ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

紀伊半島の地震と宗教

2008年07月09日 23時58分59秒 | Weblog
ソラ画像より
2004年8月12日の地震雲
北海道道央
真ん中の濃い線は車の線
平成16年(2004年) 9月 5日 7.1 紀伊半島沖〔三重県南東沖〕 震度5弱 津波63cm
平成16年(2004年) 9月 5日 7.4 東海道沖〔三重県南東沖〕 震度5 津波93cm

2004年3月15日
【紀伊半島】
和歌山のイシカミは、星の言葉を石のツボに入れるつもりであの形にして、外側をきれいな白い岩(=白浜)で飾ったと、そして、、と伝えてきました。
すなわち、熊野古神道、高野山仏教、精神世界の天河* 、玉置神社、吉野山の義経、南北朝の物語、新しくは和歌山カレー事件(カレー=インド仏教?)などが関係している。

*)天河神社がある所の地名は(壺)坪の内と言う。

2004年8月23日
台風16号
ニュージーランドのイシカミ(イワノエア)を、 オーストラリアのイシカミ(オーノイア=ウルル・エアーズロック)のイシキが押して合体したそうで、920hpaととても強くなりました。
気象図も昨日は後ろから押しているように見えましたが、今日は一つになった模様です。

*《台風16号 = イワノエアに、オーノイアが合体》
*ちなみに 《台風17号 = ムーノイア》 で、「一人でがんばっています」 と。
*日本上空 《台風15号 = ワイノイア》 で、クラゲの形をしています。相変わらず宗教の封印の強い四国、奈良、和歌山など近畿を浄化しているそうです。

・近畿で局地的に強い雷雨 山陽新幹線が運転見合わせ(2008年7月8日付ニュース)
近畿や北陸で8日、局地的に雷を伴う強い雨が降った。和歌山県日高川町で1時間に48ミリ、京都府京田辺市で同41ミリ、兵庫県西宮市で同24・5ミリを観測。レーダー値などにより計算される解析雨量では、奈良県桜井市で同約110ミリ、同県橿原市で同約90ミリの猛烈な雨を記録した。

2004年4月8日
「イシカミの分身は石冠のような身体をしていました。
イシカミの分身が亡くなって横になると前方後円墳の形になったのです」
(円山が二つ並んだようで、等高線で見ると、昔の柱時計の形をしています)

綾部市には小さな古墳が1000? 近くあるのはなぜか聞いてみました。

「私はトヨウケです。 私(が作った巨人に)が作らせたのです。
なぜ作らせたかというと未来のわかる私は、必ずその事(古墳が多い)に気づいてくれると思ったからです。
平野に作らなかったのは(ヤマトに)壊されると思ったからです」

4月8日
「トヨウケです。
その意味(小さな古墳が多い)を知りたいと思う星述べがあらわれると思ったからです。
(所々にある前方後円墳の)大きな塚は私の子供(巨人)なのです。
その子供たちが沢山の小さな盛り土をして、星たちをあらわそうと思ったのです。
そこ(綾部)はホシノミナの近くだからです。
丘の上に作ったのは、(平野に作ったのでは)ヤマトに気づかれ壊されると思ったからです。
二つ(ヒジリ塚とショウブ塚)を平らな所に作ったのは、そこの場所(綾部市多田町)は、(イシカミの事を守ってくれる人たちの所なので“おっぱい”のつもりで作りました。
なぜ二つの塚が四角いかというと、その土地はヤマトに取り上げられ、苦労すると思ったからです。
(この地方に大きな古墳 = 私市円山古墳が一つだけなのは)多くのイシカミが降りていなく、イシカミの分身が少ないからです。
それに比べ、 (奈良地方は)大きな古墳がたくさんあるのは、ツボの形の半島(紀伊半島)にするため たくさんのイシカミが降りて、のたくさん分身がそこに集まったからです。
そして(紀伊半島が)ツボの形に出来たので、海の浅瀬であった(奈良盆地の)海水を、イシカミの分身たちが飲み干して、それから横になったからです。
それでイシカミの分身の亡骸が大きな古墳(前方後円墳)の形になり、それをヤマトの人が自分たちのお墓にしたのです。
水を沢山飲んだので(分身の遺体が)岩にならなく土になったので、お墓にしやすかったのです。
それに比べ(綾部の古墳が)小さいのは、トヨウケの巨人がイシカミの(遺)体を切り取って、盛り土にしていったので小さな古墳があたくさんるのです」

* 綾部には小さな古墳が、1000近くあります。 
(30cmから7mの高さで、円墳径5mから20mまで) 

