小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

クローネンバーグ『ヒストリー・オブ・バイオレンス』―現実感から遠いところでしか描き得ないもの

2006-11-30 02:05:36 | 映画
今日は映画。今年に入ってから劇場でみた新作でよかったものだけ書いていて、これでほぼ追いつきそうです。

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【introduction】
気にはなっていたがバロウズの原作にひかれてみた『裸のランチ』以外はみたことのなかったクローネンバーグ作。ファンの同級生M君に誘われて出かけた。平和に暮らしていたコーヒー店主のもとに、かつて店主にひどいことをされたというマフィアがやって来て穏やかな日常が崩れていくというスリラー。

【review】
ほとんど作品をみたことがなくても知っている、多くの映画人に影響を与えた、ドサッ、ドサッと倒れ、目いっぱいに鮮血が吹き出る人。幸運にもリアルライフでそうやって人が殺されて倒れる場面に出くわしたことはないが、やっぱりあの倒れ方は現実的ではないだろう。そしてあの倒れ方は、作品がリアリティよりむしろ寓話として、しかも現実を映す寓話として成り立っていることの宣言ではないかと思われる。
冒頭の殺戮シーンは見るからに異常としても、店主妻のチアガールコスプレ、息子のさえない学校生活、母子が行くへんてこなショッピングモールといった日常のシーンが、何とも現実味を欠いているところがすごい。映画は、例えばケン・ローチのようなリアリティ重視の社会派でも作家のスタイルから離れることはできないが、それにしてもこの現実感のねじれ方は見事だ。それがミュージカル映画のように、リアリティを飛び越えることなく離れているのがおもしろい。途中、妻に銃を用意しろというあたりの暴走感を経て、店主の正体が明かされていく過程にはあっけにとられた。特に妻に性衝動をぶつけるあの階段シーンは、「暴力の来歴」が濃縮されているようで見応えがある。
それは現実感から少しだけずれた土台を並べた上に広がっていた、やはり現実感のない穏やかさを、主人公の店主自らが崩そうとする、現実的な衝動という風に思えた。しかも、それが奇妙に現実感から遠い映像で描かれるから不気味さは増す。現実感から遠いところでしか描き得ないものが、粗っぽい丁寧さで描かれていて絶妙だ。
それだけに、敵のアジトに行ってからのアクションシーンはつまらなかった。

6月2日 高崎シネマテーク

(BGMはまったく関係なく、目に付いたスライ&ファミリーストーン "anthology"。「ファミリーストーン」って何のことだろうと思ったら、家族バンドと知って驚き)
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ニール・ヤング "parairie wind"―ゆったりとして律儀な深化

2006-11-29 06:33:54 | 音楽
変な時間に寝て目がさえてしまったので、昨年聴了で未レビューだったCDを。行方不明だったのできいていなかったのが、最近発見されてきき直しました。おっ、しかしDVDはみてない。せっかく買ったのだからみなければ。

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ニール・ヤングをきいていていつも思うのは実にまじめなミュージシャンだということ、もちろん“彼なりに”ではあるけれど。
ちゃんとききだしたのは遅いが遡ってけっこうきいたし、18年ぶりという01年のフジロック、次の年か武道館の "greendale" ツアーにも行った。個人的ベストの "after the gold rush" をはじめとするアコースティックものから名作ライブと評価の高い "weld" をはじめとするハード路線、"greendale" などのトータルアルバム。そのいずれもが捨てがたい魅力に満ちていて、ずいぶん隔たりがあるようでいながら一貫している。それは古いタイプのロックスピリット、初期衝動の確かさがあるから。ギターやベース、ドラムに少しのキーボード、それにたまにのストリングスやブラスといったスタイルへの信頼は、音楽のタイプは違ってもパティ・スミスと似たものを感じる。そうしてできる作品は付き合いの長いクレイジーホースほか誰とやっても決してぶれることはなく、ワンパターンではないがいくつかのパターンを踏みながらいつも深化しているところがすごい。
そして05年秋に出たこのアルバムは、"after the gold rush" "harvest" などの流れを汲むアコースティック・ヤング。こういう静かな作品を「全開」という言葉を使うのは抵抗があるが、彼の最良の部分の一つがよく出た佳作だと思う。かつてとまったく同じようにきこえるサウンドに浸っていると、それでもこれはあまりきかなかった "are you passionate?" でのメンフィス録音など、最近の経験がよく反映された印象があって新鮮だ。その音楽から受けるのと同じ、ゆったりとして律儀な深化。
いい曲は多いけど、1曲といわれればM5 "It's a dream"。この人は本当にワルツがうまい。曲づくりでいつもぶっ飛ばされるのはBメロの展開のしかたで、甘くとろけるようでいてどうしようもない切なさが、いつでも至上の音楽時間を味わわせてくれる。
新聞のニュースを見て「これはただの夢なんだ」と歌う歌詞は、ともすれば定型的だ。だが社会の批判はこうした日常の中からの歌こそ有効だろうし、それがすばらしいサウンドに乗るところに音楽の奇跡の一つがある。最後の "without anywhere to stay" の切実さは、この軽やかなワルツと滑らかなサウンドがあってこそ重い。

05年11月7日聴了 アマゾンで購入
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「雨の向こうに」

2006-11-28 18:53:04 | 週間日記
先週日記です。またもPCがらみの事件ありましたが、それはまた後に。

20日(月)昼は電話取材2件。前週末の遊び過ぎで追い込まれつつありずっと仕事。気分変えるため塾で進めたが、途中疲れて寝る
21日(火)朝まで寝てしまい、蔦屋書店10時開店を待ってミュージックマガジン、レコードコレクターズ、それと10月号買ったがほとんどきかなかったNHK英会話トレーニング購入。自宅で原稿続け、夕、カレーを食べようと思い立ったがさてどうしようと迷い原郷・キムラをチョイス。業務用と思しき黄色いルーに郷愁
22日(水)昼は原稿。晩、出張授業後、同級生M君宅へ。『遠雷』やATG映画全般の話、その後『ウルトラQ』ケムール人の回みて朝まで寝ていく
23日(木)朝、帰って原稿。夕、強引にこの日までの増村保造『華岡青洲の妻』を深谷シネマに同級生M君、OB・I君とでやはりこれは名作。帰りは原郷・あばらやにM君の幼稚園保護者友・N君も加わって
24日(金)起きて原稿。夕方終わり、シャワーでみなかったアーセナル戦をみたら寝てしまい、塾に遅れまいった
25日(土)昼、撮影。晩は拾六間・福龍で大盛り醤油~塾でM君のポケモン・コードダウンロードに協力し驚嘆。映画ビデオを借りにOB・K君も
26日(日)昼、撮影。山田うどん食べ塾へ。M君母Hさん差し入れのピザを食

忙しくあっという間に終わった一週間で、サッカーもアーセナル:ニューカッスルだけだったか。といっても合間をついて、けっこう飲んだりしていたけど。
暖かな初冬は雨が降ってもそうは変わらず。だけどねこどもは普通の寒い冬と同じように固まることが多くなっているから、ひょっとしてやつらが固まるのは、案外気温には関係のない欲求なのだろうか、などと考えてみる夕陽のない日暮れ時。

(BGMはもっとも若いオディール三きょうだいの一角、暫定名しろはいの寝てるとこ。BGMは昨夜OB・I君と話していて大瀧詠一+松本隆が話題になったので、はっぴいいえんどのベスト。季節感たっぷりの曲はいつきいても素晴らしいが、タイトルはその中の鈴木茂、半音進行が見事な『氷雨月のスケッチ』の冒頭の一節。この「氷雨」は夏のような気がするが、この後の「ねえ、もうやめようよ」のリフレインが耳に残る)
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もう“衝撃”ではない―ディープインパクトJC制覇+クランエンブレム未勝利勝ち

