小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

十一月最後の朝の訪問者

2015-11-30 09:08:59 | ねこ



早起き作業がひとだんらくでカーテンを開けるとバルバルがのぞいていたので、キャネットをやった。昨日のヤオコー「ペットの日」で強化したのでたっぷり。
上増田ねこ界も宗教上の争いが続いているのか、じまんのツートンボディは傷が絶えない。
十二月もよろしくな。きっといいニュースがいっぱいだ。

2014年7月のバルバル記事
http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/dd8c71dbee808278c361f88aaa80fed8 

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「バルバル・サムタイムズ・カムズ・ウィズ・わおんわおん」

2014-07-20 15:32:41 | ねこ

【新・ねこ名鑑】

名前はバルバル、またはバルオ、バルちゃん、オス、確か三歳くらい。
小さい頃はうちにいて、家人実家にいたハルちゃんに似ているがやや粗野なためバル、バルバルなどと呼ばれるようになった。大食。
やがて青年となり巨大化すると、近所のボス大黒との戦闘態勢に入りしばし敗走する。そのうち荒野をめざし、修行の旅に出てわれらをかなしませた。
それでも時々帰って来る。なぜか一時期のヤンキー車に搭載されていた三連ホーンのような「わおんわおん」というサイレンとともに凱旋し、驚いた在留部隊が逃げていくとキャネットをむさぼり、以前は食べている時のみ接触可能だったが、最近は時々すり寄りの技をみせてわれらをよろこばせた。
しばらく姿をみせない大黒との夜の対決が憂慮される。

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#8y Dream

2012-08-18 11:03:02 | ねこ

かなしい話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、少し前のことだけど、いちばん仲よくしていたねこのティーが死んでしまった。
出てこないなと思って探していたら、やつがいつも遊んでいた庭の真ん中あたり、葉っぱが重なった涼しいところで動かなくなっていた。しかたがないので、「ねこが死んだら三叉路に埋める」という祖父母の言から、畑に出る道と畑の道がぶつかるあたりに大きな穴を掘って埋めた。

いつかはと「覚悟」していた気になっていたが、いざそうなると「不在」はどんどん広がっていく。
車で帰った時にはよくやつが待ってた裏の道、おめえ、こんなところにいるとあぶねえぞ、と腹を抱えて庭に戻したその感触を思い出したり。塾舎でパソコンの前にいる時には、かつんかつんと入口の金具を爪ではじいて入れてくれという合図に、わかったわかったとドアを開けに行く、面倒でうれしい机とドアの間の五歩くらいをなつかしんだりしている。
「かなしい」や「さびしい」はやつといっしょに見送った時間が心地よかったほど大きくなる「代価」だから、「貨幣にまみれた人間社会のルール」と違って期間や利率が自由な「風の音や空気の温度で成り立つ生き物の世界のおきて」の中で支払っていこう。ならば、すぐに終わって額の大きな「一括」でなく、ゆっくりでおだやかな「分割」にしたい。

蔵が休みで庭にいて、ほかのねことは特別に「ティーさま」と呼んでいた、その朝の一部始終をみていた妻が、畑の野花を手向け、ともに手を合わせて「ありがとう、ティー、バイバイ」と告げた後でいう、「何か植えようよ」。
夏の暮れのホームセンターで探すうち、目に止まったのは「クライミング・ハイブリッドティー」というバラ。翌朝、蔵に出る前の妻と植えた。
やつは正式名を「クライミング・ペーパー・ティー」という。
ほかのきょうだいと違って食べ物に興味を持たず、ひとの脚に登ったりティッシュをかんだりしている。そんな小さい時の様子からそう名づけたのだ。
八歳ともなるとティッシュでは動じなかったが、ひとのひざや高いところの座布団や箱の上にはついこの間まで登っていた。真ん中が柔らかいチリ紙からエコ時代のエンジンみたいになった同じ名前の花の樹は、近いうちに立てるつもりの支柱をゆっくりと登るだろう。

二〇〇四年四月生まれだから八年間。
私の四八年にとっても六分の一、やつにとっては一分の一だけど、やつはねこでほとんど寝て過ごしたから、八年間の時間割はだいたい同じに思える。それはいっしょにみた、うつつでうつらで、うつしくうつろいがちな夢だった。 
「ありがとう、ティー、バイバイ」 
 

(8月10日 09:17)

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なんでこんな青空、雲ひとつない~"Another Sunny Day"

2008-10-24 04:01:19 | ねこ
日曜に書きかけたままだった悲しい話です。



・・・
秋になって大きくなっていたティーのお腹が小さくなって帰ってきたのは9月22日頃だった。
知らないところで産んだこともあるので、いつ連れて来るのだろうと思っていると、10月の上旬から、夏に壊したバラックにあった捨てられないものを行き場なく積んでいるあたり、まわりは草もぼうぼうでちょっと踏み込めない場所で、にゅうにゅういう声がきこえるようになって、初めて姿を見せたのは祝日の13日だった。
見つかったのは2頭。ともにお祖母さんのカロンタンと同じきじで、しっぽが短いのと長いのが一頭ずつ出てきた。この模様が好きだからうれしく、早速、箱に古シャツを入れて基地をつくって入れてみると、やつらなかなか活発で、にゃおにゃおいいながらすぐ出てしまい、草の実だらけになっている。休みだから昼間に来た中学生も姿は見なかったけど声だけをきいて、カワイー、なんていう。

天気のいい、暑いくらいの昼が続いた先週。途中から都内出張も入り、出かけた水曜から翌木曜もさらに出張で、午後からなので昼前に起きて出てきたねこどもに食べ物をやり、その後で外に出てみると、母親のティーがなぜだか動かなくなった小さい一頭を咥えてきた。
あれ、こりゃどうしたんだ、触ってみるとけっこう冷たい。子ねこを転がしているティーからしっぽの短いその一頭を奪って、しかたがないので暖かい秋の陽光の中、スコップ持って前の畑のコスモスのところに行った。
なんでだろう、全然寒いわけじゃないし第一あいつら小さいとはいえねこだ、20日くらいにしちゃあちょっと小さいかな、とは思ったけど、けっこう元気だったしな、あれ、そういえばしっぽの長い方はどうだったんだ、と思って基地に行くと、茶色い小さいやつはもう元気がなくて小さく息をするだけ、おお、ティー、おめえ、ちょっとみてやんないと、と、抱えて基地に連れて行っても、もうだめと思っているのかすぐ出て来てしまい、天気のいい空の下、いつもと同じようにあくびなんかするばかり。
なんでだ、だけどもう出かけるのに時間がないから、明るい秋の陽射しの中、車走らせ駅に行く、母親のティーはねこだから、なんでなんていわない、けどこっちは人間なんで、なんでなんて考える、なんてこった、なんでこんな青空、雲ひとつない、

