小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

レイ・デイヴィス "other people's lives"―もう初期だけだなんていえない

2006-09-29 23:27:36 | 音楽
今日は音楽。きいたのはずいぶん前の今年度1、2を争う愛聴盤です。

私にとってキンクスは、オールドロックの中でビートルズ、レッド・ツェッペリンとも並ぶ重要な存在。実験的精神とサウンドが魅力の後2者に対し、歌としてきくのがキンクスだから、仕事をしながら一緒に歌う特集も年に何度もある。
また他2集団に比べ、活動後期に魅力的な音源がないことを残念に思っていた。私はビートルズなら青盤時代の方が、ツェッペリンの後期にも前期の勢いに負けない円熟がある。実は本格的にキンクスをききだしたのは遅いのだが、80年代のキンクスをきいて物足りなさを感じることは何度も。それだけ初期のキンクスの魅力が大きいともいえるが。
そこに、キンクス名義からでも13年ぶり、レイ・デイヴィス、ソロ名義としては初めてのスタジオ新作である本作の登場。このところ旧作のライブなどしか出ていなかったし、こういうキャリアの長い人が久しぶりに出すアルバムにはいやあ、と首をひねるだけのものも多いからやや不安もあったものの、1曲目からひきつけられっぱなしの13曲だった。
歌がいいのはもちろん、ギターがいい。近年は生ギター一本で歌うことが多いレイ・ディヴィスだが、そんなライブで鍛えた勘所のつかみ方が思う存分発揮され、楽器こそ違うがこれまた大好きリチャード・ティーのかゆいところに手が届く歌う絶妙ピアノを思い出すほどだ。バックはわりとうるさめだが、それが何かジュールズ倶楽部あたりの番組で“楽団”をバックに生ギターをかき鳴らし歌うようで味がある。M2冒頭のストローク一発なんて何度きいてもうんうんとうなずいてしまい、一緒に歌える歌える。
『ウォータールー』や『デス・オブ・ザ・クラウン』のような曲はもちろんない。目新しい何かがあるわけでも。だが元気でこれだけ味わい深いアルバムを何年かおきにきかせてくれれば、もうキンクスは初期だけだなんていえない。後はキンクス名義の新作と、未だ経験のないライブに触れたいだけだ。
"see my friends" "waterloo sunset" の作者らしいタイトルにも好感。

4月23日初聴 アマゾンで購入

(手元に盤がなく、BGMはJ-WAVEの100年後の1曲特集。素晴らしい企画と思う。改編でラジオの番組が終わるのはなぜこんなにさびしいのか。テレビではこういう感情はわかない。自室のアンテナをねこどもがちぎってしまったので、今朝は8:30に起きてジョン・カビラ最終回を車の中で聴。自分の番組が始まってからのクリス智子にもらい泣きの曇り朝)
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宮本常一著『忘れられた日本人』―私はいったい何をしているのか

2006-09-28 23:57:03 | 読書
そろそろ通常ペースに戻って順番で読書記録。前回、「毎日楽しいことは多いし、それほどいやなこともない」と書いたばかりですが、一月前に読んでそんな毎日に疑問を叩きつけられた一冊です。底本1960年刊の本ですが、今年自分で読んだ中ではベスト1有力候補。

読んで思った。現代人は、というより、私はいったい何をしているのかと。
例えば地球の裏側で行われているボール遊びを一大事と考えて大騒ぎしたり、ききとれもしない言葉で歌われる歌に現を抜かしたり。21世紀の日本に生きることで得られるこうした愉しみは、私にとってかけがえのない大事なものだ。だがわずか50年遡ったこの国には、これだけ強烈な日常があった。現代人は「退屈な日常」を常套句として安易に使っている。だがそれはただ退屈だと思っているだけ、つまり「退屈という物語」に冒されてるだけではないのか。
何夜も何夜も全員が納得するまで続く直接民主制、対馬の「寄り合い」。こんな人がどうしてと驚くばかりの馬喰モテ男「土佐源氏」では、「盲目にのう、盲目になって、もうおっつけ三十年が来る。ごくどうをしたむくいじゃよ」という告白をきいた時の著者の驚き、どうやってこの物語を残そうかと興奮がありありと伝わってくる。「日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験を持った者が多い。村人たちはあれは世間師だといっている」、「村里生活者は個性的でなかったというけれども、今日のように口では論理的に自我を云々しつつ、私生活や私行の上ではむしろ類型的なものが見られるのに比して、行動的にはむしろ強烈なものを持った人が年寄りたちの中に多い。これを今日の人々は頑固だと言って片付けている」という「世間師」は、今まで知り合った何人かの人々の性向を考えるに、ぱちんとはまって心の中でひざを叩いた概念だった。
そして、「文字をもつ伝承者」たちの学問への信仰ともいえる真摯さや、意外に思える広いネットワーク。これは例えば知性に重きを置くことでは辟易とさせられることもあるフランス人たちとは違って、古くからの共同体に輸入の西欧的知性をソフトランディングさせることがうまくいっていた条件ゆえの、幸福な知性のあり方だと思う。
訪ねてきた著者を心配だからと、山を越えて隣村に歩いて行く伝承者たち。村社会のリーダーとしての矜持と、日本人らしい思いやりの心は、まさに「忘れられた」人々なのだろう。その美しい暮らしが、どんなに著者をひきつけていたかがよくわかる。
といっても、私は一人、自宅で今夜も昨日録画したチャンピオンズリーグをみるのが楽しみでしかたないのだが。

(BGMはJ-WAVE。番組改編がさびしい季節でもあります。おお、今 "two of us" が、と思ったら、これビートルズじゃないぞ)
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どこまでも 竜宮城の 高瀬舟―"Oh, yes, it is."