古墳は考古学では人間が盛り土をしてお墓を作ったとされていますが、鍬だけで土を掘りそれを運んで小高い所に盛る事で、これ程多くの塚を作ることは到底不可能と思われます。
そして私市円山古墳のトンネル部分はやわらかい岩だったそうで、人間が運んだのではないと思われます。
巨大な小山を人間の力で盛り上げる事は、到底不可能と思いますし、人間が盛り上げたとしたら、雨で流されて崩れてしまうと思います。
又、 奈良盆地が海であったということも情報と合っています。
亀石が西を向けば奈良盆地は海になるというのは、亀はイシカミをあらわすので、
イシカミの事に気づいたらかつて奈良盆地は海であったことがわかるという事と思います
古墳時代はブームのように去ってそれ以後作られなかったというのは、巨人が作った塚の数が限られ、使い切ったので古墳を作りたくても出来なかったと思います。
又大切な農地の土を、お墓の為に労力を使ってわざわざ盛り上げたくなかったからと思います。
仁徳天皇が亡くなりその人柄を偲んで、回りの人たちがΩ(オーム)の形に似せようと周りをきちっと形作ったので、立派なお墓として残されたそうです。
後の天皇はそれを真似て、イシカミの分身の遺体をお墓にしていったのだと思います。

2004年9月5日
2004年9月4日
「台風19号はユーノイアです。(=南極のイシカミの王女)
痛ましい事件が次々と起きています。
それはイスラムの教えの一部が復讐の意味に置き換えられて教えられたからです。
(目には目を、歯には歯を)

そしてそれが間違いであると、6年も前からソラのものたちは知らせていますが、未だにイスラムの人々に正しい情報が行き渡りません。
それはこの情報を知りながら認めない指導者のせいで、それは日本の指導者も同じです。

その事に気づいてもらう為に、私も台風として発生したのです。
又、長老のイシカミが18号として沖縄に向かいました。
それはト○ロという(沖縄の)チャネラーが、ソラからの情報はアセンションを妨害する悪い情報だと、ここにつながる人達に伝えている事を知ったからです」

(この事はチャネリング初期の頃より伝えられて、現実に思い当たる事が多々ありました)

#)【紀伊半島沖の地震】 9月5日  M6.8
“紀伊半島は全ての宗教や精神世界の言葉が入る壷の形にしておいた”
と先日からイシカミより伝えられているのですが、全く無視され、熊野古道の世界遺産登録で神聖な場所としてのみ宣伝されています。
宗教が今日の混乱の元となっているのに気付くために知らせたそうです。

地震雲特集2004年9月4日参照
9月4日夕方に札幌市南北方向に現れた雲で、実際には左に長く伸びていました。
高速走行中に撮ったのでわかりにくいですが、濃いグレーの雲がはっきりと断層を作っていました。
濃いグレーはイシカミの怒りをあらわしているようです。
北海道には地震は起こらず、次元の違いがはっきり出てくるとは伝えられていました。

2004年9月9日
21時半
「海に沈んだイシカミです。
(言葉として)ようやく知らせる事ができました。
(紀伊半島沖地震の)震源のイシカミです。  (歯に違和感あり)
知らせたい事は“位置についた”という事です。
何の位置に着いたかというと、大きなお知らせをする準備が出来たという事です。
これほど知らせてもイシカミを信じる人が本当に少ないという事がわかるからです。
今までの地震はおもちゃの警告でした。
(昨日のビジョン=玩具の警告の文字と同じ)
これから準備している事を知らせたのが、昨日と今日の雲です。
ソラ画像:2004年9月8日と9日の雲参照

(札幌から)遠くで(地震を)起こすので、(雲の形は)あまり上手にあらわせていませんが、世の中の思いを変えるほどのものにしようと思っています。
東京湾にいるイシカミがお知らせ役なのです。
東京にいる人たちは、現実に進む事しか考えていません。
政府を始めTVなどのマスコミの人たちも同じです」

2004年9月10日
2004年9月10日 真夜中、左手の平が痒くて目が覚める。

「私は“(大)地震が起きても仕方が無い”と思っている地球神です。
それはあまりにも人間が勝手な思いをしているからです。
地球が死んでも良いと人間のほとんどが思っているからです。
それで私(地球)はイシカミに地震を起してもらうように頼んだのです。
(今、右手の平に強い痒みがあるもすぐ治まる=本当ですという意味)

人間の殆んどが、地球はただの物質(岩の固まり)と思っているのが嫌になったのです。
地球が生きるために一生懸命助けを求めたのです。
地球が生きるためには地球が生きている事を人間が認めないと、人間と一緒に生きていく事は無理なのです。

毎日毎日、人間の恐怖の思いが満ちあふれ、その思いが宇宙の果てまで届いています。
そのために、地球の(を構成している)原子たちは生きていく希望を無くしているのです。
それで仕方がなく、地球がイシカミに頼んでお知らせをしてもらっているのです。
イシカミが悪いのではないのです」