・・・
その日は取材で、興味深い話に三時間くらい熱中してきいたり質問したりして、終わったらうまい具合に腹もへったので、食べるならここは好きなものを思って水道橋の方のとんかつ、いもやに行った。帰ってからもずっと忙しい日が続いたし、野球もみなけりゃならないし、母親のティーをはじめ、おとなのねこはいるしで、だいたい二頭の子ねこのことは忘れている。
そんな中、前週からたまにきこえないことがあった携帯電話のスピーカーが、まったく機能しなくなった。ソフトバンクの店に電話すると、テレビ電話でなくても顔がわかるようなねえちゃんが、修理すると1万0500円で、分割の残金半年分何千円か出せば買い換えられることを説明してくれた。
去年の四月からだからもう一年半使っていて愛着はあって、買い換えるのは単純にさびしい。けど当たり前だけど、野球や仕事や遊びの合い間に、ふと思い浮かぶのは二頭の草の実だらけの小さなからだや、にょおにょおいう声だ。
いつも、何かをいとおしく思うのはそのためにした「ひまつぶし」、つまり時間があるからだといっている。なのに、姿を見たり触ったりしたのはほぼ一日だけ、あとは電話で話しただけの人のように声しか知らなかったやつらばかりが思い出されるのは、もちろん携帯電話と違って生命だからだろうが、ならばその「生命」とはなんだろう、少し考えてそれは「可能性」なんだなと思った。
あの細い毛が、小さな四本の脚が、少しずつ大きくなるとどうだろう、みゃあみゃあがフーになったかな、そういう様子が思い浮かぶから生命は「可能性」なので、それは母親でもねこのティーにはわからない。それはけっこう不思議なことに思える、なんでだ、なんてことだ、

・・・
その日も晴れていた今週火曜の朝、ねこに食べ物ををやった後、仕事を始めた。
きいていた Accuradio から流れてきたのは、きき憶えのある、拙いけれど凛としてやわらかなギターストローク、ベル&セバスチャンの Another Sunny Day。そうだ、いつの日か/もう一つの「晴れの日」なんだ、憶えているのは、思えるのは、だから、おぼえていないし思いもしないティーには、 Another Sunny Day はなくて、今のあくびがあるだけだろう。

・Belle And Sebastian "Another Sunny Day"
http://jp.youtube.com/watch?v=F2lviob9xAQ&feature=related

・上記曲に関する過去の記事
http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/s/Another+Sunny+Day

前の畑のコスモス、二頭がねてるあたりから、16日木曜
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朝・曇り・六月七日木曜~"Donovan's Colours"

2007-06-07 07:22:28 | ねこ
不思議な夜だった。
帰らないねこがいるので真夜中の庭をうろうろしていると、前の道路でにうにう声がする。行ってみると、みたことのない、星のない夜空のように黒いこねこが2名。畑の前のアスファルトの上でくぷくぷと身を寄せ合っていた。
何やってんだ、お前らどっから来たんだと近づくとふぐーふぐー。あまり人に慣れた様子はない。どうしたんだとうちの方からねこどももやって来る。おう、お前ら、こういうやつらがいたんだよ、知ってるかといってももちろんいちねこどもはにゃおにゃおいうだけ。どうしたものか。保護者はいないのかとまわりをみても誰もいないし、こんな車の通る近くでは危ないので、ねこのパチンコにでも行ってるのかの保護者が来てもすぐに気づく、けれども屋根のある祖父が建てた小屋にぷくぷくのお腹を持って運ぶと、うちねこもどいどいついてくる。まあ、ここにいてくれと小屋に入れると春に子どもを産んだうちねこが近づき、しかし、ふやーというので引き返してきた。保護者が来ればいいけど、けっこう大きいし、これでも食っててくれとキャネットを一握り置いて部屋に戻ると、昼の疲れが出てしばらくして寝入る。

怖くも悲しくも、といっても楽しくもない夢が過ぎると曇った朝。
小屋に行ってみると黒い2名は見当たらない。でも夢でなかった証拠に、キャネットがほとんどそのまま残っている。あいつらどこに行ったんだろう、保護者は来たのだろうかと寝ぼけたまま庭を歩くと、みたこともないところに知らない赤いバラが首を伸ばして、ずっと咲いてる樹にも白いバラが広がって、畑にはずっと咲いてるジャガイモの花がにぎやか。
人間の、こねこどもの、バラたちの、ジャガイモの花と根の、そして、かってな庭と空のつごう。

(BGMは、夜とも朝ともいえる不思議な音の洪水の名盤、ヴァン・ダイク・パークスの song cycle で、今はその中でももっとも幻想的な一曲 Donovan's Colours)
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「動く」より「感じる」

2007-05-19 13:28:02 | ねこ
春に生まれたこねこも、大所帯過ぎるのか生きられなかったものも多く、気づいたらもう2頭だけ。やつら、友だちのことなんておぼえていないように、たったかぴゅんぴゅん走り回る。
小さいやつらが動き回ると、もうちょっとおおきいやつらも、ぱんぱん、ととっ、ちょん。「動く」の幸福を味わっているようで、ねこにもインフルエンスはあるに違いない。
そしてふと、もう十年くらい前か、カロンタンを連れてきてくれたOGのSさんが中学生の時、理科で神経を勉強していた時の話を思い出した。

神経には感覚神経と運動神経があります、反射は刺激が脳に行かないで脊髄だけでの反応です、さて、感覚神経がないと何も感じられません、運動神経がないと動けません、どっちかしかないとしたら、どっちがあった方がいいですか。
くだらぬ「究極の選択」に、Sさんはニコニコしながら応えた、私は動けないとヤですよ、感じられなくてもいいです。

