おもしろき ことばかりな世を・・・

ロッテと旅をこよなく愛する日記

野球とは楽しむものなり(小宮山教授のお言葉)

2009-09-21 23:18:54 | 千葉ロッテ
というわけで,楽しめない野球はとっとと忘れましょう・・・

ロッテ0-4ソフトバンク

年に何回かあることはあるんですが,出てしまいましたね。全く楽しめない野球。

まあ打線が2回の無死2,3塁でなーんもできんかったところで,早くも勝負あったというところでしょう。

お久しぶりのヒロユキも,まあなーんとなく投げてる感じで,毎回ランナーを出す始末で,見所は特になかったですしね・・・。

まあ,あえて言えば,良かったのは4回のマッチのセーフティ&盗塁くらいでしょうか。3塁オー様を見透かしたような絶妙なセーフティから,盗塁。なんか糸の切れた凧のようなチームの中にあって,唯一気合の入ったところを見せてくれました。本音は2回で打ってくれてれば・・・というところなんですが,まああのときも当たりは悪くなかったしなあ。再編なる来季以降はどういう形で使われるのか全く予想がつきませんが,ほんっとに,ゴリ・ツヨ・サトのだめっぷりが際立つ今日この頃ですし,そろそろユーティリティから代えがたい人材へと脱皮を図るべく,何かを掴み取ってほしいところですね


はい,というわけでつまらん試合はとっと忘れて,本題へ。今日は,教授の引退記者会見が行われました。

ロッテ小宮山「これからは広く野球界に貢献を」

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今季限りでの引退を決めたロッテの小宮山悟投手(44)が21日、本拠地・千葉マリンスタジアムで会見。ユニホームを脱ぐ決意を固めた最大の理由を「体力の衰え」としながらも、バレンタイン監督の今季限りでの退団決定も大きな要因だったことを示唆。球団からは指導者といった形での“残留要請”を受けたが固辞し、来年以降は「母校・早大などを活動拠点に、広い形での球界への貢献したいと考えている」と明らかにした。一問一答は次の通り。(三浦馨)

  ■43歳6カ月で勝ち投手となった小宮山  

 ――ユニホームを脱ぐ理由は

 「ここ何年も今年が最後と決意を固めてきたが、今年1月に母校・早大の東伏見グラウンドで練習したとき、思うようにボールが投げられず、『監督に迷惑をかけるようなら辞めないといけない』と思った。5月に監督に呼ばれて『少し休め』と(2軍降格を)言われたとき、自分の中で腹をくくった」

 ――引退後の予定は

 「8月に球団に呼ばれて来年以降の話をしたとき、本当にありがたいオファー(石川晃球団副代表によれば、来季の現役続行、もしくはコーチか球団スタッフとしての残留を要請)をいただいたが、より広い意味で球界に尽力したいと考えた。特に最近はプロとアマの垣根を取り払おうという動きが進んでいる。そういうところで力を貸せたらと、まず第一に(母校の)早大のことが頭に浮かんだ。(具体的な予定は)まだまったくこれからですが」

 ――野球人生で一番の思い出は

 「(大リーグ・メッツ入りした)2002年、本拠地のシェイ・スタジアムで開幕セレモニーを迎えた瞬間。そこへ至るまでの経緯はいろんなこと(ロッテからの戦力外通告など)があって、奇跡的な野球人生といっても過言じゃないでしょう。もう一度あのころへ戻れたらと思うことはあります」

 ――日本のプロ野球では

 「やはりロッテで日本一になれたこと(2005年)ですかね。ベストピッチは1997年10月(6日)の神戸でのオリックス戦。まだイチローがいたころで、八回まで無得点に抑えましたが(九回は抑えの河本育之投手が完封リレー)、自分の野球人生の中で一番狙ったところへボールがいった試合でした」

 ――バレンタイン監督との日々は

 「1人の野心家(バレンタイン監督)が95年にロッテへ来て、自分の力を発揮できずに帰国したが、もう一度(04年に)戻って前回の失敗を踏まえ、相当に計算して日本一となり、たくさんのファンを獲得した。僕にとってのボス。(選手としては)ロッテと契約する身だが、ボビーに声を掛けられ、手伝いに来たという認識だった。(監督は)おそらく不本意な形での退団となったが、力を貸せず、申し訳ない気持ちです」

