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King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『ぼくには数字が風景に見える』

2009年07月12日 23時20分32秒 | 読書


『1Q84』を読み終わり、次に読んだのがこれです。
今日の新聞に、なぜ1Q84は読まれるのかという記事が
ありましたが、つまらない内容でした。

大体内容がないとか共感できるものも文学的感動も
ありません。

なぜこれだけヒットしているのか、これは出版社と
イスラエルとノーベル文学賞に一番近い作家という
ブランドを確立したからに相違ありません。

『ぼくには数字が風景に見える』は、本屋の店頭で
これはと思いどうしても欲しくなり買ってしまいました。

タイトルからどんな本を想像されるでしょうか。

私はカバーにあったその風景というもののスケッチを見て
さてさてどんな本なのかと大変興味を持ったのですが、
作者は癲癇持ちで、サヴァン症候群で、アスペルガー症候群で、
ゲイという人の本です。

そういう人が自ら語ったその数字が風景に見えるという頭の
中はどんなになっているのかあのレインマンを見てから
ずっと知りたいと思っていました。

映画レインマンからサヴァン症候群の人の特集がよく組まれる
ようになったので、どんなものか広く一般に知られるように
なりましたが、そのものすごい計算能力やカレンダー能力は
どのように計算しているのか。

まさか風景とか色つきの形になっているとは。

と、最初は驚きどんな本の中と思ったのですが、読んでいくうちに
段々出来ない人の言い訳を聞く本になってしまい大変
がっかりです。

本人にしてみれば障害を抱えてこれだけできるようになり、
大変誇りに思うと書かれているのですが、どうもそういう
よかったよかったという話しでない様に思います。

私としては、その特殊な能力を使うときに実際にどう
計算していたり、同じ計算でもこういうことはできて
こういうことはできないという明確な説明をもっと
期待していました。

例えば、よく番組で暗算能力を目の前でやってみせる
のも、別にあらかじめ答えを用意しておけばいくらでも
できるものですし、もっと能力としてこんなこともできると
いうものはいつもないのです。

本当に特殊な能力があるのかは実際に解りやすく本人の
説明を聞いてみたいところです。

これは別に脳を切ったり電極を挿して調べなくても最近は
色々な画像診断装置があり、かなり色々な調べ方ができる
ようになっていてもっと科学的に調べた人もいるはずなのに
詳しい話や現実のボケとか脳の障害に福音となるような
研究成果が報告されていません。

実際には、きっと研究が進んでいることと思います。

それは、脳の中の幽霊という本を読めば解ります。

霊視とか宗教的な啓示とか宗教的なイメージはそれをみせる
脳の部分がもうわかっていてそこを刺激すると霊感を得た
とか、霊的なものを見るそうです。

昔から芸術家に癲癇持ちが多かったり、ゲイが多かったり
というのも脳の働きとして説明できるだと思います。

そんなことを考えていたら私も小説のプロットをひとつ
思いつきました。

側頭葉の働きを活発にすることで脳にターボをかけて仕事を
する人が現れるというお話です。
そのうちちゃんと仕上げます。

パシヴァとレシヴァ

2009年07月05日 23時10分57秒 | 読書
昨日の久米宏のラジオなんですけどで
『1Q84』に触れていました。
『ノルウェイの森』の朗読から始まり、そして
ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』をかけて
『1Q84』も朗読しました。

久米さんは、まだ下巻の半分くらいだといっていました。
ずるいんだよ、サスペンスとラブロマンスとその
二本立てでくるんだよと楽しそうに話していました。

ネットの読書感想でもいつものことながら、何の
ためにもならないようなものばかりです。

読み終わりました。よかったです。

今回も堪能しました。

何を堪能したのか言ってみてくれよ。

何か感動させてくれることが書いてあったのか。

お前はその本で人生が変わるくらい何か考えた
のか。

まあ、ネットなんてこんなもんですよ。

それに、一番最初に読んだ活字の書評もこれだけ
売れている本にけちをつけるだけの勇気のあるものはなく、
敵を作りたくないのか痛烈な批評なんて最近はお目に
かかれないのです。

私が一番最初に読んだのは日経新聞ででした。
私は、上巻の終わりの方だったでしょうか。
まだ売れている最中にその結末とその結果得られるである
物についてズバッと触れていました。

これはある意味、読む価値があるかという意味にも
とれるものですし、日本でこれを読まないと世の中
についていけないとも取れるような内容だったと思います。

でもそんなどうでもいい書評が今の時期必要なのか。

私は異例の今回の売り出し方と実際の売れ方。

これは、前回のカフカでネットで実況中継のような売り出し
方をして、最近の注目のされ方や現実の行動がニュースに出た
ことで、計画されたものだと思います。

全てを謎にして読者の渇望をあおり、最初は売り切れですと
言う演出で余計世間の焦りをあつめ、それを宣伝としてがっと
山盛り店頭に乗っけて売りに売ったということでしょう。

