小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「蘇る緑葉」

2007-02-28 23:52:04 | 週間日記
水曜夜になりました。先週日記です。

19日(月)朝からよく働き、晩は川本・美華でラーメン+餃子
20日(火)夕から同級生M君とシネマテークたかさきで『リトル・ミス・サンシャイン』~帰深して上柴・粋季で飲食
21日(水)昼は原稿~別府・のび太で天ぷらうどん~出張授業
22日(木)風邪に苦しむ
23日(金)昼に寝ていると同級生の弟Y君がバイト探しに来ていろいろ話す。塾でM君とテスト勉強し、その兄R君にバイト白羽の矢、OB・K君も来る
24日(土)かぶ、高柳うどん買って来て食~競馬は中山9R1万ちょっと当り浮き~晩は同級生M君宅でOB・Y君も来て大飲食
25日(日)遅くなったが初めてほうれん草茹でて食べる~競馬、中山記念5万馬券でやった、今週5万弱のプラス~入浴後、恒例ヤオコーでキャネット6袋~仕事しようと行ったのに恐ろしく気持ち悪くなって朝までうなされる。インフルエンザか、最近こういう長寝ではよく昔の友だちの夢を見て、この時もしばらく会ってないやつらと飯を食っていた

途中から風邪が悪化し、仕事もままならぬ日が多かった。こういう時は昔からからだが動かなくなってねこども上にいてもいくらでも眠れ、エネルギー補給のために普段はまったく買わな清涼飲料を飲む。ただ気のせいだと思うが、ビタミンCのためにいつもCCレモンだが、今回なぜだか売ってなく、QOOアップル、ビタミンウォーターの夜は治ったと思ったがまたぶり返し、昨火曜、倒れこむように入ったヨーカドーでCCレモンが買えたので薬とともに飲んで寝ると今のところ完治の気配。やっぱりCCレモンだぜと成分表見ると、100g中のビタミンCがQ:36mg ビ:200mg C:286mg で数値的にはずいぶん違うじゃねえかと一瞬納得するも、20代の頃に同級生の栄養士と飲んでいて、「ビタミンCやB系は水溶性だから、摂り過ぎればみんな出ちゃうの」などといっていたのを思い出し、それもそうだ、だいたい「1本にレモン210個分」とはいくら何でも、何というかはしたない、そんなことでは若い頃、喫茶店でコーラなどに浮いていたレモンの薄切りを、ビタミンC摂らなきゃといって防腐剤の苦さを味わいながら噛み砕いていた努力が水の泡になってしまうではないかなどと考えつつ、でもそれとは関係なく一番おいしいのは炭酸入りのCCレモンだと気づき愕然。
サッカーはCLが始まり、アーセナルとバルサの厳しいベスト16スタートを観戦。
何も食べられない時、頭の中であれこれとあれなら食べられると探し、そういう時にイメージを結ぶのはきっと季節の葉っぱや根っこ。まず、近所産直で春のカブを買い求め、幼児の頃そうやっていたように、そのまま下の歯で皮をむき、でき上がったかわいいてるてるぼうず状を約4口でバリバリ食べる。何で味がないことがこんなに嬉しいんだ。
次に、よしと鍋に湯を沸かして前の畑に出て、にゃんにゃんやってくるねこどもに、お前らさっきキャネットやったろう、こっちは人間が食べるんだよと、そこらへんにあった片手シャベルを手にほうれん草をしゃかしゃかと根から刈る。父親が蒔いてねこがかんますと文句をいっていたのでそれはすまんと謝り、最近はあまり伸びねえなというと、肥料やってねえからななどと言い訳をしていたが、それよりこれだけ雑草があればうまく伸びないと思いつつ、とはいっても、前に私の野菜観を一変させたトマトつくりの名手の言、水をできるだけやらないで生命力を引き出すんです、を思い出し、これだけ条件が悪ければ実は極めてバイタルではといい方に解釈してそそくさと熱湯に。麺類の茹で時間には気を遣わねばだが、ほうれん草の茹で時間の重要さに比べれば物の数でなし、アル・デンテは、実はほうれん草のための言葉と思っている。
茎がしんなりするや否やばっと箸であげて冷水で流す。短時間で絞りちょうどいい時間でもっとも美しい断面に揃えて切る。きれいに揃い過ぎても愛嬌がない。
できれば主張のない薄茶色の小鉢に上断面を並べ、美しい姿を確認した後で味ポンか醤油をできるだけ少なくかける。茹で上がったばかりの葉っぱはわれわれの風呂上りのように水分を欲しているから、ほんの少しの塩分が維管束や葉脈の間を通って見事に全体に染み渡る。その聞こえない音をきき終わった時、静かに箸を下ろして、わずかに茎を含む葉っぱの束を口に運ぶ。
ああ、蘇る緑葉。
外ではねこども感動のあまりにゃんにゃん

