小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

深谷ロックフェスティバル―「違うを信じる」ものどもの、なだらか、情熱、健全、“真冬の祭典”

2007-06-28 17:55:18 | 音楽
早くも今年も半分近く。ちょうど Mixi の方で「日本のロック30選」という企画に参加することになったので、何と1月15日の日付未完成で放っておいた記事を完成させて掲載します。まず、1月15日下書きを後半、投げ出したテキスト断片もそのまま。

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日曜に行ったすばらしい祭のことを早いうちに。

飲んだくれ正月を送るのにぴったりの祭を知ったのは少し前、8月にあったという第1回のブログ記事を読んだから。
深谷市内在住の突然ダンボールは高校の頃、NHK-FMで録音した『ホワイトマン』で知ってはいて、それが生まれた市に住んでいることはその後に『ミュージックマガジン』で知ったたが、その後は多分ディスクユニオンあたりで買った中古の『成り立つかな』もきいたくらいだ。それでも贋東京駅の深谷ステーションというプログレッシヴなロケーションで1500円というところも気に入り、前夜をともに過ごしたOB・Y君を誘って出かけた。
オンタイムに駅に行くと、Y君は深谷名物ぽてとやちゃんぽんを食べている。そそくさと、何度も利用しているのに全然知らなかったギャラリーというのに行くと、一般に「ロック」というにはややジミーな若者が少々黙って。先着100名と書いてあったのに「0037」の出入り券をもらい、ちゃんぽんを持ち込んでいいかときくと、「ごみはちゃんと捨てて下さい」。大人なアティテュードじゃないか。
会場は学校の教室くらいで、素っ気のない内装もそんな感じ。そうだ、確かこれはJRじゃなく、箱物行政を批判されて現職に敗れた前市長時の賜物だったような気がする。行政色濃いイスに人々が腰掛けた様子は、数十年前の高校文化祭、教室ライブの風情だ。
と、思う間にずいぶん派手な観客もいるなと思った、『チェリーボンブ』でおなじみランナウェイズのヴォーカルのごときブロンド美女がKORGエレピの前に座り開演。では、セットチェンジにも時間かからない15時から17時半までの素敵な演奏を、記憶の中で再現してみよう。
すべて初めてみた出演者は、突然ダンボール蔦木さんの公式ブログをご覧ください(http://18837565.at.webry.info/200701/article_2.html)。

◆Majjulla hal-re:【マユラハルリ】
初々しさと前衛の、不安定だけど幸福な邂逅。キーボード舞台中央客席真正面で歌うなんてブライアン・ウィルソンくらいしか思いつかないが、それだけまっすぐに歌いたいことを伝えたいのだろう。
ほとばしる情念と、それを広げていこうとした結果の複雑な構成。それと不似合いなリズムの定まらなさや多分ミストーンが、今この時だけを切り取ろうとしていた鮮烈だった。

◆Emile
こちらはJ-JHSイングリッシュで客席を煙に巻くだけのエンターテインメント力で、それでもやはり不安定でいて、とはいえ余裕を感じさせるガレージロックでVo、Bが女性。
今回の中ではもっともひねりの少ない演奏ではあるが、それももとはひねっていたのが戻ってきてこの音になったという印象の、ごきげんロック・ポップ&トーク。

◆おにんこ!
「フロム・シアトル!」と紹介された Emile に対して「フロム・深谷&本庄」とアピールの、これも女性Vo。『おにんこは東京が嫌い』などという歌も歌っていたこのバンドは、30年前のカーテンからつくられたようなビューティフルなご衣装の通り、ジャパニーズ不思議いいとこ取りのサウンドで、実はすごく勉強熱心な感じは、サポートで2度見てアルバムも2枚買った ooioo を思い出す。
ゲストで帽子の若者が登場。ロバート・フィリップやエイドリアン・ブリューのような幾何学的フレーズに、アンディ・パートリッジの切れを感じさせる、この日最高のギターワーク。

◆トキメキ泥棒
すごい。たとえば神田・いもやのような見事なとんかつを、私は「すき間の芸術」と呼んでいるのだが、このバンドのサウンドはすさまじいばかりの“すき魔力”。黒っぽく冷徹でソリッドなリズム隊に、音数を極端に抑えたギターと、ふわふわした女性Voが、絶妙のすき間を屹立させる。
それは硬くもなく柔らか過ぎずで不動の豚肉と、その旨みを逃がさないように最高のポジションで包みこみながら、自らも決して妥協しない衣がつくりあげる最上質のとんかつのように、甘く辛子もきいて、ジューシーでさくさくして、つまりごちそうなのだ。時めく。

◆石川浩司(exたま)
有名度ではナンバーワン。絶妙のトークとミュージックで、観客をおかしくかなしい幸福な世界に連れて行き、終わった時に近くの誰かの、「プロだねえ」という呟きがその水準を物語る。
お笑い番組はほとんどみたことはない私も大笑いしたのだが、そのすばらしさはある意味、この祭典を象徴するものなので後でまた触れよう。

◆突然段ボール
前衛にも風格がある、という印象は、やはり昨年の正月にみた山下洋輔の室内楽団八向山を思い出す。いや、先ごろ他界したジェームス・ブラウンといっていいかも。自信にあふれて楽しそうで、実はエンターテインメントにもあふれているから。
『ホワイト・マン』はやらないのと思ったらアンコール。25年前にFMで録音して何度もきいたのとはずいぶん違った印象で、こういうと失礼かも知れないが昔のストーンズの『ホンキー・トンク・ウィメン』を思い出すゆったり感だった。

この幸福な4時間あまりが何だったのかを考えるのには、きっと私個人の“ロック観”を語らねばなるまい。
私にとってのロックとは、端的にいえば「違うを探す」を信じることである。
唐突だがここで思い出すのは、かつて働いていた公立中学で、あるベテラン女性教諭が問題生徒に関していった、「なんでひとと違うかっこうしたがるんかね」という一言だ。善意ある言動で戦後民主公教育を支えてきた教諭のその価値観を、もちろん「間違っている」とはいわない。だが、彼女の理解が及ばない「ひとと違いたい」は、特に自己を模索する時期である十代なら、例えばダーヴィニズム的な観点からしても、歴史社会学的な視点からしても当然であり、むしろ健全なあり方ではないのか。そして、「ひとと同じでありたい」と思う模範的な心性よりも「ひととは違いたい」と思う魂の方にこそ私はシンパシーを感じている。

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どうせ酔っ払って書いていたに違いなく、6月に読むには暑苦しくもあるものの、レビューはともかく後半の「ロック観」についてもう一度。