2006-11-26 23:56:20 | スポーツ
今週は競馬関連の仕事が多く、これまで週刊日記以来更新なし。土日も撮影で多忙でしたが、録画で競馬は十分楽しみました。

ディープインパクトの魅力は、何よりその走法、というより走っている様子なのだと思う。
怒涛の追い込み馬ミスターシービーの年にちゃんとみ始めて、完全無欠のシンボリルドルフの年に馬券デビューした私は、世の競馬ファンの中ではすでにベテラン初期の部類だ。どちらかといえば穴党なので好きだった馬にそれほど強い馬はいなくても、名馬たちについてはそれぞれいくつもの思い出がある。
3冠馬では先の2頭の他に豪快な野性味にあふれていたナリタブライアン、一所懸命走る姿がよかったオグリキャップ、ライバルとの名勝負にうなったスペシャルウィーク、サラブレッドらしい上品さならサクラローレル、そして競馬の快楽の究極を味わわせてくれたサイレンススズカ。どれもみな忘れられない。
けれどディープインパクトは違う。荒々しさも、手に汗握る名勝負も、品格さえあまりある方でないのに、多くの人々を引きつけてやまない。それはどうしてかというと、あのちっこいからだが直線に向くと別の生き物のように四肢を広げて加速していき、とにかく「行けーっ」と応援したくなる、そのタイム感にあるのではないかと思っている。過去の名馬でいえば、浮くように走る姿がみていてうれしかったトウカイテイオー、何を考えているのかわからないほど無謀に走っていってしまったサイレンススズカ、ちょっと名馬といえる実績はないが思いつめたようにずんずん走るツインターボらが、そんな同じようなタイム感を持つ馬だった。
逃げとか追い込みとか関係ない。問題は走っている時のタイム感。そうした馬の馬券を買うのは、何も的中させて小金を儲けるためじゃない。そうした馬の一部となってターフを走り、そのすばらしい時間を味わいたいからなのだ。
だからディープインパクトがみんなの期待を背負って出かけたフランスで伏兵に敗れた時より、その後すぐに引退が発表された時、しかも薬物トラブルに引っかかった時の方が、競馬ファンの嘆きは大きかった。あのタイム感がもう味わえないなんて。多くのファンが今日の府中に駆けつけたのは、ディープインパクトの勝利をみたいためもあったろうが、それよりきっと残り少ないあの時間をより近い場所で、少しでも強く感じるためだったのだろう。
そしてJC。史上最弱といわれたメンバーも、見事な勝利の価値に傷をつけることなんてできない。何しろこの馬には、ありきたりの名勝負なんていらないのだ。誰が走っていたって一番後ろを走り、直線に入ったらあのタイム感を創造する。それだけを繰り返してきたのだから、名コンビの円熟を迎えた天才騎手はそれを完璧に繰り返した再現しただけだった。
“衝撃”なんていったのは、もうずいぶん前の話だ。それはすでに“再現”であり、その再現こそ多くのファンがたち望んでいた時間である。
何とか来年、ロンシャンでの雪辱をともうあきらめなければならない夢を見るのがファンの悪い病気なのだが、何しろあと一度の有馬で終わってしまうのは残念。こんなに名馬の引退が惜しいのは初めてかも知れない。

さらに土日はPO馬がともにダントツ一番人気で2頭出走。土曜のダイワディライトは2着惜敗も、今日のクランエンブレムは単勝1.0倍大差勝ち。よし、来年はこの馬でいい時間を。

(BGMはJ-WAVE)
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小春雨 天球洗いし 隅に白浅間

2006-11-21 12:07:04 | 週間日記
忙しくなり、火曜になった先週日記です。

13日(月)昼、いつもの電話取材~晩、新たな仕事の打ち合わせで赤坂へ。帰りは元祖札幌やで味噌ラーメン+餃子のセットはけれん味ないつくりで安心の一杯。車中、加藤 幹郎『映画館と観客の文化史』読了でこちらは刺激的な一冊
14日(火)原稿書きながら買い替えPCの入札するも敗れ、結局よく買う業者でライバルなし落札。東方・長崎ちゃんめん後、塾にいるとまず俳優目指すOB・K君来て映画ビデオ貸し、その後忘れた本を取りにI君、それからテストの準備に大学1年F君来る
15日(水)昼は原稿~晩、出張授業~塾でF君のテスト勉強はテーマ「ロシアの民営化」
16日(木)朝からOB・I君をヘルプに国会図書館でデータ取り。作業完了後、政治学科F君に頼まれたパンフを取りに国会議事堂にも。帰り、有楽町ガード下で生ジョッキ4、5杯。話の内容はさまざまも、途中ばあさま店主が跡取りをお披露目し満席の店内拍手喝采の場面はイタリアのような大和国首都。よいよいのていで上野へ、座ってトイレに行くと座席わからなくなり、ドアが左開きになった大宮でやっと昏睡のI君を発見し隣に着席、次に気づいたのは駅で慌ててI君を起こしてふらふらの帰深。そういえば、国会図書館で100円拾ったのだった
17日(金)朝まで塾で寝て開局待ちで購入PCを不在持ち帰ったという郵便局で受け取り。昼から大学1年F君のテスト勉強~再びいったん帰ってシャワー~晩、上柴・喜楽でタンメン~塾でM君、同級生のその母Hさんといろいろ話す
18日(土)昼、撮影~同級生M君宅に、OG・Eさんと中学校でおしえたこれは16年ぶりのSさん、別口でOB・Y君と。Y君が翌19日が誕生日のM君に献上の新ボジョレー他、M君秘蔵酒も次々に現れて満腹の後、M君夫妻就寝、残り4名明け方近くまで飲み語る
19日(日)昼、宿酔いの中、撮影~晩、予定の都内飲み会は撮影終了遅いためキャンセルし、誘われていた前夜のEさん、Sさん、こちらは約20年ぶりの旧姓Tさんと前夜M君夫妻が推薦の焼き鳥バーディの会に参加。やはり宿酔いのEさんはジュースだったが、ここもやはりビール少し飲み、懐かしい話やら今の話やらの楽しい席で、なんとEさん、Sさんとは2日間で計12時間近く一緒に

サッカーは歓喜のアーセナル:リバプール、まあまあのアトレティコ:ビジャレアル、これはエキサイティングなバルサ:サラゴサか。
昨夜は寝てしまい、輝く青空の中、ノーザン深谷オーストラリア地帯を帰還。西の彼方に見つけたこの冬初めての白い浅間は、昨年も書いたように思うがこの地方の人々にとって冬の訪れの象徴。北に視線を向けると、赤城には雲がなく日光は雲だらけ。この様子に帰ってネットでアメダス画像を見ると、目立った雲はなく少々拍子抜け。しかしここは、まだ未完成の電子の波より自分の網膜を信じることにしてもう一度突き抜ける上空に目を。
昨日の雨で、この季節の好天を「小春日和」というなら、昨日のように温かい雨は「小春雨」かなと思い、グーグルで検索すると中国語のサイトのほか、奥井亜紀という人が同名の曲を歌っていた。どんな歌だろう。
それはそれとして、
小春雨 天球洗いし 隅に白浅間