カウンター07:ラーメン1/24 他外食1/9 外酒2/18 劇場映画1/7 サッカー2/12.5

(Phは今日でなく、風のない昨日のほうれん草畑のにゃんども。BGMは水曜のお楽しみNHKライブビートは鈴木慶一のBBCで ROY HARPER。よく知らなかったがこんな大物とは。まさのほうれん草のような味わい深さ。ちょうど24日の土曜。M君寝た後、Y君と HARPER が参加したという pink floyd "wish you were here" の素晴らしさについて語り合ったばかり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『オールタイム映画個人ベスト90』選出

2007-02-24 17:50:48 | 映画
風邪で苦しんでいた木曜。仕事もはかどらぬまま、ブログ映画レビューの一部を転載している「Yahoo Myムービー」をみていたところ、生涯1、2位、『気狂いピエロ』『ゴッドファーザー』だけになっていた「お気に入り作品」に何となく追加し始めたところ、熱っぽいからだとともにヒートアップし、ついフルの100のうち10を余して90作をいっぱいにしてしまいました。いや、これは楽しい作業です。

別にいわれたわけでもないのに「一監督一作品」のルールのもと、次々に追加していく。そう、『ミツバチのささやき』でも「ミツバチ」とだけ入力して検索すれば、あとはクリックするだけで次々に増えていく様子はほかにはない快適さでした。
セレクションは比較的ストレート。「ベタ」なんて言葉は使いません。木下恵介監督でいえば衝撃度なら『日本の悲劇』などが忘れられませんが、パワーとは背景とかを考えると『二十四の瞳』を選ばないわけにはいきません。でも、ポランスキーならアカデミーの『戦場のピアニスト』より『ローズマリーの赤ちゃん』『水の中のナイフ』『赤い航路』の方が全然いいよな、ってことでここはポランスキー以外に誰も描けないだろう『赤い航路』に決定、と、万事がこんな調子で、一時は50にしようと思っていたのがどんどん増えてあっという間に90近く。途中、抜けはないかと川本三郎氏の名編集『映画監督ベスト101』を取り出して、しまったダニエル・シュミットがないぞ、などと、本当に映画ファン至福の数時間でした。

こういう「ベスト~」は、われわれの世代では学生の時にそういうのが好きなやつが集まって酔っ払ったりすると紙に書いて熱中することはしばしば。そういう時には決まって、「あ、おめえベスト盤入れてる。反則」などと勝手なルールのもといちゃもんをつけたりするやつがいるのも定番でした。
何にも知らないくせに、それが何かであると感じてわけのわからぬことをいう。そういう時間は貴重ですが、よく考えると実はあまり進歩していないかも知れません。ただ、学生の頃は知らなかった映画人を何人か知っただけのことで。

途中、並び替えができないことに気づき、ベスト10にも入るルイ・マルの傑作、ブリジット・バルドーではベスト、ジャンヌ・モローにとっては異色の『ビバ! マリア』を90番目のために温存し、少し入れ替えながらも90をセレクト。まあ満足いったのですが、すぐにしまった、あれがないと気づいたのでひまをみて更新します。
それにしても、いつも塾で若いやつらに、これがどうだ、ああだといっているような、そんな時間はあまり役に立たないけれどかけがえのない時間。幸福です。
おっと、ねこどもは映画あんまりみないよな、やつらがTVに映っていてほっとけないのはサッカーで、別にボールじゃなく関係ないところ走ってても手近な選手の、なぜか頭にタッチして人間には迷惑です。

以前、塾でおばあさんにも若い女性にも見えるような、いわゆる「だまし絵」を見せてていて、気に入ったか中学生だったA君がいった「もう、こういうのないんですか」思い出し、こうなったら音楽でも、小説でも、ラーメンでも野球選手でも、じゃんじゃんリストつくってやると意気込んで探したけれどそんな都合のいいものはなし。おおそうだ、確かアマゾンにはその名も「リストマニア」というのがあった、あれやってるやつはこの楽しさを知っているのか、さてと……。

リストは(http://my.movies.yahoo.co.jp/fv/mv/profile-CILIuXSYYzx4mg--

(BGMは確かユニオンで500円くらいだった『ビバ! マリア』のサントラを探すも出てこず。やむなくトリュフォー作品集で、トリュフォーは泣けた『野性の少年』も捨てがたいが、映画史的意味、作風の斬新さから『突然炎のごとく』)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昼下がりのおう

