小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『アイル・ビ・ユア・ミラー』、ロートレック、ニール・キャサディ~アート・ウルー・デイ

2008-03-19 18:33:55 | 週間日記
「リビングストーン・デージー」というそうです。

3月17日撮影

まだ3週間前か。「週間日記」です。

●2月
25日(月)恒例電話取材~原稿~今年一番の熱戦アーセナル:ミランに酔う
26日(火)原稿~晩は同級生Mト君宅にさいたま市よりOur Mixiの大食の人Hさんが来るというので訪問。やはりHさんを知る写真仕事関係者Kさん、OG・Eさんも来て飲み、食べる
27日(水)朝起きて、Kさん車でHさんと3人で早くから開いていそうな気がする川本・おおにし製麺へ。15分早かったので近く農林公園で時間つぶし、ついでに花を3鉢買う(3月8日付)。うどん大盛200円に2名とも生卵と天ぷら2つという朝から高度なパフォーマンスを見せたので、いったん1つで通過したが戻って一つ追加。さすがにHさんはうまいと喜んでいただけだが、地元組2名帰り車中苦しむ~原稿~出張授業
28日(木)原稿、大体片付く
29日(金)アートな日(↓)。昼はK市富士屋でラーメン、夜は新宿・上海小吃
●3月
1日(土)テスト前補習の出張授業
2日(日)朝から同級生Mト君らの応援+写真撮影で「深谷シティマラソン」会場に~午後はぽてとや(詳しくは3月8日付に)~帰って競馬は久しぶりの1万ちょい馬券で少々損失補填

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本日はなんと、永久歯初の虫歯歯医者行き。矯正したのはなしだと乳歯以来推定37年ぶりで、歯科医の中学、高校の2つ先輩が神経まで膿が行ってますね、というのでどんなに痛いのだろうとどきどきしてたらほとんど痛みなし。なんともこれでは物足りん、と思ったのですが、それはまた別の機会に。今回の付録も、当該週のことです。

・・・・・・・
四年に一回のこの日付はちょうど仕事も次の作業の待ち時間に入り、ちょうどいいと、めったにないアートな一日にするべく奥関東平野を出た。

まず9時過ぎの列車に乗って千葉のK市でMixiで知り合ったUさんの個展。前にも一枚だけみたことはあるが、今回はめったにない大きなものだというので期待していた。
あまりにいい天気だったので、途中の11時ごろの千葉からの乗換ではビールを飲むほど。田園風景でも内陸のそれとは様子の違う車窓を眺めながらだと、同じサッポロ黒ラベルでも一味違う。翌日から三月の陽光を楽しむうちにK市に着くと、初めて会うUさんがいかした赤い車で駅まで迎えに来てくれていた。
車の中で小さなヴォリュームでかかっていた曲を、あっ、ルーファス・ウェインライト、というと違っててピーター・ガブリエルだった。地域のこと、家のこと、オーディオのこと。ネット上ではよく話してきたのでずいぶん前から知っているように話す。Mixi上の知り合いにはすべて、誰かだったりアーティストだったりの「○○を通じて」という「メディア」があるものだが、Uさんの場合は映画『トランス・アメリカ』のレビューだった。Uさんの好きなシニード・オコナーもききながらのドライブは15分ほどで、会場のSFみたいな施設に着く。

色とりどり、大小の点の点が画面いっぱいに広がって、Uさんが住む森、故郷の海、そして自身の心象風景を、思ってもみないかたちに描き出すUさんの作品は、こういっていいのかどうか、ご自身の好きなシニード・オコナーの歌のように張りつめたおだやかさがある。見える通りには描きたくない、とUさんはいう。
そんな中で見入ったのは、すでにMixiフォトで画像だけは知っていた、自身「20歳の頃のセンチメンタル」と解説する初期の作品。タイトルは "I'll be your mirror"。ロックファンなら誰もが知っているヴェルヴェット・アンダーグラウンドの名曲のタイトルだ。
「バナナ」と呼ばれるヴェルヴェッツの名盤でゲストのニコは3曲を歌っているが、個人的に一番好きなのはこれ。ダークなイメージの曲ばかりのこのアルバムの中、シンプルだが効果的なギターにニコのこれはのんびりしたヴォーカル、そしていい加減にきこえるコーラスで終る3分ほどの、ほっとする小さな曲だ。そう、20歳の頃この絵が描き上がった時、まるで鏡みたいにみえたから、とUさんがいう。それからこれは後からメールでおしえてもらったことだが、描き上がった時には映画『ミツバチのささやき』でアナが水面に映ってるのをみたのと同じフランケンシュタインもみえたそうだ。Uさんはそんな20歳だったのだろう。