書店は久々に売れたヒットをいつまでも続けたいでしょうし、
関連した出来事を仕掛けとしてブームを演出したいところでしょう。

カフカの時のようにあまり知られていないクラッシックの
曲を物語のキーのように使い、そのCDも売れてしまうという
ニュースをマスコミが流し、ブームをあおりましたが、
今回はカフカほど曲に興味がわくような使われ方はしていなくて
いかにもブーム演出の臭いがします。

それに、物語が年代的に日本が一番元気だったころの話なのに
それが伝わらないで、その時の暗いものばかりを集めている
のもなぜ84年なんだ、何の意味があるんだとなります。

仕事人のような殺し屋や、塾講師で小説家の卵のモラトリアム
人間、高校生芥川賞候補者、農園のような共同体、セクト争い
で仲間を殺してしまう過激派などなど、みんな聞いたことの
ある出来事ばかりであり、手垢にまみれたテーマのようにも
感じます。

こんな本が何でこれだけ読まれるんだろう。

これがまず浮かぶ疑問ではないでしょうか。

ひとつには久米さんも言っていたサスペンスであり、過去
実際起きたような事件や団体を扱っていただけに、どこからクレームが
飛び込んでもおかしくないような物語がどう転んでいくのか、
そんな期待も持たせるからでしょう。

実は、私は後数ページを残すところですが、これを読まずに
とってあります。
それは、いくつか事情が重なったのですが、久米さんのラジオ
でひとまず触れておきたくなったのと、タイトルのパシヴァと
レシヴァの意味が解ってしまったからつい書いてしまったのです。

またちゃんと読み終わって色々書きたいですが、まずはここまで。


おいしい珈琲を求めて

2009年06月23日 13時01分55秒 | 読書
『1Q84』をほっぽり出して、読んでしまった
『コーヒーに憑かれた男たち』ですが、読み終わりました。

こうなると近くにおいしい珈琲屋さんがないか探したり
しました。

家の珈琲よりおいしい珈琲屋さんはそうないのに。

本を読んで感じたことは、最近の珈琲屋さんにお客は
何を求めているのかということです。

御三家の珈琲屋さんのホームページを見てみましたが、
珈琲の御三家と称された面影もなく、よくありそうな
今風のお店を思わせる感じです。

つまり色々なアレンジ珈琲やカプチーノなどの珈琲が
メインの印象を受けます。

一言も一味違う珈琲を宣伝していません。

今の人は、おいしい珈琲を求めていないのか。

地元でおいしいと思われる珈琲屋さんは、一杯500円
しますが、他の珈琲専門店などは700円から1000円と
なっています。

これなら豆をネットで買って自分で淹れた方がいいですよ。
産地もおいしい珈琲を高く売るという気持ちもない様で、
とにかく毎年収穫が確保できて、機械等で効率よく収穫
出来るよう考えているようです。

それにより、最近はおいしい豆というのがますます少なく
なり、昔のようにおいしい珈琲豆自体に出会えなくなって
いるそうです。

日本人経営の農園とか自然農法の豆とか確かに特殊豆は
でてきていますが、取り寄せて飲んでみても高級豆より
うまいかというと何か物足りないものばかりです。

今やスペシャリティ珈琲がネットで買えますから、それで
満足しているしかないのでしょうか。


「秩父カフェ&アートカルチャーガイドブック」

2009年06月03日 13時53分26秒 | 読書
『秩父カフェ&アートカルチャーガイドブック』



秩父のカフェだけで150件の情報というところに惹かれ
いろんな人が宣伝始めたときに買いそびれたものが今日
地元の本屋さんに並んでいたので買いました。

今日本屋さんには、村上春樹の新作を見に行き
ましたが売ってなくて、これを見つけたというわけです。

ざっと読んでみた限りでは内容は情報が公平で深く一般的な
範囲でさらってあるという感じでなく、よくあるガイド本の
何らかの声がけに手を上げた人を載せたような、ちょっと
網羅的というには偏りがあり、もっとここまでのっけたか
という感じがほしいと思いました。

ガイドブックながら、地図のありかが中々わかりづらく
ガイドブックとしての能力は低いといえます。
私の知らない芸術家とかお店も多く、反面知っている芸術家や
ミュージシャンなどが落ちており、ここら辺をどうみるかで
この本の評価は変わるでしょう。

