最近みたい映画とかかつて見た映画の続きが上映するというニュースにじゃあ
行こうかと調べてみると近くの上映館がないという事態がしばしばあります。
埼玉は一館だけとかならば群馬でと検索をかけると群馬はなくて栃木が一件と
何か埼玉栃木と群馬はもうすでに関東ではないかのような扱いにすごいいらつきと違和感が
募ります。
最近ラグビーワールドカップの中継が7時8時にあり、つい見始めると走りに行く時間が
少なくなってしまうという感じになっていてやたら録画スペースも足りなくなり、時間の
やりくりも大変です。
そのラグビーですが、今まで私が行ってきたバスケの試合などでいつも対戦する地域の他のチームは
すっかり顔なじみですが、なぜか日本の放送というのは対戦相手を矢鱈敵視したり、敵対的な表現を
使いますが、ラグビーの試合を見ていると他のスポーツより強い相手へのリスペクトとかチームは
ひとつという精神に今までやって来たスポーツでも日本は矢鱈敵だとかやっつけろというけしかけのような
指導がされていましたが、そういうのが日大のアメフト問題だったり各競技の指導者のパワハラとか
おかしな指導につながっていたのではないでしょうか。
私の参加する市民リーグでも我々のチームは万年負けてばかりの寄せ集めの年よりチームですが、
対戦するとラグビーのように終わればノーサイドでお互いのリスペクトは変わらずさらに仲間としての
連帯とか信頼とかが醸成されまた他の地域との交流などで出かけても同じように勝敗というより唯の
結果であり、お互いのベストを尽くすプレーへのリスペクトという共通のコート上でしか成し得ない
相互理解とパフォーマンスを通して敵味方という勝ち負けしかない世界以上の事をしているのだと
思います。それを自国第一主義的に日本中心で日本だけ勝てばよいかのような報道に私自身の色々な
スポーツ体験とそれを指導され教育の現場での感じとかやはり違うのではないかと感じることがしばしばで
今回ラグビーの試合で感じます。
それとNHKでやるトレッキングの番組とか300名山を見ているとこれだけ詳しく簡単に山の景色をみられて
もうそれで十分でわざわざ自分で登るまでもないと感じてしまうのは私だけでしょうか。
不思議なことにそういう番組の製作陣とか登っている人たちにこれは登ってみなければわからない景色と
言わせていることです。
確かに生でなければ通じない体験はあります。しかし、それもそれを紹介しようとしてかつてはなかったドローンなどの
俯瞰映像まであるともうそれは行かなくても十分体験したと感じてしまいわざわざ自分で登ろうとも考えなくても
責められないのではという感じです。
まあそれはただ単に根性なしとか怠け者というそしりを受けても仕方ないことかもしれませんが、昨今の
地球温暖化など余計なCO2を排出するなという問題も突き詰めれば余計な移動は慎めという事でこれは
グローバリズムに反することで、トランプの自国第一主義に通じます。ラグビーワールドカップと
地球温暖化とまだ見ぬ景色と色々な思いが交錯するこの頃です。
そんな中いつもと変わらないブラジルの味にいつもながら整ったという感じの朝にこの相反する問題は
静かに広がりどうすんだよという心の声になるのでした。