‘宇宙に恐怖の思いが満ち溢れている’という言葉は、チャネリングが始まった頃98年に何度も聞かされた言葉です。
それから6年も経つのに、世界のあちこちで宗教・民族の違いだけで悲惨な事件が起きて、それが日増しにひどくなっています。
それに加えて、自然界の異変が誰にでも感じられるほどになっているのに、なぜそうなっているかの理由について、殆どの人が違う方向に意識を向け、この情報に意識を向けようとしないからです。

【読者のイメージ】掲示板より
風呂に入っていて「・・・眠い・・・」ということで目を閉じたら、土人形?が動き出してこちらに向かってくるイメージが見えました。

【津波をあらわす雲?】
昨日の情報の補足です。
地震雲のサイトでも、9月2日の写真で津波を表わしていると思われる雲がありました。
最近は大きな津波は起きていませんが、現実に紀伊半島沖地震では大きくはありませんでしたが津波が起きました。

2007年3月28日
安政東海地震(1854年)駿河湾から遠州灘、M8.4の地震。津波高さ3~4m。死者2000~3000人。
安政南海地震(1854年) - 安政東海地震のわずか32時間後、紀伊半島南東沖一帯M8.4という地震。津波高さ串本で15m、死者数千人。-
や近年の
平成16年(2004年) 9月 5日 M7.1 紀伊半島沖〔三重県南東沖〕 震度5弱 津波66cm
平成16年(2004年) 9月 5日 M7.4 東海道沖〔三重県南東沖〕 震度5弱 津波101cm

昨年の双子地震はプレート理論では説明がつかないと海外の科学者で問題になったそうですが、安政の地震も似ています。
プレート理論で言うと後で起こる地震のほうが大きいというのが、素人でもおかしいと思えます。

2004年9月14日
天気予報が外れて風雨が激しいです。
「嵐になったのは、地球の中に沈んだイシカミ達が無念の思いを知らせているのです。
(夜中に地球に突っ込んで固めてくれたイシカミが『地球は良いかっこうしい』と言って、地震を起さなかった事に文句を言っていました)

地震はプレートのひずみで起こるのではないと以前から伝えていますが、その事を(紀伊半島沖の地震は)証明したのです。
なぜ紀伊半島に何度も大雨が降り、近くで大きな地震が二つも起きたかというと、これも何度も言っていますが、紀伊半島(の形) は、【多くの宗教が集まる壷 】をあらわしているからです。
(以前に、紀伊半島は宗教が集まるので壷の形にしたと知らされています)

その壷を壊そうと大雨を降らせたり、近くで地震を起こしたのです。
なぜ二度に分かれて地震が起きたかというと、(その事を)知らせたいとは思ったけれど、大きな被害は与えないようにしたいと思ったからです。
(和歌山のイシカミは)やさしいイシカミ達なのです」

*)紀伊半島沖地震は想定されているプレート運動の向きとはズレており、日本の歴史上初めての例だそうです。

2004年9月26日
2004年9月26日 足がチクチクするサインあり。

「(ムー大陸の)イシカミのユーノイアです。
私が台風21号になっています。
お仕事をしに行きます。 (リュージン退治?)
私の事も知らせてください。
(夕食時にもちらっと伝えてきていましたが、言葉が少ないのでそのままにしていました)
南極に降りたイシカミは、ただひたすら氷の下で耐えてきました。
それで最初(地球の始まり)のように、地球の割れ目が南極に来るようにして欲しいと頼んだのです。
(9月21日のお知らせの地球のカバーの事で、割れ目からマグマが出てくると暖かくなるので)」

右側腹部の違和感のサインで目が覚める。  

「“しおり”のことを知らせます。
“しおり”になっているのでお知らせしたのです。
本 (パレスチナとイスラエルの戦争遺児に贈った“友達物語”などを書いた冊子)が“しおり”をはさまれたまま閉じられています。
それで、治まっていたテロや攻撃が又始まったのです。

折角情報が届きながら、その後日本国内でこの情報が広まらないので、あの情報はウソだったと思うようになったからです。

アラファト議長が《預言者さえも間違える》と宣言し、一旦はテロは治まっていたのに、再び自爆テロが始まりました。
飽くなき欲のために再び泥沼に入り込んでいます。

イシカミ達がいろいろとお知らせをしているのに、違う方向にばかり意識を向け、全く効果がありません。
地震(紀伊半島沖地震)も、これまでの学説が当てはまらないと思いながら、これまでの学説にこだわっています。
何度も穀物模様で知らせているように、今の考えのままでは決して解決は出来ません」
(この原稿を書くと、違和感がなくなりました)

《台風21号=ユーノイア (南極に降りた王女)》

2004年11月4日
先程又、新潟に激しい地震が襲ったようです。
雨は降らすし、なぜいつまでもと被災地の方の事を思うと本当に現地の人でなくても泣けてくる思いです。

