小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

7月2日(火) 15時からFMクマガヤ、映画『ゲバルトの杜』公開記念番組 「政治の季節」 いかに語る

2024-07-01 22:06:21 | 映画

 ※画像は小林草案

明日7月2日(火) 15時からFMクマガヤの映画『ゲバルトの杜』公開記念番組に出ます。1972年早稲田大のゲバルト事件を描いた作品の監督は、熊谷出身代島治彦さん。話が始まったのが6月20日だから放送まで十日ちょっとの間、1969年の熊谷高校服装自由化のことを知ろうとしたことは、昨年、地元明戸地区での関東大震災時の出来事を知っていったのと同じような「歴史の時間」でした。知らなかったことだから、今の自分と地続きだからこそ味わえる時間と空間の交差点。
このおもしろさを多くの人と分かち合いたい。そう思って、新たなプロジェクト「県北 after 1945」を起ち上げます。まずは明日の番組を。

FMクマガヤ告知

代島監督X投稿

毎日新聞 6.28 「政治の季節」いかに語る 隈元記者

 

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『市民シアター・エフ PART Ⅱ』始まる………二代目理事長になりました

2024-06-02 16:20:19 | 映画

 


 総会前、剣道稽古待ちでシネマに来ていた長男に映写室を案内する竹石さん

5月28日(火)の総会を経て、6月1日に認定NPO法人市民シアター・エフの二代目理事長になりました。
創業者で理事長・館長を22年続けてきた竹石研二さんは引退で理事、名誉館長に。理事長と館長を分離して、理事長はわたし、館長は一回り若い小林俊道さんのダブル小林体制となりました。4月から公募で入った新スタッフ、数人の新理事も加わっています。
よく話しているように、46歳だった移転前の2009年にドキュメントを書かせてくださいと一観客だったシネマに来たのがいわゆる「地域デビュー」。それからとなりまちの本庄、熊谷でも活動して「市民活動・NPO」コーディネーターが専門分野のひとつになって子どももできて、15年経ったらNPOによる日本初の映画館運営NPOの代表になっていたわけですからわからないものです。
このところ繰り返しているのは、22年続いてきた映画館業務以外の「映画を中心とした文化を通したまちづくり」業務を広げていくのが自分の役割ということ。NPO20分野の「五 農業支援」「十九 市民活動の中間支援」を加えた定款変更も視野に入れています。これまでやってきた「まちづくり・中間支援」に「深谷シネマの運営母体」というブランド力は国内最高レベルでしょう。楽しみなこと、この上ありません。

以下、総会後の竹石さん慰労会での自分のことば要約(かなり修正)と、当日思いついて編集した2010年時点の企画書+サンプルテキストの予告編を含む、シネマ&七ツ梅関連の各メディア発表文集「Kenji Takeishi whitten by Makoto Kobayashi」の pdf です。
………
竹石さん、深谷にこんないい場所をつくってくれてほんとうにありがとうございました。
これからシアター・エフのパート2が始まります、と、映画館のNPOですから、思い出すのは映画のパート2作品です。みなさんパート2といえばどの作品ですか。(場内)「ゴッドファーザー!」。そう、われらの世代ならやっぱり『ゴッドファーザー』ですね。でも、今朝検索して知った10年くらい前の何だったか海外雑誌が選んだベストは『エイリアン』でした。
わたしにとってもパート2ナンバーワンは『ゴッドファーザー パートⅡ』。その魅力は何でしょう。いろいろありますが、やっぱりパートⅠには出てこないロバート・デ・ニーロが出てくること。タータララーラララー…と、現在のアル・パチーノ=マイケルから若きデ・ニーロ=ビトーが重なるシーンは、名作ばかりのデ・ニーロ出演シーンでも一、二を争う完璧さです。
パート1にはいないスーパー俳優が華やかにするのがパート2の名作。きっと『シアター・エフ パート2』でも、今日はここにいない誰かがデ・ニーロとなって深谷シネマの物語をさらに魅力的にしてくれるでしょう。
おたのしみは続きます。

英エンパイア誌が「史上最高の続編映画50本」を発表。第1位は?(2009.9)

深谷シネマホームページ

『Kenji Takeishi whitten by Makoto Kobayashi』 pdf (冊子化・販売検討中)

上記の一部である『埼玉県北ニアベンチャー 2010’s』



 竹石研二さん慰労会で入江悠監督から


 ネームタグは小林俊道新館長が作成してくれた


 記念品のひとつ新札名刺

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『トリとロキタ』(ダルデンヌ兄弟)深谷シネマで16日まで

2023-09-10 05:45:08 | 映画

やることが全然終わらない日々だったが、今日しかないと7日木曜、深谷シネマで『トリとロキタ』をみた。ダルデンヌ兄弟作をみるのはしばらくぶり。
こわさ、おろかさ、いとおしさ。二人の必死な動きにスクリーンにひきつけられ、その感情を体験する。
『キクとイサム』『山椒大夫』『誰も知らない』…。子ども映画の数々や入江悠が書いていたボヴァリー夫人論、映画の機能を思い出し、この映画に描かれた現実はわれらの日本社会と海を隔てているとはいえ同じ時代に起こっていること、似ている話はわれらの社会にもあることに気づく。
BGMはいらない映画。でも、音楽、歌に満たされている構造にもたじろいだ。
深谷シネマは今週18時からで16日まで。

