墨汁日記

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徒然草 第五十段 <感想>

2005-09-12 20:14:17 | 徒然草
kyouto2

 日本語で説明すんのがめんどくさいので、地図で説明する。兼好は、青で囲ってある範囲のどこかから、赤い矢印のように歩いて「安居院」。ようするに比叡山の僧の京都での宿泊施設に向かった。その理由はわからん。場所は現在の同志社大学のあたりである。そして、鬼の噂で人だかりしていたのは、おそらく黄色で塗りつぶした範囲だろう。
 ちなみに、ここで書かれている疫病は年号を変えるほどの大事件であった。たぶんインフルエンザであっただろうと推定されている。


徒然草 第五十段

2005-09-12 20:02:56 | 徒然草
 応長の比、伊勢国より、女の鬼に成りたるをゐて上りたりといふ事ありて、その比廿日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「ただ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と云ふ人もなし。上下、ただ鬼の事のみ言ひ止まず。
 その比、東山より安居院辺へ罷り侍りしに、四条よりかみさまの人、皆、北をさして走る。「一条室町に鬼あり」とののしり合へり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通り得べうもあらず、立ちこみたり。はやく、跡なき事にはあらざめりとて、人を遣りて見するに、おほかた、逢へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、果は闘諍起りて、あさましきことどもありけり。
 その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍りしをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。

<口語訳>
 応長の頃、伊勢の国より、女が鬼になったのを率いて上ったという事あり、その頃に二十日ばかりは、日ごとに、京・白川の人、鬼見ようと出で惑う。「昨日は西園寺に参った」、「今日は院へ参るはず」、「ただ今はそこそこに」など言い合っている。まさしく見たという人もなく、虚言と言う人もいない。上下、ただ鬼の事のみ言い止まず。
 その頃、東山より安居院の辺へまいりましたら、四条より上(北)の人、皆、北をさして走る。「一条室町に鬼がいる」とののしり合っている。今出川の辺より見れば、院(上皇)の桟敷(さじき)のあたり、さらに通りようもなく、立ちこんでいる。はやく(もとから)、跡(根)のない事ではあるまいとて、人をやって見させるに、おおかた、逢える者なし。暮れるまでこのように立ち騒ぎ、果は闘諍(けんか)起って、あさましきことなどもあった。
 その頃、おしなべて、二三日(ふつかみっか)、人の患う事がありましたが、この、鬼の虚言は、このしるしを示すと言う人もいました。

<意訳>
 応長の頃、伊勢の国より女が鬼になったのを、捕らえて京に上ったと言う噂があった。その噂が流れ出した頃より二十日ばかりの間は、京の都は鬼の噂でもちきりであった。
「昨日は西園寺殿のお屋敷に鬼が連れられたそうだ」
「今日はきっと上皇の元へ連れて行かれるはず」
「たった今そこにいた」
 などと、誰もが鬼の事のみを噂しあう。本当に見たという人も、ただの噂だと断言出来る人もいない。
 その頃に、用事で東山から安居院のあたりまで出かけたところ、四条から北に向かい人々が押し寄せて来る。「いま一条室町に鬼がいる」と口々に叫んでむかってくる。今出川の橋の上から見ると、鴨川の桟敷のあたりまで人が群がり、通りようもない。 これほどの騒ぎであるなら、まったくの根も葉もない噂ではあるまいと、供として連れて来た男に様子を見にやらせたが、「鬼どころか、鬼を見た者にも、会いませんでした」と帰って来た。暮れるまでこのような騒ぎで、喧嘩や、いたましい出来事すらあったそうである。
 その頃だっただろうか。ふつかみっかばかり熱を出し寝込んでしまうという疫病が都に流行ったのは。この鬼の虚言は疫病の予兆であったと言う人もいた。

原作 兼好法師


晴れ

2005-09-12 06:08:25 | 携帯から
昨夜はずいぶんと雨が降ったようだが、今朝は良く晴れた。風はないが、気温が低く涼しい。湿度がないのか空気も澄んでいる。国立駅のホームから多摩川の向こう岸が見えた。

しかし、眠いというか、夢の中が恋しい。月曜は憂鬱、ずっと日曜でも文句はない。