一般に「ロック=騒々しい、激しい」というイメージは強い。けれど私にとって中学校の時にビートルズと出会ってからの「ロック」は、激しいかどうかより、どれだけ“発明”があるかどうかだった。
ポピュラー音楽史的にみれば、ブルースを基本にした8ビートとして始まったロック。構造自体が単純なだけに、クラシックやらジャズやら中南米音楽やら地上のすべての音楽を飲みこみつつ、“深める”垂直方向より“広げる”水平方向に大きくなることで発展してきたように思う。もちろんクラシックやジャズがそうでないとはいわないが、ロックはもともと「単純」な上、しかもそのうち「演奏はうまくなくてもいい」という自由さも拍車をかけかこともあり「発明」の重要度はだんだん大きくなっていった。

ここで二つの文を引用。

最初は数年前にJ-WAVEでやっていた番組で細野晴臣が語った次の言葉。確かボブ・マーリイがよく使う、「(ウン)カッツーン」についてだったと思う。

「結局、音楽って、“発明”が一つでもあれば十分なんだよね」(記憶につき引用不正確)

もう一つはこの半年の間に読んだ須賀敦子『ヴェネツィアの宿』で知った、サン=テクジュペリ。

「建築成った伽藍内の堂守や菓子椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである」(『戦う操縦士』堀口大學訳)

たとえば私も、フジロックなど大掛かりないわゆる「夏フェス」に行くこともあるし、東京ドーム級のコンサートでたくさんのオーディエンスとありがちな連帯感を味わうこともある。それはビジネスとしてのロックが産み出した、幸福な時間といえるだろう。
だがたとえばここ数年、年に何度か行っている、そう売れているわけではないが実力はあるミュージシャンの演奏にただで触れられてお得な公開番組NHKFMライブビート、その505スタジオという30年くらいは経っているだろうホールで誰に話しかけるわけでなく床に座って膝を抱えるそう多い数でない若者、普段はあまりいいことのなさそうな若者の群れをみた時に思った。
こうやって、CDもあまり売れないような音楽にたどり着き、なぜか愛してしまう君たちは正しい。なぜなら、「みんながきくから」「流行ってるから」「知ってるから」といって選んだならこの場所にはいないはずだからだ。君たちは「自分の好きな音楽」を探してたら、ここにやって来てしまったはずだ。

そして深谷ロックフェスティバル。決して普通の意味では「激しい」といえない演奏をきいて、たとえば西海岸パンクをきいている若者はこんなのロックじゃないというかも知れない。フォークギター一本でペーソスあふれる笑いの渦を広げていく石川浩司の音楽を、お笑いと感じても不思議はないだろう。「たま」のヒットからもう15年ほど経っている。
しかし石川は客席に向かっていう、「ロックフェスなのに、軽いからフォークギターで来ちゃいました」「ボクだって最初はビートルズみたいなことをやってたんですよ。でもだんだんこうなっちゃったんですよ」。“こうなっちゃった”こそ、“ロック”ではないか。

たとえばベートーヴェン。あの形式主義の時代にその形式を突き破っていった『第九』の狂喜は、まさに「ロック」そのものだ。「ロックンロール!」「パンクスピリット!」と無邪気に叫ぶばかりで、誰かがつくった黄金の技に寄りかかった演奏で、たとえば「詞と曲」というミニマムな武器を磨きに磨いていたニューミュージック黄金期や、はたまた誰もが知っている学校教育ソングを歌うことが、どれだけ「ロック」からかけ離れた行為なのか。

宗教にも似た「ロック」の私なりの定義は、「“違う”を信じるということ」。回転のかかったボールが向かい風を受けてとんでもない方向に曲がっていくように、自分の求めるかたちを求める結果として、誰も思ってもみない場所に着地した音、それを「ロック」と呼びたい。
だから、「“違う”を信じるもの」たちよ、となりの誰かと同じでないからといってさびしいことはない、“違う”を信じるということだけは共通しているのだ。

というのが、深谷ロックフェスティバルできいた、すばらしく変わった音たち、大騒ぎするわけでもなくきいている人々をみて思ったこと。
そう、いっしょに行ったOB・Y君と、よしじゃあ今度バンドをやって、いつかこのフェスティバルに出してもらおう、ラーメン屋で話し合ったのでした。
音楽はなだらかでよかったのに何だか興奮。行ってることに反して、リストアップ中の「日本のロック30選」は軟弱です。

追記:と思って突然段ボールのブログをみると8月18日に第3回だそうです。
http://18837565.at.webry.info/200706/article_14.html
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おくれ・きゅうり・うえる―"os amores libres"

2007-06-25 19:09:51 | 週間日記
何と早くも先週日記で二日連続に。

18日(月)ずっと原稿。途中、以前に買った中古CDニール・ヤング silver and gold 初聴~ラーメン食おうと出かけ、これは久しぶり籠原・味楽でもやしそば
19日(火)ずっと原稿
20日(水)ずっと原稿~晩、出張授業は部活大会でだらだら~蔦屋でミュージックマガジンとレコードコレクターズ、アンリ・カルティエ=ブレッソン特集のpen~新たにできたラーメンおおぎや
21日(木)校了作業のため築地へ。食事は着く前に銀座・共楽~途中編集Oさんと沖縄料理屋でチャンプル定食~明方、居酒屋
22日(金)高崎線事故で帰れず(参照23日記事)~帰宅後さらに寝て~夕方、中3M君の問題集を買いにヨーカドーに行き、つきでにはなまるうどん~OB・T君も宝塚の予想に来る
23日(土)競馬やったりでしばらくぶりにだらだらで、気がついたら何もせず
24日(日)宝塚記念は家で馬券を買って出撃、雨の新宿アルタ画面で観戦。期待のローエングリン、破滅的逃げでゴール前歩く~三鷹に下り最愛のラーメン、江ぐちでビール+チャシュー+竹の子もやしそば。茹で係は若いやつ、満足~中目黒でOB・K君の舞台。K君の同級生にも会って、雨の中いろいろ話ながら彼らの車のある駐車場まで~数十年食べてない中野タブチのカラクチカレーを食べようと行くが定休。懐かしい町を少しうろうろした後、今週はよく食べたついでにもう一杯食うかとラーメンは、前に山頭火があったようなの桜桃で塩ラーメン~帰深。多少飲んでいたので塾でOB・Jさんにもらったアールグレイ飲みながら本を読んでたら睡魔に負け、朝一度起きて赤瀬川原平『純文学の素』読了。いやー、ほんとにおもしろい

