小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「幸福なシーシュポス」~祖父の物語その3

2007-09-25 23:51:34 | 身のまわり
「週刊日記」の番ですが、意外に長引いたこの記事から。すみません、あまりに長くなりました。

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今年はまだまだ暑いけど、一番好きな季節。一生で今まで、三人の家族がこの世を去ったのは、みなこの季節でした。もしも最後にみる世界が選べるなら私も、春より夏より冬より、この伸びやかで翳りがある美しい光線の中がいいと思います。

gooブログでは恒例、Mixiでは初めての家族命日書き込み。ちょっと過ぎましたが、18日はポーツマス条約の1905年に生まれ、2004年に99歳手前で死んだ祖父の命日です。

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いつのことだったのだろう。自分が車に乗っていたような気がするから高校生の頃ではなく大学を卒業して帰って来た頃か。何やら思うことがあるらしい祖父が、
「ちょっと、まこ、来てくんど」
と、頼みに来たのは。

「なに、おじいちゃん」
春だったか秋だったか。暑くも寒くもなかったような、ののほんのした空気の中、わが家では「東のバラック」と呼ばれる、これは鉄骨だけ近所の大工さんにつくってもらって、それができる前にあったバラックに使っていたトタンを祖父が貼ってコールタールを塗りつけた、こっちは昭和一桁生まれの教育公務員だった父によれば「みっともない」けれど、今風にいえば「リユース」な建物。呼びに来た祖父について、その東のバラック北側部分に行った。

「これ、ここ、持っててくれっか」
そういう祖父の手には、これも先代バラックの一部だったと思われる、隅っこのかけた木材が立っている。雨は降ってなかったから適度に硬く柔らかさもある、この土地固有の粘土質の土には何の固定する設備もない。
(ああ、こうやってつくるんだ)
おそらく祖父が八十代で孫の私が二十代の半ばだから二十年ほど前。それまで長いこと不思議に思いつつ、まあどっちでもいいことだから放っておいた、一つの“謎”が融解した瞬間でもあった。

今もわが家敷地内にはいくつか、祖父の作品群が存在している。
その東のバラックのコールタール塗装と北側付け足し部分、「西のバラック」、それから小さい「畑の小屋」。
さらに現存しないものの記憶をたどると、旧母屋の土間だった台所に張った床、旧母屋本体から東にせり出してつくられていた「旧東のバラック」、母屋普請の時に「現東のバラック」に自ら張った床。西の方には枯れた木が積まれた粗末なバラックづくりがあったような気がするし、現在の家のブロック塀から母屋までは今は撤去された竹を張った柵、もうほとんど干上がってしまった日本地図のかたちをした池は、「北海道」以外は私が子どもの頃に左官屋さんかなんかが来てつくっていたが、生まれた時からあった「北海道」部分はきっと、祖父のがつくったものではなかったか。

それらがどの程度、祖父自身の作品なのかはよくわからない。けれどそれが戦後生まれのわれわれが考えるのとは、まったく違った制作プロセスで行われていたことだけは確かだ。
たとえば作品名「東のバラック北側付け足し部分」。私がアシストしたその制作場面を、「シネマトグラフ」提唱者、ロベール・ブレッソンの文章化は至難の業と思われる映画的手法を小説に取り入れようとした保坂和志『キャットナップ』の冒険を見習い、勇気を振り絞って描いてみよう。

「持っててくれっか」
祖父にいわれた柱は、何かの梁であったのか、ところどころにほぞ穴が開いている。いわれた通りに柱を持っていると、祖父はバラック本体からその柱に向かって、この建築部分の「仮の」梁を延ばした。
そこでその梁と柱を釘か、それともひもか何かだったかも知れない。とにかく何かで固定すると、今度は地面と平行でバラック北側のトタン壁とも平行に、つまり横の梁を延ばす。すると今度はその横の梁を始点にして両側の地面に向かう、これは現在も残っている「本番の」柱を下ろした。それから横の梁と本番の両側の結び目から、またバラック北面への梁を延ばして、これでだいたいの骨組ができる。そうすると最初に私が持たされた、「仮の柱」は撤去されるのだ。
細かいところは間違っているかも知れないが、大まかな作業の工程はこうだったと思う。学校やら書物やらで余計な知識をつけてしまったわれわれは、建物はきちんと土台をつくって、その上に柱か、ツーバイフォーなら面、そういう上部構造を載せていくと思い込んでいる。だが、どこで学んだかわからない祖父の方法は、最初に真ん中の「仮の柱」を置いて、そこから左右に広げていくというもの。それは土台から側面という手順からまったく外れてはいるけれど、その後でこれも読書を通して知ったクモの巣の張り方にも似て、構造物の重量を考えればもっとも合理的ともいえる、まったく無駄のないやり方だった。
といっても祖父の方にはこの見事な技術を孫に伝達しようという教育的意図はないらしく、ただ150センチに満たない自分には届かないところを支える「高さ」として179センチになっていた孫を利用しただけに違いない。作業の途中で、
「もう、いいかんな」
と放免してくれた。
その後の私は、多分当時はそれが大事と思っていたのか、それともただの暇つぶしかの用事のために外出し、帰って来た頃にはすでに現在もその場に残る「東のバラック北側付け足し部分」は完成し、祖父にとってそれを入れるのが目的だったらしきあれやこれやが、ずっと前からそこが自分の場所だったかのように、安心し切って鎮座していた。

なぜか彼岸になって光は秋の色になっても、夏のような空気が祖父のいた畑をなでていた3日前の昼、祖父の作品集である敷地内の建築物を調べてみた。
全体の構造は、どう考えても堅固とはいえない。これでよく風雨に耐え、二十年以上も建っているなと感心するほどだ。
件の「土台」を見よう。建物の輪郭に沿って並んでいるのはいずれも「石」の素材。それも、東京駅に使われたことを市が誇りにしてい地産のレンガだったり、ものすごく軽そうなブロックだったり、つまりあるものを集めてきた「リユース」品で、同じようなものが庭の母屋と離れをつなぐ飛び石などに使われているその「石」の土台から、これもいつのものだかわからない木製の柱が伸びているのだが、その接点がよくわからない。ある部分は、これもどこから取ってきたかわからない部材でレンガと木がつながっているし、ある部分はブロックの穴に向かって木材から釘が打ち付けられているように見えるが、それでもどうやって「石」と「木」がつながっているのかわからない部分がある。

つまり、何がどうなっているのかわからないけど、決して崩れないまま二十年以上、石の上にだいたいは垂直に柱が立っているのだ。さらに柱から上部の構造も、主に釘、たまに針金などで固定されてはいるが、たまたまあっただけに過ぎない木材が行き当たりばったりに積み重ねられているだけで、どう考えても計画的に建設されたとは思えない。
なんでこれで建ってるんだろう。石とか木とかトタンの金属とかが、何だかわからないまま二〇世紀最初に生まれた百姓の手によって集められ、不思議な力で二十年以上そのままでいる。当の石とか木とか金属とか本体にとってみれば、それは案外気持のいいあり方なのかも知れないけれど。
中には祖父が親しんだ、草刈やいつ買ったのかわからない肥料、これは祖父がほしがるので買うのにずいぶん苦労して探した覚えがある唐鍬などが、静かに時を見送っている。なぜか姉のものだったスチール製の学習机もあって、引き出しにはこれもいつのものかわからない釘とか野菜の出荷の札、写らないマジックだのが入っているが、この机はこれをつくった時にはすでに八十を超えていただろう祖父が一人で持って来たのだろうか。

