小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

Fifteen thousand stories~『黄金の時間』(前編)

2006-12-31 18:20:19 | 身のまわり
1年間ご愛読ありがとうございます。
書きたかったこと、書くと宣言してそのままのことはたくさんありますが、その中で2月に後編だけ書いてほったらかしだったこの話を。

それは聖バレンタインデーの夜9時頃だったか。そんな西洋イベントにはまあ縁のない中年は、高校3年生F君とともに市内屋内プール前の県道をいつもと違う車で走っていた。めったに乗らないミッション車のシフトチェンジを楽しみながら、パワーウィンドもない旧型のトヨタスプリンターは快いエンジン音とともに加速していく。「なるほどスムーズですね」とF君。その時、前方に反射テープを身につけた人影が、ゆっくり赤いライトを振り回すのが目に入った。

時間は1年ほど遡る。
テスト勉強に来ていたF君は、ほしかったプレイステーション2を買おうと、ヤフーのオークションサイトを見ていた。野球部で毎晩10時頃まで帰れないF君の要請に応じて、そんなのゴールウェイででも買えよなどといいながら、修学旅行に着ていくTシャツやらユベントスのレプリカジャージなどを買うことがそれまでにも何度かあった。
確か1万7000円ほどの商品に入札していたF君は、また別の、納期は1ヶ月ほど後という1万5000円の即決商品を発見。これ買わなきゃというので、あっちが落札したらどうするんだと問うても、大丈夫だよどっかに売れるからと能天気なことをいいながら落札してしまった。結局1万7000円も落札なったから、お年玉で潤沢な資金を持つF君が持ってきた3万円ちょっとを私はジャパンネットバンクから振り込み、F君は1万7000円の方でゲームを楽しみながら、1月後という安い方の到着を待った。

しかしやがてそのS沼という出品者から、「資金がショートして商品が用意できない。代金は返却しますのでお待ちください」というメールが。げっ、これはやられたとF君に「サギの可能性がある」と告げ、何度かメールで交渉した後、やがて音信は途絶えた。
私もうかつだった。ちょうどその時やっていた仕事でヤフーのサギ被害補償のことを知ったのだが、いつも「忙しくて店に買いに行けない高校球児の代理入札です。楽しみに待っています」などと丁寧にも書き綴っていた。規約を読むと、本人以外の入札は補償しないとある。いったん警察への被害届を書いたりもしたが、そういうわけで補償はされないかも知れん、申し訳ないが後でおれも責任があるから半額払おうなどといいながらそのままにし、それから詐欺師S沼の名は塾内では有名な存在となった。
実は詐欺師じゃなく本当に資金がショートした被害者で、今頃は自宅と書かれた場所から近い清水港あたりでコンクリート漬けになって沈んでるんじゃないかも知れないので新聞をよく見ようとか、銀行に行く途中でフィクサーに消されたその手にこっちの口座番号のメモが握られているかも知れんなどと、そんなまあよくある苦し紛れの軽口を叩きながら、F君のこの被害はネット社会の危険を物語る典型的な例として塾内では教訓にも笑い話にもなり、気のいいF君はそれをわはははと笑い飛ばしていた。

そして今年の2月。きっかけはF君より6歳上の塾OB・O君が就職を機に、それまで駅まで乗って行っていた、おじいさんにもらったもので16万キロくらい乗っているけど車検は1年数ヶ月残ったスプリンターである。
廃車にするというので、ならそのためのお金もかかるだろうから今度F君が大学に入るので安く譲れば誰にとってもいい話ではないかということになり、にわかブローカーとなった塾経営者はひとまず就職先に行くO君からスプリンターを預かった。取引金額は3万円である。
そしてバレンタインデー。塾で原稿に追われていた私のところにF君から電話があり、車を見にくるという。その時の仕事に辟易としてこともあって私は、じゃあちょっと乗ってくるかとF君と出かけた。
免許を取ったばかりのF君のミッションさばきはぎこちない。少し経って、3万円ならいいやという気になったF君に、じゃあ、ギアチェンジというものを見せてやろうとセブンイレブンで運転を代わった私は、このところマニュアル車には乗ってはいないもののベテランドライバーらしいクラッチワークで加速していき、F君もふうんとうなる。と、1分も経たないうちの赤いライトだった。

わあ、ここよくやっているんだよとF君。まあしょうがねえとパトカーに乗ってキップが切られ、反則金の額をきくと1万5000円だった。なんで3万円で右から左に流した車で、仲介したおれが1万5000円払わなきゃならねえんだと思っても法律とはそういうものだ。
まったく、とスプリンターに戻るとF君は、すみません、罰金いくらですか。おう、1万5000円だと応えた時、詐欺師S沼事件を思い出し、笑ってしまった。

この時に思った。これで、おあいこだと。
自分の横でよせというのに勝手に入札して1万5000円サギにあったF君と、そのF君を横に乗せて勝手にスピード違反して1万5000円払わなければならなくなった私とは。
それで、うん、まあ、じゃ、まだ払ってなかったS沼の1万5000円は払わなくていいな、というと、しょうがないですねと笑うF君。それはF君が私の中で一つの段階を終えた瞬間だった。
世で「センセイ」と呼ばれている人の多くが経験しているように、生徒との関係が「先生と生徒」でなくなる瞬間がある。そしてF君との場合、この時がそうだった。
その2ヵ月後、18年間で文字だけの本が高3で読んだ「夜回り先生」だけという伝説を持つF君は、野球が終わってテレビを見る時間が増えて興味を持った政治学科に推薦で入り、それからも苦手な英語のテスト勉強やロシアの民主化なんていうレポートの相談に来ている一方、私やほかのOB・OGが飲む席にも顔を出すようになり、酒が飲めないこともあってよく送り迎えもしてくれる。要はまた別の関係になったのだ。

一生で1人の人間が出会うのは、3万人くらいという説を何かで読んだことがある。どちらかというと、あまり多くの人間に会う方でなく、そう長生きもしないだろう私なら、その半分として1万5000人。つまり1万5000の物語に出会うわけで、F君の物語はその1万5000分の1の貴重な時間だ。
F君に初めて会ったのは彼が中1の頃だから今年で7年目。わけのわからぬ黄色い声を張り上げていた少年は気がいいだけにあまり波乱のない中高6年を過ごし、今は暇を持て余しバイトで稼いだお金を少しのファッションや飲み食いに遣うありふれた大学生になっている。
F君がこれからどういう人生を過ごすかはわからない。しかしそれがどんなかたちになったとしても、私はそれを祝福し、また自分にとってそれを少なからず大きなものと感じるだろう。その時間の端々できっと何度もあの二つの1万5000円を思い出し、ほかの誰かも含めてそれを笑うだろう。
そしてそんな時間こそが、私にとっての“黄金の時間”なのだ。そしてそんな時間がこれからも待っていることをこの上なく幸福に思う2006年の暮れ。

よいお年を。

この2日後にきいたゼルダ『黄金の時間』がモチーフの後編は(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/7a32982ea566178ea67a0aafa5255d2c

(Phは大晦日午後、窓際のねこども、後編で触れたティーの子どもスラッシュほか全3名。BGMはJ-WAVEでした)
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それでもカレンダーは間違わない

2006-12-26 23:51:20 | 週間日記
季節外れの大雨の火曜深夜更新の先週日記です。

18日(月)夕から今週もOG・EさんJさんのお掃除隊が登場。途中、国会議事堂パンフ取りに来たF君も加わる。一息ついてこの日はF君号で川本・梅本でラーメン+コンビニスイーツ振舞う
19日(火)なぜかやる気起こらずだめな一日になる
20日(水)昼、今週もあわくって原稿。何とか仕上がる~夕、別府・のび太でカレーうどん~出張授業で帰っていた同級生K訓と仕事の話など~K君誘ったが風邪気味辞退でM君宅で飲み朝まで寝ていく
21日(木)塾に行って原稿やらもろもろの作業
22日(金)昼は仕事、晩は塾。帰って新譜CD Durutti Column "Keep Breathing" は、このところすごくよくきいている
23日(土)昼は撮影。晩に拾六間・福龍で大盛り醤油ラーメン~塾にOB・I君が来ていろいろ話す
24日(日)昼はディープインパクト。晩、クリスマス会@塾は、Eさん、Jさん、I君、Y君に、途中M君兄弟と母上の同級生Hさんもお手製シフォンケーキを届けに現れ盛況。飲めや歌え、語れの夜は更け、秋冬2度目のアプローズギターも登場