長い戦いが終わりちょっとゆっくり。日曜は塾で寝てしまったので今日はいったん帰ってねこどもキャネットにゃあにゃあすまんすまん、その後、ベスト電器やらGSやらブックオフやらをうろうろし、そうだビーチベッドを見ようとコメリに。しかし狭い店内でそういうものは見つからず、その代わり最初におそうえきゅうり苗98円を発見。なぜかかぼちゃに接いだきゅうりに異様な敵意を示す父親が恐れ知らずなことにたねをまいたがほぼ壊滅で、これでは夏にきゅうりがくえんと素人の浅はかさに何もしないくせに文句をいい、いまから植えてもだめなのかなといっていたところ。レジのおばちゃんに、あれ今からでも大丈夫ですかときいて三本購入。帰って植えた。
植えているとねこども集合にゃおんにゃおん。おまえらきゅうりは食えねえよ。そういえば最近の中学校の国語の教科書に載ってたきゅうりの作戦失敗の話。本当は食べられないように苦くしたのに、人間がうりゃうまいといって食べたのでいつも食べられているという説。むう、人間はやはり鳥やなんかは好まないもの食ってんのか。それはえらいのかどうなのか。
おくれ・きゅうり・うえる。"give me, cucumber, hungry" じゃなく、"late, cucumber,plant"=「遅れ・きゅうり・植える」。
このきゅうり、いつ頃食べられるのだろう。でも、いつまでたってもにゃんども食べられないよな。とげだってあるぞ。

(Phはきゅうりと寄って来たねこ3名。BGMは何となく顔がきゅうりのカルロス・ヌニェスの os amores libres は邦題『自由な愛』で確かに苦いきゅうりにも自由な愛)

【カウンター07】
ラーメン5/74 他外食2/32 外酒1/43 読了本1/9 海外サッカー2/37.5
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「5分にして目の輝きが違って、仕事ができる」―"our sense is just wild"

2007-06-24 12:47:52 | 週間日記
間、3回更新しながら放っておいた、gooブログではこれが100回記念の週間日記です。

11日(月)朝からずっと原稿
12日(火)朝から原稿~晩には仕事先POGドラフトで新宿へ。重複じゃんけんは2戦2勝。年に一度しか会わない人も多く、少しと思って飲んだらうっかり最終逃し赤羽まで行って初めてネットカフェに行く。1000円で朝までは便利
13日(水)戻って朝から原稿~晩、出張授業~東方・長崎ちゃんめん
14日(木)朝からずっと原稿(15日記事に詳しく)。この日、梅雨入り
15日(金)朝からずっと原稿~夕、国済寺・増田屋で大もりそば。父の従弟のTさんに会う~授業。競馬ファンのOB・T君も登場
16日(土)原稿。競馬はうっかり寝てしまって買えず。昨期のPO馬1着で、あの4万馬券は買えたな。原稿はけっこう進んだので、晩はそろそろ休もうと同級生M君宅へ
17日(日)原稿+競馬。最終で4千円台当ってそんなに負けず。晩はまたM君に誘われ原郷・あばらやに。予定のOB来られず2名で少し。帰ってちょっと原稿も

というわけで、この週から起きてる間、仕事飲食以外なし態勢に。といいつつ、15日記事のようにサラゴサ:レアルマドリーはみたし、仕事してるから音楽は莫大にきいた。今回は大体、家で仕事たのでけっこう料理もしてたぞ。
そんなわけで、忙しく過ごした梅雨入りの週は、その後1週間降らないとはこの頃はまだ知らなかった。
仕事の資料以外、読書はラーメン屋で読む井上章一、赤瀬川原平と新聞くらいだが、もっともうなったのは今週金曜夕刊の北杜夫さんのインタビューで知ったその父、斎藤茂吉の言葉、「ウナギを食べると、5分にして目の輝きが違ってきて、仕事ができる」、さすが『楡家の人々』の魚の目玉を食べる儀式を思い出す。さらには昨日か、近くのディスカウント店にビール類を買いに行き、レジ前に並んだ身長150ほど推定年齢60~70歳台、「のどごし生」2本買う、疲れた作業服の農家のおっちゃんの着ていた、「0100101101」などと書かれたグレーのTシャツのフレーズ、"Degital method is a means, but our sense is just wild.(拙訳:デジタルの方法論は手段だ、しかしおれたちのセンスはただ野性だ!)"。背中にそうあるおっちゃんは、「のどごし生」を抱えてとぼとぼと去る。
そう、誰もが目を輝かせたい、ワイルドになりたいんだ。降らない梅雨はまだ続き、ラ・ニーニャによる酷暑というウナギの日まで、あとあっという間の一ヶ月。

(Phは最近は何度中に入れてもすぐ出てしまう暫定名セグンドで、左前足をケガしたらしいが元気は元気。BGMは「100」に因んだものを考えが、とくにないので「0」一個足してショルティ指揮マーラーの8番『千人の交響楽』。この大げさはクイーンの一時の曲と同じでよほど元気がないとつらいが、今日はぎりぎりOK)

【カウンター07】
ラーメン1/69 他外食1/30 外酒2/42
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『帰れない一人』~夏至の朝、高崎線ラリー

2007-06-23 21:30:04 | 身のまわり
上野――大宮――桶川――――――熊谷―【深谷】――神保原―新町―高崎

6月22日、前週の梅雨入り以来一週間ぶりに雨の薄い幕が降りた2007年夏至の朝。私は上記ルートをのた打ち回った。以下は午後以降のメディアを騒がしたらしいこのニュースの個人的ドキュメントである。

●前日築地~7:00上野
21日は午後からこの一か月半戦い続けた仕事を終わらせるため事務所のある築地入り。その前に汗を拭きつつ共楽でラーメン、途中で編集Oさんと沖縄料理屋で定食を食べつつ、ゆっくりではあるが確実に進み、22時頃最終は断念し、付き合ってくれたOさんとともに、J-WAVEヨーキングがやってる時間に全作業終了。家なら「第九」だ「アキレス最後の戦い」だといいながら、一人で完了とは別の心地よさを味わい、では電車が動くまでと周辺居酒屋で、音楽、社会、世代、仕事と、よくあるけど楽しい話題で朝を迎え、地下鉄から上野駅で年で一番早い朝の明るさの中、電車に乗って眠る。

●約7:20桶川
目がさめると深谷駅のような感じ。前にこれで動かず失敗したこともあり慌てて降りるとそこは道程半分ほどの桶川駅。このまずいジャッジがなければ、8時過ぎには家にいたかも。でもいいやと次の電車に乗り、しかしもう高校生登校時間で座れず、朝からのほろ酔い気分で得意のつり革睡眠、熊谷で座れて再び寝る

●推定8:10高崎
気がつくと「たかさきー たかさきー」。しまった朝からまた、上州に来ちまった。しかしここまではよくあること、すぐに上り列車に乗り30分で起きなきゃなと思いつつ安心してまた寝る

