小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

2024年1月の「ドラえもん人生ゲーム」

2024-01-05 08:52:53 | 身のまわり

あけましておめでとうございます。遅いあいさつになりました。

初めておやこ3人だけの正月。91歳・父は施設で迎えました。
外出は、数年ぶりリアル開催の恒例・高校弓道部新年会と中学還暦同窓会くらい。テレビでみえる驚きの映像のほかはごろごろしてましたが、この正月のいちばんは「ドラえもん人生ゲーム」です。
交くん5歳の時に買ったものの、まだそれほどおもしさを感じられませんでした。それが小学校1年になって、じゃんけんで「ひみつ道具カード」を取り合ったり、ルーレットと持っているカードの組合せでもらえる「DP(ドリームポイント)」が変わったりの偶然に大声を上げる。「2万+2万+1万で5万でこの5万があるから、さっきの50万に足して…」と独自の足し算でポイントを数え、「109万9,000DP」などという未知の数字に出会う。途中でわかんなくなりそうになって、紙に書いとくと間違えないんだよとおしえる。寝る前に「さっき、やんなんないで最後まで数えられてよかった」と話し合う。成長ってこういうことと、ドラえもん人生ゲームにおしえられています。

1日16時すぎの警報が鳴った後、珠洲市の一見静かなライブカメラをみながら夏に行った新潟村上瀬波温泉で会った人たちを思い出したこと。何があるかわからないから、何があってもしっかり行動するしかないと話し合ったこと。新年会、同窓会では、もてあます農地のことなど同世代ならではの問題が積み上がっていること。翌日からの倒壊する建物の映像をみて、古い建物活用に考えることが多いと思ったこと。これら一つひとつを考えながらの2024年は、決まっている仕事、始めようとしている仕事はたくさん。いくらなんでも、ジャイアンシチューを飲んでお腹を壊してマイナス21,000DPってことはないだろうし、今年もよろしくお願いします。

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60年目の「ぼく・作家」

2023-10-01 16:20:27 | 身のまわり

あっという間に5日過ぎてる。9月26日火曜日、60歳になりました。
一週間もひと月も一年もあっという間だから、ぼやぼやしてる間に60歳も無理ありません。

数年前、60歳になったら、という計画がふたつありました。
ひとつはたぶん6歳くらいの時から封印していた自称「ぼく」復活。10年くらい間にテレビに出てた哲学者・木田元の「ぼかぁ」にしびれ、相応の歳、60歳になったら「ぼく」と決めていました。もちろん「わたし」の場面でなく「おれ」の場面での変換です。
もうひとつは職業「作家」。従来の「編集者/ライター」からの転換で、自分の中に「誰かに頼まれた文章書くのがライター」、「自分で勝手に書いて世に問うのが作家」という基準があり、60歳前に小説を発表して好意的に受け容れられたら「作家」と名乗ろうと、『パリ、テキサスーナガサキ、カゴハラ』を構想していました、

しかし、いざ60歳になっても「ぼく」と発話しようとするとひっかかり、相変わらず次々とやらねばならぬことが出てきて小説はまだまだ材料集め中です。
そんなわけで、まだまだおれでフリーライターの60歳ですが、40歳の時には予想もしない状況に感謝し、次のうさぎ年72歳では「ぼく・作家」になっていられるように努力します。
72歳の2035年、交くん19歳。