サッカーはだらしないアーセナルの対ポーツマス、アイマールの古巣対決が楽しみだったサラゴサ:バレンシアは時間を間違えて途中からと、やはりあまり気が乗らない観戦。
クリスマスでいよいよ年末年始大酒シリーズ開幕。去年は銀行休業日も昼は仕事で夜酒という日々だったが、今年はそんなに仕事しなくて済むそう。いつも新年になってからになる年賀状でもつくりましょうか。
それにしても、この7月のようにハードな雨が上がったら20度にまで上がるらしい、まだまだ寒くならない冬。そういえば小学生の頃の愛読書に古田足日『まちがいカレンダー』という傑作児童向けSFファンタジーがあったが、それでもカレンダーは間違わない。

(Phは冬になるとひざの上率が上がるカミーラはやはり利口ねこなのか。BGMは目についたモンク&コルトレーン。「競演」という言葉は、この "ruby my dear" にこそふさわしい。コルトレーンはモンクに会って「いつも階段から突き落とされるようなスリルを感じた」といったというが、それがよくわかる名曲中の名曲)
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「有馬の武豊」に一生分の“Choral(合唱)”を

2006-12-24 12:35:35 | スポーツ
24日は競馬ファンにはクリスマスより3時25分です。

久しぶりに、“武豊の有馬記念”が近づいている。
収入の中で競馬関係(もちろん馬券はマイナスです)が少なからぬ割合を占める私にとってこの一年は、仕事の上ではさまざまのいい記憶があり、馬券の上ではそれ以上にまいった覚えがあるものの、馬たちがコースで見せてくれたパフォーマンスはいつもと変わりなく。一競馬ファンとしてはそれが何より嬉しい。
そしてディープインパクト。これまでにも何度かディープのことについては書いた(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/75f53b48b2ef1a27d346727e1e9110e8 http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/edb12795f98628ec28bae6d4e81c7db4)。G1での歴代最高馬連配当の2位と3位を的中させた(100円だけ)穴党だけに馬券に関してはともかく、この馬が一生のうちに出会うサラブレッドの中で特別な存在になるであろうことは確かだ。
私のような一ファンにとってもそうなのだから、史上稀な天才騎手にとってその思いはどんなか。栄光の3歳時から唯一国内で敗れた昨年のこのを経てさらに充実した春を過ごし、無念を噛み締めたブローニュの森。帰ってきた府中で見せたガッツポーズは、ダンスインザダークの菊花賞よりスペシャルウィークの天皇賞より気持ちが入っていた。
思えば武豊の有馬での成績は意外なほどよくない。
勝ったのは「奇跡のラストラン」90年のオグリキャップだけ。スペシャルウィークは有馬史上有数のデッドヒートでグラスワンダーにハナ差屈したし、あのメジロマックイーンも、出ていたら勝っていただろうダンスインザダークやサイレンススズカは出走すらかなわなかった。そしてディープインパクトも、もっともあぶない勝利だった皐月賞、唯一の敗戦である有馬と中山は鬼門だ。
この史上最高の名馬がそのパートナーとともにもっとも苦手としている中山のグランプリを選んだのは、この12月の冷たい空気に試練を好む日本人の気質と関係あるのかも知れない。赤穂浪士も真冬の駅伝も受験勉強も、そして失意でこのレースを迎えた16年前のアイドルホースも。日本人がこの時期に聞くのを好む楽聖の9番のように名馬と天才は今、最終楽章で形式主義の当時では前代未聞だった合唱が歌われようとしている場所にいる。
きっと武豊かは思っているはずだ、この馬のような馬にはもう二度と出会えないのだと。だから私たちも、そういった決意をもってこのレースに臨まなければならない。ディープインパクトのような馬にもう出会えないなら、これからも有馬で人気馬に乗り続けるこの天才騎手を買うことはあまりないだろうから、今日こそ一生分の声援を送りたい。彼らが見せてくれるのはこれまでで一番の追い込みかも知れないし、あっと驚くマクリ、いや初めて見せる先行策すら考えられなくもない。いずれにしても天才がいうように、それが最高のディープインパクトなのだ。
そういえば「奇跡のラストラン」の日曜も、こんな風に静かで陽当たりのいい日曜だった。ただし今日私たちが目撃するだろう光景は決して「奇跡」とは呼ばれず、その存在だけが「奇跡」と語られるに違いない。
乗るのが史上最強馬だから、これからは買わないだろう「有馬の武豊」に一生分の“Choral(合唱)”を。聴こえるのはきっと、「歓喜の歌」だろう。

◎ディープインパクト
○ダイワメジャー
▲スイープトウショウ
△スウィフトカレント
 アドマイヤフジ
 デルタブルース
 アドマイヤメイン
 ポップロック
 穴党ゆえ、○▲から2着ディープも少し

(BGMはPC内の、フアナ・モリーナ、ケイト・ブッシュ、ニール・ヤング)
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加藤幹郎『映画館と観客の文化史』―だから映画は美しい。作品も観客も

2006-12-22 02:25:36 | 読書
年も押し詰まり寒くなりました。今日は「読書」、映画についての本です。

映画はきちんとみたいと私は思っている。できれば映画館で、自宅で録画でもそれなりに姿勢を正して、最初からエンドロールが消えるまで。この本を読んでも、その気持ちに変わりはない。ただそのようなみかたがすべてではないことはよくわかった。
オランダ、デン・ハーグのパノラマ館の記述に始まる本書がおしえてくれるのは、映画の器、そして何より観客の物語だ。といっても1957年生まれの著者に映画百年の歴史がみられるはずはないから、当然文献研究がその方法となる。資料に踊らされ過ぎないその分析は的確で、そこから抽出される観客たちの姿はおそらく上映作品に劣らずおもしろく魅力的だ。ちょうど歴史的名作『天井桟敷の人々』の観衆たちのように。
ボードビルから進展したという初期の映画上映では、舞台の生出演歌手と一緒に観客たちも大合唱していたこと。入場すると複数のキネトスコープという箱で短編を楽しむボクシングのラウンドのような「ラウンド式上映」。列車の旅を疑似体験できた「ファントム・ライド」。画面の中の自分をみるのが観客の主な目的だった「ご当地映画(ホームタウン・フィルム)」。市内ロケの日程を載せていた50年代の「京都新聞」。意外とも思えるこれらの物語は、よく考えてみると実は1963年生まれの私などの周りには、似たようなものならいくらでもあった風景だったことに気づく。
例えば、中学生の頃か弟と行ったマンガ祭りで主題歌を歌いまくっていた子どもたち。最近地元で撮ったSFタッチの作品をみに行った友人からエキストラ出演のおばちゃんたちがストーリーよりスクリーンの中の自分を探すのに夢中だったときいたし、ホームビデオの普及で手軽になった中高生の制作映画では誰がどこで出るかが最も重要な鑑賞ポイントだ。思い起こせば小さい頃は、近所の工場での野外映画会や神社などでの地域の映画会もあった。
さらにいえば、高校生くらいまで映画館も途中から入るのにそれほど抵抗はなく、銀座の名画座で初めてみた一生で二番目に重要な作品『ゴッドファーザー』の1と2でさえ、到着時間の関係で2の途中からみるという暴挙は今なら考えられない。ビデオがなかったから、テレビの洋画劇場のオープニングに間に合わず途中からみてもあまり気にしなかった。
と、ここまで考えて、今の自分がすごく不自由な映画のみ方をしているのではないかと気づく。よりよい状況を選択しようとすることが不自由につながってしまうのは、何も映画だけに限ったことではないだろう。といって、シチュエーションを選べるならきちんとみたいというのは当然の欲求だからしかたない。せめてそれが唯一の方法でないということを知っておくだけだろう。でも例えば、『アラビアのロレンス』をポータブルのDVDプレーヤーで枕もとでなんてみたくないし。
著者のすごいところは、映画館で眠る快感にまで言及している点だ。試写室で気持ちよく眠る他の記者を起こしたという“正しい”映画鑑賞者について触れ、「慎みとは『物事をあるがままにさせることであり、それらがそれ自身の本質的なありかたをとることに対する寛容』である」とエドワード・レルフなる人物のすばらしい引用を添える。この一言を知っただけでも本書の860円のうち800円の価値があるというのは少し小さい発想だけど、映画館でするのは映画をみることだけでないというセリフがあったのはウッディ・アレンの作品だったろうか。
小さな箱で一人でみることに始まりドライブインシアターのような大人数でみるように発展した映画は、今またAV機器の発達で一人でみる時代になったと著者はいう。DVDで何度もみられるようになってからの批評の変容については蓮実重彦氏も言及していたが、それは映画自体を大きく変えていくに違いない。
ならば「映画」とは何だろう。「映画」に変わってほしくないところがあるか。これは映画だけに限らず「物語」を持つメディアすべてにいえることだが、私はゲームのように鑑賞者が自由に改変できるようにだけはなってほしくない。いわゆる「ゲーム脳」について結論だ出ていない現在、ゲームの弊害があるとすれば思い通りにならないということのすばらしさを学ぶことができない点で、それを思い知るのに映画は最適のメディアだと思っているからだ。だから映画は美しい。作品も観客も。