2006-09-27 12:00:05 | Weblog
雨の昨26日は43歳の誕生日。身近な人々に焼肉で祝っていただき、幸福な晩を過ごすことができました。ありがとうございます。

ということで、節目の日なのでテンプレートを変更。この「家具 素材/コットン」は前回に使おうと思ったのですが、秋~冬の方がふさわしいと思って待っていました。
内容としては、なかなか宣言通りに進まないのはしかたないところ。読書・音楽・映画の未レビューはたまる一方ですが、これらについては無理するのはやめて、書きたいものだけ書いていければいいと腹を決めました。「今日のテキストリンク」も数回で中断しましたが、それも同様で。

それにしても、この43歳という時間。数年前から、世の中は何か竜宮城のようだと思っています。それなりにですが毎日楽しいことは多いし、それほどいやなこともない。こんな感覚は20年前の若い頃には思いもよりませんでした。
満足することは決していいばかりではありません。けれども、「おまえそんなのでいいのか」ときかれても、今なら「へえへえ、そうでございます」と応えるでしょう。中学校の国語で読んで今もたまに考える森鴎外『高瀬舟』の罪人の心持でも。
どこまでも 竜宮城の 高瀬舟

(写真はそういえばねこの横顔は撮ったことがないなと気づき、ひざ上にきたちょうちょの横顔。BGMは気分のいい時にきく一生の一枚。キンクス、シングル・コレクション。Now Playing は、独特のタイム感がいっしょに歌いたくなる "set me free" から突き抜けた観察眼にたじろぐ "see may friends"。この2曲、タイトルが秋雨にしみます。と思う間に "dedicated follower of fashion" は "Oh, yes, it is." の掛け声が楽しい)
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さんまが光ってまっすぐなこと

2006-09-25 17:35:48 | 週間日記
何ともいえぬ夕暮れ。月曜に更新できた先週日記です。

18日(月)昼は撮影で関係者W君に「山岡家に来て下さいよ」と誘われたので18:00頃行ってみるが会えず、また次回。その前に前夜の続きでチェルシー:リヴァプール。アーセナルと「COMBOS」という一種の連勝約20倍を500円買ったが、またしてもチェルシーのやつらにじゃまされる。夜は少し買い物。フットサル帰りの同級生M君に誘われ原郷・あばらやへ。祖父の命日で帰って自転車で墓参り
19日(火)昼、電話取材。夕、塾でたまった新聞を一気に
20日(水)昼、原稿。晩、出張授業
21日(木)同級生M君誘い伊勢崎MOVIXで『ユナイテッド93』『ブライアン・ジョーンズ』の2本立て。終って風っ子大将で雷ラーメン2番
22日(金)昼にシャワーでリヴァプール:ニューカッスルをみるも途中着眠。起きて自宅映画67年豪華監督競作の『世にも怪奇な物語』。塾にいたら電気関係のOB・T君が来てシャープ亀山工場の話などきく。母の命日で帰宅後、スケジュールの関係でまず弟と、さらに姉の息子とその友人と2回深夜の墓参り
23日(土)昼、撮影。せっかく本庄に行ったので、帰り大勝軒で中盛ラーメン
24日(日)とくに仕事なし。競馬はオールカマー、3着ディアデラノビア印つけず不覚で2万円取れず。晩は塾に行って仕事しようとするが、阪神・福原の好投に見とれ、しばらくしたら寝てしまって、目が覚めるとJ-WAVEでは今週いっぱいのJ-WAVEジョン・カビラ氏が叫んでいて

けっこう余裕あり、一番好きな季節の素晴らしい空気を堪能。いい一週間でした。
秋が深まるこの時季は、だんだん静かになることにかえって、ほかにないときめきを感じるのはなぜでしょう。
さんまが光ってまっすぐなことは嬉しい限りですが、この喜びに何か関係があるのか。

(写真はさっき夕方の庭でねこどもを追いかけていまいちの絵が続いた中、振り返ると灯篭に上っていたティーを。BGMは棚で目についたロバート・ワイアット "compilation"。こんないい夕暮れには、本当に好きな音楽しかききたくはありません)
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“認定”、イカの塩辛と餅―母21回目の命日に

2006-09-24 17:33:57 | 身のまわり
美しい空の一日で、J-WAVEの天気アナも「めったにない好天です」。こういう空を見ていると、「杞憂」という考えを持った古代中国の人々に共感できます。
22日は母親の21回目の命日。昨年(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/f0865ad2844402576c5aaaef851de89a)に引き続いて、思い出というか考えたことを。こういうことを考えられるのも、ブログというかたちあればこそでしょう。

いつからか母の命日は弟と帰ってからの深夜、日付だとだいたい翌23日に墓参りに行くのが恒例になった。5年前からは家に住みついた姉の次男も、家にいなかった昨年以外、姉の代理として参加している。
一番いい時季の夜中の墓場は、風もひんやりして気持ちがいい。今年は弟と一度行ってから、帰ってきた甥とその友人一名と「よるーははっかっばっでうん・どう・かい」に出かけた。
墓前に供えるのは好物だったイカの塩辛と餅。ふだん家にないものだから今回も帰りにベルクで買ったが、そういえばと、この二品が選択された経緯を思い出した。