秩父ファンなら持っていてもいいかなという感じでした。

剱岳-点の記

2009年05月26日 10時45分56秒 | 読書
剱岳-点の記



この本を読もうと思ったのは、日経文化欄に南木佳士が登場して
湯治に持参した本がこの『剱岳-点の記』だったのです。

なぜこんな古い本をと思いましたが、間もなくこの本が映画化
されていることを知り、なるほどなあと思いました。

剱岳というのは今でこそ登山道が確立して、普通に登れますが
明治の当時は登れない山だというのがどうも意外な感じを
受けました。映画の予告編では、地図の空白を埋めるためにとか
未踏の山という言葉が出てきてさらに意外でした。

日本の山に未踏の難しい山などあったのか。

調べてみると難易度は今では高くなく、逆に最高難度に近い
山は身近にあり、素人では登れない山として二子山がありました。
これは私が先日登った山でなく、群馬との境にある山です。
しかし、これとて岩登りの練習用としてのことであり、普通に
登山道をたどれば登れない山ではありません。

そんな登山とは関係なく、湯治に読む本というところで
のんびりと湯につかりながら読むのによい道連れになる
本とはという興味から読み出したのでした。

久しぶりに小説らしい小説を読んだという気がしました。

日本人好みの生真面目で全うな主人公が様々な困難を排して
与えられた使命を果たすというもので、なおかつそれを
果たしても正当に評価されないという世の矛盾とつまらない
権力構造や役人体質なども批評して世の中でこつこつと
努力を続ける市井の人を感動させるというものです。

小説ならではの虚構の部分や悪の役人と善の役人の対比など
あまりに露骨な感じもありましたが、最後の取材の過程などを
読むと虚構だと思われた賽銭を上げに来た湯治客の話など
作者が掘り起こさなければ歴史の闇に埋もれた事実だったと
知ると作者が本当に書きたかったのは、役人の仕事の本質と
いう部分だったのではないかと思います。

主人公が果たした成果としては、ガイドブックに名が載る
など明確な結果が残っているのにもかかわらず、敢えて
まだ正当に評価されていないとする多くの登山家や山男の
人達の欲求は何だったのでしょうか。

苦労したのは解りますが、それは仕事であり、仕事で困難な
使命を日夜こなしている人は何も測量士ばかりではないし、
山に最初に登ったからといって何も偉い訳ではありません。

まして、今のように金さえ出せばどんなところにでも簡単に
行けてしまうとそのありがたみや昔は苦労したということも
ただの昔話でしかないような気もします。

私のように日経の記事を読み、この本を読んだことから
剱岳にも出かけてみたという人もネットで見かけましたが、
私自身は、そこまで強い感動もなく、室堂辺りにスキーに
行こうと以前から思っていたものの、山登りまでしたいとも
思いません。

いつかあれが剱岳かと眺めることはあるかもしれませんが。

『許永中 日本の闇を背負い続けた男』

2009年05月19日 10時56分14秒 | 読書
『許永中 日本の闇を背負い続けた男』森 功



久々に店頭で見かけて読みたいと思った本です。

ですが、内容は週刊誌のようなもので、読書という
感じで読む本でなく、ちょっと興味があるから医者の待合室
のように突然止められても苦にならないそんな時間に読む
本だと思います。

というのもこれは週刊誌の記事のように、事実のドキュメント
でもなければ、良く精査された経済小説でもありません。
伝聞や残された証拠とされるテープや怪文書やそれらの痕跡を
ただ積み立てていって過去にはこんなことがあったという
スクラップブックのような趣です。

これを読んでも事実にはたどり着けなくて、世の中の闇を
覗いたという実感もありません。

それでも、知らない世界を人は覗いてみたいと思うし、新聞では
解らない世界を知りたいと思うのです。

それはこれらの事件の断片から、我々自身が想像するしか
ないのですが、これだけヒントをもらえば、経済の最前線と
闇世界のかかわりを想像することができます。

その想像も投資ファウンドと六本木ヒルズの紳士たちのかかわり
のように最近の経済事件に闇世界はどうかかわったのか知りたいと
思うのは自然の流れでしょう。

つまりは、不正融資という政治家や闇世界に流れる金は今でも
続いているのかということです。

巨大資本では投資に失敗しても国が助けて
くれるというおかしなことが今また繰り返されています。

それも、資本主義の最先端の米国ですら、フォードやらGMやら
かつてのトップ企業に税金を投入しています。

そんなの闇を覗くまでもなく、大企業になれば何でもOKなんだ
という間違った常識が確立され、大企業なら政治家やら危ない人に
金を貸したり、自分の友人知人の会社に投資したり、なんでも
ありなんだということになり、小さな会社でがんばっている
世の経済を支える一般人の苦労ばかりが残される現代に、
格差を拡大し老後に夢のなくなった今の社会の
反省を促したいという気分がいや増します。

