墨汁日記

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徒然草 第三十八段 <感想>

2005-09-02 21:07:36 | 徒然草
 希望を捨てよってやつだ
 この世への希望を捨てた者でなければ、思考の神髄へは下りられないと言う事を兼好は言っている。あらゆる、この世への未練を断ち切れてこそ、知は完熟する。「希望を捨て、怖れを捨て、孤独を愛せ」というやつだ。
 だけど、それは俺には無理。俺は欲望の虜。開いたマンコがあれば指どころかチンコをはさみたくなる。名誉も金も背も望まないが、開いたマンコは惜しいなーと、つい思ってしまう。


徒然草 第三十八段 <意訳>

2005-09-02 20:58:27 | 徒然草
 名誉や利益に追われて、心を閑か(しずか)にする間もなく一生を苦しむのは愚かである。
 財産など、いくらあろうが害を生み、災いをまねくのがせいぜいである。自分が死んだ後に財産が山と積み上げられようと、残された人々にいらぬ災いを残すだけだ。虚栄心を満たす為に買いそろえた車や宝石も、心ある人なら、いたたまれない物と見るだけである。金を山に捨て、宝石は川に捨てよ。金に、惑わされるのは一番に愚かな事だ。
 次に愚かなのが、名誉を求めることであろうか。後世まで名を残す立派な人になりたいというのは、それはもう大変に立派な事だ。しかし、愚かで思慮が足らぬ人であっても、それなりの家柄に生まれ、時流にのれば、行き着く所まで行ける。逆に、ちまたのすごく偉い人が、出世もせず、功績も残せず世を去る事もある。
 その次に愚かなのが、自分の賢さや知識を自慢したいという心だ。向上心は立派な事だが、賢さや知識は、受け入れるべき他人があってはじめて成り立つのだ。また、受け入れられ方も常に肯定とは限らない。自分の知識や考え方に意義を唱える者も当然あるだろう。だが、自分の考えを受け入れる者も否定する者もいずれはみんな死ぬ、彼らの死とともに、自分の賢さの証は地上から消える。
 切迫し、本気で知識を求める人に少し忠告する。知恵があるからこそ偽りが生まれ、才能は煩悩の増長したものにすぎない。習い覚えて、読み知った知識は、真の知識ではない。なら、なにが知識か。可、不可は一条の流れである。真の知識には、智もなく、徳もなく、功もなく、名もない。こんなこと誰が知り、誰が伝えよう。これは徳を隠し愚を装うのものでない。もとから、世の賢者は、賢愚(無知の知)・得失(ないものはない)の境地にいるからである。
 迷いのうちで、名誉や金を欲するなら、全てがかくのごとし。全てに意味は無い。語るに足らず、願うに足らず。


徒然草 第三十八段 <口語訳>

2005-09-02 20:57:06 | 徒然草
名利(みゃうり・名誉と利益)に使われて、閑かなる(しずかなる・心を落ち着ける)暇もなく、一生を苦しむのこそ、愚かであろう。
財(財産)が多ければ、身を守るのにまどし(不十分となる)。害を買い、煩いを招く媒(なかだち)となる。身の後(死後)に、金(こがね)でもって北斗(北斗の星)を支えようとも、人(残された人)のためには煩いとなる。愚かな人の目をよろこばせる楽しみ、またあぢき(味気)ない。大きな車、肥えた馬、金玉(きんぎょく)の飾りも、心ある人には、うたて(いたたまれない)、愚かなことであると見るだろう。金(こがね)は山に棄て、玉は淵に投げよ。利(利益)に惑うのは、すぐれて(きわめて)愚かである人だ。
埋もれない名を長き世(後世)に残すのこそ、あぁ望ましいであろう。位高く、やんごとなき(尊き身分)を、優れている人と言うべきか。愚かでつたない人も、家に生れ、時に逢えば、高き位にのぼり、奢(おごり)を極めるもある。いみじかりし(偉い)賢人・聖人、自ら賤しい位に居て、時に逢わずして終わる、また多し。偏に(ひとえに)高い官・位を望むは、次に愚かである。
知恵と心とこそ、世にすぐれたと誉(ほまれ)も残したいが、つらつら思えば、誉を愛するは、「人の聞き(世間の評判)」をよろこぶことだ。誉める人、誹る人、共に世にとどまらない。伝え聞いた人、またまたすみやかに去るだろう。誰かを恥じ(人目を気にしながら)、誰かに知られる事を願う。誉はまた誹りの元である。身の後(死後)の名、残って、さら(とく)に益なし。これを願うのも、次に愚かである。
但し(ただし)、強ひて(しいて)智を求め、賢を願う人のために言えば、知恵がでて偽りが生まれる。才能は煩悩の増長したものである。伝えて聞き、学んで知るは、まことの智ではない。いかなるかを智というべきか。可・不可は一条である。いかなるかを善というか。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もない。誰が知り、誰が伝えよう。これ、徳を隠し、愚を装うのでない。もとより、賢愚・得失の境にいるからである。
迷いの心をもって名利の要を求める(名利を必要として求める)のは、かくの如し。万事は皆(すべて)非である。言うに足らず、願うに足らず。


徒然草 第三十八段

2005-09-02 20:55:33 | 徒然草
 名利に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。
 財多ければ、身を守るにまどし。害を賈ひ、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗を拄ふとも、人のためにぞわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。
 埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生れ、時に逢へば、高き位に昇り、奢を極むるもあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賤しき位に居り、時に逢はずしてやみぬる、また多し。偏に高き官・位を望むも、次に愚かなり。
 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きをよろこぶなり。誉むる人、毀る人、共に世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉はまた毀りの本なり。身の後の名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
 但し、強いて智を求め、賢を願ふ人のために言はば、智恵出でては偽りあり。才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか善といふ。まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。
 迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。


タバコ

2005-09-02 06:10:07 | 携帯から
今朝も晴れた。今日も、少しだけ早く家を出て、電車の時間まで一服する。腰掛けてタバコを吸っていると、見知らぬおじさんからタバコを一本くれとねだられた。おじさんはライターだけ持っていた。時間が来たので歩き出したら、女の子の二人組が、朝っぱらから、階段のかげにあぐらをかいて座り込み、カップラーメンをすすっていた。朝から、みんないろいろだなと思った。