※メールやSNSでお祝いのことばありがとうございます。これから返信します。
 昨年はと思ってさかのぼって驚。なんと返信しないままでした。申し訳ありません。

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前日予告。gra.. ポーチ、7月にデビュー

2023-06-30 15:05:31 | 身のまわり


 ※B5ノートは入らず文庫本は入る、「スマホと財布でちょうど入るくらい」だそう

明日7月1日から3日まで NINOKURAで展示販売会を行う gra.. さんから新製品が届きました。
世ではスマホポーチと呼ばれるらしきしろもの、いや、くろもの。年に一度は携帯を落として画面を割っているのをみかねた蔵主が、いつの間にかオーダーしてくれてました。
今までも、「15インチMacが入って、しかも自転車で出かける時に書類だけ持ってけるような小さいのが入る2個セット=バージルとゴードン」「議会に持っていけるくらいフォーマル感あって、Macも入るくらいのでかさ=ギーン」「式典なんかに呼ばれた時のセカンドバッグ代わりで、しかも帰りにA4書類も入れられて3色使い=ドゥジエンム トリコロール」など、注文の多いリクエストに色とりどりの帆布でつくってくれているバッグ職人。いまはなき昭和11年生まれの本庄のエジソンからは「バッグのねえちゃん」と呼ばれたものでした。
ありがとうございます。この社会でハンドメイド商品を息づかせる、テイスト、流通、工場など多くの素材を組み合わせたストラテジーからは、実に多くのヒントをもらっています。定番のラインナップはユーティリティ高く、それはパーソナルな使い方、好みに合わせて無限のバリエーションを持っています。
ぜひ、オープンから何度も個展をやってる NINOKURA の広がる最新型の gra.. に会いに来てください。
ポーチはちょうど月かわりなので、7月1日にデビューします。

NINOKURAインスタ投稿

gra.. インスタ

小林筆・日本住宅新聞「北関東古ハウスユースコネクション」2016.1

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gra... ドゥジエンム トリコロール

2023-03-25 07:17:17 | 身のまわり

gra... ドゥジエンム トリコロール。
いつもリクエストに応じてつくってくれる行田のバッグ屋グラさん。今回はスーツ着てでかいバッグ持って行けない時のバッグを、トリコロールでつくってもらいました。デビューは今日の卒園式。あいにくの雨でもいい一日でしょう。

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うさぎの新年ー「長文失礼」はもう書かない

2023-01-02 06:47:03 | 身のまわり

 

あけましておめでとうございます。
うさぎ年1963年生、還暦の年男。ずっとこの年が来るのを待っていました。なんといっても、9月の誕生日から映画も割引。うれしいじゃないですか。
東アジア圏の「人生十二年周期説」は、西部邁の「人生十五年周期説」に影響されての思いつき。わたしの中ではリアリティがあり、前回2011年にも大きな転機がありました。

ブログ「五回り目の世拾い」(2011.12.31)

この「世拾い」があってから、数十年ぶりの給料取りになって子どもができて議員になりました。かなりの変化です。そして六回り目。世の常にならってわれら同い年たちも、あいさつのような健康/病気話とともに今後どうやって生きるかを語ることが多くなっています。そんな2023年、わたしは昨年末に活動の重心をより西へ、深谷と本庄に移す準備をはじめました。ドタバタだったからごまかしがきいた昨年1月の補欠選と違って多くの人から「次も出るんでしょ」といわれる4月の統一地方選では、もっときちんと選挙を進めなければなりません。みんながアフター60のことを考え始めたこの年にきちんとした選挙ができることを、実はラッキーと思っています。

深谷で、明戸地区で、本庄で熊谷で展開しようと思っている活動に関してはだんだんと。どんなと考えて思いついたのは「長文失礼」と書かなくていい世の中にしていくこと。60年前はもっとみんなだらだらあっちこち話がかわりながらものを言ったり書いたりしていても誰もそれに文句をいったりせず、ことばをめぐる気持ちはもっと豊かだった気がします。どちらにしても、誰もきかないし読みませんからその方がいい。

今年もよろしくお願いします。よい年にしましょう。
9月26日、60歳の誕生日には、10年くらい前に一度だけ木田元の話すのをテレビでみて思いついた計画を実行する予定です。

+なお、いまのところ年末年始最大の収穫は「ルパンゼロ」。日本のカルチャーおそるべしです。

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12.25 かこさとし展@館林美術館

2022-12-29 06:20:37 | 身のまわり

12月25日、クリスマスサンデー。いく人かのSNS投稿をみて見逃してなるものかと、館林でのかこさとし展に行ってきました。
このすごい作家を知ったのは最近のこと。だるまちゃんシリーズはじめいくつかの作品を子どもと読んで圧倒されていましたが、下絵や幼少期の作品をまじえた大量の作品群で多くがわかった気になります。いままでいちばん度肝を抜かれた『キジムナちゃん』のハブが分かれるところの原画をみつけたときには、「あるよ、あるよ」と交くんと歓声をあげました。
だるまちゃんのファンタジーはわかっていましたが、今回の展示で感じたのは科学本での養老孟司のような明確さ、ブリューゲルのような多様性のわくわく感、そしてアンドレアス・グルスキーやアンゲロプロスのような平面的構成力や文間文法…。とはいえそういう表現と比較してもしかたがないオリジナリティが幸福です。
それにしても館林美術館。われわれが最後の一組となりましたが、交くんが「もう真っ暗だよ」と声を上げた上州の沼のまわりの原野、うさぎのオブジェと三日月、そして冷たい師走の風の組み合わせが見事で、その後、われらは太田のブックオフビッグバザールで古本や古着をたくさん買って帰ったのでした。
2022年最後の日曜のこと。