●8:30頃神保原
時間は携帯の発信記録から明らか。神保原駅で人が騒ぐのでなんだなんだと起きると、事故が起こって電車動かず復旧の見込みはないという。こっちは今まで寝てて、帰ってさらに寝るだけだからいいけど、一般のみなさんは大慌て。「いつになったら動くんですか」と駅員に詰め寄り者にベテランの駅員は慣れたもので「まったく復旧の見込みは立っておりません」、高校生どもも騒ぎ、別車両のお友達に携帯で連絡して合流する女子高生になるほどトランシーバー機能炸裂と驚き、「どうするオレ歩いてくよ!」と興奮の隣本庄の私立高校の制服の体育系男子に、こいつエライなサッカー部ならディフェンダーかなおれなら絶対行かねえなと自らのだめ高校生活を思い出してしまい、「うん、そう、じゃ、先生に連絡してみる、でもだめだったら歯医者、後でいいから」って何やら思いつめて話すキャリアウーマン風と、さすがにこの時間電車に乗っているのは、何時にどこにという明確な目的を持った人ばかりで、いざとなればここに泊まってもいいぜ、すまん、キャネットが遅れるなものども、などと思っているのは自分くらいだなと、こんなことでいいのかというような、ひょっとしたら恵まれているのではと思い、自宅に電話は出ず、ほかも心当たりに電話するが、20数キロ離れたところにすぐ迎えに来るようなヒマなやつはあまりいないと気づく。
そうしているうちに、「間もなく下り列車が参ります。熊谷より先お出での方は、この列車で高崎まで行きますと、そこから新幹線に乗車できることになっております」とアナウンス。多くの人々は希望に震えて移動し、私もこのままここにいるよりと下りホームに移動して乗車する。
ただで新幹線に乗れるならそれもいいかもと、じゃあ、熊谷から帰るにはバスで途中までとルートを考えてもいた。

●9:00頃新町
しかし「希望という名の電車」はあえなくとなりの新町でストップ。おつもと違う方向で知っている人に出会ったらしい女性が、「ホント、困っちゃって、高崎まで戻ろうと思ってるんですよ」と語っている。
今朝だけで二度目に越えた県境だが、ここで止まるなら乗らない方がよかった。すると今度はまた上りが来そうというの上りホームに行くと、駅から息子だかなんだかに電話しているおばちゃん、目的地は高崎でここまで来て高崎まで送ってってというとその息子だか何だかは承諾で、それなら最初からその方がいいのではないかとも思うがそういうものか。いずれにしてもおばちゃんには、そこまでして高崎に行かなければならない用事があるのだろう。
と、ここで何度目かのトライの後、父親と連絡が取れ、事情を説明すると今に出ているがでは救出に向かうという。「ありがとう、パパ」と口にしたわけではないが、サンダーバード兄弟のように感謝してしばらくすると、今度は上りが来るが、おそらく神保原で止まるだろうという。国際救助隊が来ることが判明しているこっちは余裕で、「あと何分くらいで来ますか、迎えに来てもらえるんですが、神保原まで行けるならその方がいいのもので」というと、対応に疲れたような改札駅員、いちいちほかの職員に、「あとどれくらうで来るかなあ」と大騒ぎ。「あと5分で来ますが、どうなるかはまったくわからなんですよ」。「いやあ、大変ですねえ」といって再び父親に電話して神保原に行けそうだというと、今度こそ希望のステンレス車両がすーっと。

●9:30頃神保原
ひとまず、数十分ぶりに神保原到着、しかし、止まるだろうと思われたステンレス車両は、そのまま本庄駅に向かって走り出していく。何だよ、じゃあ、そのまま乗ってりゃ、深谷まで行けたんじゃないか、と思いつつ、ならばご苦労様はわがお父様だぜ。といっても、駅員だって何もわからんのにまあそれなりにアカウンタビリティを発揮したんだ。しかたない、と思って清算して駅を出る。普通なら深谷から清算するやつが上りで来るのはおかしいが、まあ、すみませんと駅員はいう。いやいやお世話さまでしたと、雨がしのつく田舎町の駅舎に出ると、高校生の一団がその一名が持つワンセグ画面に見入り「やってるよー」。つまりニュースの一部になっているのがうれしいのだ。そういえば高校の頃、出もしないくせに予備校の夏季講習に申込に行った帰りにアメ横火災を山手線から見て、帰ってニュースをみたことがある。誰かのワンセグでみるというのがテクノロジーの進化だろう。事故のことは知らぬか今駅にたどり着いた人々は、へえ、まったく困ったねーと、その実嬉しそうな声を上げる。
不謹慎を承知でいうと、本当に切実な人が確かにいただろうが、多くの人は困ったようなことをいいながらアクシデントを楽しんでいるようにみえた。そういえば今よりずっと行き場がなくだらだらした日常を送っていた二〇代前半、どこだったか伊豆諸島の一つで噴火があった時、人々が体育館に避難する様子を映したテレビをみて高校からの友人ががこういったのをおぼえている。「あいつら、なんか楽しそうだよな」。いい悪いはともかくその時は私にもそう思えたし、それは今回、周りの人々から受けた印象に似ている。ニュースをみるのも私たち、ニュースに出るのも私たち。待っているなら何かが起こることよりねこの方がいいから、テレビはみなくなって久しい。
と思っていると、待ちかねたサンダーバード2号じゃなくて父親コルサがよろよろと登場。どうして17号方面からでなく高崎方面の小道から来るのだろうと思うが、さすがに四十年以上も息子をしていると、なぜかひねりにひねった道ばかり選ぶことは知っているので驚きはしない。どちらかというとオルタナティブなプロフィールの私と違ってもう二〇年近く会社員の弟もこの辺は父と同類でごちゃごちゃ道志向で、さらにいえば二人の息子を持つ叔母の話によれば、その二人の従弟も私のようなメインストリームタイプとごちゃごちゃタイプに分かれているらしい。

「おお、サンキュー、ご苦労さん、じゃあ、大変だからおれが運転するよ」というが、予想通り「いいよ」。たとえば姉の息子なんかと車に乗ると私は、「おめえ運転してけよ」というけどなあ。まあ逆らってもしかたないのでありがたく助手席に乗り、自分の車を置いていった塾まで二〇キロあまりのドライブとなった。
わかっていたことだけど、どうしてこんな道知ってんだという細かい道を通り、父親が定年後週に何回か通っていた本庄の高校や、やつがキャリアの最初に勤めた岡部を通り、JRの話とか私立高校の話、行政の合併の話やら、少しは親族の話など、それは何ごともない話ばかりで、何ごとか起こった話よりずっといい。思えば父親と二人で三〇分近く話したことなんてこれまでになかったかも知れない。
『帰れない一人』が父親の救助で『帰れる二人』として雨の中、岡部~深谷間の通称コスモス街道を通ったこの道中は、「北京で蝶が羽ばたけばニューヨークで風が吹く」にならえば「大宮でパンタグラフが引っかかればへんな父子がコスモス街道を通る」。

●11:00帰宅
腹減らしのねこどもにゃん。

(タイトルは井上陽水・忌野清志郎の共作『帰れない二人』から。Phはその父が植えている自宅コスモスがもう咲き始めた。BGMはその『帰れない二人』をきこうと陽水『明星』をきいていると、さっき「父は今年二月で六十五……」という『人生が二度あれば』が……。Mon pere a soixante-quinze ans.)
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Lark Dark Project(楽闇計画)~Gotas de Luar

