小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

「秋はすぐに通りすぎて」

2006-10-30 14:01:42 | 週間日記
すばらしい10月の終りの暖かな陽射し。今週は理想のタイミング、月曜午後2時の先週日記です。

23日(月)シャワー後、伊勢正三『北斗七星』CDで再聴。
籠原・九一麺でちゃんぽん~いつもの電話取材1件の後、M君と遅くまでテスト勉強
24日(火)晩は同級生M君の発案でOG・Eさんの1日遅れ誕生祝チーズフォンデュの会ほかにOG・Y君も。なんやかやとよく話し、ついでに出し物というか前週からの伊勢正三ブームもあって勝手にといった方がいい、しばらく姉の息子のところにいっていたエレアコ・アプローズを出してきて弦を張りプレーも何かこう衰えも感じたがそれもまた楽しい一夜
25日(水)遊び過ぎがたたり、起きてずっと仕事。夕、出張授業。その後、26日で終了と書いてあったような籠原・九一麺で最後と思いとんこつ醤油を食べるが、土曜になってもまだやっていた
26日(木)午後、同級生M君と深谷シネマで『恋するトマト』。その後はこれで1日おき連続のM君宅で日本ハム優勝&新庄に感激
27日(金)夕はヨーカドーに行ったのでついでにはなまるうどんでかけうどん中。塾でM君と数学に取り組むとOB・T君も現る。帰ってこれまた購入の風『古暦』CD再聴
28日(土)昼、撮影。一日食べずに、晩は籠原・福龍味噌大盛」で満足
29日(日)朝から府中競馬場へOB・T君と。行ったからといって当るものではないが久しぶりの競馬場を楽しみ、これまたしばらくぶりに手にした25年の友 Nikon FM も持ち出し写真も1本分で、帰りはオケラ街道で少々

サッカーは前回記事の通り、スペインのクラシコ、アーセナル:レディングなどで最近は追いつくのが大変。野球もずいぶん楽しみました。
そして何といっても前週からの伊勢正三騒ぎ。22日の伊勢崎ライブを中心にアナログしかなかった部分のCDを3枚買いギターには弦を、日曜はNHKのつま恋も録画しました。最近はこの前記事を書いた時にボストンをきいた以外ずっときいているけれど、もう少し続くかも知れません。
というわけでタイトルは、名曲『忘れ行く歴史』の一節から。この後に続くのは、
「君のいないこの冬は どこまで 寒くなるのだろう」

(Phは先ほど庭で過ぎ行く秋の陽射しを楽しむねこどもとしばらく同じしんとした空気を吸い、いつもべちゃと地面に広がって寝るちょうちょはやっぱり写真ではやけにワイルド。BGMは今になってまたいいタイトルの風のセルフカバーラストアルバム『冬暦』。こっちが2ndのオリジナルよりずっとおとなでいい雰囲気の『忘れ行く歴史』、詞・コード譜は http://music.j-total.net/data/006ka/011_kaze/026.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スポーツの秋深まる―カーディナルス、新庄、クラシコ、アーセナル、天皇賞、クランエンブレム

2006-10-28 23:49:29 | スポーツ
もうすぐ10月も終わり。スポーツの世界が盛り上がります。今日はそのあれこれ。

新しい方から、日本時間今朝のWシリーズ、カーディナルス優勝。リーグCSまではあんなに強かったタイガースは、何か高校野球並みにエラーが出てあれでは勝てない。勢いとか流れとかいうのが、よく出たシリーズだったように思います。
ヤンキースやアスレチックスのジートら好きなチーム、選手が早々と敗れて気持ちはいまいちでも、なじみのない選手がいくらか覚えられました。オリックスにいた頃より数段たくましくなっても、なぜか高校生のようにバットを揺らす田口は不思議。
NHK解説はやはり長谷川滋利がすばらしい。知識なら小宮山というツワモノもいるが、それにエンターテインメントのわかりやすさという美質を備えている。いいやつの与田も悪くないが、もうちょっと切れがないと。
ジートらFA選手もいるから移籍情報も要チェックだが、野球はシーズンオフはけっこう忘れるからな。

そして、あまりみられなかったものの涙の最終打席から、昨日はめったに見ない地上波ニュースを探し、新庄の引退会見も姿勢を正して、それでも笑いながら。
私は01年に一度だけ米国に行って野球を5ゲームみましたが、ほか
の日本人も練習中の吉井、BOS時代の野茂、イチロー、佐々木といた中、おもな目的はすぐに帰ってきてしまうかもしれなかった新庄でした。確か横浜の高条件を蹴って、家賃が年俸を超えていた出来高制最低800万円でアメリカに行ったすごい宇宙人。それでいて佐々木、イチローというちゃんとした日本人メジャーがやっぱり「目標はWシリーズですね」と口を揃える中、なぜか日本人初出場し、「でもオレWシリーズとか、よくわかんなかったし」と応えていたのには、世の中というのはこれだからすごいと、神の目的と結果の塩梅具合にうなったものだ。神はサイコロは振らないかもしれないが、バットは与えるのだろう。
阪神でもNYMでもSFでも札幌でも、どういうわけか2割6分くらいという不思議な打撃。多分本気で外野手からピッチャーをめざし、一時野村監督とうまくいかずやる気をなくしていた時も、それはそれで普通人には理解されない種類の、新庄ならでは真摯さを感じたものだ。この宇宙人はきっと計算などしない。
そんなSHINJOが札幌でリーダーシップを発揮したことは、集団の謎を感じます。オシムとかゴーンのように強烈で的確なカリスマシーで集団を引っ張る人物がいれば、新庄や、06W杯でももっともまとまっていたイングランド代表ベッカム主将のように周りの一般人にとって、「あの人よくわかんねえけど、悪い人じゃないし人気もあるし、まあついてっていいんじゃねえの」という感じのリーダーというのは、とくにスポーツのような不確実性の高い分野の場合、意外に現代的でいいのではないかと最近よく思います。最初の印象では水と油の感じだった小笠原も、新庄のおかげで楽しそうだった。
そして新庄のあのグラブ。ああいうところもすごい。甲子園に届かない高校球児でも3つくらい買うのに、ずっと同じなんて元巨人の土井くらいしか思いつかず、一般人はあきれながら感心するしかない。