祖父が不思議な素材を集めて拵えたその空間の現在の役割は、父や私が、ゴミ置き場に出す前の空き缶とか新聞紙とか、新たに買った農具とかをを雨に濡れないように置いたり、時々ねこどもが中に入って遊んでいるだけだ。そこで今回は父親に、どうのようにしてあれらの建築物がつくられていたか、さらに父親自身はあれがつくれるかときいてみたが、戦後民主主義信者の答えは「わからん」「できん」、「おれなんかと違っておやじ(祖父)なんかのやり方は、『知識』じゃなくて『経験』だから、よくわかんねえんだ」というまったく想定内のものであり、もちろん私にしたって同じことしかいえわけがない。

祖父の「作品」とは何だったのか。九十九年の一生のほとんどの時間をこの敷地、そして田畑で過ごした祖父は、稲や野菜をつくり、私は知らないウシ、こっちはお乳を飲んだこともあるヤギ、卵をよく食べていたニワトリを飼い、時にはこうした建築物をつくった。
これもいつだったか、祖父のところにプラスチックの台の上に金属の目のようなものがついた竜のようなかたちの枝があって、
「何これ」
ときくと、
「鬼怒川;かどうか忘れたけど、どこか観光地の川の名前:に行った時、あんまりかたちがいいんで、なんかつくるべえとと思って拾って来たん」
などという。なんと、アートじゃないか。その枝木竜に完成の瞬間は来なかったけど、精神としてのアートが成り立っている。
では、これらの建築群はどうか。枝木竜と違って役には立つものの、本当は実用かどうかなんて関係ない、いってみれば「暮らしのアート」というようなものだったと思う。

祖父にとっての目的は、まずはただ農具などを雨からよけるための「屋根」だったろう。その目的のために、そだなぁ、ここに小屋でも建てんべか、と考える。
じゃあ、このくれえの高さでいいからこのくれえの木がいる、じゃあ、ここにレンガがあるんでこれ土台にすんべ、じゃあ、この木くっつけんのはこれ、じゃあ、ここちょっとひきいから、このきれっぱしはさんどくべ、ちょっとゆりいから、この針金でしばっときゃいいんべ……。
作業はきっとこんな風に「じゃあ」という接続詞でつながって、そのうちこの建築物ができたに違いない。それは思っていたかたちと同じでではないが、かといって違いもしないだろう。なぜならば、明確なかたちなど思い描いてもいなかったろうから。
たとえば小学生の頃、きちんと計画して遊ぶことがあっただろうか。誰かのところに行って、誰と会ってどこかへ行く。決めていたとしてもそのくらいで、あとはその時に起こることにまかせて夢中で遊んでいると、いつの間にか日が暮れていただろう。
祖父の小屋づくりはきっと、こんな子どもの時代の遊びに似たものだったろう。何だか知らないうちに建築物を家のあちこちにつくる祖父に祖母はあきれてはいたが、「おじいさんは、草刈ってると花でも何でも刈っちゃうんだよ」とこぼすことはあっても、きっちりしたものが好きだった祖母にしては奇妙なかたちの小屋づくりへの批判はきいたことがなく、母屋普請の間の一か月では、祖父がバラックに張った床の上で楽しそうに寝起きしていて、それを見た叔父の一人などは「いやー、いいなあ、『生活』って感じがして」といっていた。

最近になるまで、毎日同じ時間に起きて、同じように畑に行ったり家の仕事をしていただけの祖父母の暮らしは不思議だった。何がおもしろいんだろう。かわいがってくれた祖父母は大好きだったけど、それはずっと不思議で、今だってわかったなんてとてもいえない。
『シーシュポスの神話』。同世代の芸術かぶれによくあるように高校の頃にアルベール・カミュの小説でその物語を知った私は、罰として巨大な石を山頂まで運んで行き、頂上に近づくと重みでまた落ちて繰り返すというこの物語に祖父母のような暮らしを重ね合わせて、ある種の恐怖を感じていた。祖父は何かをいつもつくっていたが、またそれをいつも壊していた人でもある。

だが、今になって感じるようになってきたのは、実はそんな暮らしぶりへの憧れなのだ。
小屋をつくって屋根まですき間が開いていたら、ちょうどいい木切れを見つけてきてはさんでこと足りる、祖母からきいた餃子の皮を小麦粉でつくろうとして海苔の缶のふたを使ったけどよくできなかったという話のように、身の回り、あるものですべてを間に合わせて、決してそれ以上は望まない、そんな暮らしが案外、本当は人間に“ちょうどいい”のではないか。
だけどわれわれは、あのすき間風がひゅんひゅん入り、蚊帳なしには寝られない暮らしには耐えられないし、餃子が食べたければ、餃子の皮を買うならいい方で、既製品の、または焼いてある餃子を食べる暮らしから逃れられない。

だからこそ今は思う、実はシーシュポスは幸福なのでないかと。
進歩のいい面だけを享受してネガティブな面を拒否するのは虫がいいとは思いながら、二一世紀初頭の暮らしに余計なものばかりが感じられてならない。本当は家なんて屋根と壁があれば、雨風がしのげればいいのかも知れない、食べ物は近くで季節に採れるものを食べれば十分かも知れない。

そう思いつつ涼しい空を見上げれば、昼の暑さを忘れられる中秋の名月。昨日かと思ってうっかりしてたらそこは昭和1ケタ、父親がすすきを取って来て、まんじゅうを買って来た。
今日は思いのほか黄色がかっていない月は、きっと祖父が若い頃に見たのと変わらないだろうから。

祖父の話は
その1http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/d2529debbaa83f8cd274ce3ea41628ab
その2http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/823a7a27d27dbdc76d3716f35c073df3

(Phは前の「畑の小屋」。BGMは accuradio ~all that jazz。編集してたら、今、キース・ジャレット『ケルン・コンサート』のA面が。嬉しい)
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「すべてが丸く収まるし、この悲しい世界を楽園にすることができる」