 

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12月から―『グッバイ、レーニン!』

2022-12-08 05:58:14 | 身のまわり



12月から深谷市内にいる時間を増やしています。

熊谷市市民活動支援センターは所長を退任して、週2日(火・金が基本で変更あり)の「コーディネーター・相談員」として勤務。後任はわたしより約20歳若いのにNPO業界歴が長い生越さんです。
その分、深谷で週に1日くらいで選挙ポスターにあげた「もんだいカウンター」を「まちづくり相談所」として始めようと、どんなかたちがいいか考え中。本庄NINOKURA周辺でもいろんな動きがあるし、NPOくまがや内ではこの5年半の市民活動の実践を県北全体に広げていこうと作戦を練っています。

サッカーW杯に日本中が熱狂する中、身のまわりでもいろんなことがありました。前回ロシア大会ベルギー戦の時もそうだったし、身近なことと世界的なビッグイベントが遠くても切り離されてはいない空気の中で起こる。そう思った12月の最初でした。
そこで思い出したのが映画『グッバイ、レーニン!』。2002年に1990年イタリア大会時、東ドイツの家族を描いた傑作をみてみました。
中学校のサッカー部顧問で、ドイツ統一の日に南口で写生大会の引率をした1990年のこと。40歳になってねこを飼い始めた2003年の国内公開時にこの作品の小さい判型のパンフレットを買って、しばらく映画パンフを買うのをやめたこと。その間の1998年のフランス大会で一生の長さを初めて実感したこと。ドイツ統一の花火が上がる場面で、そういえば『ポンヌフの恋人』に出てくるフランス革命200年は前年だったこと。作品に関係あったりなかったりのさまざまが、少し前の『アメリ』で一世を風靡したヤン・ティルセンのノスタルジックな音楽とともに思い出されます。

うさぎ年の来年で60歳。年賀状の話なんかも出ている中、12月議会の一般質問は12日の最初でそのことはまた書きます。

市民活動支援センター【運営体制変更のお知らせ

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11月15日の午後

2021-11-16 06:50:43 | 身のまわり

昨日、駅から映画館までいっしょに歩いた監督の最新作を今日みにいった。
天草が舞台の「おれおれ詐欺」と土地でいう「のさり」の映画というくらいしかわかっていなかったが、それは映画館、商店街、コミュニティFM、アーカイブの話でもあった。みながら思い出したのは『陽のあたる教室』『日本の悲劇』『タンゴ・冬の終わりに』……。
館長や古本屋、スタッフと小説やカメラの話をして古本を二冊買い、さっきの出てきたところで熊谷のFMパーソナリティと立ち話のうちに買い忘れたパンフレットを買った。帰りには金大星その他。
「映画は僕に出会いをもたらす。その出会いで、僕はいまこの世界と繋がっている」(山本起也監督)
いい作品はききたいことが増える。来年にまた、楽しみができた。

映画『のさりの島』
山本監督のFacebook投稿

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森田俊和さんのこと

2021-10-31 09:07:28 | 身のまわり

仕事をしているNPOの代表なので、毎日のように森田さんの名で領収書を切ったり申請書を書いたりしている。初めてあったのはたぶん中学校の同級生のもやし屋飯塚くんが埼玉県産在来大豆の普及を始めた時で、森田さんは県議だった。何度か話をして人あたりのよい若い人という印象しかなかったのが、熊谷で仕事を始めた8年前から関係が深まっている。

【Kyunoの改修をNPOの事業としてやらせてくださいと頼んだ時】
銀座の旧宇野商店を改修してミニFMのスタジオ兼コミュニティスペースにするのに、県の補助金を使いたいのでNPOの法人格を使わててくださいと、宇野くんと頼みに行くのに筑波のさかえ寿司で飲んだ。
「いいですね。どんどん使ってください」
の一言で事業成立。
「せっかくですから小林さん、宇野さん、NPOの理事になってくださいよ。若い人がやってくれたほうがいいですから」
こうしてわたしたちはNPOくまがやの理事となり、わたしは2年後このNPOで指定管理を始めた市民活動支援センターの所長に、宇野くんは4年後FMクマガヤの社長になっている。この時のことを話した時の森田さんの
「NPOの法人格なんて使ってなんぼですから」
「NPOの仕事って社会の中ではニッチなものなんですよ」
ということばを、市民活動の話をするようになったわたしはよく引用している。

