
大きな注文をこなし足りなくなった豆と資材を注文したらまた今月も赤字かと思ったら気分を変えなくてはやっていけない心地となりまず、ミューズパークへ出掛け、そして映画をアマゾンでみてさらに気分が複雑なものになってしまいました。みたのは『ブレットトレイン』弾丸列車とは日本の新幹線のつもりらしいです。日本が舞台なのにあまりに日本らしくなく我々日本人から見たら日本てこう思われてるの?となる映画です。それを無駄に豪華と思われるすごい俳優を惜しげもなく投入。おばかムービーのごとく話が展開するもののなぜか良く作られている構造がしっかりしている印象。そしたら伊坂幸太郎の原作だったのです。日本人の目から見たらみた風景もなく明らかに作られた新幹線で妙にケバく中国人が製作したのかというような毒々しさがあるのですがブラビ主演とか真田広之といった大御所が出ているしただのおふざけではないはずと最後までみました。昨年公開の映画で、公開時にブラビが来てヒット祈願で護摩行をしたニュースをみた記憶も新しくもうネット公開されてると思ってみたのです。
いつものショッピングモールのシネコンで映画を見るなんて何でもないことが
随分特別なイベントに感じるこの頃です。これもまた一つ取り戻した楽しみと人間らしい生き方と外出の喜びです。そして知るのは今までなんと幸せな時を生きていたのだろうということです。
今では外出するのも旅行やスキーと温泉など夢のようなでき事で、それを今までは月何度もできていた事も地震や台風といった災害や気候変動でこれから
楽しみが元に戻るという希望もコロナ禍で失ってしまったことを気付かされるばかりです。そして失ってその意味を問うということを繰り返すのですが、今回食事をいつものちゃんぽん屋ですると今までは大盛無料がなくなっていたり、映画の券での割引も少なくなっていたりとお得感が減ったばかりかやはり今まではいい時代を生きていたんだという思いをすることになるのでした。
さて、店を終い出かけたいつものシネコンで見たのは『ノー・タイム・トゥ・ダイ』です。いつものシネコンといいつつ二年ぶりでしょうか。前作のスペクターで組織のトップは始末して終わっているのですっかりボンドが殺したものと思っていたら組織は残っていてしかも首領は特殊刑務所の中からまだ組織をコントロールしているというので南の島で引退生活をしているボンドにお声がかかるのです。
映画はその5年前の地中海のどこかでデートをしているところから始まり、そこで前の恋人でありカジノロワイアルのボンドガールのお墓詣りをすると突如爆破されスペクターの殺し屋が襲うという展開になり、デートの相手が原因かとこの恋人マドレーヌと駅でお別れするという始まり方でこの時のボンドカーで敵に囲まれガトリング銃がヘッドライトから現れてドリフトターンしながら銃撃して一掃というテレビCMにも登場のシーンでこのイギリスのMI6とか00機関とかどんな組織と思ってしまうのですが、映画で使われた車が映画館に展示されているとかファンにとってはやはりみたいものの象徴なのかもしれません。
もちろんありそうもないことで実際敵に囲まれた時にこんな解決法ができたら痛快です。
このマドレーヌとの出会いとかは描かれないのですが、マドレーヌの幼少の時のスペクターの殺し屋だった父男に家族を殺された男に復讐され母親を殺され幼少マドレーヌは銃で反撃して外に逃げるも湖の氷が割れて転落してしまうというシーンは出てくるけれどその後どういう成長になったかボンドとどうして知り合いそれは仕組まれたものなのかという経緯は説明はありません。ボンドは墓が爆破されたのもマドレーヌのせいと思い別かれることにしてひとり引退生活をしているとかつての盟友でCIAの男にまた一緒にスペクターをやっつけようとオファーを受けるのです。そして新007との接触の後、調査を依頼された島で007の復帰でなくCIAに協力しスペクターの首領の誕生日パーティーで命を狙われ危機一髪脱出し一方Mはこの事態に怒りボンドに出頭を求めるわけですが、このシリーズで新Mを演ずるレイフ・ファインズはハリーポッターのヴォルデモートを演じていたわけですがあの時の鼻のないメイクでの存在感よりこのM役がよく似合います。官僚的でありながら元軍人らしい現実的対処に優れシリーズを通して組織の中で頼れる存在に感じられます。今回最後の決戦の地がロシアと日本が領有を主張する島ということで第二次大戦時生物兵器が製造されていたところなんだとか。戦時中毒ガスとか生物兵器を日本軍が開発というのは実話でが、世界的にはその後沖縄戦後本土上陸に際して大量の毒ガスを用意したのはアメリカであり、それも青酸をガス化したという簡易なもので確実に一般人を殺戮する目的で用意されたことは知られていません。中国はハルピン市に「侵華日軍第731部隊遺跡」という施設を作り日本軍の悪行を示す記念館としていますが、内容がただしいかどうかより被害者意識や日本のイメージ低下を目的にしている歴史的史実や記録というには内容が伴わないものという中国らしいものとなっているようです。とりわけ日本だけ国際的取り決めを違反して科学兵器をしようした悪の傀儡のようなものは意味がなく、今でもテロや戦争で毒ガス兵器は使用されており、日本でもサリンによる地下鉄事件があったり金正男が暗殺されたりと現実に使用もされています。
映画で気になったのはそんな歴史的なものにふれ生物兵器が今もそこで生産されているというその施設が日本テイストで作業員が日本風にお辞儀したり、石庭のような枯山水の日本庭園があったり、組織のボスと対峙するシーンが畳の部屋だったりします。そして忍者屋敷のように土下座したボンドが突如銃で撃ってくると畳の下に消えたりと日本風があふれています。これは監督キャリーフクナガによるところが大きいのでしょう。彼は日系三世で北海道に六ヶ月くらしたこともあるとか。さらに映画直前に直島の美術館にインスパイアされたとか。そんな変な島でロシアの島で日本も領有権を主張しているところにイギリスの戦艦からミサイルを発射したらこれは戦争行為でとんでもないことになってしまうでしょう。それをMの命令だけで発射できてしまったりそれがクラスター爆弾のようなミサイルだったりと見ていてはらはらとしてしまうような映像です。これがクレイグ最後のボンドの結末かという終わり方ですが、いつものようにエンドロールの最後にJeims Bond will reternの文字が出るのです。
