外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

小野田寛郎さん(4) 小野田さんの、子供のころの「ディベート」

2014年03月11日 | 小野田寛郎さん

小野田寛郎さん(4)

小野田さんの、子供のころの「ディベート」

『君たち、どうする』(新潮社 2004)に次のような一節があります。p.73

(---)私は因果なことに「負けず嫌いの強情者」だったのですから。


いつか母を言いこめてやろうと考えていましたが、母に叱られている時に言ったのでは「また口返答する」とお小言の種を増やすだけです。そこで、機嫌の良い 日を狙って、「お母さんは何時も親の心子知らずだと僕を叱るけれど、僕はまだ親になった経験がないから親心なんかわからなくても当たり前ではないの。それ よりお母さんも子どもの時があったのだから、その経験から子どもの心がわかるはずだと思うのだけれど」
と挑戦しました。「知識だけでは本当のことはわからない」という言葉をよりどころとした言い分でした。


小野田 10代

写真:右が10代の小野田さん 左は内貴直次さん


母は「またそんな屁理屈を並べ始めた」と言いましたが、私には「今日こそ決戦だ」の思いがあり、その位で引き下がれませんでした。


「だったら知識だけで経験がなくてもすべてわかるわけ?説明して」とさらにつめ寄りました。「食べてみなくても聞くか、見るかでお汁粉もお酒も味がわかるのだったら世話がない」とたたみかけたのです。


母は辟易して「もうわかったよ。『ネソ(寝ころんでばかりいる者)が事すりゃ大ごとする』で寝そべりながら考え、企んできたのだろう」と矛先をかわしました。私は、
「お母さんは、親を泣かすようなことばかりしていると、今度は親になって泣かされるぞと脅かすけど、今僕に泣かされているのなら、お母さんも子どもの時お ばあさんを泣かせたのだろう。そうでなければ僕に泣かされるはずはない。仏様は因果応報だと教えているとお母さんから何べんも聞いたけど」とあくまでも食 い下がりました。

案に相違して母は、
「そうだね、そういわれればやっぱり親に無理な事をいって困らせた覚えがある」
と話し始めました。もう権柄ずくで黙らせる年齢でもないからと感じたからだったのでしょうか、それとももう屁理屈といえなかったからでしょうか。

小野田 上海

写真:左が小野田さん 17歳 中国での商社員時代


母は末娘で、他に女兄弟はいなかったから可愛がられて育ちました。ある日、友だちが赤ちゃんをおんぶして遊びに来たので自分もそうしたいと思って、「赤ちゃんを産んで、おんぶしたいから」とねだったそうです。


ねだられた祖母はもう子どもを産める年齢ではないことを、母は知らなかったのです。あまりうるさいので、祖母は母のために猫を飼ってやり、母はそれをネンネコに包んで遊びに出たのだそうです。

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以上、珍しく引用のみでした。明日は小野田寛郎さんがルバング島から帰還して、40年目。



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