【鉄道ファン1】
森田さんは熊谷高校時代、鉄道愛好会に入っていたという。数年前、現役高校生鉄愛会員の望月くんを紹介した時、
「いや、ボクなんて、もう全然ですよ。今の高校生になんてついていけないですよ」
とよくわからない謙遜をしていた。

【鉄道ファン2】
お父さんの「籠原駅を愛する会」会長森田道和さんからきいた話。小6だった俊和さんと北海道鉄道旅行に行った父子だったが、所用で北海道の真ん中へんで帰らなければならなかった道和さんが俊和さんにどうするか意向をきいたそうだ。
「お父さん、せっかくここまできたんだから、ボク一人でも先まで行くよ」
これも、稚内だか根室だかは忘れたが、道和さんは
「まさか小学生が一人で帰ってくるとは思わな語ったいね」
とよく似た首の振り方で振り返っていた。

【ママとの会】
当時、本庄の妻の店で本庄市長が若いママたちと食事会をしていたことを支援センターによく来ていた関西出身転勤ママの武本さんに話すと、
「わたし政治家っていう人と話したことない。会ってくれるんですか」
というので、その頃は浪人だった森田さんにきくと、いいですよ、と自治会館のふれあいサロンにゲストで行っていた武本さんを訪ねる。行ってみるとふれあいサロンは地域しばりがあるようだが、転勤ママはそのへんはよくわかっていなかった。自治会の人たちの人たちの説明を受けると、
「そうなんですか、わかりました」
といいサロンの人たちの話をきき、武本さんがぶつける転勤ママ族の不満をうなずきながらよくきいていた。

と、いくつかの話を書いたが、このほかNPOの活動では時た問題が発生することもある。そんな時は、
「小林さん、○○ってきいたんですけど…」
とわたしの話をきき、
「じゃあ、こうしましょう」
とだいたいは自ら相手に話をしに行ってくれるので助けられている。

そういう森田俊和さんは、今日投票が行われている衆院選埼玉12区に立候補している。深谷市民のわたしは投票はできないが、応援しています。

※画像は2017年10月20日、市民活動支援センターで立正大後藤教授、武本さん母娘、森田さんと

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11月15日朝

2019-11-15 07:13:07 | 身のまわり

 

ずぼら、おおざっぱを鎧にしているのでおおむね笑っていられるけど、時にはその隙間に入り込む小さな生き物にやられることがあり、ここしばらく痒いような痛いような感じで天をみることも少なくなっていたが、いくつかの毎日新聞記事、ことばに触れて、また何とかなるような気がしてきた。

11月3日、この3冊の「マルクス 斎藤幸平・選」。「複合的闘争」のおおざっぱから、マルクスを読み直す。
その斎藤幸平の仕事を読む11月12日上田紀行「資本主義超えた民主的共有」を検索して、読み逃した上田前回分、リベラルアーツの意義を問う「人間や世界、根本を問う教育」と進んだ。

ディテールは愛しい。
だけど天をみあげるには、「たいそう」で「ハンバーガーショップ」な「根本的な問い」が欠かせない。

今週末も健全にがんばろう。

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その時だとわからない(2019.5.12)

2019-05-14 05:24:41 | 身のまわり


トップ画像の一枚々々

5月12日は時間ができた。

7:00 この前カインズで割引1280円購入の庭用サンダルをおろした。前に土埃が詰まるのでいやだった「前とじ」;っていうのか、確かめたら合皮で水洗いしていいのか、と疑問はあるけど、かかとなくても小走りならできるのでいいとしよう

7:40 交くん起こすため、モーニング別府沼公園。ほかは欧米人おやこ3人で、通勤車ごうごういうとなりの優美。最近夢中のカラーコーンチェックで、橋のそばで寝ているのを起こす

(この間、仕事の電話数件)

11:30 昨年の車検についてきた点検。うっかり財布持たずでオイル交換など断りつつ、コーヒー2杯、テッシュ5箱ありがとうございます

12:50 少し過ぎたけど、深谷シネマでフェリーの『道』。思ってたよりお客さん多くて、暗順応遅れて席にたどりつけず、迷惑かけてすみません。

FB投稿: 「どんな石ころたってなんかの役に立っている」「星だって同じだ」。 フェリーニをやっているというので15分遅れだけどみにきて、ずいぶん前に書こうと思った『ジェルソミーナのみた景色』という映画エッセイを思い出した。書かずにいても時間は流れる。 誇るべき書店で初めて会った人とたくさん話をし、古本を二冊買った。 明日もここに来る