最後QとかMマギーペニー新007らが集まり献杯するシーンがあるものの、実際ボンドの生死もサフィン役のラミ・マレックの生死も不明です。生物兵器の取引きや工場は破壊されたのかも実は正確に阻止されたともその後戦争になったとも言っていませんので、この後どのようにも展開できるのです。
一挙にあらすじとネタバラしもしてしまいましたが、ここ数日のカジノロワイアルからスペクターまで見返してのこの最新作鑑賞は実に楽しい時間でした。
またひとつ楽しみを取り返したようなお出かけにもなりました。ラミ・マレックはミスターロボットの人で存在感があり、なんでマドレーヌを助けたんだろうとかマチルドを捕虜にしてたのになぜ途中で放り出したんだろうとか疑問な行動も多く、それがラミだったらそうなりそうというところが妙にすんなりと心に落ちるような結末へのラッシュです。ただ、畳での土下座からの反撃とか日本風ではあるけれど日本人感覚からすると違うというか違和感を持つシーンもあります。どのサイトや感想ブログでもキューバのCIAエージェント・パロマ役アナ・デ・アルマスに触れたものは少なくたった3ヶ月の訓練にしては完璧に作戦を遂行して魅力もアクションもたっぷりという彼女にぴったりの役でした。もし映画に行く人はスペクターの復習をしていくべきです。
今現在の当店の珈琲の在庫はどれも素晴らしいものばかりで
よくもまあこう連続でよい豆に当たると思えるほどの豆ばかりです。
熊木の頃はそれぞれを試飲していただき、その国の事情から最近豆の
流行りようや味の傾向など詳しく説明していたのですが、コロナですっかり
試飲タイムが減り、接客時間も短くせよとの行政のコロナ対策のおかげで
なんともそっけないものとなってしまっています。
それなのに、このブログで読んだとその意味を問う方や、あらためて説明を
聞きたいという方もいて最近はお客様の向上心というか豆に通じた方が増えた
ように感じます。
ニカラグアの傾向などもそれに即してよりスペシャルティとしての質を上げたと
いえますし、その味の変化とそれでもなくならない特徴をとらえているとまた
楽しいものです。ただ、それが一般に説明てもなかなか理解されていないのも
感じるのでやはりそういったところは試飲で説明したいところです。
さて、そんな珈琲時間ですが、そもそも私の珈琲に対する味とその向上の源泉は
日々の感動にあると思っていました。ですから、音楽会や展覧会などで上質な芸術作品にふれ
いつも感動を新たにすることは必須なこととし常に心掛けていたところです。
ところがこの一年コロナ禍で世の中一変し、各催しものはすべて中止になり、展覧会
さえも中止になっていました。
バスケットの試合や練習もできなくなってそんな中、日々ある珈琲を飲んでホッとする
豊かな時間だけはつづき、より一層その豊かさとありがたみを感じたりしました。
そして思ったのはいつもあった当たり前のことがなくなってもそれを求める心や探求する
こころがあればどこかでつながり、どこでもまた感動する心と通じるということです。
この間のBS放送復活の事件は私にコロナ禍も同じでコロナ収束で元に戻っても結局それは
待ち焦がれそうなればより強い喜びと新たな視点などが現れると考えていましたが、この
事件でそれは一年前に当たり前のことが当たり前に戻っただけで何の感慨ももたらさなかった
とおり、コロナ収束後の世界もなんとなく予想がついてしまいました。
そればかりか、人類はもっと違うことを考えて世の中を変えていかなくてはならないのも
強く感じました。
さて、そんな中私の今の自由時間で触れたものを書いておくとアマゾンで見るビデオで
『ミスターロボット』が強く印象に残り楽しめました。
これは2015年の米が舞台でもう何年も前から私のお気に入りリストに入っていた作品ですが、
よいよ見るものがなくなり見始めたのです。
題名からアンドロイドがAIの暴走で人類と対峙するような物語りだとずっと思ってみる気
もしなかったのですが、いざみてみると実にスリリングで現代を切り取っているという物語
で気に入りました。
話は正義のハッカーの物語で昼は普通に働き、夜はそのハッキングの技術で悪人を摘発しては
匿名で通報しているという正義の味方の話ということなのですが、実のところその悪と戦う
対象が最初は字幕では悪魔コープといわれている企業なのですが、それがはなしがすすむと
Eコープに変わり、そもそもその悪魔コープの重役が環境破壊があるのを承知で放置したため
死んだ親の敵を討つという話から始まり、いつのまにかそのサーバーが中国にありそこのデータを
消すために国際的ハッカー集団の手を借りてそれがいつのまにか世界の実権を握ろうとする
中国の政治家とその手先のハッカー軍団という構図にすり替わり、それを止められるのが
主人公しかいないという戦いになるのですが、そもそも誰と戦い誰が味方でというのが
ころころと変わり、主人公は刑務所に入ったり警察に追われテロを主導したりということで
何が正義で何が悪なのかというのも物語についていくのと同様重要なテーマとなります。
主人公の父親役がクリスチャンスレーターでどこかで見た顔だと思ったら年取ったなあと
思っているうちその存在感を増していくのはさすがたと思いました。プロデュースにも
名が挙がっていました。
印象深いのはドミニカのギャングにつかまり自分をニューヨークを牛耳るボスにしろと
言われ協力を迫られるのですが、企業は銀行の言いなりでみんな誰かの借金のかたに
抑えられており、何一つ自由な人などいないというところが資本主義の本質を突く言葉として
響きます。このドラマの本質というかスタイルは昔のチャップリンやキートンの映画と同じで
追っかけっこなのです。
そして痛快に感じるのは、主人公が強大な敵に対峙しいつもギリギリな戦いと逃走を強いられ
ているのに警察にも敵にも捕まらないで逃げ切るのです。
その警察と逃亡シーンは今までの映画史にもないようなアクションでただ走ってにげるだけ
なのに実によくできたシーンなのです。普通現実世界では警察に追いかけられた逃走犯は
空からも見張られ無線で先回りされその数の多さからも逃れられないのが普通です。
それが走って車にひかれそうになりながら人にぶつかり崖を転がり逃げ切るのです。
これが人々が見たがっているものなのだという気がしてきます。何物にも捉えられず
逃げ切る行動力と圧倒的な力特別な能力が危うい世界と現代をあぶりだすのです。
先日訪れた久しぶりなお客様がブルーマウンテンはありますかという質問でした。