そんなベッカムが欧州でピンチのサッカー界。今週はクラシコでレアルが勝ったが、途中出場の貴公子に見せ場はまったくなかった。
愛するアーセナルは、新メンバーの最近知ったが“サッカー界のモーツァルト”というらしいロシツキー、ついにベールを脱いだウォルコットと目が離せず、ベルカンプらの不在もさびしさは感じない。セスクの進境が目立つ。
それに対して、チェルシー、レアルに敗れたバルサは、とくにロナウジーニョがよくないようだ。

と、野球、サッカーの話でがしがし書いてしまいましたが、明日はキングオブスポーツ、日本の象徴の名がつく天皇賞。ちょうど仕事がないので、天気が心配ながら府中に行ってみようと思っています。
ディープインパクトもハーツクライもいず、例年になく小粒なこのメンバー、応援してきたのは栗毛の馬体が好きなローエングリンですが、こうなれば北海道パワーのコスモバルクにもそろそろいい目をみてほしい。マイネル岡田代表にも。
それと明日の楽しみは、PO馬クランエンブレムがデビューすること。武豊騎乗で1番人気らしく、今年度の初勝利も期待大です。

まだまだ楽しさひろがる秋は深まり

(BGMはJ-WAVE)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボストン・グレイテスト・ヒッツ―"A band we'll never be"

2006-10-25 23:57:24 | 音楽
雨上りの秋空。昨夜は飲んでタクシーで帰ったので自転車で車を取りに。刈入れの済んだ田んぼに水がたまって、一年で一番美しい青空を映しているのが気持ちいいディープ関東平野。
昼は仕事しながらWシリーズ、夜は塾が終わって日本シリーズを少しみましたが、日ハムは次で決めちゃいそう。金村のインタビューに、間違っても結果を出せば何とかなるスポーツ選手のシンプルさも実感。高校生かと思う田口もおもしろいですが、3戦目でみた名前は忘れたカーブの大きなピッチャーはもう一度みたい。
そんなこんなで今日は音楽。伊勢正三ブームは昨日しばらくぶりにギターの弦を張るなど続いていますが、渾身の特集記事は昨日また頼んだCDが来てからにして今日はまた中学生時代のヒーロー、ボストンのベストです。

何を隠そうボストンは、高1の時に行った初の外タレコンサートで武道館。今は北海道で医者をやっている中高の同級生A君と繰り出したのだった。
2nd "Don't look back" を出した直後の最盛期。トム・シュルツのゴールドのレスポールや名前は忘れたボーカルの黒いシャツと、それはそれで思い出深い一夜である。
その2ndから長いブランクに入り、3rdが出たのは大学生の頃。時間が経っても同じことをしているインテリバンドは、ちょうどそのトレードマークのUFOがもはやオールドスタイルに感じられていたのと同様に、音の方も古臭さを感じさせるものになっていた。保守正道といえる。
それを買った頃、アパートであまり洋楽に詳しくないからボストンも知らない高校の同級生H君と飲んでどうだよきかれ、「まあ、だめだよ」なんて話していたところに、大学の同級生でボストンも好きなI君から電話があり、そいつはファンだから「まあ、いいんじゃない」なんていって電話を切ると、「おめえはいってることが全然違うじゃねえか」とうそつき呼ばわりされたが、私としてはファンにとってなら少しはいいかもしれないに過ぎないその3rdを、初心者にすすめることはできないのでそういうことになったのがだと今でも思っているが、こういうのはうそつきなのだろうか。
話は意外な方向にいったが、アナログはその3rdまでで、確かCD時代になってからは2枚。どちらも一応は買ったが、まったくおもしろくない。多くのボストン・ファンにとって大切なのは2ndまでだから、最近はその2枚の新マスタリング盤が出たりしている。
というわけで最初の2枚はアナログしか持っていないので、一度このベストかと思って多分500円くらいで買った中古盤が、きいてみると実際は4枚目で、いったい1~2の曲はいつ出て来るんだと思って確かめてぎゃふんというすごい記憶もあった。この2枚目に買った4thはしかたがないので弟にやったが、あまり思い入れのないだろうやつは、もしかしたらきいていないかも知れない。それを今回買ったのは、この間ダミアン・ライスを買った時、3枚買うと25%オフで1100円くらいになったからだ。
ということで、久しぶりにきいたこのベスト。文句ばっかりいってるようだが、1~2の曲はやはり名曲だ。
"more than a feein'"『宇宙の彼方に』 のフェイザーがきいたアコースティックギターの響きが最初にラジオからきこえてきた時の世界が広がる感じは今も鮮烈。CMにも使われているこの名曲を最近見直したのは、村山聖の鮮烈な生涯を描いた大崎善生さんの『聖の青春』を読んだ時だ。重い病と戦う将棋指しの聖が、まったくからだが動かない状態で何度も繰り返してきいたという。動かないからだを抱いてどこまでも広がっていくサウンドをきいていた、まれなる自由な精神は胸に迫る。そういえばレッドソックス、フェンウェイパークでもよくかかるから、当地では一目おかれた存在なのかも。
さて、"don't look back" の軽く乾いたディストーションギターも最初にエレキを買って、何でああいう音が出ないんだと思っていたから無知というのはこわい。お金もテクニックもないのに無謀な考えだ。ソナタ形式ともいえる構成も見事で、ギターが左右に振られ遠くから帰ってきてベースと絡む再現部は何度きいてもぞくぞくする。あの“ビョーン”は、エレキ初期にはピックがもったいなくても何度もまねをした。
そして名バラード、"a man I'll never be"『遥かなる想い』。関係代名詞を学び何てすごいタイトルなんだとうなったこと憶えているが、何といっても美しいハイトーンボイスと乾いた音のCP70。学生の時、スタジオにCP70があって初めて弾いた時はこれがあのボストンのと感激したものだ。オフコースが『愛を止めないで』でまねしたフェイザー・アコースティックと絡むソナタ形式もすごい。ラストのパイプオルガンが入るクライマックス、その後で訪れる静寂のエンディングはカタルシスの極致で、この音楽を称して「プログレハード」といったのもうなずける。当時、ジャーニー、カンサス、スティクスと同様の、渋谷陽一氏が「産業ロック」と批判したこれらの音楽はそれぞれ好きだったが、今でもボストンは別格だ。
というわけで、これら3曲はじめ1~2の曲がきければ満足で、愛機 iriver にも結局この3曲だけ入れて持ち歩いたちょっと古い時代の宝物。

