小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

"Round Midyear"の『個人的な祝祭』~07年個人読んだ本ベスト5

2007-12-31 17:24:15 | 週間日記
よし、2週間前にまで追いついて年越し、少しだけ気持ちいい新年。

10日(月)仕事
11日(火)OB・Y君、OG・Eちゃんとシネマテークたかさきで『長江哀歌』。直前に何と平成はじまって以来となるロッテリアでフィッシュバーガー~だるま大使
12日(水)出張授業~駅前「博多」で同級生Mト君主催忘年会
13日(木)校正作業のため築地に。まず、今年最後かなと共楽で中華そば~作業、編集Oさん、塾OBI川君と中華で夕食~途中ミラン・浦和戦もみる~帰路、佐藤優『国家と神とマルクス』読了。刺激的な論考多く、できれば後でレビューを書こう
14日(金)仕事
15日(土)昼は撮影~Mixiコミュニティの忘年会で目黒へ~夜通し遊ぶ
16日(日)朝帰り、OB・O島君の結婚式のために、恒例お金で買えない贈り物シリーズ製作。なんでこんなに苦しいんだといいつつO島君中学生時作品のコラージュ完成。出力形式で苦しむもキタムラで額入り作品に仕上げる~者どもと会場の与野へ。大いに盛り上がる~帰って力尽き、楽しみにしていたがロンドンダービーどころでなく寝る

大晦日。
でも、普段と変わらず、でも“年末的”だな。今日は「読んだ本ベスト5」にしましょう。
何といっても、記録的に読書量が少なかった07年。多くはなくてもいい本には出会えた。範囲は07年中に読了した本。一応、刊行年月も入れておきます。

1)内田樹『私家版 ユダヤ論』(06年7月)
2)橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』(06年12月)
3)坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』(06年5月)
4)五十嵐太郎『現代建築に関する16章』(06年11月)
5)佐藤優『国家と神とマルクス』(07年4月)
番外)茨木のり子『詩のこころを読む』(79年1月)

なんと、新しいと思ってたのも、みんな昨年出た本ではないか。でも、別に本は逃げないからまあいいや。
では、昨日の反省から1行レビューを。

1)これまで読んだ氏の著作の中でも集大成的な分厚い論考。構造主義者、現象学的アプローチのストレートな切り口が切れ味鋭く展開するさまはスリリングなことこの上なく、言説の対象からもっと大きな構造に論理を広げていく醍醐味は柄谷行人『マルクスその可能性の中心』を思い出しました。
2)このわかりやすさはまさしく「どこで生まれるのか」。ミクロでは時間はないとか、エントロピーとかに対して今までになく理解が進み、それでおおざっぱに感じさせないのは驚異。そして、「意外な結論」という本という形式では忘れてはいけない美点も備えているのだからいうことはなく感動的です。
3)個人的に、日本文化=歴史の中の1979年には思うことが多かったので読み始めたのですが、当時の「アンティゴーネ」の公演に始まる構成は意外で見事。視点を複雑化することで過去の時間を別のかたちで再構成するという最近の興味をかきたてられたすばらしい論考でした。おまけはいつの日かの、個人的な1979年考の完成で。
4)きっかけは読売で読んだ『「結婚式教会」の誕生』の白幡洋三郎の書評(ありました http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20071126bk0a.htm)。建築の本はたまに読みますが、これは対象に関する視点がフラットな点が新鮮でした。いろいろおもしろい知識が手に入り、まさに読書の醍醐味を満喫。
5)周辺では大変な話題で、雑誌などでは読んでいましたが著書では初めて。ぶれのなさが美点だと思います。国家、宗教、思想について学ぶ点が非常に多く、いいたいことだけを直線的に語るテキストに「語るべきこと」が多い人のすがすがしさと限界を感じました。
番外)この本を通して知った何人もの詩人と言葉。宝物であり、決して古びることはありません。

というわけで、やっぱり年末には関係ない、面倒なことをだらだら書き並べてしまって07年を終わります。
誰かと語ることと違って本を読むことは、昨日も書いた河合隼雄さんの言葉を借りれば「個人的な祝祭」。意外にも年末から正月にかけてはいいのかも知れません。
それは「もの」をいわないで「語り」だけする「ねこ」といることと、意外に共通点があるようにも。本は「言葉」、ねこは「にゃん」。

きいているのは、結局新譜はまだ買っていないロバート・ワイアット。もうすぐ、そんな言葉があるのか "Round Midyear" はもうすぐ。

よいお年を、来年もよろしくお願いします。

※5分後の追記:
よく考えると midyear では、6月と7月の間くらいか。でも、間違いも味のうちでそのままに
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河合氏の母の「すねたらあかん」~イカ天~07年映画個人ベスト5の12月30日

2007-12-30 23:13:20 | 週間日記
この間に追いつけば、マイナスなしに新年が迎えられる。しかしそれは一体何のために?