街への帰りには、このあたりの名物という竹岡ラーメンの店、冨士屋に。
ねこの話とかいろいろしながら食べたラーメンはなるほど今までには食べたことのない種類でおいしい。子どもを迎えに行くというUさんと別れて午後2時、駅に向かった。

次は六本木でロートレック展。
何といっても天気がいいので、駅で今度は一番搾りを買ってしまう。来る時と同じ線路を戻ったが、途中で少し寝ちまった。おおっと起きて、ブザーが鳴る電車に乗るとなんと戻っていく。しかし車内の路線図を見ると、戻った次の駅からは京葉線があってこっちでもいいらしい。ちょうどいい、別の線で行った方がおもしろいだろうと乗り換えた。

六本木に午後5時頃着。この街は学生時代は敷居が高い感じがし、今もたまに仕事で来るくらいでとくに思い入れはない。東京ミッドタウンというのも初めてだった。
同行の、やはりMixi経由の知己だがこちらは何度も会っているKさんが少し遅れるというので同じ建物5階でやっていた九州デザイン展というのを覗く。有名な仏壇メーカーの幹部らしき人が振るう熱弁も耳を引いたが、“デザイン”としてはポール・スミスを思わせるストライプや日本の綿とは思えない素材感が「和」や「九州」だけで語れない、「小倉縞」というのに興味を持った。
3階に下りてワイスワイスなる、こりゃあいい:ひょえこれじゃ買えねえ、のものばかりの店で、こりゃ・ひょえ、心の中で騒いでいるうちにKさん到着。Kさんが手に入れてくれたチケットで、大量のロートレック作品をみる。
ロートレックはずっと前から好きだったし、パリのムーランルージュは外からならみたことあり、その時は観光客らしき欧州女子学生風に頼まれて、もちろん本人のカメラで本人だけ写真に撮ったこともある。だが、都内では何度も行われているロートレック展をみたいと思っていたのは何より25年前、19歳の時の友人Hとの宿題があったからで、25年目の今回はその宿題を終えるのにちょうどいい機会と思ったのだ。
展示はよく練られたすばらしいものだった。本人だけでなくほか同時代の何人もの作家の作品を並べて厚みを持たせているし、とくにロートレック作品では重要なモデルたちの解説も実に丁寧だ。われら世代の多くにとって最初のロートレックといえば、ドラマ『傷だらけの天使』でショーケン:オサムと水谷豊:アキラが住む代々木の屋根裏部屋に貼ってあった「アリスティード・ブリュアン」だろうが、この当時の人気歌手の映像がわずか数秒とはいえみることができるなんて最初にみた小学校の頃には考えもしなかった。
まったく知らなかったパリ以前の作品。母の肖像なんかはゴッホのようなタッチだし、よく知られている一連の作品に達するまでの試行錯誤がよくわかる。展示が始まってすぐに赤瀬川原平も毎日新聞連載に書いていた、ポスターのつくりのリアル。複製もよく目にする名作が、何枚もの紙を貼り付けての行き当たりばったりでつくられているという生な感じに思わず笑ってしまう。
そしてロートレック作で忘れちゃいけない、観客とか部屋の飾りとかの、一見どうでもいいものどもの奇妙な主張。散文的なこの見事なあり方は、たとえば映画作家なら画面でブニュエルとかセリフでアルモドバルとかと同じ種類の、ありそうでそうでもない奇跡的なセンスでしか成り立たないのではないかと思っている。

確か2時間くらい。ベル・エポックを十分に楽しんだ後はKさんと、では何か食べようということになり、といっても六本木はよく知らず、Kさんがその後ライブに行くという新宿に移動した。
しかし、ここでうっかりする。行こうとしたのは多分もう10回くらいは行っていて大きなねこもいる歌舞伎町の上海料理の店なのだが、いつも誰かと一緒に行っているので正確な場所がわからない。実はこういうことは今まで一度や二度ではなく何度もあり、その反省をもとにどうして改善されないのかは我ながらおかしいがそういうものだともいえる。ともかく、異国語飛び交う歌舞伎町をしばらくさまよった末、目印のルノワールからの方向が反対だったことがわかり何とかその店に着いた。きっともう次は大丈夫。
というわけで、上海料理屋で2時間ほどか。この日はねこには会えなかったが、ビールとともにいろいろめずらしいものを食べてKさんは南米音楽のライブに、こっちは高崎線に乗って北埼玉に帰る。電車で少し寝たけどまだ酒も残っていたので塾で少しさまして帰ろうとして、おお、まだこんな時間とNHK渋谷陽一をつけると、かかっていたのはブルース・スプリングスティーン。きいていない昨年10月に出た新譜だった。

