仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
<口語訳>
仁和寺(にんなじ)のある法師、年寄るまで石清水を拝まなければ、心憂く思って、ある時思い立ち、ただひとり、徒歩で詣でました。極楽寺・高良などを拝んで、こればかりかと心得て帰ってしまわれた。
さて、かたわらの人にあって、「年頃(長年)思っていたこと、果たしました。聞きしにまして尊くあられました。それにしても、参られた人ごとに山へ登るのは、何事でありましょう、心引かれましたが、神へ参るこそ本意なのだと思って、山までは見なかった」と言いました。
少しのことにも、先達は望ましい事だ。
<意訳>
仁和寺のある坊主。年寄りになるまで岩清水を拝まなかったのを、なんとなく寂しく思っていた。
ある日、この坊主は思い立って、たった一人、徒歩でとほとほ岩清水を詣でた。山のふもとにある極楽寺や高良神社を拝むと、こんなものかと心得て寺に帰った。
さて、寺に戻り知り合いに会うと坊主は言った。
「いやいや、長年思っていた事をついに果たしました。岩清水をお参りしてきたのです。聞きしにまさる尊いお姿で御座いましたぞ?それにしても、参拝に来た人達がみな山の上に向かっていたけれども、興味もありましたが、岩清水を拝むのが本意と心得て山には登りませんでした!」
山の上こそ、岩清水そのものであるのだが。ささいな事でも、先達の案内は必要である。
<感想>
これ。
京都の地理や、神社仏閣に詳しい人が読むと、爆笑もんなんである。
そもそも、仁和寺から岩清水(男山の山上にある岩清水八幡宮)までは20キロぐらい離れているのだ。それを思いつきで片道20キロ、往復40キロを歩き、行って帰って来たくせに、山のふもとの寺や神社を「岩清水」だと思い込んで肝心の岩清水天満宮を拝まずに、この法師は帰って来てしまったのだ。年寄りのくせにものすごい行動力のものすごい馬鹿だ。
普通な京の人なら、川沿いに船で岩清水に行く。陸路なら馬に乗るだろう。交通ルートも、肝心の岩清水の事も良く知らないくせに、たんなる思いつきで徒歩でとほとほ行っちまった上に、肝心のものを拝まないで帰って来てしまったのだ。悲しいぐらいに笑える。
でも、俺はこんな馬鹿が好き。兼好も嫌いじゃないらしく、一度でも岩清水に行った事のある人に話しを聞いていれば、こんなことにはならなかったのにと少しだけ同情している。
原作 兼好法師
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
<口語訳>
仁和寺(にんなじ)のある法師、年寄るまで石清水を拝まなければ、心憂く思って、ある時思い立ち、ただひとり、徒歩で詣でました。極楽寺・高良などを拝んで、こればかりかと心得て帰ってしまわれた。
さて、かたわらの人にあって、「年頃(長年)思っていたこと、果たしました。聞きしにまして尊くあられました。それにしても、参られた人ごとに山へ登るのは、何事でありましょう、心引かれましたが、神へ参るこそ本意なのだと思って、山までは見なかった」と言いました。
少しのことにも、先達は望ましい事だ。
<意訳>
仁和寺のある坊主。年寄りになるまで岩清水を拝まなかったのを、なんとなく寂しく思っていた。
ある日、この坊主は思い立って、たった一人、徒歩でとほとほ岩清水を詣でた。山のふもとにある極楽寺や高良神社を拝むと、こんなものかと心得て寺に帰った。
さて、寺に戻り知り合いに会うと坊主は言った。
「いやいや、長年思っていた事をついに果たしました。岩清水をお参りしてきたのです。聞きしにまさる尊いお姿で御座いましたぞ?それにしても、参拝に来た人達がみな山の上に向かっていたけれども、興味もありましたが、岩清水を拝むのが本意と心得て山には登りませんでした!」
山の上こそ、岩清水そのものであるのだが。ささいな事でも、先達の案内は必要である。
<感想>
これ。
京都の地理や、神社仏閣に詳しい人が読むと、爆笑もんなんである。
そもそも、仁和寺から岩清水(男山の山上にある岩清水八幡宮)までは20キロぐらい離れているのだ。それを思いつきで片道20キロ、往復40キロを歩き、行って帰って来たくせに、山のふもとの寺や神社を「岩清水」だと思い込んで肝心の岩清水天満宮を拝まずに、この法師は帰って来てしまったのだ。年寄りのくせにものすごい行動力のものすごい馬鹿だ。
普通な京の人なら、川沿いに船で岩清水に行く。陸路なら馬に乗るだろう。交通ルートも、肝心の岩清水の事も良く知らないくせに、たんなる思いつきで徒歩でとほとほ行っちまった上に、肝心のものを拝まないで帰って来てしまったのだ。悲しいぐらいに笑える。
でも、俺はこんな馬鹿が好き。兼好も嫌いじゃないらしく、一度でも岩清水に行った事のある人に話しを聞いていれば、こんなことにはならなかったのにと少しだけ同情している。
原作 兼好法師