●12月
3日(月)胃の調子いいとジャッジゆえ、晩はのび太でかき揚げ丼セット600円に挑戦。塾に行ってから苦しむ
4日(火)午前中、家の用事で熊谷へ~宮脇書店で本屋では初めてみた片山健『タンゲくん』と五十嵐太郎『現代建築に関する16章』購入~探した店閉店でさまよい、母校の高校近く、喜楽でラーメン+餃子
5日(水)振替で塾は休みで原稿
6日(木)昼は原稿~深谷シネマで19時半からの『北京ヴァイオリン』~玉井・ラーメンとん太
7日(金)朝から伊勢崎MOVIXで『パンズ・ラビリンス』~華蔵寺公園近くとんこつラーメン 光★MENJI~塾
8日(土)塾~遅い時間に同級生Mト君宅へ
9日(日)お昼から太田で22日大間々ライブお手伝いの打ち合わせ~13日記事『人生の新たなステージ』到達~煮ぼうと製作

では、人々のまねをして、1年間のまとめというのを少しやってみましょう。
まずは劇場でみた、といって、実はこの一年、自宅でちゃんと映画をみないまま過ごしたのですが、劇場鑑賞ベスト5。途中でカウンターがわけわからなくなったものの、劇場映画は約35本みられましたから田舎暮らしでは少なくはありません。

1)ボルベール<帰郷>
2)麦の穂をゆらす風
3)善き人のためのソナタ
4)長江哀歌
5)エディット・ピアフ<愛の賛歌>
次)バベル

未観作で上位候補は『onceダブリンの街角で』。accuradio で一時やけに主題歌がかかっていたので気になっていて、シネマテークたかさきで年末年始にやっているのでみてきます。
さて、1、2位はずっと好きと公言している映画作家だし、年間をとくに大きな発見はありませんでした。gooブログではもともと主力コンテンツの一つだった映画ビューですが、この6本は『麦の穂をゆらす風』しか書いてない。来年は短くてもいいからもっと書きましょう。
発見は『善き人のためのソナタ』。今読んでいる『オリガ・モリソブナの反語法』でも主人公が東側体制崩壊後に図書館で当時の資料を読んでいますが、こうしたなんというか「ポスト体制崩壊もの」は、時間や思考に厚みが出るので「物語」が起ち上がります。最近は佐藤優も読んだし、通り一遍の不自由なイメージしかない「旧東側」の暮らしの実際にも興味が出てきました。

と、ここまで書いたのは夕方で、一寝入りして新聞を読むと「イカ天復活」とあったので、そんなに思い入れがあるわけではありませんが今、少しみています。最近は地上波テレビをほとんどみないのでわかりませんが、この頃は素人とはいえ、けっこうコストがかかっていたものだと思います。個人的には、この後の「天下ごめんね」に出ていた、何といったか、お嬢様キャラクターのメロドラマ美女芸人が好きだったのですが、出てこないかな。おっ、「大島渚」が、「ビギン」が、と思ってるとけっこう楽しくみられます。

今日読んでもっとも心に残ったのは、「毎日新聞」先週23日の書評は湯川豊評による河合隼雄『泣き虫ハァちゃん』から。
「泣き虫」だった少年時代を振り返り、小学校4年までで終わっているという、つまりこれは氏の自伝的物語のようです。湯川さんはこの物語の、マト兄ちゃん(サル学の雅雄氏)「愉快このうえない家族の肖像に強くひきつけられた」といい、教室で失敗して帰ってから氏が母の呼びかけに応じなかった時、生まれて初めて平手打ちを食わせていったという、