ああ、この子はこういう子なんだと思ってすぐに、でもそんなふざけた質問に、「感じる」方がいいなんて応える中学生がいるだろうか、あまりにおろかな質問なのでほかの誰にもしていないけど、いまの私自身ならぜったいにこう応えるだろう、動けなくてもいい、感じられないのはいやだ、ねこどもは動く、そして感じる、うっかり車検が切れて乗れなくなったので次の車が来るまで父親の車を借りて動いているだが、思った通りやつら私の車で帰ってきたのでないとすぐには集まって来ない、やはりやつら、車のエンジン音で誰が帰ってきたのわかるのだ。

もうSさんも24歳。いつか機会があれば、このくだらない問いをまたきき直してみたい。これから、十年に一回くらいで。

(Phは右「/(スラッシュ)」と、デスクトップ上は春こねこ2名でなかなか止まらず。BGMはきっとメンバーは「感じる」を選びそうな80年代英国の名盤ペイル・ファウンテンズ pacific street)
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ハグレイキングとの短い日々―sittin' on the ホトケノザ

2007-04-22 11:25:13 | ねこ
天気のいい日曜日にはふさわしくないけれど、忘れられない話を。
「かなしい物語です」

やつはまず、敵として現れた。
だいたい最初に会った頃がよくない。春の訪れからか、次々と世にいう修行に出かけたか愛すべきねこのやつらの姿が見えなくなり、今日も来なかった、今日も来ないと胸がきりきりいっていた頃なのだ。離れ部屋の玄関脇、集まる常駐外ねこ、パートタイム外ねこどもがキャネットに群がった時、初めて会ったやつはすぐには確認できない、四月に丈を伸ばした草むらに潜んでいた。

灰色のやつの容姿は、一言でいってこわい。小さい頭は草原のネコ科肉食獣のようだし、目つきは何も信じるものはないといった不良のそれのよう、首筋に入った段々はさしずめレッドキングのようだ。それが多くののんきねこどもの隙をついてキャネットにありつくべく、息を潜めて姿勢を低くして、草むらから狙っている。推定年齢はそうだな、10歳はいっていそう。田舎につき自由ねこはよくうろうろしているが、初めて見る顔だ。
大事なねこどもを失いつつあった私は、直観的に、すなわち単純にこう理解した。どこからかこいつが来たからうちのやつらはどこかに行ってしまったのではないか、いや、凶暴なこいつのことだから、のほほん暮らしのうちのねこどもに決定的な傷を負わせてしまったのではないか。
ねこ博愛主義を標榜する私であるが、こいつだけにはキャネットをやるべきではない。そう決めて知った顔たちがカリカリする中、近くで機会をうかがうやつを牽制し続けた。そうでないとあのレッドキング首が、わんわんとキャネットを独占してしまう。のろまなキャサリン・アーンショーなど、いつまでたってもカリカリできない。
と、そんな日々がしばらく続く。大事なやつらは帰って来なかったが、やつは頼みもしないのに玄関側にいる。自由人と呼ばれるもののこっちも無限にフリーなわけではないだけに途中で見張りを断念することもあったから、その間にレッドキングネックで凄味を利かせて平和をむさぼるうちねこどもを追い払ってカリカリしていたのだろう。どうやら、常駐組に参入しようとしていた。
ある夜、車で帰って来ると、いつものほかの常駐組や室内組がどやどや集まって来る中、なぜかやつもみんなといっしょに進み、後ろを振り返りながらにゃあにゃあいっている。それはレッドキングが仲良くしようとしているようで滑稽ではあったが、私もいなくなった大切なやつらの不在を受け容れようとすると同時に、このレッドキングにもそんなに冷たくしないでいいのではという気になっていた。
最初はこのいかついねこが来ると逃げるばかりだった平和ボケ組も、いつの間にやらいっしょにカリカリしても平気なようである。それがやつらの偉いところだ。

そんな日々は、でも一週間もなかったろう。
確か三月三十一日の日曜だった。仕事に行く直前、うちでは伝統的にバラックと呼ばれる物置の方から、まさに怪獣の雄叫びのようなニャーという声が聞こえてくる。行ってみると置いてあった赤い座布団の上で、レッドキングが叫んでいた。どうしたのかわからないが、鼻のあたりが黒ずんで苦しそうだ。
しかし仕事には遅れられない。まあなんかよくわからんけどがんばってくれよと言い残し、ネクタイを締めて出かけた。
帰ってから見に行くとレッドキングは座布団の上で、それまでに見た中でもっとも静かになっている。そんな関係だから私は、やつの寝顔なんて見たことがあるはずがない。

でかいからだでも余計なぜい肉などないそのなきがらを、うちのねこどもの墓場にしている前の道との三本辻に穴を掘って埋めた。けっこう大きいし、長く生きたからだだから、敬意を表して少し深く掘った穴の側には、誰にも注目されなくても足しも引きもしない青をたたえたホトケノザが咲いている。
土をかけながら、ほとんど知らないやつの一生を思う。多分十年くらい百戦錬磨で生きてきて、その終わりの二十日間ほどをこの近くで過ごした。それは映画くらいでしかみたことのない、生まれた土地から遠く離れた縁もゆかりもない赴任地でわけのわからぬまま死んでいく兵士のようなものだろうか。
ちょうど日本で一番きれいな、集団で咲くことで愛される花の下で多くの人々が幸福に酔いしれていた四月の最初。誰にも愛されない小さな花を咲かせるホトケノザの近くで眠ることは、やつにはふさわしいことに思えた。
人間に愛されて生きるねこがいる一方でおそれられるねこもいて、しかもどちらもどうしようもなく美しい。

博愛主義。私はねこについても、そうありたいと願っている。
博愛主義に現実性はないから、いつも敗れるということも十分承知している。それでも決して達されるはずのないことを希求することはねこどもにはできない私たち人間だけの特権なのだから、それがどんなに悲しくても享受するべきではないだろうか。だから博愛の精神を持たない人間を私は信用できない。

はぐれてこの地に流れ着いたレッドキングのような首をした灰色のやつを、ハグレイキングと名づけよう。そして、やつがキャネットを狙っていた時のこわくて美しい獣性と、ほんの少しだけ見せた安心と期待の振り返りにゃあにゃあと、お終いに求めた救いの声をおぼえておこう。
墓碑銘にはこの言葉ども、花はホトケノザを。

(Phはきっとやつもこのアングルから見たことがあるだろうホトケノザで、この先に眠っている。BGMはちょっと棚をみて、やつに獣性が似つかわしいオーティス・レディングでさっきちょうど "I've been loving you" でも、I've been loving you の後に続くのは too short。レディングが死の直前に録音したという "(siitin' on) the dock of the bay をもう一度きこう。watchin' the time...)