11月13日読了 熊谷・蔦屋書店で購入

(BGMは夕方シャワー後初聴のドゥルッティ・コラムの新作 "keep beathing"。このギターはあまりに気持ちよくて、もう5回目か6回目)
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こごえてこごえでみみもとのおい

2006-12-19 23:52:21 | 週間日記
火曜夜の先週日記です。

11日(月)塾でクリスマス会を目論むOG2名を迎え晩に塾内掃除。思いがけないほど片付き、2名の素晴らしき才能に感謝。報酬は山岡屋ラーメンといくばくかのコンビニスイーツで
12日(火)昼に1日延ばしの電話取材。晩は同級生M君に誘われ上野台・バーディでたらふく飲食
13日(水)昼はまたあわくって原稿。何とか終わり別府・のび太にカレーうどんを食べようと行くが、揚げ物のにおいにたまらず天ぷらうどん。この450円は外食の未来を示しているのかも知れない。晩はテスト終わってのどかな出張授業
14日(木)昼はだらだらして塾に行くと、OB・I君が登場。前に貸した高橋源一郎「小説教室」保坂和志、島田雅彦などから「小説」論、さらに発展して伊勢正三の話など。帰って新譜CDヨ・ラ・テンゴ "i am not afraid of you and i will beat your ass" 初聴
15日(金)昼はうだうだ、晩は塾
16日(土)昼は撮影。関係者たちとノロウィルス、デジタル一眼について話題静かな煮立つ。帰って録画競馬みていると同級生M君から誘いあり、週に二度目のバーディで、前に一緒にサッカーに行ったHさん、初めて会った、話はよくきいていたMさんと話題多岐にわたり鯨飲。そういえばうっかり少し久々にグラスを倒すほど
17日(日)昼は競馬でやはり当たらず。PC関連で大泉・ハードオフで525円マウス購入。太田・石焼ラーメン火山で石焼醤油ラーメン。ラーメンは例えばそばなどと違いその許容力がすぐれた点で、こういった大胆な試みも理解できるし、ジュワーッというパフォーマンスに周囲の子どもたちは喜んでいたよう。ただし賛同はしかねます。それから塾でいろいろ作業。帰って新譜CDフアナ・モリーナ "son" 初聴

だらだらの一週間。
サッカーはアーセナル勝ちで6倍ついていたので2千円投入1万2千円が残り5分でとんだチェルシー:アーセナルの他、NHKでやってた親善試合オランダ:イングランド、トヨタCW杯をともに後半だけと気合抜けているが、まあそれはそれで。
油断してたら本格的に寒くなってきました。いまだ自室暖房はねこだけで、朝はこごえながらねこだらけの目覚め、手近なやつにと呼びかけるのも、暑い季節なら大声で「おーい」だけどこの時季は耳もとで小さく、こんなことも寒いからこその愉しみ。
こごえてこごえでみみもとのおい

(Phは昼の外。何頭写るかゲームを思いつき、結果最高の6頭。影が体の何倍も長い。BGMは今週新着のヨ・ラ・テンゴ、フアナ・モリーナ)
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ダンカン・タッカー『トランスアメリカ』―「新しいテーマは古いスタイル」で

2006-12-17 22:54:14 | 映画
個人的には、なぜかまったく盛り上がっていなかったトヨタクラブW杯。さすがに決勝は途中からですがみました。むむ、実にサッカーらしい結果です。ロナウジーニョは今年全般的によくないですね。デコはどんどん進化しているけど。
さて、それには関係なく映画レビューを。

「ロードムービー」とはすごい発明だと思う。
性同一障害、親子関係、少数民族、ワーキングプアなど実に多様な、しかも今日的なテーマを詰め込みながら、それを難なくまとめてしまえたのは、ロードムービーというすばらしい“道路”があってこそ。もちろんそれをかたちにした監督・脚本の新鋭、ダンカン・タッカーの手腕も大きいだろう。「新しい酒は新しい袋」にというが、映画のような表現では案外、「新しいテーマは古いスタイル」にが正しいのかもしれない。と思って公式サイトをみると監督自身、「古風な映画」と発言していた。
確かに「女性になりたい男」にしか見えないフェリシティ・ハフマンは好演。そしてそれ以上に、「リバー・フェニックスの再来」だというケヴィン・ゼガーズという若手がすばらしい。このところの日本では元気のいい10代少女に押されて映画のテーマになりにくいが、現実世界でも10代後半少年というのも他者性において際立つ存在だとよく思う。そのざらざら、ぎざぎざとした感触をうまく描いた作品は、トリュフォーなどフランス・ヌーヴェルヴァーグ勢などを除きそう多くはないが、本作のゼガーズはその数少ない例の一つといえる。脚本が先にあったかキャストが先かはわからないが、あの年代の少年特有の倦怠や幼児性との二面性が見事に描かれていた。
ストーリーはその息子ゼガーズが、彼にとってまったくの他者である少数民族のオヤジやいかにも南部的な奥様である祖母、性的に解放されたみなさんとの出会いを通して他者を受け入れ、社会性を身につけることを学んでいく。そしてそんな息子を受け入れることを通して主人公たる父は、自分を開きつつ完成させていくという構造をとる。これもロードムービーの傑作といえる『気狂いピエロ』で、やはり何かの引用かベルモンド、フェルディナンは「旅は若さをつくる」というが、「旅は大人もつくる」のだ。
それにしても、大陸を疾走するおんぼろステーションワゴンのかっこいいこと。これがもしヤッピーたちの乗る最新の欧州車なら、この作品の魅力は半減していたろう。こうした作品にこんな古めの小道具が必要になってしまうということは、『パリ・テキサス』でヴェンダースが「最後のアメリカ映画」を撮ろうとしたというのも本当なのかも知れない。
なお、今年みてよかった映画は『ぼくを葬る(おくる)』『ブロークバック・マウンテン』など少数派セクシュアリティがテーマの作品が多い。社会との軋轢があるから実に映画向きの素材だとは思うが、それを『ブロークバック』のように切なさと美しさでなく力強さで描いた点に作家のメッセージがあるのだろう。テーマに関わらず、みた後の印象は実にさわやか。

11月30日 シネマテークたかさき

(BGMはJ-WAVE、小林克也のプリンス特集。プリンスも何というか少数派セクシュアリティの人だが、常に新しいところはすごい)
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最後の一日の幸福の……常舌礼賛宣言

2006-12-15 16:30:04 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
ずいぶんほったらかしで、何度も復活を宣言しながらそのままの「食べ物・飲み物」カテゴリーの再生に、何年か前のある秋の日に、口にするものについて考えたことを。