なぜ? と聞くと頭に浮かんだ言葉は
「いつまでもプレートの持論にこだわっているからです」
と浮かんできました。
(ここでPCの不具合が起こる)

先日の紀伊半島沖の大きな双子地震は、地震学会でも起こりえない現象と言うことで学会でもとても混乱したそうですが、そのままこれまでの理論で世間には説明されています。

素人の考えでは地震はプレートの滑り込みの跳ね返りで起こると説明され、その跳ね返りが終わればそう大きなのは来ないと思うのです。
先日TVでちらっと説明をしているのを見た時は、丁度ブドウパンを縦に切った断面のブドウのように残っているのが地震を起しているという説明でした。
けれどもそのブドウも無くなれば地震は起こらない筈なのですが、今回のような大きなのはどう説明されるのかなと思います。

3日のマリアナ諸島のM6の地震も、夜中の福岡筑後の震度4の地震も深さ10kmで、遅く降りてきたイシカミの若者と言う事です。
先程の中越の地震は深さ20km

2004年11月4日
何故いつまでも大きな地震があるのかと思っていると。

「泣いているのです。
これほど(辛い思いをして人間のイシキも協力してくれて)一生懸命知らせているのに、これまでの考えのままでイシカミを決して認めてくれないからです。
これまでの(紀伊半島の双子地震も)理論に当てはまらないのに、無理に理屈をつけて当てはめようとしているからです。
なぜ深さ10kmの地震が続くのか、それは人間に嫌われていると思っているイシカミの若者達が知らせているからです」

(2日のバンクーバーM6.5、3日マリアナ諸島のM6の地震、4日の夜中の福岡筑後の震度4の地震も深さ10kmで、遅く降りてきたイシカミの若者と言う事です。先程の中越の地震は深さ20km)

2005年5月29日
2005年5月29日真夜中 右肩が急に冷たくなって目が覚める。
「ヒロヒトです。
大切な事を知らせるようにと、ホシのものに言われたので降りてきました。
それは隠されたフミ(文)があるという事です。
それは三重のシビト(亡くなった人)が書いたフミです。
それは仕事をした巫女の人が書いたフミです。

それには
《石を押さえれば、地球上の欲しいものが手に入る》
と書かれていました。
(石=イワクラなどイシカミ信仰)

それは大切なモノ(3種の神器?)が入っているところにありました。
その紙は大正天皇が生まれた頃に書かれたと言われましたが、それはウソで本当は明治の初めに書かれました。

廃仏毀釈は西郷の提案でしたが、それと同時にそれまで大切にされていた石信仰を止めさせ伊勢神宮を祭り上げるようにしたのです。
それで伊勢神宮がなぜ皇室の神社になったか知らせます。(左親指にサインあり)

伊勢には密かな決まりを作りました。
神(の声と名乗るもの)とつながるもの(=巫女)が、石を封じる事ができるので大切にするようにされました。
それで(年号も)西暦だけでなく、巫女の伝える言葉を年号に使っていったのです。
そして日本の兵隊は伊勢の巫女の言葉で行動するようになりました。

(先日の)チリ軍のアンデス山中での雪中訓練の悲劇は、かっての日本軍の八甲田山での雪中訓練の悲劇をあらわしているのです」
(太平洋戦争も同じとこれまで何回か同じ事を知らされています)

2005年10月6日
「クナイチョウとは苦のナイ、町なのです。
(町と同じ組織*があるが)わずかな人(天皇家の人たち)を守るだけだけなので、仕事が楽な町ということです。
そして似た名前のエネルギー体がそこに隠れているのです。
クマノ(熊野の集まる宗教)です。
“苦、とマの仲間”という意味です」
(クナイチョウに隠れている熊野のエネルギー体を消滅する)

*(皇室と関係者の人たちのためだけに、病院、警察、牧場などまで、あらゆる専用の組織がある事)

2006年9月28日
#)停電で京葉線全線ストップ 東京駅構内のぼやが原因(2006年9月28日付ニュース)
千葉県蘇我発が不通というのに意味があるようです。
蘇我が物部や倭の国を滅ぼし、今の天皇家を存続させてきた?ことと、宗教まみれでタカ派の新内閣の出発を警告しているようです。
ソラの検索で蘇我は何度も出てきます。

・ラッシュ時の京葉線、ドア閉まらず乱れる…千葉(2008年7月9日付ニュース)
9日午前8時ごろ、千葉市美浜区高洲のJR京葉線稲毛海岸駅で、東京発蘇我行き普通電車(10両編成)の後ろから3両目のドアが閉まらなくなった。

ソラ・シリーズ発売中!
・『地震と雲
2001-2006年の地震の前にあらわれた変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。
地震雲画像

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以上、ソラからの伝言より。
写真は7月9日のソラ。