小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

酒屋の店頭販売員に発泡酒を一缶進呈する

2005-06-27 00:23:40 | 身のまわり
土曜のこと。仕事で隣町に行き、帰りに安売り酒屋に寄り、真夏日の昼下がり、冷房のないドア前でS社の店頭販売員にビールと発泡酒を勧められる。
「なかでもっと安いのを買うんですよ」というと、「こっちは2200円ですよ」と販売嬢。「いや、もっと安くていいのがあるんです」と伝えると、「どれですか。じゃあ見せてください」。
店内には、涼しいところで元気に声を張り上げる別のメーカーS社の販売嬢。こっちは涼しそう。ちょっと歩き、同店で社員ブラインドテストの結果、スーパードライより高得点とされ、周囲の評価も上々の米製「クリフサイド」1990円を紹介し、「これがおいしいんですよ」。
すると、「ああ、そうなんですか。ではお客さんがこれを買って、私に一つくださいよ。飲んでみたいんです」と販売嬢。あまりの積極接客に、「ああ、いいですよ」と安請け合い。
販売嬢、再び猛暑のドア前に。こっちは店内でクリフサイドと、これまた他店では見かけないが、999円でも見事なブレンドのスコッチ「OLD BRIDGE」を購入し、再度販売嬢のもとへ。
35度でも頑張るS社嬢に「じゃあ、一本どうぞ」。「わあ、ほんとにいただけるんですかあ。ありがとうございます。あっ、これは何ですか。ウィスキーも飲まれるんですね」。
気温上昇は頭蓋骨下を揺らす。

翌日曜。仕事に行ってこの話をする。
仕事先の社員Oさん曰く、「だめですよ。そういうのは暑いところで働くだけのお金もらってんですから、そういうことしないでやらせときゃいいんです」。

昨日の午後、気温に温められていたクリフサイド。
販売嬢は一晩冷やし、おいしいと思ってくれただろうか。

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“Mighty Rearranger / Robert Plant” ~聴き流せるR・プラント

2005-06-26 02:17:04 | 音楽
002
2005作。amazon で購入。

【introduction】
元・レッド・ツェッペリン、ロバート・プラントの新作ソロ。
ワールドミュージック志向全開です。

【review】
私にとって、ZEPといえばまずJ・ペイジ。なのでそういえば、ペイジのいないプラント名義のアルバムを買ったのは初めてです。
もう何度も聴いていますが、悪くはありません。しかし……、というのがZEPファンの悪いくせでしょう。
もう10年ほど前にもなるか、ペイジ・プラントの時、「この年で『ヘイヘイ、ママ……』なんていっていられるか」なんていっておきながら、ライブではどんどんZEPの曲が多くなっていった。大層なことばかりいっていながら、実はファンのことを考えているというか、商売上手というか、それが60~70's 伝説バンドの共通点とも思います。
とはいえ、30年前と同じことをやっていては、“ロックの神様”は許さない。スーパースターは大変です。
仕事しながらでもきき流せるアルバム。部屋を暗くしてⅡに集中していた10代の頃を考えると……どうでしょう。
と、いまも聴きながらでしたが、リズムは時にはっとさせられます。

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『夕陽のガンマン』 ~重機ATM強盗のルーツか?

2005-06-22 22:20:44 | 映画
006 1965、イタリア、監督:セルジオ・レオーネ WOWOWで収録

【introduction】
一世を風靡したイタリア製西部劇、マカロニウェスタンの傑作。最初、あまりに疲れた時にみて不覚にも寝てしまい、数週間後観了。
私もこの分野はあまりみていませんが、“かっこよさ”の新しいかたちを求めている人には、よい題材になりそうな古典です。とくに“必殺シリーズ”に興味のある人。