「なんぼ失敗しても、すねたらあかん。わかったやろ。すねたらあかんのやで」

来年もがんばります。

(Phは当該週のティー。BGMはその「イカ天」でした)

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『まちがいカレンダー』帰る

2007-12-29 18:07:12 | 週間日記
まいったまいった。ついに一ヶ月前日記になっちゃいました。

●11月
26日(月)出張授業~その後、同級生Mト君宅に。車用品関連のKさんに初めて会う
27日(火)深夜さんま2尾購入
28日(水)出張授業~なんとなく山岡家に行くと、前から山岡家で待ってますよといっていたビデオ撮影関係者のW君がいていろいろ話す
29日(木)晩は塾
30日(金)晩は塾
●12月
1日(土)昼は撮影~本庄・大勝軒でつけ麺中、浦和逆転優勝逃しゲームをみる~晩は塾
2日(日)昼は撮影~晩は同級生Mト君宅に。前週結婚式のOB・M君も登場し、なぜか『レインボーマン』をみる

前回の『新たなステージ』が13日だからまるまる2週間のインターバル。完成が近づいた本の仕事が戻ってきたし、20日頃は風邪で倒れてCCレモンをほぼ2本飲んだり、隙を突いて忘年会やらなにやらで酒も飲んだし、楽しい日々ではあります。
一人の時間の楽しみは、NHKでプレミアリーグを始めたのでスカパーに大金払うことなくアーセナルのやつらの活躍がみられること。セスク、ロシツキいいし、アデバヨールは本当に成長したのだろうか。ほかクラブでは、ルーニー、C・ロナウドにテベスが加わったマンUは、ファーガソンが史上最強というのもうなずける。

忙しく日々の合間、何となく小学校の時に読んで大好きだった本をヤフー、オークションで購入しました。もっとも好きな児童文学者、古田足日の名作ファンタジー『まちがいカレンダー』。アマゾンではプレミアがついて2980円のしかなかったのを、500円とお買い得でした。
おそらく最初に読んだ社会学児童文学『宿題ひきうけ株式会社』、幸福な原っぱ時間の『モグラ原っぱのなかまたち』……。「さんまをまるまる一匹食べたい」という弟の作文から社会の矛盾を考えさせるリアルな『宿題ひきうけ…』でも、『まちがいカレンダー』のような宇宙船も登場するファンタジーでも、古田作品には高度成長期の時代の空気が持っていた「正義」や「進歩」へののびやかな希求、来るべきすばらしい時代への「信念」が感じられるというのは、もちろん大人になってから思ったことだけれど、同時代の、たとえば『チョコレート戦争』『教室205号』の大石真らとともに、当時の図書館を、それほどカラフルではない、しっかりした色彩で彩っていました。
今度、30年ぶりに手にした『まちがいカレンダー』は、89年、つまり平成の最初に創刊された「てのり文庫」版。ほか作品でもコンビを組んでいた田畑精一さんの魅力的なサンタクロースのイラストも当時のままで、前のハードカバーより扱いやすいのはうれしい変化です。といっても20年前のことですけど。

ストーリーはアマゾンの紹介では、
========================
アキラのうちの郵便うけに、サクラ銀行のカレンダーが投げこまれていた。みると、11月に31日があり、アキラの誕生日の12月1日がないのだ。それは、じつは、宇宙からやってきた、にせのサンタクロースたちのしわざだった。
========================

それから、デパートとか下水道とか公園とかけっこう日常的な舞台で、本物サンタも加わって、にせのサンタたちから「12月1日」を取り返す戦いが始まります。
おおまかなあらすじこうですが、考えてみれば私が小学生だった1970年代前半の「おはなし」は、だいたいこんな感じでした。当時よくみてた『オバケのQ太郎』あたりも、あれは大体ああいうオバケが出ている自体非日常的ですが、それほど日常からかけ離れてはいないところで、今風にいえば“サプライズ”なんて関係ないところに「冒険」も「ファンタジー」もあった。
何がどうなってしまってこうなのか。いつの間にやら「冒険やファンタジー」には、「悪魔」とか「呪い」とか「伝説」とか、おどろおどろしくて、けれどこっちにとってはみんな同じような、派手な舞台装置が必要となってしまっているようです。別にそんなのいらないのに。デパート、下水道、公園は冒険だぞ。