(BGMはNHKライブビートでBBCのライブ、Wreckless Eric と the the 。大好きな the the はずっと先鋭であり続けている)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「しまっておいたストーブ もう出さなければ いけない 季節です」

2006-10-23 16:43:27 | 週間日記
秋の雨。月曜午後更新なった先週日記です。

16日(月)起きてシャワーでアーセナル戦。昼、電話取材~出張授業
17日(火)昼は原稿~晩、同級生M君宅へ。
18日(水)原稿後、夕は九一麺で味噌中辛。振替授業のため休み、たまった新聞を読む
19日(木)日曜の伊勢正三さんのチケット予約でき、編集音源製作で盛り上がる
20日(金)午後、自宅映画『素晴らしきヒコーキ野郎』~九一麺で前回他の客が食べていて興味を持った皿うどんでこれも旨かった。その後は20日の記事通り、マルシェで愛しの、しかしベルクで扱いがなくなり悲しんでいたキャラバンティーカンパニーと再会して喜び、蔦屋で「ミュージック・マガジン」+「レコード・コレクターズ」~塾
21日(土)昼、撮影。夕、深谷・まるよしで野菜まるよしラーメン~出張授業
22日(日)昼、撮影~伊勢崎で伊勢正三・杉田二郎・大野真澄のライブにOB・Y君と出かけ詳しくは後日。深谷に帰還し、昼に鮪解体ショーに行ったという同級生M君宅に途中セーブオンでビール8缶と日本酒ワンカップ6本持参し伊勢正三や食・酒談義で、朝までM君宅で寝て帰る

自分のことはとくにないけど、伊勢正三さんの音楽で楽しく過ごせた一週間。伊勢さんについては、近いうちに渾身の記事を書く予定です。
サッカーはCLのCSKモスクワ:アーセナル、チェルシー:バルサでこれはともに残念と、野球は STL:NYM のMLBもよくみましたが、土日忙しく日本シリーズは1秒もみてない。
日本シリーズのある週は中学生のテストであることが多く、夜は冷えてその年初めての石油ストーブをたくことが今までに何度も。
というわけで、タイトルは遅れてたどり着いたホールで伊勢さんが歌っていた、大好きな『3号線を左に折れ』から

(BGMはライブには間に合わなかったけど昨日着いた伊勢さんのソロ1st『北斗七星』をYAMAHAアンプ+Technicsスピーカーで。PhはそのYAMAHAのスウィッチを落としにいくと上を占領していた左、片目の暫定名チャーと右、暫定名ふくめんの暴れもの2頭)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野純彦『西洋哲学史―古代から中世へ』―思考の言葉の美をそのまま味わう

2006-10-20 23:35:08 | 読書
少し仕事しながらのMLBプレーオフに始まり、昼にコーヒーを落として自宅映画、それから九一麺で皿うどん、リーフティーと瓶入りメンマ、「ミュージックマガジン」と「レコードコレクターズ」とDVDメディアを買い、それから塾という何だかいい日でした。そう、アマゾンでCDも買ったんだ。
そんな「いい」についてを考える、最近読んだ本の記録です。

---------------------------

著者のねらいは、おそらく単に「西洋哲学史」の紹介なのではない。誰がどんなことを考えたということでなく、誰がどんな言葉を使ったかということ、その哲学の思想とともに言葉の美しさをそのままに、哲学詩として読者に味わってもらうことだったのではないだろうか。
熊野純彦氏の著作を読むのは確か二冊目。最初に読んだ『レヴィナス入門』は、特異な思想を展開した哲学者の思考に、個人的な経験である「ばくぜんとした悲しみ」から、多分に詩的な叙述で迫っていて不思議な読後感があった。その後、この難解な思想家の一次文献を少しかじってもみたが、それより熊野氏の本の方が心の奥の方にしっかりと残っているのは、その見事な言葉の切り取り方があったからに違いない。
もともとすぐれた思考というものは、美しい詩的な面を例外なく持っている。例えば本書をめくり、「一を分有するものはすべて 一であるとともに、一でない」(プロクロス)という正確極まる言葉の微分力、「懐疑主義とは、どのようなしかたにおいてであれ、あらわれるものと思考されるものとを対置することのできる能力である」(セクストス)での「対置」や「能力」という言葉の切れ味などは、その思考そのものがもはや「形状」さえ持つ「詩」のように見えて美しい。そしてそれは周到な言葉の調理人たる熊野氏によって、味わい手である読者の前に調えられた料理だからだ。
町田健『チョムスキー入門』の記事の中で一次文献でない「入門」を読むことについて書いたが、本書を読んでまた新たな「入門」のすぐれた点に気づいた。現代人、とりわけ日本人にとって、特に神学が絡む思想はまったく生活感覚と離れているから、一次文献を読んだところで疑問が起こるばかりである。しかし本書のように現代までの思想遺産を総動員して解き明かそうとすれば、それは新たな輝きを取り戻すのだ。例えば、現象と思考を峻別する古代懐疑論で援用するのは、コウモリやイエバエ、ダニなどどの動物種にはそれぞれの「世界」があるという、19~20世紀の人ユクスキュルの環境世界論であり、他にもハイデガーやドゥルーズから詩人ランボーまでのおなじみの名前が、まさに縦横無尽に挙げられ、それが古代~中世の哲学をくっきりと映し出すことになる。
そう考えてみると、これまで「わかる」とか「わからない」とかで哲学をとらえてきたことが、まったくもってつまらないことに思えてきた。帯にあるように、「〈考える〉ことを体感」すればいいのであり、それはすなわち思考の言葉の美をそのまま味わうということに他ならない。それが「真」にも「善」にもつながるはずだから。
さて、9月に出た続巻「近代から現代へ」も少ししたら読もう。あまり続けてだと大変だ。それにしても古代から中世の思想家の名前がこんなに憶えられないのは、英語圏以外の名前が多いからだけの理由だろうか。