2007-02-22 23:35:54 | ねこ
暦が信じられないような昼下がり、庭を横断していると、遠くねこ2頭うなる声。どれどれと一応近くに行ってみる。
すると畑の隅っこ道に出たところ。最近、図体の成長に合わせて勢力伸ばしつつある1歳足らずのおすねこ・ふくめん、ふうふうと闖入者脅かす。おお、がんばなあと敵に目をやると仰天。1年少し前にいなくなったたれ目ではないか。
05年春生まれのたれ目は毛なが柔らか類の巨大なおすねこ。小さい頃に左目を怪我して、手術を受けたけど片目になってしまった(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/a768e5fe271cc672713842cda1d2e56c)。その年の夏は「たれ目の夏」と呼べるほどつきっきりだったのだけれど、大所帯がいやだったのか、1歳にならない冬に出かけたまま戻らない。近所ででかいしっぽの後姿を見て、もしやと思って追ったことも何度かあった。
自分より小ぶりなふくめんにも手加減なくふーっ。何か間の抜けた感じはどう見てもたれ目のそれだ。だーめだよ、と両者にいって引き離し、勝ち誇るホームふくめんを残し、アウェイたれ目を追跡することにした。

車が通る道なのに、長い毛をふさふささせてとことこ逃げる。雪男みたいというかヌウみたいというかの重いからだをもてあまし気味のアクションは、どう見ても懐かしいたれ目だ。それにしても逃げなくていいのに。

たれ目の鳴き方は、まったく他のねことは違っていた。母のキャサリンみたいににゃーんとビブラートで甘えるでもなく、おばのカミーラみたいにニャッ、ニャッとスタッカートで自己主張するわけでもなく、びーっという声は、「鳴く」というより「泣く」ように思えた。20歳頃にみた石坂啓さんのマンガにあった仲のよかった被差別民の子どもが大声で泣くシーンが忘れられないのだが、なぜだかたれ目の泣き方は決して音をきいたわけでないその子どもの泣き声を思わせた。わかったわかったと抱き寄せると、びーっといいつつ長い毛と柔らかい毛をすりつけてくる、その感触は忘れられない。
大丈夫だからな、大丈夫だからなと病院に向かった道。おとなしくしてた待合室。「こんなになりました」と看護師のSさんが見せてくれた手術後。エリザベスカラーで大暴れしてきょうだいたちに突進。何てったって顔だってぶさいくだ。
それは、たれ目ーっ、たれ目ーっ、と抱きしめると、びょーぁ、びょーぁ、と目を細くして叫んでいた、春から冬にかけて。

そんなことを思いながら、とことこ歩くたれ目を追う。ピッチ走法なのに人間が走らなくて大丈夫なくらいのスピードは、なだらかな昼下がりの曖昧な太陽によく似合っている気がした。
まず、10メートルほど離れた家の庭に。周りは畑で出てくるところは全部見えるから川の方面で待ち伏せすると、やっぱり間抜けそうに道を渡って向かいの家の横の畑のあぜ道にうずくまる。

1年ぶりに面と向かったたれ目だった。威嚇するでもなく、姿勢を低くしたままじっとこちらをうかがっている。そういう警戒心のなさは、まさにたれ目だ。
でも、左目をみると、ちゃんと開いて、きちんと見えているようにみえる。その点だけがたれ目と違っていた。ほかは毛なが柔らか類のからだも、ねこらしくない行動もすべてたれ目そのものだ。
1年会ってなかったねこは、かつて何夜も一緒に寝たとはいえ人間を憶えているだろうか。あの内田百がもしノラに出会えていたとしたら、ノラは百先生のことを憶えていただろうか。

時間にしておそらく5分くらい。左目が見えるようになったたれ目と思い出を語って、私は家の方向に動いた。解放されたたれ目は、同じようにとことこと川の方へ歩いていく。
遠ざかるしっぽを長い毛を見ながら、ありがとうな、また会おうなと心の中でいいながら陽だまりの中を家への道を歩く私と川へ急ぐたれ目の間の距離は、少しずつ広がっていった。
一人と一頭がおたがいを確かめていたのをみていたのは一月のぼんやりした太陽だけ。そしておたがいがかわしていた言葉をきいたのは、きっと誰もいない。

今日2月22日は、「にゃんにゃんにゃん」でねこの日だそう。ちょっと前の一月、昼下がりのたれ目を追う。

(Phは「予防接種証明書」のたれ目。これと同じプリクラみたいのももらったがどこに。BGMはこの人はねこっぽい、アルゼンチン音響派の歌姫、フアナ・モリーナ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“Free/Dom/自由”

2007-02-21 10:00:02 | 週間日記
火曜夕更新の先週日記、のつもりが、なぜかうまくつながらず、内容と違って晴れ渡った水曜朝になりましたけどそのまま書きこみます。