古本は、平川克美『路地裏の資本主義』、宮田登・伊藤比呂美『女のフォークロア』 17:00 保育園迎え

17:30 交くん最近の2大ブームのひとつ神社めぐり今日は、先週未解決のまま残ったとなり集落本田ケ谷の稲荷の行方を、Googleマップで「祖霊社」とあるので。行ってみると、バイパス開通でこまった神社が集められているようで、小学校の頃に来てファンタスティックな気分を味わったきつねのやつらが安ガラスの向こうに集まっていて、交くんにそう話をした。ごみ収集所にいた自治会の人らしき40〜50代にきくと、「バイパスのあのへんに昔あったけど。ここに来てたんですね」。となるの滑り台とブランコ2基、ジャングルジムだけの公園と、なぜそういう名なのか「高名橋」と、うちの裏から流れる「明戸水門」で遊んで帰った。交くん、スピーカーの真下での「深谷市歌」にも心騒ぐ

19:00〜 風呂、肉のタケノコ巻などの夕飯と、「本庄みる」という交くんリクエストの「ハルさん」録画と、この日からBS12であった山田太一1981年TBS『想い出づくり』を少し。森昌子、古手川祐子、田中裕子の若き姿はもちろん、自分が高3でたまにうろちょろした新宿その他の風景が強烈。まさに〈ジェルソミーナのみた景色〉、「富士銀行・住友銀行」の看板や丸ノ内線の縄文模様が40年経ってこんなにノスタルジックになるとは。
いろんなことはその時だとわからない。

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「NAOZANE」4月号「ウィル・リメンバー・エープリル・イン・妻沼2019」

2019-04-04 06:06:14 | 身のまわり


話題いろいろの新年度。その中のひとつ、熊谷のフリーペーパー株ピーアイピー発行「NAOZANE」4月号の発行です。
巻頭記事「ウィル・リメンバー・エープリル・イン・妻沼2019」を担当。今号から文末に「取材・文 小林 真」と署名記事にしてもらいました。新年度ということもあり、前号選挙の巻頭で「ライター個人のアカウントで」と書きながら、その個人名がないのはおかしいと思ったことや、こうしたメディアの記事は連名でも個人名を出すべきだという自分のベースとなる考え方から編集長の植竹さんに再提案しての実現です。
創刊から個人ライターとして、巻頭、連載「クローズアップヒストリー 熊谷 after 1945」、新光苑美術館ツアー(終了)、はなぶさ苑タイアップ記事を書いてきました。本誌での仕事は自身この5年の共助仕掛人、市民活動支援センターと切り離せないもので、市の非常勤、指定管理者のNPOでの仕事と個人で原稿料をもらってのメディア寄稿という、ささやかな新たなはたらき方の提案になっていると考えています。
何度か書いていますが、市内全戸配布というこのメディアのありがたいことは読者との近さ。読んでいますという声をきくことは多いし、先日「after 1945」を読んで、この人なら何か知ってるかもしれないとすてきな地域史家の支援センター訪問を受けたり、4月号にあった3通の3月号への反応にはなんと「天声人語」と。前に元・くまがい探偵団代表米山さんから、「社説みたいなもんだよね」といってもらったように、こうしたフィードバックはなんともものがき冥利につきます。

タウン誌の顔となるタイトルもいつもだいたい通してもらっていますが、今号の「ウィル・リメンバー・エープリル」もそうだし、いつもの原典ありのパロディ・パスティージュ。今回は自身初代iPhoneの壁紙にもしていたビハインドビートの名演から。これらタイトルのネタ明かしは、今年度支援センター講座「タイトル/コピー/見出し入門」にしようと思ってます。

巻頭記事pdf

読者のページより






タイトルの原典




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「麺類」@NAOZANE連載「熊谷 after 1945」

2018-11-10 07:22:33 | 身のまわり

熊谷市全戸配布のフリーペーパーピーアイピー発行「NAOZANE」の不定期連載「クローズアップヒストリー 熊谷 after 1945」が11月号で24回を迎えました。 