目覚めるのは時間が早く過ぎる午前中が終わりそうな11時台。
きっとよくあるように前の晩の酒でのどが渇いているから、それを潤すのは水が一番いい。何も遠くから持って来なくても、30年くらい前の家で出ていた、少し鉄のにおいがして粘り気のある井戸水を、蛇口から出してすぐに飲み干す。
ちょっと新聞を読んで、いやいや今回は口にするものだけに絞ろう。少ししたら前の畑で、ねこと話しながら02年に祖父が植えてまだまだ拡張を続ける分け葱のちょうどいい太さのやつを一本抜いて、帰りには物置から何ヶ月か経って少しだめになりつつあるくらいのじゃがいもを一つ手に取る。それから何でもいいから鰹節を入れてお湯を沸かして、うん、これも新しければ何でもいいから大根もほしい。「大地のりんご」と「絶対に当たらない」根っこ二種と、乾燥でいいからワカメを入れてぐつぐつ煮立て、じゃがいもの角がが粉になってお湯に広がり始めた頃に火を弱くして、ここでネギを切る。
味噌は白かこうじか迷うけど、思い切ってこうじ。大根だけなら白だけど、じゃがいももいればこうじがいい。味噌が広がったら火を止め、ちょっと待っててもらう。いつものように仏壇に置いて、あの世の家族たちににおいだけかがせよう。
いよいよ主役納豆殿の登場。おっと、冷蔵庫の場合は台所に来た時点で出しておきたい。銘柄はこれも時代を超えよう。今はない、1985年頃の朝日食品の「水戸納豆」でお願いしたい。すでにミツカンに含まれている、赤い骨何とかもそう悪くはないが、やはり学生時代によく食べた、糸の引きがいいのにかき回して崩れず、しかも歯で噛むと見事に歯のかたちに二つに分かれ、その上根元は太いのに中ほどで緩やかに細くなる、いとおしい糸が伸びるこの銘柄を選ぶ。
最初は気が済むまでかき回して糸との語らいを楽しんだ後、青海苔を一叩き、あまり味はしないけど付属のからしももったいないから使い、足りない分はS&Bのチューブで補足。これは批判があるかもしれないが、味の素も少し振ろう。私の舌は、このグルタミン酸ナトリウム美に馴致されているのだ。
箸にかかる抵抗力が頂点に達し、白っぽい糸がもう我慢できないという表情を浮かべる時、いよいよ永遠の恋人たる醤油と出会う。1985年頃の朝食にはまだなかったちょっと甘いあのたれは今でも使わない。見事な醤油色で化粧した水戸納豆は少し泡を吹きながら、窓から差し込む光の中で恥ずかしそうに肌の色を変える。途中、前の畑の粘土質の賜物たる葱を加え、いよいよ納豆人生最高の瞬間に近づく。
ご飯は、適当な水加減で、できれば炊きたてなら文句はない。大き過ぎない薄手の茶碗にきれいに盛って、ここで個人的に「なっこメディア」と呼ぶ、納豆とご飯を取り持つ一品をご飯に。うむ、これも二品許してもらうなら、あの瓶の蓋が紙で包まれて飾り針金で巻いてある岩のりと、これもグルタミン酸ナトリウム美の極致、信州のなめ茸を半分ずつご飯にかけ、味噌汁のお椀と納豆の小皿とともに食卓へ馳せ参じる。
陽の当たる食卓で、海苔色と茶色に彩られたご飯をここで少しだけ味わって炊け具合をチェックし、口に含んだらすぐ溶けるじゃがいもとやや硬さが残る大根を味わった後で、いよいよ納豆がご飯に乗る邂逅の時。これ以上はない粘度を持ったあの豆どもが緩やかに着地していく様は、すべての食べ物の中でも最も美しい形態だと思う。その白いご飯と赤茶色の色合いとともに。
納豆の豆は歯を真っ直ぐに当てて噛む。するとその柔らかで気持ちのよい感触とともに、これ以外では味わえない独特の魔力が口中を捉え、静かな、その魅力にもっともふさわしい咀嚼を促す。舌にまだ残るうちに味噌汁を含むと、その味わいは水平方向に広がっていく。
ご飯を少しずつ崩しながら、二つの「なっこメディア」のバランスも取りながら。茶碗とお椀は少しずつ軽くなっていく。こうした食事は、基本的に最初の時間から少しずつ、幸福な傾きでデクレッシェンドするものだ。最初の興奮が静かな満足感に置換されきった瞬間、奇蹟的な十分ほどは終結する。
ああ、おいしかったなと思って食器を片付けて、ここで飲みたくなるのは、批判も多いだろうが牛乳だ。ほとんどない脂肪分をからだが欲するのかも。牧場で飲む牛乳のおいしさは十分承知だが、これもできるだけ工夫なく成分未調整に近い、スーパーで一番安いのでパックを開けたてならそれでいい。
これで第一食完了。現在ならサンスターのオーラ2、廃盤になっているものを選んでいいなら資生堂が昭和の終わりに出したメディック・ハーバルを使い、エビスのDATE PLUSで歯を磨く。これも「口に含むもの」の仲間だ。

午後休みはコーヒー。これはもう決定的な銘柄指定がある。
豆は苦味が強く味わい深いキャラバンのマンデリン。電動ミルでいいからちょうどよく挽いて、よく沸かしたお湯で、メリタのドリッパーで落とす。
最初にお湯で豆を浸して、ふわっと広がる美しい姿を楽しむ。約十秒後してお湯を加えていくが、ちょうど一杯分が落ちた時点でもう一杯分がドリッパーに残るタイミングが理想だ。少しずれても後悔するから注意。
注ぎ終わったら残りのお湯でカップを温める。カップはヨーロッパテイストの薄手のソーサーつきもいいが、ここは塾内で使用の、トリュフォー『ピアニストを撃て』その他でよく見て似たようなのを探した、和風茶碗、別名ヌーヴェルヴァーグカップで。冷めやすいのが弱点だが、ゆっくり味わいながら、それでいながら早めに飲み干す。

晩は外食で一番好きなラーメン屋。学生時代に週五回は食べてた三鷹江ぐちで。
まず注文。いとおしい二十年前から変わらないイスに腰かけ、ビールとつまみチャーシューを頼んで、「後でたけのこもやしそばで半熟たまご入りを」と。久住昌之さんの本でいう「タクヤ」はよく、「たけのこそばかな」と指定してくれていたな。
TBSラジオがかかる中、タクヤか誰かが麺を茹でながら常連さんとの話するのをききながらキリンのラガーで、これは世界一の味と歯ざわりを持つメンマと、こっちはほかにもおいしいのが多いから東京でもあまり上位にには入らないだろうけど、品質の不揃いさが楽しい「チャシュー」に、粒子から誰が見ても味の素がJT食卓塩の瓶に入ったのをふんだんにかけ、甘さのないたれなのか醤油なのかをかけた小皿で麺を待ち、自分の麺が茹でられるのを待つ。見事な麺さばき、半熟たまごの妙技を堪能したらいよいよ、へいお待ちとラーメンが届く。
たまごの香りが強いそばのような色の麺、一日二回食べても平気な野菜たっぷりのスープ、このすばらしい小宇宙。まず少しスープをすすってカーッ、うまい、ほかにはない歯触りを感じてウーン、すごい。でも、この店は品質にばらつきがあるから、案外よくない日に当たるかも知れないな。
いずれにしても、無我夢中の一杯。途中でビールはなくなり、とげとげしい味の三鷹の水道水も味わっておかなきゃ。いつまでも終わらないでほしいと願いながらもそうもいかず、やがて麺とスープを同時にほぼ終わらせ、さみしさと満足感が入り混じる幸福のひと時。毎度ありぃ、とタクヤにいわれてごちそうさまです。外に出ると、街並みは変わっても意外に変わらない三鷹の空気。

都合よく場所は飛ぶが、その後に家か塾で紅茶も飲もう。
これは数年前に知った、これまたキャラバンのダージリンで。ポットは葉がよくダンス可能な深いタイプを、カップはけっこう白っぽい日本茶用で飲むのが好きだ。ともあれ、そのマスカットフレバーが楽しめれば十分。

そして家に帰って風呂に入って、ねこといっしょの夜食。このメニュー選びは難しい。
まずビールはキリンのラガー。やはり瓶がいい。メニューは秋の生の頃のさんまの塩焼きと、ちょっと時期が変わるが前の畑の長葱を鍋で食べたい。葱はねこにやれないので困るのだけど、これは想定だから勘弁してもらおう。葱が昆布でほどよい柔らかさになっていれば十分でも、ちょっとさびしいから豆腐も加えよう。これも湯豆腐なら木綿であれば何でもいいが、今買えるものではベルクで売っている粒子が絶妙の98円大山豆腐がベスト。
さんまの塩焼きはもちろん大根おろしと一緒に。前に「これがないと食べられないもの大賞」を選んだ時、納豆のからしをおさえて、さんまの塩焼きの大根おろしを大賞と選定した。醤油はかけません。できればレモンも、すだちじゃなくていい。
さんまがいいのは、どこどこのがいいとかがないこと。太平洋側ならどこでも獲れて、そういうのを食べたことがないからわからないけど、獲ってすぐでもあまり味が変わらなそうなところも内陸住まいには嬉しい。
焼きあがって表面の脂肪がぐちゅぐちゅいったところの魅力は焼き魚中一番で焼肉にも劣らない。ルール通りに頭を左にして、昔は完璧に開いてから、高校の友人H君いわく「偏差値75」の開き技で開いてから食べていたが、緒方拳がキリンのCFで食べているのを見てから開かずに食べるようになった。この方が温度が保存されておいしい。そういう味のためなら、ハイテクニックも潔く捨てるのが正しいだろう。
最初に箸をつけるのは、えらから少し尻尾よりの下、内臓の部分。肝臓はじめ内臓はさめないうちがおいしい。寄ってくるねこにも少しおすそ分け。
そしてねぎと湯豆腐。まず平行四辺形に切った葱。居酒屋などで鍋に長方形に切った葱が入っていると担当者のセンスのなさに葱に同情してしまう。茹でるという行為はおそらく「1/fゆらぎ」に由来する火の通りのばらつきが重要な意味を持つのだし、だいいち葱の断層がきれいに見えることを考えなければ、葱を食べるということにはならないではないか。たとえば夏のきゅうりも、野菜は平行四辺形に切るのが正しいと強調したい。
そんなわけで平行四辺形の葱を、中央から広げて分離させていく。この行為は重要で、これで葱の甘みが広がっていくのだ。おっとたれのことを忘れていた。ヒガシマルのあじわいぽんずでOK。広がった葱の重層は、まずちょうどいい真ん中へんから食べたい。ここがもっともいい具合の柔らかさなのだ。それから中が空でない、とろんとした最内。これは口の中で転がす楽しさがある。それから歯ごたえのある外側へ。硫黄食品の体を温める感じが心地よい。
葱に比べれば、ちょっと湯豆腐に語るべきおもしろさはなく、ただぷるんとた感触を木綿独特のワイルドネスといっしょに楽しめればいい。それに比べて葱の語るところの豊かさ。緑の部分は肉と一緒が、さらには卵も、卵との相性には異論もあるだろうが、仲間の鶏よりすき焼きでおなじみの牛より、私は豚が一番と思っている。なので、さかのぼって一番安い細切れでいいから豚肉と半熟のタイミングで卵、こうなったらついでに申し訳ないが中心部だけ選り抜いた白菜も入れてしまおう。これで立派な豚水炊きだ。
飲み物は、この頃にはビール一本終わるから、次は日本酒で、一つ選ぶのは難しいが富山、立山の普通酒。そうするうちにねこどもはまだ不満かも知れないが、こっちは満腹になって食器片付け。酒はウィスキーに変える。
これも難しいので、三杯飲ませてもらおう。最初に軽やかだけれど味わいもあるスコッチ、J&B、次に華やかさとワイルドネスが同居するバーボン、フォア・ローゼス、そして質実剛健のスコッチ、ホワイトホース。すべて一番安いやつで十分。これで静かに眠ろう。

