小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

カロンタンのごちそう

2006-07-28 13:46:39 | カロンタンのこと(ねこ)
27日は2年前にカロンタンが裏の道で転がっていた日。今日はやつのこと書きましょう。

思い出すことはいくらでもあるけれど、今回はカロンタンのごちそうの話。
その子孫と同じくキャネットを中心に食べていたカロンタンですが、今も子どもや孫や曾孫がそうしているように、私が風呂上りに持ってくるつまみの類、つまらぬものですが「ごちそう」と呼んだものは、食生活に変化をつけるために特別な何かだったようです。
人間と違って食べ物に飽きないといわれるねこ。ですが、私がみる限りではいつも同じキャネットをそうは喜びません。といって別のカリカリ、お魚たっぷりなどを買って来てもあまり食べたがらないので詳しいことはわかりませんが、ひとまず確かなことは、やつらの誰もが私が持ってくるごちそうに目の色を変えて集まって来るということです。

ねこどもが特に好きなのは、肉類ならレバーで魚類はサバ。ねこは「バ」で終わるものが好きなのかと思ったりもしましたが、そういった名前を知らないやつらにとっては関係あるはずがありません。
レバサバを持って入って来た時の集合スピードの違いからやつらがそれを何らかの手段で認識していることは確かですが、名前のないものに期待するというのがどういう状態なのかは言語を解する人間にとって知るすべのないこと。もちろんプリプリとしたレバサバの感触と脂肪分の快楽が、小さな前頭葉に残っているに過ぎないでしょう。ねずみでさえ脂肪分に味をしめるという記事を読んだ記憶もありますから。
いずれにしてもとくにレバサバの時は、やつら全盛期のバレンシアのようなハードなプレッシングでにゃーにゃ-。脚をひっかくやつもいて困ったものです。今日の“サバ・ポゼッション”は人間41:ねこ59だったなとか思いつつ、キュウリとか冷奴とかねこチームが関心を示さないつまみのハーフタイムを迎える時、「なあ、カロンタン」と行儀のいいカロンタンと差しで飲んでいた日々を思い出します。

子ねこ時代を家ねことして過ごしたカロンタンは、外に出した最初は付近ねこの銀にゃんに近づいては怒られる繰り返しでした。それでも子どもを産んで母親になってからずいぶん強くなり、銀にゃんを追い払うこともしばしば。キャネットをやっている時は何ともなかったですが、私がごちそうを持って帰って来ると目の色が変わりました。
ドアの前で待っている銀にゃんに、「まあ、おめえにもちょっとやるからよ」とアジのせいごの下とか肉と一緒に炒めたもやしとかをやろうとすると、どこからかタタタッとやって来て、「フやーっ!」と銀にゃんを追い払います。いつもあまりの剣幕なので、「わかったわかったカロンタン。もう銀にゃんにはやらないよ」と言い聞かせ、銀にゃんにすまないなと思いながら、落ち着いたカロンタンと子どもたちといっしょにごちそうの時間を過ごしたものです。
2年前の27日、昼から風呂に入って来ると銀にゃんがドアの前にいたのに出て来なかったカロンタン。「おっ、今日は来ないから少しやるぞ」とアジか何かを少しあげて、アナログプレイヤーにあった確かブルックナーをきいてビールを飲み、呑気にやつはどこ行ったんだろうと思っていたのですが、その時には暑い日差しの下で道に寝転がっていたのでしょう。

それから多くのねことの別れもありましたがいつも思うことは、「ねこがいい」とはどういうことだろう、ということです。
“かたち”なら写真があればいいかも知れませんが、それではちっともおもしろくない。“手触り”も大きいですが、夏にはちょっと暑苦しい。
あの『星の王子様』でバラの花を想うプティ・プランスにキツネがいったように、それはきっと「ひまつぶし」をしたから。具体的にどういうことかを多少は科学的にいうと、カロンタンがみた世界がカロンタンの頭の中にある電気信号の束をつくりだし、それが動かすカロンタンをみたことで私の頭の中にまた別の電気信号の束が生まれ、カロンタンはそれがあまりに気持ちいいから何度もその電気信号を求め、私の方もその電気信号が嬉しくて何度でもカロンタンがみた世界をみようとする、そういうものだと思います。