何だかわからないうちにくも膜下出血で倒れてからわずかのうちに死んでしまった母。今より若かった私たちも、まだ肉親の死にも馴れていなかったのだろう。死の翌日にも、どうしたらいいかわからないきょうだい3人はなぜか揃って髪を切りに行ったりし、夜はこういう非常事態の常として父親が大いに酔っ払って寝てしまった後、大学生の私は姉と酒を飲み、高校生だった弟はレコードなどめったに買ったことのなかった母が買った記憶の中で唯一のシングル盤である『北の宿から』などをかけていた。
好物がイカの塩辛と餅に“決まった”のはいつだったか。家族以外にも墓参りに行く死んで間もなくではそういうことにならないから、一年くらい経ってかも知れない。
おそらく、墓前に好きだったものでもあげようと思ったはいいが「何が好きなんだっけ」ということになり、確か姉が「塩辛。よく食べてたよ」と、餅の方はちょっとそうした状況にいるとは考えにくいが父が「餅。いっしょにそば屋に行くと必ず力うどんを食べてた」といっていたような気がする。私としては、死ぬ数年前にめったにないことながら、姉の家で母のおごりでうなぎ重の店屋物をとり、たまにはうなぎでも食べたいがあまり好きでないのか父がいい顔しないからつならないので食べないといっていたのを憶えていたが、うなぎはちょっと高いのでやめておいた。
つまり考えてみれば、母の好物は“捏造”したといっては言い過ぎだが、実際は残された家族の協議の結果、イカの塩辛と餅に“認定”したのだ。
しばらくあまり考えないで「好物はイカの塩辛と餅」ということにしていた私は、この事実に気づいて今更ながら愕然とした。当時22歳だった私は、母の好きな食べ物すら把握していなかったのだ。
だいたい姉や父の発言も、まったく推定の域を出ないではないか。一生のうちある食べ物を集中的に食べるということはよくあることで、例えば私などは今年の冬は集中的にヤマトイモを食べていたし、外食ではあんかけ焼きそばばかりだった時期もある。その頃にたまたまよく見かけていたに過ぎない甥かなんかが、私が死んで何が好きだったかときかれ、やつはヤマトイモばかり食っていたといったら、私としては、いや、あの時は確かにそうだったが、実は人生全体の中ではそんなに好きだったというわけではないんだといいたくなるだろう。まあ、死んでしまった後だからどうでもいいが。
「墓前には好物を供える」という「物語」、「箱」のようなものが先にあり、何を供えるか、つまり「中身」の方が後にくるというのはよくある話だ。ずっと前、音楽に興味がなくサッカー少年だったS君がほかの生徒が好きなアーチスト、確かスジャダラパーかその辺の新譜を楽しみにしているという話をきき、「いいなー、オレもそうやって自分の好きなのの新しいCDを楽しみにしてえ」といっていて驚いたことがある。考えれば中高生が「カノジョ/カレがほしい」なんていうのは、好きな誰かという「中身」より「箱」の方がほしいことがほとんどだ。こうした行動形式は基本的に幼稚なものだが、ある段階の人間には必要なことにも思われる。ただ、ずっと「中身」でなく「箱」だけだと困ると思うが。

話がそれたけれども、問題は母にとってイカの塩辛と餅が上位だったかどうかということより、私がそういうものをわかっていなかったということなのだ。22歳にとって親なんて疎ましいだけの存在とはいえ、当時の私は母親になんてほとんど関心がなかった。それはしかたがないといえばしかたがないが、やはり心苦しい気持ちは消えない。

母よりずっと後に、90歳を過ぎて死んだ祖父母の場合、より多くの時間、その人生に触れられたし言葉もたくさん交わしたから、こういうのもおかしいが十分という思いは強い。だが母の場合は何もわからず何もしないままいなくなってしまったから、半分だけ読んでどこかへいってしまった本のようなすっきりしない思いが残っている。
生前、母には文句ばかりいってた父親似の姉も、最近は母に似てきたとよくいわれるという。もうすぐ43になる私は、これで母が生きていた年より死んでからの年が長くなると今年の墓参りの時に弟にいった。われらきょうだいにとっては、まだまだどこかへいってしまった本の中身を考える日が続くのだろう。だがそれは何度も読み返して暗記してしまったほどの本に触れるのとは、また違った味わいがある。

そうだ。まだ手もとにあるもう一冊の本もいるが、こっちは一升瓶を持っていって墓石にかければいいので簡単。ずっと一貫してもずくとかおじやとかそーめんとかばかり食っているが、食べ物にあまり関心がないのはこの夫婦の特徴なのか、それとも戦前生まれ共通することなのか。
もっとも、自分の親に食べ物は何が好きかなんてきくのもおかしいから、こういった場合の「好物」はすべて“認定”でしかないのかも知れないけれど。

(写真は父親が植えた前の畑の青空もっともが似合う花コスモス。BGMは1985年の音楽を調べ、スティング『ブルータートルの夢』はアナログでしかなく見送り、ライブエイドで大活躍のフィル・コリンズのベストを探したが見つからず、代わりに見つかったスクリッティ・ポリッティのその名も "cupid & psyche 85"。最近、ミュージックマガジンでも特集して再評価されているが、こういう音楽が流行っていた頃なんだと感慨深し)
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『ユナイテッド93』―映画的な、あまりに映画的な

2006-09-22 09:55:25 | 映画
今回は映画。いつもは少し時間を置き冷静に考えられるようになってからと思っているのですが、作品の性質を考えて昨日みたばかりのこの作品を