なお、レッドキングは
http://pulog1.exblog.jp/71891/
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昼下がりのおう

2007-02-22 23:35:54 | ねこ
暦が信じられないような昼下がり、庭を横断していると、遠くねこ2頭うなる声。どれどれと一応近くに行ってみる。
すると畑の隅っこ道に出たところ。最近、図体の成長に合わせて勢力伸ばしつつある1歳足らずのおすねこ・ふくめん、ふうふうと闖入者脅かす。おお、がんばなあと敵に目をやると仰天。1年少し前にいなくなったたれ目ではないか。
05年春生まれのたれ目は毛なが柔らか類の巨大なおすねこ。小さい頃に左目を怪我して、手術を受けたけど片目になってしまった(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/a768e5fe271cc672713842cda1d2e56c)。その年の夏は「たれ目の夏」と呼べるほどつきっきりだったのだけれど、大所帯がいやだったのか、1歳にならない冬に出かけたまま戻らない。近所ででかいしっぽの後姿を見て、もしやと思って追ったことも何度かあった。
自分より小ぶりなふくめんにも手加減なくふーっ。何か間の抜けた感じはどう見てもたれ目のそれだ。だーめだよ、と両者にいって引き離し、勝ち誇るホームふくめんを残し、アウェイたれ目を追跡することにした。

車が通る道なのに、長い毛をふさふささせてとことこ逃げる。雪男みたいというかヌウみたいというかの重いからだをもてあまし気味のアクションは、どう見ても懐かしいたれ目だ。それにしても逃げなくていいのに。

たれ目の鳴き方は、まったく他のねことは違っていた。母のキャサリンみたいににゃーんとビブラートで甘えるでもなく、おばのカミーラみたいにニャッ、ニャッとスタッカートで自己主張するわけでもなく、びーっという声は、「鳴く」というより「泣く」ように思えた。20歳頃にみた石坂啓さんのマンガにあった仲のよかった被差別民の子どもが大声で泣くシーンが忘れられないのだが、なぜだかたれ目の泣き方は決して音をきいたわけでないその子どもの泣き声を思わせた。わかったわかったと抱き寄せると、びーっといいつつ長い毛と柔らかい毛をすりつけてくる、その感触は忘れられない。
大丈夫だからな、大丈夫だからなと病院に向かった道。おとなしくしてた待合室。「こんなになりました」と看護師のSさんが見せてくれた手術後。エリザベスカラーで大暴れしてきょうだいたちに突進。何てったって顔だってぶさいくだ。
それは、たれ目ーっ、たれ目ーっ、と抱きしめると、びょーぁ、びょーぁ、と目を細くして叫んでいた、春から冬にかけて。

そんなことを思いながら、とことこ歩くたれ目を追う。ピッチ走法なのに人間が走らなくて大丈夫なくらいのスピードは、なだらかな昼下がりの曖昧な太陽によく似合っている気がした。
まず、10メートルほど離れた家の庭に。周りは畑で出てくるところは全部見えるから川の方面で待ち伏せすると、やっぱり間抜けそうに道を渡って向かいの家の横の畑のあぜ道にうずくまる。

1年ぶりに面と向かったたれ目だった。威嚇するでもなく、姿勢を低くしたままじっとこちらをうかがっている。そういう警戒心のなさは、まさにたれ目だ。
でも、左目をみると、ちゃんと開いて、きちんと見えているようにみえる。その点だけがたれ目と違っていた。ほかは毛なが柔らか類のからだも、ねこらしくない行動もすべてたれ目そのものだ。
1年会ってなかったねこは、かつて何夜も一緒に寝たとはいえ人間を憶えているだろうか。あの内田百がもしノラに出会えていたとしたら、ノラは百先生のことを憶えていただろうか。

時間にしておそらく5分くらい。左目が見えるようになったたれ目と思い出を語って、私は家の方向に動いた。解放されたたれ目は、同じようにとことこと川の方へ歩いていく。
遠ざかるしっぽを長い毛を見ながら、ありがとうな、また会おうなと心の中でいいながら陽だまりの中を家への道を歩く私と川へ急ぐたれ目の間の距離は、少しずつ広がっていった。
一人と一頭がおたがいを確かめていたのをみていたのは一月のぼんやりした太陽だけ。そしておたがいがかわしていた言葉をきいたのは、きっと誰もいない。

今日2月22日は、「にゃんにゃんにゃん」でねこの日だそう。ちょっと前の一月、昼下がりのたれ目を追う。

(Phは「予防接種証明書」のたれ目。これと同じプリクラみたいのももらったがどこに。BGMはこの人はねこっぽい、アルゼンチン音響派の歌姫、フアナ・モリーナ)
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フェイント・オブ・サビビアン・ウェストウッド・タヌー

2007-02-17 21:19:09 | ねこ
長原稿前、景気/契機づけにねこの話でも。

数日前の風のない晴れた午後。庭を横断中、あまりの気分よさにねこを追う。やつら、エサ係が母屋に行くと玄関で待ち構えるが常なものの、追うとすたこら逃げるのがさすがに本能的生き物。

……そういえばかつて塾内でこんなことがあった。
現在大学1年のF君が中1の頃だから早くも6年前か。塾には経済教育の一環として常備のカップ麺を食べる時などに借金制度もあるが、黄色い声でF君が「返さないとどうなるん」と愚かなことをいうので、そういう場合は塾内精鋭の借金取りが派遣される、返さないやつが出た場合はしかたがない、極めつけのエージェントがどこまでも追いかけるぞなどと適当な説明をしておくと、それはどういう人かと問うので、そう、まずこの間来たIという高校生などはかなりのものだと返答。
すると何日かしてテスト前か、近所のディスカウント店に買い物に行ったF君と2年上のS君が帰ってきていう。「センセイ、借金取りが追いかけてくるんですよ。この間の高校生が……」。へえ、と笑うやらあきれるやらしていると、しばらくして借金取りI君登場。F君驚き、「あー! 何で追いかけてくるんですか」と敬語でたずねると、借金取り「だって、おめえら逃げるからだよ」。
なるほど、逃げるのは追うからで、追うのは逃げるから……