※「一次文献」という用語も、本書で初めて知りました。この前のチョムスキーの時は何といえばいいのだろうと思いながら「本人の著作」などと書いていていたので、この言葉に出会えたことは大きな喜びでした。名前がつく、わかるということはそれだけで詩的な瞬間であり、「名詞」の大切さを思います。

10月13日読了 ブックガーデン上野で購入

(BGMは日曜にライブに行くことになり、堰を切ったようにきいている自分で選んだ伊勢正三集から、おっと渋谷陽一氏の時間だとFMに。NOW PLAYING はバッドリー・ドロウン・ボーイ。哲学は読みそうだが、ブルース・スプリングスティーンが好きなのか。そういえば、25年前に哲学を読もうというやつはみんな渋谷氏の番組をきいいてたものだと、ほんのちょっと前の昔話)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オディール三きょうだい現る

2006-10-19 20:32:31 | ねこ
今日は週間日記に含まれて、あまり更新のなかった「ねこ」カテゴリーを。

思わぬ登場だった。
いつものようにPC前のいすで寝てしまった土曜の朝、目が覚めると見覚えのない子ねこが。寝ぼけついでになんだおめえはと見ると、「びゅうびゅう」いいながら全部で三頭。おそらく初めての人間との出会いにもそれほど臆することもなく、とたとた歩いて「びょう」という。それが三きょうだいの初めてで、確か秋の素晴らしい光線が窓から差し込んでいた。
それにしても、こやつらどこにいたのだろう。すでにもうぷくぷくしていて、一人前にぴゃこぴゃこ歩いて「びゃあ」。とたんとたんからだをぶつけ合う。
何なんだ、誰の子だろう、と思っていると、そのうちオディールがやって来て、何度か見たことのある不思議な立ったまま授乳。何だ、前にどこに産んだのだろうと思っていたらこんなに育っていたのかと頭をなでると母カロンタンと同じように「ニャ」。そうかよかったな、そういえばこんなにねこがいるけど確定オディールの子はいなかったよなと、頭をはらはらちょいちょい叩き、知らぬ間の育児をねぎらうとさっきよりちょっと小さく「ニャ」。三きょうだいは、ずっと前から暮らしていたかのように寝てるとすぐそばで丸くなっています。「びゃあ、びゃー、びゃ」。
「どうだ、すごいだろう」。

(Phはなかなか3頭は揃わず苦労し、音を立ててこっちを向かせたが1頭は下を見てる集合写真。BGMはやつらとそのおじ・おばがシャッフルして出てきたキャロル・キングのベスト。この米国ポピュラー界初期から活躍する歌姫は、きっとねこが好きだろう)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ニュー・ワールド』―画面に残されたうねるようなワイルドネス

2006-10-18 23:50:11 | 映画
一日おいて今日は映画。ずいぶん前にみたのをレビューし忘れてました。

寡作で知られるテレンス・マリック監督作品といえば、ストーリーとはまったく関係なくはさみ込まれる静かな自然描写。その特異な編集感覚は、戦争映画『シン・レッド・ライン』で血なまぐさい戦いのすぐそばにそういう生き物たちの営みが行われているという当たり前の事実を知らせてくれて新鮮だった。他の作品も、シシー・スペイセクのくるくるスクリーンを動き回るアーパー美発散、ちょっと困った邦題の『地獄の逃避行』、何だかんだいってもサム・シェパードがかっこよくてたまらない『天国の日々』と、どれも忘れられない魅力にあふれている。
そんなマリック監督の新作は、ポカホンタス伝説を映画化したこの作品。実は伝説自体よく知らなかったのだが、アメリカ建国の矛盾を突く監督渾身の一作らしいのだが、半年近く経って記憶に残っているのはストーリーより繊細この上ない映像ばかりだ。
すべて自然光という撮影といえばかつて『木靴の樹』などもあったが、現代のすぐれたフィルムの特性がうまく活かされている印象で、今までにない深みのある映像となっている。そしてそこに来る時間を待っていたであろう、計算し尽くされた太陽の位置にいちいち唸らされた。いつもながらサウンドの綿密さにも驚かされるばかりだ。
そして、こういうところはさすがアメリカ映画といえる時代考証。17世紀のネイティヴや欧州人の生活にたいした知識はなくても、きっとこうだったんだろうなと思わせるリアリティは迫力すら感じさせる。
さらにアメリカという国の奥深さを感じたのは、あの17世紀そのままのようなロケ地。東海岸にあんな場所がまだ残っているというのだからすごい国だ。
というわけでストーリーにはあまり触れられなかったが、まだ10代だというクオリアンカ・キルヒャー嬢はさすが本物といえる荒々しい魅力にあふれていたし、よくは知らないコリン・ファレル、クリスチャン・ベールも十分な存在感だった。文化衝突の問題の普遍性や、主人公のドラマのダイナミズムは十分伝わる。
また最近読んだ山下柚実著『給食の味はなぜ懐かしいのか』でこの作品で「匂いつき上映」が試みられたと知ったが、画面に残されたうねるようなワイルドネスはそうした試みにはぴったりかも知れない。試みの是非は別にして。
そうはいっても、一般ウケする作品ではないよう。一緒に行った同級生M君と、史上初の2人独占上映を体験。