「平安時代の直実はじめ、熊谷の人はずっと昔の話ばっかりしている。われら周辺熊谷圏民にとって輝いていた高度成長から、悩みつつ進む平成のストーリーをとなりまちの視点から書きたい」という連載はページ都合でない月もあって、創刊3年36号で24回ということは3分の2の掲載。今の仕事、市民活動支援センター所長になった昨年4月から、読んだ人が訪れる機会になればと著名記事にしてもらいました。実際に訪れた人はいないけど、話をすると認知度は高く、このページだけとってあるという人がいたり、電話を含む取材の時もあのページかとすぐわかって話が早いのは、全戸配布というローシキイかつハイハードルな体制のおかげと感謝しています。実際の作業はいつもばたばた、締切直前数日で書くが多く、事実の間違いを指摘されることもしばしば。取り上げる事柄も個人リサーチの限界でかたよりもあり、これらは書き手の力不足と好みが反映した「読みもの」というしかありません。

今月号は巻頭「うどんサミット」特集に連動する「熊谷の麺類」。自他ともに認める麺類好き、熊谷圏地粉の魅力を感じる一人であるだけに楽しんで書けました。

今日から熊谷は産業祭と「うどんサミット」で、地元深谷では産業祭内で「ご当地グル麺フェス」と熊谷圏は麺ざかり。日常的にも、センター休みの昨日は自宅いちばん近くファーマーズマーケットで販売の樋口製麺地粉うどんを、子どもの頃このへんではみたことがなかった「釜あげ」で食べました。

原稿内に書けなかった個店の好みをいえば、熊谷市内のラーメンは、麺の印象が残らないという点で完成度の高さを感じる四華郷、一つひとつの定番パーツと振れ具合が完璧な永楽、地粉使いに可能性を感じる福は内がベスト3、うどん店は麺そのものは印象がないが店の存在感と人なつっこいそばがニューウェーブな別府・のび太、それとこの地域の大きな財産と思う製麺所では圏内に広げ、深谷の鈴木製麺と秋山製粉、行田の吉野製麺所です。

この連載を通して知った人も多いし、画像の出どころも広がっている。いつもセンター訪問の際の唐突な質問に応えてくださる利用者の方々、SNSでのメッセージに対応してくれるみなさん、どうもありがとうございます。

次号12月号は巻頭と連動の「星川」。〈内陸のベニス〉熊谷の大テーマです。

「熊谷の麺類」pdf



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「それも『伝統』」

2017-10-28 15:54:10 | 身のまわり


塾おしえごの鬼瓦師鬼義が25日付の毎日新聞埼玉版(期限付ネット版)で紹介されていた。

最初に会ったのは中1の時だから、もう25年。いろんなものを持て余していた10代後半(当時の「日本教育新聞」連載記事)を経て、当時のわが塾が二階を借りていた瓦業者の組合長を通じて鬼師となった。

やがてわたしが参加した深谷市の産学官プロジェクト(当時の紹介マンガP5。作画は鬼師の中学2年後輩)(企画商品)(「深谷ねぎ」副産物のマスターピース)から、旧七ツ梅深谷シネマにつぐ2番目の店子(工房)となり、50歳近くで結婚したわたしの披露宴のお返しをつくってもらったり(当時の新聞記事)胸があつくなる正直なお祝いあり、そのうち先に父なった鬼師は1年遅れで父親になったわたしが「父親講座」に行こうぜと誘うと、「おれは二人目だからそんなもん行きませんよ、筋トレでもしといてください」と指導する。

思えば鬼師には、多くのことをおそわった。そしていよいよ「伝統」に関して、伝統の中でもがいていた者だからこその見解に達している。
わたしも鬼師と同じように、自分たちの所業を「伝統」とだけいってふんぞり返るものを信じない。伝統が売物の商品を紹介する時、できるだけ「伝統」と語らないようにしてきたつもりだ。
だから「それも『伝統』」と語るに至った鬼師を、何より祝福しようと思う。
伝統を相対化したわれらの先は荒野だが、それは伝統にどっぷりの沼より輝いた荒野だ。

取材対象に驚き、自分の考えをしっかり書き、読者に問いかけるた斉藤記者の記事はすばらしい。新聞記事の、いやメディアの手本といえ、ともすれば締切だからとコメントの決め打ちさえしかねない自分の仕事を反省したい。
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NAOZANE「熊谷野球」にご協力ありがとうございました

