皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

阪神淡路大震災から14年 - 心に刻まれる思いと自分にできることの再確認 -

2009-01-16 22:50:49 | 地球科学
14年前の明日は、忘れられない日でした。
ワタシの目に焼き付いた、三宮の倒壊ビル群。
阪神高速の橋脚根本からの横転。
長田区の黒煙と朱に染まる空。
瓦礫の山から、掘り起こした人、掘り起こせなかった人…

死者6,434人、重軽傷者者43,792人。全半壊家屋274,181棟。焼失家屋約7,500棟、避難者約35万人。断水130万世帯。停電260万戸。ガス停止86万世帯。電話不通30万回線。同時多発火災約290件。

中越沖地震も、能登半島地震も、岩手福島沖地震も、海を渡った四川大地震も、
世間の慌ただしい時流の中では、さも風化していっているように見えます。

阪神大震災では、応急の避難所となった学校などに収容できたのは、被災者の12%でしかなかったというデータがあります。残りの88%の人たちは、電気・水道・ガス・電話が途絶えた自分の家で暮らすことを余儀なくされました。マイカーや公園、グラウンドで不安な夜を過ごした人もいます。
どこの市町村でも収容能力はせいぜい10~15%でしかありません。従って、自分の家をシェルターにしなければ路頭に迷うことになるのです。そして、備蓄しておいた水、食糧で生きのびる事を考える必要性が発生します。他力本願でなく事前に準備をして災害を迎え撃つ姿勢の大切さを学んだ大震災でした。

避難生活において、耳にした困りごとは、水・食料・トイレ・紙オムツ・粉ミルク・生理用品など、支援物資として送り込まれる物資とはかなりの誤差があったことも取りざたされました。

肉親・知人の安否ももちろん重要ですが、現場で関わった人達の情報の共有、自分にできることを察知し、自分と同じ分野のできる人達のネットワークを構築し、それらのネットワークの存在を終結して発信する、自助努力・相互努力。

ワタシが携わってきた、構造物耐震基準はこの震災を期に大きく修正されました。
様々な分野の方が、それぞれの分野で、教訓を生かして今後全土で起こる大規模災害に対する対処法を鋭意検討されていると思います。

14年経った、今、三宮を見渡すと、何ごとも無かったかのように時間が流れています。
その一方で、PTSDに苦しみ、未だ拭えない精神的ダメージを抱えたまま、日々暮らされている方が数多くいらっしゃいます。
あまりの重労働に心身共に傷を背負われた、看護士、医師の方々も大勢います。

ワタシはこの震災を経験したことによって、自分の進むべき道を確信したつもりでしたが、自分自身の不甲斐なさから、今現在は道を逸れています。

今のワタシにできることはなんだろう。
ワタシの目に焼き付いたあの光景を、表現し続けることだろうか。
未然に災害規模を最小限に食い止める手だてに、微力ですが尽力することだろうか。
現場でできることをできるだけすることなのかも知れない。

日本に住んでいる限り、災害はいついかなる時でも起こりうる。
今の社会状況で、これからの社会で、人ができることはなんだろう。

ワタシ個人の永遠のテーマかも知れません。


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4 コメント

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私も被災したんです (くすのきゆり)
2009-01-23 13:05:00
阪神淡路大震災について記事を取り上げてくださってありがとうございます。
年々風化していくようで寂しい私でした。
我家も神戸市東灘区で震災を体験したのです。
三宮のビルの残骸の中を私の実家に向けて避難しました。
主人のアスペルガーの特性上 
避難所に行くこともできず 
一度も避難所には脚を踏み入れず
直接 私の実家に身を寄せました。
その時の様子をシリーズ化してアップしています。
1~5までありますので もしお時間がございましたらご覧下さい。
返信する
Unknown (pluto)
2009-01-24 18:23:26
>くすのきゆりさん

こんばんは。
阪神淡路大震災は、ワタシにとっても衝撃でした。
アスペルガーの特性上、避難所に行けないというのは???ですが、日本人はほとんどの人が、一生に何回かあのような経験をするのでしょうね。
何か自分にできることをやっていきたいなあ、と思います。
ブログ拝見させて頂きますね
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説明不足でした。 (くすのきゆり)
2009-01-26 14:58:57
うちの主人は他者との関わりがとっても苦手なアスペルガーです。
知らない人が 近くに座っているだけで
なんとなく不愉快なのだそうです。
避難所に行くとプライベートスペースはありません。
そういう状況が我慢できないそうです。
人の声もうるさくて我慢できなかったでしょうし。
そして炊き出しなども「人様から恵んでもらう」という
イメージが強くそういう場に行くのもいやだったそうです。
結婚したときの主人は「世間は怖い人ばかり!
極力関わらないように」と思っていたようで
plutoさんの様な出来ることがあれば、、、
的な思考は理解できなかったと思います。
(今は、少し進化してますよ)
あ、この内容 自分でも記事にしてみます。
それでは(@^-^@)
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Unknown (pluto)
2009-01-26 23:13:39
>くすのきゆりさん
こんばんは。
詳しく書いて下さると、なるほどです。
“知らない人”というのが特に興味深いですね。
ご自分のところで記事にされるのですね。
楽しみにしています
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