さて年末。
小説はこの間読み始めた米原万理『オリガ・モリソブナの反語法』というのもおもしろいのですが、その合間に『まちがいカレンダー』も読み直してみましょう。きちんと1月1日が来るように。

(Phは11月30日のティー。BGMはベルギーに本拠を置くらしいワールドミュージック、シンク・オブ・ワン)

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人生の新たなステージ/すっぱい葡萄

2007-12-13 03:47:54 | 週間日記
これでなんとか3週間前日記に。08年までに追いつきます。

19日(月)原稿や電話取材~たぶん、のび太でカレーうどん~塾
20日(火)橋本屋で高清水辛口買う~晩は塾でテスト勉強~夜、おおぎやできのこラーメン+餃子~蔦屋書店でミュージックマガジン、レコードコレクターズ、ブルータスの映画特集~さんま2尾ほか
21日(水)塾はしご~同級生Mト君宅に
22日(木)晩、はなまるうどん~塾
23日(金)午後からOB・M本君結婚披露宴に。今回は中2のM本君作“22世紀のピカソ”オン・英語のプリント裏を印画紙にプリントで進呈のほか、スピーチはあんちょこが行方不明になったこともあってまいるが何とか~2次会から3次会はカラオケでは、定番のクイーン『愛にすべてを』のほか、何となく20代の十八番で15年ほど封印の『ロックンロール・ウィドウ』を歌うというグレイトな一日。おめでとう、ミスター&ミセスM本
24日(土)撮影~浦和へ行き、レッズ戦帰りの同級生M君らと飲む
25日(日)撮影

11月の後半は、テストだの何だのであたふたしつつ楽しい日々。競馬の秋のGⅠシリーズも終盤が近づき、この前の日曜9日は、2歳戦朝日杯フューチュリティステークスだった。
競馬について、熱心に取り組んでいる人々にきいたり、さまざまな資料を調べたりして文字を連ねることも仕事の一つにしているのだが、馬券に関しては結果も熱意もそれほどではない。今は1レースの投資額は3連単で1500円というのがもっとも多く、パターンは「1)狙った穴馬で1・2・3着、2信頼する人気馬1・2着、3)次に信頼する/狙う馬2・3着、4)その他外せない馬/ひょっとしたら来る馬×3が3着」の「フォーメーション」という馬券で計1500円。時々当たって払い戻されるから、するとそのお金で馬に感謝しつつ何か買う、というのが20年以上競馬をやってきての現在の楽しみ方だ。たとえば塾のメイン石油ストーブには、「プレゼンテッド・バイ・スペシャルウィーク&インディジュナス、イン・ジャパンC99」と書かれている。

さて、端的にいって、私に「ギャンブラー」の資質はない。
記憶違いかも知れないが文化人類学者植島啓司によれば、ギャンブルに強いとは強い方から順に、1)大きく賭けて負ける、2)大きく賭けて勝つ、3)小さく賭けて勝つ、4)小さく賭けて負ける、だった。この論が正しければ小額ギャンブラーは、どんなに楽しんでも「強いギャンブラー」ではあり得ないのであり、これまで見てきた人々から考えると、まったくその通りと思う。
だが、それはしかたない。私とて、ウン十万とはいかなくてもウン万円程度の賭けで心臓がばくばくさせたことはないではないが、もともと信じにくい懐疑派なのだから、「絶対来る」なんて思って馬券を買うことはなく、「もしかしたら来るかもな」程度に買って、当たればそれなりに嬉しいし、外れればちょっとだけ悔しい、そんなギャンブラーである。

そこで日曜の朝日杯。仕事でつき合いのある、信頼できる競馬好きが推薦した馬は、私も気になる馬だった。ゴスホークケン。ちょっと名前はいただけないが、父の名がバーンスタイン、私がもっとも好きな指揮者レナード・バーンスタインと同じ名を持つこの馬の産駒はまだ日本では2頭しか走っていない。
このゴスホークケンを1)に、2)に1番人気で最近もっとも好きだったローエングリン最後の勝利で泣いた後藤騎手のアポロドルチェ、3)にやはり競馬好きがすすめるレッツゴーキリシマ、4)3頭を人気馬、人気薄をちりばめて予想は決まった。
では、ビール、今日はもどきでいいかと冷蔵庫に行くが、でもちょっと待てよ、「もう一ひねりしようか」と、4)の3頭を再検討。結局、4番人気のキャプテントゥーレを消して、11番人気ながらまだ3着以下になったことのない吉田隼人騎手のドリームガードナーにして買った。