2016-08-07 12:04:58 | 身のまわり

甲子園大会がはじまりました。
熊谷ピーアイピーのフリーペーパー「NAOZANE」※1 8月号が1日に発行。担当の「クローズアップヒストリー 熊谷 after 1945」第9回「熊谷野球」にネット上で画像提供をお願いしたところ、情報の拡散、画像提供でいろいろご協力いただきました。ありがとうございます。

地域密着全戸配布のフリーペーパーというメディアの体感値はかなり大きい。職場、市民活動支援センターでも、「読んだよ」となまの感想をいただくことも少なくありません。
この連載は創刊時の会議で何か企画はときかれ、「戦後70年ものを」と提案して始まりました。ヒントになったのは、以前に同級生の深谷のもやし屋「飯塚商店五十年史」※2でスーパーやコンビニエンスストア、ファミリーレストランの登場、ニュータウンの開発や高速道路の開通などを並べて一地方都市の「ありふれた話」には意外に訴えるものがあるのではないかと思ったことと、昨年の埼玉新聞にあった熊谷駅西通り商店街「ファッション」の記事です。
「戦後70年」としたのは、熊谷と今の日本にとって輝いた時期、振り返るのにちょうどいいくくりだと考えているから。直実は平安期、うちわ祭や五家宝は江戸期からの伝統がありますが、戦後、昭和の経済発展や大衆文化の広がりと結びついての展開こそがそれぞれの現在を照射しているのではないでしょうか。そして、埼玉県唯一の戦災都市、1945年8月14日の空襲という傷跡を忘れないという心がまえは毎回文中に置いておきたいと思います。

中村写真館や市報のアーカイブから過去の画像と、中村さんの撮りおろしや各関係機関提供の最近の画像をならべ、戦後すぐの言説から70年を2つのチャプターに分けて急ぎ足で駆け抜けるフォーマット。第1回「熊谷駅」から9回の「熊谷野球」まで、本文におさまらないいいたいことを、脚註、キャプションに封じて密度を高める、紙メディアの王道ともいえるスタイルが確立しつつあります。
前回「うちわ祭」の新島さん、今回の長濱さんと一人の人物を中心にして70年を語る方法も、テーマによっては効果的だとわかりました。

記事を書く上で強調しているのが、「交通の要衝」として熊谷以外の近くから来た人、遠くから人に開かれたまちというあり方。
今回の長濱さんが本庄出身なのに「熊谷からの野球教室」にしていること、5月号「女性の社会進出」の寄居出身バックパッカーズランチ鈴木さん、吹上秋桜高校の女子生徒など、群馬県などを含めた「熊谷あたり」の人々がチャンスを求めて集まってこのまちを形成していることを書いています。ピーアイピー植竹社長は行田出身ですし、わたしも深谷の隅っこから熊谷の高校に自転車で通っていました。
昨日、行われた「観光」と「バリアフリー」がテーマの「もんだいカフェ」※3でも、「熊谷」に限定しない「ここらへん」のスケールで考える柔軟さが欠かせないという声が多く出ています。

さて、この連載の成り立ちには、非常勤の熊谷市職員として勤めつつ周辺のさまざまな活動に関係するという、現在のわたしの立ち位置が大きく作用していることを考えないわけにはいきません。
昨日の「もんだいカフェ」でも、「バリアフリー」は「観光」につながるという意見が出たし、前回はさまざまな活動に「関係ない」とはいわない姿勢が大事と自ら発言しました。最近話題の「働き方改革」や「地域のあり方改革」を頭に置いて、「ここらへん」を行き来しながらいろんなことの「バリアフリー」に取り組むことが「いいこと」につながりそうに思っています※4。

※1 フリーペーパー「NAOZANE」(電子ブックあり)
 連載内容は、12月号「熊谷駅」、1月号「ファッション」、2月号「体育館」、3月号「スタジアム」、4月号「さくら」、5月号「WOMEN in 熊谷〜女性の社会進出」、6月号「気候、気象」、7月号「うちわ祭」
※2 「飯塚商店ともやしの『一人称』による五十年の歩み
※3 「もんだいカフェ」は熊谷市市民活動推進課とNPOくまがやの市民協働「熊谷の力 熊谷共助ニュース」事業のひとつ
※4 長濱さんの活動や本庄のNPO「自立生活ネットワーク」のは活動バリアフリーは、NINOKURA+FM KURARA制作の映像『本庄・テン』でも紹介

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