こんなに怖い映画をみたのは、初めてだったかも知れない。
「表現」とは“業”だと思う。自分の企みにかたちを与えることでこころよく思わない人がいるとしても描かずにはいられない、どうしようもなく切実なかたち。その切実さこそが、表現に力を与えるのだ。
誤解を恐れずにいえば、私は「忘れた方がいいことは、世の中にひとつもない」と信じることにしている。「忘れないために」この作品をつくった監督は入念な取材をしたというが、それがどんなに誠実だったかは「as oneself」で出演した関係者が何人もいることで明らかだ。
そして観客に事件の記憶がまだ新しいからこその、圧倒的な映画的効果。おそらく百年後の人間が本作をみても、今私たちが感じている怖さは味わえまい。現在の観客一人ひとりに残っている事件の個人的な記憶。例えばCNNの映像が管制タワーの巨大なモニターに映し出された瞬間、自分があの映像を初めて目にした時の不可解さを、作中人物の数だけ増幅されて再体験することになる。
映像作家はこの悲劇を描くのに、現時点における映像的、物語的な常識を忠実に踏襲する方法を採用した。今やドキュメンタルな映像の定番となった揺れの大きい手持ちカメラ、抑え目の音楽、一見ラフであるがゆえニュース的に見える編集、効果的なタイミングで何度も映し出される操縦桿のモスクやなすすべなく抱き合う老夫婦。こうした手法の多くはここ20年ほどの映画界で深化されたものであり、衝撃的な『地獄の黙示録』を評した蓮実重彦氏にならっていえば「凡庸」な手法なのだ。
だが、凡庸は衝撃を呼ぶ。そしておそらく、こういった衝撃は凡庸な手法でしか表現できない。
物語を排して対象をストイックに描いた点でロベール・ブレッソン、事件との距離の取り方なら『エレファント』、ラストの衝撃なら『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などが私が思い出した先行作だが、これは人によって違うだろうしその多様さこそ本作が伝統的な映画であることの証しとなるだろう。
もっとも印象に残るのは、やはり乗客たちの "I love you."。事件当時新聞でも読んで記憶に残っていたし、本作封切時にも新聞ではこの点に言及していたので私はこのシーンのを待ち構えていたといっていい。だが文字で読んだよりはるかに説得力をもって迫るのが、映画で繰り返される "I love you." だった。こんな状況で選ぶ行動が、祈るより身近な人への "I love you." だということ。何人もの人々が自らが生きた証しにこの言葉を選択したことが、アメリカがコミュニケーションに重きを置いた国であることを証明していて興味深い。映像作家が本作を撮らずにはいられなかったように、彼らは誰かに "I love you." といわずにはいられなかったのだ。
「愛」という言葉が日本に伝わって400年が経ったが、まだまだ私たちは彼らと同じように「愛している」なんていえない。それはそれで悪いことではないけれど。
さらにいえば、とくにメガネの男を通して描かれるテロという行為の不条理。宗教から遠い私なら感じるであろうどうせ死ぬんだという思いがないであろう彼らの行動から感じられたのは、5年前にこの事件の情報に触れれれば触れるほど沸き起こってきたのと同じ種類の虚無感だった。

9月21日 伊勢崎MOVIXで

(BGMは、何となくききたくなったマーラーの2番『復活』。メータ+ウィーン・フィル)
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『ザ・ガードマン』とヴァイオリン~2回目の命日だった祖父の「物語」

2006-09-21 14:49:25 | 身のまわり
18日は1905年、ポーツマス条約の年生まれの祖父の2回目の命日。祖母の七回忌といっしょの三回忌は10日でしたが、18日は外で飲んで車を置いて帰ったので、自転車で深夜の墓に行って線香を立てました。夜の墓場は楽しい。
そんな祖父の記憶から2つの話と、そこから考えたことなど

祖父に関するごく初期の記憶に、ひざの上できいた『ザ・ガードマン』のことがある。
おそらく3、4歳の頃ではなかったか。きっと何かの拍子で当時の人気ドラマだった『ザ・ガードマン』をみただろう私は、確か夜9時半からやっていたこの番組をいつもみたがった。しかし幼児にとって9時半は遅い。いつも寝てしまい、翌朝に『ザ・ガードマン』をみなかったと、だだをこねることがしばしばだった。
そんな時、祖父がやって来て、じゃあ、おじいさんがどういう話か読んでやるからな、といって私をひざの上に乗せ、前夜の新聞の番組欄にあるあらすじを読んでくれたのだ。まだほとんどの漢字は読めなかったはずの私は、ひざの上からみた新聞の、今とあまり変わらぬ5行くらいの文字のかたまりと、その先頭にある「ザ・ガードマン」のカタカナ、記憶の中ではもっともはっきりした祖父の声、そしてそのどう考えても3分ほどだったろう朗読をきく時間が放送の1時間と同じくらい長い時間で、きくうちに不満が溶けていき、おだやかな気持ちに変わっていったことだけを憶えている。
宇津井健や神山繁が出ていたことを知ったのはきっと、もっとずっと後からで、例えば『キーハンター』や『太陽にほえろ』と違って『ザ・ガードマン』のストーリーでおぼえているものはひとつもない。ダーンダッダ、ダダーンダ、ダーンダッダッダーンといテーマ曲くらいだ。

もうひとつは祖父のヴァイオリン。おもには私が高校の頃の話だ。
あまりぱりっとしない農夫だった祖父には、意外にも若い頃ヴァイオリンを弾いていたという説があった。近所の人や祖父の甥らの話によれば、ヴァイオリンで祖母をなびかせただの何だの、息子である父の話では、いやあれはヴァイオリンじゃなくビオラだったとか、ヴァリエーションはいくつもあったが、どうやら何らかの弦楽器を弾いていたというのは一致してしたから、まだ十代だった私も、なかなかおじいちゃんもやるもんだと、でもその頃の様子からは想像できんなと思っていた。
そして私が高校に行っていたから1980年頃。娘である叔母たちが何かの機会に祖父にヴァイオリンをプレゼントし、いよいよ祖父の演奏が明るみに出ることになった。
明治生まれが昭和の最初頃に弾いていたはずだから、少し後によくみることになる久世光彦の向田邦子ドラマに出てくるサラサーテのような音楽を思い描いていた私であったが、祖父の演奏はまったく思いもよらないものだった。弓を使うことはほとんどなく、ギターやマンドリンのように抱えて親指でピチカート。曲目は「もしもしかめよかめさんよ……」などとやっている。これにはびっくりすると同時に少し安心もした。
いくら何でも「もしもしかめよ」では、明治生まれの祖母といえどなびくとは思えない。当時75歳くらいだったはずの祖父が懸命に「もしもしかめよ」を弾き語るのはそれはそれで趣きがあったが、人々が語っていた伝説はどうなる。いや、今は75歳でわけわかんなくなったから「もしもしかめよ」なだけで、昔はサラサーテだったかも知れぬ、とも思ってもみたが昭和の祖父のプレイはきけず。当時、最初のエレキギターを買ったばかりでジミー・ペイジのボーイング奏法に魅せられていた高校生の愚かな孫は、祖父が寝たすきにケースからほとんど使われていない弓を取り出して、ペイジとは違うトーカイ、ストラトキャスターの低音弦をギコギコと擦ったものだ。
それから少し経って、祖父は誰かのところにヴァイオリンを持って行ってそれきり返って来ず、祖父は当時「ガゼット」と呼んでいた機械で『祝い舟』なんかの歌手活動に転向。「もしもしかめよ」は忘れ去られた。

