小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

NAOZANE「熊谷野球」にご協力ありがとうございました

2016-08-07 12:04:58 | 身のまわり

甲子園大会がはじまりました。
熊谷ピーアイピーのフリーペーパー「NAOZANE」※1 8月号が1日に発行。担当の「クローズアップヒストリー 熊谷 after 1945」第9回「熊谷野球」にネット上で画像提供をお願いしたところ、情報の拡散、画像提供でいろいろご協力いただきました。ありがとうございます。

地域密着全戸配布のフリーペーパーというメディアの体感値はかなり大きい。職場、市民活動支援センターでも、「読んだよ」となまの感想をいただくことも少なくありません。
この連載は創刊時の会議で何か企画はときかれ、「戦後70年ものを」と提案して始まりました。ヒントになったのは、以前に同級生の深谷のもやし屋「飯塚商店五十年史」※2でスーパーやコンビニエンスストア、ファミリーレストランの登場、ニュータウンの開発や高速道路の開通などを並べて一地方都市の「ありふれた話」には意外に訴えるものがあるのではないかと思ったことと、昨年の埼玉新聞にあった熊谷駅西通り商店街「ファッション」の記事です。
「戦後70年」としたのは、熊谷と今の日本にとって輝いた時期、振り返るのにちょうどいいくくりだと考えているから。直実は平安期、うちわ祭や五家宝は江戸期からの伝統がありますが、戦後、昭和の経済発展や大衆文化の広がりと結びついての展開こそがそれぞれの現在を照射しているのではないでしょうか。そして、埼玉県唯一の戦災都市、1945年8月14日の空襲という傷跡を忘れないという心がまえは毎回文中に置いておきたいと思います。

中村写真館や市報のアーカイブから過去の画像と、中村さんの撮りおろしや各関係機関提供の最近の画像をならべ、戦後すぐの言説から70年を2つのチャプターに分けて急ぎ足で駆け抜けるフォーマット。第1回「熊谷駅」から9回の「熊谷野球」まで、本文におさまらないいいたいことを、脚註、キャプションに封じて密度を高める、紙メディアの王道ともいえるスタイルが確立しつつあります。
前回「うちわ祭」の新島さん、今回の長濱さんと一人の人物を中心にして70年を語る方法も、テーマによっては効果的だとわかりました。

記事を書く上で強調しているのが、「交通の要衝」として熊谷以外の近くから来た人、遠くから人に開かれたまちというあり方。
今回の長濱さんが本庄出身なのに「熊谷からの野球教室」にしていること、5月号「女性の社会進出」の寄居出身バックパッカーズランチ鈴木さん、吹上秋桜高校の女子生徒など、群馬県などを含めた「熊谷あたり」の人々がチャンスを求めて集まってこのまちを形成していることを書いています。ピーアイピー植竹社長は行田出身ですし、わたしも深谷の隅っこから熊谷の高校に自転車で通っていました。
昨日、行われた「観光」と「バリアフリー」がテーマの「もんだいカフェ」※3でも、「熊谷」に限定しない「ここらへん」のスケールで考える柔軟さが欠かせないという声が多く出ています。

さて、この連載の成り立ちには、非常勤の熊谷市職員として勤めつつ周辺のさまざまな活動に関係するという、現在のわたしの立ち位置が大きく作用していることを考えないわけにはいきません。
昨日の「もんだいカフェ」でも、「バリアフリー」は「観光」につながるという意見が出たし、前回はさまざまな活動に「関係ない」とはいわない姿勢が大事と自ら発言しました。最近話題の「働き方改革」や「地域のあり方改革」を頭に置いて、「ここらへん」を行き来しながらいろんなことの「バリアフリー」に取り組むことが「いいこと」につながりそうに思っています※4。

※1 フリーペーパー「NAOZANE」(電子ブックあり)
 連載内容は、12月号「熊谷駅」、1月号「ファッション」、2月号「体育館」、3月号「スタジアム」、4月号「さくら」、5月号「WOMEN in 熊谷〜女性の社会進出」、6月号「気候、気象」、7月号「うちわ祭」
※2 「飯塚商店ともやしの『一人称』による五十年の歩み
※3 「もんだいカフェ」は熊谷市市民活動推進課とNPOくまがやの市民協働「熊谷の力 熊谷共助ニュース」事業のひとつ
※4 長濱さんの活動や本庄のNPO「自立生活ネットワーク」のは活動バリアフリーは、NINOKURA+FM KURARA制作の映像『本庄・テン』でも紹介

コメント
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