ここまで読み進んでいただいた方、どうもありがとうございます。何かと申しますと数年前の誕生日にこれと似た食生活を過ごし、その時に、ああ、もし一生の最後の食事を選べればこれが一番いいなと思ったことから、もし一生の最後の日にこれが食べられればという思考実験、最後の一日の幸福の食事です。真ん中の江ぐちは遠いので、まだあった、かつて地元で一番のラーメン屋だった餃子一番でラーメン、餃子を食べたのですが。江ぐちや餃子一番についてはまた後で書きましょう。
さてその時に思ったのは、おそらくこの内容は死ぬまで変わらないだろうという予感。そしてそれは、大体30歳くらいにはできあがっていたのだと思います。
たとえば、ナンバーワン映画の『気狂いピエロ』や、無人島に持っていく1セットならのビートルズ青盤が、もう一生不動の地位を占めるだろうというのよりずっと強く、口に入れるものについてはこれ以上の何かは現れないと思います。こういう状態を、人生が完成の域に達したというのではないでしょうか。それは別に残念でもさびしいわけでもなく、むしろ四十過ぎという年齢になれば選べて当然の場所なのだと思います。
こうやって並べてみると、いかにも日常的な口に入れるものばかり。私にとって大事なのはそういったいつでも飲み物・食べ物で、たとえばエビスビールのようなプレミアムは、いつもの幸せを運び込むものではなく特別な何かなのです。
そういうわけでこの「食べ物・飲み物」カテゴリーのテーマは“常舌礼賛宣言”。いつも食べている愛すべき常舌どもを、言葉少なに饒舌に語ろうと思っています。
常舌礼賛宣言。

(Phは先ほど、朝の食事を味噌汁にキャベツを足しただけでほぼ再現。長文二日がかりだったのでBGMは多く、普通ですごいローラ・ニーノから、これも普通にきこえて変わってる昨夜初聴のヨ・ラ・テンゴの夏の新譜)
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さむいおもいであったかい

2006-12-12 02:32:50 | 週間日記
火曜未明になってしまいました。先週日記です。

4日(月)昼、いつもの電話取材後U2に。詳しくは7日の記事
5日(火)朝帰って寝直し、晩には打ち合わせで市ヶ谷。終了後、駅近くのチェーンさくら水産というのは初めて行ったが、安い割に味に無理しているところが何もなくて気に入る。終電で帰り塾で寝る
6日(水)昼は泡食って原稿。D2でねこ砂など買い、車内用FMトランスミッター接触不良になったのでカセットアダプタを購入したが、前に誰かのをきいたのより格段に音がいい。技術の進歩か。なお目についたネルシャツ1枚購入。安いからといって妥協して買うのはもうやめだ。納得の行くものだけ買おうと当たり前のことを決意。いったん帰ってアダプタ買ったのを思い出しテストのため群馬にドライブ。晴れた17号BPでU2をきき、あまりのよさに泣ける。晩は出張授業で、その後同級生M君宅で少し飲み朝まで寝ていく
7日(木)起きてまず読書。森絵都『リズム』を一気にで朝からちょと涙ぐむ。少し仕事して夕方から塾でOB・I君と就職について話す。夕食は西島・伊勢屋でラーメン、これは実にオーソドックス
8日(金)時間あり、午後は自宅映画ダルデンヌ兄弟『息子のまなざし』はやはりすごい。時間なく山田うどんで天ぷらそば、ハードオフにディスプレイ探しに行くが適当な品なし。晩は塾。新譜CDといって春の盤だが、温存しておいた sonic youth "rather ripped" 初聴
9日(土)昼は競馬だめ。夕方ハードオフのために利根川越えて大泉、太田にで、晩は太田・しまうまや塩ラーメンはややしょっぱ過ぎるが丁寧なつくりな上に個性も十分で好感。周辺では一番きちんとした本屋ブックマンズアカデミーで立派書パワーを存分に浴び、さらにブックオフにもに行くが、誘惑に打ち克ち何も買わずに帰還
10日(日)朝から撮影。午後には終わり、関係者Kさんと本庄・大勝軒へ。帰って自宅ソテック機データ復旧に挑むがならず

U2騒ぎの一週間。サッカーはアーセナル:トッテナムのノースロンドンダービーとCLバルサ:ブレーメンは早々試合が決まったので流して。少しサッカー離れが進んでいそうでそれはそれとも思う。「U2前夜」で書いたことだが、数年前に塾OBのサッカーファンと話していて、そのうちあの頃はあんなにサッカーをみていたという日が来るのかもと話していたもの。
しかしねこのやつらとはこっちが人間であるうちはつき合おうと思っていて、寒くなってきたこの頃、PC前で足を伸ばしていると、その上にねこ山脈が連なっていることが常でいかにも重い。それでもやつらが寝てると温かくてストーブも要らなくて、そのありがたさは寒さがあってこそわかる。
さむいおもいであったかい

(Phはさっきのそのねこ山脈。脚を出すと散り、入れると集まる集散のスポーツ。BGMは、さっき行ったおしゃれ焼き鳥屋でハービー・ハンコック『処女航海』をきいたので久々にききたいと思ったが、確かこの間父親PCを使った時に持っていったままと気づき、代わりにといっては申し訳ないがすぐ見つかったバド・パウエルで確か邦題は『バド・パウエルの芸術』。タッチの点では、一番好きなジャズピアニストかも知れない)
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野上弥生子随筆集『花』―「山よりの手紙」の中の『マルクスの娘たち』

2006-12-10 23:54:28 | 読書
U2だのイーストウッドだの荒くれた話が続いたので、ここで一つ、明治生まれの女性が老境に達してから書いた随筆です。

【introdoction】
著者の wikipedia の解説は(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E4%B8%8A%E5%BC%A5%E7%94%9F%E5%AD%90)。1885年、明治18年生まれとは私の祖父より20歳上だからその親の世代です。何といっても漱石の直弟子ですから。
名前くらいしか知らなかったこの人の本を古本屋で手に取ったのは、(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/ffdc06044018da7778f5ba47df7cdae8)にあるように古い随筆は必ずおもしろいというものさしからで、しかもその古い人が1970年代というけっこう最近に書いたものとあって興味がわいたので。それと品のいい表紙。ただ、この新潮文庫はもうないようで、岩波の随筆集があるようです。