今、この二つの出来事を思い出して考えてみる。果たしてどれだけのことが“ほんとう”なのだろうと。
何度も繰り返されたような気がするひざの上の『ザ・ガードマン』は、何回くらいきいたのか。当時は六十代半ばだったとはいえ、後の話ぶりからすると、あまり血なまぐさい『ザ・ガードマン』を語るにはふさわしくない、「んー、こういうわけでありますから」調の祖父に語られたストーリーに何を感じていたのか。果たして昔を知る人々は祖父のヴァイオリンをきいたことがあったのか。

大事なのはおそらく、「ほんとう」でなく「物語」なのだと思う。
私にとっては、ひざの上できいた『ザ・ガードマン』という幼少期の穏かな記憶の物語。人々にとっては、祖父が意外にもヴァイオリンを弾いたという意外性の物語。
「物語」が何かというのは、私にとって一生のテーマのひとつだ。そしてその答えのひとつとして、人の生を活性化する「意味の連なり」という言葉を考えている。だからしばしば「物語」は「ほんとう」から離れ、独自の意味を騙り始めてしまう。

そして「もしもしかめよ」から20年が過ぎて、もう前の畑をいじることもままならなくなった祖父がつぶやいた、「今はこうやって畑に座ってみてるだけでいいんだよ」。この言葉も確かに「ほんとう」だったと思っているが、それをこうやって語ったとたんに「物語」になるほかはないのだろう。
祖父の99年と同じくらいに、きびしくて滑稽で尊い「物語」。

(写真は2年前まで祖父がいた畑。父が植えたサツマイモが繁って、何があるかは変わっても「場所」自体は変わらない。BGMは祖父の5年後生まれのジャンゴ・ラインハルト。名コンビ、ステファン・グラッペリのような華麗なヴァイオリンを弾けたら祖父もかっこよかったのだが、グラッペリにネギはつくれまい)
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きれいな色の9月の暗がり

2006-09-18 21:07:06 | 週間日記
雨が続いて更新開いて、間なしの先週日記です。

11日(月)昼は帰省した姉につき合い、晩は電話取材。夜、長時間仕事の構えでまずカレー食べたくなり場所に迷い全店でも史上初の籠原・すき家。しかし初めてだからとメインの牛丼食し、思えば単独牛丼食は多分20歳頃までさかのぼらねばないだろう。といっても大した感動あるはずなく、塾でPCを前にしたらここ数日の疲れが出たかすぐ寝てしまう
12日(火)帰ってシャワー後にアーセナル:ミドルスブラ。思った通りロシツキーはいいアクセントになる。夕、同級生M君&長女と同窓会の写真を届けに近くのF先生宅に。その後、M君で飲食。共同体、坂東眞砂子氏の話など
13日(水)いったん起きて「ただ帰ってきた」松井を寝ながら見て、再起床後の昼は快調に原稿。晩、出張授業では帰ってきた同級生K君と話す。夜は籠原に期間限定出店の九一麺でとんこつ醤油。あまり期待していなかったがけっこううまく、吉祥寺・ホープ軒を思い出す。移る前に何回か来よう
14日(木)シャワーでCLハンブルガー:アーセナルはロシツキのミドル見事。その後よく働き、晩、豊里・永来でタンメン。塾に行って原稿続ける
15日(金)帰って原稿書くが途中力尽き、起きて完成。CL、PSV:リバプールは目当てのクライフェルト出場なく途中で寝て、起きて自宅映画、韓国『ペパーミント・キャンディー』は秀作。塾に予定の中学生M君の他、大学生F君、OB・Y君も来る
16日(土)前夜は少し飲んだので塾で寝て、起きて帰りにトマトジュースなど買いに業務スーパーに寄ると、前夜差し入れを持って来て話した同級生のHさんがいてお互い笑う。シャワー後、CLリヨン:Rマドリーを半分。午後から撮影で終了後、籠原・福龍。この日の味噌大盛りは味気なくなかった
17日(日)晩は俳優めざすOB・K君の公演をみに中目黒へ。しばらくぶりのほかOBにも会う。着いてまずキングコングでヤンニンジャンラーメンはまあ平凡。芝居はね、いい古本屋があったので70年代刊のフランス映画の歴史と文庫2冊購入。さらにうまそうだったのでぷかぷかという店でビール+塩ラーメンはメンマなどよくできてはいるが、おいしかったのは変わったグラスに入った水で何倍も飲む。早めに帰り生でマンU:アーセナルは右手高く

やたらと蒸した前週から一変。連休に襲来の台風のほかしっとり天気が続きました。
CL、結局WOWOWが放送権取得のリーガ・エスパニョーラと新メンバーの欧州サッカーを多くみたほか、涼しくてラーメンも食べやすく数えたら5杯も。家ではついに1年で最長の食事期間である「サンマ紀」に入りました。
この一番好きな季節のいいところはたくさんあるけれど、その一つが暗がり。あっという間の短い暗がりは、きびしい冬やぼうとした春、長いだけでだらんとした夏のそれと違ったきれいな色で、その空気に触れると胸の奥が少しだけきゅんとします。
さびしいは美しい。