で、ねこもやつら向こうから寄って来るので、普通はなんだなんだとなでるが、ちょっと趣向を変えて追いかけると、ひとまず逃げる。追いかけるから逃げる、逃げるから追う、中学生もねこも同じこと。
と、ちりぢりのものども、目の前に宅ねこ唯一の最近知った分類さびねこ、たぬき色なのでひとまず、ナイジェリア出身、元アーセナル、現ポーツマスに在籍の天才FWヌワンコ・カヌーをひねってタヌー。さびねことわかったからにはファーストネームもそれにちなんだものにしようと、英国パンクデザイナーの名を取り入れ、最近「サビビアン・ウェストウッド・タヌー」になったおとなしねこが、はっとして前にいる。やつの後方にはおそらく生前の祖父が置いてそのままになっているブリキトタンの戸が立てかけてあり、逃げ場に窮したサビビアンその間に逃げ込んだ。
ただ板が立っているだけだから、出口は左右二つだけ。ちょいと右側をのぞくとウェストウッド左側に移り、さてと左側をのぞくと今度は右側に移動する。
こういう時の生き物の行動は、ほぼ必ず一定の方向を持つものだ。姉の長男が1歳になるかならぬかの頃、頭にかかったタオルを後ろに送ればすぐなのに遠回りでも前に払うしか方法はなく、考えれば前と後ろという概念自体ないだろうから当たり前なのだが、人間は不思議だと思い、すまんと心で詫びつつももう一回やってみたことがある。成獣とはいえ四つ足では、いま右なら次は左しか選択肢はなくて当然だろう。
最初はおもしろいけど、人間はずっと右→左→右→左では飽きる。何度か繰り返した後で、右→左→右→右とシンコペートしてみた。
この変化に最初は驚いていたタヌー。しかしそれから2、3回目で対応し、次回、右→右とやったところ、どどどっと左から脱出してスペースへ飛び出したた。
恐るべし、サビビアン・ウェストウッド・タヌー。いきなりフェイント身につけた

(写真はそのサビビアン・ウェストウッド・タヌー:メス・約2歳。BGMはJ-WAVEで、vivi の L'air de Paris から小曽根真の Oz meets Jazz という極上の流れの土曜の夜のプログラム。Now playing 初めてきくスウェーデンの SWEET JAZZ TRIO 柔らかいタッチのギターに米国ジャズとは少し違うリズムが新鮮。おっ、次のジョビンの『黒いオルフェ』 JOE HENDERSON というのも初めてきく名。いやー、勉強になります)
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にゃーいやー

2007-01-01 23:59:10 | ねこ
2007年の元旦も友人宅で向かえ、目覚めて宿酔いでふらふらしながら帰って来ると、まず外のやつらがぴょんぴょんにゃー、ドアを開けるとどたどたにゃーにゃー。当たり前だけど、いつもと変わらぬ冬の朝。
じゃらじゃらどさっとキャネット置くと、かりしゃか・かりしゃか順番に食べる。ぴちゃぴちゃ交代で水を飲んで、こっちが再び眠りにつこうとすると足の上やら布団の中やらに集合。
まったく重てえな、このやろチャー、かみついちゃ痛えぞというのににゃーにゃー服の中に入ってくる。なんだなんだどうしたとやつが何かいってる声をよくきくと、いつものにゃーにゃーともちょっと違って、にゃーいやー。
そうか新年のあいさつかい、お前も人間との暮らしが長いからなとなでようとすると、やっぱり指先をかぷ。そんなに人間の指はうまいのかいときくと、ごろごろごろごろ、にゃーいやー。
今年もよろしくお願いします。

(Phは早速布団内に入ったチャーとスペースを布団をはがしたけど、手前黒いスペースはよく見えず。BGMは録画したウィーンニューイヤーの序盤。個人的にはかっちりクールなのメータ指揮は楽しみ)
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ただ蓋となりし 哀しきディスプレイ 第一容疑者やぴん

2006-12-02 03:00:19 | ねこ
12月になりました。いい天気です。
一応冬ということで、昨夜に室内蛍光灯を赤い冬用に。それからこの冬初めてネルのシャツを着ました。そんな今日はねことPCの話です。

それは身の引き締まる11月末月曜朝のこと。
前週購入1万5000円FMV。休暇中自宅ソテックDT代理としてお勤めの後、作業員着眠につきお悧巧XP自動休眠。ゆえに愚か作業員は、てっきり普通に休んでいるものと思い込みけり。ただディスプレイが1年ほど前の荒川静香とまではいわずども、ほぼ180度の寝転びあまりにでき過ぎた休息と、もうすぐ最前線から退く構えのXPに敬意を表しつつもいぶかりながら。
それで復帰させようとスイッチ入れるも、従来PC奴になきカンカンいうHD働けど寝起きのディスプレイ目覚めず。おい起きねばならんと再起動などさまざま試せど、心拍数落ちし冬眠クマさんの如く微動だすることなく、ただカメムシの寝息のようにかすかな画面の残像のみ映す14吋スクエアフェイス、実にけなげも役には立たず悲し。様子よりこれバックライト切れしと思い、CRTつないでみるに壁紙とせしアンナ・カリーナ嬢ばちりと映りしがまた、何ゆえこの画面に映らんと悲しむもせんなし。
見るに右手より、春生まれの片目灰色ねこやぴん、からだ低く構え、海のそこの如しディスプレイに前足で突撃す。突っ張りくらいし14吋そこは無機物の悲しさ。なすすべなく後ろに倒れたまえば、やぴん殿これ当然として走り去る。