【review】
うちの祖父母などもそうだったけれど、この頃の日本人は私たちとはずいぶん違った世界を生きていたのだなと改めて思う。それは(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/9da3251a7c57c48ef5735b068c3ea832)の週間日記にも書いた、小鳥の行方を思いやり、道を歩いていると河童がついてくる声が聞こえるというような、何とも楽しくて素敵な心持ち。山小屋の柱やガラス窓にも「帰ってきました」というのだ。
祖母なども生前よくたぬきにばかされた話をしていて、それを「そんなこといってたんだからおかしいねえ」といっていたのだから、あるひと時期まで信じていたのだろう。現代中学生などと話をしていると、何歳までサンタクロースを信じていたかが話題になることがあるが、コカ・コーラ商売の産物たる赤いサンタより、信じて美しいものがたくさんあるのではないか。
小鳥と河童の子の「巣箱」、これだけ30歳前に書いた童話仕立ての「いろいろなこと」、奈良美術とある編集者の仕事を書いた「春閑」、「先生」としての「夏目漱石」と、どれも面白い話ばかりなのだが、特に一つ紹介するとしたら「山よりの手紙」。お見舞いの返信らしいこの手紙は、容態や病院の話、老境の死生観などが語られた後でまったく思いがけない展開を見せる。
岩上淑子さんという翻訳者が送ってくれた『マルクスの娘たち』という本について語り始めると、お見舞いのことなどまったく関係なくなり、この感動的な本についての言葉がどこまでも続く。その長さ40×16だった当時の新潮文庫で40ページ弱。約25000字、原稿用紙で60枚以上だ。
この本の内容がまたすばらしい。波乱に富んだ人生を歩んだマルクスの3人の娘については何かで読んだような記憶もあるが、その何かでは伝わらなかったものがこの手紙には記されている。幸福な少女時代と、史上稀なる父から受け継いだ高潔な精神、そして思うように歩まぬ人生。これらの骨太の物語を語り始めると、百歳近い生涯ずっと現役だった作家の魂が叫ぶのだろう。
この手紙の中で語られるこの作品の何と魅力的なことか。おそらく、実際にこの本を読んだとしても「山よりの手紙」の中の『マルクスの娘たち』のようなすごみは感じないだろう。それはそうだな、たとえば草についた農薬の毒が食物連鎖を重ねるにつれ濃縮されるように、感動したことを語るからこそ生まれる、そういう種類の感動だと思う。
それにしても、独居の軽井沢の山小屋でこの手紙はどのようにして書かれたのだろうか。自分のことを書いている最初の部分のアンダンテから、一転してスケルツォで奏でられる『マルクスの娘たち』の人生はこういう書き方しかできないのが惜しいが絞りつけるように美しい。ただ身辺のことを書いていた途中、この物語のことを書きたいという欲求に捕らえられた瞬間の表現者の業が、文字の列の中で躍り上がっている。
これこそが文学の不思議なのだと思う。この意外な展開に比べて、近年の観客を体よく驚かせるためのハリウッドや邦画メジャーのどんでん返しの何と悲しいことか。驚くということは驚かせてもらうことではないはずだ。
さて現代でも、河童の声を聞いて、『マルクスの娘たち』の物語に感じることは可能なのだろうか。河童ではなく、マルクスの娘たちではなくとも、同じように生きることは、きっと難しくはないと思う。
「いろいろなこと」からの引用を最後に。

なおその饗宴はいとも些かに簡素で、お皿の数も乏しかったとはいえ、フランス王立劇場の花形女優のラ・フォースタン姉妹のお料理で、そのお給仕で、なおまた可愛らしい小鳥たちの伴食と音楽で催されたのは、どんな貴人にも望めなかったことです。私は思います。アタナシアデスお爺さんのその食事は、おそらくその晩のパリのどこの晩餐会よりも豪奢に贅沢なものであったはずだ、と。

10月30日読了 中目黒の古本屋

(BGMはキャット・パワーの名盤 you are free は何やらアニミズムな感じです)
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C・イーストウッド『父親たちの星条旗』―第一部だけでも戦争映画の新たな傑作

2006-12-09 03:27:36 | 映画
順番無視で今日は映画。明日の『硫黄島からの手紙』公開前にと思ったので。

『硫黄島』をみた後ではきっと印象が変わってしまうから今日のうちに。この第一部だけでも十分な傑作だと思う。
まず監督イーストウッドの、76歳にして新たなジャンルに挑戦し、しかも相性のよくないCG、記憶の中では一度もやったことのないバラバラの時間軸といった冒険を余計なこだわりなく導入した素晴らしいアティテュードに敬意を表したい。きっと方法より、描きたいことの方が先に出る人なのだろう。何よりも映画を知り尽くした職人であり、どんなにしても娯楽性が失われないところがすごい。
たとえばCGでいえば、スピルバーグ色が強い戦闘シーンより、物語的にも大きな意味を持つスタジアムのシーンだ。あの観客と花火に、縦方向のカメラの移動を使って実に効果的な映像にすることに成功している。
そして、さっき立ち読みで確かめようと市内の24時間書店に行っても見つからなかった原作ではおそらくそうではなく、脚本P・ハギスの手によると思われる自在の時間軸。この映画ならではの手法を物語がわかりにくくなるとする向きもあるだろうが、それより登場人物たちの心情を表すのにあげていた効果を重くみたい。このカットバックがなければ、イギーのエピソードは伝えられないだろう。映画に必要以上の説明はいらないのだ。ハギス脚本も、個人的にはいまいちだった『ミリオン』より『クラッシュ』より数段よかった。
そして、印象的な二つのシーン。硫黄島に向かう船でラジオに聴き入るところと、涙を誘う浜辺の海水浴シーン。たとえば、ドクが遅れてゆっくりとズボンを脱ぐシーンを後ろから撮るような、当たり前過ぎてしかもこれ以上には考えらず揺るぎない演出は、イーストウッドの真骨頂といえ、しかもこのシーンのような印象はかつて彼の監督作で味わったことがない。つまりは76歳にして彼の映画力は進化しているのだ。
難点をあげれば、確かに3人以外のエピソードはわかりにくかった。かといって、これらを切って捨てるのがよかったとは思えないのだが。監督の話ばかりになったが、アダム・ビーチはじめ俳優陣もすばらしい。
本作のエピソードが、『硫黄島』でどのように展開するのかも楽しみだ。それにしても、『ピアノ・ブルース』のような珠玉の作品をつくったすぐ後にこういった作品ができるのだからおそれいる。そういえば終映後モノクロのドリームワークスは、淀川氏が『タイタニック』の時に強調していた追悼の意なのか。
戦争映画の新たな傑作の誕生を賞賛しよう。けれどもこの後もイーストウッドで好きな作品といわれれば、『ホワイトハンター ブラックハート』や『ブロンコ・ビリー』と応えてしまうんだろうな。そしてそれはイーストウッドの世界の、とめどもない広さを物語っている。

(BGMは今日が命日のジョン・レノンで『ダブル・ファンタジー』から『アコースティック』。そういえば、何をやっても娯楽性を失わないところはイーストウッドと似てる)
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“マンデイ・スマイリー・マンデイ”―U2来日公演最終日レビュー

2006-12-07 23:46:26 | 音楽
12月も早くも7日。5日からマフラーもし始めましたが、まだ自室は暖房なし。わけもなく、ただ乾くのが嫌なのと単に面倒なので耐えています。
というわけで、きっともっと寒いだろうアイルランド出身、U2日本公演最終日のレビューです。

会場の埼玉スーパーアリーナに着いたのは大体6時。HPに整理番号順で入場とあったので、開演1時間前に着いた。同行のネクタイでの参戦の弟とは駅で落ち合う。やつがビールを買っていないので、やむなくL缶2人でちびちびでの車中だった。
初めて来たが、街全体は数年前に一度来た時よりSFっぽさに磨きがかかっている。わけのわからぬまま若者どももたまる橋の上に来ると、まだ整理番号100番台。こっちは760なので時間がかかりそうと、弟にビールでも買ってきた方がいいんじゃないかといってやつは駅そばコンビニへ。しかし意外に早く列は進み、こりゃ大変だと思ってたがやつは追いついた。幼稚園児の頃は雪の中、学校に向かう途中で遭難しそうになって泣いたこともあったが成長したものだが、当たり前でなんつってももう38だからな。
弟がなんと唐揚げを買ってくるという離れ技を見せたので、ぱくつきながらちょっとこういう制度はやめて細かく区切った方がいいじゃねえかなどとこういう時の紋切り型である主催者批判でしばし待ち、黒ラベルL缶飲み終わる頃入場。空き缶を持っていたら「缶は持ち込めないですよ」と係員がいうので、入って捨てようと思ったんですよというと彼が受け取ってくれた。なかなかいいやつじゃねえかと先を急ぐ。
まだ開演には1時間あったが、弟とAブロックたる空間のあまりの近さに驚いたり感謝したり。ボノの立ち位置が教室の一番後ろの席からくらいという距離だった。フジロックやライブハウスならいざ知らず、こういうアリーナでのこの距離は初めてかも知れない。いやがうえにも期待は高まる。
じゃあ落ち着いたしということでトイレついでにハイネケン500円を弟の分まで買って来て、いや~っなんて、さっきまでの主催者批判は忘れて思わぬ僥倖を噛み締めていると、後ろの西欧人が where did you buy beer? (ここから和訳で)あそこです、あまり遠くはないですよ~首をすくめてノー。おお、さすが西欧人、根性がないともいえるが何とも合理的じゃないかと思いつつ少し話すと、彼ら男女は香港からU2をみるために来日したという。:そうだ、ここはアジアなんだと思いに浸っていると、ファーストヴィジット・ジャパンというレディの方が、あなたマドンナは見たの? などときく。うーん、やはりよくわからん。そのうち弟がトイレに行くからさらにビールを頼み、ウッジューライクビア? ヒール・ブリングユーで、香港ジェントルマンはサンキュー。戻って来た時には人がかなり増えていて、本来なら4つじゃなきゃつかないホルダーをつけてもらったという弟は、途中若けえやつに「ホントかよおっさん」などと批判されながらキャリーしていたらしい。チェンジはいいという香港西欧人にそれではと返し、アジア在住3紳士はU2に乾杯して開演を待った。