12日(月)晩、同級生M君と太田へ。ラーメンよいちつけ麺研究所~イオンシネマ『パプリカ』は楽しめた
13日(火)夕方からOG・Jさん来て、まず塾玄関鍵壊れる。無線LANを買ってくるがなぜかつながらず順延すみません
14日(水)ぎりぎりまで原稿後、晩は出張授業
15日(木)まず鍵と格闘し、近所に住む自転車業の叔父の手によって救出、感謝~この日も同級生M君と今度は深谷シネマで『ゆれる』は傑作~原郷・あばら家で飲む
16日(金)昼は原稿~合鍵つくり&いろいろ買い物~晩、豊里・永来でもやしそば~塾
17日(土)昼、撮影。晩は福龍大盛味噌ラーメン
18日(日)昼はだらだらと寝たり競馬したり。晩にシャワーからアーセナル戦~グラミーのポリス再結成と録画視聴を楽しみ、満ち足りて少し寝てこりゃやばいと東方・長崎ちゃんめん~塾に行って原稿

風邪をひいたり、鍵が壊れたり、PC3台とも格闘と、なぞの出来事多い春の始まり。
サッカーはアーセナル戦を2ゲーム。1週遅れのミドルスブラ戦と、劇的ではあったウィガン戦。と、ニューカッスル:リバプールも半分みたな。
昨夜は早めに塾入りして原稿書こうとするも早々8時半に異様に眠くなって寝てしまい、何度か起きては寝て気がつけばJ-WAVEは松尾潔のユニヴァースでずいぶん眠り、多本立ての夢で昔の友達にずいぶん会った。
それからガンガン原稿書いて、朝はロンドンからのクリス智子と一緒に帰還。途中、ふと市内最大のスーパー近くガード下の壁に、“Free/Dom/自由”となぜか3行で書かれた落書きに目が止まる。
佐野元春が前にいってた「落書きにポエジーがある」だの、20歳頃に見た角目4灯シルビアに貼られた「S“H”IVIA」の文字だの、村上龍が『69』の中で高校教師の言葉といって出てきた「そいつの口をついて出るのが、一番欲しているものなんだ」だのを思い、これを書いたきっと若いであろう彼か彼女かまたは複数かに、いつかその言葉の意味を知る時、それは今書いたものとはまったく違ったものであることだろう、でも、ねこのやつらは「自由」という言葉を知らないのに「自由」を知っていて、それはいささか不公平であるようだけど、生きていれば「自由」という言葉を知ってしまうのも人間なんだろうと、無責任に思う間抜けな頭上の曇り空は、テムズ川のロンドンのそれと果たして似ているのだろうか。郵便局で給料をもらっていたという「女王陛下のねこ」がいたほどのロンドンのねこどももきっと、「自由」という言葉を知らずに「自由」を知っているということでは同じはず。

カウンター07:ラーメン4/23 外酒1/16 劇場映画2/6 サッカー2.5/10.5

(Phは手を伸ばすスラッシュとそこに顔をうずめるチャー、寝る態勢も自由なひざの上のねこども。BGMは近くにあったレニーニを入れたのに、なぜか前に入ってたかバルトークがかかったのでそのまま)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェイント・オブ・サビビアン・ウェストウッド・タヌー

2007-02-17 21:19:09 | ねこ
長原稿前、景気/契機づけにねこの話でも。

数日前の風のない晴れた午後。庭を横断中、あまりの気分よさにねこを追う。やつら、エサ係が母屋に行くと玄関で待ち構えるが常なものの、追うとすたこら逃げるのがさすがに本能的生き物。

……そういえばかつて塾内でこんなことがあった。
現在大学1年のF君が中1の頃だから早くも6年前か。塾には経済教育の一環として常備のカップ麺を食べる時などに借金制度もあるが、黄色い声でF君が「返さないとどうなるん」と愚かなことをいうので、そういう場合は塾内精鋭の借金取りが派遣される、返さないやつが出た場合はしかたがない、極めつけのエージェントがどこまでも追いかけるぞなどと適当な説明をしておくと、それはどういう人かと問うので、そう、まずこの間来たIという高校生などはかなりのものだと返答。
すると何日かしてテスト前か、近所のディスカウント店に買い物に行ったF君と2年上のS君が帰ってきていう。「センセイ、借金取りが追いかけてくるんですよ。この間の高校生が……」。へえ、と笑うやらあきれるやらしていると、しばらくして借金取りI君登場。F君驚き、「あー! 何で追いかけてくるんですか」と敬語でたずねると、借金取り「だって、おめえら逃げるからだよ」。
なるほど、逃げるのは追うからで、追うのは逃げるから……