(BGMはPC内に入れっぱなしだったベルリオーズ『幻想交響曲』、CDはこれしか持ってないカラヤン版だが、やはりアナログ所有のバーンスタイン版の方がずっといい。Phはナス畑にいたちょうちょ。3年もの携帯でやつを撮るといつもこんな感じになるのが不思議。ねこどもは天気がよくなって、帰ったらだいたい外に出てにゃん)
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侵入―ねこの「おせんべい」

2006-11-18 03:21:53 | ねこ
寒くなりました。けど、まだ暖房は使わず、縮こまって耐えるのは嫌いではありません。
塾PCはキーボードがもうだめそうなので、1万5000円で富士通ノート1台購入。初めてXP機がやって来ました。こうやって機械を買い換えるととたんに快適になって、何で今まで不便で我慢してたんだ、ばかじゃねえか、と思うのが常ですが、まあそういうものでしょう。
そんなFMV-6700NU9/L の第1弾は「ねこ」の話を。

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事件が起こったのは先週のことだったか。
母屋にいると「いるかい」と近所の人が父を訪ねてきて、どうやら畑にいるようなので「ちょっと待って下さい」と呼びにいったところ、農業のその人も一緒についてきて「やってるねー」。じゃあ、と戻ってみると果たして、開けっ放しのドアからやつらが侵入していた。
父親はねこが嫌いだ。それでも、ブーブーいいながらもこんなにたくさんのねこをいさせてくれているのにはまあ感謝はしているのだが、母屋に入れるのはどうあっても許さず、ねこのやつらも知ってか知らぬか、少し開いたドアの隙間から入るということも普段はない。その一線を越えて侵入してきたのは、人間でいったら魔がさしたというやつか、いや何しろねこだから、まあ特性である気まぐれを起こして入ってみたというのが正解だろう。
と、入ってはみたものの、やつら、「何やってんだ、おめえら」と、これは口には出さず心の中でいいながら私が家に入った途端、ものすごい勢いで逃げようとする。以前に近所の自由獲得犬が部屋に接近した時に全員がそれこそ全盛期のエイシンワシントンのようなスタートダッシュを見せて驚いたことがあったが、まさしく犬の時と同じようなほうほうのていで飛び出していった。
そんな中、1名だけ逃げ遅れたのが「」(スペース)。閉まったドアのところで引き返し、「びやぁー!」と叫びながら絶望のパニックに陥っている。風呂場方面に逃走するも行き止まり、今度は居間に進路を変え、ガラスの向こうに仲間たちの姿を見るがこのケイ素の壁は通り抜けられない。わかったわかった、今開けてやるからな、とカギに手をかけると「びよぉー!」と和室へ。こっちは冷静そのものなのに、やつはひとりで盛り上がって騒いでいるから出られない。そんな状態がしばらく続き、何ら状況が変わったわけではないものの、ふとした拍子で脱出できた。穏やかな初冬の昼下がりのやれやれ。

まあ普段と違うところに来たのだからわからないでもないが、逆によく考えると、離れの部屋でも庭でも私が行けば必ず寄って来るやつらがなぜ別のロケーションでこうまで慌てるのかというは、まったくもって謎だ。人間的に考えると「おっ、やべえ」という感じに思えるが、だいたいなぜやばいのか。やましさとか罪悪感とか感じているようにも思えるが、そもそもそういう感覚がねこにあるとは思えない。当たり前そうなようで、実はよく考えれば考えるほどわからない行動だといえる。

カロンタンが冬に家出した時、数日後に庭で見つかったが、家の中では仲よくしていたのに外ではまったく近寄って来なかった。その時、カロンタンを連れて来たOGのSさんに「外のカロンタンと中のカロンタンは違います」というメールを書いたのだが、どうやらやつらは場所によって違う生命体になってしまうらしいというのが、私が抱く感覚に最も近い。場所によってねこは変わるのだ。

だが、さらに考えてみると、これはねこだけの話ではない。例えば普段は地味な制服やさえないジャージしか見たことのない中学生に盛り場、でなくともイトーヨーカドーあたりで会って、意外な格好をしているのを見て驚いたり。これはその中学生の方でも、「あちゃー、やばい」となぜか思うところも、違うロケーションでのねこと似ている。まあ、さすがに「びやぁー!」と叫びはしないだろうが。
さて、この「やばい」という感覚に関わっているのは、アイデンティティではないだろうか。いつも同じ自分、しかも「いい自分」、「周囲から期待される自分」であろうとするアイデンティティ。この「アイデンティティのくびき」は、思わってもみないほど私たちの行動を支配しているのではないか。
イトーヨーカドーで普段より少しだけおしゃれな格好をしたところでどうなるというわけでもないのに、なぜかそれを後ろめたくする不思議な心性。そしてそういう心性を持ち続けることは、思うよりずっときびしいことが多い。複雑になっていく社会のもとでは、きっとそれは重過ぎるのだ。

アイデンティティについて考える時、前に香山リカさんが書いていた「女の子はおせんべいみたいに自分を割ることが上手だから楽になれる。でもそれが下手な子、男の子に多いそういう子はきびしい」(記憶ゆえ大意のみ)という言葉をよく思い出す。自分をうまく割って、できるだけ破片を多くしていろんなところにばらまいた方がきっとずいぶん楽だし、できるだけ居心地のいい場所も見つかるだろう。少なくとも一つの場所しか知らないよりはずっといい。
そしていい場所が見つかったら、散らばった破片をできるだけ多く集めて、おこしみたいにゆるく固める。そこが違うな、と思ったらまた割ってしまえばいい。
いすに脚が一本しかなかったら簡単に倒れてしまうように、ほかに逃げ場がなかったら強くない心はたやすく崩れてしまうだろう。脚は、つまり気持ちの置き場は、少ないよりは多い方がいい。一本がだめでも、ほかが支えてくれるから。

と、話はねこの、「」(スペース)のことからずいぶんそれてしまったが、スペース(場所)が問題になっていることに変わりはないなどと強引に結びつけたりして。
でも、ねこはアイデンティティについて考えないから、ずいぶんと楽そうで幸せそうだし、時々道で車に向かって行くことがあったとしてもそれは一つの場所にいることでどうしようもなくなったからではなく、ほかの理由があるのだろう。今まで見聞きした中では、まだねこは上下運動しないものを動いているものと認識するまで進化していず、動かないまま進んでくる車は動いていないものと判断している、というのが最もすごい説明だった。
いずれにしても、うちにいる「」(スペース)と、庭にいる「」(スペース)と、普段入らないところに入った「」(スペース)、それどころか同じうちにいる「」(スペース)でも昨日の「」(スペース)と今日の「」(スペース)は、どうやら別の生命体なのだ、不思議でもなんでもなく。
そういえば、子どもの頃、家にいたねこによくせんべいをやっていたが、今となってはやつらがせんべいを好むとはあまり思えない。よし今度やってみよう。

(Phは庭で自由を満喫する今日の昼間の「」(スペース)。BGMは塾にF君が置いていった SHARP MP3 に入っている音源をシャッフルで。といってこれはすべて私の休養中PCから移植したもので、今かかっているのはキャロル・キングの『ナイチンゲール』)
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それはそれで温かく楽しい夜々