2007-09-21 13:42:36 | 週間日記
うっかりしてたらまた金曜日。先週とはいい難い先週日記です。

10日(月)前夜飲んで起きたら姉の息子休みというので、コインランドリーついでに川本讃岐うどんに。あつあつ大盛200+天ぷら50+いなり70円。ランドリーに戻るとなぜかまだ終わっていない。知らないおっさんに、「おばちゃんが中確かめないでお金入れちゃったんだよ、まあ、誰が悪いわけでもないし、きれいになっていんじゃねん」。Sure.~帰って仕事、恒例電話取材も~朝仕事終えてシャワーさんま6号
11日(火)昼は仕事~またもピザトースト~晩はもとは撮影の関係者でぽてたやコミュニティにも入ったKさんと同級生M君宅に。Ph撮らなかったけどさんま7号と麻婆茄子など
12日(水)朝に帰って仕事~前回記事ボノの『ルーシー』きく~夕方乾麺そば茹でる。この沢製麺「更科そば」はうまいのでリピーター~出張授業~塾に行って仕事~そのままうっかり寝る
13日(木)帰って昼はまたもピザトースト~ずっと働き、明け方シャワーさんま8号
14日(金)昼、味噌汁つくって納豆ご飯~前回記事「さんま・イン・ザ・スカイ」に出会う~塾でM君と勉強~仕事だ、と夜食にラーメンと思い目当ての店終了で、結局川本・福家という店で赤味噌ラーメン~塾に戻るとあまりもたず寝る
15日(土)朝に帰り、松坂:松井みながら原稿書いていると、弟から小学校にいてこれから仕事に行くので娘の運動会を撮ってくれと電話。納豆ご飯で腹ごしらえの後、出動。小学校の運動会というのはこうなっているのかと驚。同級生±ほか多くの知り合い、その子など多くそれはそれで楽しい一日~帰って少し競馬+仕事~晩は同級生M君宅へ。地区の若者なども来て、当該地区昭和の体育祭という貴重な映像をみる
16日(日)朝から撮影。深谷ホテルは前から開いたので、しばらくあいさつ多。帰ってシャワーで、競馬~もう食わねばまずいとさんま9号~中田にやられた阪神:中日~前日運動会にM君が話をつくり、夜は同級生男子3名女子2名で駅前もつ鍋屋の会~帰って寝て起きて、上を見ると「てんじょうのきょう」。それでまた寝る

何だか夏、ぶりかえしのこのごろ、先週さぼってたわけではないが油断で作業進まず、今週は遅れを取り戻している。楽しみはさんまと、日米縦じまががんばる野球。今、もっとも楽しみなのは、日:桧山、米:チェンバレン、心配なのは、日:久保田、米:リベラだ。

そんな昨日、仕事の資料のため「サンデー毎日」を買い、まず320円という値段に驚く。へえ、こういのって2百円台だったんじゃなかったけ、記憶をたぐると一番最近買ったのは、池田晶子最後の原稿が載っていた「週刊朝日」。年齢的にも活字好きということでも十分「オヤジ」なのだけど、21世紀に入ってというより一生でもこうしたオヤジ系週刊誌は10冊買ってない。コピーは「天下大動乱」で一番大きい写真は小沢一郎のこの印刷物を、昨日の午後、お茶の時間にながめた。
自民党、芸妓と続くグラビアに続き、「9・12テロ」、北の湖理事長、「ゆるい女」、「ニュースナビ」は鈴香被告、おしりがじり虫、和泉元彌、「しょっぱいハンバーガー」、毎日グループお得意の学校もの「付属校」……。すみません、そういうのは新聞や電車の吊り広告で十分です。
紙をめくったり画面を見たりはもっと気持ちのいいものがいいのだけれど、あんまり売れていそうもないけどこういのがあるのなら、こういう話を見て読んで、気持のいい人は少なくないのだろう。「気持いい」ってのは横暴だ。

とはいっても、こっちにとっても面白い記事があるのが、こうした雑誌の“雑”誌たるところ。前から気になっていた秋田稲庭うどんのレポート、大沢在昌は「ジャンプ」で読む両さんみたいに文体だけ味わって、大崎善生『スワンソング』を語る見事な黒子ぶりの川本三郎の書評に唸り、どこに行っても同じ口調でメディアによって内容を使い分けるフサイチリシャールを語る井崎脩五郎に舌を巻き、田中幸雄を語るわざとださく書いているのかと思われる二宮清純、まさか釣りも格闘技と同じ視点で語る夢枕獏に動転、椎名誠が語る中国で流行るおやじの腹出しルックには『国分寺書店』以来20年変わらない、これは信念を感じる。

そんな中、この号で一番心に残ったのは、巻末グラビアの覆面レスラーのようなキンチャクダイではなく、荒俣宏によるカート・ヴォネガット評だった。
自身二十代の頃は、根はロマンティックなのにわざとジョークを飛ばして文明批判をする「アメリカ的な不良っぽさが嫌いだった」という荒俣は、最後の著作である警句集『国のない男』を読んで、ヴォネガットがなぜ「不良ファンタジー作家」に徹していたかがわかったという。子どもの頃の大不況で、大人の輪に入るには「なにかおもしろいこと」をいってこちらを向かせるしかないことを学習したというのだ。
ヴォルテール、筒井康隆に比べてヴォネガットの態度を語った後、「次の一言には、ほんとうにしびれた」といって、荒俣は長い引用を置く。

すべてのものごとが つじつまが合うようなものであってほしいと思う。そうすれば、われわれはみんな ハッピーになれるし、緊張しなくてすむ。だからわたしはウソをいくつもついてきた。そうすれば、すべてが丸く収まるし、この悲しい世界を楽園にすることができるからだ

確か『気狂いピエロ』でアンナ・カリーナ演じるマリアンヌは、「世界が小説みたいに脈絡があればいいのに」といっていた。
なるほど。ヴォネガットは『スローターハウス』しか読んだことがないが、だから私は、「政治論」に興味はあっても、「政治」そのものやそれにまつわる“リアル”な営みに興味はわかない。それは「悲しい世界」にこだわるあまり「楽園」からあまりにも遠くて。ならば、ねことかさんまとか阪神とかさっきかかったアントニオ・カルロス・ジョビンとか、そういう“リアル以外”の方が「楽園」への近いように思うから。
基準は“リアル”より「楽園」であるべきだろう。ねこやさんまがそうであるように。

※記憶によるゆえ引用不正確

(Phは秋の影がついた庭のティー。BGMは accuradio Brazilian jazz)

【カウンター07】
ラーメン1/95 他外食1/37 外酒3/73 さんま4/9
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さんま・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイコン~The first rose of fall

2007-09-14 19:27:19 | 週間日記
うっかりしてたら金曜日。もう先々週の感がある先週日記です。

3日(月)前夜は早々寝てしまい、晩に出かけることになったので午前中からこの秋さんま2号という無法ぶり~午後は恒例電話取材~仕事~夜は体調不良といったん断りがあった同級生M君と原郷・あばらやへ
4日(火)洗濯機故障しコインランドリーへ。買ってなかったミュージックマガジン&レコードコレクターズを買い、居間作業用いすがほしいと寄った中古オフィス家具屋。雨ざらしのでいいというとタダ。内田洋行のいい代物だが、5本の足のタイヤが1つないけどいいや~家から塾へとずっと作業~明け方さんま3号
5日(水)昼は仕事~納豆ご飯~晩は出張授業~同級生M君夫妻に誘われ上柴・宮崎地鶏TANKA~帰ってFMライブビート
6日(木)昼、最近よくつくるピザトースト~仕事~台風近づく中~なんとなくブックオフで池内紀、米原万理の2冊購入~拾六間福龍で大盛醤油ラーメン~塾から帰って作業
7日(金)前回日記参照。野方ギャラリー~駅前そば~六本木取材~水道橋とんかついもや~東京ドーム読売:阪神~高校の同級生Ⅰ君と大久保・一六八~うっかり帰れず赤羽ネットカフェ
8日(土)昼は仕事+競馬少し~このままでは食べる機会ないので、午後からこれがぎりぎりさんま4号焼いて食べる暴挙~晩はMixiぽてとやコミュニティオフ会は初顔含む14名参加で盛り上がる駅前・もつ鍋博多~バー・オードゥヴィ
9日(日)昼から撮影。本庄だったので大勝軒に行くが、スープなくなり閉店。うろうろした後、名前忘れた駅南のすし屋に出ていた手打ちラーメンの強気な看板を見つけて入る。餃子とラーメン食べ、お切りっこみのようなラーメンには好感。帰って阪神3連勝は最後はラジオで~姉の息子が帰ってきて少し飲みつつさんま5号