【review】
ハイブリッドの魅力、ということでしょうか。
西部劇にしても、ジョン・ウェインをはじめとするアメリカ製傑作の数々が、どうしても“正義”に傾きがちなのに対し、賞金稼ぎとか、単なるというのはよくないですが、単なる復讐のために行動する本作の登場人物は個人的な行動原則に導かれているようです。
そして、有名なモリコーネの口笛が効果的な音楽、黒澤明の影響が強いといわれる、ロングショット多様の映像。つまり、バラバラにしてもかっこいいそれぞれの要素が、結集してまったく別の世界を構成する、雑種芸術としての映画の、もっとも成功した一例といえるでしょう。
思えばこのクールさは、日本の”必殺シリーズ”などにも似たテイストともいえます。そして、この美学が現在の映画からまったく姿を消してしまったのは惜しいことです。
さて、そういうこととはまったく別ですが、日本犯罪史的に興味深いシーンが一つ。銀行から金庫ごとロープでくくって、そのまま馬車で持ち去るというアイディアには感服しました。ワイルドな重機ATM強盗のオリジネイターは、この作品をみていたのかもしれません。
この時期のイーストウッドのかっこよさは触れるまでもありませんが、本作は個人より作品としての魅力が勝ち。私のイーストウッドへの興味は歳がいってからの方があり、監督ベストは『ホワイトハンターブラックハート』や『ブロンコ・ビリー』など自己言及のおもしろさが出た作品です。
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脱出! やつらにとっての人間の個体とは?

2005-06-22 02:46:48 | ねこ
4月頃生まれたカロンタン3世世代ですが、土曜だったか、庭に出るとうち2頭、黒いのと灰色のが部屋を脱出していました。
もとより、親世代が自由に出入りできるよう、窓が一枚開けてあり、昇りやすいように棒も立てかけてあるのですが、2ヶ月半で世界を広げる気になったようです。
ねこ世界の拡大については、またの機会にしますが、今回は、やつらが人間個体をどう認識しているのか
という疑問について書きます。
部屋にいると、寄ってくる同一ねこが、外だとまるでよそよそしいのです。人間なら、「まじい、見つかっちまった」というところでしょうが、人間的な善悪のないねこ、ましてはじめて外に出て、しかられたこともないねこに、まじいも何もあったものではありません。
かつて、カロンタンが冬に家出した時も、なかよくしていた記憶がクリアされたかのように、近づくのに3日くらいかかったことも思い出します。
人間の子どもでも、普段と違う服装の父母がわからないということはありますが、やつらをみていると、部屋のソファにいる自分と、外で動いている自分とを別のものとして認識しているとしか思えないことがままあります。
しかし、同じ部屋に来る人間も、もちろん知らない人が来れば逃げて行くし、その人間が親しそうに長時間いると、安心したのか寄って来ます。
一方、周辺ねこでも付き合いの長い銀にゃんは、ゴミ出しに行く時、家から20mほど離れた近所の家から出てきて、明け方の散歩に合流ということも度々。これは単に、個体による認識力の差ということなのでしょうか。
もっとも、ねこは知っていてもとぼけるくらいは、それこそ“キャネット前”ですが。
謎は深まるばかりです。

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犬接近―なぜ、ねこはそれがわかるのか

2005-06-21 03:15:52 | ねこ
数日前の昼のことです。
仕事でパソコンの前にいると、窓の外で耳慣れぬ「ウー」という唸り声。一瞬前まで平和をむさぼっていたねこどもは、一目散に逃げ出しました。
見ると白い犬が、口を開けてはあはあ。田園地帯ではよく見られる、飼い主の意思か何か間違いか、脱走しての犬の単独行動です。
まあ、犬の方もさほどひまではないようで、すぐに立ち去りましたが、犬など見たこともないねこどもはどうしてそれが危険な生き物だとわかるのでしょう。
50m先のねずみも認知するというほど、ねこの耳がいいことは知っています。
ですが、田舎ゆえに大音量できくレッド・ツェッペリンにもまったく動じないやつらが、小さな犬の息遣いにも、これだけ反応するのは不思議です。
そういえば、まだ家のねこがカロンタンだけで、まだ引きこもり気味だった時、ビデオでみていた映画の赤ん坊の泣き声に異常なほど反応していたのを思い出します。
人間とねことをひとくくりにするのも何ですが、私としてはかつて読んだ、『子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ』正高 信男著、中公新書 で扱っていた問題、からだとことばの問題。ねこの場合はことばではありませんので、生まれつき備わっている、からだと行動の問題に大きく関わっているような気がします。
試しに今、パンと手を叩いたり、唇をプルプルプルとさせたり、「うー」と唸ったりしてみましたが、「何だこいつは」といった感じでこっちを見ると、なぜだか何頭か寄って来ました。
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カロンタンのこと