・・・・・・・
帰り道、思い出していたのは、25年前にロートレックに行く約束をしたHのことだった。

同じ高校に行っていたHを知ったのは遅くてたぶん高3の夏。同じ弓道部で映画をつくっていたIのところで会ったように思う。
ともに予備校生となった翌1982年の多分夏に新宿伊勢丹でやっていた、その数年前に盗難に遭って返還された『マルセル』出展というポスターをみて、ああ、これみたいなというと美大を受験しようとしていたHが、じゃあ行こうぜ、という。
といっても、当時からよくそうしていたいい加減にいっただけの一言だったし、考えてみれば当時、自分の意志で美術展に行ったことなどあっただろうか。浪人生といっても受験勉強には縁遠かったけれど、暇な時間はくだらない遊びに埋められていたから、20世紀初頭のパリの画家などすっかりどうでもよくなっていた。
数日後、予備校のあった大塚の喫茶店にいるとHが来ていう。何だよ、ロートレック行かねえのかよ、あ、ちょっと待って、いや、もっと時間と金があれば行くんだが、何だよそれ、というとHはぶんむくれて行ってしまった。
取るに足りない行き違い。だが、この頃は私も今よりもっと愚かな19歳だった、というよりHのよくわからない剣幕にたじろいだ、といった方が正確だろう。詳しくはおぼえていないが、すまんすまんと何度もHに謝ったような気がするし、Hはそれから何ヶ月かことあるごとに、時間と金があればな、といっていた。
いずれにしても、今も昔も一貫していい加減でだらしない私はうっかりしてよく蹴られたりしていたから、Hとのこのこともとくにめずらしいということはないし、その後も20代の半ば頃まで多くの時間をともに過ごした。

このHとのロートレックが別の意味を持ったのは、2002年の夏、つまり伊勢丹『マルセル』の20年後、偉大な種牡馬サンデーサイレンス死没と同じ日、Hがオーバー40になる前に死んでしまったからだ。
詳しいことも、最後に会ったのがいつだったかもわからない。たぶん21世紀になってから会ったことはなかったと思う。末期の近くに会っていた友人の話には、朝から安焼酎の1升ペットボトルを飲み始めて晩にはなくなっていたとか、ベンチャー起業で成功した同級生のところにチンチロリンをしに行っていたとかきいた。
死んでしまうとはどういうことかは、近しい者が死んだ時なんかに、それこそたまに考える。精神のこと、物質のこと、いろいろあるが、その後も生きる者にとっては、たとえばHと25年前に約束したロートレックのような約束を、それがどんなに遅れても果たす可能性があるかどうか、その一点ではないか。死んでしまった者を思うことはできるが、死んでしまった者と一緒に何かすることはできない。

閏日金曜、帰りの高崎線。
これも浪人の時だから1982年か、巨人が最終戦を江川~西本の必勝リレーで勝てず優勝を逃した時、熊谷の友人宅でみてから電車に乗り、チャンスに三振したトマソンを「いやあ、あのトマソンの最後のホームランすごかったよな。まさかあんなところで打つとわなあ」などと10代特有の、はた迷惑でくだらぬパフォーマンスをして喜んでいたこの列車でHのことを考えたら、ロートレックだけでなくこの日にあった一つひとつが、すべてやつにつながるような気がしてきた。

"I'll be your mirror" が入っているヴェルヴェッツの「バナナ」は、「マクシズ・カンサスシティー」やローリング・ストーンズの『ギミー・シェルター』なんかといっしょにHに借りて初めてきいた。いや、この日、K市に行く時、路線検索では東京乗換のところこっちが近いと秋葉原で総武線に乗ったのだが、それで通過することになった両国で降りたのはこれまでで一度だけ、Hに誘われて行ったアレン・ギンズバーグの訳者諏訪優の語る会だったな。六本木の「小倉織」で思い出したポール・スミスは、Hもよくきいていたシンプリー・レッドが2ndのライナーで「costume by」と明記していた。ロートレックはいうまでもない。その後に行った新宿の上海料理屋は、Hが住んでいた中華街でよく行った、パイコー麺を食べ時、だめよそんなに辛子持ってっちゃ、とこれもあやふやなおばちゃんの日本語で怒られたあの店に似ていないか。そして、帰った時のスプリングスティーン。
そうか、めずらしくやけにアートだった08年のウルー・デイは、日常の隙間に開いたHの日だったのか。

しかしそんなUさんの言葉を借りていう「20歳の頃のセンチメンタル」はものの五秒で消え去る。そんなことはない。「ここでないところ」に行ってしまったHと違って、こっちは25年前とまったく「同じところ」を回っているだけなのだ。
だからルー・リードが好きなUさんと知り合って "I'll be your mirror" をみる、ロートレックをみに行く、上海料理屋で食べる、この夜のスプリングスティーンなんて、当時の高校生や大学生みたいに渋谷陽一なんてきかなければぶつからなかったじゃないか。
Uさんもいってた。20歳の頃になんて戻りたくはないと。