2006-11-14 23:54:04 | 週間日記
何だか忙しくなり、火曜夜の先週日記です。

6日(月)昼、いつもの電話取材。湯本香樹実『ポプラの秋』読了。晩は同級生M君宅に
7日(火)昼は原稿書き、晩は西島・萬来でタンメン。塾にいたらOB・I君、OG・Eさん、Jさん来ていろいろ話す
8日(水)昼、原稿。晩、出張授業
9日(木)昼、引き続き原稿。この夜は在宅
10日(金)朝、ねこのトイレ埋め、そのまま勢いでスコップを持って行きサツマイモ掘る。シャワー後、自宅映画カトリーヌ・スパーク『女性上位時代』は噂にたがわずすごい、イタリア人恐るべし。宣言しておいた何件かにさつまいも配り、上柴・辰巳でタンメン。塾では中2M君、OB・I君、迎えに来たM君両親と談笑。帰路、ベルクにさんまなくなり久しぶりにさば
11日(土)朝8時から夜8時半まで撮影。帰宅後、早く風呂に入って蘇ったさんま。ずっと中断していた Kate Bush "aerial" 聴了
12日(日)昼、競馬はだめ。晩、日本ハム・アジア制覇をみて、夜は弟、姉の息子と祖母の命日で、100円チョコシュー、昼間父親が畑で取ったトマトを持って墓参り。車中、弟のあまりの厚着を非難し、ともに家族携帯ソフトバンクにつき、割引機種変更問題で盛り上がる

サッカーは週明けのウェストハム:アーセナルと、デポルティボ:バルサ、それとフィオレンティーナ:ローマを半分か。
何だか本当に暖かい天気が続いています。けれど暦の上ではいつの間にか冬で夜には寒くなり、寝ているとねこどもはどやどやと上に乗ってきて重いことはなはだしくても、それはそれで温かく楽しい夜々

(BGMはJ-WAVE。Phはオディール三きょうだいでやはり固まっている。名前はまだないが、左近くの1頭はチブル星人に似ているので暫定的にチブルと呼ぶ)
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祖母の九月の野球場―6回目の命日に

2006-11-12 13:32:57 | 身のまわり
少し風が強いけど空は青く、控えめの色のひなたとくっきりとした影が彩る田園風景は、一年の中でももっとも大人向けといえるそれでしょう。
今日11月12日は、2000年に世を去った祖母の命日。母は自分が22歳と早いうちに死んだし、父は勤め人で帰っても酔っ払っているだけだったし、祖父はずっと家にいても姿で語るばかりであまりオーラル面でコミュニカティブルな人物ではなかったので、現在の時点でももっとも多く話をし、私というものをかたづくるのにもっとも影響が大きかったのはこの祖母でしょう。たとえば、友人宅に行ってバスタオルを借り、「これ、確かHの子どもが生まれた時、お返しにもらったやつだ」などと気がつき、「おめえは何でそんなこと憶えてんだ。わけわかんねえやつだ」と宇宙人扱いされるディテール記憶癖などは、幼児の頃から古い引出しをかき回しながら、「これは誰々に何々の時にもらったん」などと大切に扱っていた祖母の振る舞いから身についたものなのだと思えます。
そういえば昨年も、祖父と母の命日の記事は書いたのに祖母のこの日は多忙にかまけていてかないませんでしたので、今回は昨年の分まで。実は祖母が死んだ6年前の12日の夜、すでに父は酔っ払ってリタイヤの中、「今日はおばあちゃんといっしょに寝んべや」という祖父とともになきがらのそばで一晩過ごした時、でもすぐに祖父も寝てしまって、ウィスキーでもうろうとしながら書き始めてその後も時々書き足したイラスト混入祖母の思い出と祖母の死後のわが家の記録のノートがあって、それはしばらくして祖母の娘である叔母どもには公開されたものの未完といえば未完で、その最後に書こうと思っていたのがこれから書く2000年9月のある午後の話です。

・・・・・・・

「おばあちゃん、野球みにいこう」と誘ったのははるか30年ほど前の、幸福な記憶があったからである。
小学校3年だったろうから1972年の春か。野球に興味を持ち始めた私を、祖母が前橋で行われた巨人・大洋のオープン戦に連れて行ってくれた。当時地元出身で大洋にドラフト1位で入った竹内投手がいたこの試合をみに末娘のだんなの実家の父を頼りに出かけたわけだが、祖母は1909年生まれだから当時63歳か。電車なんてほとんど乗らない暮らしだった中、小学生の孫を連れて知らない町に繰り出すのは、たいした冒険だったに違いない。もっともそれより前、幼稚園に上がる以前にも土産の納豆の包みを見ておやまゆうえんちに連れて行かなかった、約束を破ったと泣いたわがままな孫をなぐさめるため高崎のかっぱピアという遊園地に行き、せがまれて初めて乗ったジェットコースターで、「振り落とされちゃんなんねえと思って、目えつぶってずっと抱きしめてたん」という話は何十年も語り続けていたから、野球場くらい何でもなかったかも知れないけど。もちろんこの前橋行きも、その後の祖母の話のレパートリーに加わった一つだ。
また祖母自身、野球は嫌いではなかった。「小さい頃は野球じゃなくて、べえすぼうるっていったん。その頃は打てねえと投げ方がへただから打てねんだっていったんだけど、今は打てねえように投げるっつんだからおかしいねえ」といいつつ、「プロはつまんない。高校生がいつも走ってて気持ちがいい」とテレビをみていたから、まあ、そういう範囲の野球好きだったわけだ。

がんができたことを知ったのはその年の八月だったか。それ以降そのノートには書いたことだけど、貯金の整理に郵便局に連れてってくれといい、「もう治らない病気になりまして、長い間お世話になりました」と自分の三分の一くらいの年の女子職員に頭を下げたり、入院が近いからとよくそうしていたように果物ナイフとかはさみとかが入った入院セットをつくっていた祖母は、気丈で泣き言などいわないだけに見ているのがつらく、ちょうどその頃にシドニーの金メダル高橋尚子の残り5キロくらいではベッドから呼んできてほらほらと見せると、「よかったね、よかったね」と、でも病気を知らなかった1年前なら決してしなかったであろう少し悲しげな笑顔を見せた。
「何もできない」ということを本当の意味で知ったのは、愚かだけれども37歳だったその時かも知れない。何もできないからこそできることをその範囲でするしかなく、ちょうど時期だったなしをどんどん買ってきていっしょにしゃかしゃか食べ、祖母は「こんなになし食べたんは生まれて初めてだ」と喜んだりしていて、そうするうちにふと高校野球をみにいくという考えを思いついた。新人戦の季節だったのだ。
前の日は雨だったような気がする。念のため球場に問い合わせると、どっかとどっかの試合が2試合あるという。もちろん学校なんてどこでもいい。へたでもなんでも、元気のいい高校生が土のグラウンドを力いっぱい走り回っていれば、祖母はどんなに喜ぶだろう。だから誘ったのだ、「おばあちゃん、野球みにいこう。熊谷で高校野球やってんだよ」。

そのいくらか唐突な申し出に、「へえ」と祖母はしばし絶句する。そしてそれから私の目は見ずよくそうしていたように、少し祖母からするとやや左の方を見て、はずかしそうにうれしそうにいった。
「何でそんなにしてくれるん。へえ、男の子がこんなにしてくれるとは思わなかった……ありがとう」。
こんなにじゃないよ、それよりずっとたくさんのことをおばあちゃんはしてくれたんだよ、だからこんなのたいしたことないんだよと思いつつ、ほかにはいいようがないので「うん、じゃあ、野球いこう」と繰り返すと、祖母は今度は病気を知らなかった頃と変わらない笑顔でいう。
「どうするかなあ……いきたい気もするなあ…………でも……いいよ」。そうするしかないから、もう一度繰り返す、「何で、いこうよ野球」。なぜか祖母は、さっきよりさらに嬉しそうにいう、「うん、いいんだよ」。