2005-06-18 01:58:43 | カロンタンのこと(ねこ)
まず、登場するねこどもの紹介からしなければなりません。

最初に正式にうちのねこになったのが、このブログのタイトルにもなっているカロンタン。2003年の9月に当時の研修先の動物病院に捨てられていたのを飼わないかと、いまは別の動物病院の看護師をしているS子さんが連れて来てくれました。

はじめのうちこそ、積んである本や箱の間に引きこもったり、かみつき暴れ、家出をして雪の中3日ほど帰ってこないこともあったカロンタンでしたが、04年の新年を過ぎたあたりでは、すっかり打ち解けて楽しい毎日になりました。

カロンタンは一般的雑種のくろとらで、来る人来る人、「かわいい顔してるんじゃない」「子ども6匹産んだとは思えないかわいさですね」と、もちろんお世辞があるにしても、おほめの言葉を多く頂いた、そんなねこです。
見かけだけではありません。たとえば、部屋に積み上げられたビデオの山、カロンタンの子や孫は、ばたばたとよく倒していますが、驚いたことにカロンタンは、どんなに素早く走って飛んでも、一度として山に接触することはなかったのです。
目が異常によかったのか、それともからだのコントロールが抜群だったのか、ともかく、ビデオの山を確実によけることができるのがカロンタンでした。

最初から避妊手術をしてもらえるはずだったカロンタンでしたが、なかよくなってみると、その子どもというより親になったカロンタンをみてみたくなりました。手術は延期してもらって、風の強い2月、外をほっつき歩いたカロンタンは、いつしかお腹が大きくなり、遠くスペインではサッカーのクラシコ、バルセロナ:Rマドリッド、アメリカではやはり伝統の一戦、ヤンキース:レッドソックスが行われていた4月26日の朝、6頭の子を産み、2日目に死んでしまった1頭以外は、いまも元気に活動しています。
部屋の中で子育てをしていたカロンタンは、「まあ、よろしく頼むな」というと、いつも「ニャ」と、短い返事を返してくれました。

それから3ヶ月。五きょうだいも、もうお乳も必要ないかなと思われた7月の暑い日、裏の道でカロンタンは車にはねられて転がっていたのです。

そんなわけで、いま部屋にはカロンタンの子5頭と、その子がわかっているだけで12頭。それから外には、カロンタンが来る前、2001年頃からよく来ている銀にゃんとその一族、ほかにたまに来る近所のやつらと、多くのねこたちが活動しています。

これまで身近な人々には、ああだこうだと語っていたうちとその周辺のねこどもの様子を、これからこのブログで記録していきたいと思います。
なんといっても、ねこどもは話ができませんから、私のような人間が、いちいちどうだった何をしたと言葉にしませんと、何ともなりませんので。

だから、ブログの名前は『カロンタンのいない部屋から』
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『グランド・フィナーレ』~よく練られた破綻

2005-06-18 01:01:28 | 読書
阿部和重
文藝春秋中で

【introduction】
芥川賞受賞作にして幼女性愛がテーマ。毎日出版文化賞、伊藤整文学賞受賞の『シンセミア』と同じ神町ものです。
“現代的”な風俗があれこれと描かれ、なるほどそうだったのかと勉強になる一冊で、おもしろいことはおもしろい小説。

【review】
物語の構造にやけに意識的な著者は、若手の中で気になる存在です。『インディヴィジュアル・プロジェクション』は、映画『メメント』など世に数ある“実はこうなんだもの”の中でも出色の作品と思います。
本作も、幼女性愛だのドラッグだのという道具立てのもと、愛娘と引き離されて帰った地元神町で出会った天使のような二人の少女との無償の愛の日々でグランド・フィナーレを迎えるという展開はよくできているといえるでしょう。
しかしこういった“意外な展開”も、インディペンデント系アメリカ映画をはじめ、めずらしいものではなくなってきているのも確か。「意外な」はすでに「やっぱり」で、よく練られた破綻という感じがどうしてもしてしまいます。もっとも、そんなことなど著者にすればどうでもいいことなのかも知れませんが。
すぐれた表現には「破綻」という「力のある意外性」がつきもので、それが作品全体に生命を与えます。ウェルメイドが持ち味の著者ですが、今後、一つ突き抜けた破綻ある作品を期待します。
村上龍の「この作品がもっとも知りたい情報があったから推した」という芥川賞選評に納得。
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『赤瀬川原平の名画読本―鑑賞のポイントはどこか』 ~批評にとってのライブ感