難読失礼。
要するに、先週買った1万5000円FMVを開けっ放しで寝たらねこどもがディスプレイに飛び掛ったらしい衝撃でバックライトが点かなくなってしまったという話です。ひょっとすると何かスイッチがオフになっただけかとわらをもすがる思いで「パソ困」にも相談してみましたが、やはりバックライトのトラブルのよう。メーカー以外でも1万5000円程度かかるらしくそれでは購入価格と同じになってしまうのでこのままディスプレイをつないで使うことを決意。いっそのこととってしまってもいいわけですが、ディスプレイ殿には輸送時のキーボードの蓋として活躍してもらおうと思っています。
寝ていたゆえ犯人はわかりませんが、その後飛び掛ったことからやぴんが有力容疑者。しかし証明する手立てもないし、まあ、やつらのようなものが立っているものに飛び掛るのはせんなきこと。開けっ放しで寝てしまった人間の私が一番悪いのでしょう。富士通がねこアタックに負けないくらい強力なヒンジにしてくれたらとも思いますが、開発者も工夫を凝らした製品がそのような攻撃にさらされるとは想定外でしょうからしかたありません。月曜に倒れなくても、いつかはそうなっていたはずです。
言葉の通じないやつらに、「これはパソコンといって中古でもちょっとは高くて、しかもけっこう壊れやすいんだ。だから飛び掛っちゃだめだぞ」といっても通じません。だからやつらが手を出せないような環境にすることは、言葉を操る能力のあるものの、一種のノブレス・オブリッジではないでしょうか。どんな場合にも言葉の通じない暴れ者の手の届くところに、壊れやすいものを置くことは怠慢です。もっともこっちの暴れ者はそれなりに愛すべき存在で、やぴんが低く構えてだっと14吋に戦いを挑んでいった時も、あまりのおかしさに損害も忘れて笑ってしまいました。
ごめんFMV、まあ頑張ろうぜ。

(PhはそのFMVと自宅CRT、ちょうそその上に乗ったやぴんも。壁紙はゴダール『はなればなれに』より(http://www.bowjapan.com/bandeapart/index.php 更新すると写真が変わります)。BGMはNHKBSでやってたゲルギエフ+PMFオーケストラというののモーツァルト~ストラヴィンスキー~チャイコフスキー。やはりストラヴィンスキー「ペトルーシカ」で耳が止まる)
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侵入―ねこの「おせんべい」

2006-11-18 03:21:53 | ねこ
寒くなりました。けど、まだ暖房は使わず、縮こまって耐えるのは嫌いではありません。
塾PCはキーボードがもうだめそうなので、1万5000円で富士通ノート1台購入。初めてXP機がやって来ました。こうやって機械を買い換えるととたんに快適になって、何で今まで不便で我慢してたんだ、ばかじゃねえか、と思うのが常ですが、まあそういうものでしょう。
そんなFMV-6700NU9/L の第1弾は「ねこ」の話を。

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事件が起こったのは先週のことだったか。
母屋にいると「いるかい」と近所の人が父を訪ねてきて、どうやら畑にいるようなので「ちょっと待って下さい」と呼びにいったところ、農業のその人も一緒についてきて「やってるねー」。じゃあ、と戻ってみると果たして、開けっ放しのドアからやつらが侵入していた。
父親はねこが嫌いだ。それでも、ブーブーいいながらもこんなにたくさんのねこをいさせてくれているのにはまあ感謝はしているのだが、母屋に入れるのはどうあっても許さず、ねこのやつらも知ってか知らぬか、少し開いたドアの隙間から入るということも普段はない。その一線を越えて侵入してきたのは、人間でいったら魔がさしたというやつか、いや何しろねこだから、まあ特性である気まぐれを起こして入ってみたというのが正解だろう。
と、入ってはみたものの、やつら、「何やってんだ、おめえら」と、これは口には出さず心の中でいいながら私が家に入った途端、ものすごい勢いで逃げようとする。以前に近所の自由獲得犬が部屋に接近した時に全員がそれこそ全盛期のエイシンワシントンのようなスタートダッシュを見せて驚いたことがあったが、まさしく犬の時と同じようなほうほうのていで飛び出していった。
そんな中、1名だけ逃げ遅れたのが「」(スペース)。閉まったドアのところで引き返し、「びやぁー!」と叫びながら絶望のパニックに陥っている。風呂場方面に逃走するも行き止まり、今度は居間に進路を変え、ガラスの向こうに仲間たちの姿を見るがこのケイ素の壁は通り抜けられない。わかったわかった、今開けてやるからな、とカギに手をかけると「びよぉー!」と和室へ。こっちは冷静そのものなのに、やつはひとりで盛り上がって騒いでいるから出られない。そんな状態がしばらく続き、何ら状況が変わったわけではないものの、ふとした拍子で脱出できた。穏やかな初冬の昼下がりのやれやれ。

まあ普段と違うところに来たのだからわからないでもないが、逆によく考えると、離れの部屋でも庭でも私が行けば必ず寄って来るやつらがなぜ別のロケーションでこうまで慌てるのかというは、まったくもって謎だ。人間的に考えると「おっ、やべえ」という感じに思えるが、だいたいなぜやばいのか。やましさとか罪悪感とか感じているようにも思えるが、そもそもそういう感覚がねこにあるとは思えない。当たり前そうなようで、実はよく考えれば考えるほどわからない行動だといえる。

カロンタンが冬に家出した時、数日後に庭で見つかったが、家の中では仲よくしていたのに外ではまったく近寄って来なかった。その時、カロンタンを連れて来たOGのSさんに「外のカロンタンと中のカロンタンは違います」というメールを書いたのだが、どうやらやつらは場所によって違う生命体になってしまうらしいというのが、私が抱く感覚に最も近い。場所によってねこは変わるのだ。

だが、さらに考えてみると、これはねこだけの話ではない。例えば普段は地味な制服やさえないジャージしか見たことのない中学生に盛り場、でなくともイトーヨーカドーあたりで会って、意外な格好をしているのを見て驚いたり。これはその中学生の方でも、「あちゃー、やばい」となぜか思うところも、違うロケーションでのねこと似ている。まあ、さすがに「びやぁー!」と叫びはしないだろうが。
さて、この「やばい」という感覚に関わっているのは、アイデンティティではないだろうか。いつも同じ自分、しかも「いい自分」、「周囲から期待される自分」であろうとするアイデンティティ。この「アイデンティティのくびき」は、思わってもみないほど私たちの行動を支配しているのではないか。
イトーヨーカドーで普段より少しだけおしゃれな格好をしたところでどうなるというわけでもないのに、なぜかそれを後ろめたくする不思議な心性。そしてそういう心性を持ち続けることは、思うよりずっときびしいことが多い。複雑になっていく社会のもとでは、きっとそれは重過ぎるのだ。