『宇宙創成』サイモン・シン

2009年05月17日 00時41分13秒 | 読書
『宇宙創成』サイモン・シン


この本は、私に新たな概念を持たせてくれました。

それは長く悩んでいた宇宙像です。

知識として、我が宇宙は膨張していて、各銀河は
恐ろしい速度で遠ざかっているというのは今までの
読書経験から知っています。

しかし、地球から見て等速度にみんな遠ざかっている
のなら地球は果たして宇宙の中心にいるのか。
相対性理論から遠くの銀河ほど早く遠ざかっていると
なると宇宙とはどんな形をしているのか長らく謎でした。

この本は、その疑問にも答えてくれました。

またもうひとつ長く悩ませてきたのは、重力の問題です。
なぜ、地球は太陽の周りを回っているのか。

人はそんなの簡単だよ、引力というものがあり、周り
続けるんだよといいます。

しかし、そんな人にじゃあどうして月は地球に落ちてこないの
と聞いてもそんなのしらねえというだけです。

どうして、月は地球に落ちてこないのか説明できない人も
是非この本を読むといいでしょう。

そしてもっと重要なこととして、ガリレオの異端裁判をした
時と今もまったく変わっていなくて、ビックバンがより進んだ
宇宙論でその歩みを知るにつけ、実際には何も解っていない
ガリレオのそれでも地球は回っているといったときと何も変わって
いないという思いを強くしました。

人類は全て知っているように地球上で暮らしていますが、その実
肝心の所は解らないまま何もないところから突如爆発が起きて
、今の宇宙ができてさらにその爆発の後宇宙は膨張し続けて
いるといいます。

日本人は、無宗教で無神論な人が多いから、神のために死んで
しまったり、大統領に就任するのに聖書に誓ったりする人達を
みてもちょっと馬鹿にしてみてしまうように、宇宙の創生に
ついても神の力が必要なのを馬鹿にしてしまいます。

しかし、やはりビックバンという理論を得てもやはりなぜ宇宙が
できたかというものについては、科学とか理論とかの果てには
人知を超えたものが顔をだしてしまいます。

その神話ですら日本では、せいぜい日本の島ができた話までで
宇宙や星の話は出てきません。その点聖書などでは宇宙のことも
タイムスケジュールつきで語られているところはそのスケールと
ともに認めなくてはならないでしょう。

そのキリスト教と物理法則や宇宙感が衝突してきた歴史を知る
のにもこの本はもってこいです。

どのように人類が身の回りの世界から宇宙へ目を向け、謎を
解いてきたか、人類がどのように科学して宇宙を眺めて
来たのか知ることができます。その卓越した物語の整理と
語り口は『暗号解読』でも実に見事でしたが、今回も井戸を覗いて
太陽までの距離を測ることを見出したところから、ビックバンまで
一気に読めてしまいます。

最後は、ビックバン理論が世の主流となり、この先もあと
50年は取って代わられることがないだろうという予想を
掲げますが終わり方は駆け足で終わってしまったように
思います。

そのそしりは自分でも感じたのか、『ビックバン宇宙論』と
いう本を書いています。

海の伽耶琴

2009年02月22日 12時11分03秒 | 読書
日々、目のかゆみやくしゃみ鼻水がひどくなり、
薬を使っているものの、今年は効いている感じが
しません。こうなるといつも熱ぽい、ぼーっとした
感じでとても不快です。

スキー場ではこういうことがなく、やはり花粉の
威力に恐れ入ります。薬は年々新しいものが出ており、
治療法も毎年色々出ています。私の点鼻薬、目薬と、
クラリチンの三点セットももはや古いのでしょうか。

もう数週間前になりますが、日経新聞に本の批評の欄に
『海の伽耶琴』のことが載っており、読んでみようと
探したら、ネットでは注文できず、何でか調べてみたら
これは2000年の発刊ですでに在庫切れとなっているとの
ことでした。

検索すると復刻で投票されていました。そんな本が何で
いまさら新聞に触れられるのか、その記事の真意を改めて
気になりました。最近の歴史ブームと大河ドラマによる
戦国時代の脚光により、異説というかあまり注目されない
韓国へ派兵した武将の生涯のそれもまた異例の集団の話を
是非紹介したかったのと、韓国ではこの本がテレビで紹介
され、取材班が日本に来たりして注目されたという経緯
らしいです。

しかし、日本ではその本を読むことができないと。

最近の本の移り変わりというか出版界のその時に売れるだけ
しか作らず在庫にしないという本の賞味期限がどんどん短く
なり、本の持つ性質も変わりつつあるという印象を持ちました。