2005-06-18 01:00:04 | 読書
OB01
ブックオフにて購入。

【introduction】
赤瀬川原平氏が自身の西洋古今名画、観賞のポイントを語る。
みる人、語る人として一流の氏がどのように絵をみるかが、まるで氏自身になったかのようにわかる貴重な読書体験。
途中まで読んで置いておいたのを、『月と六ペンス』を読んだのを期に読了。

【review】
この上なくおもしろい美術ガイド。そして今まで読んだ美術ガイドとは、まったく違った印象がありました。
何なのか考えてみると、本書の場合、一枚の絵のどのように感じそれがどのように自身の中で変わっていったかを丁寧に記していること、かなりの精度で時間軸に忠実であることにあるように思います。
どんな表現、いや表現以外の人やもの、事件でも、私たちは次々にその見方を更新しているのが普通です。ですが言葉としてそれを語る時、その途中に思ったことは置いておいて、最新の地点からどう思ったのかを記していく、それが何かを語るということの宿命だと思います。ちょうどカメラがたとえ鏡を使っても、決してカメラ自身を映すことができないように。
そんなジレンマを本書は、最初見た時はどうだった、その頃の自分はどうだった、自らも筆を手にする氏が、その作品からどんな影響を受けたのか、を語ることによって、一気に吹き飛ばしています。それは氏が本書で繰り返している、この絵のこの部分はこういう風に描かれたのではないか、こういうつもりで描いたのではないかという考察と入れ子構造になるように、絵の作者~著者~読者、3次の樹形図を構成しているといえるでしょう。
いってみれば、批評にとってのライブ感。たとえば、絵の全体をみた後、個々の部分についての思いをめぐらせ、もう一度全体をみて違った印象を考え直すといた絵の前の誰もに起こっていることを、そのままのかたちで記したことが、本書のスリリングさの秘密なのだと思います。
ちょうどこの本を読んでいた頃、T・アンゲロプロスの新作『エレニの旅』を劇場でみたのですが、彼の独特のカメラの動きは、本書の赤瀬川氏の目の動きに似ているように感じました。全体からみて、細部に近づいて戻ってきた時には驚くべきことが起こっているという点が。
なお、みる人、語る人として一流の氏の書いたもので今まで読んだ中一番のお気に入りは、毎日新聞内『ねこ新聞』にあった、「何といってもやつらは全員全裸である」です。
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『月と六ペンス』 ~“奇妙な体験”を描く装置としての奇妙なかたち

2005-06-18 00:58:06 | 読書
S・モーム 新潮文庫
ブックオフで購入

【introduction】
「ゴーギャンの伝記に暗示を得て芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」とカバーに。
しかし、私としては登場人物ストリックランド=ゴーギャンの人物像とともに、小説そのものの奇妙さが強いしこりとして残っていて、それがこの読書体験を貴重なものにしています。
いろいろな意味で名作。

【review】
この小説の魅力を、読後、しばらくしてから時々考えます。
まず、初めはやけに退屈。そしてストリックランド登場で、物語は俄然おもしろくなり、ストルーヴ夫妻の参戦をもって最高潮に達して突然消え、再び南の島の燃えるような冒険を、当時を知る人の聞き取りのかたちで語り出します。
いわゆる手に汗握る、はらはらどきどき、というおもしろさが世の中にはあり、現在の多くのエンターテインメントはその方向でつくられています。そこでは驚きということは大きな魅力であるけれど、はらはらさせよう、びっくりさせようと思うほど、つまらなくなる、そういうことはよくあります。
ところが、文庫解説によると「安心して通俗的といえる作家」モームは、芸術的な存在に向ける通俗的な読者の側の興味を、これまた解説によると「モーム得意のシニカルな笑い」でもって引き出すことに成功しました。もはや通俗とも芸術とも、おもしろいともつまらないともいえないような、奇妙な地点にもう一度引き戻している、そう思います。
登場人物たちに向ける、語り手の視線の揺らぎのなさがまた奇妙。それがまたこの小説を、登場人物たちをさらに奇妙なものに感じさせ、何ともいいがたい重い感じを残すのです。
わからないということをこれだけ魅力的に描いた作品には、これまであまり出会ったことがありません。そしてそのわからなさこそ、本作の確かな魅力であり、この奇妙な小説のかたちは、語り手がしたはずの奇妙な体験を描くのに不可欠だったように思います。
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“The Forgotten Arm /Aimee Mann” ~フォーガットゥン?