で、ねこもやつら向こうから寄って来るので、普通はなんだなんだとなでるが、ちょっと趣向を変えて追いかけると、ひとまず逃げる。追いかけるから逃げる、逃げるから追う、中学生もねこも同じこと。
と、ちりぢりのものども、目の前に宅ねこ唯一の最近知った分類さびねこ、たぬき色なのでひとまず、ナイジェリア出身、元アーセナル、現ポーツマスに在籍の天才FWヌワンコ・カヌーをひねってタヌー。さびねことわかったからにはファーストネームもそれにちなんだものにしようと、英国パンクデザイナーの名を取り入れ、最近「サビビアン・ウェストウッド・タヌー」になったおとなしねこが、はっとして前にいる。やつの後方にはおそらく生前の祖父が置いてそのままになっているブリキトタンの戸が立てかけてあり、逃げ場に窮したサビビアンその間に逃げ込んだ。
ただ板が立っているだけだから、出口は左右二つだけ。ちょいと右側をのぞくとウェストウッド左側に移り、さてと左側をのぞくと今度は右側に移動する。
こういう時の生き物の行動は、ほぼ必ず一定の方向を持つものだ。姉の長男が1歳になるかならぬかの頃、頭にかかったタオルを後ろに送ればすぐなのに遠回りでも前に払うしか方法はなく、考えれば前と後ろという概念自体ないだろうから当たり前なのだが、人間は不思議だと思い、すまんと心で詫びつつももう一回やってみたことがある。成獣とはいえ四つ足では、いま右なら次は左しか選択肢はなくて当然だろう。
最初はおもしろいけど、人間はずっと右→左→右→左では飽きる。何度か繰り返した後で、右→左→右→右とシンコペートしてみた。
この変化に最初は驚いていたタヌー。しかしそれから2、3回目で対応し、次回、右→右とやったところ、どどどっと左から脱出してスペースへ飛び出したた。
恐るべし、サビビアン・ウェストウッド・タヌー。いきなりフェイント身につけた

(写真はそのサビビアン・ウェストウッド・タヌー:メス・約2歳。BGMはJ-WAVEで、vivi の L'air de Paris から小曽根真の Oz meets Jazz という極上の流れの土曜の夜のプログラム。Now playing 初めてきくスウェーデンの SWEET JAZZ TRIO 柔らかいタッチのギターに米国ジャズとは少し違うリズムが新鮮。おっ、次のジョビンの『黒いオルフェ』 JOE HENDERSON というのも初めてきく名。いやー、勉強になります)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「青空ひとりねこ」

2007-02-16 19:42:54 | 週間日記
なんと金曜夜更新で、ほぼ先々週の日記です。

5日(月)電話取材~深谷シネマで『ひまわり』は風邪薬のためか少し寝る。再観だからいいけど。with 同級生M君、OG・Eさん~M君宅で飲む
6日(火)PC壊れた関係で太田に行き名は忘れたかっぱ近くのラーメン~ブックオフで100円本7冊購入
7日(水)晩は出張授業
8日(木)ニンニクのために川本・美華でラーメン+餃子
9日(金)昼はM君夫妻とすしランチ~10日記事の図書館へ~まいどやパン~塾
10日(土)昼は競馬好調。2万9千、5万6千、9千円と的中させ、年間プラスに持ち込む。夕、拾六間・福龍で大盛醤油ラーメン
11日(日)昼、撮影。強風でかがり火転倒のアクシデント。夕、岡部・そば蔵でもりそば。晩は同級生M君宅でOB・M君とそのGFも来てチーズフォンデュ

風邪にうなりながら原稿を書き、PCは壊れるわけわからぬ週でついにサッカー観戦はゼロ。アーセナルは誤解からミドルスブラ戦を1週遅れでみる始末でした。
そうこうするうちに世の中では春一番も吹き、びゅんびゅん風が吹く毎日。相変わらずはねこばかり。

カウンター07:ラーメン3/19 他外食2/8 外酒2/15 劇場映画1/4

(Phは昨日、あまりの青空にねこと青空の絵を思いつき近くに来たオディールを空に持ち上げて取ったりしたけどいまいちで、次に来たカミーラを西のバラックの屋根に載せて「青空ひとりねこ」で「楽しいことなら何でも……」。右手のスギ、このそばで育ったおかげで免疫がつき花粉には関係ない春を迎えられると考えるのは科学的だろうか。BGMは夕方のお楽しみ、ピストン+秀島のJ-WAVE「グルーブライン」。おお、何とたぶん最初からきくのは何十年ぶりかのKISS『ロックンロール・オールナイト』が)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高橋源一郎、エミール・シオランの夕~Public Image Ltd. の夜

2007-02-10 01:07:00 | 読書
今日はただの日記。ただし「文学」がテーマなので「読書」カテゴリ―に。

今週は風邪でふらふらしながらそれでもだいたい働いていて、たまに動かなくなってねこどもが上に乗っかる中で寝たり、要するに苦戦続きの中、今日は午前中から2日ぶりに風呂に入り、お午に同級生M君に誘われてすしランチに舌鼓を打ったまではよかったが、帰ると風邪薬もきいたかPC前で眠り、朦朧とした中で夕方に家を出て、昨日もそうだが風邪の時はニンニクだぜ明日は仕事もないから大丈夫だと進路をまあまあ餃子まるよしに進路を取るも、近づくと何か腹が張ってまあいいやという気になり、そういえば、まずいずいぶん前に仕事の資料として借りたサッカー本10冊返してなかったと市立図書館に行ったら金曜は7時までらしくまだ開いているのが、すっかり暮れなずむ6時。