5月8日 太田イオンシネマ

(BGMは西欧文化の結晶といえるケイト・ブッシュの昨年作から、NHKライブビートでビーナスペーターというバンド。すごく演奏がうまいのにふさわしくなく弱いヴォーカル、奇妙に幾何学的な印象のリズムで、これはまたあまりきいたことのないタイプの不思議音楽。あまり好きな種類ではないが)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何あれどきっと明日も空高く

2006-10-16 23:45:19 | 週間日記
先週日記。今回は月曜夜です。

9日(月)昼、撮影。晩、山岡家で味噌ラーメン。
10日(火)昼、撮影。OG・Eさん、Jさんと黒んぼ食堂でとんかつ定食~塾で日々の暮らしの話
11日(水)起きてシャワー後、購入CDボストン・ベスト聴了。それから原稿、晩は出張授業
12日(木)自宅映画J・リヴェット『恋ごころ』はすばらしく、やっぱり映画はヌーヴェル・ヴァーグと実感。晩、九一麺で味噌ラーメン大辛
13日(金)熊野純彦『西洋哲学史―古代から中世へ』読了。自宅映画『クローサー』は久しぶりでひとに勧めない作品をみた。夕、豊里・永来で味噌ラーメン~塾に行くとOB・I君が来たので1回中学生M君と将棋
14日(土)午後、撮影。その後、同級生M君宅で少し飲み、『クレヨンしんちゃん おとな帝国』
15日(日)昼、撮影。中学校の教え子M君が結婚式だったと知り、終わって花びん買い持って行く。帰りに籠原・福龍で醤油ラーメン大盛り。食べたら眠くなり、出張授業遅れる。休みだった同級生K君と仕事の話など

連休で撮影多く忙しい日々。サッカーは休み、野球をMLB、日本ハムともよくみる。デトロイトにしろ札幌にしろ、短期間でよくぞこんなに変わると驚く。
ねこにも驚き、土曜朝に寝てしまったPC前で目覚めるとオディールの子らしい3頭、けっこう発育よくころころしたやつらが顔の近くにいて、何だおめえら。
すばらしい天気の毎日。何あれどきっと明日も空高く

(Phは昼に撮ったかたまるその3頭。さっきから写そうとするも、活動時間で3年もの携帯ではとらえきれず。BGMは秋の夜が似合うローラ・ニーノで『イーライと13番目の懺悔』。これだけ先鋭的でありながらポピュラリティもあるのが不思議な決して古びない68年作)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベル&セバスチャン "The Life Pursuit"―切なく甘酸っぱく清々しい“軟弱頑固”

2006-10-15 23:28:48 | 音楽
青空の日曜。順番通りの音楽です。

日本で、いや世界のどこでもそうだろうがベル&セバスチャンのファンといえば、好きな人ならわかる大体共通するイメージがあるはずだ。押しつけがましくなくはないけれど自分の世界は持っていて感傷にひたりがちで悪くいえば線が細く軟弱、どちらかというと格闘技は好きでない。そういった属性に身におぼえがあるのなら、きっとベル&セバスチャンは気に入るはずだ。それと条件としては、あまりテクニックにこだわりがないこと。そういえば『ミュージックマガジン』で大鷹俊一さんが「初期のスタイルカウンシルを好きな人なら」と書いていたのが、購入に踏みきったきっかけだ。ちなみに渋谷陽一氏はFMでブックレットに触れ、「何がおもしろいのかまったくわからりませんね」といっていた。
スコットランド、グラスゴー出身、大人数のこのグループのアルバムをきくのはこれで3作目か。メンバーがみな車座になってつくった曲ばかりというがそんな楽しさが十分に伝わり、複数の知恵を絞ったと思われるバラエティに富んだ内容といえる。
とはいってもどんな曲想でも彼ららしさに変わりがないのが、いってみれば“軟弱頑固”なところ。M3"the blues are still blue" なんていってもとってつけたようなブルース感覚があるだけで、芯の通った軟弱ぶりは失われてはいない。世の中普段ふにゃふにゃしたやつがいざという時に一番考えを変えなかったりというのはよくあることで、そういった風情がこの人たちにはある。おお、軽やかなピアノとシンプルなギターカッティングで他からかに歌われるM10は "To Be myself complatele" というタイトルではないか。
いずれにしても、切なく甘酸っぱく清々しい彼らの魅力は、当然のごとく本作でも変わらない。M2 "another sunny day" は個人的彼らのベストトラックで、本年度ベストシングル候補。

4月11日初聴 アマゾンで購入

(BGMはもちろん本作。昼の競馬チャンネル間違えて録画し、UHFハイライト待ちで書きました。pursuit(追撃)馬はあまり買わず当らぬも、これもまた "The Life Pursuit"=<人生の遂行>か)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青木奈緒『うさぎの聞き耳』―「文は人」