これは未だに古いコーヒーファンの方から寄せられる現代を知らない人の問いです。
根強いブルーマウンテン信仰も現在の状況を知らないで発せられているのか、世が
スペシャルティブームで世界がパナマのゲイシャに熱狂して次のゲイシャを探す
中で発せられるのとはまた問題が違うのですが、秩父で聞かれるこの問いの場合、
前者のものが多く、ただ単に高いコーヒーが欲しいだけという単純な帰結におどろく
ほどのつまらないはなしですが、まあそれを詰まらないとできないところがコーヒーの
話です。
単純に飲めば解る話とずっと思ってやってきましたが、ことはそんなことに収まらないのです。
なんでも権威とか名前とか虚無のものに支配されていることもあるのです。それが簡単に
はらせると思って試飲という方法でやってきましたが、またよい豆を安く提供することや
味に基づいた値段設定もずっと心掛けてきたことであり、今の200g5000円のブルーマウンテン
など売る気になれません。ところが当店のイルガチェフのたった1700円でこの味はどう言い表したら
いいのでしょう。コンテストやカップオブエクセレンスでいくらでも高い豆はありますが、
うまくなければ意味がないのです。ということでずっとやってきました。当店にもカップオブエクセレンスや
コンテスト豆は実は秘蔵されています。ブルーマウンテンも1K程度はいつも持ってはいたのです。
私のように自分の舌でその違いを確かめたいという人のためにとっておいたのです。まあそれも
そろそろ使命を終えたと感じて現在の状態になったのですが、それでもなくならないブルーマウンテンの
注文というのは不思議なものです。どうしてもということならいつでも入れられるのでいくらでも
高くてもいいからという方は注文してみてください。
信じられないような出来事がベースに映画化とかドラマ化され
映像化されることは珍しくありません。このアマゾンで見た
『Fargo』は長い間ウオッチリストに入っていたものの見ないでいたシリーズです。
24を見つくしてよいよ見るものがなくなり、アマゾンプライムも解約かと思いだした
時になんとドコモの契約でプライムが一年延長になりそれならばと見始めたのが
この『Fargo』でした。アリゾナの何もない田舎町に起こる連続殺人事件ですが、
なぜアリゾナなのか、何の説明もないままただ冒頭にこれは真実の話で、ただ生存者の希望で
名前を変えておりその他は死者の尊敬を込め忠実に再現したというテロップが流れます。
しかし、ドラマはトンデモ話であり、本当に起きたのか、そんな殺人者がいるのかと
いくら田舎の警察だからそんなバカばかりで悪を野放しにして、真実が暴かれないと
いうのもおかしく見ているものをいらいらといつ正義がなされるのかという気持ちにされ
悪に染まる主人公に同調していいのか、ただひとり真実が見えている副所長の存在が
唯一の頼りなのですが、捜査関係者とデートしたり、見た目がいかにもアメリカ人の
肥満体形だったりヒロインとしての要素が薄いのです。しかし、事件はこの副所長の
捜査で真実に近づき悪は駆逐されるという結末です。
このドラマはコーエン兄弟による作品ということで、スーパー殺し屋が例によって
出てきます。その殺し屋のポリシーとか閑念とか台詞のはしばしに文明論とか社会とか
メッセージが現れるのですが、暴力のなしてきた役割とか米国の社会とか銃によって
築かれてきた物を考えないわけにはいきません。
米大統領選のたびに銃が大量に売れるという事実や銃を所持する権利が憲法にある国と
いうのも実に独特です。
つまり、最初に出てくるこれは真実の物語というのは実際に起きた犯罪を忠実に描いた
という意味ではないことが見ているとわかります。
何しろシリーズにはUFOが現れたり、アポロの月面着陸はスタジオでの撮影だったという
シーンなどがでてきます。
そしてシーズン3ではそのお決まりのテロップにも変化があり、これは真実の物語であるの
trueが消えて物語であるという告白のような表示が出ます。
そこで思い出すのが園子温監督の『冷たい熱帯魚』です。これは実際に起きた埼玉愛犬家殺人事件
をベースにしており、その犯人のでんでんの台詞でかかわった親子に施す人生訓や言動がこの連続
殺人者のものとタブるのです。
暴力で解決しようとする者の共通の思考なのか世の中に対する思考なのか判断付きませんが、
現実問題に対処したときにそのような答えになるのかという妙な共通項のようなものとして
認識しました。
ですが、要はブラックユーモアであり、一つの文明批評なのかもしれません。シーズンスリーでは
悪の犯罪組織の男が持ち出す挿話に日本の小野田少尉のことも出てきます。真の戦士としてアメリカが
まいたビラを認めず30年間ジャングルで戦った戦士だといいます。ところどころ戦争についての話や
登場人物が自分はベトナムで戦った戦士だといったり、毎夜自分が撃ち殺した兵士の顔が出てくるなど
戦争にまつわるエピソードがどのシーズンにも出てきます。アメリカがどの時代でもどこかで戦争をしていて
それが銃を使う大量殺人事件につながっているのを訴えるかのような台詞ですが、それだけではないよう
です。一つ一つのエピソードや台詞が前のシーズンの登場人物とつながっていることの発見やそれが第一
シーズンが2006年でシーズン2が1978年ととんでもなく離れているけれど実はシーズン1のあの人物と
この人が同じ人と解るとぐっと物語の真実の話というのが信じてみようかという気にさせるのでした。
それでもまっとうに暮らしていてまっとうに日々努力する人にはかなわないという気にもなるそんな
結末なドラマで結局民衆の幻想が語られるそんな話なのかもしれません。
あれほど何日も前からかつてない大きさの台風ということで警戒を呼び掛け
命を守る行動をというニュースを聞き、結果過ぎていった台風10号は心配された
河川の氾濫もなく、家が流されたり土砂に埋まった家のニュースもまれでまずは
一安心したのでした。
しかし、ニュースでは人々の不安をあおり続けコロナ禍の避難所はどこも一杯で
よそに移れという指示を出すシーンなどが報道され、停電で熱中症でなくなるお年寄り
が出ているとか直接的被害は少なかったものの大きな影響下に未だにあるという報道です。
今回も亡くなった方は窓を補強中転落して死亡した五十代の男性とか直接暴風で飛ばされたとか
大水で流されたという方ではありませんでした。