この時、私は知った。達せられない方が美しく、達してしまう満足感よりも、その美しさの方を選ぶという心持ちがあることを。祖母はきっと、思いもよらなかった野球をみてしまうことでなく、みないまま心にしまう方を選んだのだ。この前の『ポプラの秋』の「てがみは、こころのなかで、かくことにします」のように、かたちにしない方が“いい”こともある。それまでに祖母からは多くを学んだけど、これはもっとも終わりにおそわったことの一つだ。

この時、祖母の心に広がっていた野球場のことを考えてみる。多分金属バットなんて知らないし、1チーム9人ってことすらわからないだろう。そこでは白いユニフォームで坊主頭の高校生が一所懸命走っていて、その素晴らしいべえすぼうるを楽しんでいる。
たとえば、もし新人戦でなく夏の大会に連れて行けていたら、スタンドにも1回戦でも応援団やブラスバンドが来ていて、「へえー、すごいねえ」と祖母を喜ばせたに違いない。だが、そんなありふれた本物の夏の地方球場の景色もいいけれど、祖母の心に広がったまったくのSFともいえる高校野球、またそれについて思いをめぐらすのもそれはまた貴重で幸福なことではないか。死者に対してできるのは、きっと思うことだけだろう。

その九月の野球場が心に描かれてから少しすると祖母は入院し、2ヶ月もしない6年前の今日11日の昼頃、帰らぬ人となった。もちろん単なる脳の中の電気信号のかたちに過ぎなかった野球場や高校球児も、いっしょにこの世から消えている。
けれど現在の私にも、その九月の午後の陽だまりいっぱいの部屋で祖母といっしょに味わった、目には見えない球児たちと、実際の野球場より彼らを選んだ祖母、さらにそういう祖母の心持ちを、言葉を使って伝えることならできないことはない。そういう奇妙な野球場の電気信号が、祖母から始まって、私、そしてこれを読む人の頭の中、つまり心に広がって行くとしたら、何と素晴らしいことだろう。電気信号が広がるとは「思う」こと。だから今の私は、田村隆一の名作のように、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」なんていえない。
祖母から電気信号が消えた日も今日みたいな青空で、帰ってきた時の南西の空には飛行機雲が高く伸びていたのを憶えている。この秋に何度も見た空と同じように。

(BGMはひざの上のねこチャーのごろごろと、祖母が好きだった庭の木の葉の風に揺れる影のリズム。Phはその庭に咲いたつばきとその上の杉の樹、さらに上の青い空。残念ながら飛行機雲はなし)
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湯本香樹実『ポプラの秋』―夢見る時間だけにわかるほんとう

2006-11-11 03:07:47 | 読書
今日も暖かな11月。昼間はこの小説に触発されたわけではないけれど、サツマイモを掘りました。本作によれば、新聞紙とぎんがみでくるんでポプラのはっぱで焼くのだそうです。

【introduction】
湯本香樹実さん―こうやって書いてみると、何ともいえず美しい名前です。そしてけっこう前に読んだ『夏の庭』は、児童文学には欠かせない、それから先に広がる長い時間への道しるべとその助けとなる好奇心、加えてあの時期特有のわい雑な感じがうまい具合のあんばいで、こういった素材にうってつけだった故・相米慎二監督の映画とともに、塾内でも多くの生徒が触れた素敵な庭でした。
その後、芥川賞候補にもなった湯本さんも実際に著書に触れることはなく、この本も何年か前に買ったままほったらかし。手に取ったのは、残したい日本の文化の一つとしての児童文学書籍の伝統が息づく見事な表紙を見て、ああ、秋のうちに読まねばと思ったからでした。
ストーリーといえば、主人公の30代女性がさざめく小学校低学年時代の多くの時間をともに過ごした気難しげな老女の死からカットバックされる、その直前に父を失った少女とその母、そして魅力的なアパートの住民たちが周囲を思いやる姿が美しい、少女のビルドゥンクスロマンです。

【review】
児童文学と思って読み始めてみたけれど、本当は大人のためにこそ書かれた小説かも知れない。
それは複数男子が気ままでややチューニングの狂ったメジャーコードを奏でていた『夏の庭』に対し、『ポプラの秋』には始終マイナーコードが流れているから。同じく老人の死を扱っていて、どちらも心地よいユーモアに包まれていながらも。
父の死というとてつもない大事件にあった母と子はポプラ荘と呼ばれるおばあさんのアパートにたどり着き、そこで出会う人々との触れ合いを通して失いかけた日常を再生していく。主人公の少女の自己の、おぼつかないけれど必死な、創造の物語だ。
肉親の死は重い。それが小学生とその母親ならなおさらだ。言葉なしの表現が可能な映画にこそ向いたテーマのようで、幼女が母の死を受け入れる『ポネット』、日常の積み重ねによって息子の死を乗り越える『息子の部屋』、夫の死を遠ざける『かげろう』や、子どもの死という難題に立ち向かう『哀しみの終わる時』もあった。これらの作品ではいずれも映像の雄弁さによって、観客は肉親の死を擬似体験させられる。
映像に対し、内面を語りがちな「言葉」は重い。その重さがあるから、肉親の死というとてつもない出来事に対し、映画のような跳躍的な表現ができない。映画と小説にはそんな違いがあるように思われる。
そのハンデを湯本さんは、意外な方法で克服した。一つは少女の気持ちの描写をおばあさんの、いわば妖怪性への違和感に集め、それを受け入れるというかたちで心の変容を描いたこと。もう一つは死者への手紙と引き出しという、恐ろしいけれどもファンタジックな舞台装置を用意したことだ。
少女とおばあさんの話に加え、隣人である衣装係やタクシー運転手とその離れて暮らす息子ら登場人物が増えることは、主人公の少女の世界が広がっていくことにほかならない。そして少女が、多くのことを知れば知るほどわからなくなっていくもの。それがこの小説でもっとも多くの音が重ねられたマイナーコードだ。
そして何でもないけれど、じわじわと心に響くいろいろが繰り広げられた後の終盤。「先週日記」のタイトルにも使った、「てがみは、こころのなかで、かくことにします」。この一節は、主人公にとっての一つの時間が終わったことを宣言して深く心を打つ。
たとえば、『コインロッカーベイビーズ』のハシの「ねえ、見てキク、きれいだよ」、『嵐が丘』のキャサリンの「わたしはあなた、あなたはわたしなの」、『赤毛のアン』の「わあ、雪の女王様だ」、『ハックルベリー・フィンの冒険』の「そうだ、ぼくは地獄へ行こう」、『風葬の教室』の「何てかわいそうな人たちだろう」といった、小説の世界だからこそリアルな少年少女たちの決意表明と同じようにずっと忘れることはなく、思い出すたびに読んだ時のページから鳴り響いたコードをきくのだろう。

ラストの葬儀のシーン。印象はまったく違うのに思い出したのは、なぜだかガルシア=マルケス『ママ=グランデの葬儀』だった。マルケスの小説が「マジック=リアリズム」なら湯本さんのこの作品は“ファンタジック=リアリズム”。夢見る時間だけにわかるほんとうなのだ。
そして30歳になった主人公があのポプラの前に立った時から流れるのは、たとえば2オクターブ、6つの音を重ねたCコードのゆっくりとした4つ打ちだろう。カラフルでおだやかで決意に満ちた。

※引用記憶につき不正確

(BGMはケンペのブラームス第4番。昨日の「BGD」というのはおかしい、over まろやかさはない "riccovino bianco"。そう、昨日は何か今までのテンプレート「家具 コットン」があまりに地味に思え、「ダイニング 赤ワイン」というのに替えました)
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丸くなってたカロンタン