……数分後、ビールもどきとともにテレビの前にいた私は、直線ばてかかっていたキャプテントゥーレが、前を行くレッツゴーキリシマをかわしてくれることを祈っていた。そうでなければ、これがきたらまいるよな、のその組み合わせになってしまう。
テレビカメラの位置からは外キャプテントゥーレに見えたが、アナウンサーのいうには「2着レッツゴーキリシマ」。そんなことはないよ、フランスGⅠ2着の名牝の息子の芦毛の方が先だったよと思ったが、掲示板にはすぐに2着は3番で「首差」と出ている。テレビは3連単の配当は13万なんとか円と告げた。

ひょえ、と思ったのはほんの一瞬である。
不思議なことに感じたのは、「意外なほど悔しく思っていない自分」だった。長く競馬をやっていれば、ああ、もう少しで粘れたのに/届いたのに、と思うレースはもちろん、ああ、どうしてこれを買わなかったんだ、ならまだしも、あれ、うっかりこれ買い忘れてた、なんてことはいくらでもある。イングランディーレが勝った天皇賞では、5万円の馬連が当たったのに、あと500円買っていれば獲れた20万の3連複を買わなかったことを悔やんだ。遠くロンドンアスコットで、マークシートをもう一塗りしてロックファルコンという馬を買っていれば数百ポンドだったと悔やみ、わかっちゃいるのに窓口の英国レディに確認したことも忘れない。
そう、的中の喜びより、外した時の悔しさの方に、競馬の、さらにいえば人生の、本質のような何かを感じるのは私だけでないはずだ。だが奇妙なことにこの時、感じていたのはそういうものから遠い、新たな見地である。

思い浮かんだ言葉は、「人生の新たなステージ」。
くやしいとか、かなしい、にくいなど、ネガティブな感情から解き放たれるかも知れない。その代わり、少しばかりの喜びも味わえなくなるかも知れないが、それが何だというのか。遥か彼方の、自分ではどうしようもない夕陽の美しさの前にたたずむように、悠々としてすべての前に立つことは、それはそれで悪いことでないのではないか。そう、これは「人生の新たなステージ」かも知れないのだ。

では、「人生の新たなステージ」で、ささやかな喜びはどうなるのだろう。そう思って、まずねこと遊ぶ。
大丈夫だ。今までと同じように楽しいじゃないか。
では、ちょっと料理でもつくってみようと、前回話題になった煮ぼうとを製作。今回は、じゃがいも、さつまいも、さといものトリオ・ザ・いものほか、前回忘れたごぼうもプラス。がんがん煮込んで、この見事さをどう残そうかと、湯気が暗闇に映えるようにと鍋のまま冷え切った庭に向かう窓を開けていすを置き、ズームを調整した上でふたを取って撮影する。構図がいまいちだったが、まあいいや、煮ぼうとは写真に撮るものでなく食べるものだと、土佐鶴新酒とともに味わう。こいつは「うまい」ではなく、「すげえうめえ」という段階だ。酔ったついでに寝て、翌朝、姉の息子が温めて食っていたので、これ「すげえうめえ」よなというと、やつも感動して「うん、スゲーウメー」といっていた。
OK。「人生の新たなステージ」でも、ささやかな喜びはびくともしない。
やるじゃないか、「人生の新たなステージ」。

月曜には、仕事関係で電話した人々に「競馬どうでした」ときかれても、「いやあ、当たらなかったのですけど、『人生の新たなステージ』に達したんですよ」と答え、人生の何たるかはまだわからぬ中学生にも参考までに話しておいた。「へえ、ついに脱却しちゃったんですか」という声もないわけではなかったが、「ええ、どうやら脱却できたみたいなんですよ」と応える。
どうやら「人生の新たなステージ」は無敵だ。そう、ねこやつらなんか、ずっと前から「人生の新たなステージ」だから、悔しがったりなんてしないもんな。立派なもんだ。おお、44歳でこの地点に達してよかった……