こういう報道を見る度、災害が頻発する社会とコロナ禍と何をあぶりだすのかということを考えて
いましたが、少し変化が生まれました。これはのちに詳しく書きますが、報道では弱者ばかりが
取り上げられていて格差社会の弱いところの人々が割を食うかのような姿勢ですが、台風などは
いちいち選んでくるわけでなく、屋根に近所の鉄塔が倒れてくるのは弱者も強者もなく、強風で
飛ばされる屋根も頑丈な家だから飛ばないかといえば竜巻が起きるなどそんなの関係なく飛ばされて
いるので別に格差社会が際立つということではないはずです。
しかし、かつて中州に取り残されたキャンパーをレンジャーが必死の救助活動をしたという映像や
川べりの家が土砂とともに家一軒丸ごと濁流に飲まれる映像などみると人間の愚かさをあらわに
するかのように感じたりしました。
まあそれも何かし向けられたことかもと感じるのが今日この頃であり、新たな気付きかもしれません。
その一つのきっかけにもなったのがこの『グランブルー』です。
『フィフス・エレメント』と同じ監督、音楽の映画で世に知られるのは『タクシー』がヒットしてから
でしょうか。
私も最初監督もジャンレノも知らずに見た記憶があります。今見ると80年代の感じを色濃く感じ、あの時代の
ファッションやら全てが特異で世の中がそこだけずれてしまっていたような特別な時だったように思います。
似た名前の映画があり、そんな海を主題にした映画でサーファーとか潜入捜査とかの映画かと思ってみたのですが、
シチリアのレストランのシーンでこれは見た映画だと思い出しました。
世界ではすごい大ヒットとなったのですが、日本ではおおごけして新宿プラザでは一週間で打ち切りだったという
ことになるのですが、その後のリュック・ベッソン監督でジャンレノの映画が次々にヒットして復権し世界各地で
何度もリプリントされディレクターズカット版とかいうリバイバル公演がされました。私が見たのは映画館では
期待されたのにすぐに終演となり、テレビで早々に流れたのをみたのだと思います。
映画に出てくるファッションだとか世界をまたに掛ける恋とかいかにも80年代なのですが、それは自身の青春時代と
あわせて諸々な思い出も直ぐに上がるあまり触れたくないようなそれでいて大事な思い出の数々にはかわりないという
微妙な時代なのです。
今思うとなんであんなことしたんだろうとかパジャマのような服とかだっぶりした肩パットの入った上着とか
やたらと派手な髪形とみんなそんな格好していたことにおかし味とともに蘇ります。
映画はフリーダビングの物語で素潜りの最新記録を競う有名ダイバーの話なのですが、もともと二人は幼馴染で
幼少期ギリシャのどこかの島で一緒に過ごした中なのです。そして大人に成長した二人はそれぞれ世界をまたにかけ
活躍するようになり、大会でシチリアで再会するのですが、その大会で結末はという最後と色々な海の映像が
幻想的な雰囲気な映画です。
私はこの映画の直ぐ後い何回かフリーダイビングのドキュメンタリーとか特集を見ておりこの映画ともども記憶
していましたがそれも併せて思い出し、近年にもyouは何しに日本へでダイビングの大会が行われているのを
見たりもしています。
映画では簡単に120mという距離を出すのですが、人間の体の構造上限界深度はほぼ100mとされており
それを超えると体や精神に障害が残る危険があり、今では競技方法もその距離を競うものではなくなった
ように記憶しています。
それを思うとクジラなど同じ哺乳類でも普通に1000mでも潜れますし、到達速度も10分程で到達できると
人間が潜水艦や深海探査船で活動するよりもずば抜けた運動能力を持っています。このように人類の
進化進歩をしのぐ自然の驚異はいたるところにあり、今襲い来る災害など人知をこえたできごとだらけと
改めて思うのです。
私が毎日走るようになり、人間は陸上で一日の移動距離や速度では最高に進化してきた歴史を感じ
それを忘れてはいけないし、それを実感するためにも毎日走り続けようと思ったものです。
しかし、クジラや渡り鳥の一日の移動距離は人間をはるかに超えており、可聴周波数なども
人間の数倍あり、脳の大きさもしのぐといいます。つまり人間だけが進化したというのは誤りで
みんなそれぞれこの地球上で生き残るためにその能力を獲得していったのです。
そして今コロナ禍の世になりと人間の思い上がりというかその存在をもう一度考えることに
なったのです。増える災害についてもそうです。人間が進歩してきたといいつつひきおこしている
自然猛威の大きさは人類を生きにくくしており更なる人類の進歩とはこれらをどう克服し持続可能な
生存の道を探ることとなるでしょう。化石エネルギーを消費しきって他の星に移住するなどという
SFや聖書のハルマゲドンを持ち出すのでなく違う未来を描くことができることを示すべきです。
ポスト安倍のニュースに揺れる中、としまえんの閉園というまた一つの時代の終焉を
聞くようなニュースもありました。そのなかで見る映像はあの懐かしいユネスコ村で見た
ゴンドラシュートでゴンドラの先に乗っていた人がジャンプする技はここが発祥だったことや
狭山にできた室内スキー場は最初はここに作られていたことなども知りびっくりです。
今朝車に乗り出かけた際に鼻水が出てくしゃみが出たりしたのは昨日の午後はエアコンの中で
過ごしたせいで夏バテのように今日は朝からぐったりなのもそのせいでしょう。そんなエアコンの
中で見た『yesterday』は120秒の世界的な停電の後、現れたのは売れないシンガーソングライターの
主人公以外ビートルズを知らないという世界でした。それを知った主人公は当然ビートルズの曲を
世界に発信して念願のメジャーデビューを果たし、有名にもなり売れもしたけれど戻ってくるのは
ずっと支えられていた幼馴染の元マネージャーの元というファンタジーです。
まあ色々な権利関係やらポールはまだ生きているし、ジョンの歌は妻やらがまだ根強くなんか言ってくる
だろうしということで使われる歌は限られていてビートルズの歌の再発見とかビートルズの魅力再確認と
いう映画ではないのです。
もともと私より少し上の世代のカリスマであり、彼らがなしたことや彼らが残したことに改めて
目を向けるというより、今気が付かなければならないことを一番に打ち出したかったのだと
思います。それなのに世のビートルズファンが見たらがっかりだとか曲がどうとかありえないとか
全然意味が解っていない向きの感想が多いのであえてここで書いておかなくてはと思います。