2006-10-13 23:22:46 | 読書
今日も更新。読書の番で、それほど読まない現代の女流エッセイです。

幸田露伴を祖に、幸田文、青木玉さんと続く名文一族の同い年作家。奈緒さんの存在を知ったのはNHK教育でやっていた祖母晩年の随筆『崩れ』の道筋をたどる仕事のドキュメントで、同い年だということで途端に親近感を持った。1963(昭和38)年は「卯年」で、だから『うさぎの聞き耳』。
周囲の人に「同い年にこだわりますね」といわれる私である。このブログでも重松清氏と同年代ということを書いたことがあったが、よくランディ・ジョンソンとかマイケル・ジョーダンとかデヴィッド・シーマンとかジョニー・デップとかスティーブン・ソダーバーグとかと同い年だと口にしているから、恐らく同じ年に生まれたということへに対する変なこだわりがあるのだろう。日本では巨人・工藤投手やリリー・フランキーさん、甲本ヒロトさんもいるが、あとの2人は学年が違うということにこだわるのもおかしなところだ。
それはいいとして私は幸田文の大ファンで、名随筆『木』を日本三大エッセイの一つに数えているほど。その文の生まれたのは祖父より一年早い1904年で、その孫が自分と同じというのは何だかうれしくなった。そういわれたちころで、奈緒さんの方は困るだろうが。
ところで私は、当代随一ともいえる女流文芸評論家斎藤美奈子さんがかつて読売の書評欄に書いていたように、「読むものがなかったら昔の人の随筆を読め」というのはもっともだとかねがね思っている。中谷宇一郎などの随筆を読みきらないでとっておいて、例えば朝のバス待ちになるフジロックに行く時などに持って行って読むのにはちょうどいい古さの随筆が最適だ。何といってもあまり自分に関係ない世界のことが、今の人間とはまったく異なる地点から書かれているのがいい。
そういうわけで、幸田文の『木』の中の「ひのき」、『動物のぞき』の中の「きりん」などは、何度も読んでそのたびにほろりと、じーんとしてしまう。では最近の女流エッセイでも読んでみるかと、たまには手を出してはみるものの、今まで面白かった現代人は、伊藤比呂美さん、小池真理子さんくらいか。あっ、この前読売で読んだ蜂飼耳さんという詩人はかなり興味深いが、果たしてエッセイはあるのだろうか。そんなところにあの幸田文の孫でしかも同い年というので俄然期待してページをめくったのだが、そもそも「俄然期待」というのはエッセイを読む姿勢としてはあまりふさわしくないとも思う。
それで面白かったかどうかというと、やはり面白い。もちろんお祖母さんのことが出てくればそれだけで気持ちは高まるが、それにしてもものの見方、感じ方というのは、どうにも血筋というか、環境なのだなとあらためて思う次第である。なにもわからないうちに、周囲の人々がどのようなことに、どうやって反応しているか。それはいわば刷り込みとなってその人のあり方をかたづくるわけだから、わけがわかるようになってから身につけることより大きくてもしかたない。
お祖母さんの話に戻れば、「ひのき」の中で「あて」の運命を何とかしてやろうと一所懸命になったり、「きりん」の中で負けた競走馬をねぎらったりする文に触れて読者が涙を流すのは、いってみれば野球を応援している様をみて心動かされるようなものだが、それがすなわち文学の力なのだと思う。それがなくて、何で本など読むのだろうというわけだ。
そんな人たちに囲まれていて、奈緒さんのような人ができ上がる、何と嬉しい話だろう。それが私などが関東平野の隅っこの農村でのうのうと育っているのと同じ頃に、小石川でそういう人が育っていたというのが嬉しいのだ。
ちょっと貸してしまったので手元にないので定かでないのだが、お母さんがそう呼んでいた「きつねのケーキ屋」の話、「おそれいりやの鬼子母神」といって「オーソレミヨはイタリア人」と返された話、どの話も例えばお祖母さんが描いた『おとうと』のげんのように凛としていてやわらかい。
でももし、この人が幸田家の人間でなかったら、これらの文が自分の目に届いただろうかと、少し意地悪に思ってみるのもしかたないところだ。刺激ばかりがもてはやされるこの時代ではあまり人の目に触れることはないかもしれないが、だとしてもこの人はこの人のようにものを感じ、それを書き、あらそうかしらアハハと笑っていそうと勝手に思わせるようなそんなすばらしい暮らしぶりであり、その記録である。
「文は人」とはよくいう。

3月13日読了 TSUTAYA籠原店で購入

(BGMはNHK渋谷陽一。この人は確か1951年で一回り前の卯年。なお、1963年生まれは http://ja.wikipedia.org/wiki/1963%E5%B9%B4#.E8.AA.95.E7.94.9F
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『スーパーマン リターンズ』―踏みとどまる技術の矜持

2006-10-12 12:21:06 | 映画
輝くような青空。いろいろなことが起こってますが関係なく、8月末に映画で同級生M君に誘われて行った、近年はめったにみなくなった娯楽作です。

【introduction】
いわずと知れたアメリカンヒーローの古典。高校生の頃か1と2は劇場でみて、非常によくできた娯楽作という印象は残り、数年前にあるムックで1の紹介原稿を書いたこともあります。やはりC・リーブスはアンフォゲッタブル。

【review】
CGは苦手だ、今のハリウッドに興味はない、そんな私でも十分に楽しめた快作。
観客15名ほどの月曜晩、地方都市の劇場、Xメンだったかワイルドスピードだか、1000円もらってもみたくない作品の恥知らずのディストーションがうるさい予告編で、「シンプルじゃなきゃ」などという字幕にまず辟易。そんなことをいう輩に本当にシンプルなやつはいないと思ってうんざりしながら、それから少し経ってスクリーンに繰り広げられた、リアルにシンプルなエンターテインメントに感心する。
スーパーマンというキャラクターの優れたところは、活躍ぶりがシンプルなことだ。止める、支える、持ち上げる、飛ぶ、間に合う、見下ろす。こうした映像的快感は、例えばNHKで何度かみた『世界最強の男』GPのようで、ただ単に「すげえなー」と思うことのよさを感じさせて潔い。つくりものだけど、それでなければ現出させられないリアル。
そういうリアルがあるから、普通ならみてられないロイスとのありきたりな葛藤劇も、あり得ないからこそ心に迫る。最高級ホテルの最上階で大富豪が町娘に言い寄るというのは興ざめだが、腕を組んで屋上に浮いた青い服の赤マントならしかたなし。お決まりの空のランデブーに、CGの力はうまく活きていた。
そして私たち世代の映画ファンに嬉しかったのは、素のシーンの1980年当時を思わせる柔らかなライティング。特に娯楽作のハリウッドは技術の進歩でうそっぽく思わせるきらきらパチッの映像ばかりの中、影をうまく使ったこの撮影は今でもやり方によってはこういう映像がつくれるのだなと、踏みとどまる技術の矜持を感じさせてくれた。
ストーリーのことはいうまい。やけに00年代的な悪役だったケヴィン・スペイシーは個人的にいただけないが、他キャストは80年代頃の雰囲気で十分。
別に若者にうけなくてもよく、つくりたい作品をつくってそれがハリウッドの奥深さになればいい。