くだらないけれどかけがえのない、つまり極上の時間をHといくつも過ごした中で忘れられない言葉がある。まだ20歳過ぎた頃、Hはいつもそうするようにロンパリ気味の目を本人から見て右方向に泳がせていった。
「ニール・キャサディってさ、まことに似てると思うんだよ。いってることいつも支離滅裂だし、車の運転もうまいような気がするし」
ニール・キャサディは、Hのバイブルだったジャック・ケルアック『路上』に出てくるディーン・モリアーティのモデルだ。一つとして作品は残さなかったが、破天荒な生き方がもっともビート的だったとされる。
しかしまったくもって一貫した意気地なしの私は、もちろんニール・キャサディにはほど遠い。だいたい「支離滅裂」はいいにしても、運転はまったくうまくないぞ。まあ、当時はHは免許持ってなかったもんな。20歳やそこらじゃ、そのくらいの見立て違いは当たり前といえば当たり前だし、その後、Hがその見立てをどう変えたかどうかもわからない。

いずれにしてもH。
こっちのニール・キャサディは、同じところをぐるぐる回っているだけだよ。でもそれもそんなに悪いことじゃない。
「バナナ」は何回もきけるし、ルー・リードの新作だってきける。Hが死んだ次の年の『レイヴン』はよかったぞ。ロートレックだって、その次もそのまた次もみられるんだ。まだちょっとペットボトル焼酎を飲むまでには至らないけど、ビールとか安ウィスキーはいくらだって飲める。

そうだ、H。
アイル・ビ・ユア・ミラー。
ギンズバーグの思潮社の翻訳は、「お前のものはおれのもの」のIがお前持ってんだろう、持って来いよ、っていったからかんおけに入れて焼いちゃって読めないからもう一冊買わなきゃな、ちょっと高いけど。

(BGMはヴェルヴェッツ「バナナ」と、ルー・リード&ジョン・ケールは亡きアンディ・ウォホールに捧げた『ソングス・フォー・ドレラ』。20歳頃のHはウォホールが目標だった)

・当該週画像

千葉県K市富士屋


あったかくなった庭でティーとタンゲゲンタ


・今週画像

窓辺の「/」(スラッシュ)

3月16日撮影
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「じ・かみ・あび」~「寒旱」

2008-03-15 22:07:37 | 週間日記
孤独の女王のエリザベスカラー
         二〇度の畑

本日3月15日撮影

出かける前に何とか更新。あと3週間、がんばろう。

●2月
18日(月)甥が無事退院~恒例電話取材
19日(火)在宅だったので煮ぼうと製作
20日(水)版元との打合せでお茶の水~編集者Oさんと天ぷらいもや~古書店めぐりでこれは後に独立記事に~帰って出張授業
21日(木)昼は仕事~晩はMト君宅へ
22日(金)昼は叔父を送っていく用事があり、ついでに初めてぽてとや麺など購入~突然入った原稿整理で、これは楽でのけぞる~晩、豊里・永来でラーメン~塾~帰ってからOG・M君宅にCLアーセナル:ミラン戦の録画DVDを取りに。しかしアクシデントで2往復
23日(土)昼は撮影~晩は強風のため予定の都内行きが中止~代わりに深谷で飲むことになり、同級生Mト君と駅前はかたに行ったら、そこにいた知り合いと合流、別にOG一家もいた。写真関係者O君も来てずいぶん飲む
24日(日)昼はMト君に誘われ、行田・蓮華という店でラーメン+餃子~退院してすぐ試合に出た甥は敗れたらしい~夜、結局見られなかったDVDを取りに再びOB・M君宅に。再生成功

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今日もまた「“ニ”ジュード」らしいし、アーセナルの歴史的勝利などいろいろあって、途中まで書いた3月5日の『17号線を左に折れ』もあるが、「週間日記」と一致したので、2月20日の出来事を。

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●2月20日
この日は朝から現在製作中の本の打合せで版元へ。タワーになった母校の前を通過して駿河台坂を下に向かう。版元の美人編集者Sさんとの話はなごやかなうちに終わり、その中で「平積みは2日くらいで変わっちゃうんですよ」などという出版不況の話も出る。「点数が多すぎて」というのはこの業界の決まり文句だが、決定的な対応策もなくそのまま同じような作業が続いているというのがこの仕事をしている誰もに共通する実感だろう。

終了後、別の出版社に行くプロダクション社長とは分かれ、さらに打合せのため編集者OさんとファミリーレストランスJに入るが、少し話して、「せっかくだから、いもやでも食べて行きましょう」とそそくさとドリンクバーを片づける。お午も近づきランチ客も増えるけど、5分も歩けばあんな天国があるのにこんな工業製品を食ってる場合じゃない。