アイデンティティについて考える時、前に香山リカさんが書いていた「女の子はおせんべいみたいに自分を割ることが上手だから楽になれる。でもそれが下手な子、男の子に多いそういう子はきびしい」(記憶ゆえ大意のみ)という言葉をよく思い出す。自分をうまく割って、できるだけ破片を多くしていろんなところにばらまいた方がきっとずいぶん楽だし、できるだけ居心地のいい場所も見つかるだろう。少なくとも一つの場所しか知らないよりはずっといい。
そしていい場所が見つかったら、散らばった破片をできるだけ多く集めて、おこしみたいにゆるく固める。そこが違うな、と思ったらまた割ってしまえばいい。
いすに脚が一本しかなかったら簡単に倒れてしまうように、ほかに逃げ場がなかったら強くない心はたやすく崩れてしまうだろう。脚は、つまり気持ちの置き場は、少ないよりは多い方がいい。一本がだめでも、ほかが支えてくれるから。

と、話はねこの、「」(スペース)のことからずいぶんそれてしまったが、スペース(場所)が問題になっていることに変わりはないなどと強引に結びつけたりして。
でも、ねこはアイデンティティについて考えないから、ずいぶんと楽そうで幸せそうだし、時々道で車に向かって行くことがあったとしてもそれは一つの場所にいることでどうしようもなくなったからではなく、ほかの理由があるのだろう。今まで見聞きした中では、まだねこは上下運動しないものを動いているものと認識するまで進化していず、動かないまま進んでくる車は動いていないものと判断している、というのが最もすごい説明だった。
いずれにしても、うちにいる「」(スペース)と、庭にいる「」(スペース)と、普段入らないところに入った「」(スペース)、それどころか同じうちにいる「」(スペース)でも昨日の「」(スペース)と今日の「」(スペース)は、どうやら別の生命体なのだ、不思議でもなんでもなく。
そういえば、子どもの頃、家にいたねこによくせんべいをやっていたが、今となってはやつらがせんべいを好むとはあまり思えない。よし今度やってみよう。

(Phは庭で自由を満喫する今日の昼間の「」(スペース)。BGMは塾にF君が置いていった SHARP MP3 に入っている音源をシャッフルで。といってこれはすべて私の休養中PCから移植したもので、今かかっているのはキャロル・キングの『ナイチンゲール』)
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オディール三きょうだい現る

2006-10-19 20:32:31 | ねこ
今日は週間日記に含まれて、あまり更新のなかった「ねこ」カテゴリーを。

思わぬ登場だった。
いつものようにPC前のいすで寝てしまった土曜の朝、目が覚めると見覚えのない子ねこが。寝ぼけついでになんだおめえはと見ると、「びゅうびゅう」いいながら全部で三頭。おそらく初めての人間との出会いにもそれほど臆することもなく、とたとた歩いて「びょう」という。それが三きょうだいの初めてで、確か秋の素晴らしい光線が窓から差し込んでいた。
それにしても、こやつらどこにいたのだろう。すでにもうぷくぷくしていて、一人前にぴゃこぴゃこ歩いて「びゃあ」。とたんとたんからだをぶつけ合う。
何なんだ、誰の子だろう、と思っていると、そのうちオディールがやって来て、何度か見たことのある不思議な立ったまま授乳。何だ、前にどこに産んだのだろうと思っていたらこんなに育っていたのかと頭をなでると母カロンタンと同じように「ニャ」。そうかよかったな、そういえばこんなにねこがいるけど確定オディールの子はいなかったよなと、頭をはらはらちょいちょい叩き、知らぬ間の育児をねぎらうとさっきよりちょっと小さく「ニャ」。三きょうだいは、ずっと前から暮らしていたかのように寝てるとすぐそばで丸くなっています。「びゃあ、びゃー、びゃ」。
「どうだ、すごいだろう」。

(Phはなかなか3頭は揃わず苦労し、音を立ててこっちを向かせたが1頭は下を見てる集合写真。BGMはやつらとそのおじ・おばがシャッフルして出てきたキャロル・キングのベスト。この米国ポピュラー界初期から活躍する歌姫は、きっとねこが好きだろう)
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ねこ紹介(2) すすみもの クライフェルト

2006-08-26 11:51:44 | ねこ
快調に7日連続更新。
しばらくカテゴリーとしてはなかった「ねこ」で、1年以上続きなしでほったらかしの「ねこ紹介」のその2です。

さて今回紹介するのは、カロンタン直子五きょうだいで唯一のオス、クライフェルト。すでに1回やつのことを詳しく書いたこと(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/e0e15da9556d22b8b97022c42166b373)もあります。
正式名は「パトラッシュ・クライフェルト」。元オランダ代表FW「パトリック・クライフェルト」と、あの『フランダースの犬』からの合わせ技です。最近のメディアはほぼ「クライファート」に統一されつつありますが、一昔の『Number』風に「クライフェルト」と発音したいところです。

本来、最初の予定通り50音順なら次は「カミーラ」のはず。しかしクライフェルトが割り込んだのは、昨日の晩、やつらしき姿をみたからです。
そう、クライフェルトはほかの四姉妹と違って、昨年の7月にどこかに行ってから1年以上帰って来ません。

「クライフェルト」と名づけたのは、やつがきょうだい一のすすみものだったから。もともと生まれた日にやっていたのがスペインサッカーのクラシコとMLBのNYY:BOSという両伝統の一戦で、クラシコで途中出場ながら起死回生の同点弾を叩き込んだ当時バルセロナのクライフェルトか、好投を見せたペドロ・マルティネスの名前はもらおうと思っていました。ですがオスは1頭だけ。すすみものだけに前者を採用しました。