公式サイト

自ブログ『ある子供』レビュー

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『すべてうまくいきますように』、『テス』、入江悠、児玉・百体観音・・・映画まみれ、六月はじめ

2023-06-13 05:29:02 | 映画

「映画は現実の一部」と思い直し響き続ける作品を映画館でいつでもみたい。
今月は9日に『テス』、12日に『すべてうまくいきますように』を深谷シネマでみて、19日の一般質問のために入江悠監督『シュシュシュの娘』『ビジランテ』のことを考えている。
2本のレビューを書こうと思ってたけど、やることいっぱいなので後にしよう。だけど早いうちに書いておきたいので箇条書きを思いついた。

『すべてうまくいきますように』
テーマは安楽死。5月13日毎日新聞・井上英介の喫水線「安楽死は正解のない哲学」をきっかけに、10年くらい前の須原一秀『自死について』を思い出していた
いままでみたフランソワ・オゾンでいちばん普通の映画
深谷シネマ、『ラ・ブーム』とカップリングのソフィー・マルソー特集は落差見事なすごい企画。「フランスの薬師丸ひろ子」というフレーズを思い出した
尊厳死の哲学に強い違和感があった『海を飛ぶ夢』(2005 アレハンドロ・アメナーバル)と比べ、家族や周囲の反応、法的な手続が前面で妙なリアリティ。死は社会なんだ、と思い出した「フランス文学はモラリストの文学」というフレーズ
制度と価値観がモザイクに共存するヨーロッパ共同体の富

『テス』
今いる現実からいちばん遠い映画の前に3時間いられることの幸福
ナスターシャ・キンスキーとポランスキーの息詰まる対決
赤いドレスから一転する映画的カタルシス
欧州の田園の暗さとどろんこの美。4Kに負けない暗がり
映画をみはじめた1979年「ぴあ」短評の「映画的興奮の極致のオープニングのロングショット」やソニーかなんかのいちごのシーンのCM
シャロン・テート事件とトーマス・ハーディの短編を読んだ大学時代の英語教員のため息「ああ、うまいなあ」

自宅では交くんと11日に『仮面ライダースーパー1』(1980)をみて、出てきた山寺と似ている児玉東小平・百体観音に行ったのでした。
映画まみれ、六月はじめ。

◯公式
すべてうまくいきますように
テス
井上英介の喫水線「安楽死は正解のない哲学」

◯過去のブログ記事
映画的にもっとも甘美な共犯としての“裏切り”~フランソワ・オゾン『ふたりの5つの分かれ路』(2006)
検索「須原一秀」

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ミニシアターに「ひとりで進む」。「シュシュシュの娘」深谷公開直前の個人的なこと

2021-08-22 07:55:06 | 映画

Seien記事(校正版)

20日発行、ピーアイピーの深谷のフリーペーパー「Seien」9月号巻頭を担当した。
タイトルは『21世紀映画のまち・深谷から 地元出身入江悠監督『シュシュシュの娘』公開!ミニシアターに「ひとり〈ずつ〉進め」』。深谷シネマでは今日22日から公開される。
「シュシュシュの娘」は昨年、「Seien」創刊号巻頭『深谷現創学』の内容のことで入江監督のお父さん入江明さんを訪ねた時にクラウドファイティングのチラシをもらって熊谷の職場に持っていった後はそのままだった。7月号の深谷シネマプレゼントページで公開を知り、そうだ、まだ深谷の映画の特集をしてなかった、この深谷映画界史上最重要作の特集をお願いしますとピーアイピーの植竹さんに提案して生まれた企画だ。

「ミニシアター・自主映画・若い世代」。21世紀初頭日本映画界の重要テーマを中心に据えた意欲作を、深谷映画界20年とからめて書く。そんな意図を深谷シネマの竹石さんと、竹石さんに連絡先をきいた配給コギトワークスの関さんに伝えたがうまく伝わったかはわからない。表紙に撮らせてもらった舞台からの画像も2,761文字の本文も、作品の魅力と深谷映画のことをどれだけ表現できて観客動員に役に立てるか自信はないけれど、こうしたかたちになって4万4000部が印刷されて配られることはうれしくてしかたがない。

ここから個人的な話に入ろう。
竹石さんにもメールで関さんにも話したのは、10年ほど前に書くといってそのままになっている「21世紀映画のまち・深谷」の本のひとまずの縮小版にしたいということ。シネマが移転して『SR2』が公開される時、いいニートのマンガ家がいますと入江明さんにいってロケマップをつくったあたりからわたし自身の人生も変わり始めた。それは最近、埼玉県共助仕掛人連載に書いたばかりだ。
当時のニートマンガ家入江監督の数学教員であるお母さんのおしえごであるように、とくに深谷サイズの地方都市では「みんなつながっている」実態がみえやすい。だから息苦しいのだし移民排斥のような悲劇もあるけれど、切り離せないんだからつながって生きるためのいい方法をみつけるしかしかたないんじゃないか。入江監督が通っていたのと創始者が同じ保育園に通う5歳の子どもにはたまに、「深谷の映画館がなかったら交くんは生まれてないんだよ」といいつつ、先週は伊勢崎のシネコンに『おしりたんてい』をみにいった。

