と
はちがい、連弾用に作曲された細部まで楽しむ
ような繊細で峻烈な妥協なしの演奏でした。

かといって勢いがランランに負けているという
ことでもなく、作曲楽曲の妙を演奏者も楽しんで
いるかのような連弾でした。

何かしら遠慮とかふたりでやる事での破綻なり
があればまた面白かったのでしょうが、そういう
技術的な綻びを見せないのが、このふたりの演奏
なのだというある共通があるかのようなデュオで
した。

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