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wikipediaより「すっぱい葡萄」

すっぱい葡萄(すっぱいぶどう)はイソップ寓話の一つ。狐と葡萄とも。

あらすじ
ぶどう畑で、たわわに実ったおいしそうなぶどうをキツネが見つけた。食べようとして跳び上がるが、ぶどうの房はみな高い所にあり、届かない。何度跳躍してもついに届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去ってゆく。

解説
手に入れたくてたまらないのに、いくら努力しても手が届かない対象(人、物、地位、階級など)がある場合、その対象を価値の無いもの、低級で自分にふさわしくないものとみなす事であきらめ、心の平安を得る。フロイト心理学において防衛機制、合理化の例として有名。

(Phは11月19日、青空の下でティーと。BGMはなぜかアイルランドの与太れ者どもポーグス)

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黄色い小春日和、『イッツ・オンリー・ロックンロール』

2007-12-08 18:27:44 | 週間日記
よし急がねば、の3週間前日記です。

●11月
12日(月)おおぎやで味噌ラーメン~塾
13日(火)さんま2尾購入
14日(水)晩は出張授業~長崎ちゃんめん
15日(木)働きまくり
16日(金)朝に紅茶とコーヒーを買いに西友へ~晩は授業~太田に12月みどり市ライブ(http://www.design-factory.org/nagame/index.html よろしくお願いします)のいろいろお手伝いミーティング~らーめんよいち~さんま2尾購入
17日(土)写真室関係者O君から Nikon D40x 到着~晩は塾で中3M君に、フィルム機とともに説明
18日(日)午後から撮影は、まず近所のいっしょにバーレーもやったKさんの結婚式。20年ぶりにその弟にも会う

上の日々でなく、12月の昨日金曜から今日、ほとんど仕事のなかった土曜は、FMでロックをよくきいた。

M君の相似と疑問詞の復習をやりながらJ-WAVEジョン・レノン特集をきき、レノンの平和活動と、それがいかにロックかについて少し解説が始まり。
M君帰って車で帰り道の『洋楽キングダム』は、この間学生時代ロック研究会にいたOB・R君が、「あの番組、くだらないですよね」と熱い批判を放っていたのは、まあ初心者向きなのでしかたないところ。この日は近田春夫が出て、「白Tロック」=ブルース・スプリングスティーン、日本代表・吉田栄作、「スーツロック」=ボズ・スキャッグス、日本代表・安全地帯などと、ファッションで東西のアーチストを分類していて、くだらないといえばくだらないものの見事な分析を見せていて、中でも以前、自らのアイデンティティにしていたパンクを「ファッションだけ。音楽的には何もない」と言い放ったのはさすが。

帰って仕事しながら姉の息子にキックボクシングなどの話をききつつの渋谷陽一をきくとレッド・ツェッペリンの出し惜しみNYライブの音源登場で、それまで『タイヨウのうた』YUIという歌手の話をきいていたところを、「ひょえ、かっこいい、かっこいいってのはこういうのだ」というと姉の息子は、「そりゃあ、そうだけど、よさが違うんだよ」と「まったくな」と、のべ3回みたジミー・ペイジのライブ、『ブラック・ドッグ』との違いなどを話す。

それからいとこも来てちょっと話し、やがてJ-WAVEに戻ってロケットマンは「日本全国 当たり前と思っちゃいけないこと選手権」。いつも通りぐだぐだでつい笑ってしまう話が続いたが、やはりジョン・レノン選曲は見事。そのまま寝る。

起きて土曜朝。
1週間でももっとも楽しみなラジオの一つNHKピーター・バラカン。つけたところから始まったアレサ・フランクリンのこれも未公開音源は、『マイ・ウェイ』など、得意の何を歌っても変わらない歌唱ぶりできき応え十分。そういえば、この前きいた時、「私は、そうですね、レッド・ツェッペリンなんかはかけませんが、そのほかは何でもかけますよ」といっていたのを思い出した。誰だったか19分の曲のリクエストがあり、「それもいいのですが、あえてこの曲をかけるべきでないと判断してこの曲にします」などコメントしての選曲は、ぽわんときいていたのが申し訳ないほど小春日和の土曜の朝に“ふさわしい”。