そんなわけで、ナスのやつらのお腹が種ばっかりになると同時にさんまの毎日が始まり、空もすっかり秋の色。台風の前に庭に出ると、秋の最初のバラ、"The first rose of fall" も咲いていた。
さんまの日々のルールは次の通り。

・9月以降に冷凍じゃない生のさんまが150円を切っていたら、家でビールを飲む時は必ず食べる
・ダイコンおろしは必ずいっしょに食べる、柑橘類はあるのが望ましいが、「ビタミンCにアミラーゼは代えられない」の格言通り、なければないでがまんする。
・その他、食べ方に関しては、以前の記事「常舌礼賛宣言(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/8bba5a98dbb26eb3a68e77fe599e4494)」に準じる
・ねぎがおいしくなりつつあり生さんまが店から消えた場合、150円を超えた場合は、どんなに名残惜しくても潔く撤退する

そういう毎日でさんま食べない間は仕事ばかり。BGMにJ-WAVEのネットラジオをきいていると、U2ボノが歌う『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』がかかった。
カバーはエルトン・ジョンが有名だけど、何でも自分の歌にしてしまうボノの歌もそれなり。きっとこの間出たフレーミングリップスが『スターティングオーヴァー』を歌ってる、accuradio でよくかかるトリビュート(http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=14982)かと思って調べるとそうじゃないらしい。もうすぐ日本でも公開という、ボノも出ているビートルズの伝記映画『アクロス・ザ・ユニヴァース』のサントラ(http://blogs.yahoo.co.jp/suigetz_tei/48887181.html)だという。何、『アイアム・ザ・ウォルラス』も。きく前から想像はつくが、これは楽しみ。この大好きな名曲で一番好きなカバーは、ジム・フィータスだ。

と、これは実は一昨日の話で、今日もまた朝まで仕事して明け方さんまを食べて寝て起きてヤンキースとマリナーズをみて、ねこと遊びに外に行くとにゃん、トンボが飛び回ってアゲハチョウも踊り、うっかりしてたらきゅうりはでかくなって、スイセンも咲き始いた庭の上には、まっすぐで銀色のヒコーキグモ。
そうか、空にもまっすぐで銀色のさんまがいるのか。ならばまわりの雲は大根おろし、早い時間に西の空に傾き始めたおひさまはきっとレモンだろう。

秋の空、「さんま・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイコン」

(Phは"The first rose of fall" ウィズ・ジョス。BGMはJ-WAVEグルーヴライン)

【カウンター07】
ラーメン2/94 他外食2/36 外酒4/70 さんま4/5
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阪神・桧山を中心とした9月7日、嵐の後の「嵐の金曜日」

2007-09-10 17:46:07 | スポーツ
月曜ですが、前回記事の訂正もしなければなりませんが、まず書きかけていた金曜日の長い日記を。

午前5時には、台風9号が在住市上空を通過したという金曜日。市内南部、荒川周辺には避難勧告もあったらしいが、こちら利根川方面はそれほどでもなく、風の中といっても家の中で仕事しつつ、その数時間前に疲れて眠りこみ、大嵐は視覚的にも聴覚的にも体験せずの夢の中。といって起きてから後は、年間ベスト5に入る盛りだくさんな一日になりました。
(時間は概数で)

8:00
覚醒。マイミクシィの方からのメッセージで在住市の避難勧告について知り、ほお、そうだったのかと明るくなりつつある空を見ながら、午後からの取材のための資料つくり

11:00
ひとまずシャワーで出撃

12:00
もう晴れてたので油断してたら、湘南新宿ライン運休。しかたなく普通の上野行きに乗るも浦和でストップ~京浜東北に乗換で城西へ

14:00
遅れで時間微妙だったが、チャンス逃すべからずとマイミクシィの方の絵がある野方のギャラリーkaniへ。絵も会場も初めてだが、親切そのものといえる老主人との会話、住宅地の真ん中に置かれたギャラリーのロケーションにも感入。お目当ての作品ほか、岸田劉生のリトグラフなんてあったのかという『餓鬼』に見入る。
何だかんだと時間なくなり、目をつけたラーメンをスルーして駅前立ち食いそばばで冷やしたぬきそばで取材先六本木へ。途中、中井で大江戸線乗換という技があることを知るが、あんな地底では帰って時間かかりそうと高田馬場~恵比寿~日比谷線コースをチョイス

15:20
30分遅れで到着。編集者Oさん、いやあ、台風で電車が走らなかったのもあるんですが、といったところで、ではそういいましょうとアダルトな配慮ありがたし。
正味1時間半の取材はまったく想像を超えた世界の、今書いている原稿の穴を埋める実り多い内容で、その後、ファーストキッチンで次週はベトナム出張のOさんと打ち合わせだの内田樹の話だの

18:00
Oさんと別れ、この時間では間に合わないので保留にしておいた中3M君の塾を中止。時間できたのでこういう時に連絡することになっているテレビ朝日が勤務先の大学の友人K君にメール。しかし、今の時点で返信なし。出張も多いしそんなところだろう。こういう時は野球だと、そういえばこれも本店に大学時代の友人が勤める、アトレ内有隣堂でぴあをみて、なんとドームで巨人:阪神ということを知り水道橋詣でを決意。ここでしばらくぶりに高校の友人I君から、この間別の友人であるKに会ったよというメールがあり、こういうわけでこれからドームだと返信する。

18:30
まずは腹ごしらえ。水道橋といえば愛しの神田・いもやグループがある。
http://ameblo.jp/tonkatu/entry-10004768334.html
http://www.maboroshi-ch.com/cha/kon_34.htm
http://blog.kakua.com/?eid=300418
天ぷら・天丼・とんかつ最強トロイカ体制のうち、数日前に同級生M君夫妻ととんかつを話題にしたので白山通り沿いのとんかつをセレクト。いつもながらのパーフェクトな仕事ぶりに、文庫立花隆を開くすきもない。
揚げ師の三十代風に、ご飯、お茶、しじみ汁、洗い物担当のベテラン、アナザー三十代風の三重奏。たとえばヤクルト古田のように店内すべてを支配する揚げ師が、「とんかつですか」ときくので「はい、お願いします」。メニューは700円のとんかつ定食と900円のひれかつ定食だけだが、お客をみてとんかつ・ひれかつを言い分けているのかその辺はよくわからない。在店中は、なじみなのかの小金持ち風初老の人にだけ「ひれかつですか」ときいていて、ほかは次々来るサラリーマン風には「とんかつですか」ですかだったような気が。この辺はさらに研究価値がありそうだ。
すぐにお茶担当初老が、熱い、お茶というのはこれ以上もこれ以下でもないというようなシンプルなお茶を一杯。地域の集会所の備品のようなシンプルな茶碗も清々しい。
そして夢の5分あまりを待つわけだが、揚げ師のことをヤクルト古田、つまりプレーイングマネージャー・キャッチャーというのは華麗な身のこなしだ。まずは肉に衣をまぶし、しばらく置いて油を確認。3塁ランナーを牽制するように世間話に興じるほかの2人を見やると、ささっと人数分のキャベツを皿に盛る。それがいったい何を意味するのかは不明だが、おそらく彼自身の美意識の表れだろう。キャベツの山のかたちをちゃちゃっと整えている。油の状態をみながら、ふうとばかりに店内を見回すの視線の先をめぐると、立て付けの悪かったガラス戸に難儀する客がいたので、無言のまま手がたなのかたちを心持ち左に平行移動。このサインを理解しためがねの五十代風が彼から見て右側の戸を開けて入るとものの0.3秒、揚げ師の「とんかつですか」の声が店内に響きわかる。クールだし目立ちすぎもしない、コルトレーンのバックを務めるマッコイ・タイナーのような見事なタイミングだ。
そしてこれは天ぷら、天丼に共通するいもやのハイライト、こんな単語があろうか、主役脱油の瞬間を迎える。
揚げ師が何も告げぬまま体勢に入ると、バントシフトのファースト、サードのようにほか2名がご飯としじみ汁を用意してむだのない動きで待ちわびる客の前にすすーっと。この喜びのプレリュードには、誰もが黄色いおしんこをご飯のある者は全面に、私は片隅に少しだけ乗せてプリマの登場を待つ。
すると見る間にプリマとんかつたちは油修行の数分を脱し、しばし油落しの上に。これはおそらく、油を脱したとんかつを酸素となじませ、かつ手で触れる温度まで落ちるのを待っているのだろう。時間にして5秒ほどのその時間を過ぎ、揚げ師の長い包丁が衣と肉を切り裂くのだが、嬉しいのはそのさくっさくっというサウンド。たとえるならエンターテインメントな気持ちよさではフュージョン界でも随一、スタッフ、リチャード・ティーのタッチか。
こうして並べられた、とんかつ、ご飯、しじみ汁にお茶、四つの器が創出する宇宙の至福。すみません、この宇宙を前に携帯カメラのシャッターを切ることは私にはできかねます。
これはもうこれぞからしだというからしを、とんかつの右約80度の方向に。後で加えたりするのは美しい行為ではない。ソースは別で、これはとんかつにさーっと一筋、キャベツにもざーっと。キャベツの方は下にいくと味がなくなるので、付け足していい。
しじみ汁を一口味わうとこれは食後にとっておいて、食中はお茶が私のスタイルだ。からしをのばすといよいよ数年ぶりの再会。さくり、そうだ、これぞ「隙間の芸術」なのだ。
一切れを二、三口で食べてその断面も楽しむ、というのがとんかつの作法と思っているが、ここで衣が脱落するようではすでにとんかつとは名乗れないというのは世のとんかつ好きとしては常識であろう。だからといって硬過ぎず軟らか過ぎず、ちょうどいい空気の隙間が生きているのがとんかつという食べ物の目指すところではないか。
これをもっとも端的に表す音楽はレッド・ツェッペリン『ブラック・ドッグ』のイントロ。変拍子にきこえるけど実は8ビートというが、本当に8ビートなのか未だに疑問のこのイントロの、ギター、ベース、ドラムが編み上げる奇妙でハードなキルト織り、あのたまらなくソリッドでいて、なぜか隙間を感じてこの上なく気持いい数秒間を思い出してもらえればいいだろう。そしてこのキャベツ。キャベツとソースだけでこんなにおいしいのならば、手をかけられた食べ物たちの多くは、きっとわが身を省みて懐疑派への転身を余儀なくされるに違いない。
さくっ、ぱくぱく、しゃくしゃく、ごくり。さくり、ぱくぱく。しゃくしゃく、ごくり。初老お茶担当におかわりももらい、ミュディアムテンポの8ビートが白木づくりの静かな空間をうめる、かけがえのない時間はやがてしじみ汁で終わる。前にほうれん草で書いたと思うが、しょうゆとかソースとかは食べた後の皿に色が残らないのを美しい。足していったソースもからしのキャベツの切れ端も残らないように食べ終えた。ごちそうさまでした。心からいって、水道橋をドーム方向に向かう。

19:00
ここでとんかつを食べた後、所持金が1400円ほどしかないことに気づく。セブンイレブンがあればこの間口座を開いたイーバンクで下ろせるが、ほかのコンビにではいやだな、では面倒だから立見席1000円のほか、ビールはもどきで400円に収めようなどと考えていたら、かんたんにセブンイレブンを発見。こういう時の常として、なんだつまんねえな、と思いながら現金を引き出してビール、キリンのラガー500と、差をつけて麒麟端麗生500を。たまに行くドームではこの作戦を取るがこれには理由がある。
なんといってもドームのビールは800円。これはあの悪名高き読売グループすべてに共通する、恐るべき無法といわざるを得ない。阪神ファンともなれば、読売グループの口車に乗ってあんな宇宙人みたいな格好をしたねえちゃんどもからほいほいとビールを買うことなどもってのほか。第一あの非道の極致たるトレードの資金に組み入れられては世のためにならんではないか、というわけだ。
浪人の頃などは当時流行っていた「BARCLEY」だの「BOAT HOUSE」などの大きなバックを持ってるやつに身長に隠させるようなかわいいことをしていたが、なんと見つかると親切にも紙コップに入れ替えてくれることを知り、近年ではわざとバッグのわかりやすいところに入れ、見つかって、ああ、そうですか知りませんでしたとしらを切って紙コップに入れてもらっている。これなら紙コップ×2=約7円くらいか、にっくき読売グループの懐に小さくはあるがダメージを与えることもでき一石二鳥。2本持っていたので、最初に飲むラガーを左手に2ビールで、今回は、あっ、では自分で注ぎますよといったら、「いえ、でも500だとぎりぎりなので」とやってくれた。

というわけで、紙コップ2つ持ってネット裏へ。野球場の魅力はあのサウンドもある。常連なのかビール、焼き鳥とともに場内テレビに見入るおっさんたち、あまり野球には関係なさそうでも、実は中学の時には野球部だったかも知れない色つき髪の毛に縦じまスーツのどう見てもホスト5人くらい。なんか集団家出少女のような、金色じゃらじゃらかばんを持ったこれも5人くらいの女子中学生集団もいて、席のあるスタンドより安い分だけテキトーな人がいておもしろい。名画『天井桟敷の人々』すら思い出す豪華な人間模様だ。

しかし紙コップ2杯とともに到着した5回表は、そんな観客よりはるかにエキサイティングな時間だった。往路、立花隆で知った「純粋観客」http://www.edita.jp/neo/archive/category10-new.htmlなる概念は今後、自身の思想に大きな影響を与えそうだが、阪神が前にいてはそうもいっていられない。
四球の関本をオーグルソンが送った後、鳥谷、赤星、シーツが3連打。四死球も絡めて一気に逆転する。最初うっかり1塁側に出たので、あわてて縦じまがいっぱいいる3塁側に移動。左翼スタンドから六甲おろしが響く。
そういえば、このあたりで高校の友人I君から続信。せっかくだから終わったら少し飲もうというので、わかったと返信しておいた。
それにしても、来た途端にこれじゃあ、勝利の神様だぜと2杯目の麒麟に移り、さら移動して大型テレビの前にいたら読売が高橋由のHRで逆転。おおと思ってる間に7回は桜井、矢野のタイムリーで逆転、8回には金本のタイムリーで8:6にした。
なんというゲームだ。しかしJFKがいる阪神なら、これでもう大丈夫。だが8回裏、久保田が読売のHR攻勢につかまった。
まず李がこの日3本目。こうしたケースで単調になり、連打されるのが久保田の悪いくせだ。しかし次の二岡に投げた、高めの力の入ったストレートは、私にとって生涯忘れられない1球となるだろう。意志のみなぎる、打てるもんなら打ってみろというこのボールは、精神面に弱点のある久保田の明日を変える1球と思われた。1点なら取られてもいい。2点目を取られなければいいのだ。
しかし結果は、ファンの方ならご存知だろう。決して力があったわけではない二岡の打球は、読売ファンが歓喜する右翼席へ吸い込まれてしまった。スポーツだから結果はしかたない。決意のこもったお前の1球、決して忘れないぞ久保田。

そして運命の9回。読売“今年の守護神”上原がマウンドに登る。次打者久保田の代打は桧山。実は前の回のウィリアムスの打順でウェイティングサークルにいた桧山に、周りのファンに先駆けて声援を送っていたのだ。何しろ神宮での代打満塁弾を打ったひーやんだ。
告白しよう。ランナーのいないこの場面での代打は、もったいないなと思っていた。しかしまたしても予想はすばらしい方向に覆される。
上原の投げたのは何だったのだろう。その数秒後の狂喜のせいで、どんなシーンだったかは忘れてしまっている。
決していい当たりではなかった打球が、ふらふらとではあるが右翼席に吸い込まれた。まさかこんなことが。わけのわからぬ大騒ぎで、近隣のユニフォームたちとタッチしあう。85年優勝決定の神宮にいたのが自慢な私だが、この日の桧山の決勝弾をみたのもこれからどれだけ目撃するかわからない阪神戦の中でもベスト5はくだらないはずだ。
85年当時の佐野、03年の八木と、阪神優勝の年には渋いベテランが代打の切り札と化して活躍する。今年の桧山がそのいすに座ったことは確実だろう。私は1階と2階の間の立見席から一人MVPコールを送った。
そして藤川球児登場。読売は確か2番からの好打順だったが、いつものように冷静なピッチングで3人で切って取り、阪神が3連戦の緒戦を勝利した。
I君が自宅に近い大久保でというので、高校の頃にはよく蹴られたジャイアン体質の暴力ものだけにヒーローインタビューは Youtube でいいやと小走りに水道橋駅へ。早く来たもんだから総武線に座って行けた。
思い出すのは私の世代以上の阪神ファンなら忘れられないであろう48年シーズン。読売・萩原の代打満塁弾も飛び出して9:9で引き分けた後楽園球場の死闘を当時の将・川上哲治は「生涯最高の試合」と振り返った。あれに匹敵するほどのゲームだったのではないか、そして土、日の3ゲームを終わった後でなら、この3連戦の大きさは語るまでもないだろう。

10:20
新大久保着。1年くらいぶりで会うⅠ君は、高校の頃は内容だけがジャイアンだったが、どうやら外見もジャイアンを追いかけ始めたようだ。そういえば、去年最後に会ったのはⅠ君が用意してくれた2階席の切符でみた、福原:上原の投げ合いだったような。
新大久保から歩いていけるところに住むⅠ君が案内してくれたのは、一六八という中華料理店。http://sokosoko62.exblog.jp/4810343最初に出てきたジャガイモが千切りになったサラダ、五目豆腐、なんだったか辛い煮込み、全部うまい。同級生の話などしながらビールを飲み、ラストオーダーというので餃子を食べようというと、「バカ、ここは焼売がすげえうめえんだ」とⅠ君がいうのでそれを。さっそく熱い4個が来たので定石通り2つに割ろうとすると、「何やってんだ。そんなことしたら肉汁がでちゃうじゃねええか」とえらく怒っているので、それもそうだとそのままぱくり、いや、その通り、これを割って食べるのは反則だろう。
よし最終に間に合うと、おろかな昔話しながら駅まで歩き、ジャイアンは家に向かった。

24:00
なぜか時間を間違えておぼえていたらしく、赤羽に行ったら高崎線は終わっていた。一歩のところで池袋で見送った埼京線に乗れば間に合っていたのか。でも、深谷に帰ってもこれだけ飲めば塾泊だとネットカフェ行きを決意。前回はここで魚民に入って赤瀬川原平を読んだが、今回は寒くもないしコンビニで麒麟500を買い、駅周辺の貧弱なライブに耳を傾けつつ飲み干す。それにしても、この寝転がれない棒のようなベンチは何だ。

25:00
駅前に並ぶアジア系ご婦人方のお誘いをかき分けながらネットカフェへ。前のチェックインというのかは若いご婦人で「個室」を取っておられた。こっちはもちろん「オープン」でネットを開いてメールをチェック~Mixiコメントなども書き、Youtubeで桧山のインタビューを探したがまだなく、次回来たらマンガを読もうと意気込んでいたのだが、さすがに嵐の後の嵐の一日は疲れ、モーニングに連載の『ホームスイートホーム』だけ読んで睡眠。

30:00
元気よく、なわけなく起床で高崎線に。座って起きるとまたしても深谷駅を出たところで、隣岡部駅で下車でリターンする。土曜というのに駅にうじゃうじゃ私立女子高生を追い越して車に乗って帰宅。20時間ぶりに会うねこどもがにゃん。

(Phは読売グループから略奪の紙コップ。BGMはWOWOWのネットラジオでキンクスのBBCライブhttp://radio.wowow.co.jp/bbc-rocklegends/。「この世はすべて金しだい」「きざなやつ」って邦題だったのか)
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“ながつきそれいゆ”~ラヴェルのきいた「素晴らしい曲」