そして図書館は、からだの生き返るところだと知る。

スーパー袋に入れて10冊をカウンターに。実は返却ポストもあるのだが、約半年10冊借りっぱなしの非を詫びるには、やはりカウンターで職員と対面すべきであろう。
ああ、すみません、ずっと借りっぱなしで申し訳ありませんと平身低頭に出るが、クールな女子職員は動じることなく返却処理を済ませるのはきっと彼女の優しさなのだろう。ここではたまに行く国会図書館のプロフェッショナリズムあふれる闘士公務員と違い、利用者に静かに注意することもない。まあ、それはそれでいいのかも知れないと自由を得た非道利用者は、ふらふらと書架に近づく。
実は朝、J-WAVE茂木健一郎が出ることをファンのOB・I君に知らせるべくメールを送り、やつが今、荒川洋司を読んでいて、この間貸した本か保坂和志をおもしろいといっていたので、東京猫さんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20061209#p1)で知った保坂と高橋源一郎の対談を読みたいと書き送っていたのだから、今回の図書館訪問は実は確信犯といえなくもない。しかし、そう思い込んでいた『新潮』にはその対談はなく、ぽろぽろといくつか拾い読みした後、最新刊の『文学界』を手に取って、手近な座り心地のいい一人いすに座った。

この1冊を抱えてのおそらく15分ほどは、小さな文字の中に体が溶け込んで、そして立て直されたような時間である。

まず、芥川賞青山七恵。この23歳は隣町熊谷出身とはきいていたが、インタビューを読むと、それは自宅にほど近い旧妻沼町だと知った。それはいいのだが、先週あたりか毎日の夕刊で読んだ受賞の弁、誰か雑誌で読んだというアーティストの言、実はたぶん自分もそれを読んだような気がする、「25歳は25歳の音楽をやらなければならない。28歳の音楽をやってもいいが、22歳の音楽をやっては絶対にいけない」というのを読み、何とりっぱな23歳だと思ったのと相似形に、「高校の頃好きだったアイスランド“というところの歌手”(強調筆者)ビョークが私の音楽が完成するのは60歳か70歳というのを読んで」と書いていたのにどどどどど。まったく己の23歳を考えて恥じ入った次第である。
ふーむと思って、次にずっと注目していたが未読の佐藤優の連載らしき『私のマルクス』。ロシア外交の裏を語って話題の元外交官作家の同志社大時代の学生闘争を描いた連載のようだが、何といっても神学生としての信仰を通低音に、革命闘争と時代論を交差させてとんでもない世界が語られていた。早くちゃんと著書を読もう。
そして高橋源一郎の連載評論『ニッポンの小説』。今回は川上弘美『舞鶴』の読解だが、その文字一つひとつをかき分けて、語りえぬところまで読んでいく姿勢にはあっけにとられる。途中、「行間」に関して荒川洋司の名も出てきたが、たとえばジョイスを読むこういのようにテキストはつねに開かれていなければならず、文学といういとなみのふしぎさ、きみょうさをうみだしていくこのテキストは、きっとでぃいえぬえいのにじゅうらせんのようにしんぴてきなものなのだろう。
ここで『文学界』を置いて、この時間を小林秀雄ならどんな風にいうのだろうなどと考えながら書架の間を歩き、周りを取り囲んでいる異様な本たちにたじろいだ。

世の中にはこんなに大活字本というやつがあったのか。

大活字本といえば、たとえば森鴎外とか中勘助とか、つまり高齢者うけのいい本くらいだろうと思っていたらそんなことはない。最新ベストセラー作家、東野圭吾とか重松清か、何というかすべての本が大きくなっていて、いつの間にかこれはガリバーの国に来てしまったのではないかと思うほどだった。
とはいえサイズはまあ、最近の中学生の教科書くらい。ダウンサイジングがすべてでないと常に言い散らかしている私だが、いくらなんでも遠藤周作『沈黙』が3巻に分かれているのでは大変などと思いながら、何となく読んでみたかった島尾敏男『日の移ろい』を少し読む。字がでかくて少ないから、読み進むにはかなりのページをめくらねばならず、これはたとえば寒い夜に布団の中で読むのには向かないななどと思ったりもしたが、本来そういうシチュエーションで読むものではないだろう。
と、ここで巨人の本地帯を去り、ほとんど学校には行かなかったとはいえ元仏文学徒として、知らない本屋に行っても実力を探るためにまず立ってみるフランス文学コーナーへ行く。近年の不調から蔵書は少なくなり、卒論にしたヌーヴォーロマンの作家などはほとんど見かけないのはさびしいにしても、当然よく知る名は何人も目に入る。そんな中、一冊取り出したのはヴァレリー論に始まる松浦寿輝『謎・死・閾 』。