ビートルズのドキュメントやら映画やらはたくさん作られていて彼らがなしてきたことは
ずっと見てきました。清志郎で言えばイエスタディを歌ってとかトランジスタラジオとか
スローバラードとか思い浮かびますし、アイドル系歌手にビートルズ由来なのに本人はそれを知らず後に共演を
果たした井上陽水にビートルズの魅力を知らされるなどといったエピソードは多々あり、パフィ
とかその音楽の痕跡だけでも聞くとわかるものも多々あります。
ところがビートルズファンの人がこの映画で何を怒っているのかというとまるでピント外れで
もともとなぜこの映画が作られたかは世の中が自国ファーストとかイギリスのEU離脱とか覇権に
明け暮れ帝国主義的な動きをしだしたからです。そんな現世の世界の動きに目もくれず、ビートルズが
世界に影響を与えたそもそものものは音楽で世界は一つになれるという思想でそれを実現してみせた
ことです。アメリカがまだアパルトヘイトを敷いて黒人と白人が同じコンサート会場に入れない時代
それでは演奏を拒否するといいその解除のきっかけとなったスタジアムコンサートを行った歴史的事実とか
その後そんな世界的ツアーという世界で初めてのことにも飽きインドにグルを探しに行きヒッピー文化と
反戦のシンボルになりベトナム反戦を起こしいま世界で若い女性が声を上げ環境や性差別を世界に訴える
行動にでるようになったのもみんなビートルズがなしたことです。
そういうのを理解してみないといけないのになぜか限られた歌だけとかリバプールを聖地化してるとか
生きているジョンのそっくりさんが浜辺て生きているシーンはいらないとか的外れなものが見られます。
それなら今でも生きて世界ツアーを行っているポールの記憶と活動はどうなっているのかの方が重要に
なるだろうし、他にもタバコやハリーポッターやコカ・コーラがなくなっているというのはしゃれであり
本物のエドシーランが火付け役になるというのもファンタジーなのです。
そして、All You Need Is Loveで元マネージャへの愛に気付きそのもとにすべてを捨てて戻っていくという結末に
今の現代に対するメッセージを感じるのが当然であり、ビートルズファンには楽しめないと言い放つのは
なにも理解してませんといっているのと同じです。
まあ感想だからそう人の漏らしたことにケチをつけるつもりもありませんし、どう感じても自由です。
私としては路上ミュージシャンと世界ツアーを行うミュージシャンとその才能の差とかサリエリとモーツファルト
のようにエドシーランが嫉妬するシーンとか実のところは売りだす力とか世に出す力とかただきっかけだったり時代
だったりしたかもしれないというのはあるはずでそこをサリエリトモーツファルトにするあたりがファンタジーであり、
世界的名声や収入より幼馴染に戻るところが世界に分断と自国ファーストでは未来はないというメッセージになるわけで
今見るべきものとなっているわけです。そんな気取ったイギリス風の描き方と言い回しを理解したうえで多くのビートルズ
物にさらに屋上を重ねる意味として今でも残るビートルズ名所がふんだんに映像化されていたりをビートルズファンは
喜ぶべきでしょう。でもエリナー・リグビーとは架空の想像上の人物でその墓は偶然同姓同名の人の墓なのです。念のため。
毎日夜走っているのに今年の七夕は気が付きませんでした。
祭りが次々に全て中止になり、町内のラジオ体操の集まりでさえ中止となる中、
この商店街の中心の七夕祭りは例年どおり行われたのです。各家庭での
七夕飾りが全く見られない相生町ではそんな日だったというのもネットの
SNSにて知りました。
私が子供の頃は七夕の朝にはトラックで竹売りが各家を周り、近所の駄菓子屋では
七夕飾り用の品がたくさん売られていました。そして祭りが終わるとその七夕飾りは
川に流してしまうというものでしたがやがて環境問題がが言われるようになり
ゴミ回収がされるようになると市内にも下水が整備され水洗トイレもできました。
思えば環境変化というのは突然に起き人々の生活もそれにつれ激変してきた歴史が
あるのです。
そんな中、海外ドラマをみるとその国の生活環境とか生活レベルとか生活習慣など
が垣間見れ日本との違いとか法律の違いとか精神活動の違いまで色々と考えることが
あります。今回見た『Cleaning Up』はイギリスのドラマですが、普段見る米国のドラマ
だとドルで表記されても大体の見当が付きますが、イギリスのポンドとかユーロだと
いまいちピンきません。それに米の住宅事情とかイギリスと日本とその暮らしぶりと
いうのはその国の物価とか税金の高さとか真の豊かさを考えるきっかけになります。
このドラマの主人公は離婚間近の別居中の女性で二人の子供とギャンブル依存症で
昔はダンサーで舞台経験もあるというキャリアながら今は夜ビルの清掃員をしているという
女性です。通常一番新しい職業とかバリバリと活躍してあっと驚くような仕事をするとか
とにかく日の当たる人とか輝く人が主人公なものですが、そこが英という国なのでしょう。
ただ、背の高くなくころころとまあるい感じで二の腕とか手の指にまである刺青とか
余り親近感も湧かない容姿とその携帯からネットでするルーレットとか借金取りに付きまとわれたり
といった崖プチぶりはどうもこれから何が起きるのかという感じなのです。
中盤には仲良しの職場の同僚の金を使い込んだりたまたま立ち聞きした合併の情報から
株取引を開始してお金が入ってきたりするのですが、やはりギャンブルでみなすってしまい
借金取りに車を取られてしまったりするのです。その時に別居して既に違う女性と同居して
いるのに指輪を手放さず車を手放すというのもまだ未練があるのかという感じでそもそも
自分のギャンブル依存で招いた結婚の破綻であり、最後は職も失い、家も失い、子供も
旦那の家に行ってしまうという状況になりインサイダー取引グループの金も返せなくなり
どうしたかというとインサイダーグループの会話を録音してそのグループだけ警察に売るという
危ないもので自分たちは立ち上げた清掃会社でまた内部情報をとりつつその情報を売っていくという
違法な結末なのです。それに最後の借金返済もインサイダー情報による株の空売りで得たものという
危うい内容です。これはスティングのようなコンゲーム詐欺映画なのかというとキャリアも知恵もない
掃除婦がインサイダーグループと渡り合い一杯食わすという痛快なところが見どころなわけでそれでも