カロンタンが大事にしたごちそうと、ごちそうを大事にしたカロンタンを思い出すこと。
ねこにどれだけ記憶というものがあるかは明らかでなく、母親の話をしても何も答えないカロンタンの子どもたちをなでながら、カロンタンを思い出せる人間の幸福を素直に喜び、またその不幸を存分に悲しむこと、それが“私という人間の大事なごちそう”に違いありません。
それにしても、好きなものが好きなもののことを考える時のこの快さ。一体何なのか。生きている限り私は、カロンタンが好きだったレバサバをカロンタンを思い出しながら食べることができるでしょう。

(写真は2年前5月のカロンタン。庭の名の知れぬ樹にいた場面で、背景をつけたようですが無加工です。BGMは、やつとなかよくなった頃、よくきいていたので「カロンタンのテーマ」とも呼んでいたハイ・ラマズの「ザ・クリック・アンド・ザ・フィズ」。今日は何度も何度もききました。イントロのヴァイオリンにキョロキョロしていたカロンタンをよく憶えています。ハエかなんかがいたのかも知れませんけれど)
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キュラソ星人、アゲイン~“いつまでも暗い夜さ”

2006-07-26 13:14:16 | 身のまわり
先週の出来事、というより、ある人物らしき人をみた時に考えたことから。しばらくぶりの「身のまわり」です。

はじめてその“キュラソ星人”に会ったのは、確か秋から冬にかけてのスーパーマーケット、ベルクである。
深夜、ただ一つ開いたレジ前に並んでいると、目の前にキュラソ星人に似た男。穴だらけの顔に紺の作業服がいかしたその男の顔を、何となしにながめた。
するとおばちゃん従業員が別のレジで、「お待ちのお客様どうぞ」。それまでの順番、すなわち時間がなかったものにされてしまうこういう時、私はほかのひとを追い越さないようにしている。
それで前のキュラソ星人にいった。「あ、あっちが開きましたよ」。するとキュラソ星人はいう。「うるせえな。行きたきゃ、おめえが行きゃあいいだろう」。
さすがは宇宙人。思わぬ反応にうっかり照れ笑いしてしまい、「そうですか。じゃあ」と新たに開いたレジに豆腐とか何とかそういうものを持って行った。

これは“キュラソ星人との出会い”として、私の中で大きな事件になった。
私は教育思想の上で“インテグレイト派”である。これまで“誰もが行ける公立学校”で“わけのわからぬ輩”と接触することは、それがどんなにわけがわからなくても、世のヴァラエティを知る上で役に立たないことはないと思ってきた。そういう機会を失って限定される階層とのみ触れ合おうとする“ディグレイト”な私立校は、とくに中学校くらいまでの時点ではマイナス面が多いと。

だがこの夜のキュラソ星人との出会いは、そんな能天気なユートピア思想に打撃を与えた。
キュラソ星人とはいえ人。仕事でか何かとんでもないことがあったのかもしれぬとか、実はやつは正真正銘のキュラソ星人で、『ウルトラセブン』ではそういう機能は明らかにならなかったが、私が「こいつキュラソ星人に似てるなあ」と考えていたことがわかっていたのではないかなどと考えてもみた。しかし、私が地球人の心を読めるキュラソ星人だとしても、レジ前で先をすすめられれば、笑顔で「そうですか、じゃあお先に」と応えるだろう。それが地球人というものだ。

帰りの車の中で、キュラソ星人の穴だらけの顔を思い浮かべながら考えた。
何かいって「うるせえな」と返されるような人物に触れることは、時間の、人生のむだ使いではないか。キュラソ星人には、会わなければ会わない方が好ましいのではないか。
この話は就学前の子どもを持つ同年代の親たちの何人かに、自分の思想上のエポックとして話した。

と先週、そのキュラソ星人らしき人物を、現場のスーパーから1キロも離れていない山田うどんで見かけた。私は人の顔を見分ける能力の低さを自認しているので確信はないが、その山田うどんでも、季節が変わって梅雨の明けない7月後半でも、キュラソ星人は紺のニッカーボッカー風作業着である。間違いない、キュラソ星人だ。ほかに客のいないカウンターの反対側で、見ていると「うるせえな」といわれそうなのでちらちらと確認するにとどめた。
私のねじくれた“期待”は高まる。
確かかき揚げセットかなんか頼んだキュラソ星人は、何ヶ月前には別の店で強盗を説き伏せてニュースになったほど強力な、山田うどんのおばちゃん従業員とどう対戦するのだろうか。