(写真は暗がりの外、暑くもないのに車に下にもぐって目が光る暫定名「_」。BGMはちょっと前によくきいてたデヴェンドラ・バンハート『クリップル・クロウ』で、この季節に最適な1枚。何かニール・ヤング『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』もききたくなってきた)
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あき、かえる

2006-09-12 14:37:38 | 週間日記
先週は後半多忙で更新滞り、火曜の「先週日記」です。

4日(月)塾で寝てしまい朝起きてCD-ROMの探し物。副発見物いくつか。帰って父親のPC改善作業終了と電話取材。晩、東方・味膳で大もりそばは、二八でぱりっとした麺が魅力的。器も付け出しも気遣いよくわかって好感を持つが、好みというには少し違う。入ってから気になったのは絞ったボリュームでかかっていた苦手なショパンの『英雄ポロネーズ』。違和感の中でつるつる味わうと、やがてこちらは好みの一曲でも大音量でしかきいてはいけないワーグナー『タンホイザ』。音源は何だか知らねどこういう接続はちょっと、で、そんな不一致を感じる。帰ってW杯以来久しぶりのサッカー、ブラジル:アルゼンチン親善試合
5日(火)昼は原稿に専念。晩、豊里・永来でもやしそば。夜は胃痛で早寝
6日(水)起床後は快調に仕事。午後、先日ヤフーポイント締切のため5年ぶり購入の腕時計届く~余裕できたのでしばらくぶりの自宅映画64年R・クレマン『危険がいっぱい』~出張授業~日本代表戦はみ流し、入浴後、ついに今季初さんまとともに今季初アーセナルの対アストンビラを途中まで。とうとう念願のケイト・ブッシュの昨年作をプレイヤーに入れるも途中で着眠
7日(木)起きてアーセナルの続きで、初めてみた17歳ウォルコットも含め見事なサッカーを堪能。午後、自宅映画P・アルモドバル『バッド・エデュケーション』、やっぱりすごい。ぴあからU2公演抽選2枚当選のメールあり。晩、同級生宅2件に写真を持って行き東方・久兵衛で大もりうどん。塾生M君の分含めそば茶購入~授業~OB・I君が先日探し物で再発掘された内田樹『先生はすごい』を借りに来て就職などの話。帰ると腹の大きくなっていたヒダリが机下に来て出産開始ここまで3頭
8日(金)取材で滋賀出張。帰り、打ち合わせ兼ねて編集者Oさんとサッカー、共同体、本などの話。1時間ほど京都駅周辺をうろついて関東へ。車内食は行きが「秋の旬菜」弁当、帰り焼きさば飯、取材終了後に草津駅で周辺で蒲焼そばセットも食べた。新幹線ではよく眠ったが、山下柚実『給食の味はなぜ懐かしいのか』読了。帰るとヒダリの子6頭に
9日(土)朝から一日中撮影。疲労空腹で籠原・福龍大盛り醤油ラーメン。満腹にはなったが異様に味気ない。帰宅すると翌日と思っていた姉がすでに帰省。その後帰った甥まじえ明け方近くまで飲む
10日(日)起きて祖父の三回忌、祖母の七回忌の法事。おじおばら親戚と久々の話。晩から自宅で姉餃子をつくり飲酒、途中から甥、弟も参戦しやはり朝まで

先週帰ってきたもの。海外サッカー、自宅映画、さんま、ケイト・ブッシュ、姉、帰って来たというのか三・七回忌の祖父母。
この秋最初に生まれたヒダリの子ども、アーセナルの新星ウォルコット、5年ぶり購入の6980円ランボルギーニ腕時計など初めてきたものもありますが、それもどちらかといえば「新しい」のではなくて「繰り返し」だし、さらにいえば帰ってきたものの方が嬉しい。そういう42歳の秋を迎えられるのは、何よりと思います。
いつの間にかきこえなくなったかえるの代わりに、あき、かえる

(写真は涼しい秋雨の中帰ってPC前に座ると早速腹上占領のティー。ねこがより乗っかりかえって、これもまた繰り返し。BGMは今朝、雨の車の中の J-WAVE で "dreams" をきいてあまりによかったのでフリードウッド・マックの唯一持っているベスト。CD壁から30秒で見つかったのはラッキーでした。今ちょうど "dreams" ですが、こういう普段きかない曲をきいても、“かえってきた”という感じがします。『今日のリンクテキスト』は読売書評欄「本棚の顔」でこの2週読んで注目の蜂飼耳を探したのですが見つからず。詩に対する美しいスタンスを語りたいだけ語って最後に推薦書に触れる展開が見事なこのシリーズは残り2回かな。しごく楽しみ)
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フレーミング・リップス"At War with the Mystics"~幸福な既視感

2006-09-06 23:57:10 | 音楽
It's a boy. 日本代表とにぎやかな1日でしたが、関係なく5月にきいたCDレビューです。

フレーミング・リップスをきくのはこれで3枚目。
前作 "Yoshimi Battles the Pink Robots"とその前の "The Soft Bulletin" をきいたからもう慣れているけれど、この完全主義の音づくり、それに反するへなちょこボーカルがつくり出す、遊園地的ポップは実に快い。ウェールズのスーパー・ファリー・アニマルズなどこうしたかたちの尖っていながら心地よさも同居するポップは、今や一つのジャンルを形成しているといっていいだろう。一世代前のXTCなどにあった先鋭的な感じをリスナーに与えず、表面上はポップさに徹しているように見えるところが00年代的といえる。