2006-11-09 23:34:45 | カロンタンのこと(ねこ)
なぜだかPC次々に不調に陥り、仕事もやっとやってる始末で更新開きました。今日は月曜に書き始めていた「カロンタンのこと」です。

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そこにいることは、ずっとわかってた。
カロンタンがいた頃、2年前にネガに収めた唯1本のフィルム。高校野球のF君と一緒のロールに入ってる。現像の機会を失っていたのは、実体としてのカロンタンがいなくなったからだけとはいえないし、ただ面倒だったかも知れないし、それよりも、まだ見たことのなかった印画紙数枚の姿を実際に目にしてしまうのを、ただ先送りにしたかっただけというのが一番近いのではなかったか。
そんなISO400のフジカラーをDP店に出したのは、この間撮ったR君のラグビーのネガを出したついで。ほかにも10月の末に撮った天皇賞や残りを使うために撮った現役ねこどもなど全部で4本100枚以上の35ミリがあり、二度と撮れないF君のや母上に献上するべきR君の写真のできも気にはなったが、一番楽しみなのは2年ぶりに、新たなものとして更新されるカロンタンの絵。だいたい2年もほったらかしにして、ちゃんと現像されるかどうかも心配だったけど。
よく出していたプリント料ゼロのDP店は隣の花屋の一部になっていたので別の1時間フォトに行き、「今日は7時までです」といわれタンメン後ほぼちょうどに行ったがしっかり閉まっていて対面は翌日に延長。4千円弱と引き換えに手にした100枚を、ほとんどが25年使用のマニュアル Nikon FM による撮影ゆえ、おっ、これピンだめ、何でアンダーなんだ、としばらく一喜一憂の後、はたして2年ぶりに目にする、見たことのなかった、まっすぐにこっちを見ているカロンタンを前に時間は止まった。

心の底から思った。写真とは、何と素敵な発明だろう。
夏がけ布団の上でこっちを見ているのと、いすの上でちょっと横の何かを見つめているの、背中を丸めて影を気にしているのと、カーテンレールの上を歩いているの、そして得意だった蛇口水飲み。いつかはよく憶えていないけど、シャッターを押した時の嬉しさはなんとなくだけど憶えている。
2年半も前のある午後に動いていた忘れようにも忘れられない姿が、それがネガに焼き付けられた時からすると8ヶ月くらい前、連れてきてくれたSさんのゲージから出るやいなや飛んで行ってしまったのと同じ塾の部屋の、明るくない蛍光灯の下に広がった。

「写真」という普段それでいくばくかの収入を得ている現象の不思議とロマンを改めて味わったこの瞬間を、おそらくずっと忘れないだろう。一頭のねこの一瞬々々を、いつまでも憶えているのと同じように。
3年前の9月に来て、最初は暴れてちょうど今ごろ仲よくなったけど冬の寒い日に家出して、次の年の4月に子どもを産んで大きくして、このネガに影を残してそれからしばらくした暑い日に裏の道に転がっていた柔らかい生き物の影が、その主と同じように丸くなって引出しの角で小さなケースの中で2年あまりを過ごした後、その化学的な薬品に浸けられて、やや硬い約100平方センチ紙の上にその姿を現す。よく考えてみると、まるで魔法のような現象ではないか。

ここでまた、本ブログに何度も登場するハイデガーの一節、「時間は投射するものであり投射されるものである」が頭をよぎる。私はこの印画紙と出会うまでの2年間という時間をやるせなく感じ、その2年間が現出させた不思議な思いの前にたじろぐ。
携帯カメラやデジカメ、それより前のポラロイドなどで誰かを撮って、多くの人はその画像をうれしそうに相手に見せる。それは記録することに付随した根源的な欲求だろうし、そのことによって得られる喜びはひとまず微笑ましい。
だけど、ついさっきの絵をすぐに見るのでは決して味わえないものがなぜだかあって、そういう瞬間があることを素直に喜びたいと思う。時間がなければつくれないものはいくらだってあるのだ。
さらにいえば、印画紙の感触やフィルムならではの質感や影の美しさ。撮り直しがきかないし、フィルムも現像も自分持ちのくいう個人的な写真をフィルムで撮る時ならではの、日常を削る感じもなかなか楽しい。

最近、野上弥生子さんの『花』を読んでから、日本独特のアニミズムが気になっている。もちろん当のカロンタンが好きでそうしたわけではないが、小さな、次に入れたのがそうだったからに違いない本体のフジじゃなくコダックの黒いケースの中で2年間、現像されるのをじっと待っていたカロンタンの影、そしてそれが解き放たれたのを思う時、何だかいとおしくてたまらなくなるのは、そんなアニミズムゆえだろう。無機物にも生命はあるといえばある。
その5葉のプリントはそのまま塾の机の上に置いてあって、ねこがいるところがそうであるように、その5葉があるところは少しだけ違った空間のようで。来る人に見せたり、作業の合間か何かに「よう、カロンタン」とあいさつすると、
(ニャ)。

ただその子孫たちが家で毎日暴れるのに対して、こっちのカロンタンはちょっとも動くことがないのが印画紙にキズなのだけれど。そして、もう二度と新しいカロンタンの絵を目にすることができないのがさびしいが、それも時間の神の業。

(Phはその5葉をスキャナーでと思ったのですがしまってあるのを出すのが面倒で、そうだと携帯で。BGMはカロンタンのテーマ "the click and the fizz" 収録のハイ・ラマズ "beet maize & corn"。晩秋にはぴったりで、BGDはリヴァークエスト白)
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空にも、「てがみは、こころのなかで、かくことにします」

2006-11-06 17:11:58 | 週間日記
連休明け。月曜夕方の先週日記です。

30日(月)打ち合わせで池袋に。名前忘れた上海料理屋で飲食。帰り野上弥生子『花』読了
31日(火)昼、Hさんと黒んぼ食堂・オムライスでいろいろ話す。午後・原稿~晩、正田庵で大もりそば~塾でOB・I君といろいろ話す
1日(水)昼、原稿の途中、自室PC動かなくなる。夕、出張授業
2日(木)伊勢崎MOVIXで『ブラック・ダリア』~晩、同級生M君宅、鍋の会にOBのI君、Y君と。M君就寝後もずいぶん飲んで朝まで寝て起きるとやつらはいない
3日(金)朝、高3R君の試合をみに熊谷ラグビー場へ。その後、街に出てシャツ工房でネクタイ3本購入。昼、熊谷・高久でタンメン+餃子。晩、秋元町・東華楼であんかけやきそば~塾にいたらバイク屋独立するN君が来る
4日(土)昼、競馬で当たらず。晩、上柴・喜楽でタンメン~上野台・写楽でプリント受け取り
5日(日)昼、撮影~晩、福龍~塾でいろいろ作業