試写終了後、高校の後輩である学生インターンからの感想インタビューで話したのは、作中『ビジランテ』でもテーマだった「移民排斥」が100年前の悲劇と絡めて描かれている意味と、銀行跡のシネマでみた入江監督学生時代作の軽トラと今回の軽バンの共通性。9月1日に近い8月30日に監督は舞台挨拶に訪れるというから楽しみだ。昨日、熊谷の職場に来た東アジア問題を考える会を起ち上げ、映画『抗う』を上映したいというシニアの嶋田さんに『ビジランテ』をすすめたら衝撃を受けていた。

世界は自分の生きるところを中心につながっている。そのさまは、関東ローム層の殺風景な平野に広がる送電線と鉄塔のように愛しい。

埼玉県共助仕掛人連載

ほか、記事では触れられなかったのを含めた作成の参考リンクメモ

ナタリー 入江悠「深谷シネマとわたし」

ナタリー(試写レポート)

「自主映画って人間力を問われるんですよ」映画『シュシュシュの娘』入江悠監督に名古屋でンタビュー

クラウドファンディング

なぜか東京を去る理由

タゴールを仮設映画館

深谷シネマできるまで

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「武蔵の国のサイタマの 関東平野のブロ畑…」

2017-06-22 00:48:18 | 映画


ここ数か月みてるテレビは、「おかあさんといっしょ」といつも2週間遅れでパソコンでみる「SRサイタマノラッパー マイクの細道」だけ。やることいっぱいなのについ現実から抜け出し、そう、こんな30分こそが現実に立ち向かう糧になるのだと、前をみずにつぶやく。
Gyaoでみられる次週金曜夜までに、おっと、とストリーミングはじめて閉じずにおいて、次の週のどっかでみるという新たなドラマ観賞パターン。だから、さっきみたのが6月9日放送の9話で、radikoの「タイムフリー」もそうだけど、ますますコンテンツの強度が問われるしくみができつつある。
それはともかく、フクヤ出身の愛すべきヒーロたちがエピソードを重ねて織りなすうねりと甘酸っぱさ、そして見事なカット、不可分ない音楽。つまり、このシリーズいつもの、鉄壁の「キャラクター」たちが存分に力を発揮しているのがうれしい。あと2回で終わってしまうのが、さびしくてしかたありません。
この回で思い出したのはソダーバーグとヴェンダースです。
アイム深谷市民。
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『岸辺の旅』〜「さびしさ」の表現は映画がいちばんふさわしい

2016-01-30 22:53:20 | 映画


このところ忙しかったので「現実」から出ていいことになって深谷シネマに行ったが、前から二列目の席で思い出すのは「身近」ばかり。
「さびしさ」の表現は映画がいちばんふさわしい。「さびしさ」と書けてしまう「ことば」は、実はこういうことには向いていないのではないか。 

黒沢清は湯本香樹実を通して小松政夫とともに新境地を拓き、主演ふたりの好演は「地」のはたらきのよう。ロマン派の背景にくっきりした旋律を乗せる大友良英はもう、目に見えない画面だった。

どんな映画をみようと、明日の天気はかわらないしわからない。
 

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野火、ディア・ハンター、黒い雨

2015-08-29 09:05:59 | 映画

ついに昨夜みた『野火』於・深谷シネマ。
何より、「映画」だった。塚本晋也がずっと創造してきた世界。この時代にこういう作品が公開され「多くの人びとが驚いている現実」は、「映画」にとって、「表現」にとって、希望だと思う。

帰ってNHKBSで『ディア・ハンター』(1979)をやっていた。延々と続くパーティーシーン。戦場の前の幸福もその後の凄惨も「戦争」の一部で、どうしようもない地獄を描こうというのだから、すぐれた「表現」は少なくない人びとに「過剰」と感じさせざるを得ない。

『野火』於・深谷シネマは今日まで
明日はNINOKURAで、「戦争」と「核」を考える『黒い雨』(1989)を上映する。 

 

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Born in 1963

2015-02-23 13:59:20 | 映画


すいてきたので二階に避難して、なんと蔵でみるのは初めてのアカデミー賞はログインしたらちょうど監督賞で、「RカーヴァーのシャツとBワイルダーの…名をあげ忘れた人もいるかも知れないがみんなに感謝している」(記憶不正確)という、『アモーレス・ペロス』のドラマに衝撃を受けながらなかなか名前がおぼえられなかったイニャリトゥのあいさつ。『セックスと嘘と…』のキャメラに仰天したソダーバーグに続き、同じ1963年生まれは2人目(違ってたらすみません)でタランティーノ、岩井俊二など多くの映画作家がいることを、なんだかほこらしく思う。
と、調べたら1963年はトニー・リチャードソンというのにも驚き。さあ、作品賞
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映画『サイタマノラッパー2』深谷公開17日(土)まで