そうだ、こういう本は4400円くらいするんだ。これじゃちょっと買えないぞ。

だいたい松浦寿輝の本は文庫でも高いからなかなか買えないということを思い出し、その見事な文体の評論に読み入る。
数葉の写真におけるガストン・パシュラールの「手」の中に性愛とはまったく別の「官能性」を見出し、その分析をサルトルのそれと比較する。結局、その相違を両者の出自に求めるあたりがぞっとするくらいエレガントだ。
そして、こちらは名前すら初めて知ったエミール・シオランの『涙と聖者』論。これも今までにニーチェに関する本を何冊も読んできたけれども知らなかった「私は涙と音楽とを区別するすべを知らない」を絶妙のタイミングで引きながら、鮮やかにかつ美しく開帳する異端の思想家の思考は実に刺激的だった。金井裕、出口裕弘の名訳への賛辞も忘れないところも行き届いていて気持ちがいい。
と、ここまでで約50分。

美しいリズム、しなやかな思考に浴びるように触れていると、何だか風邪気味のからだがすっと軽くなった。

これら文学がニューロンにつくり出した、茂木健一郎のいうクオリアが肉体にも作用するのかも知れない。高橋源一郎が同じ評論中で、どうしようもなくなった時は本棚から何か取り出して読んでみるというようなことを書いていたが、そういうものだと思う。
毎日浴びるように酒を飲んだり、少しでもおいしいものを食べようとしていて、それはからだにいいと思うけど、奇妙なことに肉体とはあまり関係のなさそうなことがからだにいいことがあるみたいだ。

4400円を借りていってまたも半年くらい拉致するという手もあるが、それはやめておいた。ここにあって、パシュラールがシオランがまだそれを知らない誰かを刺激する方がずっといい。人口10万の街でこれを手にする人間が何人いるか知らぬが、家に持ち帰って可能性を狭めることは罪な、はしたない行為のように思われた。

クロージング音楽がかかる中、手ぶらで図書館を後にして、餃子はやめてまいどやでサンドウィッチと焼きそばロール、ごぼうパンを買い、「サンドウィッチすぐ食べなかったら冷蔵庫に入れてください」というお決まりのフレーズをきいて塾へ。中2M君と「結局、いえるかどうかがわかればいいんだから」などといいながら証明や、逆は真か、などの数学をやった。「証明」の是非はよく議論になるが、「いえるかどうか」がわかるということを学ぶことは悪いことではないとは思う。

しかし同時に思う、「わかる」ことは学ぶことのほんの一部でしかなく、それは「わからないこと」のおもしろさ、よろこびにくらべたらまったくちっぽけでしかない。わからない、知らないということに叩きのめされ、以前にインタビューしたある女性アナウンサーの言葉を借りれば「ポジティブにちっぽけな私」を感じることは、こんなにも楽しいことなんだ。
だけど「わからないのすばらしさ」を知らせるにはどうしたらいいか、それは「すばらしくわからない」から、今はその「わからなさ」を「わかる」ために、小さな「わかる」を積み上げるしかない。
それは“正しい”のだろうか。

(BGMは金曜夜の定番NHK-FM渋谷陽一。何と Public Image Ltd. がかかり渋谷氏も久しぶりにきいたといっていたが、やつらは仏文学徒時代の20歳の頃中野サンプラザでみたのを思い出し、このわからなさの前でたじろいでいた自分を思い出す。さて、勢いつけて仕事の原稿書かねば)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田洋次『武士の一分』―個人的な感想・映画の不思議

2007-02-07 23:54:50 | 映画
このところ身のまわりのことばかり書いてました。反省を込めて、まず元日にみた映画のレビューから。

……最初に断っておきますと、このレビューはまったく個人的な山田洋次監督作品論に始まっていますので、あまり他の人の参考にはならないと思いますのでご容赦のほどを……

そういう映画ファンが少なくないように、申し訳ないけれどこれまで山田洋次監督作品をそんなにおもしろいと思ったことはなかった。そんな人々の多くがそうであるように私が映画をみるのは、何らかの発見で自分の映画観、ひいては世界観を揺さぶってほしいからであり、何かに安心したいからではない。そんな種類の映画ファンにとって山田作はただ退屈なだけで、夜9時からのテレビで放送されているそのことだけが何かであるような、たとえていえば中島みゆき『蕎麦屋』の中の「大相撲中継」のような“風景”、そんな映画でしかなかった。
『寅さん』にしても『幸福の黄色いハンカチ』にしても『たそがれ清兵衛』にしても、「下町情緒」とか「ひとを想う心」とか「家族と仕事」とかの、「定型」に寄りかかり過ぎている。そう思っていたのだ。