サッカーはアーセナルのエバートン戦、注目のバルサ:チェルシー、ミラノ・ダービー、そして週明けて朝み終わったウェストハム:アーセナルか。熱戦多く楽しめたが、アーセナルは何やってんだ。今週はPCが不調になり、まず火曜に塾のノートのカーソルがばかになりこれはハード的にだめかもでだましだましまだ使ってる。その翌日水曜にドライブのクリーンアップをしたら、自室DTがうんともすんともいわず、これは再インストールで何とかなりそうでもデータ消したくなくそのまま。父親機や初期に使った低スペックノートで代用し自室にないので不便だが、部屋になければつい手が伸びるという状態もなくなりそれはそれでいいかもと。
ということで手を伸ばした、ずっと前に買っていつか秋に読もうと思っていた湯本香樹実『ポプラの秋』を何度かに分けて先ほど読了。タイトルのイメージ通りのいい小説で終盤目頭が熱くなったが、途中「てがみは、こころのなかで、かくことにします」というひらがな19文字の一節が本の中からすくっと浮かび上がり、こういうことは読書をしているとけっこうあるもの。映画の1シーンが、音楽の数小節が、ねこがにゃあというのが、知らぬ間に咲いていた花がそうであるように。
ならば、昨日までずっと元気のよかった空が急に元気がなくなって寒くなった今日という日は、空の営みという中で決して目立ちはしないけどそういう日なのかもとつかぬことを考えて。
空にも、「てがみは、こころのなかで、かくことにします」

(Phは寒くなって腹の上争奪戦が激化する中、昼前に好位をしめていたティー。BGMは父親機で何もなく、ネットラジオ accuradio "listening post" は今ゴメスになったとこ)
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B・デ・パルマ『ブラック・ダリア』―たまたまみたメタリカかオフスプリングのような

2006-11-05 23:42:40 | 映画
好天続きの連休最終日は仕事。昼は11月とは思えないほど暖かいのに夜は寒く、身が縮こまると不思議に安心します。読書~音楽~映画サイクルを外れようとも思ったのですが、やっぱり先週みたばかりの映画を。

そんなに多くみているわけでもないブライアン・デ・パルマについては、特に思い入れがない代わりに別に嫌いなわけでもなく、『ブラック・ダリア』は知らなかったJ・エルロイは馳星周氏絶賛の『ホワイト・ジャズ』を読み、ツイストが過ぎて途中からもう何も信じられない状態に入り辟易とした記憶があり、ただスカーレット・ヨハンソンは、若くてまだ硬い感じだった『モンタナの風に吹かれて』や『ゴースト・ワールド』、それから見事に輪郭がぼやけてとろけそうになった『ロスト・イン・トランスレーション』とみて、まあ米国若手女優では注目していて、劇場でみるだけの価値ありと車で出かけた。
何だかんだいって、観客を飽きさせないのはさすが。ただその印象はどちらのファンも納得しないだろうが、たとえばそう、名前を挙げればメタリカとかオフスプリングとか、そんなに興味がなくてラジオできいたことくらいはあってもCDは持っていないバンドのライブをたまたまテレビか何かでみて、ああ、うまいしエンターテインメントとしてはよくできてるし、好きな人は好きなんだろうなといった感じなのだ個人的には。ハッタリ満点で適度におどろおどろしく、高度にパターンナイズされている点が似ている。
『アンタッチャブル』を思い出すフィルム・ノワール風味や得意の階段を使った演出、そのシーンでは初期にヒッチコックの後継者といわれた影の使い方も見事だった。いつもながらのよくできたセット、ボクシングシーンのリングや観客席、女優の配置やお手本通りの撮影、もったいつけたカット割りなどなど。それらはメタリカやオフスプリングの完璧なリフや構成、文句のつけようもないステージングと同じように、熱狂的なファンや反対に苦笑の対象にしたがる映画ファンにとっては、これ以上ないデ・パルマ作を堪能できるのだろう。
しかしそのどちらでもない観客にとっては、やはりいつものデ・パルマ作。入場料を損したと思わない代わりに、次のデ・パルマが楽しみとも思わない。変ないい方だが、もはや安心してみられる“コージー”サスペンスホラー。たとえばほぼ同時代が舞台の『ロード・トゥ・パーディション』みたいに、文句のいいようがあればその方がいいようにも思えるが。
といってきっと次のデ・パルマ作も、時間があればみにいってしまうのだろうな。おそらくキャストとか題材とか、こっちの気を引くのを見つけてくるに違いないから。
唯一の謎は、ブラック・ダリアの映像を粒子の粗くないモノクロで撮ったのはなぜかということ。あの片目だけの涙のシーンは、確かにオールドフィルムタッチでは表せなかったろうが。
ヨハンヨンはよかった。大根っぽい演出もデ・パルマの得意とするところだと思う。

11月2日 伊勢崎MOVIX

(BGMは J-WAVE で小林克也の番組でマーヴィン・ゲイ特集から11時の鳥山何とかのジャズ番組に。日曜のこの時間のラインアップもいい。Phは goo では2点しかなく、イマイチだがヨハンヨンの方をチョイス)
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ポール・ウェラー "Catch-Flame!"―おしゃれ頑固の骨太集大成

2006-11-04 23:46:37 | 音楽
連休。ゆったりした日を過ごし、印象深い小さなこともあった中、ひとまず「音楽」の記事を。
渾身の伊勢正三はなかなか書き出せず、後回しにしてこれまた個人的重要アーティストの一人、ポール・ウェラーの最新ライブ盤です。

スタジオ最新作 "as is now"(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/4f0267bbd5206c8622cfa92bcdbe61cb)についての記事で、学生時代、ジャケ写のファッションを真似ていたなどという個人的ファン史には触れたのでここではサウンド面のみ。そういえば、音楽記事24本目にして初めての同じアーティスト二度目記事だ。まあ、それはどうでもいいが。

05年に行われ、来日公演もあったツアーのライブ。この公演は知ってはいたが、前年のロックオデッセイに行ったこともあってスルーした。愚か先に立たず。
そう、WOWOW でやっていたブリットアワードでのライブの数曲をきいて、このアルバムはすごいだろうことはよくわかった。わずかな曲数なのに全キャリアを包括したラインナップ。ということは懐かしい曲もあるわけだが、それがひょっとしたら発表した当時より熱い演奏で支えられていた。むう。
長いキャリアの持ち主のライブでは、昔の曲のウケがいいことはしかたないことかも知れない。事実、けっこう遅れて最初にみた何年か前のアコースティックセットでは、本作にも収められている Thats entertainment などソロ以前の曲の方がウケがよく、あのウェラーでさえと、おかしな納得のしかたをしたものだ。あの熱い横浜国際でもイントロがきこえて私が一番嬉しかったのは、スタイルカウンシル時代の my ever changing moods である。
しかしこのライブ盤はどうだろう。もう30年にもなるキャリアから選ばれた23曲(輸入盤)の間にほとんど温度差は感じられず、すべて同じアルバムに収録されている曲であるかのようだ。
とくに曲づくりという面において、私はウェラーのことを実はそんなにたいしたことはないと思っている。多くの先達、キンス、ビートルズやスティーヴ・ウィンウッド、ソウル、サザンなどを見事に消化して完璧といえるサウンドをつくり上げるが、曲そのものにクラシックとなるほどのポピュラリティーはない。曲自体のシンプルさにも関わらずだ。それは例えば同世代で同じようなキャリアを持つ、エルヴィス・コステロやスティングと違って、あまりカヴァーされることがない事実にも現れているように思う。私の中でウェラーは、その何曲かをやはりうまく取り入れたことのある“和製ウェラー”とでもいえそうな佐野元春氏と同じように、極めて「秀才」タイプのミュージシャンだと思っていた。
その印象は本作をきいて変わったというわけではない。ただ、これまで思っていた以上にウェラーは“ウェラー”だったということだ。
たとえばキャリアの一つの頂点ともいわれるソロ2枚目からの Wild wood。ソロ最初のライブ盤のタイトルでもあったこの曲をその発表時以上の熱さをもって演奏するなどということが可能なミュージシャンというのは、とくに初期衝動が重んじられるロック音楽の場合考えにくい。熱さの代わりに「円熟」してくるのが普通だろう。
だが本作でのウェラーは、20年前のジャム後期~スタイル・カウンシル初期よりずっと漲っている。passive tune といわれたこの時期が大人への憧れを具現をテーマにしていたろうことを考えても、この年齢になっての変化、いや深化はまったく驚くべきといわねばならない。
と、何だか音以外の話ばかりになったが、細かいサウンドのことは本作の場合あまり重要でないように思う。歳を重ねてますます熱くなる、このおしゃれでもある頑固者の骨太な集大成に身をまかせ、うーんとうなっていればいいのである。選曲は抜群だから、初めてきく人にはベスト盤的に機能するだろう、
前回の記事をまた繰り返すしかない。どこに行くのかウェラー。こんなライブを発表した後で。