2010-07-11 12:18:33 | 映画


こんなメールを送りました。

【このメールは小林真携帯アドレス帳から深谷近辺の方にBCCでお送りしています】

おはようございます。
現在深谷シネマでは、全深谷ロケで内外の映画賞を多く受賞した前作に続く第2弾、『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(舞台は群馬の設定でもほとんど深谷近辺で撮影)を上映しています。
昨年あたりから私はノンフィクションを書くために深谷シネマに関わっていて、この作品を映画業界では「映画の街」として知られた地元の方にぜひみていただきたく思います。
ラップミュージカル映画ですが、内容は田舎町で夢みるアラサー男女のせつない青春群像劇。笑いあり涙ありのエンターテインメント作品が、深谷出身入江悠監督による長回しによる緊張感たっぷりの演出でリアリティをもってみる者の胸に刺さります。

ほかにも、現代社会で何者にも縛られない「自主映画」という形式のあり方をめぐって映画界に波紋を投げかけているこの作品、ぜひ深谷シネマでご覧ください。
前売券、まだ私のところに数枚あります。

17日(土)まで 10:30、1:30、4:30、7:30の4回上映(火曜休館)

今日日曜は1:30の回終了後、出演者B-Hackメンバー3人の舞台あいさつあり。土曜にも出演者舞台あいさつがあるそうです。

深谷シネマHP

入江監督ブログ記事「なぜか東京を去る理由」

拙ブログでも、「深谷出身46歳音楽&映画ファンがなぜか『サイタマノラッパー』をすすめる理由」、まだ途中ですが書いています。
応援活動では、塾OBニートマンガ家宮島健太郎君にロケ地マップ(深谷シネマで配布中、HP「特別イベント」からもみられます)を書いてもらったりと、塾をあげて協力しています。
その模様をまとめたTwilog

それではみなさん、よろしくお願いします。

小林 真

おまけ「サイタマノニャッパー」07/08夕
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『麦の穂をゆらす風』―「しようがない」―連休前夜

2007-04-28 14:13:53 | 映画
いい天気だった連休前日。3回券が4月いっぱいなのと、ぜひみたかった作品だったことで、シネマテークたかさきに『麦の穂をゆらす風』をみに行きました。
起きてから仕事して、その後の予定から午後2時にシャワーを浴びてのスタート。仕事の電話をしながら高崎線に乗りますが、映画の内容からビールはやめようと思っていながら、あまりの天気のよさに、これでビールを飲まないのはばちがあたると黒ラベルを購入。幸田文を読みながら20分飲んで5分寝て起き、缶コーヒーを買って暗闇に入りました。

===================

もちろん本作の白眉が、うねり続ける物語であり、政治・思想・歴史にあることは承知しているが、ここでもいつもそうしているように、「映画を映画としてみる」ことを主眼を置いて書きたい。
ケン・ローチは現在、私にとってもっとも気になる映画人の一人である。何本かみた作品でその魅力は何かと考えると、「社会派」と形容される多くの作家と違って思想的には実に中立で、哀しい存在でしかない登場人物の誰もを温かい視線で見守りながら、職人的な映画づくりで実に“社会的”な問題を叩きつけることでみる者の世界に対する愛を再構築させる、そういう映画体験こそその真髄なのだという、ひとまずの結論に達する。たとえば、娘の洗礼の衣装代を稼ぐため愚かな罪に手を染めていく『レイニング・ストーン』、だめな母親の奇妙な愛を描くことで「親権」について考えさせられる『レディバード・レディバード』。
演出的にはいつも、独特のタイム感にうならされる。例をあげれば、前向きに今後の方針を話し合っていたはずの集会が、いつしかとんでもない事態に発展する『大地と自由』、思ってもみない事件から主人公の哀れな姿が見える『マイ・ネーム・イズ・ジョー』といったところで、個人的にはこのタイム感はまったく作風の違った小津のそれを思い起こすのだ。
そんなケン・ローチが描くアイルランド独立運動は、中心人物たちの政治思想と身近な人たちへの思いが複雑な物語の糸を構成し、その美しさ、愚かさをこの上ない切実さをもってみる者に味わわせる。その切実さは、兄弟、幼なじみ、恋人、友人の親という、たとえば『日本の無思想』で加藤典洋が「エコノス」と呼んだ感情的な愛と、国家、社会主義への思想的なようでも実はエモーショナルな愛の間で引き裂かれる主人公たちの、悲しみとそして愚かさへの共感と驚きなのだ。だからみる者は、兄弟のいずれをとがめることはできないし、ダミアンの恋人がこぶしを振り上げるのをわがことのように感じられる。
つまり本作は、「しようがないことへの憤りと慈しみ、そしてそこからしか出発し得ない、状況をよくしようとするための問題提起」という、ケン・ローチが一貫して描いてきた作品の一にほかならない。キリアン・マーフィはじめ俳優陣はいずれもすばらしいが、ローチ作品ではあまりきっちりしてない印象の作風に関わらず役者はどうしても駒という感じが強く、またそれは悪いことではないだろう。緑の、そして荒れた大地、石づくりの民家、ツイードのジャケット、パブやホッケーといったアイルランド文化もまた重要なキャストだ。
ただ、本作でパルム・ドールを受賞というのは、『戦場のピアニスト』のポランスキー、アカデミー『ディパーテッド』のスコセッシと同じく、自身のキャリアとしてはどうか。テーマがテーマだけにしかたないとはいえ、この作品はローチらしいユーモアがなく、これだけで彼の作品が語られるのはもったいない。
個人的には初めてのケン・ローチなら、『レイニング・ストーン』や『マイ・ネーム・イズ・ジョー』をおすすめします。