2005-06-18 00:56:17 | 音楽
001
2005
アマゾンにて購入

【introduction】
映画『マグノリア』や『アイ・アム・サム』で知られる、
米のシンガーソングライター、エイミー・マンの5作目。
これまできいたのは前作だけですが、
M1は個人的02年ベスト洋楽シングルでした。

【review】
70年代舞台のロード・ムービー仕立てという今作。
意欲作と思います。
ただ、小説風の歌詞をよくきかせようということか、
アルバムの曲調にはさらりとしていて、
かけっぱなしにしていて、はっとさせられる場面は前作より減っています。
とはいえ、曲づくりのうまさは変わりありませんし、
バンド感重視という音づくりも緊張感いっぱいです。
評価の高い歌詞、今回は読みながらきいてみました。
物語を前面に押し出した作風は近年では、
ニール・ヤングの『グリーンデイル』が連想されます。
ただし、物語が頭に入っていれば、情景も浮かびますが、
歌詞カードに頼らなければならないリンスニング力では、
おもしろみは割引。
自分の力なさゆえの割引でも、
数年後、A・マンの音楽をきこうと思い立って、
まず探すのは前作の方になるでしょう。
ジョー・ヘンリーは、知らなければそうと気づかないほどの
抑えのきいた仕事ぶりと思います。

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『ゲロッパ!』 ~通俗を描く技量

2005-06-18 00:53:21 | 映画
005
2003、日本、監督/井筒和幸
WOWOWにて

【introduction】
いろいろ物議をかもしている井筒監督ですが、
作品自体を観賞するのははじめてで、
けっこう楽しくみました。

【review】
非常に正統なコメディで、いい意味での通俗性が
よく出た映画だと思いました。
展開が先読みできる脚本ですが、
ウェルメイド志向のこういった作品では、
かえってきついどんでん返しは必要ないでしょう。
岸辺一徳、山本太郎がうまいのはわかっていましたが、
私自身はあまり目にする機会のない、
西田敏行、常盤貴子もいままでみた中で一番。
私としては、そのことだけでも、
井筒監督、技量十分と頭に刻まれました。

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『陽だまりの庭で』 ~シリアスでなく描くシリアスな戦争

2005-06-18 00:51:09 | 映画
1995、フランス、監督/フィリップ・ド・ブロカ
NHKBS2にて

【introduction】
『まぼろしの市街戦』などで奇妙な戦争のかたちを表現した
ブロカ監督の遺作で、本作でも
“シリアスでなく描くシリアスな戦争”が、
95年作という新しめの映像で語られる。

【review】
『まぼろしの市街戦』『リオの男』
『カトマンズの男』『おかしたおかしな大冒険』
というブロカ監督作はいずれも大好きで、
それだけに楽しみにしてみました。
結果、この監督の奇妙な感覚の秘密が、
表現の方向は大きく違っても、
たとえばロベール・ブレッソンにも通じる、
具体的な描写にあるということに初めて気がつきました。
風船シーンやカタコンブなどのおじいさんと孫娘の楽しい“遊び”、
そうしたものの積み重ねが、父親の銃殺シーンのような
悲惨さを浮き上がらせています。
おもしろさからいえば、やはり60~70年代の作品の方が上。
しかし、「この監督の作品にとって歴史的な意義がある」
というフレーズが、旧作でなく新しい方の作品にもあるということに
改めて気づかされました。


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『ヒッチコックの ゆすり』 ~音声が拓く画面

2005-06-18 00:48:03 | 映画
1929、イギリス、監督/アルフレッド・ヒッチコック
シネフィル・イマジカにて収録

【introduction】
ヒッチコック自身、英国時代でもっとも好きな作品だというトーキー第一作。
やはり、ヒッチコック作を多くみている人向きでしょう。

【review】
ストーリーはそこそこ。
何より、トーキーという新たな技術を手にして、
いろいろと冒険を試みているヒッチコックの監督術が楽しめます。
音声があるとスクリーンが広がるということが、
私にとっては改めての新発見でした。
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『リリア 4-ever』 ~ドキュメントでは語れないリアル