最初の負けるのが解っているのにひたすらルーレットやカジノへ行って必要な金も娘の教育資金も友人の
同僚の口座の金も使いこんでしまい学校では娘が不祥事を起こし呼び出しを食らい生活環境に問題があると
指摘されたり、長女もダンスのレッスンをやめて男とボクシングのレッスンを始めたりとなにひとつ
いいこともない状況の中合併で株が上がる話を聞いてしまうのです。
株の取引きのことも知らず図書館で株式入門の本を借りるところからさらに情報をとるため隠しマイク
を買って仕掛けたり同僚をそそのかし、火災警報器を鳴らして担当のPCから情報を盗むという大胆な
行動とドジなUSBを置き忘れといった行動などでどんどんドツボにはまり周りは危機に陥り友人関係も
悪くなりといいことのないドラマなのです。それでも米のドラマのようにハイテクと派手なアクションの
スパイといったものよりギャンブル依存症の離婚間近な掃除婦で殺人やピストルなどの打ち合いもなく人も死なず
ドラマが作られるというのもイギリスならではなのではないでしょうか。コンプライアンス上問題があり、
とても満点な終わりでも将来に刑務所がやはり待っているだろう事業などすんなりとは見終わり喜べない
そんなドラマでした。
日本人的には働く意思がありそうすると国は基本的人権をもって答えてくれるという社会であり
憲法感があるのです。アメリカにもない国家賠償請求権と刑事補償請求権が認められた憲法を作った
日本人からするとこのような悪い方に働く物語というのは違和感があるのです。
連日30度後半の日が続いています。
昨年までだとどこか避暑に行こうかと考えましたが、今年のコロナ禍の下では
そういう気に何もなれず、テレビで映画館は安全ですというCMを見てもとてもそんな気にも
ならずという状態で唯一残された道は自宅で冷房をつけてビデオを見ることぐらいです。
でも最近はメンタリストも見つくしてしまい、もう見るものがない状態になりつつあり、
つまらないものだと途中で寝てしまいストーリーが入ってこないなんてこともあります。
そんな中みた『22マイル』はとても面白く見ました。
なぜこんな最新作が話題にもならず配信されているのかと思いましたが、これは映画で
かかった時に大ゴケしたものだといいます。コメント欄にも否定的なものが目立ちます。
まず、アクション映画なのに主人公のアクションがダメだとかウォーレンバーグを否定する
人が目立ちます。
確かにミッションインポッシブルやジェイソンボーンからすると主人公の無双ぶりはなく、
どちらかというと性格破綻や精神障害的要素を否定的に捉える人が多いようです。それに
込み入っているストーリーと合いまり現実味がないなど批判が集中しています。確かに
どこの国でどういう国際的背景で起きたことなのかわかりづらく国の秘密ミッションなので
今まであった国際機関とは関係ない軍事ミッションで国籍も離脱してのチームなためそれを
嵌めるためわざわざの罠なので当然複雑にならざるを得ず、さらにそんなにして飛行機に乗せて
しまったらそれが相手の目的だったというのが解ると途端にじゃあ今までの銃撃戦は何のため
であれだけ波状攻撃で味方を攻撃してたのかという矛盾を感じるのも無理はありません。
このパッケージという暗号名の亡命希望者を輸送するミッションですが、このイコ・ウワイス
扮する元警官で亡命希望者がセシウムのありかの暗号コードを知る人物でアクションがすごいのです。
守ってももらう対象なのに自らも襲ってくる刺客を次々に倒し、格闘シーンや銃撃シーンでも
目立ちます。リアルな戦場感ということではプライベートライアンで今までにないものを感じましたが、
それから特殊映像技術はすすみ、現代の戦場もドローンとか戦闘用マシンガンによる銃撃とかにより
先鋭化してきているものをどう表現するかというのはスピードと今までにない武器の仕様とか
よりスリルと迫力と臨場感ということだとこの戦闘シーンも成功していると思います。
今までのものだと都合よく敵の弾は当たらず、ヒーローの弾は次々にヒットするというご都合的
映像でしたが戦場では同じような性能の武器と能力がぶつかり合うので一方的な制圧はあり得ない
はずでコンバット以来そんな本物の戦術的なものを見た感じがします。
しかし、この毎日の暑さや雨が降ると災害化するような今の現象があるのもこの世界の動きゆえ
であることを考えると人類がなしてきたこととこれから起きることを思うと複雑なものを感じます。
予約して置いた『フォックスキャッチャー』を見ました。
するとなんと最後の方がハードディスクの容量不足で尻切れとなっていました。
もともと重苦しい内容の進んでみたい物語でもないのでしたが、結末が解らない
のでは気持ち悪く、当初はBS12で予約したのですが、アマゾンプライムでも配信が
あったので残りはアマゾンにて見ました。
さて問題はひかりTVdocomoのテレビセンターはアマゾンプライム未対応ですという
コメント通り、最初は見られていのに最近はエラーになってしまうのです。そんなこと
で不安があったものの携帯のアマゾンプライムで受信してそれをブロードキャストすることで
どうにかテレビの大画面で視聴できました。
この映画のあらすじとしてはレスリングのオリンピック米代表で金メダリストの兄弟が
デュポンの支援を受けて人生を狂わされるという本当にあった事件を題材にしており、
大財閥で米を代表する歴史的な財閥の事件であり、ソウルオリンピックという最近のこと
でありながらこの映画を見るまでしらないことであり、悲劇的な結末とあいまって
かなり衝撃的な内容ですが、まあこれは事実だから実名で作られて世界の知ることに
なったわけで日本の公文書でも記録になかったりされてしまう体質と比べて暗部でも
こうも明らかにされてしまうと逆にプライバシーとかもはや存在しないのかという思いも
しないではないのでした。
最初はジョンデュポン氏を父のように慕う関係も良好に練習環境の提供や資金提供でよい結果に
向かうかと思わせる描き方でしたが、パーティーに向かうヘリの中でスピーチの練習をする時に
コカインを勧める辺りでコーチでもあるものがこりゃだめだろうというこの先の結末を予想させる
シーンに所詮金持ちの道楽という金で作られたものという側面を見せていくのでした。かつての
親友が実は母からお金を渡されての友情だったとか過去を明かす財閥の吐露もだからといって人の
人生も金で買い変えていいものかなどというのは聞くまでもないことです。
しかし、問題はオリンピック選手とスポンサーとか共産圏での対応との差とかではなく、協会という
競技団体が一個人の勝手な振る舞いにないがしろにされてしまうそのお金をだせばできてしまうという
ごりおしの部分なのではないでしょうか。
あくまで競技団体は選手と協議環境を守り、一部の勢力や運動メーカーなど企業に介入とか審査制度など
公平に保ち自由な競争を阻害しない環境を提供する義務があるのにそれができなかったというのが一番
問題でそれはオリンピックという競技自体が抱える問題でもあり、開催地や放送権料やら巨額の金が
動くものとなり、さらに政治問題にもテロの標的になってきた歴史とかある中今は世界的疫病の脅威の中
どう開催するのかという問題まであり、その舞台が来年の日本なのですが、もはや中止も妥当な世界情勢
なのにそれを打ち出さない協会は混乱の極地なのではないでしょうか。
姉の家のテレビを見てから私の今のアマゾンビデオ視聴も大きい画面で
見れないかと考えていたところ突如携帯電話にドコモから電話でひかりTV
forDocomoの契約の案内をされて外で買い物中だったもののその電話で
契約することにしました。
これは月々2500円ほどで他の有料チャンネルなどより高くとても入るつもりは
なかったのですが、今契約するとDポイントが7000ポイント付いてなおかつ
もし解約してもドコモテレビターミナルは返却しなくていいというのです。
解約には携帯からの電話かドコモショップでの手続きが必要ですが、これは
ネットにテレビを繋げるチャンスが到来したのです。
ついでにハードディスクのレンタルも頼んでそれが届いたのが先月末で繋げるのは
今月からにするように言われていました。月末月始のあわただしさから実際につなげたのは
5日くらいでした。
今どきのスマートテレビというのは最初からこのネットにつながるのが前提でリモコンにアマゾンや
ネットフリックスのチャンネル登録もされているそうです。
姉の家のテレビもネットフリックスが映っていました。どうやらwi-fiで自動でつながっているらしく
我が家のように新たな器具の追加もなく映っているわけです。私は当初自分の家のテレビも同じような
状態になると思っていましたが、テレビセンターにはwi-fiも付いていてリモコンも付いています。
ただ、器具についてきた説明書によるとルーターからの有線接続を強く勧めていて私もそのように結線
しました。さて問題はそのLANケーブルです。光ターミナルからwi-fiルーター、そこからテレビセンターへ
それぞれLANケーブルでつながなくてはなりません。付属のケーブルは1.5mほどしかなくとてもこれでは
届きません。かつてパソコン通信用5mくらいのものをいくつも使っていましたがwi-fiにしてからそれらは
引越しの時に他のガラクタとどこかに収納されました。もしかしたら他のパソコンの部品などのジャンク品と
同等に熊木にあるかもしれません。まずはそのLANケーブル探しから始まり、どうにか見つけてやっと結線を
終えていざ見てみるとそのテレビターミナルはネットフリックスやアマゾンはなく、ソフトのダウンロードを
しなくてはなりませんでした。ところがグーグルストアにアマゾンプライムはなくネットフリックスも見当たりません。
ないならドコモTVでみればいいかとラインナップを探すもちっとも見たいものがなく、検索画面も使いずらく
目当ての番組が見つかりません。こんなに面倒なのかとあきれるほどです。これではお年寄りや機械音痴の人には
とてもついていけず設定や見たい番組を見つけることができず諦める人もいるでしょう。
パンフレットではBSの番組やBS4Kの番組も見れるとなっていたのですが、これはあくまで可能あるという意味でで快適に普通の
テレビと同じ感覚で操作して見れるという意味ではありません。とにかくリモコンで検索するのが面倒だし、
音声検索や番組を自分のリストに入れたりするのもとても不便で使いずらく高い割に番組コンテンツが豊富と
いうこともありません。海外ドラマや映画なども最新作は有料扱いというのも料金設定としていかがなものかと
思います。
それでもどうにか今までパソコンで見ていたブラインドスポットやテレビて見そこなったラストシップなどが
テレビ画面で見れました。このラストシップなどリモコンの音声検索でラストシップと入れても出てこなくて
スマホのアプリから検索して見られたのです。ザ・ラストシップが正式名称でそう入れないとテレビでは検索
できないのです。スマホだと正しい題名を記憶してなくてもたとえばイギリスとフランスの地下トンネルで死体が
発見されるサスペンスなど橋と入れただけでヒットしますが、まず正しい題名を記憶していないと目指すものは
見つけられません。音声検索はかなり正しく認識されますが、その音声が入る状態に簡単には合わせられずいらいら
する上に文字を入れて検索しようとリモコンを動かすとそれがスマホ並みに変換機能がないないうえ画面の文字が小さく
入れるのが大変です。予測変換で候補が出ますが、それはあくまで変換だけの候補で作品予測をしているわけではないので
スマホ並み検索は期待できません。
つまりとても使いづらいのです。ならばスマホで見つけてそれをブロードキャストで見ると映画だとしょっちゅう止まって
しまいいらいらします。見たい番組をどんどんリストに送りそこから選ぶようにできればまだいいのですが、クリップと
いう機能はあるもののマイリストが作られるほどのものではありません。
このように全体的に感覚的に操作できないばかりか一昔前の作りのような不便さがあり、せめてスマホアプリ並みの
賢さがあればと思うのでした。
スマホアプリや最初のおすすめに新着映画としてパラサイト半地下の家族があり、見られるのかと期待するもこれは
有料なのです。それでは予習として同監督の前作品を見ようとしてもそれらが気を利かしてクリップされているわけでも
なく、アマゾンプライムで飛ばして『グエムル』『JSA』を見てみました。JSAは歴史的ヒットで話題になり監督及び
出演者の出世作となった作品ですが、見て直ぐテレビで見たことを思い出し何が描きたいのかサスペンスとしての
事件解決だったのか、それとも北との分断の不条理を描きたかったのかまあ後者であることは間違いなく、これは
事件性より韓国と北朝鮮の特殊な現状を世界に知らしめるにはこのようなドラマとするしかないのかというもので