しかし、おばちゃんにキュラソ星人は礼儀正しい。
かき揚げセットが運ばれてくると「あっ、どうも」。『ウルトラセブン』でのガソリンのように素早く平らげると「あっ、ごちそうさまです」。ベルクで見せたザラザラした感じは、まったく見せなかった。

それから、二度のキュラソ星人遭遇について考える。
単なる私の見間違えか、それとも山田うどんのは別の、いいキュラソ星人なのではないか。
そしてそれより、私は自分がこのキュラソ星人について物語を紡ごうとする、ミッシェル・フーコーのいう「ディスクール」のはたらきでキュラソ星人との二度の接触を語ろうとしているのではないか、ということに気づいた。
私は、ベルクで自分の思想を揺るがしたあらくれキュラソ星人が、山田うどんで態度が変わるという物語を、ただ語りたいだけなのかも知れないと。

うむ、恐るべしキュラソ星人。『ウルトラセブン』で何度も驚かされたように、やつは突然現れる。

※キュラソ星人(写真)=ウルトラセブンに登場した宇宙人。ガソリンが好物。「インテグレイト」は「積分」、「ディグレイト」は「微分」。「インテグレーション」は社会学で、障害者を一般社会に置こうとする統合を意味しますが、私はひとまず「誰でもいっしょで分けない」というくらいの意味で使っています。

(BGMはパソコンにあったデヴェンドラ・ハンバート "cripple crow"から、ねこどもが棚から落した、細野晴臣・忌野清志郎・坂本冬美のHIS『日本の人』。M3『夜空の誓い』、「いつまでも暗い夜さ」というフレーズが頭に残る)
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かけがえのない、夜中の庭をねこと歩く時間

2006-07-24 18:13:36 | 週間日記
よし、月曜に先週日記。しかしまたも途中更新なし

17日(月)同級生M君、その友人N君一家と市内・きんとうで懐石料理。子どもたちとともにトロン風呂にも入り、不思議楽しゆったりの夕べ
18日(火)資料を取りに来たOB・I君と少し発泡酒~籠原・福龍で大盛味噌ラーメン~朝まで働き、仕事「情報ビジネス」完了
19日(水)塾はしご。大学生F君、今日は寝なかった
20日(木)仕事「競馬」一段落。夕、籠原・山岡家に。先月の飲み会の話では同店で待ち構えているはずの関係者W君発見できず。また次回
21日(金)夕、山田うどんで辛口カレーセット。長年のファンだが、こういう店は同じカレーならへんにひねらない方がいいのだと気づく。やはり力尽きるまで原稿
22日(土)昼、撮影。一日食べず腹がヘリ、籠原・福龍で大盛しょうゆラーメン。その後、塾で仕事~力尽きて寝る
23日(日)朝帰り、途中ねこどものキャネットなど買い物。競馬だめ。在宅で甥もいたので、やつがゴボウなども買い天ぷら製作。ワイン1本開けてオールスターはやはり藤川に酔う

依然、多忙な日々は続き、W杯が終わっても映画はみられず。「サッカー」「競馬」と楽しい仕事で楽しいことは楽しいが、もうちょっと余裕がないといろいろな意味でよくないでしょう。

日曜。部屋に戻ると、弱り気味だった夏こねこ1頭死んでいる。持ちなおしたかに見えたが。深夜前の畑に穴を掘って埋めていると、なぐさめに来たのかカミーラとキャサリンがにゃーんにゃーん。道には行くなよ、車が来るからな。シャベルを持っていっしょに帰ります。
かけがえのない、夜中の庭をねこと歩く時間。

(写真はもう産みそうにお腹巨大化のカミーラ、梅雨の庭で接近の図。この後いつもドアを開けると入って来て、ものどもを押しのけてキャネットをカリカリ。食べるとまわりの一般ねこどもをフーフー威嚇し、みんながあっけにとられる中、窓からまた外に行くのが最近のパターン。BGMは最近の愛聴盤、フリー・フォークの若き旗手デヴェンドラ・ハンバート "cripple crow"。つたない pf 4つ打ちに律儀なギターのストローク、夢見るへたさいい按配のコーラスで、ジョン・レノン "oh my love"を思い出すM3は05年度上位ランクの1曲)
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固まって寝てどんどん育ってもうすぐ暑くなって