続いて、ゴンチチの番組は「迫力のある音楽」特集。いつも通りの大胆な選曲でいろいろかかったが、ロンドン響のやっていたローリング・ストーンズ『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』でゴンチチのどっちか、本気でこの曲を知らないようなので驚くとともに、彼らのような音楽の達人でも知らない曲がある、われら素人が知らない曲が多くでもしかたないと安心する。どっちかがマイアンヌ・フェイスフルが歌ってと説明していたが、そのフェイスフルは「峰不二子のモデルとされる」とYahooかgooの最近ニュースにあった。
そう、R君が『洋楽キングダム』をくだらないというのはきっと、いかに初心者向けとはいえあまりに初歩的なことを語るのをきかされるからだろうからで、それは日本のような高度情報化社会特有の悲劇だろう。もちろん、どっちでもいいことだけど。

と、ここで出撃。競馬のための新聞をかうためにファミリーマートと、先週あたりのチラシで「煮ぼうと」700食無料をやっていた近くの産直へ。ここはこういう店によくある、UHF通販で売ってるようなニューミュージックの有線らしきものがかかっていてそれはそれで楽しみ。煮ぼうと目的なのか人でごった返す店内には佐野元春『アンジェリーナ』がかかっていた。やまといも、ニンジンなど買っていつもよりやけに多い10人ほどいるレジに並んでいると、意外にもローリング・ストーンズ『イッツ・オンリー・ロックンロール』。ミック・ジャガーの「ライキッ」っというリフレインのこの曲はあまり好きではないが、小春日和の新鮮野菜いっぱいでおっさんおじちゃんばっかりのここできくストーンズはまさに新鮮だった。
レジを終えマイバッグに野菜を詰めると、レジのおばちゃんが「煮ぼうと」できてますからよかったらどうぞ」。ミック・ジャガーに気を取られて「はい」と応えただけだったが、大人としては「いや、チラシを見て来たんですよ」くらいいうべきだった。

外に出ると、6名くらいおばちゃんが煮ぼうとをゆでている。興味があるのは、このそれぞれの家で勝手につくっている郷土料理の「標準」として、こういう時にどういう風につくられているかだ。よく中学生などには、各家庭でどういうものをつくっているかきく。
鶏肉のほか、ねぎ、ダイコンは薄切り、ニンジン、サトイモ、ぶなしめじ、ごぼうほかにあったかな。個人世界最愛麺、高柳製麺は、みたことのない容器を用意していた。
何の変哲もないその味は、何もないからすばらしい。みんな持っていって無言で食べているから、私の少し後には、「今なくなっちゃたんですよ。少し待ってください」とソルドアウトしてしまう。2分の幸福で満足。おかげでストーンズの後が何だったかはわからず、車に向かった頃は曲名は忘れたが、マイケル・マクドナルド時代のドゥービー・ブラザースだった。
寒いけど 空の青さは 西海岸。

そして、ファミリーマート。サンスポと迷って、「藤川球児メジャー」の見出しを見て、信じはしないけどデイリーを。
レジで待つと、前にはトラック運転手らしき若者。一番搾り500缶2本、ショートホープ4箱のほか、なぜか鉄火巻きとこれは確認できずの何かをレンジで温めてもらっている。こいつロックだ。
あのロックントラッカー、どうするのだろう。車に戻って、わざとちょっと大回りしてロックトラックを見る。東南の方角に向けられた運転席で運転手は携帯のチェックか下を向いていた。この高みこそ、わが世の春というように。駐車場深く停められた幸福のシートを、うらやましくながめながら家に帰るとティーが来た。
おお、ティー。今日は何だか、黄色い小春日和、『イッツ・オンリー・ロックンロール』だよ。
「にゃあ、にゃあ」。

それでも、競馬は当たらない。

(BGMはジョン・レノン『ダブル・ファンタジー』)

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『あの頃、マリーローランサン』、「この頃、アマリウランサンマ」

2007-12-05 17:37:52 | 週間日記
なんと、もはや一月前日記に。でも、このまま続けます。

5日(月)たぶんずっと仕事
6日(火)昼から校正のため築地へ。途中、マロニエ通り梟でラーメンは悪くない~夕食は編集Oさんが「ジャパニーズ中華の名店」と評するふぢのでタンメンはその言葉通り~バーミヤン、最近の餃子の王将など、帰路このテーマで話しながら~終わって電車中池内紀『読書見本帖』読了
7日(水)晩は出張授業~
8日(木)原稿一つ終了~晩は同級生Mト君宅に
9日(金)最終日のため熊谷マイカルで『グッド・シェパード』~大麻生・四華郷の味噌ラーメンは、最近よく思うとくに味噌ラーメンのテーマ、「濁り」をうまく活かしていてボン~晩は授業
10日(土)昼、撮影~晩は授業
11日(日)昼、撮影