7月15日聴了

(自宅PCが動かなくなり iriver 入れ替えできずBGMは J-WAVE。早く何とかせねば)
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島田雅彦『退廃姉妹』―「だらだら」と“感動的”であること

2006-11-03 23:56:12 | 読書
いい天気の文化の日。あちこちへ出かけ、のんびりした休日でした。今日は「読書」。しばらくぶりになる小説で、まずいこの頃小説ほとんど読んでなかったと、買ってあったのを一冊読み始めました。

島田雅彦氏の小説世界のもっとも大きな魅力は、完璧ともいっていい見事な「だらだら加減」にある。少なくとも今まで私が読んだ中では。
たとえば、新聞小説ということも手伝って、架空のだらだら世界に徐々に身を沈めていく快感が味わえた『忘れられた帝国』、縦横無尽なだらだらで世界を駆け回った初期の『天国が降ってくる』、いったい何がいいたいんだとうなった『やけっぱちのアリス』、漱石を自らのだらだらワールドに引き寄せた『彼岸先生』、不思議なかたちで倫理的な『君が壊れてしまう前に』などなど、まったくしょうがねえなあなどと思いながらどんどん引き込まれていき、読み終わっても、いやあ何だったんだろうなという感じが残る。だらだらなのにやけに大きなスケール感。『退廃姉妹』のキャラクターには恐らくサド『悪徳の栄え』『美徳の不幸』のジュリエット、ジュスティーヌ姉妹にヒントがあるだろうが、サド作品とはその得体の知れないスケール感が共通している。
その魅力こそは「小説」というジャンルに特権的に認められた種類の「快楽]であり、それを誰にもまねできない方法で作品に塗り込められるという点で、島田氏この国の作家の中で特権的な地位を占めているように思える。
そしてこの『退廃姉妹』。姉の振り返らない愛と妹の爆発する生命力で戦後の混乱を生きるというストーリーを語るのに、氏以上の語り口は考えられない。姉妹の精神的支柱といえる母の「レースをつけた白旗を振る」というイメージが、この作品世界を象徴していると思う。美しくあろうとすることは、生きることと同義なのだ。
時代考証も絶妙だ。当時を知らない私などでも、戦中世代らの作品に比べて本物とは思えない空気が全体を支配している。だが、そうした正確さなどお構いなしに、新たな世界を創造することが仕事だといわんばかりに“島田氏の戦後”を描き出す。
表紙に引用された、「オレの不幸がうつるぞ。」「いいんです。うつしてください。」の、たとえば『冬のソナタ』あたりから遥かに離れた不思議なカタルシス。これが「感動的」でなく“感動的”であることをわかってもらうには、読んでいただくしかない。
何なんだろう。

8月24日読了

(BGMは金曜恒例NHK渋谷陽一。げっ、今チープトリックが)
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『ホテル・ルワンダ』―「本当であること」の重要さ

2006-11-01 23:56:15 | 映画
霜月も好天の始まり。今日は映画です。

高校生の頃、当時よくそうしていたように中学の同級生と麻雀をしていて、たまたまその晩のゴールデン洋画劇場で放送される『ローマの休日』の話になった。この名作をみたことがあったメンバーが私とJ君がその素晴らしさを語っていた時にT君が放った次の質問は当時「映画」というものを信じようとしていた私に、何だか異国の言葉のように響いたのを不思議と忘れない。
「それ、本当にあった話なん?」。もちろん私はこの、今は2人の10代のよき父親で当時から実に性格のいい友人に対し、何ておろかなことをいうやつだという思いを抱いた。当時もそして今も私にとって、映画の世界が「本当」かどうかはたいして重要でない。それが現実であってもなくても、映画が産み出す「ほんとう」の方がずっと尊いものだと思い続けている。
だがこの作品をみる時、「本当」ということはこれまでにない意味を持つ。この作品にとっては、「本当」であることが何より重要なのだ。
今は「ルワンダ内戦」と呼ばれる1994年という最近のこの事実について、果たしてどれだけのことを知っていただろう。ツチ族とフツ族、宗主国の差別的統治、サッカーW杯休戦があったことなどの断片的な知識があり、すでに衛星放送を見ていたことだしいくらかのニュース映像も目にしていたかも知れない。
しかしそうした「事実」は、あの国の人々が味わっただろう恐怖をまったく説明していなかったか、または私の方がそれを受け入れる態勢を欠いていた。この映画で観客が追体験する恐怖は、それほど強烈なものである。
それまで身近にいて何のこだわりもなく関係していた人々が、突如として変貌していく。この有様はドン・シーゲル『ボディ・スナッチャー』などの恐怖SFの世界で描かれてきたものであり、それが現実のある程度平和だった街で起こるとは到底思えない。怖いのはまた、それがだんだんと起こっていくことである。
例えば『ユナイテッド93』で乗客や航空関係者が徐々に真相を知っていくことでこの上なく恐怖が増幅されていくのと同じように、信じるに足ると思っていた人物が彼らにもどうしようもない道筋で自分の反対側に変わっていくのがリアルだ。さらにいえばドン・チードル演じる主人公が、大きなヒューマニズムは崩さないながらも、自分の家族とそれ以外のボランティアなどと大きな線を引いているのも苦しいほどリアルといえる。
さらには同じ虐殺を扱った『キリングフィールド』にあった感動的といってもいい“奇蹟”のカタルシスはここにはなく、ただこうした状況では、こうやって命を信じて、どんなことでもやって手を尽くして、それでよほど運がよかった人だけ生き残れるんだなという、当たり前の事実を知るだけなのだ。『キリングフィールド』では、あの絶望的な状況の中、ああこういう奇蹟もあるんだという希望も感じられたのに。
屋上のシーン、浴室のシーンなどまるで娯楽作品のようなハラハラドキドキがあり、感動作品のように涙を誘う再会があり、悲しい別れもある。けれどそれは、あの9・11のWTCをみて「まるで映画だ」と多くの人が思ったように、こうした場面では決してめずらしくはない現実なのに映画のようなシーンで、それを再現したのがこの作品なのだろう。
とくに湾岸戦争の頃から発達してきた中途半端にリアルに感じられるニュース映像は、おそらくこうした出来事を知らせるのに向いていない。そこにあるのは衝撃や刺激だけで、人の心に迫る物語が欠けているからだ。
本作をみて「つくりもの」などという者がいたら言語道断だろう。こんな「つくりもの」をつくらせた「ほんもの」の方が貴重なのであり、そんな「つくりもの」が語るものの方が「本当」に見える「ニュース」よりよほど「ほんもの」なのだ。
T君の発言から25年。私は初めて「本当であること」が重要な映画に出会ったように思う。

8月12日 深谷シネマ

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