4月27日 シネマテークたかさき

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と、熱くやるせない2時間を過ごし、気持ちのいい夕暮れの高崎の街へ。これでラーメン食べて行けば塾にちょうどいいと思ったところ、予定のM君母上から腰痛で部活早退のため休むとメールあり。目当てのラーメン屋も売り切れで、では新たな開拓をしようと決めました。
そこで駅本屋で情報収集。知らないラーメン屋もあり、高崎が日本有数のパスタの街というのも初めて知って興味を感じた店もあったけど、何となくソースカツ丼で知られる一二三食堂というのが気になってここに決定。少し歩くし近くに公園があるので、そこでビールでも飲んでから食べることにしました。
途中パスタ屋も確認しならが、元高崎城方面に歩行。駅周辺はやたらと開発が進み、地価の安さからかやたらと古着屋が多いなど平成以降文化優勢のこの街ですが、少し離れると昭和のにおい。揚げ物のおいしそうな何人か並んだ肉屋もありましたが、何といっても少し後にソースカツ丼のため自粛。すると20年前には全国によくあった、いい感じの文京堂という古本屋がありました。
表には『炎のランナー』あたりの中途半端な旧さのパンフレットが並び、奥まったところに昔の中高生にとって秘密の花園だったエロ雑誌が並ぶ、それでもきちんと骨太の文芸書や思想書が並ぶ、こういった古本屋が商売できるのは、もう都内や高崎級の主要地方都市だけです。
お決まりの枯れた老店主が物言わず見守るその店は、意外なほどよく本がまとめられていて好感。初めて知った本も含めていくつかの候補のうち、赤瀬川原平『純文学の素』300円と、吉田秀和『音楽――批評と展望1』200円の文庫2冊を購入。こういう店主によくあるように、意外な高い声でお礼をいいながら袋に包んでくれたその本の重みは、「あまった本ありましたら……」と変なイントネーションでいわれながら渡される黄色い袋、それはそれでありがたいけどおもしろくない、ああいうのとは違った大事な本という感じがします。きっとこの2冊を思う時、あの店主のかん高い声をいっしょに思い出すでしょう。
それか少し歩いてら一二三食堂を確認。予定通りにビールを買って公演で少し、これはさっき買った2冊を、最初のかたまりだけ、80年代と60年代に書かれた極上のテキストを薄暗く誰もいない公園で読みました。今の季節、本を読むのも戸外がいい。人も車も通り過ぎるだけで、見ているのは半分くらいの月だけです。
ほど酔いかげんで一二三食堂へ。これがまたすばらしい店でした。大きな鏡がある店内は、まさに昭和の、しかも地方都市のそれ。これはおそらく近い軽井沢喫茶店文化の影響でしょうが、訪問帖が置いてあり、多くはガイドブックを見て来たという若者の携帯メール文字が踊っています。不思議な風情の店内には、小学生と母親の一組だけ。「西武にはもういい選手が入らないんだよ」「お父さんはひとに自己紹介させるよね」という。やはりこんな店に来る小学生は自分を持っているんだなと思うと、割烹着の店のおばちゃんが「ぼく、お豆腐食べてえらいね」なんていっている。甘めのほうじ茶はすこぶるおいしく、そして出てきたのは巨大3枚入りのソースカツ丼で、ご飯にきざみ海苔が載っているのも、これはかわいらしい。たまに衣ははがれても、それもご愛嬌。香の物もベストで、「今日サービスです」という味噌汁のえのきは見事なぷりぷり感。さらに、「コーヒーと牛乳、どっちがいいでしょう」。これは母子にもきいていたが、そのオプションは意外だったので、何となく「では牛乳を」。早くもって来ちゃってすみませんと中背のグラスで来た牛乳は何だかおいしく、ではと遠い席からお盆に全部載せてお勘定に行くと、「ああ、どうもすみません、ありがとうございます」。これはいい店だ。店を出ると、母子の乗った軽自動車がブー。いつか話ができるといいな、すばらしき野球少年よ。
駅に行くと、おしゃれな今風高校生男子が5人くらい全員携帯を見ながら歩くのに混じり、20年前から迷い込んだような商業高校のネーム入りバッグを持った脚の太い女子高生が「あのセンパイねー」。
高崎はこうみるとやはり田舎の街で、帰りの電車で10分ばかり、快い眠りにも落ちられた。
「しようがない」は憤りと慈しみもあるけど、こんな幸福な時間もまた「しようがない」。