2007-09-05 16:33:11 | 週間日記
水曜夕方更新。先週日記です。

27日(月)昼、いつもの電話取材~晩、別府・のび太でカレーうどんはやっぱりうまい~塾、中3M君といたら映画ビデオ返却にOB・K君登場で映画の話も。この日返却は『こわれゆく女』『レイジングブル』『ロッキーホラーショー』など、貸したのは『ライトスタッフ』『カジノ』。川本讃岐うどんの話きく
28日(火)前夜は作業中寝てしまったのでこれはチャンスと、その川本讃岐うどんへ。大盛あつあつ200円+天ぷら50円で食べてまあまあで、秘境感覚あふれるロケーションや「小さい子連れお断り」、混雑時は「仕事の人優先」というおとななポリシーにも驚~帰って仕事~晩は同級生M君宅へ。職人N君と妻子とともに
29日(水)帰って仕事~前回、"The Last Rose of Summer"をきく~塾で中3M君と~出張授業、中2Cさんに『僕等がいた』というマンガ借りて合間に読んでやはりなかなかクラシックなつくりと納得
30日(木)昼から築地事務所へ。有楽町で降り、まずマイミクシィの方の愛ねこの作品が出ているという「ウチの猫(コ)展」は小さくとも幸福な10分あまり~事務所入り前ラーメンは銀座・萬福はパーツ見事も全体にパンチ欠ける~校正作業バリバリ~22:30終了~先に帰ったOB・I君から連絡あり、前に頼んだI君の2年後輩のOG・Sさん勤める池袋の美容室でカットモデル中という。終わったらうちで飲みましょうというI君の申し出があり、1年半あってなかったSさんにも会えると池袋に。グッドな美容室でフレンチブルわんこに歓待されハッピーベリー~ではと、餃子、豆腐などとビール、ビールもどき買い、埼玉との県境にあるⅠ君宅へ。すると、「しまった、センセーすみません、会社にカギ忘れました」で、しかたなく真夜中に大家さんピンポンも留守らしく出ず、難民となってまず付近の公園へ~なんだかんだと楽しく話していたが、近くに謎の呪文を唱える人が現れたのでひとまず避難~餃子など食べられないので再び西友でビール類補充と、若いのにI君が好きだという魚肉ソーセージほか買い、親切な店員に事情説明~第二の流浪の地、神社で賽銭1円でお参りして難民活動継続~寒くもなって、I君が「J(ファミリーレストラン)がずっとやってますよ」というので移動~しかしドリンクバーを前に置いて、じゃあと電車で読み始めたずっと前に買ったのが出てきた立花隆を開くと途端に眠気~職務に忠実な女子店員に3度起こされる戦闘の後、もう電車が動いたと店を出たが、レジで申し訳ございませんでしたと詫びる敵軍の将に、I君がいやいやこちらこそ、カギを忘れて入れないんですと事情説明の後、長い夜をワークと難民活動、立場の違いこそあれ全力を出し合った相手を称える、なんか、ローマ時代のような朝~通勤客の中、文字通りキャリーものとなった餃子のニラのにおいをかぎながら眠る~翌日、このキャリー餃子はいつの間にか姉の息子が食っていた
31日(金)帰深~ねこにキャネット~3ヶ月前売が切れるのでシネマテークたかさきで2本立て。普通ならみそうもない『あしたの私のつくり方』はあまりの定型ぶりに辟易としつつ、最後にはほろり~こちらは硬派な南ア『ツォツィ』は、実際のものとは思えない色の町など興味深くはあった~時間なく帰深し秋元町・喜楽でタンメン。前夜から何も食べてなかったのでうまかった~塾でM君と北辰テスト対策
1日(土)昼は仕事+競馬~塾でM君と北辰テスト対策~帰りに9月に入って解禁のさんま購入。with これもキャリーの豆腐
2日(日)昼は仕事+競馬~夜は今日は家だと久々にナスを、ジャガイモとともに天ぷら~早々寝る

8月が終わって一番好きな月。さんまも食べ頃、長月がやってきた。
長月ともなると涼しい日が続いて安心していたら、週明けて突然に日が照る。でも平気さ、お前は8月の太陽ではないのだからな、“ながつきそれいゆ”なんて、窓でも開けておけばやり過ごせるだろうと思ったのもつかの間。じりじりと気温は上がり、ねこはにゃおんという。こりゃたまらんと、窓を閉めてカーテンを閉じ、エアコンさまにお働きいただく根性なしでした。

とそんな毎日で、自室エアコン不調で直していないので母屋居間の居候生活が続いているが、CDを運ぶのも面倒だし、無線でなく有線で繋いでいるのでネットラジオをよくきいている。もっとも気に入っているのは accuradio で、朝はクラシカル・ロマンティックピリオド、夜はジャズ・ラテンイリュージョンなどが多いのだが、ほかにもないかといろいろ探し、何とも便利なポッドキャスティングが見つかった。
Yahoo では上位にランクされる『クラシック名曲サウンドライブラリー』。著作権の問題がどうなっているのかわからんが、数々の名曲が名演できけ、しかもダウンロードまでできる。フェルトベングラーなど著作権が切れていそうなのもあるが、新し目の演奏家のもあるからよくわからない。でも、こうしたことが可能なら、音楽シーンはもっともっと豊かになるだろう。ポピュラーでは、坂本龍一、佐野元春、鈴木博文といった名前もある。

センスのいい解説もついた『クラシック名曲サウンドライブラリー』のラインナップは、私のような初心者に毛の生えた程度のクラシックファンにはうってつけ。「Ever」とか「100シリーズ」のようなものだが、演奏のセレクトは意外に凝っていて、たとえば、これはCDで持っていたがサティ『ジムノペティ』はドビュッシーが生涯二曲しかないという他人の曲のアレンジ、こっちは初めてきいたドビュッシー『牧神の午後』はラヴェルのピアノ二台アレンジという具合で楽しませる。

この三人のフランス作曲家の関係は興味深いが、今回まずきいてみたのは、自分ではアナログしか持っていない、ラヴェルではもっとも好きな曲といっていい『亡き王女のためのパヴァーヌ』。
実は二十歳くらいの時、わけのわからぬ理由でラヴェルに反感を持っていた。その理由とはサティがよく揶揄していたから。同じようなのに、ヌーヴェルヴァーグ青年がトリュフォーが批判していたからという理由でルネ・クレマンを嫌うというのがあるそうだが、同じようにサティが鼻持ちならんといったラヴェルは嫌なやつ。サティと関係の深い、コクトーの名著『エリック・サティ』、訳は坂口安吾/佐藤朔、で読んだ、サティがドビュッシーのお見舞いに行くシーンもあって、当時の自分の中の順番は、サティ、ドビュッシー、ラヴェルの順だった。
未だにもったいつけた『ボレロ』は好きになれないが、いつまでもそんなこといってられない。ドビュッシーとよくいっしょにのCDに入ってる『弦楽四重奏曲集』あたりから考えは変わったが、多分私の世代では、『亡き王女のためのパヴァーヌ』を知ったのは、村上春樹の同名の小説が最初という人が多いのではなかろうか。一時、JRAのCMに使われていた時にそう思った。確か『回転木馬のデッドヒート』に入った短編は、村上春樹絶頂期の名作と思う。
話は飛んだが、そのゆったりした四拍子につけられた言葉は次の通りだ。

一説によると晩年事故で記憶を
失った彼がこの曲を耳にした時
「素晴らしい曲だ。一体誰が作ったのだろう?」
と言ったのだそうです。
(『クラシック名曲サウンドライブラリー』より)

その名曲と同じように、一編の小説のようなエピソードが本当だかどうかはどうでもいい。ただ、この美しい曲に新たな気持ちで向い合えるなら、記憶を失うことも悪いことばかりではないのかも知れない。記憶があっても、人は昔のことを忘れたり、昔のことをばかみたいだと笑ったり、生きることは、いつも自分を更新するのだから。
ひょっとすると、“ながつきそれいゆ”の照っていたこの夏の終わりから秋の初めのいろいろも、そのうち「素晴らしい曲」になるのかも知れない。