そんなわけだから稀代の人気タレント、木村拓哉を得て話題だったこの作品に期待することは多くなかった。それなのに、み終わって感想をきかれると誰もに、「いや、おもしろかった、よかったよ」と語っていた自分がいる。これはいったいどうしたことか。
何か新しい面があるのだろうか。
あえて探せすなら、黒澤明ばりの大げさな雨や風の演出、十分とはいえないまでもイーストウッド『許されざる者』を思わせる報復劇のプロットも悪くない。
しかしそれは山田作として、今までみたことがなかっただけのこと。主演キムタクはテレビのCMでみている彼がちょんまげと無精ひげで出ていただけのことだし、全然知らなかった壇れいも笹野高史もこの上ない演技を見せているが、それは彼らの素材を引き出したに過ぎないだろう。

そうしてみると、本作はこれまでとまったく変わらない山田作品に思える。では、なぜこの作品にこれほどまでにひかれたのか。
思いつくのは、映画観賞者としての自分自身の小ささ。映画は何も特別なことをしなければならないということはなく、おもしろければそれはそれでいいのだ。そういうことを忘れて、映画についてあれこれ考えていた自分のおろかさに気づく。映画は不思議なものであり、そのおもしろさはわかりようもないものなのだ。

それでいながら、三部作が終わった山田作を楽しみにするということは今後もないだろうし、山田作にない“発見”をこそ探して私は映画の前に座るだろう。それがまた“映画の不思議”なのである。
最後に繰り返すが、10年前から時代劇を演じていたような佇まいの壇れい、作中人物にしか思えない笹野高史はすばらしい好演。

1月1日 伊勢崎MOVIX

(BGMはNHKライブビート、フラワーカンパニー。これも新たな発見はあまりないがごきげんなロックンロール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の水族館のねこ

2007-02-06 23:35:59 | 週間日記
多忙期に入り、前回から更新ならずの先週日記です。

29日(月)OG・Jさんがネット加入のためPC持参して手続き。その後、ビデオ7本貸し、映画の話をたっぷり。映画みたい
30日(火)ずっと仕事で、夕、東方・長崎ちゃんめん。仕事していると『さびしんぼう』をみたJさんからメールあり、その素晴らしさをとくとくと書き連ねる
31日(水)昼、何とか仕事終え、夕は出張授業~同級生M君に呼ばれ、帰っていた授業先の同級生K君誘い出かけ、OB×2、OG×1すでに大酔っぱらいに参戦
1日(木)夕、上柴・喜楽でタンメン
2日(金)夕、別府・のび太で天ぷらうどん~塾でM君迎えに来た同級生Hさんといろいろ話す
3日(土)昼、撮影で太田に。帰って同級生T君が来ていたM君宅へ
4日(日)昼は競馬しながら仕事。無線LAN不調で1万いくらの的中逃す。晩はOG×2、OB×1と予約していた上柴・照で食事会。もつ鍋コースは莫大な量で満足度大。大風の中、普通の暮らしや観光、ロックなどさまざまな話題で楽しく過ごし、OG帰宅後、塾でしばらくOB・Y君とさらに飲む

サッカーはアーセナル戦がなかったため、古巣対決注目だったホアキンのベティス:バレンシアだけ。愛するホアキン・サンチェスについては、一度単独記事を書こうとしていたのだった。
忙しいといいながら誘われれば飲みに行ってしまうのはまあいいとしても、ちょっと文化面でのだめさが目立つので反省。
今日の朝刊に「冬がどこへ行った」と書かれるほどの陽気続きの中、当地名物赤城下ろしが吹き荒れた日曜は、身の縮む冷たさにかえって安心感さえ感じて。昼を食べて窓から外を見ると、飛び回る枯葉や枯れ枝を追っかけてねこどもくるくる。
風吹かずぬくぬくとした居間から見るねこどもの動き、まるで水族館の中の魚たちのよう。やつら暖かいのは好きだけど、遊んでいれば実は寒いのも平気で、それはきっと風の水族館のねこどもだから

カウンター07:ラーメン2/16 他外食1/7 外酒3/13 サッカー1/8

(Phは29日に撮った車の上占領の、最近外ねこ化進むやぴんと付近ねこしまぴん。比熱の低い鉄のボディーを一般にねこは好む。BGMはJ-WAVEでさっきかかったマンハッタン・トランスファーのような「MISTY」はハイロウズといっていたので驚くと THE HI-LO'S という人たちだった。イーストウッド『恐怖のメロディ』でも知られるエロール・ガーナーがききたくなる)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする