昨日のブログで触れようと思っていた事を書く前に終えてしまい、
タイトルのカレーせんべいが宙に浮いた形になってしまいました。
まあこれはこのブログではよくある事で読む方も慣れっこなのかもしれませんが、
何日か前から震災の関連で現地の中継とか特別な思いを語るとか風化させない
という言葉を聞かされていますが、スキー関連のネットでの話題は
自分はどこどこにいたというものが多く、それもっぱらスキー場での被災
の話題なのです。
どこのスキー場でもリフトやゴンドラが止まった経験を持つ人は多く、
その後はみんな渋滞にはまり、その後に来るガソリン不足や日常品不足に
つながるのですが、今あるコロナ禍でも先日の地震の後、すぐに
スーパーの買い出しに動く人の呟きとかSNSの記事をみましたが、
本当に日本の将来とか人類の未来とかにかかわる部分はずいぶん蔑ろに
されそのままにされています。
やっと最近廃炉は30年で可能かというものが語られましたが、私は
そもそも燃料デブリを取り出したところでそれを貯蔵するところも
決まらず取り出す技術もその燃料の正しい分布すら知らず人々は更地に
戻り廃炉になる前提で巨額の予算と人をつぎ込んでいるのです。
それはマスコミにしろ国民にしろ他人ごとにして福島の遠いところと
いう自分たちとは関係ない問題としてみて見ぬふりしてきたからです。
しかし、いつまでもほおっておいていい話ではなく、中間貯蔵施設や
その設置で決められた土地のニュースでこれから将来起きることや
思惑は当然知れていたのです。それに現在でもその無策で無知なせいで
自然は破壊され続けており、生命の危険も増しています。
そもそも現在脱炭素社会ということで化石燃料の脱却やプラスチック製品の
削減に向けて取り組みがされていますが、そんな中でも原発はCO2を出さない
クリーンな電源としてエースとされていたのです。しかし、日本の事故をみて
ドイツのように完全撤退を決めた国があるのに当事者の日本は原発再稼働を
しているのです。これは事故で故郷を失い幸福な生活が奪われた人たちより
再稼働して幸せになる人が多くいるからだとはどうしても思えません。
日本の事故は特殊事情でレアなケースだと思っている人も中にはいるようですが、
とんでもない話で原発の本となる核技術開発を手掛けた米でもその最初の実験地
では今でもなお核汚染が続く地であり、世界でその核汚染を食い止める技術も
核のゴミを安全に保管する技術も確立されていません。
つまりは誰もこの核のゴミが出ることは知りながら捨てる場所もなく、安全に
保管し続けるところもないまま使い続けているのです。それもひとたび事故が起きれば
人が立ち入ることができない地が発生してしまうことも知りながらです。
挙句兵器利用する国があり、それを準備する国もありで何時そんなものを使われて
人々の生命が脅かされている現状ながら核の傘のもとに安全がたもたれていると
うそぶいているのです。
そもそも日本には天然資源が乏しく高い技術力や独自のノウハウで発展をして
行くしかなく原発も石油がないから仕方ないのだということで導入されてきましたが、
そろそろ正直にその抱えたものと今ある原発の寿命と後処理とコストを見据えた
議論をしていいのではないでしょうか。廃炉に向けた計画も取り出すのでなく
現況よりより核汚染が広がらないようにするのを第一にすることや汚染水の
処理の決定とそれにより広まる人々の不安の払しょくと真にやるべきことは
差し迫り切実なのです。
私の好きなおやつのカレーせんべいは今でもスーパーで買えますが、かつて
小銭を握りしめ通った駄菓子屋に並ぶそれらの菓子はどれも体に悪い添加物まみれ
で食べるとその色素で口が染まったりタバコの形のチョコやガムとか誤飲や誤食を
招くような倫理的にも問題のある様な物たちでした。そんな昭和の時代日本は安い
労働力を武器に世界に工業製品を売りまくり経済成長をしてきました。その座を
中国にうばわれてしまったのですが、その中国でも最近は安い労働力とは言われなく
なっています。日本にあった公害も大気汚染も経済成長とともに中国にそれらも移り
人々の関心も脱炭素社会という持続可能な社会に向かったはずです。
日本は未だ昭和の高度成長の夢を追っていてオリンピックと新幹線と万博とその後の高度経済成長と
誘致したオリンピックは様々な汚物にまみれスキャンダラスに始まり今もコロナ禍のごたごたにあり
当時のような発展のストーリーは見込めません。本来時代が違うのですから今にあった思考ができないのか
改めて郷愁から覚めて行くべき時なのではとカレーせんべいを食べると思うのでした。