もう何年も前になるのですが、夏場のスキートレーニングというのを
考えて、インラインスケートをやったり、それが発展してランニングを
したりしました。
そもそも、夏場に代替トレーニングをするということで車のついた板で
滑ったり、キャタピラーだったり器具も特別のものを用意するという
ものもやりました。
ですが、最近は人工芝を敷き詰めて板はそれ用にエッジを幅広くした
ものを用意するというのが増えているようです。
私も一度やりましたが、春のスキーより板をつかまれたようになり
転倒しそうになりかなりの危険度の高いスポーツに感じました。
しかし、慣れると冬のスキーと同じようなターンができるようになり、
滑走感覚もカービングターンと同じようにずれないターンの練習に
なるので効果があるのかと思わせます。
今では、所詮代替トレーニングはスキーのできない欲求不満を
晴らすだけのことに過ぎないと思いますが、現実に今やスキーを
する人が絶滅危惧種扱いの変人のような扱いになりつつあるのを
今シーズンは感じ、世の中との乖離を感じていました。
以前は大衆の冬のレジャーの代表であり、国民の最大の楽しみの
ようにさえ思われていて、ゲレンデに行きさえすれば恋が芽生え
楽しい世界が待っていると思っていたのははるか夢の世界のことの
ようです。
そして、ゲレンデだけでは飽き足らず、山スキーがブームになっていると
報じられて、連休にはそういった人が誤って谷に落ちて死亡するという
ニュースも多く聞くようになりました。
かつてはゲレンデ外に出た若者や韓国のグループが救助を安易に
求めてその費用が払えなくなっているとかその発展系として山に行った人が
そのまま帰らないとかスキーを巡る報道は実際そんな無法者や変人と
変わらない扱いになったと感じたのです。
とあるHPでそのスキーをやり続ける人とやめてしまう人の違いを解説
しているものがあり、一通り読んでみましたが、それがパラレルを
習得するかどうかであるとなっていました。
つまり、パラレルを習得してどんな斜面でも安全に降りてこれる技術
を身につければ楽しく生涯の友とできるスポーツであるが、その前に
挫折してしまうと楽しくないと二度とゲレンデに訪れようとしないと
いうのです。
一面正しいようですが、私自身25歳から38歳までの間は一度もスキーを
していないので、やはり別の原因で人はスキーをやめてしまうような
気がします。
いずれにしろみんながみんな同じ方向を見る必要もないのを強く
感じます。
というのは、市議会報告に着ぐるみ予算を計上というのを見つけた
からです。
どこでもやっていることをいまさらやる必要などないだろうに、なぜ
秩父は秩父の良さを秩父なりに表現するという発想がでてこないので
しょうか。
考えて、インラインスケートをやったり、それが発展してランニングを
したりしました。
そもそも、夏場に代替トレーニングをするということで車のついた板で
滑ったり、キャタピラーだったり器具も特別のものを用意するという
ものもやりました。
ですが、最近は人工芝を敷き詰めて板はそれ用にエッジを幅広くした
ものを用意するというのが増えているようです。
私も一度やりましたが、春のスキーより板をつかまれたようになり
転倒しそうになりかなりの危険度の高いスポーツに感じました。
しかし、慣れると冬のスキーと同じようなターンができるようになり、
滑走感覚もカービングターンと同じようにずれないターンの練習に
なるので効果があるのかと思わせます。
今では、所詮代替トレーニングはスキーのできない欲求不満を
晴らすだけのことに過ぎないと思いますが、現実に今やスキーを
する人が絶滅危惧種扱いの変人のような扱いになりつつあるのを
今シーズンは感じ、世の中との乖離を感じていました。
以前は大衆の冬のレジャーの代表であり、国民の最大の楽しみの
ようにさえ思われていて、ゲレンデに行きさえすれば恋が芽生え
楽しい世界が待っていると思っていたのははるか夢の世界のことの
ようです。
そして、ゲレンデだけでは飽き足らず、山スキーがブームになっていると
報じられて、連休にはそういった人が誤って谷に落ちて死亡するという
ニュースも多く聞くようになりました。
かつてはゲレンデ外に出た若者や韓国のグループが救助を安易に
求めてその費用が払えなくなっているとかその発展系として山に行った人が
そのまま帰らないとかスキーを巡る報道は実際そんな無法者や変人と
変わらない扱いになったと感じたのです。
とあるHPでそのスキーをやり続ける人とやめてしまう人の違いを解説
しているものがあり、一通り読んでみましたが、それがパラレルを
習得するかどうかであるとなっていました。
つまり、パラレルを習得してどんな斜面でも安全に降りてこれる技術
を身につければ楽しく生涯の友とできるスポーツであるが、その前に
挫折してしまうと楽しくないと二度とゲレンデに訪れようとしないと
いうのです。
一面正しいようですが、私自身25歳から38歳までの間は一度もスキーを
していないので、やはり別の原因で人はスキーをやめてしまうような
気がします。
いずれにしろみんながみんな同じ方向を見る必要もないのを強く
感じます。
というのは、市議会報告に着ぐるみ予算を計上というのを見つけた
からです。
どこでもやっていることをいまさらやる必要などないだろうに、なぜ
秩父は秩父の良さを秩父なりに表現するという発想がでてこないので
しょうか。