一番よく行った、中華の伊峡といっしょのとんかつと天ぷらは閉店していてショックで、近くに天丼もあるがどうします、5分歩いて水道橋の方に行けば天ぷらもありますよ、というと最初の就職先が近くだったというOさんも行きましょうという。いつものように正確に場所を憶えないのでちょっとふらふらしたが、間もなく5、6人が並ぶ「天ぷらいもや」にたどり着き、この頃来日していたバート・バカラック、前の来日の時にOさんが行ったという話などしながら順番を待つ。いつものように客さばきはよく、あっという間に自分の番が来てエビやらシソやらがじゅうじゅういう、すばらしい油極楽鍋を見つめると、Oさんは「アナゴお願いします」なんて頼んで「お昼は定食しかやってないんです」と断られていた。さすが大阪の都会育ち。さすがに食ったことがないわけではないが、北関東の農村育ちではあなごを指名で食べたいと思ったことはないと気づく。

いや、満足。この満ち足りた時間は、以前にとんかつで書いたのでここでは繰り返さない。ただ、この店に限っては前回もそうだったが、ご飯がべたっとしている感じはあった。でも650円なら文句はいえない。Oさんとそれぞれのいもやの思い出話をした後は事務所に帰るOさんと別れ、「ちょっと、少しみて行きますよ」と、神田の古書街に向かった。

まだブックオフなんてなかった学生時代。都内や地方都市にある古本屋にはよく行ったが、その中でもこの世界最大というブキニストは何といっても数があるのでよく通った。いつもなら坂を下りて三省堂の方から靖国通りを神保町駅の方に進むが、今回は神保町からだから反対。でも行きつ戻りつがコースだから、反対からでもよくわかる。店構えから、あっ、この店だとわかっても、なぜかほとんど店名は憶えないのも不思議だけど、それで何も困らないのだから店名なんかどうでもいい。それだけ外見そのものが変わらないということだが、看板には「自然科学」って書いてあんのに実はなぜか文学書が充実したりというのは、ある意味、店の歴史に忠実ということではなかろうか。

いつそこに来たのか、いつ次の場所に行くのか、ひょっとしたらずっとこの場所を、目玉が飛び出すほど地価の高い都心の一角を動くことはないのではないかというずらり並んだ背表紙は、ただ「商品」と呼ぶのではもったいない。ううむ、こんな本があったのかほしいな、という本があっても、静かな空気の店内で立ってるやつらはちょっと資金もないので見送って、店の外、2月の青空に向けて背中を甲羅干にしてる、100円、200円のやつらをずらずらと調べていく。でも、すぐには買わないぞ。全部回ってから、あそこのあの本を買おうって戻るのがいい。といってもヘンデルとグレーテルのように小石を落としていくわけにはいかないから、「松田道雄 1970年」などと記憶にメモしただけで次の店に移っていく。

それにしても、この心の寛ぎ、愉しさの正体は何だろう。
この感じは、たまに林に行って、いわゆる森林浴で酸素を一杯吸い込んだ時に似ている。少なくとも靖国通りの空気が、内臓にいいわけはないのに。あるのは古い「字」と「紙」だけ、「じ・かみ・あび」といっていいかも知れない。
住んでいる市で本屋に行くとしたら、今はT屋書店がもっとも大きい。昔ほど書店に行かなくなったが、それでもさすがに時々は雑誌や新刊を買ったり、自分の仕事した本の様子をみに行ったリのために行くことはあるが、どうにもなぜか息苦しさを感じて5分くらいで出てしまうことが多い。でも、この古書の森なら朝から一日中だっていたい。

きっと、どうやったら売れるかというけしかけられた感じ、ピカピカの店内、若い元気のいい店員、工夫を凝らしたPOP、見つけやすく売行きを計算し尽くした書棚配置、そして何より新刊書自体の過剰な装丁や考え抜かれたタイトルが、私が感じている息苦しさの原因なのだろう。そしてもちろんそれらすべては多くの富を集め、携わる者が幸福になるための、資本主義では正当な努力であるという点がかなしい。

一方、靖国通りの歩道にはみ出した段ボール箱の中の100円、200円。やつらは「商品」には違いないが、一度か二度、誰かの手にあったこともあってか、本人のやる気如何でなく期待されていない。ほしいなら買って行けば、安いよ、とばかりに著者名も出版社も関係なく箱に入れられて、のんびりと誰かの手に抱かれるのを待っている。
もし私がたとえば、1988年発行の岩波文庫、別役実『当世・商売往来』だったとしよう。だったとしたら、T屋書店で売れろ売れろと気合を着けられて清潔なだけの店内になんか置かれたくはない。もっと前の先輩やら、最近売れた若いのやらいろんなやつといっしょに、背中を青空に向けている方がどんなに幸せだろう。
そう思いながら靖国通りを一往復。困ったことに天ぷらを食べた後は、持ち合わせが700円しかなかったが、それでも買う本は決まって3冊購入。しかし、その後駅に向かったところで「りそな」のATMがあったので資金を追加して、合計7冊を手に入れた。ここで紹介しよう。