8月29日 太田イオン

(BGMは80年代のアメリカを思い出されるカーズのベスト。"drive" はやはり名曲だ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曇りの秋の庭のたんぽぽとねこども

2006-10-11 12:46:08 | 週間日記
連休から少し忙しく、少し開いての先週日記です。

2日(月)夜、仕事打合せで池袋・天狗。ビール7杯で酔いつつ
3日(火)宿酔気味で原稿。その途中、HMVでCDを5枚注文、しかし納期遅れる2枚キャンセル、夕ブックオフで100円文庫7冊と買い物力炸裂
4日(水)原稿~出張授業。夜食に籠原・九一麺でチャンポン。期間限定移動店舗でこの複雑さは舌みはるものあり
5日(木)俳優目指すOB・K君の舞台みに中目黒へ。上演前は時間なく駅前の立ち食いうどん、はねてから駅近く大地よ水よ人よでちゃんぽんはすっきりした感じでまたあまりないタイプ
6日(金)夕、買い物少し~塾
7日(土)昼、撮影~帰ってシャワー後、ダミアン・ライス "O" 初聴。夕食は籠原・福龍で大盛味噌ラーメン
8日(日)昼、撮影~夕食は東方・長崎ちゃんめん~塾にOB・I君、就職や「箱」と「中身」談義。競馬、F1のためイレギュラー放送知らずで収録できず11時のハイライトで毎日王冠4万5千円的中知り歓喜

サッカーはインターナショナル週だったこともあり週明けのチャールトン:アーセナル、マドリード・ダービーくらいで、その代わりヤンキース敗れたMLBプレーオフ、阪神、パ・リーグなど野球けっこうみる。
天気は週末まで雨が多かったけれど、連休中はすばらしい空の日々。平和でなかなかの一週間だったといえますが、秋生まれのこねこ元気なかったのが死んでしまったり、タヌーが産んだらしい早産の小さいのが生きていなかったりでしばらくぶりに小さなねこを埋葬。
一転どんよりの今日、庭にはちらほらと背の低いたんぽぽ。春の花が季節に似つかわしくない秋の庭に咲いて、いつもいるねこどもがうろうろするのは、そこだけみたら平和な光景で。

(写真手前はそんな3つ咲いたたんぽぽと、ほかのやつらがいる本体から左手を見つめるカミーラと春生まれ暫定名こはい。BGMはねこどもが落したアメリカン・ミュージック・クラブ "love song for patriots"。ほどといワイルドネスと繊細さが交錯するサウンドに「愛国心のための恋歌」とは)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダミアン・ライス "O"―生涯の秋の一枚

2006-10-07 23:54:41 | 音楽
そうは思えないなんていってたら、風が強くて雲は動いても憂いを含んだ秋晴れ。天気予報もやるものです。最近は映画もみたばかりのものを書いているので、今日HMVから届いたばかりのこのCD。ただし発表は03年です。

今きいているのが二度目だけれど、きっと生涯のベスト50に入る一枚。今日からしばらく何度も、多分来年もそのまた次の年も、ずっと特にこの秋から冬にかけてよくききそうだ。ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』、ハイ・ラマズの『ビート・メイズ・アンド・コーン』、ゴーキーズ・ザイコティック・マンキの『スリープ・ホリディ』などがそうであるように。
直接のきっかけは9月終わりのNHKライブビートできいたグラストンベリーのライブ。鈴木慶一も「この季節にやっとお届けできる」と紹介していた。それで調べたら、マイク・ニコルズの映画『クローザー』の主題歌を歌っていることが判明。この曲 "The Blower's Daughter"(ここで顔をクリックするときけます(http://www.sonypictures.jp/movies/closer/site/)は当時、カミングス―ンTVなどできいて気になっていたのを思い出し早速買った。こうした出会いは、当時FMで録音したスタイル・カウンシルの『マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ』を「これいいんだよ」と高校と大学が一緒だったH君にきかせると、それがその前の晩にさんざんH君が薦めていたそのアルバムだったという体験を思い出す。こういった一致は何だか嬉しい。
アイルランド出身のシンガーソングライター。朴訥なギターに抑揚たっぷりでいながらそれが決して押しつけがましくなく歌い、リサ・ハリガンというハスキーでいながら透き通った女性ボーカルがつぶやき、穏やかでしっかりとしながら張りのあるチェロが絡む。全体の世界はとても静かなのに、ところどころで激しさが顔を覗かせて緊張感に満ちている。"Amie" のストリングスも見事で、豊かでいながら奥行を感じさせないミキシングもおもしろい。ジョー・ヘンリーを思わせる "Cheers Darlin'" のクラリネットもしみる。
アコースティックでとつとつと歌いながらオペラ風に盛りあがっていくラストの "Eskimo" はイヌイット語だそう。美しいワルツだが、そういえばニール・ヤングもアコースティックのワルツが得意だ。
おお、終わってしまった、また最初からきこう。こうやって更ける秋の夜は切な楽し。
3年前のこんなすばらしい音楽をききのがしていたとなると、もっともっとそんな音楽があるに違いない。そう考えると何とも嬉しくなる。

