自分が離婚したってことはわかっているけど、その時々にどんなことがあったのか忘れてしまってる。
たまに古い日記を読み返してみる
やっぱり悔し涙を流した跡がある
2004年に3年生だった娘を連れて元妻は家を出た
娘と僕の関係は理解して、週末になると娘はいつもここにきてた
そして毎週日曜日の夜、彼女は母親の元に帰っていく
2005年12月04日
おおばかやろう
バカな父親かっつん いつもあーは母さんに迎えに来てもらって車で30分の別居場所へたどり着いてたと思ってた
でも違ってたんだ 勿論そういうときもある でも一週間に2・3回は僕に
「母さん迎えに来たから行くね」
そういい残して一人で地下鉄に乗ってむこうへ行ってた(帰ってたという言葉は使いたくないので)
きょうも7時に
「もう母さん向こうを出たか?」
「6時50分に出た様だから20分くらいには着くはずだよ」
そして7時20分に
「来たみたいだから 行くね」
そしていつものようにエレベーターまで見送り
「気をつけてナ また明日 おやすみ」
窓越しに手を振る
今日は車に乗り込むところ見てやろうと窓からのぞくと 彼女は一人駅に向かって歩いてゆく
まさか・・ ひとりで??
すぐに携帯に呼びかける
「本当は母さんは迎えに来てないのか?」
「うん 大丈夫 帰れるから」
小学生を夜一人で地下鉄に乗せられないよ
すぐに迎えに行ってそのまま向こうのマンションに届けました
何回聞いてもその詳しい在り処を家内は話さなかったけど今日初めて見てきました
そしてそれを口止めされてるあーが手を振りながら入ってゆくのを確かめた
いつも 迎えにきてくれた って言いながら笑顔で出て行った娘の二回に一回は嘘だったなんて
僕は彼女がいじらしくてかわいそうで申し訳なくて
それに気付かない自分を責めながら帰り道泣きながら帰ってきました
勝手な行動してひどい女だ
人の言葉は絶対に受け入れない
話を聞いてあげる そういって家内に電話してくれた僕の友達二人
二人とも着信拒否されてしまってる
あー とうさんと暮らしたほうが幸せになれる そう思うがなぁ・・・
今なら多分その時には仕事をしてたのか、どうしても離せない理由があったんだろうと察する余裕もある
娘はそのまま6年卒業するまで地下鉄に乗って1年生になった小学校へ通い続けた
それは僕の、そして兄有祐の通った小学校
その後 別居先の中学に入り、母親と暮らし 卒業した その間に離婚成立
そして高校生になって自分の意志で帰ってきた
幸せになれたかどうかはわからないが、この日記のような結果になった
ただ母親との交流は勿論続いているし、良好だと思う。
それでもやはり被害者にしてしまった感はぬぐえない
・・だから甘いんだよねぇ。。
たまに古い日記を読み返してみる
やっぱり悔し涙を流した跡がある
2004年に3年生だった娘を連れて元妻は家を出た
娘と僕の関係は理解して、週末になると娘はいつもここにきてた
そして毎週日曜日の夜、彼女は母親の元に帰っていく
2005年12月04日
おおばかやろう
バカな父親かっつん いつもあーは母さんに迎えに来てもらって車で30分の別居場所へたどり着いてたと思ってた
でも違ってたんだ 勿論そういうときもある でも一週間に2・3回は僕に
「母さん迎えに来たから行くね」
そういい残して一人で地下鉄に乗ってむこうへ行ってた(帰ってたという言葉は使いたくないので)
きょうも7時に
「もう母さん向こうを出たか?」
「6時50分に出た様だから20分くらいには着くはずだよ」
そして7時20分に
「来たみたいだから 行くね」
そしていつものようにエレベーターまで見送り
「気をつけてナ また明日 おやすみ」
窓越しに手を振る
今日は車に乗り込むところ見てやろうと窓からのぞくと 彼女は一人駅に向かって歩いてゆく
まさか・・ ひとりで??
すぐに携帯に呼びかける
「本当は母さんは迎えに来てないのか?」
「うん 大丈夫 帰れるから」
小学生を夜一人で地下鉄に乗せられないよ
すぐに迎えに行ってそのまま向こうのマンションに届けました
何回聞いてもその詳しい在り処を家内は話さなかったけど今日初めて見てきました
そしてそれを口止めされてるあーが手を振りながら入ってゆくのを確かめた
いつも 迎えにきてくれた って言いながら笑顔で出て行った娘の二回に一回は嘘だったなんて
僕は彼女がいじらしくてかわいそうで申し訳なくて
それに気付かない自分を責めながら帰り道泣きながら帰ってきました
勝手な行動してひどい女だ
人の言葉は絶対に受け入れない
話を聞いてあげる そういって家内に電話してくれた僕の友達二人
二人とも着信拒否されてしまってる
あー とうさんと暮らしたほうが幸せになれる そう思うがなぁ・・・
今なら多分その時には仕事をしてたのか、どうしても離せない理由があったんだろうと察する余裕もある
娘はそのまま6年卒業するまで地下鉄に乗って1年生になった小学校へ通い続けた
それは僕の、そして兄有祐の通った小学校
その後 別居先の中学に入り、母親と暮らし 卒業した その間に離婚成立
そして高校生になって自分の意志で帰ってきた
幸せになれたかどうかはわからないが、この日記のような結果になった
ただ母親との交流は勿論続いているし、良好だと思う。
それでもやはり被害者にしてしまった感はぬぐえない
・・だから甘いんだよねぇ。。
>「うん 大丈夫 帰れるから」
健気なお嬢様ですね!
いくら母親から口止めされていたとはいえ、健気すぎます。
かわいそうです。
お嬢様が、明るく元気に育ってよかったですね。
>それでもやはり被害者にしてしまった感はぬぐえない
・・だから甘いんだよねぇ。。
それでなくても男は娘に甘いです。(笑)
元妻が迎えに来るからと帰したのに、それすら出来ないのなら自分が引き取ると逆上してたはず。
でも無事に育ってくれたのだから昔の事は言うまい、って心境なのでしょうね。
このころは、僕らの方がこの子に寄りかかっていたんじゃないかと思うくらいです。
なんにも主張しませんでしたね
その反動か高校生になってからは自分のやりたいことに対して妥協しない子になりました(笑)
中学までは一生懸命テニスをしていましたが、
高校生になってからは一途にバイト
ずっとローソンで働いてました
今も頑張ってますよ(笑)
この娘は二回の早産死と何回かの流産の末に出来た子で、母親の命だったんです
それは僕も知ってたから、引き剥がすつもりはありませんでした
向こうもその気持ちはわかってるので、毎週週末は僕の所へ寄こしたんでしょう
中学生になってからは、母子の確執も生まれたようで、自分で高校は父親の所から通うと決めたようでした
良く認めたと思います。
そして親権者も僕になっています。
慰謝料の請求もなし。勿論ですが(笑)
高校生になると戻ってくるなんて、いやぁ~いやぁ~父親として嬉しかっただろうなぁ~と想像しちゃいました♪
それでも娘さんなりに両親それぞれに気を遣ってくれているみたいだから、親として誇らしいでしょ?でしょ?
夫婦は元々他人同士ですが親子の絆は強い☆
その布石はいろいろあったと思います
http://blog.goo.ne.jp/popg888/e/3dabce823ebccd7eb44d129ac58cb830
ここに書いた修学旅行の写真エピソードも印象的な出来事の一つでした
僕なら絶対やらないことでしたから
ま、でも今仕事に燃えててADの上の仕事目指してみようかなぁ と言ってました
ということは名古屋には帰らんってこと?(笑)