2007-06-21 04:48:16 | 身のまわり
せっかくの田舎住まい。この頃考えることがある。

今日は家で塾で一日中仕事。もはやここまでと、途中ラーメン前にしばらくぶりに本屋に行って買ったミュージックマガジンとレコードコレクターズ、さらにはアンリ・カルティエ=ブレッソンの特集だったので買ったpenを取りに車に行くと、そこらの材木でがりがりしてるティーがにゃん。玄関で頭をなでていると、先ほどNHKライブビート録音に出た時には星があった空には雲がどんより。空気もマギーだけれど、庭灯のなかでティーといると気持ちがゆったり。ではと、さっき冷蔵庫から出したキリンゴールド、これは買ったのではなく馬券で儲けたOB・T君からの差入を持ってきてティーのそばに座る。
聞き慣れたバイパスを車が流れる音、昼の光合成に疲れて見えない酸素を吸い込んでいるはずの庭の葉っぱども、水が入り始めた田んぼの水を渡ってくる遠くからの音、何十年も見ていていまだ飽き足らぬ天球、部屋からはかけっぱなしだったエポカ・ヂ・オウロの cafe brazil のかすかな弦の音が周囲の天球の立てる音にまじり、そしていつの間にかお腹の上に上がったティーのごろごろ。
なんでこんな気持ちいいものを放っておいたんだろう。
暑い暑いと液化燃料だか E=mc2 だかで得られたエネルギーで外気から遮断した気体を冷やし、はるか離れたおろかしい騒ぎに現を抜かしている。そんな夏ばかり20年くらい過ごしてきた。だけど自ら固めた壁を抜ければ、やさしい涼しさが広がっている。
「涼」とはこういうものだったのだ。外に出ればこんなに寛ぎの空気が広がっているのに、どうしてぐるぐる回してつくられた“快適”の中にいなければならないのか。
ここ数年思っていて、よく建設業のOBなどにいっていた。五月あたりの美しい昼間は、庭で仕事をしようかと。無線LANだし、室外コンセントもあるから何の問題もない。
ならば一歩進んで、夏の夜は庭でねこといっしょにビールだ。音楽なら愛機 iriver がいる。いすでもあればいいから、場所だって思いのまま。今夜は昼に暑くなった高麗芝の上か、ツバキの樹のそばか、畑でナスが朝を待つのに付き合うのもいいんじゃないか。
ついでに寝るのも外でいい。ビーチベッドというのかあのパイプのやつに、夜露よけに深夜のパラソルでいいかも知れない。蚊取り線香も風情があっていい。

と、ここまで考えた間にビールが一缶。お腹の上で見つめているティーをちょこちょこ叩いて下ろし、冷房かけたままだった部屋に戻る。WOWOWで何だかわからなくてすごいカサヴェテス『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』をやっていて、過剰にリアリティがある奇妙な映像の連続にしばらくみ入る。PCでは愛すべき人々とのコミュニケーションが流れ、CDは cafe brazil でも歌っていたマリーザ・モンチに替える。
やっぱり、部屋は電気は楽しい。でも忘れないぞ、楽闇計画。43年間、ずっとインドアタイプの軟弱者暮らしだけど、夜に田舎の外で過ごすくらいなら何とかなるだろう。横文字ではそうだな、Lark Dark Project ではどうかなティー。

(Phは前に撮ったもので、離れ玄関のティーと最近外ばかりの正式名決定ビンジャミン。BGMはそのブラジルの歌姫マリーザ・モンチ、新しきクラシック、Memorias, Cronicas e Declaracoes de Amor。さっき流れたのは邦題『私はどうでもいい』だが、ここは内容に合った Gotas de Luar 『月の光』で今日は三日月)
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レアル・マドリー~新ジャガ焼きうどん~紫陽花とジャガイモの花~la vacilona

2007-06-20 13:02:12 | 身のまわり
先週日記もまだ、ほかにも書こうとしてたことはあるのだけれど、時間に余裕なく、仕事午後の部前にただの日記でウォーミングアップ。

前夜もPC前で力尽き、眠りの悪魔に身をゆだね、起きたら8時半。すぐに少し仕事して、考えた末にシャワーでリフレッシュ。ついでに日曜の逆転優勝レアル・マドリー:マジョルカを観戦で、これは前回サラゴサ戦に続く熱戦。思えばシーズン前半、あんなにひどかったチームがよくぞここまでで、途中みていなかったのでやけに晴れがましく驚異。裏切り者呼ばわりしているレジェスだが、この夜だけでスペインに帰ってきた意味は十分。ベッカムの人生を思うとともに、サッカー界のロベルト・カルロスの位置付けについてしばし考。よくなかったバルサもメッシは相変わらず。それにしても、信藤さんがわざとと言及していた、時間掲示の問題は欧米と日本の文化比較研究についてまた興味深い事例なのでこれはまた後ほど。
そこで、前日残した高柳うどんを焼きうどんで食すべきの台所移動。ニンジン、キャベツ、ナス、もうだめそうなカブを火にかけ、思いつきで新ジャガをと畑に行って、手近な備中鍬で一個と小さいのを掘り、ねぎを一本抜いて戻り、急ぎジャガイモたわしでこすり感動。遅れて鍋によろしくもすぐに追いつくビビッドな反応。ざるにとって洗い皿にあけ、その前に準備のうどんとともに炒めておいた卵、こいつも入れようと書くし味程度のキムチを刻み胡麻油でジャーと炒。素性知れぬつゆの素ほかで味付けし、安売り鰹節、ごまなどを振りかけ完成。あまりの野菜多さにふくれ上がり、しかたなく上で時代劇の父親に進呈。あまりたいしたものではないが、普段そーめんのようなものばかり食っているので油脂は健康に役立つと勝手な解釈。
さてと外に出ると、玄関にねこどもにゃあにゃあ。よしよしいいこの後、今日も暑いなと庭をちょこちょこ。黄色かった紫陽花もやっと色づき、土の植物の不思議に感。
台所に戻りそうと仏壇に線香を立て、そういえばいつからあるのか花がしおれていると花瓶を持って畑にまき、水を入れて再び庭。紫陽花軍団のもう盛りに達していた一本をまずちぎり、この作業はさはみには抵抗。水の流れを感じて、おう、すまん、でも祖父母のためにちょっといただくよと思わなければ、何で花を切るのかと思う人間の身勝手。紫陽花を仏壇右に、もういつ探さねばと庭や畑に行き、おお、バラもツツジももう終わり、隣との境にアヤメがあったが、これはうちのだったかというところに隣のおじさん。うっかりトウの立ったフダンソウは食べてると飽きちゃうんだよねなどと話すうちにアヤメのことは忘れ、でもこれでいいかとこれまた勝手に生えたジャガイモの花をくうんとちぎってこれで左の花瓶。
再び庭に出るとねこどもがどよん。
よしがんばるろう午後の仕事。

