ヒトの創る世界の中で、重要な所に位置しているモノの一つとして、『信用信頼』というものがあるらしい。
らしい、というのは、現実世界で自分の意見や考えというモノを消去した状態で、半年間社会生活を営んでみた今、実体験しているコトであったりする。
ヒトというイキモノは、完全に主体性を消去(『客観視』)は出来ないわけであるが、とりあえず関係のあるヒトの言葉に概ね随って行動してみると、ヒジョーに面白い結果が浮かび上がってくる。
あちらでうまいコト行っていても、こちらじゃあうまいコト行っていなかったりする。例えば、Aさんのやり方をコピーすると、Aさんと積極的に絡むヒトの間では、まあそれなりにウマイコトいったりするが、Bさん集団は苦い顔をしているなんてのはザラである。
ワタシがよくお邪魔するとある所で『マイナールール』というものを教えてもらっているのだが、この『マイナールール』、かなり複雑な構造をしているコトになんとなく気付き始めた。確かに"おおよその"ルールは存在するらしい。
ただ、それを解釈するヒトによって、ビミョーにずれていたりなんかする。しかも個体の中でも変化するから、また厄介。
ワタシ、個人的にどうも苦手なのが、『仕事に感情を持ち込むヒト』だったりするわけだが、ヒトってびっくりするくらい感情的なイキモノだったりする。
そしてその感情によって選別された情報を基に、他人に対する『信頼度係数』みたいなモノを形成していたりする。 この『信頼度係数』が高まると、呼吸が楽になったりするわけで、なんとまあ曖昧な世界である。信用信頼されていない舞台で、必死に踊っても酸欠するだけでブーイングだったりして、いやはや、負の無限連鎖にハマル。
ワタシ、普段ほとんど『発達障害者(意図的表現)』って言葉を使わないのだが、なるほど『発達障害者(意図的表現)』にとって『安心していられる空間』というモノが、どれほど重要であるかが、判ったような気がする。
大人になると、どうしても『褒められる』というコトは稀であるが、『感謝される』ということを表現されるのは、同等の効果があるだろう。賛辞や感謝というのは、一定の『信頼度係数』のうえに成り立っていたりする。
要するに、信頼や信用されていない場合は、事々く批難や苦情、失笑、諦め、などという『負の無限連鎖要因』がテンコ盛りである。こりゃ、ハマったら抜けられない。
誤解だよー、と、まあ本当に誤解というモノがあったとしても、解釈しちゃった相手次第で、そういうことになっていく。二次障害って呼ばれるヤツの一部は、こういう仕組みをしているものがあるのだろう。
ワタシが思い付く、この連鎖回避法は、『じっくり、しっかり、地味に』一つ一つのコトを精確にこなすコト、のような気がする。
『信頼度係数』をあげること、ってヒト社会で生きていくのに、息のしやすいシステムなんだろう。あ、派閥の論理みたいなのも絡んでくるが、メンドクセーので、しーらない。
【追記100225.22:06】なんだか“かつまー”みたいなこと書いちゃったが、どっちかってーと(だいぶ)“かやまー”なんだけどなあ。ふう
(「勝間さん努力で幸せになれますか」のカヤマさんの突っ込みっぷりが、ワタシ的にツボ)
【追記2】わーい。しーたさんに丸ゴシックの使い方教えてもらいましたー。
ありがとうございます。(“HG丸ゴシックpro”がフルブラウザで対応可能か調べる時間がないので割愛)
こんばんは。
いやー、丸ゴシックはいいですねー。
情報の吸収率が高い(ワタシ的に
自分の生きやすいところを見つける、っていうのは大きな要素ですね。そのための(努力、ああちょっとしんどい言葉だな)嗅覚みたいなモノを鍛える、っていうのは必要かもですね。
ヒトの輪からちょい外れたところって、居心地いいんですねー。でplutoだったり
なじむことも、なじまないことも大切かな、と。
我が人生も実験です。
完璧に丸ゴシックになってますね。当たり前か~(笑)
結局、周りに合わせようとすると、
どこかで矛盾が生じるんですよね。
だったら、自分の生きやすいところで
自分の考えを出して生きていくほうが
ストレスがたまらなくていいですね。
とはいえ、素の状態でなじめるところが
少ないのが問題なんだな。我々は。
できるだけ、なじみやすいところを探すか
なじむ必要がないところにいるか。
私は、なじむ必要性を感じないので、
なじまず外から眺めることにしました。
これが吉と出るか凶と出るかは、
これからのお楽しみです~←わが人生は実験なり!
こんばんは。
双方がギクシャクすること少なく、仕事をしていく上で、信頼って重要ですよね。自分のやり方、考え方を押しつけるのではなく、相手のやり方、考え方が少々自分の方法と違っても許容する。そういうところが「器」と言われるところなのかなー、と思ったりします。
中庸ですね。ワタシが心がけているのもそういうところなんですが、ワタシ自身が持っているモノ(思考や感覚等々)がかなり凸凹してるので、そーとー苦労します(かなり大きな矛盾なんですよねー、ここって)。
そういう意味で『デクノボー』でありたいなあ、というのがワタシの思いだったりします。
信頼度係数って、面白い考えだな~と思いました。
仕事上で信頼関係が成り立たないと仕事に支障をきたすわけで、とっても必要なんだけど、数値で考えた事なかった~~~
この信頼数値も人間の「器」なんて表現してしまうとややこしいですが、辞書にのっている人間の器の大きい人・・・そのまんまの意味で、そういう人が近くにいると仕事上の呼吸は急激に楽になりますね。
信頼ゼロの舞台で踊っちゃうと、そりゃ苦しいでしょうし、どれだけ心臓の強い人でもさすがに参るでしょう。
『じっくり、しっかり、地味に』一つ一つのコトを精確にこなすコト
突き詰めていくと仕事と言うものはそれに尽きるんでしょうね^^
なんだかスッキリしました。
一つ一つの仕事をこなして、自分のスキルを上げるとか自信をつけると言う前に・・・
信頼はちょっぴりずつでも獲得できますものね。
マイナールールについては、私の考えなんですが、大まかなものをつかんだら、その中道を行く事を心がけると良いと思うんです。
ゆっくり左右前後に揺れながら・・・
うふふ。
派閥~~~なんてものには遠く離れていないと、瞬殺されちゃうか、生贄~~~の道が待っているんじゃないかと。。。
これ、勘と言うか運・・・で避けないと・・・が辛い所ですが。。。
感覚感性・・・磨く事は大事だと思うんです。
理性や理屈だけで社会は回っていないのが不思議なところなんですけど。。。
ああいっぱい書いちゃった。