そして7:50頃だったか、正体不明な、弟によればボノ考案によるLEDパネルが一斉に発光し、ダブリン出身の4人の山師どもが巨大な音を立て始めた。
1stチューンは最新作から City Of Blinding Lights。サウンドとともに後方からの圧力でさらに前方に押し出され、弟も香港カップルも視界から消える。まあいい。今夜はU2のやつらがいれば十分だ。また終わったら会おう。初期の頃からするとものすごく安定したリズム隊にエッジのギターがキラキラと光り、貫禄のついたボノが伸びやかな声を乗せると山師はロックスターになる。ライブ一発目の感動はその日のハイライトのひとつだけど、こんなに嬉しかったのはそうだな、ポール・マッカトニー、ペイジ&プラント、ジョン本人は無理でも息子のショーン、それとパティ・スミスくらいしか思いつかない。やはり大事なのは出会いから20年という時間なのだ。
終わってから確かめたが今回はすべてこの曲だったらしい。今CDをきき直してみると曲の印象はまったく違う。アルバムではさわやかさすら感じさせる佳曲だが、スピードアップしたライブ版は熱かった。そして oh you look so beautiful tonight の大合唱。
興奮の約4分の後、レコードの uno, dos, tres... でなく「いち、に、さん...」で始まる vertico。まったく商売上手になったぜ。ipot と連動していた赤い円がぐるぐる回る。エンディングで she loves you の一節を歌うと会場は yeah, yeah, yeah。幸福なロックの一夜。
客席に深く伸びた花道に、ボノがエッジが走って行きスポットライトが当たる。後できいた話によると弟の近くの若きロックンレディは、「すごいただのおじさんなのにカッコイイ」と感動していたらしい。これには前から思っていたこと、たとえばボノみたいな容貌の輩はニューヨークあたりを歩いていれば1日に30人はすれ違うだろうし、エッジなんかロンドンならアスコット競馬場あたりの隅っこにいても誰も気づくまい。これだけルックス面でオーラを感じさせないでスタジアムを満員にできるポップスターがいただろうか。
近年のライブの映像、そして今回の公演をみて感心するのはそのエンターテイナーぶりだ。(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/2b6bf75e06c16d0807d7d8987e98b7fe)にも書いたように20年前、事件の背景など知らずに sunday bloody sunday をきいてそのひりつくようなスピリットにただひきつけられていた頃、彼らがこんなみているだけで嬉しくなってしまうようなパフォーマンスをするとは思いもよらなかった。それはたとえば高校の頃は生涯ナンバーワンアルバムだった peter gabriel の3rd。U2と同じプロデューサーの手になるその作品の作者が確かベストヒットUSAか何かに出てニコニコ笑っているのを見た時、おお、gabriel はいつも「開拓者のない狩り」とか一般人に理解できないことをいって決して笑わないのではないのかと、はぐらかされたような気がしたのと似ている。その当時の私は、怒りに燃えたアイルランドの若者は、常に怒りをたぎらせているのだと思っていたのだ。もちろん今回の意外さは悪くない。
そうする中、件の sunday bloody sunday。how long must we sing this song という見事な一節を持つこの曲は、前回来日ではおざなりな演奏に終わったときいた。今は coexist を掲げて歌われるこの曲。これだけ政治的なメッセージの強い曲がこうやって歌われることに一時の私は、ある種の違和感を感じていた。だが、今思うのはたとえ偽善に見えても善行は善行であり、偽善かどうかなんてすぐにはわからないということだ。先週出ていた筑紫哲也の番組でも、批判があるのはわかるがそれでもやるしかないというようなことをいっていた。ひとまず今はこいつらのいうことは信じよう。帰りに並ぶアムネスティやらエイズ撲滅運動の人々を見てそう思った。
そしてあっという間に時間は過ぎ、独特の長いMCから one。レパートリーの中でももっとも美しいこの曲でスターはいったんステージを後にしアンコール。舞妓さんフロム京都をステージに連れてくるところなんか、ストーンズみたいだ。名曲 with or without you も、もう一度ラストに「いち、に、さん...」 vertico。
この上ないロックショーを目撃し、世界が一つになることの重要さも少し感じた中年兄弟は互いを見つけ、魚民でニコニコしながら飲んでいたら終電を過ごして大宮の別の居酒屋で寝て朝を待った。
世界に上り詰めたポップスターが20年前に歌ったのが「血まみれの日曜日」ならこの日の兄弟が歌ったのは「微笑みの月曜日」、そう Monday smiley Monday。こっちはいつまでも歌っていたい。
ありがとう、ダブリンの山師集団。

(写真は2度目の「いち、に、さん...」 vertico。BGMは最新作とヘルメット・ベスト。セットリストは http://u2fan.blog68.fc2.com/blog-entry-207.htmlが参考になりました)
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季節外れの陽差しも冷たい霜も熱いU2も、同じ12月はじめの一日

2006-12-05 14:15:55 | 週間日記
昨夜はU2。弟と行って帰り飲んでいたら終電乗り遅れ、居酒屋で寝て朝を待ちました。詳細は後日。
今日は先週日記です。

27日(月)昼、取材1件と原稿、直しなど。途中、弟の同級生A君と一緒に飯を食っていたというY君が現れ、弟とともに楽しいだはだは話。久々のA君、T君、38歳はぐっと年齢が来る。夕、塾でM君とテスト勉強。OB・I君も現れ、夜26時頃まで話し、やつが朝の仕事に出かけた後そのまま寝てしまう
28日(火)帰って昼は原稿。晩、豊里・永来でタンメン~早い時間から寝てしまい、朝3時に起きて原稿の続き
29日(水)原稿クリアし晩は出張授業
30日(木)9月に買った3回券を消化すべくシネマテーク高崎で『トランスアメリカ』はよかった。方々声をかけたか志願者現れず1回分むだになるのも惜しいと入口前で割引ダフ屋になろうとするが、5分前では客も来ずまあそんなところ。終映後10分で電車に乗り、りそな前深谷ナンバーワンサンドウィッチ屋フジヤを車中食べつつ、出張テスト勉強はしごこなす
1日(金)テスト終了で塾休みも、夕方出かけその途中、人見・あじとで味噌ラーメン。進歩は疑うことから始まるのではないだろうか。次回に期待。その後、熊谷マイカルで『父親たちの星条旗』はすごい
2日(土)昼、撮影。本庄に行ったので帰り大勝軒はやはり完成度が高い
3日(日)朝起きて、短いのに中断していたP・オースター『幽霊たち』読了。昼間は余裕あり競馬当たらず。晩はOB・I君が来て話

サッカーはショッキングなフルハム:アーセナルのほか、ビジャレアル:バルサにマンU:チェルシー、バンレンシア:Rマドリーとカードはよかったが、内容はイマイチなゲームが多かった。それから優勝の瞬間をと、福田解説のテレビ埼玉レッズ戦も半分だけ録画で。
今朝深谷駅に着き、線路の上から見事に赤く広がった東の空を見る。それから車に行ってみるとウィンド霜で凍り。帰ってさらに昼まで寝ると、12月とは思えない小春日和で陽が静かに眩しい。
季節外れの陽差しも冷たい霜も熱いU2も、同じ12月はじめの一日

(写真はでかくなってきたオディール三きょうだい3段重ね。BGMは昨夜のおさらいでU2のヘルメットベスト)
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"with or without you"―U2前夜に

2006-12-04 01:45:31 | 音楽
12月最初に日曜。久しぶりに仕事らしい仕事はまったくせず、いい天気だったし、うっかり昼っから飲んだりしていました。
いよいよ明日は春から延びたU2公演。熱い話は冬に書いた(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/2b6bf75e06c16d0807d7d8987e98b7fe)ので、今日は先ほど塾でOB・I君と話をした後、J-WAVEで小林克也のエリック・クラプトン特集をきき、そのU2の記事を読み直して考えたことからさらに考えたというか思い出したことを。