(最初にアマゾンで探した時は1050であってこれは安いと思っていたが、買おうと思った月曜は1800しかなくHMVの方が安いので3枚買って25%オフのためにほかに2枚買ったが、今またアマゾンを見ると1050。何だ。発売当時の『ミュージック・マガジン』を探すも、室内混乱のため見つからず)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町田健『チョムスキー入門』―いいたい放題の、正しい「入門」

2006-10-06 23:52:25 | 読書
大雨の夜。天気予報は明日は晴れるといいますが、とてもそうは思えません。天気とは関係なく、順番で読書記録です。

確か『先生はえらい』でだったか内田樹氏が、本でおもしろいのは「入門」だと書いていて安心した憶えがある。たまたまそういう時代だったか、学生の頃は翻訳とはいえドゥルーズだのロラン・バルトだのの本人の著作を大体古本屋でも高い金を払って読んでいたが、平成に入る頃から本屋に1000円未満で買える「~入門」がどんどん出てきて、何だこれを読めばよかったんだということになり、自分の本棚にそういう類いがずらずら並ぶようになっても、何が書いてあるのかよくわからないのは本人の著作を読んでいた当時とそんなに変わらないから、出費が少なくなっただけいいのだろうけど、ちょっと見た目はぱっとしない。
そんなわけで、以前からチョムスキーの画期的で難解といわれていてもわからないかといえばそうでもない独創的なアイディアに興味を持ち、酒井邦嘉氏の著書を読んでそれがかきたてられていたところ、ちょうどよくこの入門書が出たので当然のように買って読んだ。
さて読んでみると、「生成文法」というチョムスキーの考え自体は、これまでそこらで読んで考えていたものとあまり変わりはなかった。私なりにひどく大雑把にいうと、何語でも人間の言語には、最近このブログで何度か書いている「箱」(文法)と「中身」(意味)の問題でいう「箱」の方に普遍性があり、その「箱」、つまり「文法」をつくり出す機能が脳には備わっているというもので、そこから最新の脳機能分析技術を駆使して酒井氏の方法は肯ける。
それは私が今まで読んだ中では、19世紀末に宇宙人に地球人の存在を知らせるためにジャングルを焼いて3平方の定理を表す直角三角形と3つの正方形を描こうという環境問題を度外視したとはいえ感動的な構想や、子どもにどんな変な生き物の絵を描いてもいいといっても、顔にあるのは目、鼻、口、耳に、せめて動物の角くらいで、どんなに想像力を駆使しても見たことのないものは描けないというのに似て、「箱の限界」が「普遍性」を示すという奇妙な成り立ちを持つものだった。本書はチョムスキーがそのアイディアに至った過程を、「句構造」などの用語を用いて詳しく解説したものといっていい。
ところが、本書のすごさは終盤に現れる。本書によればもともとチョムスキーの理論は途中でつじつまが合わなくなって何度も修正されてきたのだが、チョムスキーの入門書を書きながら著者はその問題点をいいたい放題に指摘し、最後のページでは「言語学に科学的な論証法をもたらすかのように見えた生成文法は、現在のままでは科学的合理性から遠ざかっていくばかりです。チョムスキーが老齢に達した今、生成文法の行く末がどうなるのか、興味深いところです」と言い放つ。
生成文法がどんなものかというより、私としては「入門」の著者がこのように突き放したことにあっけにとられたものの、案外こういう「入門」の方が正しいといえば正しいのではないかと思い直した次第。
帯裏には「生成文法、恐るるに足りず!」、読んだのは初めてだが、「著者“マチケン”先生、恐るべし!」。

5月11日読了 新宿駅ブックガーデンで購入

(BGMはNHK-FM渋谷陽一。カサビアンズなど若手が続いたが、ここでクラシックのコーナーになり、30年前に滅びの美学を描いたとしてロキシー・ミュージック「マザー・オブ・パール~サンセット」。こうやって意味だてて、また系統的に、新譜と旧譜が存分にきける番組は若い世代には貴重。もっと民放にもやってほしい)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よそいき」と「球形時間」~world "opened" my mouth

2006-10-05 15:39:53 | Weblog
よく降って肌寒い午後です。
あまりお気づきの方はいないでしょうが、左の方の「ブックマーク」に『よそいきカロンタンの「球形時間」』(http://d.hatena.ne.jp/quarante_ans/)というのが追加されています。前々から Hatena のリンク機能は気になっていたのですが、先月コメントの便のために登録し、それだけではもったいないと思ったので「読書」「音楽」「映画」の文化系記事のみ転載することにし、さっきその作業を終えました。
移動するのも面倒でしょうから、あちらから貼りつけますと、
--------------------------
そんなわけで、こちらのタイトルは『よそいきカロンタンの「球形時間」』。
『球形時間』は多和田葉子さんのすばらしい小説のタイトルで、その中に出てきた、ストーリーとはあまり関係のないろくでなし高校教師の言葉「おまえの好きな本や音楽の話を毎日誰か二人の人間にするんだ。それで生きてる意味はある」(記憶曖昧につき大意のみ)が、本家ブログを始めた動機の一つだったからです。
--------------------------
こちらを読んでいただいている方には、このブログの一部のまったく同じものがそのまま載っているだけなのでとくに関係なし。ただ Hatena のリンク機能のおかげで読んでくれる人がいればというだけです。何しろ『球形時間』では「毎日誰か二人の人間に……」ですから。
今回作業をしていて、1年前の古い記事を読み返したのはなかなか楽しい体験でした。
中年易忘行難続。
今後ともよろしくお願いします。

(写真は室内最高点を占拠するカミーラ。最近寝てばかりで非活動的です。「借りてきたねこ」とはいいますが、本当はねこに「よそいき」なんてないでしょう。BGMは棚で見当たった雨が似合う思い入れ強い一枚、これまた「よそいき」ができずアイランドをクビにされた過去を持つジュリアン・コープ "world shut your mouth"。"open"でありますように)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする