墨汁日記

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徒然草 第四十段

2005-09-04 19:37:24 | 徒然草
 因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かかる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。

<口語訳>
因幡国の、何の入道とかいう者の娘、かたちよしと聞いて、人があまた言い寄り続けたけれども、この娘、ただ、栗のみ食べて、更に、米の類(たぐひ)を食べなかったそうなので、「こんな異様の者、人が見るべきでない」として、親許さなかった。

<意訳>
 因幡国の、何の入道とかいう者の娘が、大層な美人だと評判になり、大勢の男が求婚をしたが、この娘、ただ栗ばかり食べて、まったく米のたぐいを食べなかった。
「このような者は、嫁にやれない」と、親は結婚を許さなかった。

<感想>
 因幡国は、現在の鳥取県。距離的には兼好が旅した鎌倉よりは近いが、京都に住む人間には、とんでもない田舎で辺境の地だ。現在で言うなら、東京に住む人にとっての群馬県。距離的には大阪や仙台より近いが、わざわざ足をはこぶ場所ではない。そんな土地のうわさ話を書きとめたのが、四十段なのである。
 この「栗食い姫」は謎が多い。
 だいたい一年中、栗が食べられるものなのだろうか。「栗」は果物やお菓子の総称として理解していいなら、納得できる。現在にもスッナック菓子やおやつめいたものしか食べない女の子は普通にいる。しかし、マジに栗しか食わなかったのなら、驚くべき女だ。
 ちなみに「入道」は出家した者の事。娘がいるということは、寺に属さず、出家だけして普通の暮らしを営んでいたのだろう。その事から、「栗食い姫」の父親は経済力がある人間であると推測される。いわゆる地方の豪族、権力者であろう。
 因幡の国の地方権力者の娘が、「栗食い姫」の正体だが、なんで米の飯を食わなかったのであろうか。親への反抗心の無意識のあらわれか。
 「栗食い姫」は、きっと親から、ちゃんとしたご飯を食べなきゃ、結婚させませんよとか言われちゃったのだろう。その為にかえって、なかば意地になり栗ばかり食べ続ける。将来のビジョンが見えちゃったんだろうな。「このまんま結婚して、子供を産んで、やがて死ぬ」
 人生など生の浪費にしか思えない。
 なら、好きな事して、好きな栗を食べてた方がずっといい。結婚というものさえあきらめたなら、この先ずっと好きに暮らしてもいいらしいと本能的に悟った。
 因幡の国の栗食い姫は、親の希望を無視して栗を食べ続ける事を望んだ。そういう話しだ。
















原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


夕立見物

2005-09-04 18:29:40 | まち歩き
 朝は涼しいとはいえ、やはりまだまだ昼間は蒸すな。暑い部屋の中で、蒸しまんじゅうのようになりながら布団の上でゴロゴロと一日を過ごす。タバコが切れたが金がない。銀行まで行っておろしてこないと金がない。
 夕方になり、そろそろ出かけようかなと思っていたら夕立が降り始めた。けっこう激しく降っている。
 こりゃいいや。夕立見物がてら、銀行に行く事にしよう。夕立見物とは、激しい夕立の中、傘も持たずに逃げ惑いあわてふためく人達の様子を見物して楽しもうという意地悪な趣味だ。

 チノパンのすそをスネまでまくり上げ、便サンをはき傘をさして装備オーケー。さっそく家を出るてみると、ママチャリの若奥様たち三人衆が夕立の中を疾走しているのを発見する。みんなずぶ濡れで、Tシャツは濡れてすっかり透け、身体にはり付いている。ブラの線から、たるんだお肉までピッタリとシャツがはり付いていて、なかなかの風情である。満足。こういうのを俺は見たかったのだ。最後の一人のママさんが信号でつかまりチャリを停めた。彼女は、俺の視線に気がついたのか、いきなり振り返り俺を見た。雨に濡れて乱れた髪の毛に上気した頬。色っぽい、驚くほどの美人だ。
 少し申し訳ないような気分になり目をそらす。

 しばらく歩いて立川通りに出る。新築マンションのモデルルームを案内するのぼり広告を持った人達が、この豪雨の中で、何人も、道端にたたずんでいるのを見つけた。
 ある者は、傘の範囲内から体がでないようにとキヲツケの姿勢のまま立ち尽くし。またある者はパイプイスに座り込んで身体を小さく丸めて、のぼりと傘のかげに隠れて雨をさけている。
 立川は現在、マンションの建設ラッシュ。どこの会社もマンションを売ろうと必死だ。道端に、広告を持った営業マンを配し客引きさながらにしてモデルルームに客を呼び込む。その、たぶんバイトで、臨時の、各社の営業マンたちは道すがらに何人も居り、みんな傘に隠れるようにして夕立をしのいでいた。ズボンもワイシャツもすでにずぶ濡れだ。

 銀行で金をおろした後、ビールを買おうとスーパーおおたに向かう途中で雨は一段と激しくなる。屋根の雨水を吐き出すトイはぶるぶると震えながら、ものすごい量の雨水を吐き出し今にも壊れそうだ。舗装された道路は水浸しで、小川のようになっている。すでに俺もずぶ濡れで、夕立見物などと他人を面白がっていられるようなナリではない。
 一日中ふりつづける雨は嫌いだが、夕立は好きだ。


徒然草 第三十九段

2005-09-04 18:28:47 | 徒然草
 或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り侍る事、いかがして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
 また、「往生は、一定と思へば一定、不定と思えば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
 また、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。

<口語訳>
或人、法然上人(浄土宗の開祖)に、「念仏の時、睡(ねぶり・眠気)におかされて、行(修行)を怠っててしまう事、いかがして、この障り(修行への障害)を止められますか」と申したならば、「目の覚めている間、念仏し給え」と答えられたそうで、とても尊いことだ。
また、「往生は、一定(決定)と思えば一定(決定)、不定と思えば不定だ」と言われた。これも尊い。
また、「疑いながらも、念仏すれば、往生する」とも言われた。これもまた尊い。