『クラシック名曲サウンドライブラリー』、ラヴェルはhttp://www.voiceblog.jp/andotowa/car27.html

(Phは秋の庭の寛ぎ。ティー、けがしたセグンド、B-2改めジョス。BGMはその『亡き王女のためのパヴァーヌ』)

【カウンター07】
ラーメン2/92 他外食1/34 外酒2/66 劇場映画2/24(数え違いあり帳尻あわせ。過去の修正はせず)
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"The Last Rose of Summer"(『庭の千草』)

2007-09-01 14:16:13 | 身のまわり
気がついたのは、世界がひんやりとしはじめた火曜の夕方。
春に秋に、いつもたくさんの花をつけるバラの下、新しめの小さな樹が出ている。立とうという気は十分でもまだ力がなくて、震えるような枝の上、不安げに世界を見つめていた、頭上の大きな旧い枝であの強烈な夏の光に照らされてもう枯れてしまった花たちと同じ淡い黄色の、遅れてきた一輪。

きゅうりに水をやっていると寄ってきたティーと一緒に絵に残して、その晩は友人宅で「秋」の名前の入ったビールその他とともに、きびしかった夏を惜しむ。
いつものように、だけどこの一カ月の燃えるような朝とは違ったやさしい空気の中を家に帰ってにゃんどもにほれほれとキャネットをやり、さあ、今日も働かねばとPCを起こして、最近よくきいている accuradio、この水曜の朝は、何となしに celtic traditional を選んで作業に入った。
数曲きいた後で流れてきたのは、静かな夏のケルトを思わせる透明なソプラノで歌われたききおぼえあるメロディー。早速、曲名を確かめて、ああ、そうだったのか、と気づいた。
曲名は "The Last Rose of Summer"、アーティスト名は Meav、コンポーザー名は Traditional である。

youtubeにライブ版があった。日本でいえば由紀さおり・安田祥子姉妹の童謡のようなものだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=h-P15xujxoI

昭和一ケタの父によれば、「敵性音楽」が追い出された太平洋戦争下でも『ビルマの竪琴』で知られるイングランド民謡『埴生の宿』とともに、教科書からも消されることがなかったというアイルランド民謡『庭の千草』。高度成長期生まれの私には学校などでこの歌を歌った記憶はなく、もっとも鮮烈なのは昭和の終わりに大林宣彦監督が撮った『野ゆき山ゆき海べゆき』の中で、これがデビュー作の鷲尾いさ子さんが歌ったそれである。
『二十四の瞳』『わんぱく戦争』……。東西名作へのオマージュが垣間見られ、監督お得意のSF的映像を効果的にちりばめたこの作品は、『さびしんぼう』と並ぶ同監督の、というより80年代日本映画の一つの到達点といっていい。演技力の塊のような冨田靖子の魅力を監督的手腕で存分に活かして成功したのが『さびしんぼう』なら、こちらはたとえばロマン・ポランスキーがナスターシャ・キンスキーの魅力の前にたじろぐしかなかったのが伝わってくる『テス』のように、大林監督が鷲尾いさ子の前で何もできないまま棒読みのせりふをいわせているように思える。
本作での鷲尾いさ子はそれほどすごい。『庭の千草』が歌われるのは、夏の月の光の中の行水シーン。ゆったりと水を使いながらたどたどしく歌い、その後でたらいの上に白地に紺の浴衣がばっと広がる。
今回検索して初めて知ったのだが、当時、ファンの間ではこの映像を三度見ると死に至るという都市伝説があったという。このシーンがどれだけ輝いていたかを示すエピソードだが、それから十年くらい、好きな有名人といわれて「鷲尾いさ子さん」と応えていた私は、三度以上はみているが、おかげさまでまだ生きている。

実は『庭の千草』というタイトル自体、ついこの水曜にはっきりしたことで、この映画では作曲も担当したという大林監督の手によるものかと思っていたほどなのだ。そういえば、大林監督作曲は鷲尾扮する女郎屋に売られていく主人公のライバルの姉が恋する尾美としのりの船頭が歌う歌だったか。
でも、『庭の千草』というタイトルもきいたことがなかったわけではない。明治初期に輸入されて訳詩が与えられたこのメロディーは、われわれ世代が思うよりずっと日本人の心に浸透しているのだろう。当時、「バラ」はまだ日本では知られていないので、季節ごと換えて秋の終わりの「白菊」になったらしい。

鷲尾いさ子の歌った『庭の千草』の一番は

庭の千草も 虫の音も
枯れて淋びしくなりにけり
ああ白菊 ああ白菊
一人遅れて咲きにけり
(詞:高見 義)

そして、水曜に Meav=メイヴという歌手できいた原詩は

'Tis the last rose of summer,
Left blooming alone,
All her lovely companions
Are faded and gone.
No flow'r of her kindred
No rosebud is nigh
Tore flect back her blushes,
Or give sigh for sigh.
(Thomas Moore)

ついでに拙訳:
 夏の最後のバラ
 残されて咲くたった一人
 すてきな友だちはみんな
 どっか行っちゃって
 後から来る花どころか
 つぼみだっていない
 ぽっとしてもいっしょにわくわくしてくれないし
 ため息ついても肩を落としてくれない

この後、原詩では一人称が登場し、
I'll not leave tree, thou lone one:君を一人にはしない
という二番、
So soon may I follow:私もすぐに続く
という三番に続いていくが、正確な歌詞の読解はこの際どうでもいい。

うれしいのは、この夏の終わりの庭に小さなバラが開いたことなのだ。
四季をきれいに三カ月ずつ分けるなら夏は六、七、八月。降らない降らないと騒いでいた六月に、ほとんど日が出ずにだらしがないぞ太平洋高気圧とのんきにいってた七月、そして狂ったような八月。灼熱ばかりが印象的だけど、どれもこの夏の顔だった。そして、そんなに大きなこともなかったけれど、かけがえのない一瞬々々。
すなわち;フジロック、雷、相変わらずのラーメン、夏競馬、『ボルベール<帰郷>』、ネットカフェ泊り、日本のロック25、七夕、台風、元気なねこどもといなくなったねこ、ナス、花火、焼肉、深谷ロックフェス、楽闇計画のマイルス・デイヴィス、『タンゲくん』、ヤンキースのチェンバレン、きゅうり、地域のバレーボール、中学生と宿題、高尾山、そして何倍飲んだろうビールとビールもどき……。
そういったことやものの最後に夏の庭で、小さな黄色いバラが開いたことがただ愉しい。

次の朝、そうするのがあらかじめ決まったことのように夏の最後のバラは、静かな雨にぬれながらうなだれていた。そしてささやかな花が冷やしてくれた空気と土はその後はもう灼熱を忘れていて、この状態をきっと秋というのだろう。

"The Last Rose of Summer"と『庭の千草』については、
http://homepage3.nifty.com/kebabtraume/rose/topic1.htm

(Phは28日火曜夕方。バラとティーと堆肥つくりが並んだ。BGMはアイルランドの吟遊詩人ダミアン・ライス "9")
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