本作をきいて何を思い出すかは、きく人のリスナー歴によるだろう。それでもほとんどの人が自分の好きな何かのバンドに似ていると思い、しかもその既視感はたまらなく幸福なものであるはずだ。
私にとってその幸福感の絶頂は、本作ではM4 "My Cosmic Autumn Rebellion "。80年代っぽいシンセ音が築き上げるフィル・スペクター風サウンド・オブ・ウォール、途中の展開で『危機』あたりのイエス、なのに全体としては『ペットサウンド』のビーチボーイズを思い出す。そんなところだ。

アルバム向きの曲ばかりで、 "The Soft Bulletin" のほかの曲の印象をまったく消してしまうほどの甘酸っぱい名曲 "race for prize" のようなシングルチューンがないのは残念でも、それは贅沢というもの。トム・ヨークのソロも同様だが、こうした電子音で涼めた暑くない夏でした。ところで "My Cosmic Autumn Rebellion" って何だろ。

5月31日初聴 アマゾンで購入

(日本代表戦を後ろにBGMはもちろん本作。テキストリンクは小林秀雄賞の荒川洋治氏についての毎日と読売の記事読み比べ。<http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/bunka/news/20060903ddm014070043000c.html><http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060905bk06.htm>。以前から荒川さんのファンで喜ばしい受賞ですが、受賞作はあまりに高いので、アマゾンで伊藤比呂美氏とねじめ正一氏との共著『恋愛微妙相談』というのを111円で買いました、これは『鳩よ!』の連載らしく、時代を感じさせる1冊)
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遠藤秀紀『解剖男』~リリックで、明快で、愛にあふれて

2006-09-05 23:05:54 | 読書
今日も更新。「読書」です。

帯に「24時間戦う遺体科学者 動物進化の神秘へ迫る」。もちろん写真も満載。何やら尋常ならぬ著者の顔写真も魅力的で、つい買ってしまったらかなりおもしろかった。
本書の美点は多い。まず生物の本としては異例といえるリリックな表現、そして同じ解剖学の養老孟司氏にも通じる明快さ、さらに前回書いた同世代の酒井邦嘉氏にも通じる学術への愛である。
それにしても解剖学の人は、どうしてこんなにすっぱりとものを割り切れるのだろうか。構造を考える合理性は、本書のすっきりした構成に現れている。1~2章で、腐乱との競争や解剖学の歴史といった初心者へのガイドラインを示し、3章は「硬い遺体」として骨格、4章は「軟らかい遺体」として「内臓」、そして最終章を「遺体科学のスタートライン」。この構成に著者のもののみ方がよく出ている。
ふだん「自然の神秘」などとひとくくりにしているが、こういう本を読むと生物とは本当によくできていると思う。たとえば、文系的に、人間的になら、ある人物をみてこの人はこういう風に生きてきたのだろうとか、いやいやそうでなくこうなのではないだろうかとか考えてもそうかんたんに答えは出ないが、多くの生き物の場合、その構造的な来歴はもっとシンプルだ。それでも、多くの学者が考えて謎とされることがあるものおもしろい。
本書で知ったことは多い。たとえば、ウシの胃が四つあるとは知ってはいても、ただ単に草は消化が悪いから多くあるんだろうくらいにしか思っていなかった。まさか腹の中に最近を飼ってそいつらに草を食わせて増やしそれをエネルギーにするという複雑な過程を経ていて、そのために四つの胃が分業しているとはびっくりだ。
そして遺体科学の未来への不安。一見役に立たないかに思える、こうした研究への予算は減っているという。アカデミックな世界では、人文学系はじめリストラの波が押し寄せていて、世の中全体からみればそれはしかたないことかも知れない。けれど、著者のような真摯な研究者に思う存分研究を続けさせることは社会の義務と思い、そのためには新たなシステムが必要だろうが、一体どうしたらいいのだろう。

4月21日読了 確か新宿小滝橋通りの本屋

(BGMはJ-WAVE。CMでやっていたハンバート・ハンバート。NHKのライブビートできいて気に入っているが、こういう音楽が売れるだろうか。今日のテキストは動物続きで、昨日の毎日夕刊「クマの冬眠大作戦」(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2006/09/04/20060904dde001040002000c.html)。がんばれクー、寝るだけだけど)
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一番好きな月の始まり

2006-09-04 18:17:16 | 週間日記
月曜の午後更新がベスト。「先週日記」です。

28日(月)晩、塾OG、OBと飲み会+花火。酒の席は上柴・山で、途中、連絡があり同級生M君も合流。多分10年ぶりくらいの花火は市内の公園で。その後、就職活動で新聞社を受けているI君と明け方まで政治の話など
29日(火)朝から電話取材~原稿~夕方から同級生M君と太田イオンで『スーパーマン・リターンズ』はなかなか。帰ってM君宅で3日連続になる自宅外飲酒
30日(水)起きてよく働き、晩は出張授業。中学生の夏休みももうすぐ終り
31日(木)起きて取材手配など作業。夕方、父親のPC、色が出ないのの改善作業。「パソコン困りごと相談」というのは実に親切。夜はけっこう原稿進む
1日(金)午前は叔父と出かけ、昼は別府・のび太でうどん。夜は塾で前日夕刊の間違え探し盛り上る
2日(土)同窓会の写真をプリントにキタムラに行き、エンジンかからぬアクシデント。救援求めるも誰にも連絡つかず困っていると、「どうしたんですか」と中学の1年後輩のA君登場。となりの日産でブースター借りて危機脱出。ダイナモ壊れたかと思ったが、車任せてある元生徒K君が来て「これはただバッテリーが上がっただけですよ」。2千円で済む。晩はまた同級生M君宅でN君、その友人とM君製作中華飲食
3日(日)起きて競馬やはり不発。晩から塾に行って作業。J-WAVE坂本龍一はゲスト、コーネリアスはともかく、リリー・フランキーがおもしろかった