●『この金色の不定形な液体』田村隆一編(1979)
 酒の讃歌。編者のほか、吉田健一、辻邦夫、内田百、植草甚一らが名を連ねる
●『俗ニ生キ 俗ニ死スベシ 俗生歳時記』福田和也(2003)
 エッセイ集。いろんなものを書く著者だか、こういったセンティメンタルなエッセイは一流。もう半分くらい読んだ
●『時間と自己』木村敏(1982)
 昨年読んだ『時間はどこで生まれるか』に出てきたので。精神病から時間を考える。半分くらい読んだ
●『東西/南北考』赤坂憲雄(2000)
 民俗学を現代でどう成り立たせるかという著者の試みには興味がある
●『当世・商売往来』別役実(1988)
 前に新聞で読んでエッセイのうまさに興味を持っていたので。すでに読了
●『私という現象』三浦雅士(1981、文庫1996)
 ずっと前から読みたかった
●『ネコのこころがわかる本』M・W・フォックス(原書1974、日本版文庫1991)
 初めてみたが、モノクロの写真が20年くらい前のブルーバックスみたいでよかったので買ってしまった

7冊をバッグに入れて駅への道を歩き出し、名前は知らない旧いもやから駿河台坂へのショートカットの道で、そういえばと学生時代によく行ってた、当時は貸しレコード、今は中古店のジャニスを思い出し、何となくこれも外の箱の中のCDをみる。おお、これもこれもと自己所有のアルバムを200~300円で15枚は見つけたがそれはそれ。その時は必要だったし、それをきいてきた10年くらいは1800円分くらいは楽しんだ。CDを見ていると学生時代には考えられなかった携帯電話がうなり、まだ神田ですか、やっぱり事務所に寄って下さい、とOさんがいう。

……陽だまりの事務所。2月というのにYさんはすでに半そでだった。
塾OBでもあるI君が、先生最近何読んでんですか、というので、おう、今これを買って来たぜと、みんなで、「あっ、この木村敏って、うちの大学の先生ですごい人気でしたよ」とか「福田和也いいですよね」とかいろいろ話し、「電話の時はジャニスにいたんですよ」というと、「ああ、あそこはほかにないレコードがいっぱいあるんでよく行きましたよ」とオーバー36はみんな知っていて、20代半ばM君が、「こういう世代がいる間は、そういう店はあるんでしょうね」と笑う。それはいい気持ちの2月の午後。

帰って最初に開いたのは、ラーメン屋で福田和也。40歳になった時のナポリ行を語った冒頭「一月」は能村登四郎という俳人の次の句で終っていた。

傷なめて傷あまかりし寒旱
        (かんひでり)
       ―能村登四郎―

(BGMはニール・ヤング『Silver&Gold』~カエターノ・ヴェローゾ『オルフェ』)

ずらり7冊。みんなうちで知り合った。


当該週:
読書で抱っこのティー


これはけっこう庭で目立った


これも本日3月15日

ここなら風も当たらない。枯草のふとんはあったかいかオルティーズ
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『ヘイ・“ニ”ジュード』

2008-03-11 19:42:45 | 週間日記
「2月の夕陽」は「8月の線香花火」の生まれ変わりか。

2月13日近所で撮影

よし、追いつこう。「3週間前日記」

●2月
11日(月)原稿+競馬
12日(火)恒例電話取材~原稿
13日(水)朝、同級生でM君母でもあるHさんから合格の知らせ。おめでとう~原稿~隙を突いて伊勢崎MOVIXでF・オゾン新作『エンジェル』はすばらしく、これもベスト5候補。帰り、麺八食堂とやらでラーメン~出張授業ではチョコももらった
14日(木)塾で合格の中3M君と話す~何か不調になって塾でうなってたら、病院から電話で姉の息子が入院したというので行く~盲腸らしい
15日(金)夕方に急遽の撮影
16日(土)昼は撮影~甥、抗生物質で盲腸はOK、月曜退院らしい。「ちらす」というのは抗生物質のことだったと知る~マグカップ引換券をもらったベスト電器に行くが、4つのところ、品切れなんですと2つになる。もちろん贅沢はいえない
17日(日)原稿~夜は地元若者のMixi知り合いと飲むというので、自転車で石塚・家蔵へ。いい時間だったが、帰り、風は冷たい

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今回のおまけはまた長編が書きかけだけど、あまりのいい天気に今日の行動に差し替え。