2006-07-18 14:37:23 | 週間日記
忙しい日々が続き、間に更新なしの先週日記。原稿の合間を縫って。

10日(月)昼、原稿~夜、塾で原稿書いていると、OBのO君、続いてI君が来て発泡酒を少し
11日(火)同級生M君宅でN君一家とともに夕食。
12日(水)MLBオールスターは、眠りながら仕事しながら。録画したので後で見直そう。シャワー後、W杯終了に合わせて買ったCD3枚のうち最初の1枚、Devendra Banhart "cripple crow"初聴。静かに燃えあがるききどころいっぱいの1枚。国済寺・増田屋で大もりそば。その後、塾はしご
13日(木)大学生F君がテスト勉強に。途中、競馬好調のOB・T君ご祝儀ビール持って現る
14日(金)塾。そのまま原稿~寝る
15日(土)朝帰り~原稿~シャワー~競馬3千円台1点。新譜CD、Paul Weller "catch-flame!"初聴。思った通りのすばらしいライブ。前回来日見送って後悔。しばらくラーメン開いたことに気づき、これではいかんと籠原・福龍で大盛味噌ラーメン~塾で原稿~寝る
16日(日)前日と同じ朝帰り~原稿~シャワー~競馬当らず~夕食に田所町・餃子一番でラーメン・半チャーハン+餃子、650円で満足、羽根も大きかった。塾で仕事始めると約束あったOGのCさん夫婦来て夏フェスなどの話。夫婦帰ってさらに原稿

W杯が終わりサッカーがなくなっても、仕事押し寄せて自由な時間なし。今回は家に帰るとサボってしまうので、塾でやるだけやって力尽きて寝、朝帰ってまた原稿、夕方シャワーで少し寝るという新たな生活パターンに。
こうなると頼りになるのは何といっても音楽。こんなに働いてんだからいいだろうと自分に甘くなり、ついアマゾンに接続してしまうのだった。そうだ、メールが来てあまりに安いので、何年振りかでキャンバスのスニーカー、コンバース・ジャック・パーセルなんてのも買っちまった。
帰ってきた梅雨にも、同居の人間が忙しくてもねこはねこ。やはり夏仔は弱いのか死んでしまったのもいるけれど、生きてるやつらはいつもと同じように、固まって寝てどんどん育ってもうすぐ暑くなって。

(写真は group sleepin' on the piano の春生まれ3頭。黒いのは保護色でよく見えず。撮影後、起きて解散も一番でかい暫定名タイツ(手前足先を枕にしたやつ)、けぽけぽと液体少し吐く。おい、やめてくれ。BGMは力の抜けた演奏とぽやぽやヴォーカルのコラボレートでもなぜかわずかな緊張感がある calexico / iron and wine "in the reins")
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祭が終わり「新しいブルース」が

2006-07-13 17:43:57 | 週間日記
地上最大の祭典、W杯が終わって忙しくなり、先週日記も木曜更新です。

3日(月)早めからテスト勉強。夕飯、Hさんから差し入れ
4日(火)朝、同級生M君に誘われ、深谷シネマで高3以来24年振りに劇場でみる映画『天井桟敷の人々』。すでに18歳になっていたのに、あの時の自分は何をみていたんだと感入。帰り、黒んぼ食堂へ。後、塾のはしご、途中Hさん宅でさらに夕食をごちそうに
5日(水)夕、山田うどんで天ぷらそば
6日(木)取材で東上線ときわ台へ。帰りは疲れたので上野に回り、大山のコロッケの後、向かいの立ち飲み屋で串焼きを
7日(金)テストも終わり、M君一家、N君一家、OGのSさん、Jさんと七夕祭に。串焼きを食べていると、中学校勤務時代のサッカー部生徒S君が妻子と隣にで、これも約10年振り。お化け屋敷方面などに歩き、同級生H君のお姉さんにも会う。塾に戻って地元製品ガリガリくん食べながらW杯などの話でいろいろと楽しい一夜
8日(土)朝帰宅。午前に仕事してるととなりの家からはみ出した樹の枝を切るから車をどかすようにいわれ、なんか申し訳ないので枝を一輪車で畑に運びながら少し話。その後ビールL缶3缶とバームクーヘンをもらい、かえって申し訳ないよう。久しぶりの汗。夜は仕事でW杯、3位決定戦は途中で寝る
9日(日)地区のソフト大会中止で昼は競馬しながら仕事で、夕方からそれだけやる慰労会。なんだかけっこう飲み、W杯決勝は途中でリタイヤで、起きてから興奮

