今朝もくもりで暖かい。風は弱く空気に湿度を感じる。雨の予報がでていたから、そのうち雨が降り出すかもしれないが、通勤客に傘を持つ人は少ない。
もっと言うなら、タブーすら意識する事さえ、しちゃいけない事を一瞬でもしたいと考える事さえも、もしかしたらタブーによって厳重に禁止されている可能性があるとは言えなくもない。
なぜ、あなたは人殺しなんかしたくもないと考えるのか?
下戸が酒を飲まないのと同じように、人殺しそのものをしたいとは思わないからなのだろうか?
でももししたらどうなるのだろう?
なぜ、あなたは人殺しなんかしたくもないと考えるのか?
下戸が酒を飲まないのと同じように、人殺しそのものをしたいとは思わないからなのだろうか?
でももししたらどうなるのだろう?
したいけどしちゃいけない事や、言いたいけど言っちゃいけない事がタブー。
そんな事をしたいとも言いたいとも考えた事も無い人間にはタブーそのものが意味も無い。
だが、したい人間にはたしかにタブーは存在する!
そんな事をしたいとも言いたいとも考えた事も無い人間にはタブーそのものが意味も無い。
だが、したい人間にはたしかにタブーは存在する!
<お詫び>
この先の記事には、附属池田小事件の被害者ならびに遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
申し訳ありません。
誠に勝手ではありますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。
死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。ですが、記事の1部に、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。
__________________________________
普通の人はなんで人を殺さないのか?
良く考えると、この問いは間違っている。
うーん、やっぱり質問に「なんで」が入いると間違えるのだろうか?
酒を飲む人と飲まない人がいるけど、酒を飲まない人はなんで飲まないの?
この質問にも、また「なんで」が入った。
まぁ、おそろしく曖昧な質問だから、答えはいくらでもあると思う。
飲めない体質だから飲まないとか、酒を飲もうと考えた事がないとか、酒が嫌いだから飲まないとか、酒なんか飲みたいとも思わないとか、その他にも答えはいくらでもあるだろう。
世の中には、酒なんか飲みたくないから飲まないという人は当然にいる。そんなのはその人にとっては、ごく当たり前なことであり、そもそも酒を自分からすすんで飲もうだなんて考えた事もないだろう。
そして、酒なんか飲みたいとも思わないという人がいるのと同じように、人殺しなんかしたいと考えた事も無い人の方が世間一般的に多数である。
そういう人たちに、人殺しはタブーだから、普通の人は人殺しをしないんだよって言っても無意味だ。
1度も人を殺したいと考えた事のない人間には、人殺しがタブーってことさえ意味がない。タブーだからあなたは人を殺さないのですとか言われても、まるで納得がいかない話だろう。
なぁんでなのよとブーたれるだけだろう。
だが、人殺しのタブーがまるで実存しないわけではない。
人殺しのタブーは、人を殺したいと思う人間にだけ効力がある。
怒りや憎しみで、本当に誰かを殺してやろうかとまで思い詰めないかぎり、人殺しのタブーを本人が意識する事はないだろう。
そのほかに有名なタブーには、近親相姦へのタブーがある。
近親相姦も、ごく普通の人間なら、やはり、したいとも思わない欲望である。
親やきょうだいとやりたいと考えないかぎり、タブーも何もない。
だいたいしたくもないだろう。
ブタブタブーブー。
肉親以上に家畜と犯るのもタブーだ。
なんだけど、家畜とやりたいと思わない人間にとって、これもタブーそのものが意味がない。
ニーチェは、道徳を家畜のルサンチマンだとかなんとか語るらしい。
したいとも思わない人間にとっては、飲酒も人殺しも近親相姦も獣と犯るのも、畜生の振る舞い。やりたくもない。
したいと思う人間がいるから、タブーが存在する。
なんだけど、全てのしたい人間をタブーで縛れるわけではない。したくてしょうがない人間には、既にした人間が羨ましくてしかたないだろう。
まだ、それはしてない。
したいけどしちゃいけないことは禁止。
この先の記事には、附属池田小事件の被害者ならびに遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
申し訳ありません。
誠に勝手ではありますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。
死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。ですが、記事の1部に、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。
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普通の人はなんで人を殺さないのか?
良く考えると、この問いは間違っている。
うーん、やっぱり質問に「なんで」が入いると間違えるのだろうか?
酒を飲む人と飲まない人がいるけど、酒を飲まない人はなんで飲まないの?
この質問にも、また「なんで」が入った。
まぁ、おそろしく曖昧な質問だから、答えはいくらでもあると思う。
飲めない体質だから飲まないとか、酒を飲もうと考えた事がないとか、酒が嫌いだから飲まないとか、酒なんか飲みたいとも思わないとか、その他にも答えはいくらでもあるだろう。
世の中には、酒なんか飲みたくないから飲まないという人は当然にいる。そんなのはその人にとっては、ごく当たり前なことであり、そもそも酒を自分からすすんで飲もうだなんて考えた事もないだろう。
そして、酒なんか飲みたいとも思わないという人がいるのと同じように、人殺しなんかしたいと考えた事も無い人の方が世間一般的に多数である。
そういう人たちに、人殺しはタブーだから、普通の人は人殺しをしないんだよって言っても無意味だ。
1度も人を殺したいと考えた事のない人間には、人殺しがタブーってことさえ意味がない。タブーだからあなたは人を殺さないのですとか言われても、まるで納得がいかない話だろう。
なぁんでなのよとブーたれるだけだろう。
だが、人殺しのタブーがまるで実存しないわけではない。
人殺しのタブーは、人を殺したいと思う人間にだけ効力がある。
怒りや憎しみで、本当に誰かを殺してやろうかとまで思い詰めないかぎり、人殺しのタブーを本人が意識する事はないだろう。
そのほかに有名なタブーには、近親相姦へのタブーがある。
近親相姦も、ごく普通の人間なら、やはり、したいとも思わない欲望である。
親やきょうだいとやりたいと考えないかぎり、タブーも何もない。
だいたいしたくもないだろう。
ブタブタブーブー。
肉親以上に家畜と犯るのもタブーだ。
なんだけど、家畜とやりたいと思わない人間にとって、これもタブーそのものが意味がない。
ニーチェは、道徳を家畜のルサンチマンだとかなんとか語るらしい。
したいとも思わない人間にとっては、飲酒も人殺しも近親相姦も獣と犯るのも、畜生の振る舞い。やりたくもない。
したいと思う人間がいるから、タブーが存在する。
なんだけど、全てのしたい人間をタブーで縛れるわけではない。したくてしょうがない人間には、既にした人間が羨ましくてしかたないだろう。
まだ、それはしてない。
したいけどしちゃいけないことは禁止。