外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

小野田寛郎さん (1)

2014年03月04日 | 小野田寛郎さん

 英語教育から少し外れますが…。

小野田寛郎さん(1)

1月16日、小野田さんが亡くなって、日本の新聞より外国の新聞の方が熱心に訃報を出しているようです。ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポストという、米国の新聞(リベラル系)の記事を読んでみました。

NYT(140125) http://www.nytimes.com/2014/01/18/world/asia/hiroo-onoda-imperial-japanese-army-officer-dies-at-91.html?smid=tw-share&_r=0

WP(140125) http://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/hiroo-onoda-japanese-soldier-who-hid-in-philippine-jungle-for-29-years-dies-at-91/2014/01/17/7016d806-7f8b-11e3-93c1-0e888170b723_story.html

しかし、内容は、①日本の文化、歴史についての型にはまった偏見、②小野田さんの人間に迫ってない、という特徴が顕著であると思え、私はあまり感銘は受けませんでした。

"To many Japanese at the time, he embodied prewar virtues of endurance, obedience, and sacrifice" (=発見当時の日本人にとっては、小野田は忍耐、従属、自己犠牲というような戦前の価値を体現した存在であった。)

---という調子です。

読んだ上で、これらの長い記事が書かれた理由を推測すると、「浦島太郎、または、リップ・ヴァン・ウィンクルが、現代都市に忽然と現れた物語」だから、面白かろう、ということです。

しかし、なぜ、①島に留まったか、なぜ、②呼びかけに応じなかったのか、なぜ、③出てきたか、なぜ、④ブラジルへ行ったか、なぜ、⑤教育活動をしたか、これらは、全く伝わりません。

小野田さんについて知りたい方は、ATP賞テレビグランプリのドキュメンタリー部門優秀賞を受賞した、戸井十月(昨年7月に死去)の1時間50分のインタビュー中心のドキュメンタリーを見てみるとよいでしょう。

「わがまま」で、competitive(負けん気が強い)人間が、一方で、「らしく」振舞うことを基軸に据える、という生き方が浮かび上がって来ます。

小野田さんは、アイロニーと諦念の混ざった語り口で自己を複眼的に語ります。物事を両面から捉える発言が多いので、理解するためには注意深く聴く必要 があります。

インタビューアーは典型的な「戦後の子」。何をどう訊いていいか分からないと様子ですが、そういう人を小野田さんにぶつけるという企画なのでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=I55pGrmbX1c
英語の字幕を求めるコメントが二つありました。だれかに作りませんか。

小野田さんの1974年来の基本的自己認識は「自分は戦犯である」ということでした。また、戦友を死なせたことに関連し、「だから、なんか生きてるっていうことはあまりうれしくないのね」と若いタレントを相手に、微笑みながら述べている場面があります。

http://www.youtube.com/watch?v=uWa5QMud7PI 2分15秒

そのタレントの反応はいかに…。





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