ついに気温は20度に。
昨夜みに行った『潜水服は蝶の夢を見る』はすばらしい作品で、興味深い点はいくつもあるが詳しくは別の機会に。ここで一つあげれば、欧州映画ではめずらしくない、陽光との付き合い方だ。
左眼以外を失った主人公を、病院スタッフはじめ周りの人々はいつも草原や浜辺など周囲の自然に連れて行く。北フランスだというベルク海岸の光と風の風景。自然に親しむ国民だったはずの私たちは、あまりにもサッシの中にい過ぎてはいないか。
と思って、朝からの仕事が一段落した昼。お午の前に、外へ出かける。

まず、2週間前の水曜に買って「霜が降りなくなってから」というアドバイスで前の日曜に植えた花が、昨日の雨もあってか大きく開いていた。


陽の届かない裏では、ふきのとう組が少しぼんやり。


こんな天気は味わわなければもったいない。ビールもどきと福田和也と畑にビーチベッドを持ち出すとティーも乗っかる。ひょっとしてこの瞬間、世界で一番幸せだったかも知れない。


ちょっと仕事が追加だったのでいったん家に戻って、お午は昨夏残りの五木の冷やし中華で、そこらへんの白菜を茹でて載せたのがまだ彼岸前。


午後の仕事が終ると、つい車の中で缶からこぼれたトマトジュースがついた、ジャック・パーセルを洗った。いい加減な家なのでだいたい一周するとタワシくらいあるのだが、今日は見当たらず手で洗ったのであまりきれいにはならない。

『ヘイ・“ニ”ジュード』。
ジャック、「“サン”ジュード」「“ヨン”ジュード」が来たら裸足で履くから軟らかくなって待ってろよ。


ついでだ。
月曜には雹が降り、


日曜、アンシャンテ、レディ・バード


こっちは当該週。
抱いてたら迫ってきたのでのけぞり撮影。


こいつは意外に気が早かった


影もだんだん短くなってるよな


(BGMは『ヘイ・ジュード』も収録ビートルズ「1」)
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その後の、『ぽてとや 春』

2008-03-08 10:20:35 | 週間日記
もうこんなにあったかいから、雪が降ったことなんかおぼえてないよな、ティー。
2月5日撮影



まずはこれ、もう一月前日記じゃないか。

●2月
4日(月)昼は家で仕事。途中、雪で延びた競馬~塾で中3M君の面接スペシャルはコンピュータ界の話なども~送っていく
5日(火)好例電話取材~原稿~同級生M君宅でイカを食べる
6日(水)原稿~出張授業
7日(木)原稿~晩は塾
8日(金)合間を縫って伊勢崎MOVIXで『フローズン・タイム』~『ラスト、コーション』。途中、時間あったためアイドルタイムゆえにラーメン難民としてさまよった末に近場の会津で餃子とセット。『ラスト、コーション』は今年度No.1最右翼。『フローズン・タイム』もベスト5なら~塾
9日(土)昼は撮影~同級生M君宅に。赤ちゃんとともにN君一家も
10日(日)昼は仕事~晩は塾

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さて、今回の付録は“3月”の1、2日。先週の土日の「ぽてとやちゃんぽん」話を、本人承諾のもと、ぽてと姫のメールを交えてお届けします。

前回のプラモデル1号製作は2月28日。前回お伝えしたようにぽてと姫にキャベツの“水出し”はするのかと送ったメールには、忙しい昼時を終えた頃に返事が来た。

●28日13:31
 キャベツは、焼きそばに使うのですか。うちは水きりはしないですよ。

少し後に訂正。

●28日13:33
 あっ間違いました。水きりではなく、水だしでした〓(引用者注:「電球」の絵文字)

キャベツの水出しについては、悪名高い「あるある大辞典 餃子」の回で名人たちが白菜やキャベツを塩で水を出してから使うといっていたので、ほうと思いその後は採用しているからでしたが、検索してみると「キャベツ 水出し」はヒットせず、「水切り」が正しいようですね。失敬、姫。

というわけで前回は記事もメールで事前に送ったら、返信は次の通り。

●28日16:47
 うわっ〓ぽてとやの記事が立派に書かれていてびっくりしました。うちのチャンポンなんてたいしたものではないのに、なんだか気恥ずかしいような感じです〓
 先生、チャンポン作ったんですね〓そうそう、メールは仕事してたので午後に読みました〓でも水出しはしないで正解だったのでよかった〓
 写真で見た感じだと、うちのと変わりないですね〓先生バージョンのチャンポンも食べてみたいです〓
 麺はお湯をかけてフライパンでよく焼かないと柔らかくならないと思いますが、大丈夫でしたか。
 〓(引用者注:「ねこ」の絵文字)には、チャンポンはあげない方が良いと思います〓塩分が入ってる物はさけたほうが〓