生まれて以来、テレビ裏を占領していた当時のカロンタン一家の子どもどもも、しばらくするとテレビ台後ろの抜け穴を発見し、ガラスの扉を押し開けて出てくるようになっていました。とくにカロンタンと差しで飲んでいる時ににゃごにゃごと出てくるので、もうちょっとしてからなと元の位置に戻していましたが、ひるまず猛チャージをしかけてきます。そして常にその最前線、FWを務めていたのがクライフェルトでした。
4頭の姉妹を引き連れてとんとんと出てきて、私の前まで来ると「ニョッ」。どんなもんだいとばかりに見上げた嬉しそうな顔は、ずっと頭の中に残っています。そういえば私がPC前にいる時、最初に肩に上ったのもクライフェルトでした。

そんなクライフェルトは、少し経つときょうだい唯一の長毛ねこということが判明。ちなみに、なぜか長毛ねこはすべてからだが柔らかいので、私は「毛長やわらか類」と呼んでいます。とともにクライフェルトは、みるみるうちに巨大化していきました。
ほか四姉妹をなでる時にはいつも、「いいこだなー」といっていましたが、巨体のクライフェルトをなでる時は「でっけーなー」。いつしか犬をなでる時のように左手で支えながら右手でなでるというかたちができあがっていましたが、様子だけは小さい時と変わらず丸い目でじっと見上げて「ニョッ」というのがクライフェルトでした。
それでいて、走る時は太い脚でどっどっど。今にも「ばン」と鳴きそうなので、その頃NHKーBSでやっていたのをみて感激し、フランダースつったら大体オランダだからなと、「パトラッシュ・クライフェルト」となりました。

そんな派手ねこでしたから、訪ねる者どもの間でも一番人気。「でっけなー」とか「こいつほかのと違いますね」とかいいながら、長くて柔らかい毛にさわろうとすると、ずっずっ、と遠ざかるクライフェルト。そのくせ外で会うと、でかいしっぽをぶんぶん振り回しながらすぐに飛んで来て、くりくり黒い目で「ニョッ」といいます。

そんなこんなで1年3ヶ月の間、大きなからだでうろついていたクライフェルトを最後に見たのは去年の7月のある暑い日。屋根の上にいたやつは、「にゃーぉ」とめずらしく長く鳴きました。「何やってんだよ」というと得意のどんなもんだい顔をこちらに向けていましたが、それ以来どこかに行って帰って来ません。
数日経つと心配になり、近所を歩いて探したり、前にやつが潜んでいたAさん宅の藪をのぞいたりしましたが見当たらず。かといって、どこかで死んでいたというわけでもありません。
何しろすすみものですから、知らないところに進まないわけにはいかないのでしょう。

よくきくように、オスねこはどこか旅に出るものが多いようで、ほかにも行方の知れないオスは何頭かいます。内田百の名随筆『ノラや』にはそういう人間の気持ちが見事に描かれていますが、最初はいろいろ探していつ帰ってくるのだろう、何してるのだろうと思いを募らせながら、だんだんと不在に慣れてくる、そういうことをこの2年に何度か繰り返しました。でも、死んでしまったのを知るよりずっといい、そう思う人は少なくないでしょう。

これまでも、庭や近所で同じようにでかくて白と黒のねこを見つけて追跡したことは何度かありますが、いずれもクライフェルトではありません。まったくどこにいるのだろうと思っていると2ヶ月くらい前、同級生M君の家から自転車で帰る途中、でかいしっぽの白黒ねこを近くの運動公園近くで見かけたのです。
誰もいない深夜の公園を追いかけたのはもちろんです。しかしそんなシチュエーションで、人間に捕まるようなねこはいないのももちろんです。しばらくしてあきらめました。
でもなぜか、どこかに今までにいなくなったねこがいそうな気がします。歩いて5分のところに住んでいる弟が近くにのらねこがいるらしいといっていたので、うちを脱出したやつらがコロニーを建設しているかも知れないと橋の下あたりにもいってみましたが、もちろん会えません。

そして昨夜の出かける時、家に一番近い信号を待っていると、巨大な白と黒が脇の農道を田んぼの中に。おおっ、と思って車を回し、降りてあたりを探しましたが見つかるわけはありません。んーっと思って、深夜の帰り道、もう一度そのあたりを車で回ると、1頭のねこの目が光っているのだけ見ました。

そんなわけでなかなか再会できないクライフェルトですが、会えるかも知れないと思えるだけまだいいでしょう。あそこにやつがいるのかも知れないと思うと、何でもないディープ関東平野の片隅の畑道も秘境のように魅力的に映ります。

(写真は04年7月8日の日付ありでクライフェルト2ヶ月の頃。この写真ではわかりにくいですが、茶色も少し混ざっていたのですが、こういうのもオスの三毛なのでしょうか。そのためにコレクターに捕まったのかと心配もしました。BGMは、何となく棚で目についた、元ブラーのギター、グラハム・コクソンの1st "the sky is too high"。久しぶりにきくが、これはなかなかいい。Kluivert is too big. And he is too far.)
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しんねんねこ

2006-01-01 22:02:19 | ねこ
みなさん、あけましておめでとうございます。

年末から外酒続きで、1日朝帰還。ドアを開けるとやつらがにゃあにゃあいって、キャネットをやって、パソコンの前に座るとカミーラがひざの上に乗ってきて。
そのまま寝ると、どやどやふとんの上に集まってやつらも寝て、起きて天皇杯をみるとテレビのボールに飛びついて、おいかけっこのやつがいて、また寝るとどやどやで。
目がさめるとふとんの上でティーがにゃあ。ふとんから出るとどいどいえさ場に移動し、キャネットをカリカリ。パソコン前に来るとカミーラと暫定名けむしがひざの上。

いぬどしでもしんねんねこ。新年ねこ、信念ねこ、深ねんねこ。やつらは新しい年が来ても騒がず、何かを信じるように同じキャネットを食べて深く眠り。そういう風にして今年も始まりました。

本年もよろしくお願いします。

(写真はCD、レコード棚の上でバトルの夏こねこ2頭、暫定名かおひろと保護色でわかりにくいですが覆面うし。年も変わったので暫定名のものどもに正式名をつけなければ。BGMは "Let it be...naked"。ジョンが歌います Nothing gonna change my world... 泣けてきます。Nothing gonna change にゃん world...よし、明日の新年会、『アクロス・ザ・ユニヴァース』でいこう)
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