(写真は木陰は涼しいか最近外にいることが多い片目ねこタンゲゲンタ。BGMは前夜仕事中寝た時にかかってた、ねこの棚荒らしで見つかったミッシェル・カミーヨ&トマティートのその名も spain。超絶テクニックは気持ちいいが、いまかかっている la vacilona とは英語で joker, tease の意という)
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つゆはたらきこんとん~"No Reply"

2007-06-15 14:48:00 | 身のまわり
昨夜は働きながら力尽き、気がついたら朝の5時、これですぐ仕事始めたらばちがあたると、ビールもどき「良質素材」持って先週土曜のスペインリーグ、サラゴサ:レアルマドリーをみる、いい、サラゴサ、アイマール、やるやる、ベッカムもきーんきーんとクロスが切れるが、さすがに連日の3時間睡眠で30分みないうちに意識不明、気がつくと前半終了で、こりゃまずいとテレビのスイッチ切る、次に気づくと朝は9時頃か、「良質素材」は残って悪質に、しかしここもばちがあたるとまじいまじい思いつつ、罰として喉に流しこみ、PCに向く、BS映画チェックでサイト見ると、ヤンキースはダイヤモンドバックスと、とりあえずテレビつけ、メールなどを確認、松井の野郎が打席にいたのでみやると、きれいな弾道が右中間に、英語コメンタリーの「ブリーチャー!」のプロナンシエーションうるわし、ここでそろそろ腹が減ったぜと母屋台所に、昨日買ったかぶが暑さでしおれかけていたが、歯で皮を剥き食べるとやはりいまいいち、朝の定番、野菜、今日はニンジン・キャベツのマヨネーズ+マスタード、チーズ+ベーコンエッグのサンドウィッチを作成し、あれ、投げたのはムッシーナだったよな、でもだらだらしてたから自宅読売日曜の読書欄を眺めながら牛乳とともに食べ、外に行ったらティーとスペースがドアで待ってた、おお、お前らえらいぞ、となでつつ、近所ねこもいたのでしょうがねえなとキャネットぱらぱら、ティーが入らないので抱えて入れて、このあたりから原稿ウィズCD、時々休んでMixiその他の長い昼が始まり、その間、外ではざあざあいう音が暑さを封じ込め、家にいたねこどもは原因不明にもドア付近に集合し、また外に出かけたティーほかはにゃんにゃん室内に集合、おめえら足がぬれてるぞ、まあそういうもんだからしょうがねえよな、やつら足ぺろぺろぎゅん、仕事は年に何回あるかという集中ぶり、こういう仕事の常としてああやってこうやってこういけばこのくらいで終わるだろうと思うと、ああいかずこういかずぜんぜん終わらないのだが、滅多にないことに障害にぶつからない、前夜からドライブにあったジム・オルークから数日前にOGからのメールで思い出したオアシスから始まったCDどもを味方に、次々に文字が愛用の秀丸エディタに吸い込まれていく、途中一回でき上がりをメールで送り、すたんぽぴんと、文字が埋まっていく、おおおお、こんなじゃこわいくらいだと、近くにいた暫定名チブルにありがとう、いやいやどういたしましてというわけはないけれど、ずんずん、いっしょうけんめいハジメくんが歩くように秀丸の行数カウンタは進む、午後の3時半には、これはやり過ぎだぜ、まともなワーカーはこんな時こそ休養だ、そうでなければマルクスも文句をいうだろうと母屋でコーヒーを、確かキャラバンのスペシャルブレンドを挽いてメリタで落とし、こんな時はと早くも時代劇態勢の父親にも一杯、ほれとやって、朝の読売日曜読書欄で、西東京70年代の小学校コミューンの話など読みながら、ああ、うまい、活動がうまくいけば酒は間違いなくうまいが、お茶がうまいのはさらに、酒のように強引さがないだけに内面が必要になる、ここでちょっと自宅周辺を、なかなか色づかない紫陽花を見に行ったのだが、ううむ、何もしないで期待するのはどうかとも思うが、だからといってどうしたらいいのか、しかし気を取り直してキーボードとマウス活躍、順調に進み、6時前にカフェインの影響もあるか腹が減り、塾の予定もないので、滅多にないアルコール抜きでの自宅夕食にした、衰えつつあるカブをまだ頑張るニンジンと、これ古いけど大丈夫かと思いつついつも文句いってるくせにの防腐剤を頼りのエバラ朝漬けの素、父親ができたぞいうのできゅうりを塩でつくり、さらには今年一番の、ゆえに少ししおれたナスを胡麻油で炒めてトップバリュー味ぽんとショウガ、これらを食べながらここ数か月のテーマ、キャベツをいかにナポリタンに取り組むかに挑戦、その辺は祖父と同じく食事が近づくとどっかにいく父親は戻らないので放って食卓にいくつか皿を置いて取り組む、しかしうまくはいかず、これは一生だめかも知れぬと歯を磨いてさらに仕事に、電話が写真のことで弟の電話番号を知りたいという叔父と、原稿の問合せの編集Oさんから、おお、Mixiの人やメールに答え、ねことは適当なことはなしたけど、今日一日こうやって、なにがどうしてそうなってという3クッション以上の話をしてなかった、だけど、会話については、話せばいいというもんじゃないと最近よく思うのでいいもかも、さらにねこどもと仕事に取り組む、では何をいいたいのだろう、まずは今日きいた音楽だ、幸い記録があるのでアーティスト名だけ、オアシス、アル・グリーン、エルビス・コステロ&バート・バカラック、デビッド・ボウイ、ピーター・ガブリエル、ボブ・マリー、シニード・オコナー、デヴィッド・バーン、アストル・ピアツォラ、マイルス・デイヴィス、ヨッフム+ブルックナー、ポップ・グループ、でCD12枚、マイルスのフィルモアイーストは久しぶりにきいてまいった、あれだけ混沌とした音がこんなに気持ちいいのはなぜか、で、ここまでの原稿をもう今日はとメールで送り入浴、その前に日曜に試合控えた甥が来てこの間貸した5000円を返済、さらに減量の話など、このところシャワー程度だったのでからだが寛ぐ、その前に何となくキムチを載せた冷奴、ユリ科を食べる時はねこどもには黙ってで、ごめんにゃんにゃん、さて、風呂から出て、再びサラゴサ:レアルマドリー、ブエノ、テンゴ・アンブロ、アイマールもダレッサンドロも、ベッカムもファンニステルロイもカッペッロも、相変わらずで相変わらずおもしろい90分、笑え、アイマール、