(BGMはアイルランド好きゆえ音源は多いが、ここはトラッドでなくヴァン・モリソンのベスト。おっとなんと今、雷が)
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『オールタイム映画個人ベスト90』選出

2007-02-24 17:50:48 | 映画
風邪で苦しんでいた木曜。仕事もはかどらぬまま、ブログ映画レビューの一部を転載している「Yahoo Myムービー」をみていたところ、生涯1、2位、『気狂いピエロ』『ゴッドファーザー』だけになっていた「お気に入り作品」に何となく追加し始めたところ、熱っぽいからだとともにヒートアップし、ついフルの100のうち10を余して90作をいっぱいにしてしまいました。いや、これは楽しい作業です。

別にいわれたわけでもないのに「一監督一作品」のルールのもと、次々に追加していく。そう、『ミツバチのささやき』でも「ミツバチ」とだけ入力して検索すれば、あとはクリックするだけで次々に増えていく様子はほかにはない快適さでした。
セレクションは比較的ストレート。「ベタ」なんて言葉は使いません。木下恵介監督でいえば衝撃度なら『日本の悲劇』などが忘れられませんが、パワーとは背景とかを考えると『二十四の瞳』を選ばないわけにはいきません。でも、ポランスキーならアカデミーの『戦場のピアニスト』より『ローズマリーの赤ちゃん』『水の中のナイフ』『赤い航路』の方が全然いいよな、ってことでここはポランスキー以外に誰も描けないだろう『赤い航路』に決定、と、万事がこんな調子で、一時は50にしようと思っていたのがどんどん増えてあっという間に90近く。途中、抜けはないかと川本三郎氏の名編集『映画監督ベスト101』を取り出して、しまったダニエル・シュミットがないぞ、などと、本当に映画ファン至福の数時間でした。

こういう「ベスト~」は、われわれの世代では学生の時にそういうのが好きなやつが集まって酔っ払ったりすると紙に書いて熱中することはしばしば。そういう時には決まって、「あ、おめえベスト盤入れてる。反則」などと勝手なルールのもといちゃもんをつけたりするやつがいるのも定番でした。
何にも知らないくせに、それが何かであると感じてわけのわからぬことをいう。そういう時間は貴重ですが、よく考えると実はあまり進歩していないかも知れません。ただ、学生の頃は知らなかった映画人を何人か知っただけのことで。

途中、並び替えができないことに気づき、ベスト10にも入るルイ・マルの傑作、ブリジット・バルドーではベスト、ジャンヌ・モローにとっては異色の『ビバ! マリア』を90番目のために温存し、少し入れ替えながらも90をセレクト。まあ満足いったのですが、すぐにしまった、あれがないと気づいたのでひまをみて更新します。
それにしても、いつも塾で若いやつらに、これがどうだ、ああだといっているような、そんな時間はあまり役に立たないけれどかけがえのない時間。幸福です。
おっと、ねこどもは映画あんまりみないよな、やつらがTVに映っていてほっとけないのはサッカーで、別にボールじゃなく関係ないところ走ってても手近な選手の、なぜか頭にタッチして人間には迷惑です。

以前、塾でおばあさんにも若い女性にも見えるような、いわゆる「だまし絵」を見せてていて、気に入ったか中学生だったA君がいった「もう、こういうのないんですか」思い出し、こうなったら音楽でも、小説でも、ラーメンでも野球選手でも、じゃんじゃんリストつくってやると意気込んで探したけれどそんな都合のいいものはなし。おおそうだ、確かアマゾンにはその名も「リストマニア」というのがあった、あれやってるやつはこの楽しさを知っているのか、さてと……。

リストは(http://my.movies.yahoo.co.jp/fv/mv/profile-CILIuXSYYzx4mg--

(BGMは確かユニオンで500円くらいだった『ビバ! マリア』のサントラを探すも出てこず。やむなくトリュフォー作品集で、トリュフォーは泣けた『野性の少年』も捨てがたいが、映画史的意味、作風の斬新さから『突然炎のごとく』)
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山田洋次『武士の一分』―個人的な感想・映画の不思議

2007-02-07 23:54:50 | 映画
このところ身のまわりのことばかり書いてました。反省を込めて、まず元日にみた映画のレビューから。

……最初に断っておきますと、このレビューはまったく個人的な山田洋次監督作品論に始まっていますので、あまり他の人の参考にはならないと思いますのでご容赦のほどを……

そういう映画ファンが少なくないように、申し訳ないけれどこれまで山田洋次監督作品をそんなにおもしろいと思ったことはなかった。そんな人々の多くがそうであるように私が映画をみるのは、何らかの発見で自分の映画観、ひいては世界観を揺さぶってほしいからであり、何かに安心したいからではない。そんな種類の映画ファンにとって山田作はただ退屈なだけで、夜9時からのテレビで放送されているそのことだけが何かであるような、たとえていえば中島みゆき『蕎麦屋』の中の「大相撲中継」のような“風景”、そんな映画でしかなかった。
『寅さん』にしても『幸福の黄色いハンカチ』にしても『たそがれ清兵衛』にしても、「下町情緒」とか「ひとを想う心」とか「家族と仕事」とかの、「定型」に寄りかかり過ぎている。そう思っていたのだ。