最初に知ってから20年以上で、それなりにずっときいているミュージシャンの公演に行くというのは、ひょっとしたらもう最後かも知れない。そういうミュージシャンというのは、もうあらかたみてしまっているからだ。
ほかに誰かいるだろうかと考えてみれば、ケイト・ブッシュくらいか。キンクス、レイ・デイヴィスもみていないが、実はキンクスを本当にきき始めたのは30代になってからだ。日本人も中島みゆきはみていないが、まあその気になればいつでもみられそうなのが国内アーチストのいいところだろう。そういうわけで、もう一生で残り少ないだろう、長年敬愛してきたアーティストへの初見参ということになる。
前の記事を読み直して思い出したのだが、そのU2とてずっと愛聴してきたというわけではない。一時は多くのメディアに乗っかって、「悪魔に魂を売り渡した」と愛想を尽かしていた。そういえば今は自分にとってもっとも大事な音楽と公言しているビートルズさえ、プログレだのハードロックだのをきき始めた高校の頃からは幼稚な感じがし始めてあまりきかなくなり、大学を出てCDプレイヤーを入手してから再びきき出したのだ。

と、実はここからが今回の本題なのだが、こういうことは一体どういうことなのか。そういわれてもまったく普通のことにしか思われないかもしれないが、同じ人間の一生の中で同じ音楽がよくきこえたりそうでなかったりすること、これはけっこう不思議なことではないか。
さらに広げて、「通常の人間関係」もまったくこれと同じだと思う。特に地元の友人などでは、何かがきっかけで会ってしばらくぶりに話すと面白かったりして、それから約束したりしてしばらく付き合いが続く。なのにまたしばらくすると、何か特別なことがあったわけでなくても会う回数が減って自然に何年も会わずにいて、それでも別にさびしくも変でもない。どちらかというと田舎に多いだろうこうした付き合い方については30を過ぎた頃から不思議に感じ始めて、周りの人々にも調査すると、男女に関わらず大体みんなそんな風らしい。
ならば人に会うということはどういうことか。会っても会わないでも同じ、それではちょっと意味は違うけどU2の名曲のタイトル "with or without you" ではないか。

このことについて書かれた文章で、忘れられないものが三つある。
まず、荒川洋司さんが読売に書いていた中谷宇一郎のエッセイに関する文(『文学が好き』収録)。これは中谷が由布院に住むお祖父さんか誰かを訪ねた時の話で、その老人がいったという「会っても会わなくても同じ」という言葉から、死に別れるということと生きているのに会わないということについて書かかれたものだ。
次は佐藤雅彦さんが『毎月新聞』で書いていた、高校の友人が10年くらい前に死んでいたということを知り、そのことよりそれを自分がまったく知らないで今まで生きていたということがショックだったという文。
そしてもう一つが、保坂和志さんがこれも毎日の書評欄の連載で書いていた、中学校時代の日記が出てきて読んでみたら友だちがどうしたとかそんなことばかり書かれていて、そのこと自体もそうだが、それよりそのことをまったく忘れていたということの方が驚きだったという文だ。

U2に出会ったのと同じくらいに出会い、今も自分のものの考え方の基本にある本に岸田秀氏の『ものぐさ精神分析』があり、その中の「時間の起源は悔恨である」という一節は今も心に深く刻まれている。それはよくできた話だが、今の私の中で「時間」は起源がどうであれ、何より“驚きの舞台”だ。
ちょうど前に書いた“ワールドカップ実存主義”(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/5185a3c23edc05714e055674a97044a2)の頃から、自分の一生の中で“今”という時間が相対化されるようになったのか、今の時間を「ああ、この時間はきっと死ぬまで忘れないだろうな」と思うことが多くなった。と同時に、「今はこうだけど、これはいつまでもこうってわけはないのだろうな」と思うことも増えている。"sunday bloody sunday" で熱狂的になった時も、"zooropa" でもう終わりだと思った時も、その感じはいつまでも続くと思っていたのに。同じように、誰かと多くの時間を過ごしている時、後であの頃あいつと同じ時間を過ごしたと思うようになるだろうなと思うことなくその時間を、少なくともかつては過ごしていた。

そんなU2前夜、さっきまでの最新作の後、やはりこれと、贅沢をいえば "one" と "vertico" があればいいだろうというヘルメットベストをきく。たたみかけるような前半の名曲連発の間、with or と bloody にはさまれた "I still haven't found what I'm looking for" は、どちらかというと地味で今までそんなにいい曲と思ったことはなかった。それが今きくと、その気恥ずかしい歌詞とともに何だか心にしみる。養老孟司氏がいうように、やはり情報は変わらず人間が変わるのだろう。音楽や抽象的な思想なら時代を超えることができるのに。

だから明日、たとえば "with or without you" が始まる時、この瞬間をいつまでも忘れないと思うだろう。そしてそれで何年か経って明日という日の晩を思い出す時、あの時あんなことを考えていたなと思い出すだろう。そういう風に時間は不思議で、音楽はすばらしい。生きていてよかった。

(画像探して検索すると「セットリスト」の文字が。絶対見てなるものか)
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ただ蓋となりし 哀しきディスプレイ 第一容疑者やぴん

2006-12-02 03:00:19 | ねこ
12月になりました。いい天気です。
一応冬ということで、昨夜に室内蛍光灯を赤い冬用に。それからこの冬初めてネルのシャツを着ました。そんな今日はねことPCの話です。

それは身の引き締まる11月末月曜朝のこと。
前週購入1万5000円FMV。休暇中自宅ソテックDT代理としてお勤めの後、作業員着眠につきお悧巧XP自動休眠。ゆえに愚か作業員は、てっきり普通に休んでいるものと思い込みけり。ただディスプレイが1年ほど前の荒川静香とまではいわずども、ほぼ180度の寝転びあまりにでき過ぎた休息と、もうすぐ最前線から退く構えのXPに敬意を表しつつもいぶかりながら。
それで復帰させようとスイッチ入れるも、従来PC奴になきカンカンいうHD働けど寝起きのディスプレイ目覚めず。おい起きねばならんと再起動などさまざま試せど、心拍数落ちし冬眠クマさんの如く微動だすることなく、ただカメムシの寝息のようにかすかな画面の残像のみ映す14吋スクエアフェイス、実にけなげも役には立たず悲し。様子よりこれバックライト切れしと思い、CRTつないでみるに壁紙とせしアンナ・カリーナ嬢ばちりと映りしがまた、何ゆえこの画面に映らんと悲しむもせんなし。
見るに右手より、春生まれの片目灰色ねこやぴん、からだ低く構え、海のそこの如しディスプレイに前足で突撃す。突っ張りくらいし14吋そこは無機物の悲しさ。なすすべなく後ろに倒れたまえば、やぴん殿これ当然として走り去る。

難読失礼。
要するに、先週買った1万5000円FMVを開けっ放しで寝たらねこどもがディスプレイに飛び掛ったらしい衝撃でバックライトが点かなくなってしまったという話です。ひょっとすると何かスイッチがオフになっただけかとわらをもすがる思いで「パソ困」にも相談してみましたが、やはりバックライトのトラブルのよう。メーカー以外でも1万5000円程度かかるらしくそれでは購入価格と同じになってしまうのでこのままディスプレイをつないで使うことを決意。いっそのこととってしまってもいいわけですが、ディスプレイ殿には輸送時のキーボードの蓋として活躍してもらおうと思っています。
寝ていたゆえ犯人はわかりませんが、その後飛び掛ったことからやぴんが有力容疑者。しかし証明する手立てもないし、まあ、やつらのようなものが立っているものに飛び掛るのはせんなきこと。開けっ放しで寝てしまった人間の私が一番悪いのでしょう。富士通がねこアタックに負けないくらい強力なヒンジにしてくれたらとも思いますが、開発者も工夫を凝らした製品がそのような攻撃にさらされるとは想定外でしょうからしかたありません。月曜に倒れなくても、いつかはそうなっていたはずです。
言葉の通じないやつらに、「これはパソコンといって中古でもちょっとは高くて、しかもけっこう壊れやすいんだ。だから飛び掛っちゃだめだぞ」といっても通じません。だからやつらが手を出せないような環境にすることは、言葉を操る能力のあるものの、一種のノブレス・オブリッジではないでしょうか。どんな場合にも言葉の通じない暴れ者の手の届くところに、壊れやすいものを置くことは怠慢です。もっともこっちの暴れ者はそれなりに愛すべき存在で、やぴんが低く構えてだっと14吋に戦いを挑んでいった時も、あまりのおかしさに損害も忘れて笑ってしまいました。
ごめんFMV、まあ頑張ろうぜ。

(PhはそのFMVと自宅CRT、ちょうそその上に乗ったやぴんも。壁紙はゴダール『はなればなれに』より(http://www.bowjapan.com/bandeapart/index.php 更新すると写真が変わります)。BGMはNHKBSでやってたゲルギエフ+PMFオーケストラというののモーツァルト~ストラヴィンスキー~チャイコフスキー。やはりストラヴィンスキー「ペトルーシカ」で耳が止まる)
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