そんなこんなで、日記は11月だけど早くも世の中は12月。冬が来て、忙しいらしい時期だ。
陽が出ていても樹々の枝とのコンビネーションに冷たい上空を感じさせる日々、帰りにできたばかりのスーパーベルクで小さな事件に気づく。

「さんま(解凍) 北海道」。
なんと、ついに「かいとう」ルパンが。
見かけは同じようにとんがってはいても、こいつらはこの間まで氷の中でうようよしていた「生さんま98円」のやつらじゃない。わかっていたんだ、やつらの扱いは、最近どうでもよくなって、細いからだはそれこそ肩身が狭そうだった。真新しいベルクの店内は、冷凍庫の凍りついた風が流れているようだ。
だけど、秋のルールは「生さんま」限定。すまんおまえら、あんなに冷たいところから出てきたってのに、こたえるわけにはいかないんだ。
「きみには罪はない、罪はないんだよ」と『夜明けの停車馬』を歌いながら、しかたなく土佐鶴新酒だけ買ってベルクを後にする。そう、この毎年年末から正月にかけて飲むジューシーな逸品が出回る季節なんだ。愚かにも気づかなかっただけじゃないか。住宅街にはクリスマスイルミネーションもきらめき、ラジオからは『ルドルフ・ザ・レッドノーズ』。もうやつらの季節じゃないのかも知れない。でもまだ、サバとかシャケなんぞとなかよくするわけにはいくもんか。

『あの頃、マリーローランサン』。
加藤和彦が83年に発表したアルバムのタイトルだ。たぶん、ちゃんときいたことはない。
83年といえば大学の仏文科に入った年だが、何となくかっこいいと思ったカミュにあこがれて入ったくらいの学生だったから、20世紀初めのこの女流画家であり詩人であり、アポリネールが『ミラボー橋』を捧げたという彼女の名を知ったのは、このタイトルが最初だったろう。
そして、マリーローランサンといえば『鎮痛剤 Le Calman』。

Plus que morte Oubliee.
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です(堀口大學訳)

有名なこのフレーズを知ったのはさすがに学生の頃。ただ、この言葉が何をいいたいのかは当時はよくわからず、今になってもまだよくわかるとはいえないまでも、忘れたくないと思うことはだんだん増えている。

だからまだ11月だというのに、あんなにちやほやした秋のことなど忘れてクリスマスデコレーションにうかれるのははしたないと思う。楽しそうなだけ、新しいだけの何かに飛びつくより、慣れ親しんだものとの別れを惜しむ魂の方を、決して「楽しい」とは思わないけれど、少なくとも「美しい」と思う。
あんなになかよくしたさんまを、かんたんに忘れられるものか。

……
もうやつらには来年まで会えないのかと思って出かけた、国道がぶつかる交差点、24時間営業の西友。無意味に高い天井が映画でみるアメリカのスーパーのみたいな、ほとんど客のいない店内はまるでSF映画のようで奇妙な居心地のよさがある。
ここだってこの前2尾178円と安かったからな、もうみんな「かいとう」にやられちゃったろう、と思いながらポテトサラダやコロッケなんかの間を店内奥に入っていくと、そこには黒潮が流れていた。

「千葉 生さんま 198円」。
もう秋の最初みたいに活きがいいわけじゃない。魚売り場の真ん中で、青いビニールの氷の海でがちゃがちゃいってみんなが集まっていたりもしない。でも、お前たちが千葉の海からこの内陸まで運ばれてくるのだから、早12月だけど、もう少しだけなかよくしよう。

「この頃、あまり売らんさんま」を忘れない。

……でも、こいつら本当に「生」だよな。内陸育ちだし、「かいとう」だって区別つかないぞ。

(Phは窓から外を見るスラッシュ<本日撮影>。BGMは80年代英国ペイル・ファウンテンズから00年代アメリカ、ニュージージーのヨ・ラ・テンゴ。さんまは食べたことあるか)

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