そんなわけだから稀代の人気タレント、木村拓哉を得て話題だったこの作品に期待することは多くなかった。それなのに、み終わって感想をきかれると誰もに、「いや、おもしろかった、よかったよ」と語っていた自分がいる。これはいったいどうしたことか。
何か新しい面があるのだろうか。
あえて探せすなら、黒澤明ばりの大げさな雨や風の演出、十分とはいえないまでもイーストウッド『許されざる者』を思わせる報復劇のプロットも悪くない。
しかしそれは山田作として、今までみたことがなかっただけのこと。主演キムタクはテレビのCMでみている彼がちょんまげと無精ひげで出ていただけのことだし、全然知らなかった壇れいも笹野高史もこの上ない演技を見せているが、それは彼らの素材を引き出したに過ぎないだろう。

そうしてみると、本作はこれまでとまったく変わらない山田作品に思える。では、なぜこの作品にこれほどまでにひかれたのか。
思いつくのは、映画観賞者としての自分自身の小ささ。映画は何も特別なことをしなければならないということはなく、おもしろければそれはそれでいいのだ。そういうことを忘れて、映画についてあれこれ考えていた自分のおろかさに気づく。映画は不思議なものであり、そのおもしろさはわかりようもないものなのだ。

それでいながら、三部作が終わった山田作を楽しみにするということは今後もないだろうし、山田作にない“発見”をこそ探して私は映画の前に座るだろう。それがまた“映画の不思議”なのである。
最後に繰り返すが、10年前から時代劇を演じていたような佇まいの壇れい、作中人物にしか思えない笹野高史はすばらしい好演。

1月1日 伊勢崎MOVIX

(BGMはNHKライブビート、フラワーカンパニー。これも新たな発見はあまりないがごきげんなロックンロール)
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『硫黄島からの手紙』―『突撃』『黙示録』『シン・レッド』『Uボート』『ダンケルク』より

2007-01-03 17:15:31 | 映画
年末にみた問題作のレビューを

そう多く戦争映画をみてきたわけではないが、個人的には戦争の「恐怖」ならキューブリック『突撃』、「狂気」ならコッポラ『地獄の黙示録』、「無常」ならマリック『シン・レッド・ライン』、「緊張」ならペーターゼン『Uボート』、「不条理」ならヴェルヌイユ『ダンケルク』が印象に残っている。しかしイーストウッドが満を持して放った日本軍からみた太平洋戦争映画は、そのいずれの点においてもこれら先行作に負けていない。
例えば映画において恐怖は、どんな風に喚起されるのだろうか。多くの日本人が西洋恐怖映画より邦画の方に恐ろしさを感じるとすれば、それは実は文化や言語に関係があるのではないか。だとすれば、本作のあの洞窟内のシーンは、軍内部の規律のために処刑される『突撃』より恐ろしいだろう。
なるほど『地獄の黙示録』は、戦争という異常事態で西洋的な神を持つ人間が陥るだろう狂気をこの上なく見事に表現している。しかし本作での一部上官たちの狂気は、「神国」という幻想よりより日本世間的な「面子」に立っているものではないか。岸田秀氏が「対人恐怖症」とした日本人のメンタリティには、本作の狂気の方がより身近に感じられるはずだ。
過激な戦闘シーンに美しい自然や故国の幸福な場面を隣接させた『シン・レッド・ライン』は、戦争のばからしさを感じさせるのにある意味最も有効な手法を使っていた。しかし本作の手紙や千人針という小道具はそれが愛する人の手によるものだけに痛切で、しかも同じ文化を持つ日本人にはこれほど訴えかけるものはない。
確かに『Uボート』のリアルな海底シーンは、「手に汗握る」ということにかけては映画史上有数のものだった。だがイーストウッドによるストレートでメリハリのきいたな人物描写で作中人物は観客に近い存在になっているだけに、その戦闘シーンは自分のことのように苦しく逃げ出したい様相を現出させている。
防戦の手段をほとんど持たず、相手の攻撃にさらされたままの『ダンケルク』は、どうしようもない戦争の「他者性」を極端なかたちで描いていた。しかし2部作の第1弾として米軍側からの『父親たちの星条旗』をみた観客は、あの恐ろしい米兵たちがそれぞれに故郷を持ちジャズシンガーの美しい歌声に涙を流す「人間」であることを知っている。その「神の視点」は、両軍の様子を並列に語るのでなく一方を語った後でもう一方を語るという画期的な手法でさらに際立ったものになった。
これらのことからしても、本作は史上に残る戦争映画といえる。文化が違うという日本人以外の観客とってのハンディも、捕虜になった米兵の手紙のエピソードが語るようにその価値観は普遍的なだけに問題にはならないだろう。
といってこれはただ私の個人的な「映画」観に基づく判断で本作の重要さを損なうものではないのだが、本作が「戦争映画」として先にあげた5作より忘れられないものになるかといえばそうも言い切れないでいる。すべてにおいてこれ以上なくまっとなイーストウッド作には、「映画的」な驚きが少ない。たとえば冒頭以降はほとんど戦闘シーンがない『突撃』、作品内のみならず製作者側が狂気に陥った『地獄の黙示録』、荒くれた戦闘シーンに唐突に絶世の美女が出現する『ダンケルク』のような、「映画」という形式の「謎」について考えさせる「驚き」こそが私が映画に求めているものだからだ。
とはいえ本作は映画史上にも、戦争映画史上にも、映画人イーストウッド史上にも、日本の歴史認識史上にも重要な作品だろう。そういったまったくぶれのないプロフェッショナルな完成度の高さこそが、映画人イーストウッドの魅力なのだ。
たとえば西郷・二宮和也が妻・裕木奈江と卓袱台をはさむシーン。いつものアメリカを舞台にしたイーストウッド作でテーブルをはさんだ会話とまったく同じように絶妙のタイミングでカットがつながれてた後で、西郷が妻の横にそっと座る。渡辺謙・栗林中将や伊原剛志・西中佐は、外国人ということもあってかこれまでのイーストウッド作ではなかったほど典型的に完璧で高潔な軍人として描かれた。中村獅童・伊藤中尉は、例えば『許されざる者』のジーン・ハックマンとか『ミリオンダラー・ベイビー』の非道家族のように観客の感情を逆撫でする。この思い切りステレオタイプな人物造形があるからこそ、観客にとってドラマは切実さをもって立ち上がる。出演陣はイーストウッドのかっちりした演出のもと自信たっぷりに演じていてすばらしい。
74歳にしてとんでもない地点にたどり着いたイーストウッド。それでも個人的に今後もっとみたい彼の作品は、やはり『ホワイトハンター ブラックハート』、『ブロンコ・ビリー』のような珠玉の映画なのだけれど。