1ヶ月の熱狂は意外な結末を迎え、大陸の東方では奇妙なものが空を飛んだりしている中、やはりファイナル終盤の事件の真相に目が向く祭の後。
とそんな時、わが国でもっとも重要なロックンロールのゴッドから突然のニュース(http://www.kiyoshiro.co.jp/)が。
「何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで……夢を忘れずに!」。
そうか、“強さ”とはつまり、“楽しむ”ということ。

(写真はなぜかモニター上が好きな春こねこ暫定名くろすりむ。昨夜弱っていた1頭が朝、死んでしまったけれど、清志郎さんのようなブルースで送りたい。昼にうどん食べながらきいたDJタローのJ-WAVE。清志郎さんのニュースにかかったのは、『すべてはALL RIGHT』だった。すばらしい。J・レノンの悲報で『イエスタデイ』をかけていた日本のテレビ局が批判されたのももはや懐かしいが、こうした選曲にこそやはりステーションの志が出るもの。BGMはそんなゴッドではなく、清志郎もきっと好きそうなアメリカの若手で、W杯終了に合わせて到着したデヴェンデラ・バンハート "cripple crow"。かたちこそ違えど、初期RCサクセションのような耳触りが終わらぬ梅雨空に心地よい)
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"invisible MF"~日本蹴球愛好家の2006年7月3日(後編)

2006-07-07 11:56:07 | スポーツ
決勝は伊仏という、当たり前過ぎてつまらないようにも感じられるほどの意外な組み合わせに。0:0PKにだけはなってほしくなく、できればアンリ、デルピエロあたりのインプレーのゴールがみたいと思います。
前回前編から開いてしまい、このまま書かずになってしまうかなと思った、引退発表のナカタについての記事。

日>
思えば、ナカタについて考えたことはほとんどなかった。

たとえば、ジダンが唯一のCL優勝を引き寄せたボレーシュートをはじめ、名選手にはさまざまな名場面がついて回る。しかし私の中では、ナカタについてそんなシーンはない。
もちろんあまり日本の試合をみないということがあるにしても、好きな小野や柳沢の、反対に苦手な中村のシーンならいくつも思い浮かぶ。だがナカタについては別。位置こそ違うが何度もポジショニングのよさに唸った井原などとも違い、おお、なんでこんなところに、と驚かされたこともなかった。

私にとってナカタは、ザ・コーラルのアルバムタイトルからの思いつきでいえば"invisible MF(見えない中盤)"。どんなに動き回っていても、気になることはほとんどなかったのだ。

そこで初めて、ナカタのことというより、自分のサッカー観について考えた。
私は小野のことをよく“日本のアイマール”と呼んでいるのだが、特に中盤でボールを前線に供給するプレイヤーには、私はどうしてもかつて、ナカタとは共著を出す関係でもある村上龍氏が「シンコペーション」と表現したような、意外性のある展開を期待してしまう。

数年前、まだNHKがスペインリーグを放送していた頃、確か早野氏だったと思うが、ジダンとアイマールを比べてとアナ氏にきかれ、「まったく反対ですね。ジダンは組みたてる選手、アイマールは崩す選手なんです」といっていたのを思い出す。この点でいえば、私がみたいのはいつもアイマール型だ。今年のW杯なら好みはロシツキで、多分評価は最も高いだろうリケルメは、ビジャレアルでのプレーを含めてあまりおもしろいと思ったことはない。
ほかでも、例えばサッカーで最もエキサイティングな出来事であるミドルレンジからのシュート。ジェラードやバラックらのそれは、ほとんどリズムが前倒しになることから訪れる快感ではないか。さらにいえば、やっていることはいつも同じなのに、ほかの選手が数秒こねてから打ち上げるところを、いつも誰も準備できないうちに美しいクロスを上げる右サイドのベッカム、ゴール近くでボールを奪い、普通なら一つ前の選手に渡してから攻撃に移るところ、すぐに攻撃を始めてしまうヴィエラ、ボールを奪う前から、あるいはパスをもらう前からすでにドリブルに入っているホアキン。私がいつも好きといっている選手には、必ずそんなシンコペーションがある。