いよいよ9月。自分の誕生月ということもありますが、一番好きな月です。
陽が少しずつやわらいでくる感じ。高まっていく3月もいいですが、ほっとするこの季節の方がより好ましいと思います。やれやれ。
例年100尾は食べてるかも知れないさんま。原油値上で心配ですが、いつも「非解凍・150円以下」がゴーサインでまだ、光るボディーを横目で見つつスルーしています。なしはまだ買っていませんが、この間M君息子が食べていたのを一切れもらって食べました。
ねこどもはといえば、今日みたいに暑くても、そうするのが仕事だとばかりに毛だらけのからだをすりすり。やつら代替のコミュニケーションがないのでしかたありません。でもそのうち、毛だらけがうれしい季節になるからな。
葉陰の色もおじぎをするように。

(写真はそのすりすりのティーと姪のヒダリ。保護色に隠れてほかに2頭います。BGMは一転ノイズだらけのソニック・ユース "nyc ghosts & flowers"。M1の気持ちよさはノイズうんぬんを超えていて一生の名曲の一つです。フジロック行きたかった。新譜は「満を持して」と思いつつ、まだ開封してません。今日のリンクは、また毎日の書評から日曜の池澤夏樹評『思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために』レジス ドゥブレ著というのにしようと思ったが、どうやら公開しないものあるらしいので代替なし。しかし3360円もする本は買えなく、よほどのことがなければ読まなそう)
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ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』~思いがけないほど“普通”

2006-09-03 23:55:10 | 映画
本日は映画です。

ジム・ジャームッシュのキャリアの中で、数年後、本作はどのような位置を占めることになるのだろう。
『ダウン・バイ・ロー』から後のジャームッシュは、いつも物語を描くことを回避しているように思っていた。繰り返し撮ってきたオムニバス、ドキュメンタリー。いずれもスタイリッシュで独特のユーモアにあふれていて彼を熱狂的に受け入れた多くのファンを飽きさせるものではなかったが、『ダウン・バイ・ロー』のようなハラハラさせる映画ではなくなっていて、ジャームッシュ作品にはそういうものは期待しないといった態勢をみる者につくらせていた。
本作にしても、一人ひとりの女性を訪ねるエピソードが重ねられているからオムニバスの一種といえなくはないにしても、主人公の自分探しという大きなテーマがある点が近作と異なっている。しかもいつものようにぶっきらぼうな感じを見せるでなく、ウェルメイドととられることを恐れないかのような凝った脚本。よく話題になるシャロン・ストーンの娘のヌードはじめ意味深長に思わせる数々のカットも、これまでの彼の作品ならもっと意味から切り離されたかたちでそこにあったはずだ。
つまり本作は、ジム・ジャームッシュの映画としては、決して悪い意味ではなく“普通”なのである。
これが一時の気まぐれでないなら、これから彼の新たな作品群がみられそうだ。

5月25日 伊勢崎MOVIXにて

(BGMはJ-WAVE。"vioce" でさっききいたテキストを探したのですがまだなく、前のをみていたら出てきたヒッチコックの言葉<http://www.j-wave.co.jp/original/voice/sun/8月13日分>。ジャームッシュとは対照的にストーリーの可能性を考え続けた人です)
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Cat Power "The Greatest"~いつも同じ場所で身繕いするようなこんな歌

2006-09-01 23:40:27 | 音楽
すっかり涼しくなった夜。今日は「音楽」の番です。

【introduction】
米の女性シンガーソングライター。詳しいことは知らないのですが、固定メンバーは1人のよう。『ミュージックマガジン』では、「低血圧女番長」「不思議ちゃん」のようなことが書いてありました。
最初に買った前作 "you are free" は、MSNのネットラジオできいて気に入ったから。03年自己ベストの1枚でした。次に買ったのは98年作 "monn pix" で、きいた時に以前渋谷HMVでその個性的な声に興味を持ったのを思い出しました。その Cat Power 今年1月発売の最新作。

【review】
Cat Power とはよくつけたもの。
歌がうまいかというと、そうでもない。それなら曲づくりがうまいとか、サウンドメイキングがうまいとかいうと、やっぱりそうでもない。どこがいいのかよくわからないまま、そこらへんで勝手に遊んでいるねこに惹きつけられるように何度も何度もきいてしまう。多分 Cat Power ファンの多くはそんなものなのではないだろうか。
今回はメンフィスの great musician がバックだという。確かにサウンドは脆弱さが目立った今までと違いグルーヴィだが、それがどうしたというのか。日本マンガ文化最高傑作である青いねこ型ロボットが地上から少しだけ浮きつつ周囲にマッチしているように、米国シンガーソングライター文化最高ねこは南部サウンドから少しだけ浮いていて、それでいながら違和感とは無縁。誰がバックでも、たとえばサンタナがギターを弾いたとしてもウィーンフィルの前でも、私の耳は Cat Power の声に向くだろう。
今作もっとも耳が止まるのは、M7 "where is my love"。高音をカットしたピアノのアルペジオに Cat Power のけだるい声が乗り、音数の少ないストリングスがかぶさる。そして最後まで何も起こらないまま、少しずつ調子を変えながら Cat Power は "where is my love" と繰り返す。
そう、人間は繰り返しに耐えられない生き物だから、きっといつも同じ場所で身繕いするようなこんな歌を眺めたくなるのだろう。
冬も春も夏も秋も。

(BGMはもちろん"The Greatest"。昨日始めた新企画は、今日も毎日新聞で8月20日の書評欄から若島正・評『ゆめまぼろし百番』駒場和男・著(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/20060820ddm015070063000c.html)。この批評はすばらしい)
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