<意訳>
 ある人が、法然上人に、「念仏の時に、ねむくなってしまい、修行に身が入りません。どうすればよろしいでしょうか」と尋ねたところ、「目が覚めている間だけ、念仏を唱えなさい」と答えられたという。とても尊い言葉である。
 また、「往生は、出来ると思えば出来る。無理だと思えば無理だ」と言われている。これも尊い。
 また、「疑いながらも、念仏を唱えていれば往生できる」とも言われている。これもまた尊い。

<感想>
 仏教が普通にわかる人なら、この三十九段の文章は普通にわかる文章なのだが、仏教がわからないと理解しにくい。仕方がないので、「念仏」を「勉強」。「往生」を「合格」。と置き換えて意訳し直してみよう。

<超現代語訳>
 ある生徒が、法然先生に、「勉強すると眠くなって、勉強に身が入りません。どうすれば良いですか?」と質問したところ、「目が覚めている間だけ、勉強しなさい」と答えられたそうだ。
 また、法然先生は「合格は出来ると思えば出来ます。無理だと思えば無理です」と言われたそうだ。
 また、「疑いながらも、勉強すれば合格できます」とも言われている。

<また感想>
 中世を生きた人達にとり、死んだ後の極楽往生は志望校合格以上の悲願なのである。みんな、誰もが本気で受験生並に往生を願っていたのだ。「一生に一度は本気だぜ」なのだ。
 その「往生」の方法を「念仏」という簡易な方法にしたのが、法然上人という偉いお坊さんなのだ。そして法然上人の基本スタイルは「リラックス」だったのである。
 カリカリと往生めざして、修行にはげむのでなく、「気楽」に行こうよと言っている。
 そんなラフ(気楽)なスタイル(かんじ)が「尊い」と兼好は言っている。














原作 兼好法師

現代語訳 protozoa

参考図書
「徒然草」吉澤貞人  中道館
「絵本徒然草」橋本治  河出書房新書
「新訂 徒然草」西尾 実・安良岡康作校注 岩波文庫
「徒然草 全訳注」三木紀人 講談社学術文庫


現像

2005-09-04 08:58:12 | 日記
 今朝は休み、今朝は六時に起きた、今朝は涼しい。という状況の中、ベランダのガジュマルに水をやり、休日恒例の朝の散歩に行く。
 歩きながら、昨日の事をなんとなく考えてみる。

 昨夜は、知り合いの社長に誘われ国分寺で酒を飲んだ。
 社長は37歳、俺のいっこ上で4人の子供がいる。
 俺は今年36才のフリーのフリーター。
 それと、社長の会社でバイトをしている大学生の男の子が、連れられて飲みに来ていた。この三人が昨夜の飲み会のメンバーである。
 どうも俺は社長といるとおべっかしか言えないので、主たる会話は俺以外の二人の間で進行する。俺はあいづち係なのだと割り切って、意地汚くがぶがぶと酒を飲む。

 大学生が、アルバイトをはじめて、仕事がこんなにきついものだとは思っていませんでしたと言う。彼は、少し斜に構えたところがあるが、将来は高校の先生になりたいという好青年だ。将来の事、両親の事、社会で働くという事、サッカーの夢を諦めた事、などをボソボソと大学生の彼は語る。社長はそれに答え、俺がへらへら間の手を入れ、会話は進行して行く。
 聞きながら、社長は大学生の心に潜む、焦燥にも似た、社会への不安に気がついていないようだなと思った。俺には、若い彼の焦燥感がなんとなくわかるが、社長には理解できないらしい。
 社長と俺の生き方の違いなのだろう。社長だって若い時には、大学生の彼と同じような心の不安を多かれ少なかれ感じていたはずだ。しかし、社会で成功し家族を養っていくうちに、いつの間にかそういう思いを忘れてしまったのだろう。だが、俺には理解できる。若い時のモヤモヤを今だにひきずっているから、焦燥感だって今だに現在進行形の事だし、心はいつまでも思春期のまんまだから。

「ポジティブに生きなきゃ!」
 社長は、大学生の悩みにネガティブは駄目。ポジティブに生きなきゃ! とアドバイスした。社長のアドバイスは、大学生の心の奥にある焦燥感を理解していないので、どことなくチグハグである。
 ネガティブにポジティブか。心が現像されちまってんだな。
 会社に、家族。社長は立派に結果を出した。そして、ついでに心にも結果を出してしまったらしい。迷ってなんていたら、会社は潰れて家族は離散するかもしれないから正しい事である。ただ、何かを得ると何かを失うのだなと痛感した。
 俺は、未現像のフィルムを何フィートも溜め込んだままでここまで来てしまった。すでにフィルムは使用期限を超えている。じきにカビが生えて溶けだし癒着するだろう。

 社長のおごりで、しこたまたらふくビールにウーロン杯をビール腹に流し込んでごちそうさまの後は、他のお店で普通のマッサージをしてもらい、ツタヤでDVDを借りて、ちどりチャリで帰宅。家に帰ると、5千円ぐらいあった財布の中身が110円になっていた。
 その後、缶ビールを開けて、コンピュータを起動し、借りて来たDVDを観ようとしたが、気が変わり、他人のブログにしなくていいコメントを書き込んで、いい気になって、コンピュータの電源も電気も切らないで、俺の電源だけ切れてしまい、気絶するように寝てしまった。

 ところで、矢川緑地に散歩に出かけたら、まだツクツクホウシが鳴いていた。
 昼間は暑いが、もう朝はずいぶんと涼しい。