と、ここまで考えて、唐突だが、ずいぶん前に読んだ福田和也氏の『甘美な人生』という文芸評論で、柄谷行人氏の文に触れていた箇所を思い出した。
ニューアカの洗礼を浴びた世代の例に漏れず、私も柄谷氏の文章に感服してきた一人だ。「商品」を「言語」に置き換えて一つのテキストにまったく新たな命を吹き込んだ『マルクスその可能性の中心』や、近代初期にスポットを当てることで私たちの現在を解体してみせた『日本近代文学の起源』のスタイルは、自分がものを考えるベースの一部になっている。しかし福田氏によればその柄谷氏の文は、その文脈の緻密さゆえに、読者に考えさせない文だという。
この指摘は新鮮だった。一部の隙もなく進む論理。それは完璧に進むゆえに、読者に考える時間を与えず、その論理に乗って考えないまま、論理を浴びるように読書の時間が流れていく。
だからといって、私にとっての柄谷氏の文章の魅力に変わりはないのだが、魅力的なテキストの魅力の意外な機能に気づかされたこの福田氏の評は頭の真ん中の方に残っている。

私がナカタの、リケルメの魅力がわからないのは、単に自分のサッカーのみ方が幼稚なだけなのではなかったか。
私がサッカーに求めた「幼稚な意外性」は、見かけはまったく逆ではあるものの評論においての「完璧な論考」であり、それにとらわれるとほかがみえなくなるという点でまったく似通っている。もちろん、どんなみ方をしても構わないのだが、ものがみえなくなるのはいいことで決してない。
ナカタやリケルメの完璧なボール供給は、考えさせたり、感服させないという点ですごいのではないか。

3日の夜、仕事を頼んでいるOBのI君とナカタのことをメールで話し、ネットで読んだ引退声明も含めナカタの発言についても触れた。その時は、「おれは今、自分が毎日毎日強くなっていくのがわかるんだ」という辰吉丈一郎や「おれは野球がへただから」という新庄剛史らのそれと比べて、ナカタの発言にはポエジーが欠けていてつまらないといったのだが、それは確かにそう思う。

そうした発言を含む、ピッチ外での行動などどうでもいいし、MBAを取ろうが実業家になろうがそんなことはいい。
私にとっては、ナカタが十数年にわたってピッチでみせたもの、それを自分がほとんどみていなかったことの方が重要で、これからたまに考えてみることがありそうだ。
考え始めた時、ナカタはもうそこにはいないのだけれど。
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思いもよらぬセミファイナルへ~日本蹴球愛好家の2006年7月3日(前編)

2006-07-04 09:11:41 | スポーツ
「7月3日にねこてれ」などと呑気なことを書いていた昨日。仕事もけっこうやったのですが、心はインターバル後の準決勝に。
そして夜、goo のニュースで知ったナカタ引退。一応、ドットネットのテキストやテレビのニュースもみました。

独>
思いもよらないベスト4。
いいいいと、さんざいってきたアルゼンチンやスペインが意外なかたちで姿を消し、ブラジル、イングランドは敗れるべくして敗れたという印象だ。

メディアは、ジャッジがどうの、守りに入ったのがどうのというアルゼンチンだが、ピッチで見せたパフォーマンスは今大会一だった。とくにお気に入りのメッシ、アイマール、テベスは若い。次回はさらに強い Albicelestes がみられそうだから、楽しみに4年間待とう。
南アフリカが楽しみという点では、燃えずに終わったブラジルも同じ。才能の出現頻度では、近年は南米に分があるだろう。

力を発揮できずに終わったイングランドは、私の中では顔ぶれだけなら今後もこれを超えるチームが現れないだろう。ちょうど結局一度も優勝できなかったラインバック・田淵・ブリーデンの阪神が、いまも心の中の最強チームであるように。どうしても、ベッカム主将のもとでの優勝がみたかったのに。

スペインでは、フランス戦でもホアキンが見せ場十分だったのが嬉しかった。フル出場してほしかったが、スーパーサブなら切れ味が増すというのも発見。ビッグクラブに行っても大丈夫だろう。もちろんベティスにいてほしいけど。プジョルよ、次も這い上がろう。