2005-06-18 00:46:14 | 映画
2002、スウェーデン、監督/ルーカス・ムーディソン
シネフィル・イマジカにて収録

【introduction】
世に少なくない、“痛い”表現に引き寄せられてしまう人なら。
といっても、劇場未公開、ビデオなしのため、今後の拡大に期待。
本国スウェーデンで、『タイタニック』を上回った動員数という、
『ショー・ミー・ラヴ』(98)のムーディソン監督第3作。
未成年売買を扱ったとてつもない衝撃作ですが、
私にはドキュメントでなく劇映画というかたちで
表現したことが大変意義深いことと思われます。

【review】
どうしても、『ショー・ミー・ラヴ』の話から。
「おお、スウェーデンの若者もこんなにつまらながってるのか」
と思われる、ぎざぎざの前半から始まってみるものの共感をつのり、
それを終盤の大盛り上がりにつなぐ手腕には、
監督第一作とはいえ、大いに感心したものです。
前情報のないまますすめた私周辺の反応も上々で、
これが大ヒットするスウェーデン恐るべし、との印象を強くしました。
そして、機会なく2作目は未見ですが、本作をみることで、
『ショー・ミー・ラヴ』の驚きが何だったのかがわかった気がします。
退屈はリアルだけど、すべてではない。
現実がどんなに過酷でも夢を見ることはできるから、
本作での羽根は『ショー・ミー・ラヴ』の恋慕であり、
ただ本作については、ストーリーが救いようもない方向に向った、
ということなのでしょう。
管理人さんのジャガイモを拾うシーンが、
モラルやなんやかなで、正しさやいい加減さをうつろう
十代の姿を描き出していて見事。
表現としては、「羽根」によって幻想を区別する
“わかりやすい”手法が、好みは分かれるでしょうが、
本作をみてほしい層に訴えかける手段として好感が持てました。
痛い映画、しんどい映画を避ける人は多いし、
もちろん、それはわからないでもありません。
ですが、映画にある種のリアリティを求める人が
こういった表現に引きつけられるのはそれ以上によくわかります。
今、そういった表現で見逃せないのは、
知る限りでは国内で塩田明彦、海外ではこの監督でしょうか。
次作も目が離せません。

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『アラバマ物語』 ~「正義」と「子ども」、シリアスさと幸福感

2005-06-18 00:40:51 | 映画
002
1962、アメリカ、監督/ロバート・マリガン
NHKBS2にてDVD保存

【introduction】
黒人差別を通してアメリカの良心、正義を考える社会派の傑作。
グレゴリー・ペックがアカデミー賞に。

【review】
描かれているのはアメリカの“建前”のいい部分。
正しさ、公正さ、誇り、
力強くありながらそれを誇示しないだけの慎み、
主演G・ペックのキャラクターはそれを十全に表現し、
映画全体が、そういった価値を信じられた時代の
幸福な空気に満ちています。
ですが、本作でもっとも印象強いのは語り口の絶妙さでしょう。
子どもの時間を描いた映画としてもとてもよくできていて、
差別を描いた社会派と子どもの、奇妙なマッチに唸らされます。
こんな掟破りも、いい意味でのアメリカ映画らしさ。
成長後のペックの娘から語られるナレーションが、
子どもたち3人のかけがえのない出来事に時間差を与えることで、
製作年代より30年前の設定になっているこの映画の世界を、
過去であると同時に現代の問題として立ち上がらせることに
成功しているといえそうです。
家政婦が雇い主の子どもをたしなめるシーン。
英米文学ではおなじみの、
使用人がお坊ちゃん、お嬢ちゃんに意見する光景は、
アメリカの正義が光を失うとともに、
映画からも消えてしまいました。
あっと驚いたのはロバート・デュヴァル。
これが『地獄の黙示録』のギルゴア大佐と同じ人とは。

※最初に書き込んだ時、ロバート・デュヴァルの
 『雨のなかの女』の役柄について、
 記憶違いがあったので直しました。

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