Blogに、ミルキーを大事に持っている昔の写真を載せたところ、みなさまのコメントから初代ペコちゃんは、こんな風だったのがわかった。目がぐりぐりしていていて、動くのが特徴。
今日は、そのミルキーを売っていた昔のお菓子屋さんを載せてみた。
といっても、写真ではなく、トントンの作品。
なつかしいミルクキャラメルも売っていた。ペコちゃんの箱も見える。
お菓子といえば、その頃は計り売りで、紙の袋に何グラムとか入れて売ってくれた。
お店には、計りが置いてあって、シャベルみたいなのですくって、袋に入れていた。
優しいおばさんは、ちょっと多めにいれて、おまけしてくれたこともあった。
袋菓子になってしまったのは、いつからだったのだろう。スーパーマーケットが出来たのと同じ頃だろうか。
作品の赤い服を着ているのは姉。おぶわれているのが私である。
この日、なぜ姉がこんなにきれいな洋服を着ているかといえば、七五三だったからだ。
というのが、その日写した別の写真を見るとわかる。千歳飴を持っている。
畑の向こうに見えるのが、私が通っていた久我山幼稚園。
今日は、そのミルキーを売っていた昔のお菓子屋さんを載せてみた。
といっても、写真ではなく、トントンの作品。
なつかしいミルクキャラメルも売っていた。ペコちゃんの箱も見える。
お菓子といえば、その頃は計り売りで、紙の袋に何グラムとか入れて売ってくれた。
お店には、計りが置いてあって、シャベルみたいなのですくって、袋に入れていた。
優しいおばさんは、ちょっと多めにいれて、おまけしてくれたこともあった。
袋菓子になってしまったのは、いつからだったのだろう。スーパーマーケットが出来たのと同じ頃だろうか。
作品の赤い服を着ているのは姉。おぶわれているのが私である。
この日、なぜ姉がこんなにきれいな洋服を着ているかといえば、七五三だったからだ。
というのが、その日写した別の写真を見るとわかる。千歳飴を持っている。
畑の向こうに見えるのが、私が通っていた久我山幼稚園。
あのころは二つで一円とかのお菓子もありました。一円五円がお小遣いとして使えましたね。自分としてはあの時代に今でも生きていて、玄関を開けて外に出るとそういう世界が広がっていると考えても違和感は全然ないのですが、そんなことを言うと、「頭、大丈夫??」なんてアルツハイマーを疑われそうだから、家内には黙っておきます。
でも、あのミルキーは目のところが中が動くように出っ張っていたのを今でもよく覚えていますね。
おけけの家は、西荻が最寄りだったのでしょうか。
私の家は久我山が最寄りで、べにやさんとか、なかやさんとかで、お菓子を買ってもらっていたけど、5円というのが、一つの単位で、アイスも5円で買えた覚えが。
私も久我山に行くと、あの世界がないのが不思議だなあと思うことがよくあります。なつかしいケヤキの木もないし。
おけけは、ずっと同じ家に住んでいるから、よけいに、一歩外に出ると、あの世界に行けるような気がするでしょうね。
お菓子屋さんはほんとに憧れ、お店全部を私のものにという気持ちで刺したという欲張りです!!
ねんねこ、母の着ていたもののそっくりミニチュア版の生地を友人が持っていて、感動でした。
あと、フランスキャラメル、チューレットも懐かしいなー。
駄菓子屋さんと、ロードローラーの写真、持っている方いないかなぁー!
今はこのあたり、ぎっしり家が建っているのだけど、この頃はさっぱりしてました。
それで、カッパさんの家のある橋より、1本久我山駅よりの橋です。
それで書こうと思っていたのだけど、あのあたりには、橋が並んで3本ありました。銀蔵橋以外、名前がわからないのだけど。
チューレット、フランスキャラメル…あった、あった。
しかし、そんなもの食べてたから、今こんなに苦労するんだわね。
例えば、西荻中央通りと五日市街道のぶつかるところにある「高橋菓子店」
ガラスの大きな入れ物に入れて売っているのは今でも変わりません。
私の覚えている限りでは、昭和30年代と同じ店構えでやっているようですよ。駄菓子も少しですが、売っています。
「高橋菓子店!!」
おいしいですよねぇー、西荻には評判のお店というのが何軒もありますけど、実はここが美味しいと友人と噂をしています。
ずっと変わらずの店構えですか。
デジカメをもってうつしてきましょ!
それから、「ある一日」の橋とこの橋は、違うと思うの。橋の横にある電車用の鉄柱(なんていうのかしら)、コレは、真ん中の橋だと思うわ。
高橋菓子店、今度通ったら、見てみますね。
ということは、あの3人が覗いているのは、真ん中の橋だったのね。どこかなあと思っていたのよね。
あの日は、かなり長い遠足だったようですね。子供の足にしては。