※本レビューは1月4日に一部修正しました

06年12月28日 伊勢崎MOVIX

(BGMはJ-WAVE)
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ダンカン・タッカー『トランスアメリカ』―「新しいテーマは古いスタイル」で

2006-12-17 22:54:14 | 映画
個人的には、なぜかまったく盛り上がっていなかったトヨタクラブW杯。さすがに決勝は途中からですがみました。むむ、実にサッカーらしい結果です。ロナウジーニョは今年全般的によくないですね。デコはどんどん進化しているけど。
さて、それには関係なく映画レビューを。

「ロードムービー」とはすごい発明だと思う。
性同一障害、親子関係、少数民族、ワーキングプアなど実に多様な、しかも今日的なテーマを詰め込みながら、それを難なくまとめてしまえたのは、ロードムービーというすばらしい“道路”があってこそ。もちろんそれをかたちにした監督・脚本の新鋭、ダンカン・タッカーの手腕も大きいだろう。「新しい酒は新しい袋」にというが、映画のような表現では案外、「新しいテーマは古いスタイル」にが正しいのかもしれない。と思って公式サイトをみると監督自身、「古風な映画」と発言していた。
確かに「女性になりたい男」にしか見えないフェリシティ・ハフマンは好演。そしてそれ以上に、「リバー・フェニックスの再来」だというケヴィン・ゼガーズという若手がすばらしい。このところの日本では元気のいい10代少女に押されて映画のテーマになりにくいが、現実世界でも10代後半少年というのも他者性において際立つ存在だとよく思う。そのざらざら、ぎざぎざとした感触をうまく描いた作品は、トリュフォーなどフランス・ヌーヴェルヴァーグ勢などを除きそう多くはないが、本作のゼガーズはその数少ない例の一つといえる。脚本が先にあったかキャストが先かはわからないが、あの年代の少年特有の倦怠や幼児性との二面性が見事に描かれていた。
ストーリーはその息子ゼガーズが、彼にとってまったくの他者である少数民族のオヤジやいかにも南部的な奥様である祖母、性的に解放されたみなさんとの出会いを通して他者を受け入れ、社会性を身につけることを学んでいく。そしてそんな息子を受け入れることを通して主人公たる父は、自分を開きつつ完成させていくという構造をとる。これもロードムービーの傑作といえる『気狂いピエロ』で、やはり何かの引用かベルモンド、フェルディナンは「旅は若さをつくる」というが、「旅は大人もつくる」のだ。
それにしても、大陸を疾走するおんぼろステーションワゴンのかっこいいこと。これがもしヤッピーたちの乗る最新の欧州車なら、この作品の魅力は半減していたろう。こうした作品にこんな古めの小道具が必要になってしまうということは、『パリ・テキサス』でヴェンダースが「最後のアメリカ映画」を撮ろうとしたというのも本当なのかも知れない。
なお、今年みてよかった映画は『ぼくを葬る(おくる)』『ブロークバック・マウンテン』など少数派セクシュアリティがテーマの作品が多い。社会との軋轢があるから実に映画向きの素材だとは思うが、それを『ブロークバック』のように切なさと美しさでなく力強さで描いた点に作家のメッセージがあるのだろう。テーマに関わらず、みた後の印象は実にさわやか。

11月30日 シネマテークたかさき

(BGMはJ-WAVE、小林克也のプリンス特集。プリンスも何というか少数派セクシュアリティの人だが、常に新しいところはすごい)
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