その後トランプとキム委員長が37度線をまたいで会談するシーンが流れた現在ではもはやあまり見ても意味がない
ようなものです。
ポン・ジュノ監督のアカデミーショーを受賞して大注目になる前の『グエムル』も同監督とソン・ガンホの
主演というものです。これを見てテーマになっているものがパラサイト半地下の家族と同じことや韓国の問題
などを改めて考えさせられました。日本から見ると国際社会や国際法を理解し守ろうともせず厄介な隣人という
嫌悪感とともに突き放して見がちな韓国の問題ですが、それは日本にはない問題なのかといえばそうではなく、
逆に学ばなくてはならないこともあるのです。
冒頭のシーンはどこかの研究施設で米国人の上司らしき人からホルマリンを下水に流してしまえと言われる
ところから始まり、これが怪物出現の原因らしい暗示があります。これはゴジラが水爆実験による放射能が
原因でクジラが突然変異したものという設定であり環境問題を怪獣映画に盛り込んだところははっきりとした
米国への抗議の印でもあり、その後ずうずしくもハリウッドでゴジラ映画はリメイクされて水爆実験も核保有も
必要という姿勢に微塵のすきを入れていない作りだったのを思い起こします。このアメリカによるホルマリン
廃棄というのは現実にあった事件をもとにしていてそれがもとであの怪物になったのかというのは一言も触れられ
ていないのですが、その怪物の挙動や姿がリアル感や生物原則に反していることが何これという気持ちになり、
韓国の異常なところも映画からところどころ感じられるのでした。まず描かれる漢江という大河が日本にはない風景であり、いつも韓国のドラマや映像をみると日本の六分の一という経済規模以上にインフラの整備やIT化などのハイテクで
近代的な風景とそれと裏腹な人物が織りなすドラマのテンポの悪い疑問だらけの行動といつも受け入れがたいものを
感じるのも常です。独裁軍事政権から脱却して民主化しても現れたのは格差社会だったという近代的な主題も日本の箱庭的な風景からみると日本が持たないものを備えた近代国家のようにも見えるし日本と同じように不条理な分断を簡単に
解決できない複雑な構図とか突き付けられる問題は日本にも通じるもがあり、その上最近は雨が降るだけで人が数百人の規模で死んでしまう世の中になっており、百年に一度といわれる災害がしょっちゅう年中あり、いつもどこかで避難生活を
送るざるを得ない人々がいるというインフラの貧しさは何をどう間違っているのか考えないわけにはいかないのでした。
今回見たら韓国でも米国のことを美国と中国どうように表記するのを見て最初はそのようにみているのかとおもったりしましたが、
どうやら日本と同様当てた漢字が米と美の違いでそうなったのだと知り逆に日本語がそのまま出てくるシーンなども多々あり
色々と面白いと思うこともありました。
日本は先進国なのに実際に行われている政治や行政はとてもその範疇にないような状態で、韓国でさえと思えることもあり、
今回のひかりTVもなんとももどかしい状態でとても快適になったとかテレビで普通に見たい海外ドラマや映画がみれる
ようになったのに全然感動もありがたみも感じないものなのでした。
バットマン対スーパーマンが続編だと知り、当然一作目としてみてみました。
これとバットマン対スーパーマンはプライムなので料金は発生しませんが、
これに続くジャスティスリーグは有料です。
この映画はゾッド将軍が追いかけてきてそれを迎え撃ち撃退するところまでなのですが、
カンザスの田舎でいじめられて育ち、大人になり育ての父も死に自分探しの旅にでるという
ところから始まり、最後自分の居場所としてデイリープラネットにクラークケントとして入社する
までが描かれているのですが、今までの漫画や映画では最初から新聞社に正体を隠して
勤めながら人助けをするというところから始まるのが普通で高層ビルの都会で事故が起きると
電話ボックスの中で着替えて空を飛び飛行機や船を担いで飛んだりして助けるというシーンが
作らて来たわけです。ですが、時代が変わり携帯電話やネット社会で映画でもセリフである
新聞など誰も読まない時代となっているのです。その上司役はローレンスフィッシュバーンと
アクションものにはよく出る重厚な味わいな人ですが今回と次回自身のアクション的なシーンは
皆無です。それなのに画面を引き締め発言は重いのでいつ自身も着替えて戦いに参加するのではと
いう感じもしてしまうのでした。それに相手役のゾッド将軍のマイケルシャノンも顔つきは田中要次
なのですがコミック要素より現実的なクリプトン星再興の野望が生者適存の思想とともにまともな
ことのように感じられたりしますが、それはラッセルクロウの父がクリプトン人の全遺伝子情報を
カルエルに入れるというおかしなことから地球人を助ける役割といいつつ自分の星のごたごたを
地球の破壊という行動で行ってしまうことなど正義の人とか地球人の守護者としての意義とか
は案外あやふやなままのスタートなのです。それを逆手にとって奴は破壊者だと敵愾心を持つ人が
いても不思議でなく、街の自警団として自ら体を張って自身の肉体と財力による移動手段や特殊な
スーツと鍛錬という悪と戦うには実践的なスタイルが宇宙由来のスーパーパワーと対峙するというのは
また無理な話なのです。
それに気になったのは目から破壊光線が出てしまうという点や物理原則を無視して空を自由に飛んだり宇宙空間に
まで飛んでいけたり、太陽が若い星というのも実際は50億年も経っていて寿命の半分を消化した壮年期の星なのに
若いと言ったりそこに至る距離感がまるでゼロというのも宇宙を無視した話です。それだけの科学力があり、なぜ
他の星への植民地化が失敗したのかも謎で地球ならソーラーパワーで新たな力を得るというのも全く謎です。
カンザスの田舎でいじめられて育ちそれでも弱者を守り人を助ける人になるというのもケビンコスナーの父の指導
によるものなのでしょうが、まったく秘密にして大人になるというのも考えたら無理なことです。
さらにものすごい力や飛んだりする上にわざわざパンチやタックルなどしなくても目から光線がでるなら
それでことごとく破壊できてしまいます。このように圧倒的パワーなので弱点としてクリプトナイトなるものを
用意しているわけですが、今後敵となるのはどんなものなのかどんな人がまた仲間になるのか気になりますが
スーパーヒーローの特殊ユニットはマーベルがもうやっているのでどうしても二番煎じ的なものは感じてしまいます。