 ――チームの若手投手にひとことを

 「一度しかない人生の中、野球がどのくらいを占めているかと聞かれて『すべて』と言い切れるくらいじゃないと大成しないと思う。祐太(大嶺)も唐川(侑己)もまだやるべきことはたくさんある。神様がすべての人間へ平等に与えてくれた24時間をもっと上手に使えればいいのにと物足りない気はする」

 ――自分にとって野球とは

 「色紙に書いている言葉ですが、『神様が与えてくれた最高の娯楽である』ですかね。当面はまだ大きなイースタン(2軍)の優勝がかかっているので、そちらへ全力を注ぎます」(そう言い残し、会見場を後にした)
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いろんな引退会見というのがありますが,これだけ内容の濃さを感じる会見というのはなかなかありませんね。

もちろん


野球とは神様がくれた最高の娯楽

という金言や,具体的に名前を挙げての,後継者たちへの厳しくかつ温かい言葉もさることながら,やっぱり一番感銘を受けたのは


「1人の野心家(バレンタイン監督)が95年にロッテへ来て、自分の力を発揮できずに帰国したが、もう一度(04年に)戻って前回の失敗を踏まえ、相当に計算して日本一となり、たくさんのファンを獲得した。僕にとってのボス。(選手としては)ロッテと契約する身だが、ボビーに声を掛けられ、手伝いに来たという認識だった。(監督は)おそらく不本意な形での退団となったが、力を貸せず、申し訳ない気持ちです」

という下り。

いやー,男として生まれたからには,こういう冷静な目を持って支えつつ,最後には自分とともに身を引いてくれる部下,というか戦友と仕事をしてみたいもんですね・・・。おべっかやいたずらな精神論だけで人に接しようとする人間とは対極に位置しているというものです。

私が好きな言葉の1つなんですが


その人と仕事をしなければ,その人を知ったとは決していえない

私を含めた口さがないファン,あるいはマスコミの百万の批判あるいは声援よりも,自分を知る者の一言は何よりも重いもののはず。

人間って,たとえ100人が敵に回ろうとも,たとえ1人でも自分を理解してくれる人がいれば(いや,2,3人はいないと哀しいか(笑)),歩んでいけるものです。まさしく失意にまみれて帰国するボビーにとって,この言葉が貴重なはなむけとなることを願いたいと思います。


さって,後は,この魂が,ご指名を受けた祐太あるいはカラカー君(なんでこっちは名前じゃないんやろ(笑))に受け継がれることを祈るのみ。きっと10月6日は何かがあることでしょうから,ボビーともども,盛大にお見送りしたいと思います!

それではおやすみなさい

PS:しかし,一般紙ですら,この中身の濃い報道に対し,うちの公式サイトの記事の中身の薄いこと。抜粋コメントなんか,何も実体を伝えきれてねえよ。トラフィック目当ての携帯会社とタイアップした携帯サイト重視ということなんかもしれんけど,そういう本末転倒なことしてると,いつかしっぺ返しくらうぞ,球団よ・・・。

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繰り返される惨劇&さよなら,コミさん

2009-09-21 00:24:28 | 千葉ロッテ
もう,こういう日くらいは勝とうよ・・・。

ロッテ5-6楽天

すっかり毎度おなじみとなってしまった,吉原炎上ならぬリリーフ炎上。

今日は,内君を投入しての負けだから,いよいよどうしようもねえよな・・・。何度も書いてますけど,まあリリーフ陣がすっかり崩れてしまえばこういうもんです。とにかくオギー,シコ様を交えて,どのように再編していくのか,しっかりと考えていってほしいと思います。所詮,リリーフは頭数ではなく,信頼できる3枚をそろえられるかどうかが全てといっても過言ではないですから。

しかし,晋吾は,本当にいいピッチングしますな・・・。7回の1点は残念でしたが,7回を7安打2失点は,本当に本人もいうとおり100に近い出来

というか,この文面読んで,いい人というより,もうすばらしいというほかありませんよ・・・。

年長者への感謝だけでなく,教えてもらったことを素直に後輩に引き継ごうという,ベテランの気概を感じるような文章。こういう人がいるかどうかは,チームにとって大きく違ってくるところです。