そして残ったのは、どんなに点を取っても名ストライカーとはいわれなそうなクローゼのいる、いくら勝っても強いと思えない開催国独と、周りに自分が知ってる中じゃ今回が一番弱いといい続けてきた伊、世界最高の前線プレイヤー、アンリが窮屈そうな仏と下馬評のよくなかったところばかりで、唯一力をつけているのは、C・ロナウドはじめ脂の乗った選手の多い葡という顔ぶれ。
とはいっても、残りのゲームが興ざめということはないのがW杯のすごいところ。もちろん、みたかったのはENG:ARGのファイナルだったけど。

優勝してほしい順は、いままでが嘘のように結束力が生まれてきた仏、傷だらけで負のパワーを発散する葡、独と伊はどっちでもいいけど、インザーギの旦那の大爆発をみたいので出してくれれば伊を応援します。

たとえば西仏戦。どちらも負けてほしくないから、どっちかがリードすると負けている方を応援するというのは、チャンピオンズリーグなどでもよく経験することですが、そういうみかたができるのも、遠い日本からみているからでしょう。それはそれで悪いことではないはず。

ここまで書いて力尽き、時間がなくなったので以下後編に。

(BGVはイマジカでやっていたE・ロメール『夏物語』をかけっぱなしで。実にフランス映画らしい小品)
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「7月3日にねこてれ」

2006-07-03 14:47:56 | 週間日記
今回は途中更新なしの先週日記になりました。

26日(月)昼間は働き、夜はいいチーズを買ったという同級生M君宅でN君一家と。W杯などの話の後、M君が借りてきたという『エクソシスト』観。小学生の頃、映画館でみたのと印象違い、大人向けの本格作品だったのに驚入。この日はW杯のカードいまいちで、帰宅後録画しておいたブリットアワードを少し、ポール・ウェラーがすごくよかった。その後みたプリンスもいい
27日(火)日曜に続き市ヶ谷で写真整理の仕事。行きがけに同地・陽光ラーメンで、駅から事務所までのラーメン屋コンプリート。日曜のしつこいくらいの醤油味じょんのびが一番でこれは仕事先のYさんと同意見。東京のラーメン屋は曲がり角に来ている感じで、モードはこわいと思う。作業後、仕事話がてら少し飲み、やはり最終。帰路、酒井邦嘉『科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか』読了
28日(水)起きて少し原稿書いて、シャワー後、前夜途中で力尽きたスペイン:フランスで感入。少し寝て塾へ
29日(木)よく働き、仕事「投資」終結か。夕は餃子食べたくなり川本・美華へ
30日(金)新たな仕事「競馬」に着手でこの日もよく働き、それでも胃の不調で夕は国済寺・増田屋でもりそば。塾から帰って甥を迎えに行き、深夜、W杯タイムには何とか復活
1日(土)昼、撮影。晩、久しぶりに籠原・福龍に行くとラッキーな半額。競馬、少額的中。深夜、W杯。伯仏は途中リタイヤで寝てから
2日(日)昼間から中学生とテスト勉強を仕事しながら。この日は競馬当らず

よく働き、テレビ前で何度も叫んだ一週間。
何と叫んでいるかというとたいていは、「いけ/げ!」と[i]・[ke]と[ge]のブルーノートか、「ジェラードッ!」とか選手の名前ですが、みなさんどうなのでしょう。
そんなW杯も中休みの月曜午後、ディープ関東平野に天気雨。外のねこどもがにゃーにゃーいう時、今日は7月3日かと心に数字を描いた後でなぜかどうでもいい映画『7月4日に生まれて』というタイトルを思い出しました。「7月4日に」「ウマ」「レテ」なら、「7月3日にねこてれ」でもいいのではないかとなどとくだらない考えをめぐらせていると、植木の下で雨を避ける近所のでか二色にゃんが来て照れたように巨大な頭を脚にごしごし。いつも逃げるのに。
そんなことばかりの日々が続くと、06年ももう半分が過ぎたとこ。

(写真は天気雨前にモニター上占拠の春こねこ2頭。BGMは暑さを忘れるスイートサウンド、英の上質ポップグループ、ビューティフルサウスの96年作 "blue is the colour ")
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