……ここで寝で翌日復活……

おっと寝る時はお腹の上に乗ってたティーもどこかにいって、昨夜途中挫折、同級生かつ現役生M君の母上から戴いた吉乃川にごり酒を飲み干しつつ、昨夜、これも途中で寝てしまったビートルズのフォーセール、プレイボタンを押すと頭のノーリプライ、すごい、前から好きな曲だけど、こんなにいいと思ったことはないかもしれん、転調、シンコペーション、分数コードの魅力といっていいけど、何より“瞬発力”、これは「芸術」全般についての個人テーマだ、むう、混沌は芸術の友だち、これなら鍵盤よりやっぱりギター、よし、OBにでもいっしょに歌わせよう、カラオケで歌ったことはないがきっと自分で弾かないとグルーブが出ない、と、ねこどもあいさつの後、梅雨だというのに秋のような青い空の外に出るとティーがお出迎え、今日もよろしくお願いしますよ、でも、答えのにゃんは人間の言葉では "No Reply" だよな、トイレに行って戻り、おお、今日はNBAファイナル4戦かとつけるともう残り7秒、カバリアーズ必死もまったく相手にならずスパーズ優勝でティム・ダンカンおめでとう、そういえば、昨夜はヤンキースも芸術的な牽制球でおなじみのカムバック、アンディ・ペティートががんばっていたな、と、よくわからぬままもりだくさんの一日で、何しろ送った原稿が約5890+8048=1万3938で、400字詰め換算34枚書いたてがんばった自分、ホームランの松井、畑の草取り父親、減量の甥、存在感十分のアイマール、鬼神のクロスのベッカム、途中経過でみせたメッシ、いやあいいとうなったフィルモアイーストのマイルス・デイヴィス、MVP候補は多けれど、やっぱり一番は風呂上がりに来てずっとお腹の上でこっちはサッカーみてるのに虚空をみて安心してたティー、だよな、気がつきゃ車にも乗らず、敷地出たのも紫陽花チェックに裏の市道に出ただけの、今日も一日メルシボク、こんな、えらいよな、お前が一番だよ、「つゆはたらきこんとん」の一日、そうはいっても"No Reply"

(Phはこの翌日のつまり本日、母屋玄関のティーを梅雨の青空と撮ろうとからだをひねり、でも露出空に合ってティー真っ黒なのでいろいろ補正したうそな写真。今のBGMはそんなわけでビートルズ for sale)
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「六月を綺麗な風の吹くことよ」

2007-06-11 17:10:09 | 週間日記
では、久しぶりの月曜更新。先週日記です。

4日(月)午後から取材で神田へ。帰りに築地の事務所で打合せ。その事務所で働く、OB・I君と共楽へ。お世話になったのでとI君のおごらせてくださいにごちそうさま~帰路橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』読了
5日(火)昼は仕事、誘われて同級生M君宅で飲食
6日(水)昼は仕事~出張授業~夜、東方・長崎ちゃんめん
7日(木)少し働き、同級生M君とシネマテークたかさきへ行き『カンバセーションズ』『ポリス・インサイド・アウト』と2本。その前にパスタのデルムンドでナポリタン、コーヒー、サラダつき700円でおつりはすばらしい~帰深でM君宅へ
8日(金)昼は働き~晩に別府・のび太でカレーうどん~塾
9日(土)昼は原稿に競馬で、東京9R1万7千3連単当る~駅前魚民でOG、OBたちと飲み、途中からの日本酒がきいたかおそるべし酔い
10日(日)おぼえてなかったが、OB・Y君とともに起き、ひとまず上柴・大村庵で大もりそば。ここまではよかったが、その後、気持ち悪くなり、馬券は当らずこの週、400円のプラスにとどまる~夕方から夜にかけて少し吐く有様で、大学生のF君がイギリス政治史のレポートをしに来るというので、クロネコヤマト後に塾入りするが、ほとんど気持ち悪がって過ごす

6月になってせわしない日が続く。サッカーはほぼシーズンが終わり、今日はNBAファイナルを少しみたけどスパーズが圧勝しそう。
夜までの宿酔に苦しむ昨夜、つけっぱなしのJ-WAVEで短い名言と音楽の好番組「Voice」。晩に車できいたジョアン・シルベルトの話もよかったが、0時前かにきいた正岡子規は不快な胃と頭に風を運んでくれた。

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六月を綺麗な風の吹くことよ 正岡子規
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この見えない美しさを詠んだ時の子規は大喀血の後という。宿酔くらい何だ。
忘れてはなるまい。
言葉はただ美しいのではない、美しくもなれる、どこまでも

※ジョアン・ジルベルトのエピソードは(http://www.j-wave.co.jp/original/voice/sun/)6月10日で

(Phは綺麗な風を感じたか、玄関前の「 (スペース)」とティー。BGMは綺麗な風のようなブライアン・ウィルソンの smile)

【カウンター07】
ラーメン2/68 他外食3/29 外酒3/40 読了本1/8 劇場映画2/17
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朝・曇り・六月七日木曜~"Donovan's Colours"

2007-06-07 07:22:28 | ねこ
不思議な夜だった。
帰らないねこがいるので真夜中の庭をうろうろしていると、前の道路でにうにう声がする。行ってみると、みたことのない、星のない夜空のように黒いこねこが2名。畑の前のアスファルトの上でくぷくぷと身を寄せ合っていた。
何やってんだ、お前らどっから来たんだと近づくとふぐーふぐー。あまり人に慣れた様子はない。どうしたんだとうちの方からねこどももやって来る。おう、お前ら、こういうやつらがいたんだよ、知ってるかといってももちろんいちねこどもはにゃおにゃおいうだけ。どうしたものか。保護者はいないのかとまわりをみても誰もいないし、こんな車の通る近くでは危ないので、ねこのパチンコにでも行ってるのかの保護者が来てもすぐに気づく、けれども屋根のある祖父が建てた小屋にぷくぷくのお腹を持って運ぶと、うちねこもどいどいついてくる。まあ、ここにいてくれと小屋に入れると春に子どもを産んだうちねこが近づき、しかし、ふやーというので引き返してきた。保護者が来ればいいけど、けっこう大きいし、これでも食っててくれとキャネットを一握り置いて部屋に戻ると、昼の疲れが出てしばらくして寝入る。

怖くも悲しくも、といっても楽しくもない夢が過ぎると曇った朝。
小屋に行ってみると黒い2名は見当たらない。でも夢でなかった証拠に、キャネットがほとんどそのまま残っている。あいつらどこに行ったんだろう、保護者は来たのだろうかと寝ぼけたまま庭を歩くと、みたこともないところに知らない赤いバラが首を伸ばして、ずっと咲いてる樹にも白いバラが広がって、畑にはずっと咲いてるジャガイモの花がにぎやか。
人間の、こねこどもの、バラたちの、ジャガイモの花と根の、そして、かってな庭と空のつごう。

(BGMは、夜とも朝ともいえる不思議な音の洪水の名盤、ヴァン・ダイク・パークスの song cycle で、今はその中でももっとも幻想的な一曲 Donovan's Colours)
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「自分が食べたわけでもないのに美味しかったような満足気な顔をしている」