再編の避けられないローテ陣の中でも,しっかりと心のよりどころとしてがんばってほしいところですね。


ということで,その 教授の記事

小宮山が引退,ボビー今季限りで決断

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 ロッテ小宮山悟投手(44)が今季限りでの現役引退を決意したことが19日、明らかになった。小宮山に近い関係者によると、04年にバレンタイン監督の強い要望でロッテに復帰した経緯があることから、今季限りで退任する同監督とともに自らも身を引く決意を固めた。今後は未定だが、プロアマ問わず球界の発展に尽くしたい考えを持っているという。ロッテ、横浜、大リーグのメッツ、浪人を経て再びロッテに戻った波瀾(はらん)万丈の野球人生についに終止符を打つ。

 「投げる精密機械」といわれ、長年ロッテを引っ張ってきた背番号「14」がついにユニホームを脱ぐ時がきた。今季1軍では1勝0敗。5月16日に約3年ぶりに1軍登録抹消された時は防御率が10・13まで膨らんだ。その試合後「投げろと言われれば投げるけど、結果が目に見える状況なのでしょうがない」と、もどかしい胸の内を吐露していた。その後2軍で11試合に登板したものの、1軍に上がることはなかった。

 バレンタイン監督とのきずなが、パ・リーグ最年長右腕を支えていた。メッツを戦力外となり事実上の「引退」に追い込まれた03年に、あくまで現役続行にこだわり1人で練習を続けていた時、「力を貸してくれないか」と声をかけてくれたのがバレンタイン監督だった。1年間の浪人生活を経て異例の復帰を果たした。

 恩人であり師でもある同監督が今季限りで退団することが、決断に至らせた。小宮山に近い関係者によると「バレンタイン監督が球団から必要とされずにチームを去るのであれば、監督の力になれなかった小宮山本人も身を引く、というのが理由のようだ」と話した。チームは2年連続クライマックスシリーズ(CS)進出が絶望的な状況で、監督が期待した中継ぎの役割をまっとうできなかった責任も感じていた。

 20年間の現役生活に別れを告げる。2浪して早大野球部に入部し、エースとして20勝をマーク。89年ドラフト1位でロッテ入りするとトレードマークのサングラスと、顔の前にグラブを持ってくる独特のノーワインドアップ投法で人気を博した。93年には開幕戦から6試合連続完投勝利というプロ野球記録を樹立。当時のチームメートだった牛島から投球術を学び、打者との駆け引きを習得して97年には最優秀防御率賞も獲得した。

 通算117勝を挙げてロッテの一時代を築いた男は、その言動も注目された。03年から05年まで早大人間科学部の科目履修生として、学生と二足のわらじをはいた。06年には早大スポーツ科学部大学院学術部に進み、投球フォームに関するバイオメカニクスを専攻。07年に修士課程を修了した幅広い知識は、ロッテでも数字では測れない影響力を与えた。

 今後については未定だという。浪人時代に評論活動を通じて養った分析力や視野の広さに加え、日米球界にも精通している。さらに数学の教員免許も取得していることから、プロだけでなく早大を含むアマ監督にも支障はない。関係者によると「プロアマ問わず野球界発展に尽くしたいという意向を持っているようだ」と話した。これまで培った野球哲学を第2の野球人生でも発揮するに違いない。
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球団が慰留との記事もあった教授が,すっぱりと現役引退を表明しました。

衰えがとか枠がとかいろいろ言うこともありましたが,教授がロッテに戻ってきたときは素直に嬉しかったです。

でね,なかなかいえませんよ。

「バレンタイン監督が球団から必要とされずにチームを去るのであれば、監督の力になれなかった本人も身を引く」って。

今まで辛抱強く使ってもらっていながら,あっさりと旗幟を翻した選手も多くいそうな中で,出処進退という意味では,こういう身の引き方というのは,素直にすがすがしさを感じます。来年以降はどういう立場でいるのか分かりませんが,しばらくはのんびりしてもらって,将来はぜひ鬼コーチとして帰ってきてもらいたいところですね

何はともあれ


教授,長い間お疲れ様でした!

それではおやすみなさい

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