というわけで、写真だけでは姫も認定。それにしても、まわりがすごいすごいいっているのに、現場スタッフは「たいしたものではない」「気恥ずかしいような感じ」とはまたすごい。ただ、つくれるものをつくって出しているだけなのだ。

いつものように長い前ふりの後、いよいよここから3月1日、プラモデル2号の話。
前回1号の反省としては、本物のように全盛期のバティステュータのシュートのようなずしんと来る手ごたえががないこと。肝心のぽてとが入ってないのだからしかたがないが、さすがにこのために油鍋をラードで満たすのは無理がある。そこで思いついたのは、焼きそばとともに縁日の屋台で活躍する「じゃがバター」だ。前回と同じように寄って来るねこどもをかわしながら、ただ2日分だけ芽が伸びたじゃがいもを取りに行き、まったく同じようにしゃかしゃかさくさく茶わんに入れてレンジに入れるが、今回違うのは、Mト君奥方もご推薦の生協購入北海道「よつばバター」が混入されている点。レンジのちんも、バターの分だけトラのようにたくましい。
おお、何とかほくっ。どれどれと一切れ味見をしたら、前回と同じくラードと麺とキャベツとソース。少しだけ進化したぽてとやプラモデル2号ができあがる。

ここで思い出して歌ったのは、4月に「風」復活もある心の師、伊勢正三『Musician』の1番ラストの一節をちょっと変えて、

♪それより 君の今夜の《ぽてとやーちゃんぽん》
 またすこし どこかが違うというのかい
             《原詞は「Poteto Salad」》

ファンの中で伊勢曲世界でももっともドラマチックで切ない名曲『あの唄はもう唄わないのですか』の続編ともいわれるこの曲は、『あの唄』とはまったく別の幸福感に満ちた佳曲。そうだ、ぽてとやちゃんぽんのつくり出す世界はこの歌によく似ている。

と、完成したところ、バターのにおいに反応したかねこどもが集まってきたので、ほい、とやってみる。



おお、食ってる食ってる。


ただ、市井の科学者でもある作成者としては、わずか2つのサンプルだけでこれを「よつばバター」の功績とするのは控えよう。ただ単に前回は、腹いっぱいだっただけかも知れない。何しろやつらねこだ。
なお、すでに引用したように姫はねこにちゃんぽんを与えるのは反対したことを付け加えておくが、「健康」と「おいしさ」はいつも少しだけ食い違う。

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そして翌2日日曜は、市内で「深谷シティマラソン」というのがあり、同級生M君はじめ知り合いが何人も出場したので、せっかくだからとほかの人々と応援+写真を撮りに行き、午後はその打ち上げとして、都内からお越しの美人ランナーをゲストに迎え、Mト君一家、Hさん一家もまじえて、駅近くぽてとやに行って、すみません姫、持込ビールとともに、本物ぽてとやを食べる。

みそぽてと


それが混入のちゃんぽん


ついでに登場、途中散歩に出かけた姫の愛わんこCherry


ぽてとやを愛してやまないMト君が、初ぽてとやの美人ランナーに感想をきく。ハーフ20キロを走り終えたばかりの疾走者は“ラードの芸術”をお気に召したという。
今回きき直して、忘れていた『Musician』の2番、つまり歌のラストはこう結ばれていた。

♪それより 君の今夜の《ぽてとやーちゃんぽん》
 幼い頃の同じ想い出にあわせて
             《原詞はもちろん同上》

うれしいのは私やMト君が中学生の頃から食べているのと同じ味が同じ場所で食べられるということで、知らない人にそれが喜ばれると、またさらにうれしくなるということ。しかも、つくってる親子が、それをたいしたもんでないといいながらのところがまた幸せだ。

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かけがえのない時間から帰って夕方、窓の外では、タンゲゲンタとオルティーズが並んで西の方を見ていた。



ではここにも、伊勢正三のすばらしい言葉を置こう。ちょっと季節は早いけど。

♪もしも沈む夕陽に間に合えば
 ただそれだけのこと
          (『湘南 夏』)

そうだ、これは『ぽてとや 春』

(本文、BGMは土曜朝のお楽しみ。NHK-FM ピーター・バラカン~ゴンチチ)
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「はる ソーラー そら パワー」

2008-03-07 08:30:19 | 身のまわり
たまには「週間日記」も休もう



こうやって気持ちよく寝そべれないとしたら
それは“文明の罰”かもしれない

たまには横になりたいだろ
エレクトリシティのてっとう君 でんしんばしら君

ああ ごめん 君たちは“共犯者”だった
いや “被害者”だったか

でも ねこも てっとうも でんしんばしらも にんげんだって
いっしょに じゆうに 楽しめるはず

 はるの おひさま と そら

(BGMは伊勢正三のソロ1st『北斗七星』)
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