2007-06-06 13:40:16 | 週間日記
蒸す水曜の午後。間に更新のない先週日記です。

28日(月)テスト前で振替出張授業~夜、岡部・鉄の食卓でラーメン
29日(火)昼、拾六間の親せきに。叔母の義父のおじいさんに30年振りくらいに会う~晩に別府・のび太でカレーうどん
30日(水)家の用事で熊谷に出かけ、帰り、きくちひろきで塩ラーメン。前に来た時より好感。その前にモルタルレコードというインディーズレコード屋により、若い店員と少し話も好感
31日(木)知人の代役で幼稚園の遠足の撮影をすることになり近県の動物園に。次週、仕事に失敗あったことが判明、おさえのカットがあったらからいいが、気を引き締めねば~帰ってついで、熊谷・永楽で餃子+ラーメン~古着屋でバッグ・ジャケット・新品シャツ・帽子購入~ベルクで買い物中に同級生M君から連絡あり、シャワー後、原郷・あばらやで飲む
1日(金)塾は翌日から修学旅行のM君といろいろ話す
2日(土)ずっと仕事、時々競馬
3日(日)ずっと仕事、時々競馬

忙しくなってばたばたと動いている。
変わったところでは木曜に行った動物園。幼稚園児といっしょという日常まれなシチュエーションでいろいろ楽しい。なんかさびしかったのはきれいな孔雀で、見事な羽根を広げても幼稚園児にはほとんど響かず、大人だけが喜んでいた。子どもたちに人気なのは、おおぎょうなキリン、カバのほか、身近な子犬、モルモットなどで、大事なのは自らの生活からかけ離れているかではなく、コミュニケートできるかどうかのよう。喜ばしいようだが、ひょっとして今の幼稚園児の間で、身近な動物とのコミュニケーションが「めずらしいもの」になってしまっているのかもと危惧も。
と思いつつ、ここはやはり幸田文。動物園のルポである『動物のぞき』から、文庫版解説、娘である青木玉さんの、次の一段落に読み入る。

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今日のゴリラの食べていたバナナは、とてもおいしそうだった。と帰ってきて話している母は、自分が食べたわけでもないのに美味しかったような満足気な顔をしている。また膝の上に抱いている猫の前足を握ったり緩めたりしながら、虎のあんよは大きくて立派だけど、お前の足も同じだねえ。などと猫を相手に話していた。そして連載の号を進めるごとに、相手の動物の持つ野性を恐れながらも、動物園という特殊な状況の中で生きる彼等に親しみを寄せていった。
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思いやりは美しく、アリストテレスは喜びで、社会への目配せはやさしい。そして、そんな母を描く娘の視線は物語を創り出し、それはゴリラや虎やねこがいるだけでは生まれない“奇跡”だろう。
動物は何もしなくてもすばらしいが、人間はすばらしくもなれる。

(Phはレコード棚上ゲンタタンゲの方に昇っていこうと試みる暫定名セグンドで、でかくなった。BGMはレコードコレクターズ誌70年代2位のニール・ヤング "after the goldrush"。今かかる birds はポール・ウェラーもカバーしてた)

【カウンター07】
ラーメン3/66 他外食1/26 外酒1/37
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「石は悲しんだりしないが世界の一部だ」~"0.58630137 is on my side"

2007-06-01 11:43:19 | 週間日記
うっかり金曜に。もう6月になった先週日記です。

21日(月)朝からおばが従妹の娘のヤフーオークションの手続きのために来ていろいろ。昼は車庫証明で警察、印鑑登録で公民館、電話取材などとシャトレーゼアイス買う。夕方から前週落札の次の車を取りに新三郷に行くも、こちらの勘違いでそのままカムバック。さらには、これも勘違いの携帯紛失未遂時間勃発。で、帰路大宮で下車。入るのは15年ぶりくらいの東口いずみやでもつ煮~ラーメンテーマパーク「七福神」青葉で食べるが、パーク全体も個別店もちょっと元気がない。駅からは弟に電話して便乗帰還。読了本、柄谷行人『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』はこれまでとまったく違う文体に驚
22日(火)昼、Mixiぽてとやコミュニティ・スクランブルオフ会で腹いっぱい~ほかの時間は原稿
23日(水)昼は原稿~晩は出張授業~東方・長崎ちゃんめん
24日(木)この日の内容は前回記事、及びその続編に詳しく。朝から前夜のCLファイナル~神田で取材~日暮里・谷中散策~新三郷から今度の車、レガシーオブゼルダと一緒に帰る。ラーメンは白岡・もちもちの木
25日(金)何してたんだ。多分、ずっと原稿
26日(土)昼は撮影~同級生M君宅でOB・M君、そのGF・Aさんと、BSアニメ歌~いっこく堂などのテレビをみつつ飲食
27日(日)昼は撮影~空腹で恒例、拾六間・福龍で大盛醤油ラーメン~蔦屋書店でレコードコレクターズ+ミュージックマガジン、食料品、キャネットチップ安売りが2件あり、はしごで6袋で満足と、電話あり頼まれた次週の仕事の打合せで中学の後輩S君に会う~帰ってダービー観戦は敗れ、少し仕事して寝る

多忙で暑くてのびた5月の終わり。と思うと、もう6月になっちまって、もう今年も7/12を残すのみ。
時間の流れは歳とともに速くなって、分数説とかカウント説とか、それを説明する、これはという話にはいくつかであったけれど、決定打はあらず。そうこうするうち、ラーメン屋・電車・ねこ庭読書に時間を量子の世界、エントロピーから考える橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』がおもしろくてしかたない。その中の一節、本はレガシーオブゼルダとともに昨夜の飲み屋の駐車場にあるので不正確だけど、「石は悲しんだりしないが世界の一部だ」は、すべてを解くキーワードのように突き刺さった。
イメージはできないが説得力はある実数と虚数で時空を表すミンコフスキー時空でいえば、私の上にある2007年はエクセルで計算すると「0.58630137」年。と、すれば、ローリング・ストーンズの名曲からひねって、"0.58630137 is on my side"

※15:00追記
先ほどレガシーオブゼルダとともに『時間はどこで生まれるのか』も帰還で、確かめると以下の文。リリー・フランキーのすばらしいエッセイ『日本のみなさんさようなら』にならってそのままにしますが、一段落そのまま引用しておきます。要は、「秩序」と「価値」、「独立」と「一部」。

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われわれはなぜ秩序に価値を見出すのであろう? ミクロな素粒子にとっては、秩序も無秩序も意味のない言葉である。それでは、マクロな石ころにとってはどうだろう? 酸化や風化によって崩れていく自分を、しのびないと思うだろうか。たぶん、そんなことはあるまい。石ころはあるがままに存在するだけである。そもそも石ころは他の世界から独立した何かではなく、世界の一部であるにすぎない。それを、一個の独立した石ころとして認識するのは、人間だけである。
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【カウンター07】
ラーメン4/63 他外食1/25 外酒1/36 読了本1/6 海外サッカー1/35.5

(Phは6月最初の庭で身繕いのティー。BGMはストーンズの廉価CDベスト)
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